アフリカレポート
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論考
コンゴ民主共和国における武装勢力掃討は成功するか?――対ADF作戦の難しさ――
澤田 昌人
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2014 年 52 巻 p. 78-87

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要約

コンゴ民主共和国の安定を図るため、国連は周辺諸国、アフリカ連合などと協力して新たな構想を立ち上げた。その構想「フレームワーク」ではコンゴ軍と協力して、コンゴ東部の武装勢力を一掃する作戦を展開することとなった。ADFと呼ばれる武装勢力もその標的の1つであるが、いまだに武装解除できていない。本稿ではADFの誕生から現在までの歴史をたどり、彼らが地元住民と社会的、経済的に緊密なネットワークを形成して共存していることを示す。またADFが、コンゴ軍やそのほかの武装勢力による暴力から地元住民を保護する役割を果たしていることを示唆し、コンゴ軍よりも支持されている可能性を示す。コンゴを安定させるためには武装勢力への軍事行動だけでなく、コンゴ軍を含む、政治、行政機構の改革にこれまで以上に積極的に取り組む必要がある。

1. はじめに

1998年8月に始まったコンゴ1戦争は、2002年12月のプレトリア包括和平合意によって終結したとされている。この間、1999年7月のルサカ停戦合意に基づいて、同年11月に国連平和維持部隊として「国連コンゴ民主共和国ミッション」(Mission de l’Organisation des Nations Unies en République démocratique du Congo: MONUC)が創設され、2010年7月にその任務は「国連コンゴ民主共和国安定化ミッション」(Mission de l’Organisation des Nations Unies pour la stabilisation en République démocratique du Congo: MONUSCO)に引き継がれて現在に至っている。約2万人の兵員を含む総計2万5000人を超える人員と、年間15億ドルに迫る予算を持つ国連最大のミッションである。しかし2002年のプレトリア包括和平合意後も、とくにコンゴ東部の治安は悪く、武装勢力の数が減るどころかむしろ増加する有様であった。

そのなかでも2012年11月のM232による東部の主要都市ゴマ(図1)の制圧は、MONUSCOの存在意義を問われかねない事態であった。これを受けて国連と国際社会は、コンゴを復興させるためのあらたな計画を「コンゴ民主共和国とその周辺地域のための、平和、安全保障、協力に関する枠組(Peace, Security and Cooperation Framework for the Democratic Republic of the Congo and the Region、本稿では以下「フレームワーク」)3」にまとめ、2013年2月24日に発表した。「フレームワーク」では、コンゴ政府に対して国軍と警察を改革し、武装勢力を制圧することのほか、地方分権化の促進、財政改革なども求めている。また周辺諸国に対しては、互いの内政に干渉しないこと、他国の武装勢力への援助や支持をやめること、他国の主権や領土の尊重などを求めている。

「フレームワーク」締結を受けて、国連安全保障理事会は2013年3月に決議2098を採択した。この決議では、コンゴ市民と国家への脅威となっている武装勢力を制圧し武装解除するために、機動性に富み種々の作戦に対応できる「介入旅団」(Intervention Brigade)を創設することが盛り込まれた[UN 2013]。この介入旅団は2013年7月ごろからコンゴ軍を支援してM23が占拠していた地域を次々と奪還し、11月にはコンゴ領内から駆逐した。M23は国境を越えてウガンダ、ルワンダへ逃れた。一連の対M23作戦でコンゴ軍は201名死亡、680名負傷、M23側は721名死亡、543名捕虜(72名のルワンダ人、28名のウガンダ人を含む)、介入旅団は3名が死亡したと発表された[Le Monde 2013]。M23を駆逐した介入旅団とコンゴ軍は、次の標的としてすぐさま「民主同盟軍」(Allied Democratic Forces: ADF)4と「ルワンダ解放民主軍」(Forces démocratiques de libération du Rwanda: FDLR)を挙げた[AFP 2013]。FDLRは、1994年のルワンダ大虐殺を実行したメンバーが多数含まれているといわれている組織であり、この武装解除はルワンダから長年要求されていることで、ルワンダによるコンゴ東部への様々なかたちでの介入の口実ともなってきた[米川 2014]。FDLRはコンゴとルワンダの関係に関わる国際的な問題となっており、本稿では扱わない。ここではADFに対する軍事行動をめぐる問題に絞って考察していくことにする。

