日本地理学会発表要旨集
2003年度日本地理学会秋季学術大会
選択された号の論文の180件中1~50を表示しています
  • 松尾 史弘
    p. 1
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    はじめに 中山間地域等直接支払制度は、中山間地域等の農業生産条件の不利な地域において、耕作放棄の発生を防止し多面的機能を確保する観点から導入された制度であり、結果として棚田保全にも貢献しているものと考えられる。1 中山間地域等直接支払制度の概要(1) 目的・中山間地域等では、耕作放棄地の増加等により多面的機能の低下が懸念されている。・農業生産の維持を通じて、多面的機能を確保する観点から、農業生産条件の不利性を補正する中山間地域等直接支払制度が平成12年度から導入された。(2) 制度の仕組み・対象農用地は、特定農山村法や山村振興法、過疎法等で指定される地域の農用地区域のうち急傾斜農用地や小区画・不整形な田等の農業生産条件が不利な農用地。・対象行為は、耕作放棄の防止等を内容とする集落協定等に基づき、5年間以上継続して行われる農業生産活動等。・農業生産活動等を行う農業者等に対して、平地地域との生産コスト差の8割相当額を交付金(例:急傾斜田21,000円/10a)として支払う。2 直接支払制度実施状況(1) 実施状況・平成14年度の中国四国農政局管内の実施状況は、対象農用地を有する467市町村の91%の426市町村で、集落協定9,750協定、個別協定185協定が締結されている。・協定締結面積は、14年度までに策定された市町村基本方針に定められた対象農用地面積の合計の約7割に当たる92,946ha(うち田69,746ha)となっている。(2) 集落協定の活動内容・集落協定に位置付けられている活動の中で、「農道管理」「水路管理」「農地法面点検」等の農地の維持管理に関わる活動の割合が高い。・協定の締結により「話し合いの復活・回数の増加」したものが80%、「共同作業・機械の共同利用の復活・回数の増加」したものが36%などとなっている(H13年度中間点検結果)。3 取組事例(集落協定による共同取組)(1) 集落営農システムの確立に向けた取組(高知県梼原町)  後継者が中心となって遊休農地や高齢化により農作業が困難となった農地の基盤整備(せまち直し)の実施により乗用機械等による耕作が可能となり、農作業の効率化、受委託化による集落営農システムの構築を図った。(2) 棚田オーナー制度による都市との交流(鳥取県若桜町) 棚田百選に選ばれた棚田を利用して、アイガモ農法を実施したり、棚田オーナー制度及び棚田保全ボランティア隊の受け入れを行い、都市との交流活動を行っている。(3) 放牧による農地管理の省力化に向けた取組(島根県大田市)  耕作放棄の懸念がある農地に電気牧柵を設置し、和牛を放牧する「出前放牧」の実施により農地の管理を省力化し、耕作放棄の防止を図っている。 
  • 内田 和子
    p. 2
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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     名古屋市には東部の丘陵地帯を中心に、かつては多くのため池が存在した。昭和30年代後半以降の開発に伴い、ため池数は激減したが、現在でも113のため池がある。同市は1973年に名古屋市ため池環境保全協議会を結成し、市内のため池の調査を行って、治水や環境面での評価が高い96のため池について、環境整備基本計画を策定した。同時に、ため池の改廃や改修も協議会での要検討事項とし、1992年にはため池保全要綱を策定した。名古屋市はこのように、全市のため池を視野に入れて、ため池の保全に市をあげて取り組んでいる。そして、名古屋市のため池の特色は公有化された池が多いことで、このことが市による保全を推進している。ため池の公有化は土地区画整理との関連が深く、名古屋市の開発はほとんどが土地区画整理によっている。具体的には、ため池の底地と同価値の宅地とが交換されて、ため池が公有化される。少なくても43の公有池は土地区画整理によって公有化されたと思われる。この他、買収や寄付によって公有化されたとおもわれるため池も20ほどある。さらに、名古屋市のため池のうち、66池が公園として、54池が洪水調節池として活用されており、それぞれ市の緑地率の増加や治水に寄与している。以上のように、名古屋市におけるため池の活用と保全の取り組みは、都市化地域におけるため池の保全に際して、参考となる事例である。
  • 春山 成子
    p. 3
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    インドネシアの火山山麓部の傾斜地水田における灌漑様式について考察をした。ジャワにおいては東部、中部、西部ジャワにおいて大きく3つの地域性をみいだすことができる。また、これらの地域を対象にして灌漑技術はオランダ時代以前の伝統的な灌漑技術、オランダ時代にもたらされた土木技術を基礎にした灌漑技術、独立後の大規模水田の創造に伴う新たな灌漑排水技術を受け入れたものの大きく3つが並存していることがわかった。
  • 羅 燕娟, 市南 文一
    p. 4
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1.はじめに  外国などの他地域の物真似ではなく、地元に固有の特徴を活用して地域振興をはかる試みが各地で実践されている。日本の町並み保存活動は高度経済成長期頃から活発化し、1996年の「登録文化財」制度の導入で一層拡充してきた。本研究では、岡山県の町並み保存政策の実態を把握し、勝山町での取り組みを検討する。県と勝山町役場で聞き取り調査を実施し、勝山町町並み保存地区で、その来訪者と居住者を対象に、アンケートと聴取調査を実施した。2.岡山県・勝山町の町並み保存事業 1985年度に始まった岡山県の「町並み保存地区整備事業」を利用して、勝山地区が、1985-89年度と1993-97年度に整備された。事業への補助率は、補助対象の事業費の2分の1以内で、民家・付属工作物などに係わる事業について県補助金の上限額が設定され、民家1軒当たりの限度額は200万円であった。2001年度までの補助対象事業費の総額は、1億円(うち、県費補助金は5千万円以内)であった。 さらに、1993年には、勝山町は独自に「町並み保存地区整備補助金」制度を創設し、2000年までに9軒の民家を修復し、今や勝山の町並みのシンボルになっている暖簾を約30軒について制作・更新した。1996年には、地区内の有志により、「町並み保存事業を応援する会」が発足し、空き家を観光客とのふれあいの場として整備し、無料休憩所「顆山亭」が開かれた。1999年からは「雛祭り」を開催しており、多数の来訪客で賑わっている。3.勝山町の町並み保存地区の土地利用・景観の変化    町並み保存地区の面積は約25.3haで、山本町、上町、中町、下町、中川町が重点整備地区(約3.3ha)となり、延長は約800mである。約120軒の民家が重点整備地区にあり、住民数は約300人である。町家の建築年代はおおむね明治時代以後である。外観は切妻瓦葺き下ろしと切妻瓦せがい造りの土蔵造りが主流である。また、連子格子窓造り、白壁、海鼠壁が新装なった町並みの魅力を構成する。旭川に面した敷地には、川沿いに石畳が続く高瀬舟の発着場跡、酒造場などがあり、清流と調和した景観が展開する。また、郷土資料館、武家屋敷のほか、寺院と神社が点在している。 1986年の重点整備地区の家屋の分布によると、町屋の約6割は店舗か店舗併用住宅であった。また、空き家は14軒で、専用住宅が4分の1を占めた。2002年では、専用住宅が4割で、駐車場は9ヵ所であった。店舗と店舗併用住宅を合わせると、約5割になる。1986年から2000年では、重点整備地区の家屋の配置に大きな変化がみられなかったが、旭川に沿った町屋の約3割が岸辺まで増築した。そして、2000年には町屋が17%減少した。2000年の専用住宅は1986年より増加したが、駐車場はわずかしか変化していない。また、店舗、店舗併用住宅と空家が減少している。 2002年11月、研究対象地域の家屋の現状を調査し、改変の状況を3分類した。重点整備地区内では、「改変なし、もしくは小さな改変」の町屋が5割以上で、これらの伝統的町屋が山本町と上町に集中している。約2割の町屋は「中規模の改変」で、多少の改造があったが、旧状を留めている。「大規模の改変」は約3割で、下町と中川町を中心に分布する。4.アンケート結果とその考察  勝山町は来訪者に町並み保存地区で2000年に聴取調査を実施した。筆者らがその結果を独自に集計したところ、「勝山町を知った契機」では、テレビ・新聞などの一般メディアが最も重要で、知人・友人の話などのような「口コミ」の宣伝効果も大きい。来訪者のほとんどが岡山県内からで、近くの真庭郡や津山市から夫婦や友人と自動車で何度も来る人が多く、湯原温泉への途中に短時間滞在する傾向もみられる。 また、筆者らは、勝山町並み保存地区の居住者のご協力を得て2002年に聴取調査を実施した。地元の人々は「静かで住みやすい」、「自然景観の美しさ」、「町並みと暖簾の調和」、「歴史的な雰囲気」に満足しているが、「活発な町並みづくり」の認識が意外に低い。これは、熱心な町並み保存運動が一般的には必ずしも十分に知られていないことの反映の一端であると考えられるので、住民相互の連携や情報の共有が一層必要である。 来訪者・居住者ともに、町並み全体や、武家屋敷、酒造場、飲食店などの個々の施設については満足度が高いことから、町づくりの評判は良い。アンケートでは若者の少なさを指摘する意見などがあることから、町づくりの一体感がやや欠けている感もある。したがって、住民の多様な意見をまとめながら、一層誇りある町づくりを持続していくことが課題としてあげられる。
  • 村中 亮夫
    p. 5
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    _I_ 問題の所在  本稿では,棚田の持つ多面的機能に着目し,その適正な機能管理の方法論を議論する.具体的には,多面的機能の経済的評価手法を地理的視点から再評価することを意図している.
    _II_ 棚田の持つ多面的機能と経済的価値  棚田の持つ多面的機能は,米の生産や国土保全機能,アメニティの創出など,多岐にわたる.そして,これらの機能は,利用価値と非利用価値とに分類することができる.さらに,前者は直接利用価値,間接利用価値,オプション価値,遺贈価値,後者は存在価値として細分することが可能である.この価値体系に基づくと,棚田の持つ直接利用価値以外の多面的機能は,当該農地の農業従事者以外の地域住民や全人類,将来世代にとっての価値で,公益性の高い価値であるといえる.
     棚田の持つ多面的機能の直接利用価値以外の価値は,公共財,地域固有財,不可逆性,時間的・空間的階層性,という4つの性格持つ.これらの性格は,棚田の持つ多面的機能を経済的に評価し,将来世代への遺贈を意図した適正な管理を行う根拠となる.同時に地理的な視点からの議論の必要性を示している.評価される棚田や評価する人間は地理的に存在し,両者の関係性も極めて地理的側面を持つためである.
    _III_ 多面的機能の経済的評価手法  【仮想市場評価法】:棚田の持つ存在価値まで計測できる,汎用的な手法である.環境を変化,もしくは維持することによって消費者が得る効用の変化分を,財に対する支払い意思額(WTP)から推計する.このWTPを環境の価値とみなす.WTPは財と被験者の居住地との距離について距離減衰性を示すことを踏まえ,村中(2003)は距離変数を評価プロセスに組み込んだ.【トラベルコスト法】:棚田の持つレクリエーション利用価値を計測する手法である.評価対象の棚田への訪問回数のデータから,レクリエーション価値を享受する母集団全体の訪問回数を推定する.訪問回数の推定には,訪問回数が個人の居住地や属性が影響を及ぼすことを前提に,独立変数を操作することにより得ることができる.【便益移転】:CVMやTCMなどで評価された既存評価結果から,目下政策的論争となっている評価対象財の価値を予測する手法である.近年,経済的かつ迅速的な環境評価に関する行政側からのニーズの高まりから,日本においても研究が盛んに行われ始めている.手法には,原単位による移転,便益関数移転,などがある.現在では,後者の技術的開発が主流となっている.便益移転は「便益の地理的移転」であり,地理的属性を変数に組み込んだモデルの構築が求められる.
    _IV_ 経済的評価と地理的分析の視点  【地理的特性の把握】:棚田の経済的価値を評価する際に,棚田および周辺環境の時間的,空間的情報を整備する必要がある.地理的な基礎情報の整備は,調査の被験者に対する視覚的データの提供を可能にする.被験者に対するわかりやすい情報の提供により,円滑な調査が可能である.【受益圏の特定】:財の持つ各種機能ごとに受益者の特定を行い,母集団を特定する.機能別にWTPの距離の摩擦効果が異なる場合,地理的特性を再評価する必要性がある.【空間的変数の計測】:評価モデルの構築において,直接的な利用を伴わない財の評価ではユークリッド距離,直接現地へ移動して消費する財をTCMで評価する場合,ネットワーク距離を検討すべきである.
    _V_ 問題点と今後の課題  【パネルデータの整備】:迅速かつ精緻な分析を意図し,棚田および周辺環境に関するパネルデータの整備が必要である.棚田の経済評価に関する既存の研究成果が一定の蓄積をみているが,この成果を活用して,便益の時間的,空間的移転を伴う便益移転を行う場合,環境情報のパネルデータ整備は必須である.【距離計測の及ぼす評価額への影響の検討】:距離計測のプロセスが与える評価額の変動を検討すべきである.つまり,評価の空間モデルの構築での,_丸1_縮尺スケール別の棚田の座標値特定,_丸2_被験者の居住地の特定と集計単位問題,_丸3_空間的変数の計測モデルへの適切な導入,の検討である.【GISの活用】:GISでは,環境アセスメントや景観計画を意図した環境評価における精緻な空間分析が可能である.また,評価プロセス中にGISを位置づけることにより,視覚的でわかりやすいサーベイデザインを構築することが可能である.
