2017 年 55 巻 p. 74-78
コンゴ民主共和国(以下、コンゴと呼ぶ)における国連の平和維持活動は1999年より行われていたが、特に東部において武装勢力の活動はおさまることがなかった。そのため2013年にはより強力な火力と機動力を備えた「介入旅団」(Intervention Brigade)を投入した。それにもかかわらず一部の地域ではむしろ治安が悪化しつつある。その端的な例が、コンゴ東部の地方都市であるベニの周辺で2年以上にもわたって繰り返し行われている住民への殺戮である1。
ナタや斧を主に用いるこの殺戮は、コンゴ軍や国連にとって軍事的に脅威となるものではなく、限定された地域での連続殺人事件の類と受け取られるかもしれない。しかし一連の殺戮は、その犯人像や目的が明らかでないなど不可解な点が多く、コンゴ軍やコンゴ警察、国連コンゴ民主共和国安定化ミッション(Mission de l’organisation des Nations Unies pour la stabilisation en RD Congo: MONUSCO)の努力にもかかわらず、根絶することができていない。そして実際にはMONUSCOによる平和維持活動を阻害しかねない重大な問題を生み出しつつある。本稿では報道や国連などの報告書をもとにこの殺戮の背景、実態と影響を説明し、コンゴの安定化にとって看過できない問題であることを指摘したい。
ベニ周辺では、1995年にウガンダで結成され、ウガンダ政府の掃討を逃れてコンゴ東部に拠点を構えていた、民主同盟軍(Allied Democratic Forces: ADF)というムスリム中心の武装勢力が有力であった[Scorgie-Porter 2015]。コンゴ軍による度重なる攻撃にもかかわらず生き残っていたADFにたいして、2014年1月からMONUSCOの支援を受けてコンゴ軍は大規模な攻撃を再開した。数カ月に及ぶ激戦の末、ADFの支配地域は大幅に縮小しコンゴ軍との間での戦闘もほとんど起こらなくなった。
ところが2014年10月ころから、これまでになかった問題が生じてきた。ベニ周辺の町や村で、時にはベニの市街地で、住民が銃やナタ、斧などで殺戮される事件が頻発するようになったのである。わかっているだけでもこの年の10月には12回、計112人が殺害されている2。コンゴ・リサーチ・グループ(Congo Research Group: CRG)によれば同様の事件はその後しばしば発生し、2015年末までに殺された住民は少なくとも550人におよんでいる[CRG 2016]。一説には2年間で1200名が殺されたともいう[Assemblée Nationale 2016]。ネット上には被害者の遺体とされる画像がアップされているが、原形をとどめないほどに損壊の激しい遺体もあって凄惨なものである。
生存者の証言によれば、犯人たちは近隣の住民ではなく、この地方では使われることのないルワンダ語を話す者も含まれていたという。また集団で計画的に殺戮を行っており突発的な事件と考えることは困難である。現在に至るまで、犯人の全体像やその動機は明確になっていない。
一連の殺戮に対するコンゴ軍やMONUSCOの対応が不十分であると、地元住民から認識されていることも注意すべき事実である。例えば2016年8月13日にベニ市内で少なくとも36人が殺されたが、不審なグループの存在がその数時間前に住民によってコンゴ軍に通報されていたにもかかわらず、何の対応も取られなかったという。MONUSCOも同様に非難されている。2016年7月5日ベニ北方で起きた殺戮は、政府軍の駐屯地から500メートル、MONUSCOの駐屯地から4キロメートルしか離れていなかった。住民は殺戮の発生を双方に通報したが、いずれの出動もなかったと非難している。
殺戮が始まってから現在に至るまで、犯人は「おそらくADF」であると報じられてきた。コンゴ軍とMONUSCOが対ADF作戦を始め、住民がADFの情報をコンゴ軍に伝えた、つまりADFを裏切ったことに対する報復だと推測されたのである。MONUSCOも、「おそらくADF」の仕業であると考えていた[UNJHRO 2015]。しかしADF犯人説は、コンゴ軍とMONUSCOが対ADF作戦を遂行中であるという文脈のもとで考えられた仮説であって、犯人とされる者による自白以外の証拠が提出されたことはない3。それでも現在に至るまでコンゴ軍とMONUSCOはADFが主犯であると考えている。
