2013 年 51 巻 p. 55-62
世界貿易機関(WTO)のドーハ開発ラウンドでは、後発開発途上国が無税無枠で他国に輸出できる措置を実施することが協議されているが、ラウンド自体が合意に至っていないため、各国はWTOの枠組みとは別に、二国間で優遇的なアクセスを提供している。本稿では、アメリカおよびEU市場への優遇アクセスの下で衣料品の輸出を成長させてきたマダガスカルの縫製産業を例に、二国間の優遇アクセスの成果と課題を検討した。マダガスカルでは2009年に政変が発生し、アメリカ政府は同国に対して輸入関税を免除するアフリカ成長機会法(AGOA)の適用を停止した。AGOAの中止は、同国からアメリカ市場向けの輸出を64~78%減少させ、その影響は政変そのものよりも大きいと推定された。また、企業レベルでは、アメリカ向けに輸出していた工場の閉鎖と、それに伴って非熟練労働者を中心に雇用が減少したことが企業データから明らかになった。低所得国に対する優遇アクセスの中止は、輸出額の減少を通じて、教育水準が低い女性の雇用に大きな影響を与える可能性がある。貧困削減の点からは、制度の運用変更が容易な2国間よりも、多国間の枠組みの下で安定的な優遇アクセスが提供されることが望ましい。
世界貿易機関(WTO)が、多角的通商交渉の場として開催しているドーハ開発ラウンドは、その名が示すように発展途上国の開発が主要なテーマとなっている。WTOでは、加盟国が共通のルールのもとで貿易を行うことが原則であるが、途上国とりわけ後発開発途上国(LDC)には、貿易を通じて開発を支援するという目的のため、差異化されたルールを適用すること(differential treatment)が認められている。途上国製品に対して最恵国待遇よりも低い関税を適用する一般特恵制度(generalized system of preference: GSP)が差異化されたルールの例であるが、そのほかにもジェネリック薬の開発を認めた知的財産権の適用緩和などが実施されている。ドーハ開発ラウンドでは、GSPによる関税低減をより一歩進めるものとして、LDCに対して無税無枠(duty-free and quota-free)のアクセスを提供することが議論されている。途上国の間でも経済発展の度合いに大きな差が生じているため、開発の問題がより重要な後発開発途上国に絞って、より優遇的なアクセスを提供しようというものである1。しかし、ドーハ開発ラウンドは、開始から12年を経てもなお合意に至っておらず、無税無枠措置は、メンバー国と途上国との二国間協定などWTOの枠組みの外で実施されている。EUによるEverything but Arms(EBA)や経済連携協定(EPA)、日本によるLDC特恵、アメリカによるアフリカ成長機会法(African Growth and Opportunity Act: AGOA)などがその例である。本小論では、AGOAに焦点をあて、多国間の枠組みに基づいていない優遇アクセスの成果と課題を、開発および貧困削減の視点から明らかにしようとするものである。具体的な事例として、マダガスカルを取り上げ、アメリカ政府によるAGOAの適用中止が輸出産業および雇用に与えた影響を検討する。
AGOAは、アメリカの国内法として、サブサハラ・アフリカ諸国の製品に対して輸入関税の免税を認める制度であり、2000年から2015年の予定で施行されている。4000品目以上の製品について免税を適用しているが、とりわけ衣料品について大きな効果が生じている。AGOAが適用される直前の1999年から2004年の間に、サブサハラ・アフリカからアメリカへの輸出は約2倍に急成長し(図1)、主要な輸出国(中所得国である南アフリカ、モーリシャスをのぞく)だけでも縫製産業の雇用は20万人を超えていた。この急成長は、中国など他の衣料品輸出国に課されていた数量制限(quota)が2005年に廃止されると同時に姿を消すが、近年、ケニアやレソトでは穏やかな成長が見られている2。