  • 棚田とクリーク水田
    元木 靖
    p. 6
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    あらゆる地理的事象に対する場合と同様、棚田論議もまた時代の背景との関連を考慮することでその意義や方向を明確にできる。恐らく、人口と食糧のバランスが崩れ米不足がひっ迫したとき、あるいは米作農民の移住に伴い同様の事態を迎えていたときには、関心は開田(棚田づくり)という土木事業一点に集中していたことであろう。棚田を成立させた後では、その補修や利水のための維持管理、さらに棚田での農作業のための方法をめぐって様々な経験が重ねられてきたに違いない。日本の近代化の過程で、棚田に対する関心が高められるようになった嚆矢は、東畑精一著『米』(中央公論社1940)において、棚田=日本のピラミッドが紹介された頃に遡る。すなわち、この当時は棚田の経営・経済問題に強い関心が向けられていた。しかし今日では、米作の近代化が進み、米の過剰がつづく中で、いずれかといえば棚田農耕民の外側からのまなざしが、棚田への関心の所在を明示しているように思われる。それは、都市にでていった稲作農耕民が過去への郷愁にも似たような形で、棚田の景観を先人の知恵あるいは農民労働の記念碑として眺め、その保全策を思案している姿である。これは決して異常なことではない。棚田が結果として、そうした魅力を生みだし、その意義をわれわれに気づかせてくれつつあるからである。フィリピンのイフガオでは、当地の棚田が農地として初めて、ユネスコの指定する「世界文化遺産」となり、観光地化している。もちろん、日本から東南アジアにも広がる棚田の多くは、過疎や生産性の低さなどの多様な問題を抱えつつ、生きたピラミッドとして存在している。ここでは、棚田を、それとは対照的な「クリーク水田」と比べることによって、「棚田とは何か」を考えるための枠組みについて若干の整理をしてみたい。棚田については優れた業績があり、棚田学会による議論もなされているが、棚田をクリーク水田と比較して、棚田論に寄与しようとした例はない。 (1)棚田とクリーク水田には、地形的に限界的な場所に開かれた水田であるという共通点がある。棚田は傾斜地に造成された水田、クリーク水田は低湿な滞水性の低地に造成された水田である。両者は、水田の開発史上からみれば、初期水田の姿ではなく、水田と人間のかかわり合いが一定段階に達した後に、多くの労働力の投入と様々な工夫のもとに発生した水田である。したがって、その多くは稲作先進地の縁辺部に分布している。日本の場合、関東と北陸以西にとくに発達してきた景観である。(2)クリーク水田と棚田の景観的特徴の本質は、いずれも水田造成前の、もとの地形の一部が残されているところにある。前者の場合は数多くの溝渠の存在、後者の場合は畦畔から次の水田につづく土手の傾斜部の存在である(石積みの例もある)。このような、残された原地形(水面)と水田の組み合わせが、特異な水田景観を生みだしている。この原理は環濠や石垣をめぐらした住宅・集落景観にも通じている。また、地域全体の景観像は、クリーク水田ではその外側につづく水田(境には外水防止のための囲堤をもつ例が多い)の配置形態、棚田の場合はその周囲に広がる畑地や山林植生等によっても大きく造形され、特徴づけられる。(3)生産・生活空間としてみた場合、両地域は単一生産を指向する方向ではなく、複合的な世界を構成している。しかし、両者の間には大きな差異がある。水田の機能としてもっとも重要な灌漑は、クリーク水田が一般にその内部に集められた排水を活かして、逆水灌漑の方式をとるのに対して、棚田は外部から導いた用水の重力灌漑に依存する。さらに地域的には、前者ではクリークが相互に連結し、農舟が行き交う通路として利用されるだけではなく、漁業活動の場あるいは肥料の供給源としても機能している。これに対して後者では、坂道や曲がりくねった道が、外側の林地にまで通じ、肥料や生活資源の供給は林業活動など水田以外の部門とも強いかかわりを持つ形で、地域形成がなされている。要するに、クリーク水田地域がクリークを中心に内向きの世界を作る傾向が強いのに対して、棚田地域は周りの畑作や林業等の諸条件と強い関係を結びつつ成立していることを窺わせる。近年、クリーク水田や棚田がもつ水土保全機能が注目されているが、その基盤にはこのような生産・生活空間が存在している。 クリーク水田と比べてみた場合、棚田はその景観だけではなく、生産・生活空間の形成原理にも大きな違いがみられる。棚田地域は(当初段階はともかく)、意外に閉じられた世界ではなく、外部と多様な連携のもとに成り立ってきたように思われる。そして、この点に棚田地域の将来を考えてゆく上での一つのヒントがあるのではなかろうか。
  • 丁 致榮
    p. 7
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    国土の7割が山地に占められ、古くから稲作を中心とする農業が営まれてきた韓国には、全国にわたって棚田が分布している。その中でもっとも棚田が卓越する地域は、韓国南部地方の代表的な山村地域である智異山一帯である。本発表では、韓国の智異山地における棚田の現状を、造成過程とその特徴、灌漑体系や利用実態などを中心に紹介したい。 智異山地は、海抜1,500m級の峰々が連なり、韓半島の南部では最も高く、一帯の面積が700㎢を上回る大きな山塊を成している。主稜線を中心に南と北に延びている支脈の間には緩やかな傾斜をもつ約20ヵ所の谷が形成されており、古くから人々の生活空間として利用されてきた。気候的には高度によって気温の変化が激しく、日較差も大きい。年平均降水量は1,500mm前後と、韓国の代表的な多雨地帯である。一方、智異山地の植生はクヌギなどのブナ林が主であり、農業には好条件である。 智異山地における棚田の造成は17世紀から本格的に始まった。智異山地の棚田は初めから水田で開墾したケースよりも、焼畑から畑に、さらに畑から水田といった過程を経て、開発されたケースが多かった。このように17世紀に入って、棚田の造成が本格化された要因としては、戦争、飢饉、伝染病などを避けるために多くの人々が移住し、地域人口が急に増えたことや、移住民の大部分が稲作地帯の農民出身であったこと、その当時の最も価値が高い商品が米であったこと、韓国人にとって米は単純な食糧または商品以上の意味をもつことなどが重要である。 棚田の造成過程は、まず立地の選定から始まった。立地選定に当たっては、第一の条件である水をはじめ、傾斜度、植生、日照、農家との距離などが考慮された。一方、造成作業は植生の除去→傾斜地の切開→石で畦畔を築く→表土を敷く→田面の平坦化→水路造成の順に行われる。 智異山地の棚田の特徴を見ると、畦畔はすべて自然石で作られており、その高さは原地形の傾斜によって差異があるものの、およそ1_-_2m前後である。1区画当たりの面積がとても小さく、過去には1区画が1坪にも満たないことも多かった。また、元の土壌の中では石が多く、表土の土被りが薄いため、排水には良好である。そのほか、農道が不備であること、通作距離が遠いことなど、棚田で見られる一般的な特徴も併せ持っている。 智異山地の棚田は、そのほとんどが渓流灌漑に頼っている。棚田の近くに流れる渓流水を堰(韓国では洑という)でせき止め、水路を通じて引水する。堰ごとに水利組織が形成され、その規模は堰の大きさと灌漑範囲によって一家族単位から村単位までさまざまである。山地の渓流水は、水量が豊富であるが、水温が低いため、冷害の原因になる。智異山地では、冷害を防ぐために止水灌漑法や、様々な漏水防止対策、そして迂回水路などを用いられてきた。 1970年代以降、智異山地の棚田は圃場の拡張と整理、農道の整備、農機械の導入などにより、生産性がかなり向上したが、一方では耕作放棄地も拡大した。このような状況の原因は、韓国全体の問題と智異山地のみの問題とに分けて見ることができよう。全体の問題としては、稲作の競争力の弱化、工業化‧都市化による急速な山村人口の減少などがある。一方智異山地は、1967年に韓国最初の国立公園に指定され、山林の厳しい保護によって有害鳥獣虫の増加、日照時間の減少により、農業環境のさらなる悪化が進んでいる。 しかし現在に至るまで、韓国では棚田の保存についての関心は低いと言わざるを得ない。棚田の多面的な機能を考えると、韓国でもこれから棚田の保存に関する活発な議論が求められる。
  • 西河 明夫
    p. 8
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1.生産組合設立の経緯 北庄中央棚田天然米生産組合は、平成6年度「棚田天然米生産地育成事業」と「棚田地域営農条件等整備事業」推進地区認定と共に、北庄中央地区34戸の内24戸で組織され、平成11年には、日本一の棚田面積を誇る地域として、「日本の棚田百選」の認定を受け、現在もその活動を続け、多くの棚田ファンの指示を得ている。2.生産組合の目指すモノ 「耕して天に至る」景観は、誰の心にもある「ふるさと」の姿だと考える。しかしながら、高齢化が進む状況下で、急傾斜の耕地を耕作し管理する事は大変な重労働である。しかし、この重労働が「維持保全」と言った誰かの為に「やらされる」と言ったマイナスの活動ではなく、自分達の活動が誰かの為に「役立っている」と言った、「やりがい」(プラス)となり、地域に暮らす人々の表情が活き活きとし明るくなる事が、真の活性化であると考え、生産物の販売よりも人と人の触れ合いに的を絞って活動している。3.地域教育の場としての棚田 棚田天然米生産地育成事業の中のメニュー事業「都市との交流促進事業」を実施するにあたり、当生産組合では消費者との交流より、地元小学校との交流を重点に実施するこ事とした。当組合は、先ず地元小学校の子供達に昔ながらの稲作作業の体験を通して、水の大切さ・土の感触、そして自分で育て収穫し味わう事で食の大切さを体感し学んでもらおうと、1年生から6年生までの全児童と年2回の作業(田植え・稲刈り)の交流を組合発足の翌年(平成7年)より実施してきた。昨年は、溜池の水が山を越え谷を越えて、多くの棚田を潤す先人達の技と知恵を地域の活きた教材で学ぶ事も出来た。今年は、田植・稲刈りの交流ではなく生産組合メンバーと児童・教職員が協力し菊花を栽培する事で、今までの点から線に交流を拡がり、知恵と達成感を身につけるものと期待する。生産組合としても、今後、生産組合員を中心とした人と人の触れ合いにより、「心優しい人間形成」に役立つ「活きた学習の場」としての棚田を提供したい。4.「苦農」から「楽農」へ 「棚田を保存される上で大変な作業は何ですか」と言った質問を良く受けるが、その時、必ず答える内容が2つある。それは、水張り面積をはるかに越える畦畔の草刈りと田植えから収穫までの約100日の間、溜池の水を管理しながら水田を潤わさなければならない点で、この2つの作業は、棚田での農作業を「苦農」と言わせる大きな要因である。しかし、当地を訪れ棚田を目の当たりにし、「良く管理されている」とか「この風景を見ると、心が癒される」と言った言葉を聞くと、草刈りの苦労も少しは楽になるのを感じるのは、私だけではなく、地区住民誰もが感じる事と確信している。従って、良い意味で常に地区外の人の目を意識し、その人達の期待を裏切らない為にも、現状を出来るだけ永く維持する。これだけでは、「これまで以上の苦農」になるが、異なるのは、「地区住民と訪問者の間にコミュニケーション」を持ち、訪問者の生の声を組合員が聞く事で、「今の姿をもう少し維持しよう」と言った意識が強くなるのではなかろうか。この意識改革こそ「楽農」への考え方の第一歩ではないか。昨年は、消費者との交流以外に、「棚田ファンクラブ会員」と「地区住民」との交流を重点とした、棚田での「収穫感謝祭」を実施した。これからも、棚田ファンと地元住民との触れあいを大切にした生産組合を維持したい。5.棚田保全、今後の課題 毎年、確実に組合員の年齢も一つ大きくなって行く。これは、どうしようもない現実である。でも、今の生産組合は、精神年齢で高齢化を少しでも遅らせようと頑張っている。しかし、限りがある。今後は、地元としては、協同作業による労働力確保等を積極的に進めるほか、外部からの応援者なども積極的に受け入れる等で、日本の農村の姿・癒しのふるさととしての棚田を、1年でも永く生活感のある姿で維持したい。
  • 琵琶湖集水域を事例として
    山本 佳世子
    p. 9
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    近年大都市圏縁辺部では、市街化が急速に進行し、市街地の拡散化やスプロール現象等の問題が生じるケースも多い。このことは、従来から土地利用計画の問題として指摘されてきた市街地と農地や森林等のとの競合をより深刻化させる恐れもある。したがって大都市圏縁辺部では、市街化に伴い土地利用規制と土地利用実態との間の乖離が進むことで市街地と他の土地利用との間の土地利用調整の必要性が強くなっていることが課題の一つである。以上のことから地域の土地利用の実態を的確に把握し、適正な土地利用規制がこれまでに実施されてきたか評価することが不可欠となる。そこで本研究は、GISを利用して市街化に着目して地区レベルで土地利用規制と実態との間の乖離を解析し、土地利用調整の必要性な地域を把握することにより、市街化の抑制という視点に限定して大都市圏縁辺部における土地利用規制を評価することを目的とする。
  • 金 木斗 哲, 丁 致榮
    p. 10
