アフリカレポート
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資料紹介
楠 和樹 著 『アフリカ・サバンナの〈現在史〉――人類学がみたケニア牧畜民の統治と抵抗の系譜――』 京都 昭和堂 2019年 245+xlvii p.
津田 みわ
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2019 年 57 巻 p. 56

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本書が取り上げるのは、北ケニア。ケニアの中でも特に乾燥した地域である。この地域と聞いて真っ先に思い出されるのは、政府による苛烈な「反政府勢力」弾圧により、数千人もの現地住民が残虐な扱いを受けた上で死亡させられた1984年の「ワガラの虐殺」であろう。男性住民が不在のあいだ、居住村では女性たちも略奪とレイプにさらされた。北ケニアはまた、ソマリア共和国と国境を接し、長らく周縁化されてきた地域でもある。近年ではソマリア由来の国際テロ組織「アッシャバーブ」によるテロが繰り返されることで注目を浴びているが、武力紛争や日常的暴力の文脈で報道されることが多く、そこで暮らす住民の日常に触れ、深く知る機会は多くない。

本書は、そうした北ケニアの歴史を真正面から取りあげた労作である。タイトルにある「現在史」とは、「刑罰としての監獄制度や死刑制度など、現在では自明とされているものの問題を孕んでいる現象や実践を取り上げ、それがどのような諸力によって生み出されたのかを跡づける方法」である(p.9)。本書はこの「現在史」の視座に立ち、19世紀末から現在に至るまでのそれぞれの時期について、北ケニアの牧畜民とその家畜を国家がどう理解し、どのような「問題」を見いだし、解決のためにどう介入しようとしたか、その実践はいかなるものであったかを辿る。たとえば19世紀末の行政官は、牧畜を「生き方として嫌悪する見方」を共有していたという。他方現在では、牧畜民とその家畜たちが「みずからのポテンシャルを十全に実現」できていないことが「問題」とされており(p.190)、北ケニアは「エンパワーメントという新自由主義的な統治的介入の舞台」と化しているのだという(p.231)。通時的なこれらの作業からつまびらかにされるのは、植民地支配や独立後の諸政権下で見いだされてきた「問題」が時期ごとに大きく変化しており、「問題」解決のための介入もまた変転する様、そしてそのような環境の変化のなかで北ケニアの牧畜民たちが抵抗を繰り返しながら営んできた生の有り様である。

北ケニア行政の歴史という側面だけでも情報量の多い本書だが、もちろん参与観察による現地社会の分析も興味深い。たとえば評者は、家畜の売買を仲介する「代理人」の活動が、コスト高なはずであるにもかかわらず現場で売り手からも買い手からも支持されている理由を解明しようとした第4章にとりわけ引き込まれた。統治の技術や実践の場としての国家をも描こうとする本書は、植民地支配や地方分権、民主化などの関心にもよく合致する。人類学はもとより、幅広い専門の読者にもおすすめしたい一冊である。

津田 みわ(つだ・みわ/アジア経済研究所)

 
© 2019 日本貿易振興機構アジア経済研究所
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