2. 困難なADFの武装解除

(1) ADFへの新たな攻撃

ADFに対する攻撃はコンゴ軍が主体となって、2014年1月よりベニ東方で開始された(図2)。3月になると、ADFの主な拠点はすべて制圧されたと報じられ、またそのメンバー300名以上を殺害したため彼らの勢力はかなり衰えたと考えられた[Stupart 2014]。残存するADFは、ルウェンゾリ山塊(図2)へと敗走しコンゴ軍が追撃するとのことであった[Radio Okapi 2014e]。

2014年6月、コンゴを担当する国連専門家グループによる報告書が公表された。この報告書によれば、1月からの対ADF作戦においてコンゴ軍は作戦中に217名死亡、416名が負傷したとのことである[UN 2014c, para.10]。M23に対する約4カ月間の作戦においてコンゴ軍の損害が201名死亡であったことと比べると、いまだに進行中のADFに対する作戦が容易なものではないことがわかる。報告書は、対ADF作戦は進んでいるがADFの指揮命令系統はまだ破壊されていない、としている[UN 2014c, para.7]。

(出所)International Crisis Group[2012, 15]の図を筆者が改変した。

コンゴ軍によれば対ADF作戦は近々終了するとのことだが、それは希望的観測であろう。なぜならADFを軍事的手段のみで制圧、武装解除することは困難であると考えられるからである。

(2) 繰り返し失敗してきた対ADF作戦

ADFは1995年に結成されてから現在に至るまで、ウガンダ軍、コンゴ軍からの攻撃をいく度も受けたが生き延びてきた。例えば、1999年ウガンダ軍はコンゴに侵攻してコンゴ領内にあるADFの司令部を制圧し[New Vision 1999]、2002年にはコンゴ領内でADFの指揮官を捕らえた[New Vision 2002]。

ところが2005年になってもADFは活動をやめていなかったので、ウガンダ軍、コンゴ軍とMONUCによる共同作戦が開始された。この作戦は翌2006年になっても続き、またもやADFに対して甚大な打撃を与えたと報じられた[The Monitor 2005; 2006]。2007年にもウガンダ軍による攻撃でADFの指揮命令系統が破壊されたと報じられたという[McGregor 2007]。しかしADFは生き延びた。

2010年6月からは新たな作戦「ルウェンゾリ作戦」5が、コンゴ軍によって開始され、翌年1月までに「すべての拠点を制圧し64人を殺し、武器を押収し」「ADFは敗走し山岳地帯、国立公園内などにちりぢりばらばらになっており」「より決定的な打撃をあたえてウガンダ領内に追い返すための攻撃態勢を整えつつある」と発表された[Radio Okapi 2011]。しかし結局ADFを「ウガンダ領内に追い返す」ことはできなかった。

度重なる失敗の原因は何だろうか。International Crisis Group [2012]はADFがコンゴの内外に広いネットワークを持っていることを挙げて、「効果のない軍事作戦を再び行うことを避け」、これらのネットワークから切り離すための手段をとることをすすめている。

対ADF作戦の困難さの中核にはADFと地域住民との関係がある。まず、ADFがコンゴにどのように定着しているのかを説明しよう。

3. ADFの誕生と現在

(1) ADFの誕生からコンゴでの定着まで

ADFの初期メンバーの多くは、ウガンダの首都カンパラにいたムスリムであった。ウガンダにおけるムスリム内での対立がこうじた結果、1991年にカンパラのモスクをタブリク(TabliqもしくはTabligh)と呼ばれるサラフィー主義者のグループが襲った[Kateregga 2012]。襲撃メンバーの多くは逮捕投獄されたが、釈放されると西部ウガンダに逃れ、そこで反政府武装活動を開始した。しかし1995年にウガンダ軍に攻撃されて敗走し、西隣のコンゴに逃げ込んだ[Titeca and Vlassenroot 2012, 158]。

当時のコンゴはモブツ大統領の時代で「ザイール」と称していた。ウガンダはスーダン6南部の分離独立運動を支援していたため、スーダンはそれに対抗してウガンダ西部の反政府武装勢力をザイール側から支援しようとしていた。コンゴ西部に逃げ込んだタブリクたちはスーダン軍情報部と接触し、ほかの反ウガンダ政府武装勢力と合同して1995年にADFを結成した。スーダン政府はADFに、インテリジェンス、武器、軍事訓練などを提供することになり、モブツ政権もADFに協力した[Titeca and Vlassenroot 2012, 158-159]。