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1.岡山県における棚田保全事業の展開岡山県は県南の一部を除く県土の7割以上が中山間地域に属し、県中央部に広がる吉備高原は、新潟県の南西部、阿蘇・九重の火山山麓などとともに全国有数の棚田地域とされている。農水省の調査によれば、県内水田面積のおよそ21%に当たる約1万3,500haが棚田であり、新潟県に次ぐ全国第2位の棚田面積を有している。岡山県の棚田保全事業は比較的早くから実施され、「美しい村づくり推進事業(1988_-_1993年)」をはじめ、「棚田天然米育成事業(1992・1995年)」、「棚田地域営農条件整備事業(1993_-_1999年)」などの棚田保全と直接的に関連する様々な事業が県独自に試みられた。そのうち、本研究の分析対象である「棚田天然米育成事業」と「棚田地域営農条件整備事業」の概要は以下の通りである。まず、この事業の目的は、棚田保全を進めることにより、農家所得の向上と地域の活性化を図ることに置かれていた。事業地区の選定に当たっては、_丸1_おおむね5ha以上のまとまりのある棚田、_丸2_園場整備をしていない棚田、_丸3_美しい棚田景観を形成している地域、または今後整備することによって景観が保持される地区といった要件に合致した14市町村19地区が候補として選定され、さらにその中から景観の美しさと地元の保存意欲の高い7町7地区が事業対象地として指定された。事業の主体はおもに集落を単位とする営農集団であったが、老人会、婦人会等の集落内の組織とともに、町、農業改良普及センター、農協、都市の消費者グループ等の協力と支援のもとに事業が行われた。事業の内容は、必須事業とメニュー事業とに区分され、必須事業には市町村および地元の保存組織の育成が、またメニュー事業には景観に配慮した基盤整備、農作業の省力化機械施設整備、定住環境整備、都市との交流施設整備、都市との交流促進事業などが含まれていた。したがって、地区ごとに選択したメニュー事業によって事業内容には多少ばらつきがあったが、耕作道・水路等基盤整備、省力化機械の導入、田植え・稲刈りの体験などの都市との交流活動が主であった。2.岡山県における棚田保全事業の評価一久米南町北庄地区を事例に久米南町北庄地区は、岡山県のほぼ中央にある久米南町の最北端に位置し、標高300_-_400mの扇状に山間棚田が開けている地域である。北庄中央集落を中心として24戸で構成された「北庄中央棚田天然米生産組合」が主体となり、1994年から1999年まで棚田保全事業が行なわれた。主な事業内容は、ソフト事業として栽培技術講習会等の保全組織の育成、小学生の田植え・稲刈り体験行事、棚田まつり・収穫感謝祭等の都市との交流活動、ハード事業としては耕作道と水路の整備、省力化のための農業機械の導入、そして苗や堆肥の購入等で構成された。事業費の内訳をみると、ハード事業の割合が約8割で、ソフト事業は約2割であった。また、この地区では有機肥料による土作り、天日架干しを利用する栽培方法で低農薬米を生産し、農協を通じて販売している。 北庄地区における保全事業の成果としては、所有者の高齢化にもかかわらず、耕作地面積がほとんど減少していないことや棚田での営農意欲が高まっていることが挙げられるが、何よりも組合活動を通じて集落が一つにまとまるとともに、元気を取り戻したことであろう。こうした北庄地区の棚田保全事業の成功要因としては、事業地区選定の適合性、組織(組合)の構成とリーダーの役割、事業内容と地域特性との符合性、事業内容におけるハード面とソフト面との適切な配分、住民の積極的な参加、既存組織及び機関との有機的な協力などが重要であった。
  • 松浦 旅人
    p. 11
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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     1. はじめに テフラ層序に基づいて,奥羽山脈内向町盆地(図1)に分布する中部更新統一刎層の編年を行った.また,奥羽山脈西側を限る経壇原断層,舟形断層の活動と,向町盆地,新庄盆地の中部更新統堆積盆地の形成/消滅との関係について考察した. 奥羽山脈は,第四紀において山脈縁辺を逆断層で限られたpop-up構造で隆起してきた(佐藤・平田 2000).しかし,一刎層のような盆地埋積層の存在に示される堆積盆地が,削剥域である山脈内に形成された要因は明らかにされていない. 2. テフラと河成段丘面との層位関係   河成段丘面の編年に関わる4枚のテフラを確認した.下位から法田テフラ(Hdn:新称),鬼首池月テフラ(O-Ik:早田 1989),下山里テフラ(Sm:早田 1989),毒沢テフラ(Dks:松浦 2000)で,O-Ik,Smは火砕流堆積物を主体とし,盆地内に厚く分布する(八木・早田 2002). 河成段丘面は,高位からHill top面群,H面,M面,LH面,LL面群に区分される.Hill top面群は一刎層堆積面を含み,Hdn, O-Ik(ca.300ka)に覆われることより,一刎層は300kaには堆積を終了したことが示され,新庄盆地の山屋層下部(佐藤 1986)に対比される.H面,M面は,それぞれSm以上のテフラ,Dksに覆われる. 3. 一刎層基底面と堆積面の傾斜方向の不一致   現河床の西方傾斜に対して,一刎層堆積面を含むHill top面群は西方傾斜で同調しているが,一刎層基底面は約0.76度で東方に逆傾斜している(図2).この向町盆地全体が東方へ増傾斜する構造運動は,奥羽山脈西側を限る経壇原断層の変位(後方傾斜)によるものと推定される. 4. 一刎層・下部山屋層堆積盆地の形成/消滅と経壇原断層,舟形断層の活動   経壇原断層の活動が活発な期間(300ka以前)において,断層下盤側には山屋層下部,上盤側の向町盆地周辺には一刎層堆積盆地が形成された(図3a).舟形断層が活発化した期間(300kaをやや遡る)には,新庄盆地東部-奥羽山脈西翼-向町盆地は全体的に隆起が卓越し,下部山屋層,一刎層堆積盆地はほぼ同時に消滅した(図3b).
  • -三沢川において1934年に発生した洪水を事例として-
    木村 久, 中藤 康俊
    p. 12
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1.はじめに  狭い谷間にも人家や田畑のある我が国においては、洪水の被害は避けがたい面がある。生活基盤である所有地を失うことは代替地をどうするかという問題でもあり解決までに時間を要する。一方、2000年に施行された地方分権一括法は国と地方との関係を見直し、住民に身近な行政はできるだけ地方公共団体にゆだねること、地方自治体の自律性が発揮されることなどを基本としてつくられており、土地問題にも深く関わっている。 本研究では69年前の洪水で土地が流出し、住民が旧河道地を占有し続けたにもかかわらず、2000年の同法施行まで未解決であった事例を取り上げる。 とくに次の点について検討する。・ 洪水の状況・ 住民が売却した現河道地・ 住民が購入した旧河道地・ 地方分権一括法の関わり2.対象地区の概要 岡山県川上町地頭の暮畑・成畑地区は吉備高原を流れる高梁川水系の三沢川沿いにある。この川は南から北へと流れており対象地区は狭い谷底平野上にあって右岸に集落と耕地がある。左岸は山がせまっており比高約50mの尾根が走行している。この付近の地質は地頭層とよばれる泥岩からなり、中生代の貝化石を産する。3.洪水 1934年9月21日に岡山県を直撃した室戸台風は県中北部に約300mmの降雨をもたらした。高梁川では各所で洪水が発生した。対象地区では左岸の斜面が崩壊し、土砂は三沢川を埋め右岸の山裾まで達した。このとき形成された天然ダムは、水位を基に推定したところ堰き止め高5.3m、堰き止め幅106m、堰き止め長70mであった。この値から、貯留した水の湛水高は5.3m以下、湛水面積14,830平方m以下、湛水量26,200立方m以下であったものと推定された。 堰き止めた土砂は3日後に除去されたが、耕地であった所に新しい流路が刻まれた。土地を失った住民は埋積した旧河道上を占有して耕作や牛の飼育を行った。4.代替地を得るまでの過程 使用不能となった所有地を手放し、代わりに占有し続けている旧河道地を国から譲与してもらいたいとの住民の要望は1988年頃からしだいに強まった。それには土地登記ができない、護岸工事ができないなどの理由があった。このため町は国へ願い出たが事態は進展しなかった。 1993年、国会で地方分権の推進に関する決議がなされた。これに先だって町は測量を開始するなど動きを本格化させた。そして1999年、町は所有者から現河道を50円/平方mで買い上げて同法施行に備えた。 2000年4月に施行された同法により国有財産特別措置法が一部改正され、法定外公共物(里道、水路など)の自治体への譲与が促進された。これを適用することで旧河道は町の財産に組み入れることができた(2001年)。そして現に住民に利用されている部分は町から住民へ50円/平方mで売却され代替地を得ることができた。現在、土地登記は既に終了し護岸工事が進行中である。5.まとめ 長期間を要した問題であったが同法の適用により解決した。 対象が国有財産であるため譲与が困難であろうと見込まれた場合、自治体は譲与申請をためらうこともあるといわれる。今回の国有財産特別措置法の改正では申請期限が2005年までとなっている。期限後も住民の実状に即した法の整備と運用の行われることが望まれる。
  • 地域言語の展開にみるアルザス地方
    三木 一彦
    p. 13
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1 はじめに 言語は、一般に近代国民国家の重要な統合原理となってきた。しかし、西ヨーロッパを二分するラテン(ロマンス)系言語とゲルマン系言語の境界線は、必ずしも国境とは一致しておらず、ベルギーとスイスはこれら両系統の言語をあわせもつ多言語国家である。ここでとりあげるアルザス地方は、今日、政治的にはフランスに属しているものの、言語的には長らくドイツ語系の地域であった。本報告は、アルザスの地域言語(以下、アルザス語とする)をめぐる諸問題を検討し、国境のもつ意味の変遷とその現状をとらえようとするものである。2 歴史的展開 神聖ローマ帝国領であったアルザスがフランス領に組み込まれたのは、三十年戦争後の1648年のことである。これ以降、公用語としてフランス語が導入され、徐々に浸透していったとはいえ、民衆の間では依然としてアルザス語が日常的な言語であった。そのことは、普仏戦争後(1871年)にアルザスがドイツ領に編入されたときの状況を描いたドーデの「最後の授業」からも読みとることができる。しかし、1918年の第一次世界大戦終結以降、ナチ統治下の数年間を除くとフランス領であり続けたアルザスでは、フランスの中央集権的な政策と相まって、大半の住民の日常言語がフランス語となり、アルザス語の地位は相対的に低下してきている。とくに、第二次世界大戦後は、ナチ統治への反動もあって、フランス語を重視する傾向が強まった。3 現状と展望 こうした中、アルザスの地域文化を見直し、フランス語とアルザス語の二言語併用を目指す動きが、学校教育やマスメディアなど、さまざまな場で広まりつつある。近年、アルザスの中心都市であるストラスブールに開通した路面電車の駅名には、一部でアルザス語とフランス語の二言語併記が採用されている。また、アルザス語の普及活動を行なう拠点として、アルザス言語・文化事務所(略称OLCA)といった機関も設立されている。 正六角形になぞらえられるフランスの国土は、おおよそその各頂点に固有の地域言語をかかえている。そして、近年、アルザスのみならず、各地で地域言語が見直されてきている。そうした流れをうけて、フランスの国立統計経済研究所(略称INSEE)は、1999年に全フランスの38万人を対象に、地域言語の使用状況に関する調査を行なった。その結果、アルザスにおける地域言語使用が、地域言語が存在する他の地方(ブルターニュやバスクなど)よりも比較的盛んであることが指摘されている。その一因として、EU統合にともなうドイツ側との交流の進展をあげることができよう。つまり、国境のもつ性格の変化が、アルザス語の運命に影響を与えているといえる。 本報告では、INSEEの調査結果などを用いつつ、アルザスにおける地域言語の現状について、フランスの他の地域言語とも比較しながら述べていきたい。
  • 岡田  登
    p. 14
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1.研究目的 発表者は以前,利根川中流域を研究対象地域として,その地域内に存在する野菜生産形態の地域的差異の要因を解明し,野菜生産地域の発展過程を求めた(岡田,2002)。その結果,利根川中流域ではとくに農協や農業研究会,県の営農指導のもとに,農家が地域ごとに栽培作物や栽培技術を導入してきたことによって,野菜生産地域が分化してきたことが明らかになった。しかし,わが国の野菜生産地域にはその地域内で栽培される作物に,ほとんど違いがみられない野菜生産地域も存在している。そこで本研究では関東地方の野菜生産地域において,地域内で栽培されている作物がほぼ同一である下総台地の野菜生産地域を取り上げ,この地域内において野菜生産形態の地域的差異を確認してその要因を解明し,野菜生産地域の発展過程を明らかにする。2.野菜の共販地域の拡大 下総台地の野菜生産地域においては1940年代まで,農家は栽培した野菜をおもに仲買人へ直接的に販売してきた。1950年代になると,八街市・富里市・山武町では農家は集落単位で組織される出荷組合により野菜の共販を行なうようになってきた。1960年代にはこれら3市町合わせておよそ40ほどの出荷組合が存在しており,ほとんどの農家が出荷組合により共販していた。その後,農協の合併にともない農家は出荷組合による野菜の共販から,徐々に農協による共販へと出荷形態を移行してきた。一方,芝山町では1953年に丸朝園芸農協が設立され,農家は仲買人への直接的な販売から,徐々に丸朝園芸農協による共販へと出荷形態を移行してきた。このように野菜の共販地域が拡大してきたことが,野菜生産地域の統合要因の一つである。3.野菜の共販地域と生産形態 下総台地の野菜生産地域では八街市・富里市・山武町・芝山町においてとくに野菜生産が盛んである。これら4市町における野菜の生産形態をみよう。八街市では農家により栽培された野菜の約75%が旧八街市農協の範囲で共販されている。そのうちスイカ以外のほとんどの野菜はいんば農業共同組合のグリーンやちまた集選果場を通じて共販されている。富里市では栽培されたほとんどの野菜が富里市農協により共販されている。山武町の睦岡地区と日向地区ではニンジンとトウモロコシは山武郡市農協により共販されており,それ以外の野菜は山武郡市農協の睦岡支所と日向支所でそれぞれ共販されている。芝山町では栽培された野菜の約70%が丸朝園芸農協により共販されている。農協により共販されていない野菜については,八街市・富里市・山武町では集落単位で存在する出荷組合や丸朝園芸農協による共販,農家による生協との契約栽培,農家による市場や仲買業者への直接販売などが行なわれている。芝山町では山武郡市農協またはその各支所や出荷組合による共販,農家による生協との契約栽培,農家による市場や仲買業者への直接販売などが行なわれている。 すなわち,下総台地の野菜生産地域では農家により栽培されたほとんどの野菜が農協またはその支所ごとに共販されている。そのため,農家は農協により決められた品種や出荷時期で野菜の共販を行なっている。さらに,この野菜生産地域では農家はおもにスイカ・ニンジン・トマトを生産しており,4市町ともに農家はほとんど同様な生産形態である。<参考文献>岡田 登(2002):利根川中流域における野菜 生産形態の地域的性格.日本地理学会発表要 旨集,61,163.