ADF犯人説は変わらないものの、その動機に関するコンゴ政府の主張は変化した。「ADFによる住民への復讐説」は言及されなくなり、2016年頃からは国際的なテロ攻撃の一環であると主張されるようになってきている。コンゴ政府によれば、残虐な殺戮方法からして、ADFは国際的なイスラム過激派テロ組織とつながりがあり、ADFの殺戮を止めるためには国際的な協力が必要であるという。そのためか、ベニ周辺に住むムスリムのリーダーたちも、殺戮に関与したとして逮捕されている。彼らは地元のモスクでジハードやテロを若者たちに教えたとして訴えられているが、当人たちは否定している。
国連のコンゴ専門家グループ(以下、専門家グループ)は2015年1月の報告書において、「ADFが実行した殺戮もあったが、他の武装勢力が実行したこともあったと思われる」として、ADFとは無関係な殺戮のあったことを指摘している[UN 2015a]。専門家グループは、安全保障理事会の補助機関として設けられた「コンゴ民主共和国制裁委員会」に属しており、その報告書はほぼ年に2回安全保障理事会に提出されている。2015年10月の専門家グループ報告書でも、少なくとも一部の殺戮はADFによるものだが、数多くのケースで犯人をADFとするには疑問が残るとしている[UN 2015b]。
CRGは2016年3月に報告書を発表し、専門家グループによる指摘を裏付ける詳細な調査結果を示した。地元の武装勢力、治安関係の役人、政治家、殺戮の目撃者や生存者を含む110名の証言は、少なくとも3つの独立したソースからの情報とつき合わせて判断されるなど、信頼性の高い方法を用いて検討されている[CRG 2016]。
この報告書によれば、殺戮の犯人たちにはADFのメンバーではないものたちが含まれている。例えば2015年2月から3月にかけてベニの北東で行われた殺戮の犯人の中に、付近に駐屯していたコンゴ軍第1006連隊の兵士が含まれていた証拠があると、捜査した警察官が証言している。この警察官によれば、この事実を隠蔽するために警察はADFの仕業にしたという。また2014年10月8日に重傷を負いながらも生き残った者は、「見覚えのあるコンゴ軍将校とその護衛らが住民たちを殺した」と証言している。コンゴ軍のある少尉は次のように証言している。「ADFが住民を殺したことは確かだと思う。しかしそんなにたくさん殺したわけではない。地元の武装勢力から脱走した連中も住民を殺した。しかしたくさん殺したのは、コンゴ軍だ」。
CRGの報告書ののち2016年5月に発表された専門家グループの報告書では、CRGの報告書と同様に殺戮の犯人に関して詳しく記されている[UN 2016]。CRGの報告書とは異なりコンゴ軍兵士が直接殺戮を実行したとの記述はなく、ADFのいくつかの分派や地元の武装勢力が殺戮を行っているとしている。しかしコンゴ軍将校が、殺戮を実行するADFの分派などを支援していたとの複数の証言が記録されている。例えばコンゴ軍のムンドス(Akili Mundos)将軍は、ADFの一派に対して、すでに彼がリクルートしていた他のメンバーと一緒になって殺戮に参加するよう説得したという。この証言者たちはさらに、南方のルチュルや隣国のウガンダからやってきたルワンダ語を話す人員と合流し、共に殺戮を行ったという。
ムンドスは、2014年1月から始まった対ADF作戦の司令官を同年8月から務めていた。ムンドスによるこの説得は同年9月のこととされており、殺戮が始まった10月の直前であることに注意しておきたい。この報告書は、ADFが殺戮を計画したのではない可能性を示唆しているのである。彼は資金的な援助とともに、武器、弾薬、そしてコンゴ軍の制服を与えたという。他のコンゴ軍の将校も殺戮を行うための人員をリクルートしていたとの証言も記されている。コンゴ軍によるADFへの支援は、コンゴ警察やコンゴの情報機関のメンバーも確認しているという[UN 2016]。
