アフリカレポート
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時事解説
植民地責任をめぐるベルギーおよび旧ベルギー領アフリカ諸国の動き
鶴田 綾
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2020 年 58 巻 p. 96-101

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はじめに

2020年、アメリカ合衆国から世界中に広まったBlack Lives Matter(BLM)運動は、ヨーロッパ大陸では、植民地支配を行った過去とどのように向きあうのか、という要素を帯びるものとなっている。本稿では、ベルギーおよび旧ベルギー領アフリカ諸国を対象に、まず、ベルギー国内でみられた植民地責任をめぐる進展を整理する1。次いで、コンゴ民主共和国、ブルンディ共和国、ルワンダ共和国の動きをそれぞれ紹介したい。

1. ベルギー国内の動き

ベルギー国内では、21世紀に入ってから植民地支配を行った過去と向き合うさまざまな動きが登場し、2010年代後半以降にさらに活発になった。まず、21世紀初頭、ベルギー議会は、ルムンバ(Patrice Lumumba)初代コンゴ首相の暗殺に関する調査委員会を設置し、その殺害に関与していたことを公に認め、2002年に謝罪した[The Brussels Times 2020g]。2018年6月末には、コンゴ人ディアスポラが多く住むブリュッセルの一広場が「パトリス・ルムンバ広場」という名称に変わり、ルムンバの名誉回復が進んでいる[The New York Times 2018]。

また、レオポルド2世(Léopold II)の功績をたたえる展示や植民地からの略奪品の展示が主であったベルギーの王立中央アフリカ博物館が5年間のリノベーションを経て2018年末に再開した際、展示内容や方法に多少の修正が図られた。しかし、依然として、展示をどのように「脱植民地化」させるか、議論が今も続いている[Mathys et al. 2019; Hassett 2020]。

2019年4月には、当時のミッシェル(Charles Michel)首相が下院本会議において、植民地時代に黒人・白人間に生まれた子どもたちをベルギーに連れ去っていたことに対して謝罪している[現代アフリカ地域研究センター 2019]。これに対して現在、当事者の女性たち5名が5万ユーロの賠償を求めて、ブリュッセルで裁判を起こしているところである[AP News 2020]。

2020年に入って世界各地でBLM運動が活発になると、さらなる進展がみられた。6月、ベルギー議会は、同国の植民地支配について再調査する委員会の設置を決定した。設置を提案した議会議長は、アパルトヘイト後の南アフリカで設置された真実和解委員会のようなものを想定したという[The Brussels Times 2020a]。また、コンゴの独立記念日である6月末日には、フィリップ(Philippe)国王が、コンゴ自由国時代からベルギー領コンゴ時代の植民地支配に対する「深い遺憾(deepest regrets/plus profonds regrets)」を表明した[The Brussels Times 2020b; La Libre 2020a]。これまでベルギー王室は、「コンゴに文明をもたらした」として植民地化を正当化することが多かったため、この表明は、ベルギー初の黒人市長(コンゴ出身)を含む政治家たちやベルギー人歴史家たちによって、おおむね好意的に受け止められたという[The Brussels Times 2020c]。7月に入ると、議会によって上述の調査委員会が設置された。この委員会の目的は、コンゴ自由国・ベルギー領コンゴ時代を対象に、政府だけではなく教会や企業などの非国家主体を含めたベルギーによる植民地支配が、植民地にもたらした影響について検討することである。なお、ルワンダとブルンディも調査対象となっている[La Libre 2020b]。しかし、植民地支配に関する記録を保持している公文書館のメンバーや旧ベルギー領アフリカ諸国出身の歴史家などが含まれていないという批判を受けた[The Brussels Times 2020f]。また、9月に入ってからは、ルムンバの遺族から求められていたルムンバの遺物の返還について、歯を返還するという判断が裁判所によって下されている[The Brussels Times 2020g2

このように2020年は、ベルギーの植民地責任を考えるうえで重要な出来事が続いてきた。ベルギーには、サブ・サハラ・アフリカにルーツがある人々が約20万人住んでおり、その中でコンゴ系住民は約8万人だと報じられている[The New York Times 20183。彼らを中心とするロビー活動などがBLM運動によって支持を拡大し、機運が到来したのであろう4。他方、ある調査によれば、いまだに半数のベルギー人が「コンゴの植民地化は悪いことよりも良いことをもたらした」と認識しているという[The Brussels Times 2020d]。ベルギー政府は過去に犯した人権侵害や搾取とどのように向き合うべきか、そして、ベルギー人は(公共空間も含めて)過去をどのように記憶していくべきか、今後もベルギー国内の動きから目が離せない。

2. 旧ベルギー領アフリカ諸国の動き

(1) コンゴの動き

それでは、コンゴ国内ではどのような動きがあるのだろうか。コンゴでは、1966年にルムンバを国の英雄だと定めたが、とくに近年、彼に対する政治的な言及が増えているという。たとえば、2018年末の大統領選挙中、ルムンバに言及した演説がみられた。選挙に勝利したチセケディ(Félix Tshisekedi)現大統領自身も、2019年、就任式のスピーチのなかで、ルムンバの犠牲に敬意を表している[Monaville 2019]。また、ベルギー国内の動きに呼応して、2020年6月、大統領は、ベルギー議会による調査委員会設置を歓迎している[Het Nieuwsblad 2020]。さらに、フィリップ国王の「深い遺憾」発言に対しても、大統領や外相、カトリック司教団体は歓迎する意向を示した。しかし、カビラ(Joseph Kabila)前大統領のスポークスマンや一部の市民団体からは、「深い遺憾」の表明だけでは不十分であり、植民地支配に対する賠償や略奪品の返還を要求する声が上がっているという[現代アフリカ地域研究センター 2020; AFP 2020]。