  • 佐藤 尚毅, 高橋 正明
    p. 15
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    \Section{I\hspace{1em}は じ め に}近年では東京の都心では夏季に都市型豪雨が多発しており、ヒートアイランドとの関連に注目が集まっている。都市型豪雨は、関東地方に北東風の入りやすい気圧配置の日に発生しやすいことが明らかになりつつあるが、一方でこれまでの関東平野におけるヒートアイランドに関する数値実験においては静穏時や気候場を対象として行われたものが多い。北東風の入りやすい気圧配置の際には、大規模場が気候平均に近い場合とは異なり広域海風は生じにくく、東京湾や相模湾からの海風は内陸部までは進入しないことが多い。本研究では、こうした循環場においてヒートアイランドに対する海風循環の力学的な応答を数値実験によって評価し、気候場に近い南西風基本場のもとで広域海風が生じている場合の結果と比較する。\Section{II\hspace{1em}数値実験}ここではブシネスク方程式系に静水圧平衡を仮定した数値モデルを用いる。領域は東京を中心とした400km四方とし、現実の地形を考慮に入れる。水平格子間隔は5\,kmである。基本場における気圧勾配は地衡風の形で与える。地表面境界条件を国土数値情報の土地利用データをもとに与えた実験を標準実験として行い、都市域を田畑に置き換えた場合の結果と比較する。積分は適当な初期状態を設定して7時から行う。100\,mm/h近くに達するような降水系を再現することは困難なので、雲物理は考慮せず、積雲対流のきっかけになりうる境界層上端付近での上昇流の強さに注目する。基本場として与える地衡風は地表で弱い北東風とする。標準実験で再現された午後から夕方にかけての地上風、地上気温の分布は該当日のAMeDASによる平均的な観測結果と類似している(図は省略)。豪雨をもたらす積乱雲が発達を始める時間帯として13時から19時における高度1000\,mでの上昇流の最大値を各格子点ごとに求め図1に点線で示す。都心の北から北西にかけての領域で強い上昇流が見られる。次に都市域を田畑に置き換えて実験を行った。この場合の上昇流の最大値を図1に実線で示す。都心周辺では上昇流はあまり強くない。近年多発している実際の都市型豪雨の事例においては、豪雨をもたらす積雲対流は都心の北西で発生して南東方向に進む事例も多い。都市化した場合に都心の北西で上昇流が強化されるという数値実験の結果は、定性的ながら、こうした観測事実と整合する。基本場を気候平均に対応して南西風とした場合には、広域海陸風が再現されるが、都市化しても上昇流に大きな変化は生じない(図は省略)。ヒートアイランドによる上昇流の強化は、基本場に対応して決まる海風循環の形に強く依存しているといえる。
  • 成瀬 敏郎
    p. 16
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1.はじめに中国地方には、毎年のように中国内陸沙漠から風成塵が飛来し、兵庫県中央部では年間約4トン/haが降っている。風成塵は春先から初夏にかけて多く飛来するだけでなく、冬季にも雪に混じって降るので、窓ガラスが汚れたり、雪が黄色に染まることもある。最終氷期には完新世よりも数倍も多い風成塵が堆積した中国地方において、倉林(1972)は、大山火山灰に含まれる2:1鉱物が風成塵として混入したものと考え、成瀬・井上(1983)・井上・成瀬(1990)は、日本海沿岸に発達する古砂丘に埋没するシルト層が風成塵を主母材としたものであること、更新世の古土壌にも風成塵が多量に混入していることを示唆した。2.風成塵堆積層(レス) 中・四国地方には、風成塵堆積層(レス)が各地で確認され、更新世段丘上、古砂丘中、大山や三瓶起源の火山灰層の間にも堆積している。その多くは現地物質と混合しているが、石灰岩台地上や玄武岩台上などでは現地物質との混合比の少ない風成塵層が見られる。こうした風成塵は、微細石英のESR信号強度から、MIS 2には、瀬戸内海以北の地域にアジア大陸北部先カンブリア紀岩地域から北西季節風によって運ばれた風成塵が、瀬戸内海以南にはゴビ、タクラマカンといった中国内陸沙漠から偏西風によって運ばれた風成塵が堆積した。完新世には全域が後者の地域から運ばれるようになった(Toyoda & Naruse,2002) 。 中国地方に分布する完新世黒ボク土は、三瓶山と大山周辺にアロフェン質黒ボク土が分布する以外は、非アロフェン質黒ボク土が広域に分布している(井上,1981;松山・三枝,1994)。これは風成塵の混入が多く、火山灰の風化により供給されるアルミニウム量が少ないためである。3.泥炭地に堆積する風成塵と流水物質 田中・野村(1992)をはじめ、彼らによる一連の研究によって、中国山地では寒冷期に麓屑面物質が多く堆積し、その編年が明らかにされている。中国山地の東端にある兵庫県黒井盆地(稲津,2002)では、最終氷期のハインリッヒイベントのような寒冷期に風成塵が多く堆積し、この直後に粗粒の流水物質が増加した。岡山県細池湿原(鈴木,2003)では3万年前以降、Is-4_から_Is-1に背後山地からの粗粒な流水物質が増加した。すなわち、氷期のモンスーン変動を泥炭中の無機物量や粒度組成の変動から読み取ることができる。4.風成塵の堆積からみた古環境変動 最終氷期には、アジア大陸から飛来した風成塵が山地斜面、平坦面、古砂丘、火山灰層上に堆積し、風成塵層レスを形成した。とくに寒冷なMIS 2には先カンブリア紀岩地域から運ばれた風成塵が瀬戸内海以北に堆積し、MIS 1には中国内陸沙漠から運ばれた風成塵が全域に堆積し、両時期におけるポーラーフロントの位置と北上時期を復元することができる。また、最終氷期以降のモンスーン変動を山地からの流水物質と大陸からの風成塵の堆積状況を分析することによって復元可能である。引用文献稲津寛子(2002) 兵庫教育大学卒業論文. .井上克弘(1981)ペドロジスト25. 井上・成瀬(1990)第四紀研究29. 倉林三郎(1972)地質学雑誌78. 松山信彦・三枝正彦(1994)ペドロジスト 38. 成瀬・井上(1990)地学雑誌92. 鈴木信之(2003)兵庫教育大学修士論文. 田中真吾・野村亮太郎(1992) 地理学評論65. Toyoda, S. & Naruse, T. (2002) 地形23.  
