2019 年 57 巻 p. 61-72
本稿の考察は、司法および人権アフリカ裁判所(ACJHR)の設置が進捗しない要因を解き明かすことを目的としている。ACJHRは、国際刑事裁判所(ICC)によるアフリカでの司法介入に対する反発の結果、オルタナティブなメカニズムとして生み出されようとしていた。だが、多くのアフリカ諸国がACJHRの構想に賛成した一方で、設置のためのマラボ議定書を批准した国はない。本議論を紐解けば、マラボ議定書が有する現職の国家元首と政府高官の訴追免除規定によってヨーロッパ諸国からの支援を得ることができず、また、マラボ議定書成立当初はNGOなどからの批判も見受けられたが、近年は現実に即した規定でありACJHRは機能するのではないかと肯定的な評価に変わってきた。ここに、ICCに対するアフリカ諸国のスタンスに関わらずACJHR設置議論が進捗しない要因を見つけることができる。さらにこのような考察を通して、ICCに対し影響力を行使しようと試みるアフリカの姿も垣間見えてきた。本稿での考察は、アフリカをICCとの関係性において客体としてではなく主体として捉えることが重要であることを示すことにつながった。
2014年6月に赤道ギニアの首都マラボで開催されたアフリカ連合(African Union: AU)総会にて、国際人道法違反行為に関与した者に対して管轄権を行使することが可能な地域的な刑事裁判所の設置文書(Protocol on Amendments to the Protocol on the Statute of the African Court of Justice and Human Rights(Malabo Protocol): マラボ議定書)が成立した。1990年代以降、国連安全保障理事会の決議によって設置されたアド・ホックな国際刑事法廷や国連または地域機構と受入国政府との同意によって設置されたハイブリッド刑事裁判所、また2002年からローマ規程に基づき活動を開始した常設の国際刑事裁判所(International Criminal Court: ICC)など、次々と国際人道法違反行為に対する法の執行を目的とした国際的な刑事裁判所が設置されてきたが、地域レベルにおいて常設の刑事裁判所の設置は未だ実現していない1。それゆえ、アフリカ連合における地域的な刑事裁判所設置に向けた議論は、国際社会からの関心を集めることとなった。だが、ここでアフリカに向けられた関心は、アフリカでの本議論が国際刑事司法に貢献するのではないかといった期待というよりも、むしろこのアフリカによる新たな裁判所が果たして機能するのかといった猜疑心からであった。なぜなら、次節で詳述するがアフリカによる新たな裁判所として計画されている司法および人権アフリカ裁判所(African Court of Justice and Human Rights: ACJHR)は、ICCによるアフリカでの司法介入に対する反発の結果、オルタナティブなメカニズムとして生み出されようとしていたからである。2016年に南アフリカがICCからの脱退を宣告した際、同国司法担当大臣によって今後はICCではなく、AUに協力し、ACJHRを念頭においた地域のメカニズムを支援する旨が表明されている[Masutha 2016]。このことは、ICCとアフリカとの関係性が、ACJHR設置をめぐる動向に多大な影響を与えていることを示唆している。
しかし、前述の南アフリカを含め、ACJHRを設置するためのマラボ議定書を2019年4月の時点で批准した国はいない。マラボ議定書第11条には、ACJHRは15カ国の批准によって活動を開始すると規定されているものの、未だにどの国も批准をしていない現状に対してどのような考察を試みることが可能だろうか。ACJHR設置をめぐる議論が、ICCとアフリカとの関係性を映し出しているとすれば、マラボ議定書が批准されないこの現状は、両者の関係性が改善に向かっていると捉えることも可能である。だが、2017年1月のAU総会でICCに対する脱退戦略と題した文書(Withdrawal Strategy Document)2が成立しており、両者の関係性が改善されたような兆しは未だ見受けられない。