この援助を受け、1996年ごろからADFはコンゴ領内からウガンダ西部への攻撃をしばしば実行し、また首都カンパラで爆破事件もおこした。ADFによる攻撃は軍、警察のみならず一般市民をも対象とするもので、2001年までの間に1000名以上が殺害され、15万人以上が家を追われたという[Titeca and Vlassenroot 2012, 159]。1999年からウガンダ軍はルウェンゾリ山塊までにも進攻してADFに多大の損害をあたえ、その結果2001年までにADFは弱体化しそのメンバーは数百人にまで減少したといわれる[Titeca and Vlassenroot 2012, 160]。

これ以降、ADFによるウガンダ領内への越境攻撃は少なくなり[Titeca and Vlassenroot 2012, 160]、コンゴ領内に定着していくことになる。

(2) 定着するADF

Scorgie[2013]は、国連専門家グループの報告書[UN 2012]を根拠にして、ADFを「ウガンダ人主導のイスラム主義反乱集団」と規定するのは誤解を招くとしている。彼女はADFを「コンゴにとって外来のものではないし、必ずしもイスラム主義が優越している集団でもない」という。コンゴ領内に定着するようになってから約10年経った時点で、その構成メンバーの60%はすでにコンゴ人であり、しかも定着している地域の民族、ナンデ人7がそのほとんどを占めているといわれていた[Romkema 2007, 67]。また以前はメンバー全員をイスラム教に改宗するよう強制していたが、現在ではキリスト教徒のメンバーを強制的に改宗させることはないという8UN 2011, 26]。

ADFはコンゴ領内に住む地元のイスラム教徒たちの援助を受けてきたという[Romkema 2007, 68]。また地元住民と通婚し、食料、医療サービス、農耕地を得てきた[Romkema 2007, 68]。例えば医療サービスは地元の保健センターに勤めるADF支持者から提供され、地元の首長が支配地域における税(ADFに支払う)の徴収を手伝っていたという[Romkema 2007, 68]。ADFの兵士はベニ(図2)のモスクでしばしば礼拝し、その幹部たちもベニで目撃されていたという[Hellyer 2013a]。

彼らの資金源として、海外からの送金や海外での企業経営の重要性も指摘されている[UN 2011, paras.60-62]。ADFメンバーは1人あたり月100ドルもの報酬を得ていたという[UN 2011, para.61]。彼らは地元の商店や市場で、ウガンダ・シリングや米ドル紙幣を使って買い物をしていたとのことである。

コンゴ国内でのADFによる経済活動については多くの資料で言及されている。Romkema[2007, 68]によれば、農地を耕して自分たちの食糧を得るとともに、作物を地元で販売して収入を得ていた。また、木材の伐採に従事するほか、米、キャッサバ、バナナ、コーヒーの広大なプランテーションを経営していた。そこでは一般のコンゴ人も働いていたという。コンゴ軍は鎮圧作戦の一環としてADF支配地域へのアクセスを禁じているが、ADFのプランテーションで働けなくなるため地元では不評であるという[Romkema 2007, 68; UN 2011, para.65]。

さらにADFは小規模な金鉱をいくつか管理しているとされ[UN 2011, para.59]、そこでは鉱夫から定期的に徴税して収入を得ているようだ。また多数のバイク、トラックを所有しており9、薬局や商店もいくつか所有しているという[UN 2011, para.63]。商店では、車の部品、食料品など多様な商品をそろえているそうだ[Titeca and Vlassenroot 2012, 163]。ADFはこれらの品物を手に入れるために交易も行っている。木材やコーヒーはもちろん、バイク、燃料、魚などもADFの手によって国境を越えて取引されているという[Titeca and Vlassenroot 2012, 163]。

ADFの経済活動の実態から少なくとも以下の2つの点を指摘することができよう。まず、ADFが地元の商人、あるいは政治家などエリートと密接な関係を持っている可能性である。次に、ADFのメンバーもしくは支援者が地元に定住して商業活動に従事しているということである。それぞれについてさらに詳しく検討しよう。