AGOAの成果は開発戦略という点から画期的であった。低所得国は労働集約産業に比較優位があると理論的には考えられ、また経験的にも、多くの低所得国では縫製産業が製造業では最初に輸出競争力をもつ部門であったが、サブサハラ・アフリカでは、一部の国を除きAGOAが実施されるまで輸出が成長することはなかった。AGOAは、免税という下駄を履かせることによって、アフリカにも労働集約産業に比較優位がある可能性を示したといえる。2000年以降、世界銀行を代表するエコノミスト達もアフリカにおける工業化の可能性を示唆するようになり、近年は、資源に依存したアフリカの経済成長を持続的なものへと移行させる方策として、製造業部門を含む産業多様化の必要性が語られる3。
(出所)UNComtradeのアメリカ政府による輸入額の報告にもとづく。
なお、EUもアフリカ諸国に対して免税措置を適用している。2001年に発効したEUとアフリカ・カリブ海・太平洋諸国(ACP countries)の貿易協定であるコトヌー協定によって、衣料品を含むアフリカ製品の輸入関税は免除されていた。EUの措置が衣料品の輸出増加をもたらさなかったのは、原産地規則によって縫製だけでなく織布(生地の生産)の工程もアフリカ内で行わなければ免税が適用されないためであり、これを縫製だけに限定したことがAGOAの成功につながっている4。アフリカで競争力のある織布部門を有するのは南アフリカとモーリシャスだけであり、この両国とともにモーリシャスから生地を調達するマダガスカルのみが、EU市場への輸出に成功していた。関税や数量制限の廃止だけでなく、原産地規制を柔軟化することも、LDC向け優遇アクセスの論点となっている。
援助国は、優遇的な市場アクセスの提供とともに、低所得国の製品の競争力を向上させるために、インフラストラクチャーの整備や企業の生産技術の改善のための援助を行っている。WTOは、こうした援助国および援助機関の取り組みを調整し、効果を高めることを目的に「貿易のための援助(Aid for Trade)」というプログラムを2006年から実施しており、貿易ルールと産業政策の両面から後発開発途上国の輸出促進を支援する体制を整えている[中川 2013, 186-187]。アメリカ政府は、AGOAを「貿易のための援助」の土台として積極的に活用している。毎年、アフリカ諸国の政府代表と民間企業、産業団体との対話の場としてAGOAフォーラムを開催するほか、アフリカの3ヶ所にトレード・ハブと呼ばれる貿易促進の拠点を設置し、AGOAを利用した輸出を支援するための援助(African Competitiveness and Trade Expansion Initiative)を行っている。
AGOAはアメリカの国内法であり、アメリカ政府および議会が適用の可否を決定する。適用には、市場経済、法の順守、複数政党制、知的財産権の保護、人権および労働者の権利の保護などの政治体制や政策に関する条件があり、それらが満たされていないとアメリカ政府が判断した場合には、適用が取り消される。この条件のため、これまでジンバブウェにはAGOAが適用されたことがなく、コートジボアールや中央アフリカは適用を取り消された経緯がある。幸いなことに、適用取り消しとなった国の多くは、AGOAを利用したアメリカ向け輸出が少なく、その影響はわずかであった5。唯一、大きな影響が現れたと考えられるのがマダガスカルである。マダガスカルの縫製産業は、モーリシャスやフランスからの直接投資によって1990年代から発展し、2000年以降は、AGOAを利用したアメリカ市場向けの輸出も増加した(図2)。マダガスカルからの衣料品輸出は、2005年に数量制限が廃止された後も成長を維持し続け、政変の生じる直前には縫製産業は輸出額の54%を占め、約10万人を雇用する最大の輸出産業となっていた6。
マダガスカルでは、2008年に当時の大統領とアンタナナリブ市長との対立が表面化し、2009年に軍が大統領公邸に突入したことをきっかけに、当時の大統領が辞任し、アンタナナリブ市長のラジョリナが大統領に就任している。この政権交代を各国政府やアフリカ連合は承認しておらず、多くの国は政府間援助を停止した。アメリカ政府は、援助の停止とともに、経済制裁として2010年よりマダガスカルに対するAGOAの適用を中止した。この措置により、アメリカ市場ではマダガスカルから輸入される衣料品に最恵国待遇の関税率が適用されるようになった。