本稿はこれらの事象を考察するために、アフリカとICCとの関係性に着目して、AUで検討が進められてきた地域的な刑事裁判所の設置議論を紐解く作業を行う。問題意識で示したように、ここではICCと対峙してきた個別の国家を中心に考察を進めるわけではなく、ICCとの関係性において存在感を高めてきたアフリカ諸国の思惑をAUの議場で展開されてきたACJHR設置議論から紐解くことを考察の射程とする。このため、便宜上アフリカ諸国を一括りにして議論を進めることになるが、本稿での考察を足がかりに、今後は個別の国家に対する実証研究を積み重ねていくことを予定している。
以上の目的意識より、次節でマラボ議定書の成立に至った背景を整理し、同議定書に対する現時点での評価とICCとアフリカとの間に見られる新たな関係性に着目した考察を行う。そして、最後にACJHRのこれからの展開についての検証と今後の研究課題を指摘する。
ACJHR設置に向けた議定書は新旧ふたつ存在している。ひとつは、2008年7月1日第11回AU総会で成立したACJHR設置議定書(2008年議定書)であり、もうひとつは2008年議定書を改定し2014年に成立したマラボ議定書である。そして、それぞれで構想されたACJHRは異なる特徴を持っている。最も大きな違いは、2008年議定書で構想されたACJHRには、ジェノサイド罪、人道に対する犯罪および戦争犯罪に関する規定が設けられていないことがあげられる。それは、2008年に議論された時のACJHRの目的が人および人民の権利に関するアフリカ裁判所(African Court on Human and Peoples' Rights:ACHPR)3と、AU制定法第18条に規定されながら活動に至っていなかったアフリカ連合司法裁判所(Court of Justice of the African Union)4とを統合し、ひとつの裁判所とすることで、AUが関与する裁判所の効率化を図ろうとすることにあったためである[AU 2004;2005]。ACJHRは、ACHPRを組織改編することを計画の土台として検討が進められ、このようなAU内の組織改編に関する本議論は、それほどメディア等で注目を集めたわけでもなかった。しかし、こうした検討がAU内で進められていた最中、2009年2月にエチオピアの首都アディスアベバで開催されたAU総会にて、すでに活動を開始していたACHPRが将来的にジェノサイド罪、人道に対する犯罪および戦争犯罪のような国際人道法違反行為を裁くための事項的管轄権を有することについての評価を、AU委員会が作成することとなった[AU 2009a]。そして、ここでの検討が、ICCと同じ事項的管轄権を有する地域的な刑事裁判所構想としてのACJHRの始まりとなり、マラボ議定書の土台となったのである。
このようなアフリカの地域的な裁判所で重大犯罪を扱おうとする試みには、ローマ規程の非締約国スーダンでのICCによる司法介入が大きく影響している。国連安保理は2005年にスーダン・ダルフールの事態をICCに付託した[UN 2005]。スーダンの事態に対し、2008年7月にICC検察局は初めて現職の国家元首(バシール:Omar al-Bashīr)に対する逮捕状を請求し、これを受け2009年3月にバシールへの逮捕状が発布された。つまり、同じ2009年から始まったAU委員会でのACHPRに対する事項的管轄権拡大の検討は、ICCの司法介入に対する不信感から、アフリカがアフリカ独自の国際刑事司法メカニズムを求めたことに起因している。だが、ICC設立当初を振り返れば、そもそもアフリカはICCに対して否定的な立場をとっていたわけではない。ICC加盟国を地域別に見ると、アフリカからは最大の33カ国がローマ規程を批准している。そして、ICC活動開始後にウガンダ、コンゴ民主共和国および中央アフリカによる自己付託によって、ICCが司法介入を始めたことは、当時のアフリカ諸国がICCを自国の安定に資するメカニズムと見なしていたことを示唆している。