2008 年 2008 巻 72 号 p. 1-15
オロモの進出によって16世紀中に北部エチオピアのキリスト教王国の版図は大きく縮小した。1770年代に王国を訪れたスコットランド人探検家ブルースJ. Bruce はタナ湖の南に位置する諸地域にいくつかのオロモの集団が定住していたと述べている。これらの集団はゴンダール期 (1632-1769年) 後半に王国内の重要な諸事件に関与したにもかかわらず, これまでのところ研究者に注目されてこなかった。そこで本稿では, これらの集団の起源や活動について検証し, その来住の史的意義を考察した。検討の結果得られた主要な結論は以下のとおりである。
(1) タナ湖南方地域にはイヤス1世 (在位1682-1706年) の治世末に複数の集団が青ナイル以南の地域から来住した。それらの中にはオロモに服属していた集団が含まれていた。(2) ダモトのジャウィをはじめとするこれらの集団は当初皇帝たちの軍事活動に協力したものの, ゴンダール期末になると皇帝の命に服さなくなり, 王国の混乱に拍車をかけた。このようにこれらの集団はゴンダール期後半に於けるキリスト教王国史の展開に重大な影響を与えた。(3) その一方でこれらの集団は青ナイル以南のオロモとの友好関係を深め, エチオピア高原に於ける長距離交易の復活に寄与したと考えられる。