2015年10月の専門家グループの報告書においてすでに、殺戮の犯人が逮捕されても裁判にかけられることのないことが指摘されていたが[UN 2015b]、2016年5月の報告書では殺戮のためにリクルートされた2名の証言として、逮捕されてもコンゴ軍の複数の将校が釈放の手配をしてくれることを挙げている。ADFの幹部とコンゴ軍の将校各1名も、逮捕された犯人たちはふつう釈放されることを確認している。ただし釈放の正確な理由を特定できなかったため、コンゴ軍とADFが共謀して釈放しているのか否かは確認できなかったと報告書は述べている[UN 2016]。
専門家グループの報告書が、ベニ周辺での殺戮はADF以外のグループも関与していると繰り返し指摘したにもかかわらず、またCRGがコンゴ軍兵士による殺戮の可能性を指摘したにもかかわらず、上述のようにコンゴ政府やMONUSCOは未だにADFが主犯であるという態度を取り続けている[UN 2017]。ティテカらが指摘するように、コンゴ政府による「ADF主犯」説と「ADF=国際テロ組織」説は、コンゴ軍兵士が直接的間接的に関与している疑いから注意をそらせ、またコンゴ政府に対する国際社会からの支援を取り付けようという目的を持っているのかもしれない[Titeca and Fahey 2016]。他方コンゴ軍のスポークスマンは、専門家グループやCRGの報告に対して「確固とした証拠無しにあれこれ述べたてて、前線の兵士の名誉を汚している」と強く非難している[Jeune Afrique 2017]。
コンゴ政府、MONUSCOと、専門家グループおよびCRGの間には犯人像に関して食い違いがあるため、殺戮を防止するための効果的な対策が取りづらくなっている可能性がある。ベニ周辺に展開するMONUSCOのあるネパール人兵士は次のように述べている。「戦いで第一にすべきことは敵が何者なのかを知ることだ。ところがここでは誰も敵を明らかにしようとしないのだ。」
コンゴ軍やMONUSCOが殺戮を防止できず、また通報を受けても阻止できないということが度重なり、コンゴ軍やMONUSCOに対する住民の反感も募っている。2014年10月下旬には、約80人の住民が殺されたことをきっかけにベニ周辺でMONUSCOを糾弾するデモが行われ、またパトロール中のMONUSCOへの投石も行われた。MONUSCOのみならず、コンゴ政府への抗議デモも頻発した。2015年5月にはベニの住民数百人が、コンゴ軍、コンゴ政府、そしてカビラ大統領への抗議デモを行った。2016年10月上旬にもADFとされる武装勢力による攻撃で住民が死亡し、MONUSCOの車両複数が住民による投石を受け損傷している。
コンゴ軍やMONUSCOによっても殺戮を阻止できないとしたら、住民はどのように身を守っていけば良いのだろうか。殺戮発生の直後2014年11月にはすでに当時の国防大臣が「殺戮が続いたからといって、自衛のための民兵組織を作ることのないように」と警告している。おそらく住民の間でそのような動きがあることを察知したのであろう。その後約2年にわたって状況が改善しない中、2016年10月15日ベニ中心部に約1500人の住民がナタや農具を手に集まり、ベニ近郊に隠れているはずの殺戮者たちを攻撃すると気勢をあげた。45キロ南のブテンボでも数百人がベニ住民に合流しようと行進を始めた。
その中にはさらに南方のルベロ付近からやってきたらしい白装束の武装集団が含まれていた。彼らは「キリストの体(Corps du Christ)」と呼ばれる武装集団で、ベニ周辺に潜んでいるはずの殺戮者たちを駆逐し平和を取り戻すことが目的であると主張し、地元住民の喝采を浴びたのである。しかし間もなく彼らを鎮圧しようとするコンゴ軍と衝突し、双方に多数の死傷者が出たとされている。その後「キリストの体」の表立った活動は報じられていないが、その他の自衛のための武装集団と連携をとっており、住民の支持を得ているという。
ベニ周辺での殺戮の犯人らはコンゴ軍やMONUSCOと交戦するのではなく、住民を凄惨なやり方で殺して恐怖心を与え、農耕や交易などの経済活動を阻害して生活の不安をかきたてている。住民は、守ってくれないコンゴ軍とMONUSCOに反感を抱き、自衛のために武装してさらなる治安の悪化を招いた。コンゴ軍とMONUSCOの対応によっては、住民の反感がさらに大きくなってしまう可能性もある。武力行使に頼るだけでなく住民との協力関係を構築し、殺戮の犯人たちを着実に鎮圧していく努力の継続が望まれる。