しかし、政治的な解決を選択しようとした際、ICCによる司法介入を受け入れたことが諸刃の剣となる事例が出てきた。例えば、ウガンダ政府と神の抵抗軍(Lord's Resistance Army: LRA)との和平交渉は、ICCがLRAのリーダーたちを捜査および訴追対象としたことで、行き詰まることとなった。ウガンダ政府は自らがICCに付託したにもかかわらず、ICCに対し訴追活動をやめるよう求め、両者の協力関係は実質的に構築されなかった。結果、ウガンダ国内でLRAのメンバーはまだ誰も捕まっていない5。ICCによる司法介入を受け入れた当事国政府にとっては、一概にICCによる司法介入が地域の安定に資するとは言えなかったのである[Clark 2018; 藤井2016a]。このため、アフリカ諸国は、一方で重大犯罪に取り組む必要性は認識しながらも、他方で政治的解決の余地が限られているICCへの支持を弱めていったのである6。
ICCによる司法介入への警戒感が強まる中、バシールに対する逮捕状の発布は、アフリカ各国の政府関係者に動揺を与えた。ICCはこの時まで主として反政府側の被疑者のみを訴追していたが、現職の政府関係者も訴追する司法機関であり、さらに、ローマ規程の非締約国が国連安保理の付託によって訴追対象となり得ることが改めて明らかになったためである。そこで、同年のAU総会では、現職の国家元首をICCによる司法介入から守ろうとする動きから、ICCに対する非協力決定が下されることになった[AU 2009b]。
また、バシールに逮捕状が発布された際、AUは地域的なアプローチを試みるよりも、先ず国連安保理に働きかけていたことにも注目したい。2009年7月にAUは、国連安保理にローマ規程第16条に基づく訴追の延期を決議するように求めた[AU 2009b]。しかし、AUからの訴追延期の訴えが公式に議論されることはなかった[Jalloh, Akande and Plessis 2011]。国連安保理のICCに対する姿勢はその後も変わらず、選挙後の暴力に関与したとして訴追されていたケニアの国家元首ケニヤッタ大統領とルト副大統領7も訴追延期を求めたが、決議が採択されることはなかった[UN 2013]。そこで、アフリカはアフリカ域内で自分たちが望まないICCによる司法介入に対応する必要に迫られることとなり、第2節でその特徴を明らかにするがICC代替メカニズムとしてのACJHR設置構想を推し進めていくことになる。
以上の背景事情からICCとアフリカ諸国との亀裂によってACJHRをめぐる議論が進捗したことに疑いはない。しかし、国際人道法違反行為に対し、アフリカのメカニズムを構築して対処しようとする試み自体は、これまでも検討されてきた[Knottnerus and Volder 2016]。最初に地域的な刑事裁判所が議論されたのは、AUの前身でもあったアフリカ統一機構に加盟していたアフリカ諸国が、南アフリカで実施されていたアパルトヘイトを主導した者への司法的制裁を目指した時である。アパルトヘイトに関しては、当時の国際社会も重大な犯罪であると見なし、南アフリカに対する司法介入も検討されたため、本件は地域的な裁判所での訴追ではなく、国際社会に委ねられることになった8。次に検討されたのは、AU設立時に、ACHPRとアフリカ司法裁判所との統合を進めようとした時である。しかし、AU加盟国は本件を継続審議する利益を見いだせず、AUでの正式な検討事項とはならなかった。そして、三度目の議論は、元チャドの大統領イサン・アブレ(Hissène Habré)の刑事責任について、AU総会に提出されたアフリカ賢人グループによるレポートにて、国際犯罪に対して管轄権を有する地域的な刑事裁判所を設置するよう提言がなされた時である。本件については、アブレが滞在先のセネガルにて拘留されていたことから、AUとセネガル政府との間のハイブリッド刑事法廷によって訴追されることとなった。