  • 淺野 敏久
    p. 17
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに この報告はシンポジウム(瀬戸内海における「観光環境」の維持と再生)における報告のひとつである。本報告の趣旨は,環境教育のフィールドとして瀬戸内海はどのように利用されているのか,あるいはどのような利用可能性があるのかについて,いくつかの調査結果等を紹介しつつ検討し,シンポジウムにおける話題提供を行うことである。このシンポジウムのタイトルと環境教育は直接結びつかないが,テーマを「持続可能な地域づくりのひとつの方向として観光をとらえ,この意味での観光が成立する環境の維持と再生について考えること」と読み替えれば,環境保全はそもそもの前提となり,環境教育は観光アクティビティのメニューとして重要なキーワードになる。2.瀬戸内海の環境保全における環境教育の位置づけ 環境教育が何を目指すのかという理念は,実際の現場でどの程度意識され,また尊重されているのだろうか。一方,瀬戸内海では,戦後並びに高度成長期の急速な環境悪化に直面し制定された瀬戸内海環境保全特別措置法において,環境教育・環境学習が環境対策の柱のひとつとしてうたわれている。瀬戸内海の観光環境を検討する前に,そもそも,その前提といえる環境保全と環境教育は瀬戸内地域においてどのような実践状況にあるのだろうか。3.市町村の取り組みの現状 その第一歩として沿岸市町村を対象としたアンケート調査を実施した。回収状況が悪く,おおまかな傾向を把握するにとどまってしまったが,報告ではその内容を紹介する。一言でいうなら,現場で行われていることは環境教育の理念に示される達成目標からはほど遠いところにあるということである。4.いくつかの事例紹介と今後の課題 次に事例として広島県の宮島と三原市,香川県の豊島・直島の取り組みについて紹介する。各事例間に関連はなく,報告者がたまたま知り得た範囲での事例である。 これらの事例を導入として,ヒューマンスケールからみれば広すぎる「瀬戸内海」をひとつの存在としてとらえた環境保全や環境教育,あるいは観光環境の維持・再生を実現していくために,何が必要なのかという課題について話題提供する。
  • 貞方 昇
    p. 18
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    完新世末の約2千年間、とくに鉄器を伴う稲作が導入されて以後、日本列島では時代を追うにつれ、地形形成に関与する人為的な影響が強まった。とりわけ、ここで扱う中国地方では、デルタ発達にせよ、砂丘発達にせよ、そうした人為的要素を抜きに地形発達史を語り終えることはできないといってよいように思われる。人為関与地形の意義は、未だ体系づけて紹介できる段階には至っていないが、ここでは幾つかの注目に値するであろう人為的要因とその事例を提供したい。1.条里地割施行後の河道固定 山地の占める面積が多い中国地方にあっても、比較的に大きな河川下流には、瀬戸内海に面する岡山平野、広島平野、また日本海側の宍道低地帯に位置する出雲平野、鳥取平野など、まとまった平野が分布する。それらの平野はいうまでもなく、完新世海面高頂期以来の海面微変動や地殻変動と呼応して形成された結果、現成の沖積平野の中にも氾濫を受けにくい場所が形成され、それらが条里地割の施行対象地、あるいは残存地となった。そのような場所では、地割とともに、河道の固定化も進められ、その後の平野形成が人為的に制御されることとなった。たとえば、山口盆地の一角を占める大内地区には長軸をわずかにずらす二種の地割りが確認され、その地割の維持、すなわち農地保全のために、仁保川は、最終的にほぼ直線的な西向きの流れに変えられることとなった。そのような河道整備は、条里地割の施行後、徐々に進められ、江戸期後半になってようやく、現在の姿を取るようになるものの、旧河道や沖積平野内の微起伏からみて、きわめて不自然な地形である。岡山平野の総社周辺、米子平野の日野川扇状地などでも、人為的な河道固定が進んだことが伺える。河道固定は、河川堆積物の氾濫原への拡散を阻害するため、場所によっては天井川化を進めることとなった。この意味でも河道固定は、中国地方の平野地形形成を特徴づける現象の一つといえよう。2..鉄穴(かんな)流しによる山地の地形改変と平野発達 中世末頃に始まった大がかりな砂鉄採取法である鉄穴流しは、中国脊梁山地一帯で、場所により大規模な人為的地形改変を生じることとなった。厚さ数メートルから十数メートルに及ぶ深層風化した花崗岩類を堀崩し、水路中の比重選鉱で砂鉄を採取するこの技法は、結果として、一部山地の大規模改変とともに大量の土砂流下による平野地形の拡大を招くこととなった。その影響は、斐伊川下流の出雲平野、日野川下流の弓が浜半島「外浜」、高梁川下流の岡山平野西部(倉敷、水島)などに顕著である。この他、例えば、鳥取県天神川下流平野の北条砂丘などでも、最上流での鉄穴流しの影響により、花崗岩類砂からなる海岸線に平行する二列の砂丘が、完新世後半に形成された斜行列砂丘の北側に付加するなど、おそらく中国地方の沿岸各地で、様々な影響を残しているものとみられる。3.干拓地の造成による三角州の拡大 周知のように、とくに幕藩体制初期に各藩がこぞって海岸平野や沼沢地の新田開発を開始したことはよく知られている。干満の差が大きく、デルタの潮間帯が広い瀬戸内海沿岸諸地域では、岡山平野、広島平野を始め、各地で活発に干拓が行われた。そのような数ある例の一つである山口県の防府平野は、昭和期にまで至る干拓事業の結果、本来の三角州と比較してその平野面積は倍増した。干拓という人為的な作業を無視しては、もとより狭い面積しか持たない中国地方の沖積平野形成を語ることはできない。4.今後に検討されるべき課題 上述の人為的地形形成要因は、歴史地理学や史学の分野では、その意義が歴史的な文脈の中で論じられ、位置づけられているが、地形学的、あるいは第四紀学的には必ずしも適切な評価を受けているとは限らない。たとえば、河道の人為的固定化の営みが氾濫原形成にどのような歪みを与えることになるのか、また流送土砂はどのような影響を下流に与えたのか、鉄穴流しによる人為的影響は沖積層の層序の中でどのように識別され、評価されるのか、現在の中国地方沿岸の海岸浸食とどう関係づくのか、つかないのか、干拓対象地の拡大の背後には、山地部の鉄穴流しのみならず、多様な人為的な環境改変の影響があったのか、無かったのかなど、今後に残された課題は多い。
  • 濱田 浩美, 真砂 佳菜子
    p. 19
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1.研究地域の概要 日光国立公園内にある日光白根山五色沼は、北緯36度48分5秒、東経139度23分5秒に位置する湖沼である。栃木県日光市と群馬県片品村の県境付近にあり、日光火山群の最高峰といわれる日光白根山の東北東1kmに位置し、白根山の火成作用によって形成された日光火山群唯一の火口湖で、湖水面標高は2170mである。五色沼は西南西に位置する白根山の火成作用によって形成された日光火山群唯一の火口湖である。冬季は完全結氷し、2001年11月下旬の調査において氷の厚さは13cm、2002年11月末では18cmであった。 蓼ノ湖は湯ノ湖の北東1km位置し、温泉ヶ岳(2333m)と三岳(1945m)の山体に囲まれる閉塞湖である。同湖は三岳の溶岩流によって堰き止められた堰止湖で、湖水面標高は1525mである。2. 研究目的 五色沼に関する調査は、日光地域の一湖沼として観測された研究が数編報告されている。宮地・星野(1935)は氷殻下における水温・pH・溶存酸素量・溶存酸素飽和度を測定し、1979年7月に小林純ら(1985)が、湖心部における水温・電気伝導度・pHの測定および19項目の水質分析を行った。水質は無機化学成分の濃度が非常に希薄で、清澄な水であったと報告している。しかし、今までに日光白根山五色沼に関する継続的な調査は行われておらず、水温・水質の鉛直分布の測定、湖盆図さえ報告されていない。また、蓼ノ湖に関する研究はほとんど報告されていない。 五色沼・蓼ノ湖は閉塞湖であり、水位を安定に保とうとする自己調節機能をもっているが、水温・水質の季節変化と同様に明らかにされていない。そこで本研究では、日光白根山五色沼および蓼ノ湖において、水位変動および水温変化を観測し、湖水の主要イオン濃度の分析を行うとともに、光波測量および平板測量を行い、正確な湖盆図を作成した。これらの観測結果から、閉塞湖における水温・水質の季節変化および水収支を明らかにした。3. 研究方法a.現地調査 五色沼における現地調査は2001年11月21日,2002年5月19日,6月8日,8月28日,10月5日,11月27日の計6回行った。観測は全て湖心部において行い、採水は1mまたは0.5mおきに行った。水温および水位の連続観測は、2002年5月19日よりデータロガーを設置し、記録を開始した。湖の北側湖岸の1地点に(株)コーナーシステム製の水圧式自記水位計(KADEC-MIZU)を設置した。 蓼ノ湖における現地調査は2000年11月、2001年2月、4月、5月、7月、10月の計6回実施した。各調査では、湖心部、流入、流出の各地点および湖岸の1ヶ所でのpH、電気伝導度、溶存酸素量、水温、透明度測定、採水を行った。b.室内分析 採水して持ち帰った湖水は、後日実験室にて、主要イオン(Na+,K+,Mg2+,Ca2+,Cl-,NO3-,SO42-)濃度の分析とpH4.8アルカリ度の測定を行った。4. 結果・考察4-1 五色沼a.水温・水質の季節変化 五色沼が水深5m弱と浅く、光が湖底に達している。夏季の成層は極めて小さいことがわかったが、透明度は最大水深より大きく、水体および湖底全体が受熱していると考えられる。冬季は逆列成層が形成されていた。b.主要イオン濃度分析 年間を通して、湖水の主要イオン濃度は極めて希薄であり、雨水に近い値を示した。白根山は休火山であるにもかかわらず、硫酸イオンや塩化物イオンは低濃度を示しており、火山性の影響が認められなかった。
  • アルザス地域における多国籍企業の立地展開と地域経済
    平 篤志
    p. 20
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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     本稿の目的は,フランス・ドイツ・スイス国境地帯に位置するアルザス地域における多国籍企業の立地展開の特徴を地域経済の動向と関連づけながら解明することである.まず,当該地域における多国籍企業の立地パターンと属性について説明し,次に多国籍企業による直接投資と当該地域の社会経済的変化との関係について分析を試みる.研究方法として,既存の資料・文献類を分析したほか,聞き取り調査と資料収集を中心とした現地調査を2002年7月に実施した. アルザス地域は,西側で接するロレーヌ地域とともに,古くから交通・交易の要衝であり,また近代工業の成長とともにカリに代表される地下資源の存在が注目されるにおよび,過去において仏独間で当該地域獲得のための戦争が繰り返されてきたところである.アルザス地域は,農畜産物によっても知られるが,18世紀にヴォージュ地方で興った綿工業が端緒となり,フランス有数の繊維工業地帯となった.さらに,ライン川沿岸には,金属,化学,機械,電機などの工業が立地し,製造業は今日においても地域経済の中で重要な地位を占めている.アルザス地域は現在,EU統合が進行する中,EU中軸地帯としての地理的位置を獲得し,国境を接するドイツ・スイス側地域との連携を強めながらさらなる発展を目指している. アルザス地域のこのような地理的位置と工業的基礎および高水準の労働力の存在は,多くの多国籍企業の立地をもたらした.当該地域における多国籍企業の立地は,1950年代のドイツ系企業に始まる.1999年時点において,当該地域には482社(全国比率5.3%)の多国籍企業(外資出資比率50%超)が進出している.その過半数(63%)が,ストラスブールを中心とする北部のバ・ラン県に立地している.業種別にみると,機械および化学工業を主体とする製造業が直接投資の中心であるが,サービス業に従事する多国籍企業も増加しつつある. これら多国籍企業は,地域内の雇用創出に貢献している.多国籍企業の全従業員数は,アルザス地域の民間企業従業員総数の4割を超え,雇用創出数ではフランス国内地域別で第3位である.多国籍企業の中では,EU系の,中でもドイツ系企業が多くの労働者(2.2万人,39%)を雇用している.つづいて,アメリカ合衆国系企業(1.4万人),そしてスイス系企業(8,000人)が重要な雇用者である.日系企業は,自動車,電気機器関連の企業が進出しており,全体の雇用者数は約3,000人である. アルザス地域のこれからの課題は,国境をまたいだドイツおよびスイスの周辺地域との連携をさらに密接なものとしつつ,EU圏外からも外資導入を積極的に進めながら,EU中軸地帯に位置する地理的優位性を最大限に生かした成長戦略を策定し,実行に移していくことである.
  • 植田 宏昭, 釜堀 弘隆, 山崎 信雄
    p. 21
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1. はじめにアジアモンスーンエネルギー・水循環研究観測計画 (GAME)強化観測が、1998年夏季モンスーン期に行われた。これらのデータを基に気象庁気象研究所においてGAME再解析(4次元同化)データが作成された。本研究ではGAME再解析プロダクトVer. 1を用いてチベット高原上における1998年5月から8月までの熱・水収支解析を行った.使用したモデルの空間解像度はT213L30(水平解像度640×320格子,鉛直30層)である.アジア域はチベット高原を含むので,η面(σ-pハイブリッド座標系)での解析を行った.計算には00UTCと12UTCを初期値とした24時間予報値(18_から_24時間平均)の水平風2成分(u, v),温度(T),比湿(q),表面気圧(Ps),短波・長波加熱率(QR)を使用した.2. 計算スキームη面での熱・水収支は以下の式で表される.正(負)のQ1は見掛け上の加熱(冷却),正(負)のQ2は見掛け上の凝結(蒸発)を示す.鉛直流による移流は新たに開発した以下の式を用いて計算を行った.またQRを用いる事により鉛直渦熱輸送フラックスが算定される. 3. チベット高原上での熱・水収支これまでプレモンスーン期のチベット高原上の加熱は、主に地表付近の顕熱加熱が乾燥熱対流によって対流圏の中・上層へ運ばれるとする見方が提出されてきた(Yanai and Li, 1994)。図1を見ると、西チベット(60_から_80E)では対流圏の上部まで正のQ1(_から_2℃/day)が存在しており、下層に正のQ2を伴っている。即ち対流活動に伴う凝結熱加熱が存在している。このことは、プレモンスーン期のチベット高原(特に西部)の加熱が「hybrid nature of メwetモ and メdryモ process」であることを示唆している。 4. まとめと課題今回紹介した研究は、プレモンスーン期の大気加熱に関し、季節変化の視点から従来とはやや異なる見方を提供している。モンスーンの成立過程において、チベット高原の大気加熱が重要なのか、それとも東南アジアを中心とする熱帯の対流活動がより本質的なのか、さらには夏のモンスーンの年々変動に対しての陸面過程と熱帯の大気海洋相互作用の役割など、今後の更なる研究が待たれる。 図.1 1998年5月の30-40NでのQ1, Q2分布。正のQ2は凝結に関連した水蒸気減少を示す。参考文献谷田貝亜紀代, 山崎信雄, 釜堀弘隆, 高橋清利, 植田宏昭, 青梨和正, 隈健一, 竹内義明, 多田英夫, 2000: GAME再解析について, 水文・水資源学会誌, 13, 486-495.山崎信雄, 釜堀弘隆 谷田貝亜紀代, 高橋清利, 植田宏昭, 青梨和正, 隈健一, 竹内義明 多田英夫, 福富慶樹 五十嵐弘道, 藤波初木, 梶川義幸, 2001:GAME再解析データの公開, 天気, 48, 45-49.Ueda, H., H. Kamahori and N. Yamazaki, 2003: Seasonal contrasting features of heat and moisture budgets between the eastern and western Tibetan plateau during the GAME IOP. J. Climate, 16, 2309-2324 .
