抄録
1. オーバーライン地域のトランスボーダー型 第2次世界大戦後の本地域における展開は、大きく3段階に区分することができる。第1期は、1975年に3国間でボン協定が結ばれるまでの期間で、Regio BasiliensisCIMABなど、個別的な試みが模索された時期である。第2期は、INTERREGプログラムが開始される1990年までの期間で、この間、3国政府間委員会と、南北2地区で地域間協議会が設立されたが、協議のための会合はしばしば開かれたものの、具体的な事業はそれほど目立っていない。いわば準備期間といえる時期である。第3期は、国境地域を対象とする支援プログラム(INTERREG)が展開され、トランスボーダー型の協力事業が数多く実施されるようになった期間である。北地区と南地区に分かれていた地域間協議会は、1991年からオーバーライン協議会として統合され、地方レベルでも「オーバーライン」の範域が上位空間単元として確立した。 INTERREGの枠組みでは、国境をまたいだ地域間で、きわめて多様な組み合わせに基づく協力事業が行われている。そのなかで、継続性と活動実績を兼ね備えた連携組織としては、上述のオーバーライン協議会に加えて、トリレーナおよびパミナの2組織が重要である。トリレーナがオーバーライン地域の南部を占めるのに対して、パミナ(PAMINA)は北部を占めており、カールスルーエの影響圏とほぼ重なっている。これらに比べ、ストラスブールを中核とする中部では、これまでトランスボーダー型の連携組織が十分に育ってこなかった。しかし、1990年代に入ってからは、対岸のケール市とともに、ライン川の両側にまたがる地域整備計画が推進されるようになった。2.ストラスブール・ケール地域の都市整備事業地域間連携組織オーバーラインの中部地域で、トランスボーダー型の連携組織が未発達であったのは、ストラスブールの都市整備努力が、従来、もっぱら西方に向かっていたためであった。しかし、1990年代には市政の刷新にともなって、EU統合の理念のもと、ライン川対岸のケール市との協力が急速に進展した。ストラスブール都心部のすぐ南側から、港湾地区をへてケール市の中心部にいたるベルト状の地帯が、「ストラスブール・ケール軸」として最重要整備地区に位置づけられたのである。 ただし、ストラスブール・ケール軸とはいえ、これら2都市が対等な関係にあるわけではない。面積的には同列であるが、人口でみれば50万都市と5万都市であり、差が大きすぎるという問題点がある。たとえば、ライン河畔公園の整備計画は、ケール市にとって唯一最大のプロジェクトであるが、ストラスブール市にとっては数ある整備事業の一つにすぎない。現在、策定作業が進められているストラスブール広域圏の整備計画(SCOT)では、INTERREGの助成を受けて、ライン川対岸のドイツ側におけるRgionalplanとの調整作業が試みられ、その成果を「トランスボーダー白書」として公表している。ここでの問題は、ドイツ側のカウンターパートがオルテナウ郡というケール市の上位単元であることで、かつケール市はオルテナウ郡の中心都市ではない。中心都市はオッフェンブルクであり、地方自治体の連携という点で、主要な推進体制の枠組みがまだ未確定な面が残っている。 本発表では、以上の点をふまえて、ストラスブールで展開されてきた都市整備事業の概要と、そこなかで「ストラスブール・ケール軸」地区がもつ意味、さらには事業の具体的な進展状況と今後の課題などについて報告したい。