これらアフリカの地域的な刑事裁判所についての議論は、ICCとの関係悪化とは別の文脈で、過去より重大犯罪に対処するための地域的な刑事裁判所の必要性が認識されてきたことを示している。つまり、ACJHRを推進している者たちの中には、ICCへの対抗措置としてACJHRを支持している者もいれば、ICCとの関係性にかかわらず国際人道法違反行為に対する地域的な刑事裁判所の必要性を過去の経験から強く認識している者達もいるのである。確かにACJHRをICCへの対抗措置としてのみ捉えるのは過度に単純化しすぎてしまい適切ではない[Knottnerus and Volder 2016, 382]。近年もAUで2007年に採択され、2012年2月に発効した「民主主義、選挙およびガバナンスに関するアフリカ憲章(African Charter on Democracy, Elections and Governance)」の第25条5項には、違法な体制変更に関与した加害者は、アフリカ連合の適切な裁判所で訴追されることが言及されている。ここにも重大犯罪を起訴することができる地域的な刑事裁判所の必要性を認識しているアフリカが垣間見える。
決してすべてのアフリカ諸国が同じ意図をもってACJHRの設置を働きかけているわけではないものの、上記のような状況がACJHR設置議論を加速させ、マラボ議定書の成立に至ったといえる。
ACHPRに重大犯罪の管轄権を付与するというAU委員会での検討は、ACJHRの事項的管轄権を拡大させマラボ議定書に反映されることとなった。2014年6月の成立以降、マラボ議定書は、様々な面で注目を集めている。まず、マラボ議定書の成立によって、起草過程ではほとんど公開されてこなかったACJHRの設立に向けた手続きとその全体像が見えてきた9。マラボ議定書第16条1項によれば、一般部10、人権および人民の権利部ならびに国際刑事法部の3つの部門によってACJHRは構成される。ACJHRは、ACHPRが人権問題のみを扱ってきたことと比較しても様々な種類の紛争を扱うことが可能なより包括的な裁判所といえる。国連やヨーロッパ連合が人権保障のメカニズムを別の枠組みで整備してきたこととは異なり、ACJHRはAU制定法に関する訴えだけではなく、国際人権法や国際人道法に関する事件も扱うことになるため、これまでに設置されてきた国際的なもしくは地域的な裁判所よりも、扱う紛争の範囲と手続きを大幅に拡大しているといえる。
次に、マラボ議定書は、これまでの国際的な刑事裁判所には見られなかった独自の規定を有し、従来の国際法上の犯罪の分類に入らない犯罪類型も処罰対象としていることがあげられる(マラボ議定書第28条A)。これは、ICCよりも広い事項的管轄権を有する点で、国際刑事法の対象犯罪の拡大を促すことが指摘されている[稲角2016, 2]。他方で、同議定書第46条A bisは、現職の国家元首および政府高官への訴追免除を認めている。これは、ICCが公的資格に関係なく訴追を行うことを定めたローマ規程第27条とは相反する規定である。同議定書第46条A bisの挿入は、ICCがローマ規程第27条に則ってスーダンやケニアの現職の国家元首を訴追してきたことに反対してきたアフリカ諸国の意向が反映されたといえる。このため、ACJHRは政府側が関与した重大な国際人道法違反行為を訴追することができず、設立後に果たして独立かつ公平な司法機関として機能するのか疑問が投げかけられることとなった。だが、第46条A bisが挿入されたことによって、国内に重大な人権侵害に関する種々の事案を抱えているアフリカ諸国の政府からもマラボ議定書は支持を集めることとなったのである。