  • 植田 宏昭, 堀 正岳, 野原 大輔
    p. 22
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1. はじめに筑波山麓の平野部に強い逆転層が発達することは、山岳斜面の海抜100_から_300m付近の日最低気温が、麓より高温となることで知られていた。この温暖な気候を利用し、筑波山の西側斜面では古くはからフクレみかんの栽培が行われ、昭和30年代からは茨城県・水戸測候所などの観測結果(郡司1958)に基づき、観光みかん園の開設などを含む本格的なみかん栽培が始まった。1980年代は筑波大を中心とした研究グループ(吉野1982, 小林・腰塚1983など)によって筑波山域の地上気象要素の観測が精力的に行われた。本観測では斜面温暖帯の3次元構造とその成因を明らかにするとともに、農業や観光などの地場産業との連携を深め、大学における研究成果の社会還元を目的としている。2. 観測本観測は2002年の12月19日15時から20日0 8時にかけて筑波山の西側斜面にて行った。観測当日は20日の午前3時頃から急速に天気が回復し、快晴となった。アメダスの解析から、周辺域はで風速が1ms-1以下の比較的静穏な状況であった。水平方向の温度構造を捉えるため、温度ロガーを9カ所に配置し(図1の黒丸)、2002年の11月3日から10分おきに計測を行った(図2)。桜川でパイロットバルーンによる上層風の観測を行うとともに、桜川(20m)、つくし湖(75m)、光農園(145m)において、繋留気球による気温の鉛直プロファイル(図3)を1時間間隔で測定した。3. 結果 図1は12月20日04-05時(JST)の1時間平均の気温(1.5m)の水平分布を示す。高度200から250m付近に極大が見られ、比較的温度の高い層は筑波山の上部まで広がっている。図2は3地点における気温の時系列を示す。桜川と光農園の温度差は午前3時頃までは小さいが、朝方にかけて再下部の桜川では放射冷却によって急激に温度が下がっている。一方、つくし湖や光農園では桜川のような急激な温度低下は生じておらず、観測期間中には氷点下に至っていない。図3は繋留気球より得られた午前7時の気温の鉛直プロファイルを示す。桜川では強い接地逆転が生じており、つくし湖でも逆転層の形成が見られる。興味深いことに光農園では下層の大気は高度35m付近まで4.5℃前後となっており、桜川との温度差は5℃に達している。 学会当日はサーモグラフィーの映像および、パイバルによる上層風の観測結果や、アメダス等の解析結果も合わせて紹介する。4. 謝辞観測にあたり、酒寄観光みかん組合、同飼料作物生産組合より観測用地の整備等にご協力いただいた。また関連自治体のご理解無くしては観測が行えなかった事を特記する。本研究を進めるにあたり国立環境研究所の田中博春氏、同早崎将光氏には適切なご助言をいただいた。最後に、筑波大学自然学類学群生19名、修士課程環境科学研究科学生7名が観測を分担したことを付記する。 図1. 2002年12月20日04-05時の気温分布. 図2. 3地点における12月20日00時から10時までの気温の時間変化図3. 3地点における12月20日07時の気温の鉛直プロファイル.参考文献Ueda, H., M. Hori, D. Nohara, 2003: Observational Study of the Thermal Belt on Mt. Tsukuba. J. Meteor. Soc. Japan, (in press).
  • 劉 晨
    p. 23
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1. はじめに中国では、1958年に発表された「中華人民共和国戸口(戸籍)登記条例」以来、農村から都市への移動は厳しく制限されてきた。その後、“改革・開放”政策(1978年)の実施、人民公社の崩壊(1982年)、戸籍制度の緩和(1984年)などにより、余剰労働力が顕在化した農村地域から労働力不足の都市地域へ人が流れ込むようになった。第三、四回人口センサスによると、移動人口は1982年の657万人から1990年の2135万人まで、3.25倍に増加していた。本研究では人口移動の実態を解明する最初の一歩として、人口移動に関するデータベースを県単位で整備するとともに、1985_から_1990年における人口の移入・移出の空間分布を把握する。また、省内・省間及び遷移((戸籍の移動を伴う移動)・流動(戸籍の移動を伴わない移動)別の移動者特性、移入数及び空間分布を県レベルで明らかにし、さらに、人口移動の要因を解明することを目的とする。2. 研究の流れ研究の流れを図1に示す。3. 結果中国国内では1985_から_1990年の5年間の移動率は3.18%であった。中国政府の三大直轄市である北京市、天津市、上海市の市区や主要な工業都市である武漢市、成都市、重慶市や“改革・開放”が進んだ広東省の深圳市、広州市、宝安県、東莞市などが、その主な目的地であり、出発地はその周辺に分布する(図2)。また、省内移入は省間移入より多く、総移入者数の7割弱を占めた。流入者数は遷入者数より下回るものの、総移入者数の半数弱を占めた。省間移入は、北京市、天津市、沿海部に位置する珠州デルタ、長江デルタ、山東半島、遼東半島に多く見られる。一方内陸の主要大都市や、工業地域、“改革・開放”主要地域、鉱区などでは主に省内の人口を吸収する。さらに、流動者では、出稼ぎのため、経済発展の高い地域あるいは経済発展見込みの高い地域へ加工業や、建築業や製造業などの工場に従事する労働者が最も多く、遷移者では、上級行政区大学・専門学校へ進学する学生、あるいは、上級行政区への転職者が多い。なお、移入量はGDPとの相関係数は0.81であり(図3)、地域の経済力に大きく左右され、国の政策などにも影響されていることがわかった。4. 考察現在の戸籍制度が存続する限り、遷移人口の変化は少ないと思われるが、流動人口は経済の発展により年々増加していくであろう。第五回人口センサス(未公表)などの最新データによる人口移動の現状及び変化などの把握、モデル構築による人口移動の将来予測などの研究を今後の課題にしたい。
  • 高知県馬路村の事例
    篠原 重則
    p. 24
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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  • 秋山 道雄
    p. 25
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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     環境や地域の再生を考察する場合には、再生を要する問題の性格を把握しておく必要がある。本発表では、環境劣化を地域問題のひとつとみなし、これまで地理学研究のなかで進められてきた地域政策研究との接合を目ざす。その際、キーとなるのが環境計画である。これは従来、環境政策のなかで扱われることが多かったが、その内容は地域政策と重なる部分が多い。環境計画の策定過程・内容・実施過程に関する比較研究を行うことで、この課題に接近する。
  • 後藤 秀昭, 渡辺 満久
    p. 26
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1.はしがき 北上低地西縁断層帯は,北上低地と西側の奥羽山脈を境する山麓線に沿って発達しており,延長60kmに達する東北日本の主要な逆断層帯である。断層帯の活動性を評価するためにこれまでに数多くのトレンチ調査が行われ,最新の活動は4000_から_4500年前にあったことが明らかにされている(渡辺ほか,1994;粟田ほか1988;岩手県,1998)。これらの調査結果を受けて,2001年6月に地震調査推進本部によって地震危険度の評価が公表されたが,評価文にも付記されているように,これまでの調査で最新活動の時期が正確に捉えられているとは言いがたい。2.調査地点と研究方法 本研究では,北上低地西縁断層帯の中央部付近の上平(うわんだいら)断層群において,最新活動時期を明らかにする調査を実施した。調査地点は花巻市西方の北湯口で,渡辺ほか(1994)や岩手県(1988)が調査対象とした断層トレースより約150m東側に認められる沖積扇状地面上の撓曲崖(宮内ほか,2002)である。この撓曲崖は,東傾斜の沖積扇状地面を横切るように北北東_---_南南西方向に延びており,幅数10mの広い変形帯をなしている。本研究では,撓曲崖を挟んだ両側でジオスライサーを用いて地層を採取し,変形した地形面の形成年代を明らかにすることで最新活動時期を推定した。3.撓曲崖の地形・地質断面 ジオスライサーによる地層抜き取りは,撓曲崖を挟んで西側6本,東側1本の合計7本行った(図1)。得られた試料の観察から,地表面下0.6_から_1mに腐植層(Hu1層)が連続していることが明らかとなった。また,その上位には小礫_から_シルトからなる河成の堆積層が見られ,地表面直下0.2_から_0.5mに見られる人工改変層とは明瞭に区分できた。Hu1層の分布高度は,撓曲崖の地形断面とほぼ平行しており,この地形面とHu1層が受けた断層変位の回数は同じであり,少なくともHu1層より上位の地層は撓曲変形を受けた沖積扇状地面を構成する堆積物ということができる。撓曲崖の比高は1_から_2mであり,その大きさから考えて,断層変位は一回のみであると思われる。4.最新活動時期 抜き取り調査で得られた自然堆積層の堆積以降に断層活動は一回のみで,最新活動は自然堆積層から得られた最も新しい年代値以降であると考えられる。自然堆積層中から採取した腐植層や材の年代測定を実施したところ,連続する腐植層(Hu1層)からはおよそ6000yBP,その上位の河成堆積物からは3276±68yBPの年代値が得られた(図2)。このことから,調査をした断層トレースの最新活動時期は約3300年前以降であるといえる。また,このトレースでは少なくとも約3300_から_6000年前の間には断層活動はなかったものと考えられ,西側のトレースでの最新活動時(4000_から_4500年前)には活動していないことになる。5.まとめ 最新活動の時期と上下変位量についてトレース毎にまとめると,東側のトレースでは約3300年前以降で1_から_2m,西側のトレースでは約4500年前で約2mとなり,変位量に大きな差はないことが明らかとなった。これらの時期と変位量は,地震調査推進本部が評価に用いた情報とは大きく異なる。本調査地点のように,大規模なトレンチを掘削しなければ,活動時期や変位量を解明できないような幅の広い撓曲崖として認められる断層においては,微小変位地形の解析は有効な手法であると思われる。
  • 香川 貴志
    p. 27
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
    会議録・要旨集 フリー
    (要旨)千里ニュータウンにおける人口高齢化に関して、住宅の構造別・所有関係別の検討を行った。対象地区は桃山台地区で、すでに1995年までの状況は公表済みであるが、今回は2000年国勢調査の基本単位区集計を用いて、直近の様子を報告する。1995年の段階で高齢化が特に著しかった戸建住宅では、高齢人口比率が約37%にも達している。公営住宅(賃貸)でも高齢人口比率が20%を突破し、建設開始から40年以上を経過した千里ニュータウンでは、人口高齢化が本格化していると判断できる。
  • 岡山市の場合
    香川 貴志
    p. 28
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    (要旨)岡山市では、バブル期以前において都心周辺部でも分譲マンションがある程度供給されていた。しかし、1980年代末期にはバブル経済の予兆がみられ、都心部や都心周辺部の地価高騰が生じる中で、家族向けの分譲マンションは市街地周辺の農用地付近で供給され始め、都心周辺部では高額なワンルームマンションの供給が圧倒的になった。バブル崩壊後は、地価下落が進む環境の下、家族向けの分譲マンションが再び都心方向を指向し始めた。同時に市街地周辺の野応用地付近では、廉価な分譲マンションの供給が継続しており、住宅市場の多様化を見ることができる。
  • 石黒 直子, 大久保 賢治
    p. 29
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1. はじめに
    ローヌ川集水域の16%は氷河に覆われ、夏季は融氷の影響で流量が増加して濁度が高くなる。淡水湖で温濁二重拡散対流が発生するには、濁度とその粒径(沈降速度)が問題となる(Okubo et al.)。2002年夏のレマン湖でローヌ川濁水の振る舞いを観測した結果大規模な二重拡散対流(シルトフィンガー)が発生した証拠となる水温階段構造を見出した。本発表では観測結果をモデルで再現することでフィンガー領域の検証を試みる.