(3) コンゴ人エリートとのコネクション

ADFと地元商人や政治家との関係については分からないことが多い。例外的に名前が挙がっているのは、ブサ・ニャムウィシ(Mbusa Nyamwisi)をはじめとするニャムウィシ・ファミリーである。ブサ・ニャムウィシは1998年に始まったコンゴ戦争において反政府武装勢力の一派を率いて戦い、その後プレトリア包括和平合意に至る会議にも参加し、さらに大臣まで務めたことがある。ブサの弟、エドワードはウガンダとの国境における入国管理と税関をコントロールしていたとされ、物品の密輸を行っていたADFと親密な関係であったといわれている。また彼らのいとこ、フランソワはADFが潜んでいる国立公園内で密猟を行い多大な利益をあげていることで知られている。ある国連関係者によれば、ADFメンバーにADFからの離脱を呼びかけたところ、「ブサに尋ねる必要がある」と答えたという[Hellyer 2013b]。

ベニの周辺地域にはADF以外にも小規模な武装グループが多数あって、それぞれ有力な商人の交易や密輸を護衛する役割を負っている[Raeymaekers 2007, 122]。ADFはコンゴ領内に定着して地元住民をメンバーに加え事業を営んでいくうちに、コンゴ人の商人、政治家の用心棒のような役割を担うようになった可能性もある。

(4) 住民にまぎれ込むADF

都市や農村にADFの関係者が住みついている主な理由は資金を獲得するためであるが、都市部におけるゲリラ活動を行う可能性もある。国連の報告書によれば、アラビア語を話すトレーナーが都市部での秘密工作をADFに教えていたという[UN 2014a, para.79]。

2014年1月にADFへの攻撃が開始されて以降、暗殺や待ち伏せ攻撃が散発的に行われた。2月5日朝にはベニの中心部で通勤中の男が自宅近くで射殺され、犯人はオートバイに乗って逃走した。殺された男は通訳として、ADFを対象とする国連の武装解除、動員解除プログラムで働いていた[Radio Okapi 2014a]。2月15日には、ADFから奪還した村を取材しようとコンゴ軍に同行していた記者3人が待ち伏せ攻撃に遭い、うち1人が死亡した[Radio Okapi 2014c]。3月3日には、ベニにあるMONUSCOネパール部隊の司令部前で何者かによって手投げ弾が投げ込まれ、ネパール兵6名が負傷した。前日夜には2発の砲弾がベニに着弾し3名が負傷したという[Radio Okapi 2014d]。5月2日にはコンゴ軍が待ち伏せに遭い、高級将校を含む複数の兵士が殺されている[Radio Okapi 2014f]。

これらの攻撃がADFによるものであるとすれば、彼らは明らかにゲリラ戦を行う能力を持っている。ADFが地元住民にまじって生活しているのであれば、地元住民はADFに関する情報を持っているかも知れない。ならば、地元住民の協力を得て都市などに定着しているADFを特定し、拘束することはできないのだろうか。

(5) 地元住民はどちらの味方か?

あるコンゴ軍将校は「ADFは、ベニ周辺住民の半数近くの支持を受けている」と述べている[UN 2011, para.63]。またADFの元メンバーは、「地元のコンゴ人はわれわれが住まうことができるように山岳地帯の一部を分け与えてくれた」と述べ、「多くのナンデ人のコミュニティーは、コンゴ政府軍による『保護』のもとにいるよりも、ADFのような武装集団のテリトリーにいることを選択した」と考えているという[Scorgie 2011, 87]。

コンゴ軍が本来「保護」すべき対象であるコンゴ国民に対してしばしば非道な行為におよぶことは、ザイール時代から続いてきた10。2010年の対ADF戦において、コンゴ軍は地元住民を強制的に働かせ、食料を取りあげた。また作戦地域以外でも地元住民を攻撃したという。このため今や、多くのコンゴ人コミュニティーは、コンゴ軍に「守ってもらう」よりも、ADFの支配下にいることを選択するのだという[Titeca and Vlassenroot 2012, 169]。Scorgie[2013]は、コンゴ軍がもしADFを打倒してこの地域を「守護する」ことになったとしても、ADFそのものよりもはるかに好かれないであろうとまで述べている。

現在でもコンゴ軍は好かれていないのだろうか?コンゴ軍による対ADF作戦が開始された2014年初めは、地元住民がコンゴ軍を歓迎しているという記事もあった[Radio Okapi 2014b]。しかし、進駐してきたコンゴ軍が地元住民を搾取しているという抗議の声が聞こえるようになり[Katson 2014]、コンゴ軍兵士による殺人、略奪などの人権侵害をやめさせるよう行政当局に要求するようになった[Radio Okapi 2014g]。