また、マラボ議定書は、ICCを意識して作成されたにも関わらず、ICCとの関係性については全く言及されていない。これはローマ規程も同様で、同規程には地域的な刑事裁判所を想定した規定は設けられていない。ACJHRもICCも、ともに補完性の原則に従って司法介入を行うことがそれぞれの規程に明記されている。しかし、ICCの補完性の原則は国内での裁判を想定しており、ACJHRは、国内の裁判に加えて、アフリカにおける地域的経済共同体で設置されたようなAUよりもさらに地域的なレベルでの裁判所に対し、優先性を認めている。つまり、ACJHRは補完性の原則に基づき国内および地域におけるそれぞれの裁判所に対し、訴追を行う意志と能力を有しているのかを審理することになると考えられる。だが、例えばICCとACJHRの両者がともに同一事例に司法介入するような事態になれば、ここでの両者はどのような関係を築くことになるのかが規程からだけでは不透明である。地域レベルでのオーナーシップを尊重する近年の国際社会の潮流を踏まえれば、ICCよりもACJHRに優先性があるようにも思えるが、ACJHRは、国内の裁判とさらに地域的なレベルでの裁判に対する補完性の審理にどれほどの時間を費やすのであろうか。仮に、ICCよりもACJHRに優先性があるのだとしたら、ICCが事態を審査するためにACJHRでの審理を待たなければいけないことになるが、アフリカ諸国は複数の地域的経済共同体に加盟している。このため、ACJHRにおける正当な手続きに基づきながらも、ICCにとってはアフリカ域内での審理が完了するまでの間、時間だけが経過し初動捜査に遅れが生じる。そのうえ、AUがICCに対する非協力を継続していれば、ACJHRが扱わない事例をICCが扱う際には、証言や証拠収集などの実務上の課題が更に深刻となることが予想される。懸念すべきシナリオとして、ACJHRが活動を始めることで、ICCは訴追に足る証拠を集められず、アフリカでの司法介入が有名無実化してしまうとも限らないのである。
マラボ議定書には現在まで15カ国が署名しているが、批准した国はいない。例えば、ジンバブエのムガベ(Robert Gabriel Mugabe)元大統領は、幾度とICCを批判しながらアフリカ大陸にアフリカ人のICCを設置するべきだと主張し[Aljazeera America 2015; Chronicle 2015]、南アフリカは2016年のICCからの脱退表明時に、アフリカの地域的な刑事裁判所への取り組みを支援することを示唆していた。ICC加盟国および非加盟国にかかわらず、アフリカのメカニズムとしてのACJHRの設置に対し、非常に前向きな議論がAU内では展開されてきたにもかかわらず、なぜマラボ議定書を批准する国が遅々として増えないのであろうか。まず、本節では以下の二点を指摘したい。
最初の指摘は、アフリカには新たな裁判所を設置するだけの資金が不足しているという点である。これは、マラボ議定書起草の段階で、AU総会はAU委員会に対し、ACJHRの管轄権を拡大した場合の影響を構造的な面だけではなく、資金的な面に関しても検討を行うように要請していたことからも、資金的負担は大きな懸念事項であったことを示している[Amnesty 2016, 31]。事実、AU全体の2019年度予算は約6億8千万米ドルであったが、このうちAU加盟国による負担は42%にあたる約2億8千万米ドルであり、国際社会からの支援によって残り58%の約4億米ドルが拠出されることが予定されている[AU 2018]。なお、ACHPRに当てられている年間予算は、上記全体予算の中からの約1千400万米ドルである。当然にACHPRよりもACJHRは広範な管轄権を持ち、かつ検察局、弁護局、被害者ユニットおよび矯正担当のユニットを新たに設ける必要があるため、施設ならびに人的な経費がACHPRよりもかなり増えることが見込まれる。だが、AUによるACJHR設置構想に対し、ヨーロッパ連合は2015年11月にマラボ議定書第46条A bisの現職の国家元首および政府高官の訴追免除規定に懸念を示し、ACJHR設置を支援する立場にはないことを表明した[EU 2015]。これは外部からの拠出金に頼ってきたAUとその加盟国にとっては深刻な問題である。これまでも、アブレを訴追したAUとセネガル政府とのハイブリッド刑事法廷であるアフリカ特別裁判部(Extraordinary African Chambers)の設置費用約860万ユーロのうち約60%を、ヨーロッパを中心としたアフリカ外からの拠出に頼っていた[HRW 2016]。つまり、EUからのACJHRに対する懸念の表明とこれを支持する国々からの拠出金が見込めない現状では、ACJHR設置に踏み切れない。そして、そもそもローマ規程を批准している国にとっては、同様の性格を持つふたつの裁判所に対して拠出をしなければならず、二重の負担となる。とりわけ、ICCを支持しながらACJHRの設置を支持する国々にとっては、今後、資金面での課題を乗り越えてまで本当にACJHRが必要であると考えるのかは不確かであろう。