    2. 方法
    2002年7月31日、観測は主湖盆上流部14地点でCTD等をキャストし水温・濁度・溶存酸素・電気伝導度・クロロフィルa及びpHのプロファイルを得た(図1)。船上でリアルタイムに観測値をモニタリングし,とくに高濁度水が見られた4地点で採水し、翌日濁質量を測った。ローヌ川上流では翌8月1日に採水し同様にSS濃度を測定した。筆者らの二重拡散対流モデルを用い、河口における観測値を初期値として解析を行い、下流観測点での観測結果と照合した。
    3. 観測結果
    観測日のローヌ川流量は343m3/s、SS濃度は500mg/L程度であった。ローヌ川を流出した濁水は躍層深の変動範囲14_から_22m層に貫入し,コリオリ力の影響を受け北岸に偏り、主湖盆湖心に近いローザンヌ沖まで濁水プリュームが維持されていた。
    4. 二重拡散対流モデルの概要
    今回の観測点で最も濁度が高くピークも明瞭であったP8に関して計算を行った。モデルは50層固定で組んでおり今回はdz=1(m)とし,表層から50m深までを対象に計算した。初期値として、観測された水温分布(表層22℃、50m深7℃)を与えた。河口からP8までの4.4kmをLemmin(1998)の湖流観測値3.2cm/sで移流するのに要する40時間分を計算した。混合粒径の効果を出すため、C成分(12μm)とS成分(9μm)の2粒径を入れた。
    5. 計算結果の解釈:内部波の影響
    計算を40時間連続で行うと、濁水層厚が観測値の2倍以上厚くなる。そこで筆者らは、夏季のレマン湖躍層内で見られるケルビン波(Lemmin 1998)に着目し、内部波の通過に伴い躍層が膨れるときに濁りの低い湖水の逆貫入があると考えた。計算は2回に区切って行い(30時間と10時間)、1回目の計算結果に逆貫入の効果として水温と濁度の修正を行ってから2回目の計算を行った。これにより水温とSSが図2のように再現された。
  • 瀬戸 真之
    p. 30
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1.はじめに 足尾山地では,岩塊流など周氷河性斜面堆積物の存在が指摘されている(小疇,1977;山川,1981;田淵・原,1982;瀬戸,2001).しかしながら,凍結融解サイクルの頻度など,周氷河作用の有無や強度を推定するための基礎的なデータが少ない.そこで,斜面上の岩塊に温度センサーを設置して岩温を連続観測し,現在の凍結融解の頻度を明らかにした.また,このデータから最終氷期最寒冷期および最終氷期から後氷期に移行する時期における凍結融解の頻度を推定した.本発表では,瀬戸(2003)と同様に岩塊流を成因を暗示しない岩塊堆積地形と呼ぶ.2. 観測方法 本研究では,次の2地点で観測を行った.P1は北向きの谷壁斜面上部のトア(高さ約5m,幅約8m,奥行き約3m)である.基部には,このトアから剥離した岩塊が堆積している.尾根上の平坦部からは,約100m離れている.P2は,北向きの谷壁斜面上部に位置するトアが解体した岩塊(高さ,幅,奥行きは,各約1.5m)である.周囲には,板状の岩塊が散らばっている.尾根上の平坦部からは約10m離れている.岩温の観測には,(株)T&D製 RTA-52を使用した.センサは径2mmのサーミスタで,-20℃_から_+80℃の範囲では平均で±0.3℃の精度を持つ.サーミスタは,対象の岩石に2cm深の穴をあけ,岩粉混じりのシリコンを充填して固定した.測定間隔は30分とした.本発表で使用するデータの観測期間は,2002.11.30_から_2003.5.6である. 3. 結果と考察 最低岩温は-11.3℃(P2 1/30)で,最高岩温は,23℃(P2 5/4)であった.12月末_から_3月前半までは,P 1,2共に0℃以下である.岩温の振幅はP 2の方が大きい.観測期間中の凍結融解サイクルは,P1で33回,P2で30回であった.凍結融解サイクルが最多の時期は,3月後半で全サイクル数の半分以上が集中する.凍結破砕が最も効果的に起こるのは,-2℃_から_2℃を前後するときであり,この回数をEFTCとして数えている(Matsuoka,1990;Shiraiwa,1992).EFTCは,それぞれ,6回,2回で,3月後半に集中する.P1に比べてP2で岩温の振幅が大きいことは,相対的にP2の岩塊が暖まりやすく冷えやすいためと考えられる.これは,測定対象とした岩塊の大きさがP1と比べて小さく,尾根直下に位置するため,日射で暖められることが主な原因だと思われる.しかし,凍結融解サイクルは,P1とP2でほぼ同数で,EFTCはP1の方が多い.これは,P2では振幅は大きい反面,観測期間を通じて岩温が低いために0℃を前後する回数が少ないためである.岩温が0℃を前後し,時にはEFTCも見られ,また年周期の凍結融解サイクルが存在することから,岩塊の凍結破砕は,P 1,2ともに十分に起こると判断できる.次に,最終氷期最寒冷期および最終氷期から後氷期へ移行するある時期の凍結融解サイクルとEFTCを,それぞれの時期に現在よりも-5℃および-2.5℃岩温が低下したと仮定して数えた.この結果,現在では3月に集中する凍結融解サイクルとEFTCが,3月後半から4月前半にずれた.凍結融解サイクル数は,現在の方が多いがEFTCは,氷期の方が現在より,1.5_から_5倍の頻度で多く発生する. 4. まとめと今後の課題 _丸1_本地域の岩温には,日周期と年周期の凍結融解サイクルが存在する._丸2_本地域における岩塊堆積地形の形成プロセスの一部として,現在および氷期共に,凍結破砕は十分に起こると判断できる._丸3_氷期にはEFTCが現在よりも高頻度であった.今回の観測では,気温のデータと秋から冬にかけての岩温のデータが採取できなかったので今後,データを取りたい.参考文献:瀬戸真之(2003):足尾山地北部古峰ヶ原高原におけ る岩塊堆積地形の形成プロセス,地理予,63,254.
  • 梶田 真
    p. 31
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1.はじめに 近年、公共投資が本来の社会資本整備という目的から逸脱し、土木業者の需要創出のために過大な事業が実施されているとの批判が強まっている。本報告では公共投資・土木業・環境管理の3者の関係の考察を通じて、公共投資改革のあり方について検討したい。2.わが国における土木業の歴史的展開と地場業者 受注生産を行う土木業では業者に対する信頼が業者選択に大きな影響を与えるため、一般に寡占的な受注構造とピラミッド型の分業体制が形成される。わが国の土木業では、高度経済成長期に中央のゼネコンが次々と地方圏のローカルな土木市場に進出し、地場業者の市場を侵食していった。こうした動きに対し、地場業者は「市場の棲み分け」を訴えて政治家などに働きかけていく。その結果、様々な保護制度が設置され、強化されていく。さらに公共投資における国から地方自治体への、大都市圏から地方圏へのシフトの中で、わが国の土木市場は工事の規模、内容そして発注機関の管轄域によって分断される。このような市場構造はわが国の土木業のコスト高構造、公共投資をめぐる様々な不正の温床を生み出す原因であると考えられている。 では、地場業者は必要ないのだろうか?答えはノーである。例えば、災害などが生じたときに迅速に対応することができるのは即座に施工体制を編成することができ、地域の地理的状況を熟知している地場の業者である。それゆえに中央のゼネコンとの役割分担を見直し、その上で現在の地場業者を適切な方向に再編成していくことが求められている。3.環境共生型の社会資本整備に向けた土木業の再編成 今後、環境共生型の社会資本整備を進めていく上で、その担い手である土木業を適切な形に再編成していくための鍵は何であろうか。報告者は政策の信憑性とインセンティブの問題を取り上げたい。 まず、政策の信憑性であるが、この概念は政府の政策を信頼できるものとして受け止め、対象となる主体の行動に影響を与えることができるかどうかを問題とする。例えば、将来的に公共投資を縮小させる、という将来ビジョンを政府が示したとしても、それが信憑性を持って受け取られなければ、業者は公共投資の縮小に向けた再編成のための努力にかわって、公共投資水準を維持するためのロビー活動に努力を注ぐことになるだろう。適切な将来展望の下で業者に合理的な判断をさせていくためには政府が政権交代や景気変動に左右されない、確固とした姿勢を示し、政策に対する信憑性を回復することが必要である。 次にインセンティブであるが、環境共生型の社会資本整備を進めていくためには、現在の新設工事中心の投資内容を維持・補修工事中心の内容に改めていくと共に、環境に配慮した工事技術などの導入を進めていく必要がある。そのためには、こうした工事技術を収得することが業者にとってメリットとなるようなインセンティブを設けることが必要である。これまで受注業者選定などにおいて環境への配慮などの取り組みが適切に評価されてきたとはいいがたい。今後、公共投資の量的・質的変化が進んでいく中で、政府には必要とされる業者像、工事技術を明確に示し、そうした業者を適切に評価していくための仕組みを確立していくことが求められる。
  • 鄭 国全
    p. 32
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    _I_ 問題の所在中国内モンゴル地域は,清国時代から激しい「蒙地開墾」によって農地化にされてきた.その結果,漢民族の農民が多く移住し,それにともなって,農耕地域が南部から北部へ拡大しっていた.一方、牧畜を営んできたモンゴル民族は,牧畜を営む条件を失ったために,より乾燥した北部のステップ地帯に移住した。また,移住しなかったモンゴル民族は伝統的な遊牧をやめ,農業に転じた.他方,移民してきた漢民族は,一部がモンゴル民族の去った牧地で独自の漢民族社会を形成すると同時に,他の部分が直接モンゴル民族居住地域に移住し,モンゴル民族社会にとけ込み,モンゴル民族の漢化を推し進めた.この結果,内モンゴル地域では,農耕村落が相次いで誕生し,伝統的な遊牧社会と異なる農耕社会が形成された.従来の牧畜地域は農耕地域の北進によって,農耕地域および「半農半牧」地域に変化してきた.こうして,内モンゴルは,モンゴル民族と漢民族などの多民族雑居地域となってきた.中華人民共和国の成立後,「中華人民共和国民族区域自治法」の施行,「改革開放政策」の実施などによって,内モンゴル自治区におけるモンゴル民族と漢民族の共存形態は,大きく変化してきた.本研究は,このような問題意識にたって,内モンゴル巴林右旗を事例に,同地域の蒙地開墾の歴史と移民社会の形成を解明したうえで,牧畜地域とする巴林右旗におけるモンゴル民族と漢民族の共存形態を,民族教育,民族間の往来および通婚、民族のアイデンティティーなどを中心にフィールドワークの成果を通して解明しようとするものである. 巴林右旗は,内モンゴル自治区赤峰市にあり,面積10,256㎢,人口17.5万(2002年),そのうちモンゴル民族が総人口の43%を占めており,4農業郷鎮と15牧畜業蘇木鎮を管轄している.経済的に見れば,巴林右旗は牧畜業を中心とする「半農半牧」地域である._II_ 結果1)モンゴル民族と漢民族の共存社会の形成 巴林右旗は,清国末期に実施した「移民実辺政策」および民国時期の開拓政策によって,多くの漢民族農民が移住し,従来の遊牧地域から「半農半牧」地域に転じ,モンゴル民族と漢民族の共存社会が形成された.2)モンゴル民族と漢民族の分布巴林右旗においては,モンゴルと漢民族は雑居しているが,モンゴル民族は牧畜地域とする蘇木鎮に集中しており,漢民族は農業地域とする郷鎮に居住している.モンゴル民族の大部分は牧畜業を生業とするのに対して,漢民族は農業および商業に従事している.3)民族言語と民族教育 モンゴル民族学生の多数は,モンゴル語で行う民族教育を受けている.民族学校では,モンゴル語,漢語,外国語という「三語併開」の教育を行っている.また,モンゴル語を学習しているモンゴル学生が減少する傾向が見られる.モンゴル語はモンゴル民族の単なるシンボルになりつつある.なお,モンゴル語を学習する漢民族はほとんど皆無に近い.4)民族間の交友関係および民族間の通婚 移民である漢民族は,新居住地に生活するために,モンゴル民族との交友が開放的である.これに対して,先住民のモンゴル民族は,漢民族移民の増加によって,人口の割合が低くなりつつあり,アイデンティティーを維持するために,漢民族との交友が内向的である.民族間の通婚については,モンゴル民族の場合は,若いモンゴル民族と漢民族との通婚率が高く,モンゴル民族幹部と漢民族の通婚率が低い.牧畜地域における漢民族の場合は,「計画生育」や教育などの民族の優遇政策などによって豊かなモンゴル民族との通婚を望んでいるとみられる.また,モンゴル民族と漢民族は,政治,経済,文化,言語および宗教などの多方面から見れば,差異が次第に無くなっている.これは,モンゴル民族と漢民族の通婚率が高まる重要な要因である.同時に,民族間の通婚は民族理解,民族交流,民族団結を促した.5)民族のアイデンティティー 巴林右旗においては,モンゴル民族が集中している地域がみられ,モンゴル民族のアイデンティティーが強いといえ,モンゴル民族の言語,風習,行事などを維持している.一方,漢民族は人口の多数を占めているが,民族のアイデンティティーを維持しながら,モンゴル民族の生活習慣も吸収している. 以上のように,牧畜地域においては,モンゴル民族と漢民族の差異が小さくなっており,民族の共存が進んでいる.
