日本中東学会年報
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国史形成におけるオマーン帝国:オマーンの国定社会科教科書および指導教本の分析から
大川 真由子
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2015 年 31 巻 1 号 p. 95-120

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抄録
本稿では、オマーンの東アフリカ統治(18世紀初頭~1890年)をめぐる歴史を現オマーン政府がいかに認識し、国史を形成しているのかを、国定社会科教科書および指導教本における記述の分析から明らかにする。東アフリカ統治をめぐる歴史叙述に関して社会科教科書に共通してみられる特徴は、第一にオマーンの領土を最大化したブーサイード朝君主サイードが英雄として描かれ、その領土が「オマーン帝国」として説明されている点。第二に、アフリカにイスラームとアラブ文明をもたらし繁栄させたことをアピールすることで、間接的に東アフリカ統治を正当化している点。第三に現地民との共存共栄が強調されている点。第四にオマーン人が東アフリカで関与していた奴隷制に関する記述が排除されている点。最後に植民地主義の不在、つまり東アフリカ統治に対して「植民地(主義)」「征服」「支配」といった語彙が慎重に避けられている点が挙げられる。これらの特徴は、教科書に限ったことではなく、東アフリカ出身のオマーン人によるザンジバルの歴史書にも共通してみられる特徴で、典型的な植民地主義正当化論に近い。だが第五点目については、オマーンに続いてザンジバルを統治したイギリスの植民地主義批判に満ちあふれ、それと対置する形で平等主義的なオマーン統治が語られている個人による歴史書に対し、教科書ではイギリスによる統治を植民地主義として捉える姿勢がみられない。こうした公的な出版物独自の記述特徴は、現政権とイギリスの関係性に由来していると考えられる。社会科教科書におけるオマーン帝国は、複数の民族や宗教・宗派が平和的に共存し、インド洋交易の拠点として世界各地とつながり、すでにグローバルな空間が実現されていた、まさしく理想として語られている。政府は1970年に誕生した「オマーン人」が共通して誇れるようなオマーン帝国という過去の栄光を設定し、それをナショナル・アイデンティティの源泉のひとつとして教科書を通じて普及させているが、現在でも新聞やテレビなどのメディアおよびアカデミックな場を通じてその概念を積極的に再生産しているのである。
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