アフリカレポート
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資料紹介
磯部 裕幸 著 『アフリカ眠り病とドイツ植民地主義――熱帯医学による感染症制圧の夢と現実――』 東京 みすず書房 2018年 328+xxix p.
武内 進一
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2019 年 57 巻 p. 17

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「地獄に続く道は善意に満ちている」という格言を地で行く話だ。本書は植民地期の熱帯病制圧政策をめぐる歴史研究だが、現代を生きる我々に多くの問いを投げかける良書である。

ヨーロッパ列強のアフリカ植民地統治では、単なる搾取ではなく、アフリカ人に文明の恩恵を与えるための開発が重視された。この文脈で、ドイツ植民地では「眠り病」対策が重要課題となる。眠り病とは、ツェツェバエが媒介する病原体トリパノソーマによって引き起こされる病気で、病原体が脳に達すると惰眠性の脳膜炎を引き起こすことからこの名が流通している。植民地期のアフリカでは極めて深刻な病いであり、現在なお治療法は確立していない。

ドイツは、熱帯医学をもって「原住民の福祉」を向上させるため、植民地で眠り病対策に取り組んだ。本書は、20世紀に入ってから第一次世界大戦勃発までの短い期間に、現在のタンザニア、トーゴ、カメルーンで行われた眠り病対策の顛末を描く。ドイツ側の熱意は、どの植民地でも空回りした。ヒ素を含む薬剤の投与は重篤な副作用を引き起こし、住民はドイツ人の医療行為に不信感を抱いた。また、ツェツェバエの生息地を狭める目的で課された叢林伐採の労役にも住民は反発した。結局、強制力を加えなければ人々は診療に協力せず、東アフリカ植民地では、あくまで医療行為に執着する医師たちと、過度な強制力の行使による住民の反発を懸念する植民地当局が激しく対立するに至った。

東アフリカ植民地で投薬量を可能な限り増やし「最大殺菌治療」を試みていた医師が、数十年後にダッハウ強制収容所でワクチン開発のためと称してユダヤ人収容者を人工的にマラリアに感染させる実験を行った事実を知るとき、私たちは「原住民の福祉」がどこに行きついたのかを知って慄然とする。これは、ナチを生んだドイツの特殊な歴史として理解されるべきではないだろう。むしろ、科学技術発展の美名の下で繰り返されてきた数多くの愚行の一つに過ぎない。そうした愚行は、今日なお開発の名において進められてはいないだろうか。歴史家が苦労して掘り出した20世紀初頭の現実は、科学技術に対する無邪気な信仰が蔓延する現代に鋭い警告を発している。

武内 進一(たけうち・しんいち/東京外国語大学・アジア経済研究所)

 
© 2019 日本貿易振興機構アジア経済研究所
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