日本建築学会計画系論文報告集
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小倉城下町の町割技法と現在市街地への影響と特性 : 北九州市における街区割・宅地割の史的展開に関する研究(その1)
高見 [たか]志
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1987 年 380 巻 p. 64-75

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抄録

以上の結果をまとめると次のようになる。(1)小倉城下町の設計原理は天守を中心とする35間のモジュールに見とおしの技法を重ねた手法で濠,城門など城下町の骨子が構成され,町割から屋敷割までこの技法を基礎に組みたでられ,城下町全体に展開し総合化していたことを確認し得た。つまり,この設計原理を基礎に身分制度,地形,港と街道など主要交通施設などとの関係で土地利用・町割・屋敷割を決定していく技法であったと推察しうる。このような設計原理によって計画された小倉には35間モジュールの碁盤型街区,城下町全体を統一する計画手法により構成された総構え,背割二列型を基本とする二面町型の町割などの特性があった。(2)この小倉の町制の特性は大正末期までの都市改造ではその骨子を崩さない程度で残っていた。しかし,戦後の都市計画においては小倉の特性に根ざし,かつその時の都市問題を解決していくといった視点はみられず,町割の形態的特性は崩壊し変質していく過程であったとみなしうる。(3)交通体系の変化と都市改造計画は港と街道を中心とした地価形成から,駅と路面電車道,都市計画道路を中心とした地価形成に変遷していった。この地価分布の変遷は商業の中心地の変遷でもあり,この変化は町割にも強く影響を与えた。(4)商業中心地の変遷とその規模拡大,交通の多要所化,多都市軸化,流通の多量化など都市構造の変化は碁盤型二面町から四面町への移行を促進する結果となった。(5)わずかに原町制が残された地区で検討しても,四面町への変容の過程は屋敷割における背割二列型の崩壊の過程であった。その特性は裏界線が貫通しなくなり,飛び裏界線が出現し,原裏界線に垂直方向に新しい裏界線が出現し,飛び裏界線の連担化など裏界線の複雑な形態へ変容していった。ところが背割二列型屋敷割の崩壊,宅地の零細化に対して現在までの法制度は敷地形態のコントロールのための介入手段をもっていないことが問題である。(6)背割二列型屋敷割の崩壊は屋敷規模の変化に関連し,街区別の筆数の変化をみると原屋敷の規模と形状が関連していた。また,街区別の平均利用敷地面積はオフィス・貸店舗ビルの棟数比率と相関がみられた。(7)規模が小さい点が原町割の特性でもあった小倉の35間モジュールの碁盤型街区は裏宅地を出現させ敷地が零細化していく傾向よりも,むしろ原町割の横町側が細分割される傾向が強いという特性をもった市街地である。以上は藩政末期における小倉城下町の設計原理と町割の特性が現在市街地に与えた影響と特性について主に論じた。宿駅・港町ならびに市区改良事業,耕地整理等の市街地形成と町割技法の特性および現在市街地への影響と変容特性,相互比較については稿を改めて考察したい。

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© 1987 一般社団法人日本建築学会
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