マダガスカルから欧米市場への衣料品の輸出額は、2009年に前年比で18%減少したのに続き、AGOAが中止された2010年はさらに39%減少した(図2)。2010年のアメリカ向け衣料品輸出額は74%の減少であったのに対して、免税措置を継続したEU市場に対する輸出額の減少は10%にすぎないことから、輸出の減少は政変そのもの影響よりも、AGOAの中止の影響であることが推察される。しかし、政変が生じた2009年は金融危機の影響で衣料品市場自体が縮小しており、単純な輸出額の変化は政変や市場アクセスの変化の影響を示していない。政変とは無関係な要因の影響を取り除くため、マーケットの影響がマダガスカルと近いと考えられる低所得の衣料品輸出国と、輸出額の変化に有意な差があるかどうかを検討した7。その結果、政変は輸出を31~45%減少させたと推定された。他方、AGOAの中止は、アメリカ向けの輸出額を64~78%減少させたと推定され、やはり政変そのものよりもAGOA中止の影響が大きいことが明らかになった8。
(出所)UNComtradeのアメリカ政府およびEUによる輸入額の報告にもとづく。
輸出の急激な減少は、縫製産業に大きな変化をもたらしている。現地では、多くの企業が撤退したことが報道され、縫製産業で職を失った人々がインフォーマルセクターで就業しているといわれている。筆者は、政変が起きる前に縫製企業の調査を準備しており、政変の前後で企業の変化を捉えることができた。調査結果から、政変後に輸出向け縫製工場の29%が閉鎖したことがわかったが、政変前にアメリカ市場にのみ輸出していた工場に限れば、68%の工場が撤退していた。この結果は、AGOA中止が工場の撤退を加速したことを示しているように思われるが、アメリカ市場に輸出していた工場はもともと強い競争力を持っていなかったため、金融危機による市場の縮小や政変を機に撤退が増えたという可能性もある。そこで、生産性や企業規模など工場の特徴の影響を取り除いて撤退の確率を推定した結果、アメリカ市場にのみ輸出してきた工場が撤退する確率は他の工場よりも58%高いことがわかった。アメリカ市場向け工場とその他の工場の間で、政変の影響や市場需要の変動に差がないと仮定すれば、この撤退確率の差がAGOA中止の影響だといえる9。他方で、アメリカ市場とともに他市場にも輸出していた工場の撤退確率は、他市場にのみ供給していた工場と変わらず、AGOA中止の影響はみられなかった。この結果から、供給市場の転換が容易ではないことが推測される。2010年にAGOAが更新されないことは更新の直前まで明言されなかったため、縫製企業が市場を切り替える準備を行う時間はほとんどなかったことも一因だと考えられる。
貧困削減の点から重要なのは輸出縮小に伴う失業である。一般に、縫製産業における雇用の70~80%はミシンのオペレーターとその補助員であり、教育水準が低い女性を多く雇用する傾向にある。これらの非熟練労働者の多くは、フォーマルセクターでは他に就業機会がなく、縫製産業での雇用により所得が上昇していることが先行研究でも確認されている10。農業が最大の産業であるマダガスカルでは、縫製産業は貧困層に対して大量のフォーマルセクター雇用の機会を与えていた。筆者による調査が対象とした工場は、2008年時点で約5万7300人を雇用していたが、そのうち2万6600人分あまりの雇用(47%)が2010年に失われていた。同じ期間に輸出額は50%減少しているので、ほぼ同じ比率で雇用が減少したことがわかる。このうち、2万3000人あまりがミシンのオペレーターなど非熟練労働者の雇用であり、失われた雇用のほとんどが貧困層向けであった。ただし、AGOAの適用中止や政変の影響のほか、金融危機の影響も雇用の喪失の原因と考えられる。政変の影響は国内すべての縫製工場にみられるため、比較可能な他国の縫製工場データがなければその影響を取り出すことはできないが、AGOA中止の影響は、撤退の分析と同様にアメリカ市場向けの工場とその他の工場を比較することで明らかにできる。