ふたつ目の指摘は、ACJHRがICCへの対抗措置として進められてきたために、当初は独立かつ公平な司法機関としての機能を果たすことができるのか疑問が投げかけられていたが、アフリカの地域的な裁判所として、設置後には積極的な役割を期待する意見が目立つようになってきた点である。マラボ議定書成立直後は、現職の国家元首および政府高官に対する訴追免除が規定されているため、現政権と敵対する者のみを訴追でき、また、補完性の原則に基づく審理に時間がかかることで、結果としてICCによる司法介入を防ぐ代替メカニズムとして、ACJHRは政治的な意図のもとで運用されるのではないかと否定的な見解が国際的な人権NGOを中心に指摘されてきた[Amnesty International 2014]。しかし、近年はACJHRに対し、以下三つの理由に基づき前向きな見解を示す論考が多いように見受けられ、これ故に、形だけの裁判所としてのACJHRを支持してきた国々はマラボ議定書への批准を躊躇している。第一に、現職の国家元首および政府高官に対する訴追免除についてであるが、ACJHRは、確かにマラボ議定書第46条A bisに基づき、現職の国家元首および政府高官を訴追することはできないが、このことは決してICCによる訴追を妨げることを意味しているわけではない[Tladi 2017, 215]。ACJHRが管轄権を行使するに至らなかった地域において、ICCが捜査、訴追を行うことは、マラボ議定書およびローマ規程上も問題ない。さらに、同議定書第46条Bでは、被疑者の公的な地位が刑事責任を阻却するわけでも、処罰を軽減するわけでもないことが明記されている(同第2項)。したがって、公的地位に留まる限りは訴追されないが、任期の満了などで公的地位を失えばACJHRによって訴追されることも十分にあり得るのである。もちろん、訴追を恐れる独裁者の体制強化につながる懸念も残されるが、同第46条A bisのみを取り上げて、アフリカにおける地域的な刑事訴追の全体の計画を軽視してはならないとの主張はもっともであろう[Knottnerus and Volder 2016, 387]。
第二に、ICCとACJHRとの間で実質的な協力関係を構築することが可能であるとの主張も存在する[Knottnerus and Volder 2016]。論者が注目するのは、国際的な検察官に付与されている広範な訴追裁量である。例えば、ICC検察官が既に捜査および訴追を実施しているような地域では、ACJHR検察官はわざわざ同じ事態を選択しなくとも補完性の原則から問題ないはずであるし、その逆もしかりである。もちろん、これには両裁判所の検察官がそれぞれの規程に従い独立かつ公正に活動することが前提ではあるが、ICCとAUとの間に公式な協力関係を樹立できる可能性が低くても、検察官同士の裁量権を効果的に遂行することにより、両裁判所の管轄権内の犯罪について実務上補い合う関係を構築することができる余地は十分にある。
第三に、マラボ議定書第46条A bisについては、反ICCを掲げる政治的な意図とは別に、過去の経験に基づきその必要性から支持する国々も存在する。2017年3月にマラウイ司法省の高官と意見交換をした際、同氏は、マラウイはICCを支持し、今後もICCから逮捕状が発布されているバシールのマラウイ訪問については厳しい態度を取ることになるが、現職の国家元首および政府高官の訴追については現実的なアプローチだとは思わない。この点も踏まえ、たとえ現職の国家元首および政府高官への訴追免除が規定されていようともマラボ議定書の成立にはアフリカにおける法の支配といった点から支持しているし、批准することは政治判断だが、将来的にあり得ることだと述べた11。