4. むすび――軍事行動で紛争の原因を解決できるか

コンゴにおける国連事務総長特別代表のマーティン・コブラー(Martin Kobler)は、MONUSCOの出口戦略のためにはコンゴにおける治安関係部門の改革(security sector reform。以下SSRと記す)が必要だとしている[Radio Okapi 2014h]。MONUSCOに関する事務総長の報告書において、SSRは「紛争の根本的な原因(root causes)」に取り組むために必要な鍵となる改革の1つであり、それは「フレームワーク」でもコンゴ政府が約束したことである、と指摘されている[UN 2014d, para.8911。SSRとして挙げられているのは、軍の改革と即応部隊の創設である。後者は介入旅団の役割を代替するコンゴ軍の部隊である。つまり、コンゴ軍の戦闘力が向上し独力で武装勢力を鎮圧できるようになってからMONUSCOはその活動を終える、という出口戦略なのであろう。彼の発言を総合すると、即応部隊の創設という改革が紛争の根本的な原因をなくすことにつながる、と思われているように読み取ることができる。つまり「コンゴ軍が弱いから紛争がなくならないのだ」と理解されているように思われるのである。

そもそもコンゴ東部に武装勢力が次々と誕生しているのは、地元住民が政治的に無視され、行政やコンゴ軍の暴力によってその尊厳を蹂躙されている中で不満を表現できる唯一の手段が武装であるからだ、という指摘がある[Stearns et al. 2013, 36]。たとえば東部コンゴでもっとも治安の悪い地域の1つであるマシシ(Masisi、図1)のAPCLS(Alliance des patriotes pour un Congo libre et souverain)という武装集団は、ほかの武装集団やコンゴ軍から地元住民を守っている。地元住民からお金を取りあげたりするので嫌われている点もあるが、彼らが地元の治安を保障していることは評価されているという[Bouvy 2013]。

ADFを駆逐した後にコンゴ軍がどのように振る舞ったかを思い起こせば、たとえADFが武装解除されたとしても、地元住民はコンゴ軍から身を守るための武装集団を再び作り出す可能性がある。SSRで強力なコンゴ軍を作りあげるということは、外国からの侵略に対しては有効な抑止力となるだろう。しかしコンゴ軍の暴力から身を守るための最後のよりどころを奪い取ることにもつながりかねない。さらに地元住民を外国が援助してより強力な反政府武装勢力が生まれる可能性もある。つまりコンゴ軍は、反政府武装勢力の増大という問題への回答ではなくて、この問題を作り出す原因の一部なのである。国連はSSRがこの難問を解決する鍵だと考えているのであろう。

しかし、SSRは果たして回答になるだろうか。実際ザイール時代にもザイール軍を欧米諸国が訓練してきたし、司令官クラスは欧米諸国の幹部養成校で学んでいたのである。それにもかかわらず国軍による国民への迫害は、ザイール時代から現在まで続いている。つまりコンゴ軍の逸脱行為の根本的原因は訓練や知識の不足にのみあるのではない。そのようなコンゴ軍の行動を看過してきたコンゴの政治、行政の体制に、国連をはじめとする国際社会は一層注目する必要があるだろう。

本文の注
1  本稿で「コンゴ」はキンシャサを首都とする「コンゴ民主共和国」を指す。

2  「3月23日運動」と称する反政府武装勢力。国連の報告書などにより、隣国ルワンダ、ウガンダの支援を受けていると指摘されている。

3  原文は以下で閲覧できる。https://www.un.org/wcm/webdav/site/undpa/shared/undpa/pdf/PSC%20Framework%20-%20Signed.pdf(2014年8月6日確認)

4  ADFは、ADF/NALUと称されることもある。NALU(National Movement for the Liberation of Uganda)は、現在独自の活動を行っていないので、本稿ではADF/NALUをADFとのみ記すことにする。

5  この作戦名は図2にある山塊の名前からとられている。

6  現在の南スーダンが2011年に分離独立する以前のスーダン。

7  ベニ、ブテンボ、ルベロ地域を中心に居住する民族(図12を参照)。

8  ただしキリスト教徒が指揮官に昇進することはまれらしい。

9  人員や物資の運送業を営んでいるという。

10  ザイール時代にこのような行為が始まったというわけではない。住民に対する暴虐行為は、植民地時代の公安軍にその起源を求めることができる。Young and Turner[1985]の30ページ以下を参照。

11  コンゴ政府は、SSRを含む「フレームワーク」での合意事項の実施を加速させるように要求されているが、なかなか進んでいない[United Nations 2014b, para.8]。

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