まず、工場閉鎖による雇用減少の影響について検討した。前述の推定は、政変前にアメリカ市場のみに輸出していた工場は、AGOA中止によって確率的に58%が撤退したことを示している。規模や生産性などの工場の特徴は撤退確率と相関していなかったことから、アメリカ市場のみに輸出していた工場はすべて同じ撤退確率を有しており、したがってそれらの企業の雇用者数の58%が、AGOA中止に伴う閉鎖によって失われたと考えることができる。他方、存続した工場の雇用者数の変化について検討すると、アメリカ市場向けの工場の減少率は他市場向けの工場と有意な差がみられなかった。この結果は、女性の非熟練労働者だけに限定しても同様であった。存続した工場でAGOA中止の影響が見られないことは、工場を存続させている企業が政変以降、輸出先をEU市場などに変更していることが理由として挙げられる。政変以降、素早く供給市場を転換し、AGOA中止の影響を緩和することができた企業のみが、工場の存続を維持することができたことを示している11。
これらの結果を総合すると、AGOAの中止は、工場撤退を通じて雇用の縮小をもたらし、非熟練労働についてはその数は6405人分の雇用と推定された。これは、雇用数の11%、失われた雇用数(約2万3000人)の28%にあたり、推定が過大である可能性があるにもかかわらず、アメリカへの輸出額に現れた影響と比べるとAGOA中止が雇用に与えた影響は小さい。雇用への影響が穏やかであったのは、政変後も関税免除措置を維持したEU市場がアメリカ市場の代替として機能し、もともとEU市場にも供給していた工場を中心にEUへの輸出を増やし、生産量の減少が抑えられたことにある。したがって、もしEUも関税免除措置を中止すれば、工場の撤退および雇用の減少はきわめて大きく、マダガスカルの縫製産業は存亡の危機に立たされた可能性がある。縫製産業では非熟練労働者の雇用が大半を占めるため、その場合、貧困削減に与える影響が深刻であることは明白である。
AGOAは貿易促進、特に輸出品目の多様化という点で、アフリカの貿易構造に大きな変化をもたらした。輸出額としては目を見張るものではなかったとしても、サブサハラ・アフリカから労働集約財を輸出する可能性を示したことは、アジアで生じたような雇用を通じた貧困削減の道筋を示す画期的な成果であったといえよう。その意味で、AGOAをはじめとしたLDC向けの無税無枠の市場アクセスの提供は、経済成長と貧困削減に重要な貢献果たすことが期待される。しかし、二国間、もしくはAGOAのように片務的な取り決めにもとづく市場アクセスは、多国間の取り決めよりもアクセス制度の変更が容易であり、制度の安定性に問題が残ることを示している。AGOAの場合は、アメリカ政府のみが適用の可否を決定する仕組みとなっている。そして、現状では、アフリカ諸国の縫製産業で最も競争力のあるマダガスカルでも、優遇アクセスが取り消された影響は非常に大きい。AGOAの中止はアメリカ向けの輸出額を64~78%減少させたと推定され、政変そのものよりも大きな影響があった。
政治的な条件によって運用が中止されることは政府間援助でもみられることであるが、LDC向けの市場アクセスの変更は、LDCが比較優位を持つ労働集約産業に大きな影響が出る可能性が高く、その場合、貧困層の損失が大きいという特徴がある。マダガスカルの事例では、幸いにもEUが関税免除措置を継続したため雇用への影響は比較的小さかったが、もしEUもアメリカと同様の経済制裁を実施していれば、非熟練労働者の雇用の大半が失われていた可能性がある。また、関税免除が中止されなかったとしても、不安定な制度の下では民間投資が抑制される可能性があり、その場合、無税無枠の効果そのものが減殺される。他方で、優遇アクセスの取り消しが、民主化という本来の目的を達成するために効果的であるかどうかについて疑問が残る。大統領選挙は幾度となく延期され、本稿の執筆時点において、いまだに選挙は実施されていない。そもそも、大量の失業は政治的な争点として重要視されていない。
マダガスカルの経験から、二つの政策的な含意が得られる。LDCに対する優遇アクセスの停止という経済制裁は、その目的が政治体制の変換であった場合には効果が明確でない一方で、制裁の目的ではない労働者および企業に与える影響が大きい。経済制裁が実施されるべきかどうか、大いに検討の余地がある。また、優遇アクセスの提供が開発政策としての効果を最大限に発揮するためには、制度が安定的であることが重要であり、多国間の枠組みで実施されることが望ましい。