さらに、このような見解は、決してマラウイだけではなく、ICCを支持するAU加盟国の中にも同様の考えを持つ国々が存在しているという。つまり、マラボ議定書は、反ICCの文脈で成立したことによって、ローマ規程とは相容れない規定を一部で有し、ICCを批判する国が先頭に立っていたため、ICCのオルタナティブなメカニズムとしてのインパクトを国際社会に対し与えたが、同議定書はアフリカにおける国際人道法違反行為に対する現実的な実施措置としての特徴を有しており、ICCを支持する国の中にも、たとえICCと相反する規定が盛り込まれていてもACJHRの設置を支持している国が存在しているのである。
以上のように本節は、まずICCを支持しACJHRの必要性を認識している国々にとって、マラボ議定書への批准は、経済的な理由から躊躇せざる負えない現状を示し、次にACJHRが機能する可能性が主張され始めたことで、ACJHRを政権側にとっての都合の良い形だけの裁判所として設置することを支持してきた国々がマラボ議定書への批准を躊躇し始めたことを明らかにした。
これまでに議論されてきたACJHRをめぐる課題や評価を鑑みたとき、反ICCを訴え、ACJHRの設置を主導してきたアフリカ諸国の思惑通りに、ACJHRがICCへの対抗措置になるとは限らない実情が浮かび上がってきた。だが、アフリカ諸国は近年、ICCに対するアプローチを変化させてきたように思われる。注目すべきは、アフリカ諸国によるICC脱退に向けた動向である。2016年10月に南アフリカ政府は、ICC加盟国の中で初めて脱退手続きを開始したことを表明した。ローマ規程第127条にはICCからの脱退に関する規定が定められており、南アフリカは国連事務総長に通告した1年後の2017年10月に正式に脱退手続きが完了する予定であった。また、翌月には同様の手続きをブルンジおよびガンビアも開始したことを明らかにした12。
先行研究では、加盟国が条約から脱退を選択することは珍しいケースとは言い難く、条約からの義務が締約国に課されれば課されるほど、脱退する国が増加するということが論じられてきた[Helfer 2002]。ICCに対し不満を抱くアフリカ諸国は、これら3カ国の動向を受け、ICCからの集団脱退を選択しても不思議ではなかった。とりわけ、南アフリカからの脱退表明は、ICCによって逮捕状が発布されているバシール大統領の訪問を2015年6月に受け入れたことで、ICCに対する協力義務を果たさなかったことに対する批判を受けての対抗措置と捉えることができた13。だが、そもそも多くのアフリカ諸国はICCに対して批判的であり、非協力を掲げながらも脱退を選択していない。これはなぜか。
まず南アフリカとICCをめぐる興味深い動向を指摘したい。バシールを逮捕しなかった南アフリカのICCに対する非協力に関して、ICCは予審部で審理を開き、2017年7月に南アフリカのローマ規程義務違反を認定した。しかし、同時にICCはこの非協力についての付託を締約国会議にも、国連安保理にも行わないことを決定した(ICC 2017)。これまでバシールの訪問を受け入れ、ICCから協力義務違反を認定された国々は、基本的にはローマ規程第87条7項に従いローマ規程に違反したことをICC締約国会議または国連安保理に付託されてきた。にもかかわらず、今回の南アフリカの事例では、ICC締約国会議にも国連安保理にも付託されず、ICCに対し非協力であった認定をICCの裁判部が行っただけで、これ以上の措置を何も選択しなかったのである。確かに、これまで非協力が認定され、ICC締約国会議や国連安保理に付託されたとしても、当該国家が締約国会議もしくは国連安保理によって何らかのペナルティを課されたことはない。だが、ICCが締約国会議や国連安保理に対して南アフリカの非協力についての外交的なアクションを何もとらないことを判決にて示したことは、ICCからの脱退を宣告していた同国政府に司法が配慮したとの懸念を抱かせることにつながっている[Ngari 2017]。
