2019 年 57 巻 p. 13
モロッコ南部のスース地方などを故郷とするベルベル系の言語集団シュルーフを対象とし、長期にわたる現地調査をふまえて書かれた複数の論考を一冊の研究書としてまとめたものが本書である。人びとの生活のなかでの信仰のありようをつぶさに記した本書は、ともすれば「テロ」などばかりが喧伝されがちな今日において、イスラームについての偏った先入観を改め、バランスのとれた視点を獲得する手がかりを与えてくれる。
ひとたび国境を越えてしまえばそこで定住生活が営まれるというような移動のありかたではなく、むしろ移動や離合集散こそを常態とし、その中で時空を超えてつむがれていく人びとのつながりやネットワーク――著者は本書表題の「移動社会」を、このようなイメージとして掲げる。このイメージは著者がイスラームについて持つイメージでもある。商いや参詣など、様々な理由から旅をする人々が、都市という結節点に集い、交流するなかで、個々人それぞれの生活実践にねざした信仰のあり方が形作られる。さらにその信仰が、他の人びとと共有されたり、影響を及ぼし合ったりするなかで、総体としての宗教(イスラーム)の像が形作られていくことになる。およそこのように著者が提示するイスラームの姿は、観察者の目の前にいる人物の姿としてそこにしかと見えるものでありながら、学術的な概念化にすんなりと収まりきらず、まして、「イスラームとはこのようなものだ」式の本質化にもまったくそぐわないものである。信仰を研究対象としながらも、信仰にだけ焦点を絞ることで逆に見えなくなるものがある――著者は本書において、その点をくりかえし強調し、生活や個人の生そのものの全体性のなかで、信仰のあり方をていねいに描き出そうとしている。
聖者信仰を主たる関心に据えながら、商いをはじめとする社会関係のありようや、ベルベル人としての民族性をめぐる運動の動向など幅広い論点が取りあげられており、北アフリカのイスラームやベルベルに関する問題の広がりに、本書は目を開いてくれる。また、大塚和夫氏をはじめとする先行研究の批判的な再検討も読み応えがあり、人類学的イスラーム研究の厚みに触れることができるのも本書の大きな魅力である。
佐藤 章(さとう・あきら/アジア経済研究所)