アフリカレポート
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M・G・ヴァッサンジ 著 『ヴィクラム・ラルの狭間の世界』 小沢自然 訳 東京 岩波書店 2014年 495+vii p.
津田 みわ
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2017 年 55 巻 p. 17

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イギリスによる植民地支配から独立後のアフリカ人エリートによる強権的支配へと続く、苦しい時代のケニアがこの小説の舞台である。著者のヴァッサンジは、自らの経験をもとに、生まれ育ったケニアの近現代史とそこに生きた人々の日常を、架空の主人公が一人称で語る形で物語を進めている。主人公のラル少年は、ケニアでは少数派のインド系。中央高地のナクルという都市で父母や妹、たくさんの親族と暮らしている。ラル、地元出身でキクユ人のンジョロゲ、イギリス人入植者一家の息子ウィリアムの3人は、近所の遊び仲間だ。ラルは、ウィリアムの妹に密かな思いを寄せてもいる。一方、「アジア人」であるラルの妹と、「黒人」であるンジョロゲは、次第に深い心の絆で結ばれていく。

みずみずしく描かれる子ども社会の日常だが、しかし永遠に政治や人種主義の論理と無縁でいることはできない。植民地当局がキクユ人による土地解放闘争「マウマウ」を徹底弾圧する中、ナクルでも入植者への襲撃が始まり、ンジョロゲの唯一の家族だった祖父は当局に連行される。少年たちはどうなるのか。ラルの妹とンジョロゲの関係は――。このあと小説の射程は独立後の初代大統領、第2代大統領の時代まで広がる。「アジア人」「黒人」「白人」を峻別する植民地支配のくさびは、ケニアが独立し、少年たちが大人になっても打ち込まれたままである。「黒人」政治家や官僚たちの利権構造に巻き込まれた主人公ラルは、汚職に深く関与することになる。

本書を読み始めてすぐに、イギリス植民地支配側でもなく、土地を追われたアフリカ人の側でもなく、インド系という「狭間」に生きる主人公の目を通した歴史の再構成が、ケニア史の描写にこれまでにない奥行きを生んでいることが分かる。「3世代にわたるアフリカ人」「非白人」「ヒンドゥー教徒のパンジャブ人」「狭間の、どちらつかずで危険な私」「インド人(デイシ)」「本当はアフリカ人ではない、狡猾なアジア人(ワヒィンディ)」「格好の標的」「誇り高きケニア人」……主人公ラルの多種多様な自称は、そのままこの小説のテーマに重なる(ヒンディー語、スワヒリ語など多言語使用によるニュアンスの使い分けを、その妙味を損なうことなく分かりやすい日本語に仕上げた訳業も本書では際立つ)。新たな史料の公開が進み、専門書の出版も相次ぐケニアだが、人々のささやかな日常の積み重ね、会話の細部に宿る政治的支配の影など、小説だからこそ描かれ得る世界があることをあらためて感じさせてくれる、心に触れる一作である。

津田 みわ(つだ・みわ/アジア経済研究所)

 
© 2017 日本貿易振興機構アジア経済研究所
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