このような動きに影響を与えている要因は複数あるであろうが、ひとつはディアスポラの存在であろう。前述のとおり、ベルギー国内には約8万人のコンゴ系住民が住んでいる。チセケディ大統領自身もブリュッセルで長く生活していたこともあって、ベルギー国内の動向を把握しているのであろう。とはいえ、コンゴ人ディアスポラも一枚岩ではない。カビラ前大統領の支持者もいれば、批判者もいる。ベルギーの政党と協力し、ベルギー国内でのコンゴ系住民のプレゼンスを高めようという集団もあれば、コンゴ本国への政治的関与を求める集団もいる。2018年の大統領選の結果に不満を持つ人々もいれば、チセケディ大統領を支持している人々もいる[Monaville 2019]。したがって、今後、賠償要求がどれだけ公的なものになるのか、誰がどのように交渉を進めていくのかなど、植民地責任をめぐるコンゴ国内の動きは、コンゴ国内の政治対立だけではなく、コンゴ本国の政治家とディアスポラの関係やベルギー政治などから影響を受け、進んでいくと思われる。

(2) ブルンディの動き

ブルンディは、2020年8月、ベルギーとドイツに対して、両国による植民地支配の賠償として、360億ユーロの支払いを求める旨を発表した。また、両国の支配下にあった期間に同国から持ち去られた略奪品や文書などの返還、上述の混血児連れ去りに対する賠償、さらに、王族であり独立志向政党のリーダーであったルワガソレ(Louis Rwagasore)の殺害(1961年)に関する調査の再開や歴史教科書の共同編纂およびベルギー教育への導入を要求している。さらに、植民地支配がエスニシティに与えた影響を検討するベルギー・ドイツ・ブルンディの専門家によるチームの立ち上げも提案している[The Brussels Times 2020e]。

このような要求が出された背景には、ブルンディ国内のエスニシティと政治権力をめぐる対立の歴史がある。ブルンディでは、1990年前半から内戦が始まった。2000年に和平協定が結ばれた際、エスニックな対立につながった歴史的、制度的、構造的な要素を明らかにし、ブルンディ人同士の和解に資するために、真実和解委員会(Commission vérité et réconciliation: CVR)が設置されることとなった[Vandeginste 2012]。2014年にCVRが設置された当初、調査対象期間はベルギーから独立した1962年から国内での暴力が終了したとされる2008年までとなっていた。しかし、2018年10月に、アフリカ分割が行われたベルリン会議(1885年)までさかのぼって調査すること、つまり、ドイツとベルギーによる支配も対象期間に含まれることが議会で決定された[IWACU 2018; VOA 2018]。

ブルンディの要求が金銭賠償から歴史教育まで多岐にわたっているのは、植民地時代を調査対象に含めたCVRによる提案が土台となっているからだと推測できる。また、ベルギー国内での調査委員会設立に呼応して、ベルギーとブルンディを繋いだオンライン会議が開催されるなど、市民レベルの動きもみられる[ARIB News 2020]。政府間の交渉についても、市民の国際的な交流や議論についても、引き続き関心を払う必要があろう。

(3) ルワンダの状況

2020年9月下旬時点で、ルワンダからはコンゴやブルンディのような動きはみられない。ルワンダ政府はベルギーに対して賠償を求めるだろうか?筆者は、ルワンダ政府はそのような行動には出ないのではないかと推測している。というのも、彼らの歴史認識として、ベルギーからの独立を過小評価したい傾向にあるからである。ルワンダの政府系英字新聞The New Timesによれば、1962年7月1日のベルギーからの独立は「偽の独立(fake independence)」だったため、1962年よりも、ルワンダ愛国戦線が内戦およびジェノサイドを終了させ、ルワンダに「完全な解放(full liberation)」をもたらした1994年7月4日の方が重要だと述べている[The New Times 2020a]。また、ベルギー議会が設置した調査委員会についても、ベルギー在住ルワンダ人の「ジェノサイド否定者」がメンバーに選ばれたとして、同委員会に対する懸念を表明している[The New Times 2020b5。現政権とディアスポラとのあいだの緊張関係も考慮すると6、コンゴのように、ディアスポラがルワンダ政府に影響を与えるということは考えにくいため、ルワンダ政府が同委員会の調査を評価したり、コンゴやブルンディと共に賠償要求に加わったりする可能性は低いのではないだろうか。

おわりに

以上のように、2020年はベルギーの植民地責任をめぐって、さまざまな進展がみられた年である。ベルギー国内では2010年代後半から事態が動き始め、2020年に大きな進展がみられた。ベルギー議会の調査委員会はどのような報告をまとめるのだろうか?コンゴとブルンディは、具体的にどのような交渉をベルギーと行っていくのだろうか?ルワンダはそこに加わるだろうのか?そして、植民地支配をした/されたという過去を、当該4カ国に住む人々は今後どのように記憶していくべきだろうか?植民地責任をめぐるこの事例から日本社会もさまざまなことを学ぶことができる。今後も動向に注目していきたい。

本文の注
1  「植民地責任」論については、永原[2009]を参照のこと。

2  1961年にルムンバの遺体を解体し、酸で溶かしたベルギー人警察官が、歯を2本ベルギーに持ち帰ったと証言していた。

3  ただし、この数字からはベルギー国籍保持者の人数まではわからない。

4  フィリップ国王の人種差別に対する姿勢も関係あるようである[現代アフリカ地域研究センター 2020]。

5  ルワンダ人の知人に聞いたところ、このニュースはルワンダ語でも報じられたという。

6  この点についてご教示下さった佐々木和之さん(プロテスタント人文社会科学大学)に感謝いたします。

参考文献
 
© 2020 日本貿易振興機構アジア経済研究所
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