さらに、これらICCからの脱退をめぐる動向において、AUは2017年1月にICC脱退戦略文書を成立させた。本文書については既に考察も試みられているが[篠田 2017]、改めてこの文書の主張を確認すると、表題とは異なりICCに対する制度改革を主張していることが伺える。例えば、南アフリカはローマ規程第16条の改正案、ケニアは前文(地域的メカニズムとの補完性の原則)および第27条の改正について提起しており、締約国会議の場で審議を進めるよう求めている。ローマ規程第27条など、ICCの根幹をなすような規定の改正に向けた試みは一見すればICC加盟国からの支持を得られないようにも思えるものの、ICCの法規改正の試みは、2013年11月の第12回ICC締約国会議にてAUが提案した手続き証拠規則(The Rules of Procedure and Evidence)についての改正が実現している。地域的にみれば最大の加盟国数を有するアフリカからのICC法規改正に向けた動きは過小評価するべきでない14。脱退戦略文書と題しながら、実質的にICCの制度改革を目指すアフリカの姿勢は、「脱退」を盾に、ICCおよび締約国と交渉をしようとしているように見受けられる。したがって、これら一連の動向は、自分たちに都合の良いオルタナティブなメカニズムとしてACJHRを設置せずとも、ICCを内側から変えることができる、もしくは影響力を行使することができると考えるアフリカ諸国のアプローチに他ならないのではないか。そして、ここにローマ規程に従うか従わないかの二者択一ではない、ローマ規程の枠組みに挑むアフリカを捉えることの重要性が浮かび上がってくるのである。
本稿で扱ったACJHRは、地域的な刑事裁判所の設置が初めて目指されたことに加え、国際刑事法の適用範囲拡大の可能性が指摘されるなど注目に値する。しかし、本稿での考察を通して、マラボ議定書の成立する環境は整っていたと言えるが、ACJHRが活動に至る環境は整っているとは言い難い点を以下のようにまとめることができる。まず、新しい裁判所を設置するための資金を捻出することがAUの財政状況からは厳しく、これに加えて、拠出を期待されたヨーロッパ連合は、マラボ議定書に定められた現職の国家元首および政府高官に対する訴追免除規定への懸念を明確に表明し、ACJHR設置に向けた協力を否定した。このため、ICCを支持しながらACJHRの設置を支持する国々にとっては、両裁判所に対する拠出金を負担しなければならない可能性が出てきた。次に、マラボ議定書は、確かに現職の国家元首および政府高官に対する訴追免除規定を有しているが、国際人道法違反に対処するためのアフリカのビジョンを現実的な形で示し、設置後の積極的な役割が期待され始めた。それゆえに、ICCへの対抗措置において形だけの裁判所としてのACJHRの設置を支持してきた国々は、マラボ議定書への批准を躊躇することとなった。最後に、ICCに対するアフリカ諸国からのアプローチに変化が見受けられることもACJHR設置議論を停滞させた要因として指摘できる。本稿で着目したローマ規程から脱退を選択しないアフリカ諸国は、ICCに制度改革を求め、ICCと交渉を行いながら自分たちの意思を制度に反映させようとしている。このため、アフリカがICCに影響力を行使できるのであれば、必然的にオルタナティブなメカニズムとしてのACJHRの必要性は薄れてくることになる。
以上、本稿では、ACJHR設置議論をICCとの関係性を通し考察したことで、最終的にICCとの関係においてアフリカを主体として捉え直すことの必要性と意義が浮かび上がってきた。ICCの枠組みに挑むアフリカ発の議論は、これまで以上にアフリカの外に影響を及ぼすことが考えられるのである。今後は、アフリカの国ごとによるICCに対するアプローチについての実証研究を蓄積していくことで、本議論をさらに深めたい。
[付記]本研究は、公益財団法人松下幸之助記念志財団研究助成による研究成果の一部である。また、日本国際政治学会2018年度研究大会では本テーマに関する報告の機会を頂いた。皆様に感謝申し上げたい。