  • _-_郡山市を事例として_-_
    ザイ 国方, 佐藤 照子, 福囿 輝旗, 池田 三郎
    p. 33
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1.はじめに近年,世界的に自然災害による損失が増加している.その損失を軽減するために,災害リスクのコントロールとともにファイナンシングがますます重要視されている.また,ファイナンシングが,水害からの生活再建を進める上で,建物や家財などの物的被害の修理・再建だけではなく,被災者自身の精神的な健康のためにも不可欠であると言われている.しかし,水害保険,地震保険などの災害保険の加入率は低い.なぜ,加入率が低いのだろう.保険加入行動の規定要因として,どのようなものがあるのだろう.水害保険加入率を向上させるために,本研究は,水害保険加入行動に関する分析フレームワークを提案し,その規定要因と構造を検討していく。2.保険加入行動の分析フレームワークの構築2.1 商品としての水害保険の仕組み現在,日本では独立した水害保険制度がなく,一般には,居住用建物やこれに収容される家財を対象とする住宅総合保険,もしくは,店舗総合保険に加入すると,水害リスクがカバーされる.ここでは,このような水害保険を組み込んだ保険に加入する行動を水害保険加入行動と呼ぶことにする.水害保険金の支払いは,通常,全体の担保力などとの兼ね合いで,損害割合に応じて三段階的に行う.今のところは,損害額を100%支払えるという段階には全体的にまだ至っていない.2.2 水害保険加入行動の分析フレームワーク水害保険加入行動にいたる流れは,インプット,情報処理,意思決定過程,意思決定過程に影響する変数の4つに分けられる.インプットとしては,保険会社などによる商品としての災害保険のマーケティング活動等からの刺激と,自然災害の被害体験やマスコミなどによる報道からの刺激がある.刺激を受けた(接触した)人々は,注意,理解,受容,保持などの心理的情報処理によって,記憶し,保険加入の需要が喚起され,保険加入の意思決定を起こす.その意思決定過程は,保険加入のニーズ認知,情報収集,代替案評価,保険加入,被害にあった場合の保険会社による被害補てん行動,取引の最終結果,最終結果への満足度,そして,保険加入のニーズ認知へのフィードバックから構成される.意思決定の全過程は,環境要因と個人差要因に影響される.3.郡山市調査概要と結果3.1 郡山市調査概要郡山市は度々水害に見舞われている.「阿武隈川の平成大改修」による洪水被害軽減効果があったとはいえ,平成14年の台風6号で,郡山市に限っても浸水面積112ヘクタール,浸水戸数227戸といった被害を受けた.このような水害多発地域において,住民の水害保険加入行動の実態及びその行動の規定要因を明らかにし,住民の水害保険加入行動を活発化させる方策を導くのが,本調査の主な目的である.本調査は,悉皆調査で,防災科学技術研究所と群馬大学工学部片田研究室によって,平成14年9月15日から10月17日にかけて行われた.訪問配布・郵送回収という方法をとり,回収率は336/2995=11.2%であった.3.2 郡山市調査の主な結果郡山市における水害保険の加入行動とその要因について,その分析結果を要約すると,回答者年齢,職業,世帯構成,居住歴,住宅所属,世帯収入といった世帯差,ハザードマップの作成・公表と「阿武隈川の平成の大改修」といった生活環境,被害経験と浸水可能性への認知と自宅の予想浸水深への認知といった水害リスク認知,等々が保険加入行動に影響を与えることが実証された.構造分析では,水害保険加入行動に最も影響を与えるのは,水害リスク認知であり,特に中でも床下・床上浸水の確率への認知と平成14年の被害経験であることが標準化回帰係数で明らかになった.また,元からの住民は長く住んでいる転入者より加入率が低いこと,高齢者は加入率が低いこと,一人当たりの年収が低い方と高い方は加入率が低いこと,50年に1回の浸水確率が住民の防備行動を取るか否かの分岐点であること,個々の水害防備対策が保険加入とは代替関係ではなく,相乗関係であることが分かった.4.おわりに今回の研究のインプリケーションとして,より多くの世帯に水害保険に加入してもらうには,まず,住民への災害教育・体験などを通じて,水害リスクを正しく認知してもらうことが重要になる.そして,住民の不信などを取り除くために,保険制度の見直しや保険業界のモラルの向上なども不可欠である。
  • 中澤 高志, 荒井 良雄
    p. 34
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1.目的厳しい経済環境の中で,情報サービス産業は依然として地方圏の新しい経済基盤しての期待を背負っている.ソフトウェアをはじめとする情報材の生産では,情報技術者の技術水準が生産効率やアウトプットの質に色濃く反映される.したがってある地域における情報サービス産業の発展は,十分な技術水準を持った情報技術者の獲得可能性にかかっていると言っても過言ではない.中澤(2002)では,九州における情報技術者の移動や職業キャリアについて分析したが,情報技術者の技術水準は把握していなかった.本発表では,北海道・東北に立地する情報サービス企業の従業員を対象に行ったアンケート調査を元に,情報技術者の技術水準を労働力の地域間移動と関連づけて分析する.2.調査の概要調査対象はNTTインターネットタウンページにおいて,「インターネット関連サービス」と「ソフトウェア業」のいずれかに登録があり,北海道と東北各県に立地する3,095事業所の従業員である.従業員に対する調査票は,一つの事業所に対して3通配布し,ソフトウェア業の従業員572人とインターネット関連サービス102人から回答を得た.技術レベルは,日本労働研究機構(2000)に倣い,「アシスタト技術者」,「一人前の技術者」,「プロジェクトリーダー」の3つの技術レベルを設定し,対象者に自分が合致するものをそこから選択してもらった.それぞれの定義は,順に「一人前以前の養成段階にある技術者」,「技術的に情報処理試験第_I_種程度の知識ノウハウを有する技術者」,「一人前の技術者以上の高度な専門的知識を有し,なおかつ管理職相当以上の技術者」とした.3.分析結果 札幌は北海道一円から,仙台は東北一円から,それぞれ多くの情報技術者の流入を見ている.一方札幌以外の北海道や仙台以外の東北では,情報技術者のほとんどは地元出身者である.勤務先地域別に技術レベルを見ると,札幌が最も高く,仙台はそれ以外の東北諸地域と比べても技術レベルが高いとはいえない.さらに地域ごとに情報技術者の移動歴ごとに技術レベルを見ると,北海道では札幌に流入してきた情報技術者が最も高く,札幌以外の北海道の出身であり,かつそこで働いている者において低い傾向が明瞭である.ところが東北では,移動歴ごとの技術レベルの格差が小さい.すなわち札幌は,周辺地域から技術レベルの高い人材を集め,情報サービス産業を発展させてきたと考えられる.逆に札幌以外の北海道にとっては,札幌に技術レベルの高い人材を奪われていると捉えることもできる.技術レベルの高い人材は,成長性が高い地域へと流出する傾向があるが,そうした現象をどう評価するかについても発表の場で議論したい.〈文献〉中澤高志2002.九州における情報技術者の職業キャリアと労働市場.地理学評論75,837-857.日本労働研究機構2000.『情報産業の人的資源管理と労働市場』日本労働研究機構.
  • 山田 淳一
    p. 35
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    _I_.問題の所在本研究では、港湾における工業開発の縮小や船舶の大型化が進む中で、地方の港湾整備による工場立地とその後背地産業との関わりは如何なる状況にあるのかという問題意識のもと、地方の港湾整備と後背地産業の発展が有機的に結合した事例として東北地方の配合飼料産業を取り上げた。飼料産業は、比較的大規模な港湾施設を必要とし、大都市近郊から遠隔地への養鶏・養豚などの中小家畜飼育型畜産業地域の移動に伴い、主に南九州地方や東北地方などの太平洋ベルトからはずれた港湾に展開してきた。飼料市場の発展において、従来から飼料産業が展開していた南九州地方に対し、東北地方では、飼料供給の他地域依存が飼料産業の立地により解消され、飼料市場が発展した。本研究では、対象地域における飼料市場の動向、飼料産業の立地動向や経緯の他、港湾と飼料工場との関わりとして、港湾施設規模の差、輸送に用いられる船舶の発達、飼料主原料供給経路の変化といった交通地理学的視点にも立ち、それらの関係を横断的に述べ、地方の港湾整備が後背地産業に与える影響を実証的に論じるものである。_II_.結果東北地方の県別配合・混合飼料生産量と消費量の推移から、この地方における飼料市場の時代区分を3期に設定できた。各期における飼料産業と港湾施設の関係について、以下の特徴が明らかとなった。(1) 萌芽期:市場が発展の萌芽期にあたった1970年代までは、臨海単独立地内航船搬入型工場や内陸立地型工場の進出がほとんどであった。1970年において、全穀物貿易量の89%が4万D/W級未満の船舶で輸送されており、石巻港で1969年に稼動した飼料コンビナートでは15,000D/W級岸壁を利用している。当時の国策上の背景も受けて、全購連などが主体となって石巻飼料コンビナートを整備したが、港湾施設や構成工場数はやや小規模であった。しかし、東北地方における飼料原料中継基地として機能し、従来は関東地方からの陸送もなされていた飼料の輸送状況を大きく改善させるなど、畜産業の発展に広域的に作用したといえよう。なお、石巻港にはコンビナート構成工場と臨海単独立地内航船搬入型工場が混在している。また、内陸工場への原料輸送手段は鉄道が主であった。(2) 拡大再編期:1980年代以降はコンビナート形式での工場立地が主となり、1980年代前半には商社主導で八戸飼料コンビナートが整備された。八戸飼料コンビナートには、サイロ1企業とコンベアで直結された5工場がほぼ一括して立地した。5万D/W級対応の港湾施設を備えた八戸飼料コンビナートが稼働を開始した1980年代中頃においては、全穀物貿易量の40%強がパナマックス級以上で運ばれ、約60%がハンディ級以下によった。八戸飼料コンビナートの稼動により、潜在的飼料需要のあった北東北地方において中小家畜飼養を主とした大規模畜産業が発達した。それは、石巻飼料コンビナートや各地の系統工場を中心として形成されていた従来の東北地方の飼料市場に広域的な再編と拡大をもたらすものであった。(3) 停滞期: 1991年に稼動した釜石飼料コンビナートは、パナマックス級に対応した新日鐵釜石工場の既存の港湾施設を利用して稼動を開始したものの、1990年代以降の全国的な飼料需要の停滞により後背地への影響は局地的なものに留まっている。穀物輸送船は引き続き大型化の傾向にあり、1996年においてパナマックス級以上が全穀物貿易量のおよそ58%を運び、パナマックス級未満で運ばれたものは42%と減少傾向にある。また、鉄道による内陸への原料供給は輸送費などの問題で自動車輸送へと転換された。
  • 田中 史朗
    p. 36
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
    会議録・要旨集 フリー
     本研究は、漁業の担い手が減少していく中で、高度かつ計画的に漁場を利用する主体として共同経営を位置づけ、それの存続・発展条件を体系的かつ実証的に解明したものである。 水産資源を保護し、良好な環境を保ち、漁業の担い手を将来にわたって確保しつつ産業としての漁業を展開していくには、これまでのように個別的かつ競争的に漁場利用を行ったのでは資源的にもじり貧状態となり、経営に行き詰ることは目に見えている。漁業者が等しく利用する権利を持つ漁場の性格からして、また、若年労働力が不足している現状から考えると、集団的かつ共同的にその権利を行使するほうが漁場の総合的・合理的利用による生産の極大化を図る上でも、過剰装備による経営悪化を回避する意味でも、さらには労働力を有効に活用するためにも望ましいものと考える。そこには効率性よりも平等性が、発展することよりも安定かつ持続的な経営展開が求められる。つまり、利潤追求の競争原理からの脱却と、漁業者が等しく共存できるための漁場利用、およびそのための漁業経営の質的転換が求められている。 従前の漁業共同経営に関する研究では、漁業民主化の実現手段として、また、貧しさからの解放を勝ち取る手段として、漁業共同経営の有効性を論じてきた。しかも組合自営漁業、漁業生産組合、任意の共同経営組織それぞれの成否・存廃に重点を置いた個別的事例研究に偏重し、漁業共同経営の発展段階的性格と意義付けの検討が弱かったように思える。 そこで本研究では、漁業共同経営の「生成、発展、変質・消滅」の展開プロセスに立脚して、そもそも共同経営をはじめた動機は何sであり、事業の継続・発展をはかる上での障害は何なのか、共同経営のメリットとデメリットは何であり、各段階にとどまる(停滞する)理由、発展・変質、さらには消滅していく原因が何であるのかを明らかにすることによって、各漁業共同経営組織の経営的特質と漁業共同経営の安定かつ持続的な展開を可能にする必要条件を提示したい。
  • 栗島 英明
    p. 37
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
    会議録・要旨集 フリー
    大量生産・大量消費システムが促進された高度経済成長期以降,「廃棄物問題」は最も身近な地域環境問題の一つとなった。廃棄物は,生産・消費過程で生じるが,中でも一般廃棄物は消費過程で生じ,地域住民一人一人が排出者であり汚染者となっている。そのため,一般廃棄物の排出は,住民の生活の場である地域の属性によって異なっている。また,そのために一般廃棄物の処理・処分は「廃棄物処理法」によって,地域事務を行う市町村の責任とされており,こちらも地域的に差異があることがこれまでも報告されてきた。
     住民のごみ排出は地域の属性に影響されるが,類似した地域属性を有する自治体間でも原単位排出量に差が生じることがある。これについて,他分野では有料化などの一般廃棄物行政が影響していることが指摘されている。
     本報告では,大都市郊外地域における一般廃棄物行政の転換とこれに対するごみ排出行動の変化などの住民の対応について,東京都日野市を事例として分析を行う。
     栗島(2002c)での報告のように,1990年代に入り,日野市をはじめとした多摩地域における一般廃棄物行政は,廃棄物処理方針の転換と最終処分場の残余不足に起因する搬入配分量の設定という外部的な要因にさらされた。その結果,日野市でも資源回収を開始したが,分別品目は少なく,資源物集積所の配置数も他市と比較して少なかった。このような一般廃棄物行政の差異は,住民の排出行動の差異へとつながった。また,中間処理施設の能力にも差異があった。これが,日野市においては最終処分場の搬入配分量の超過という結果をもたらし,日野市は新たに一般廃棄物行政を転換させる必要性が生じた。
     各戸収集の導入とダストボックスの廃止によって収集地点の増加と収集ルートの複雑化,それに伴う収集車の走行距離の増加がみられた。これは,単位時間あたりの収集量を減少させ,収集作業員の作業負担を増大させた。こうした変化の度合いは,道路環境や卓越する住居形態という近隣環境に左右された。
    転換当初の効果は排出抑制よりも処理ごみ量の減量化にあったが,次第に総排出量も大きく減少した。転換前後における住民の排出行動の変化について,事例地区での住民アンケート調査から検討する。転換前の資源物集積所への近接性は,地区の近隣環境によって大きく異なっており,これが地区ごとのごみ排出行動に大きく影響していており,地区ごとに資源物の排出先には大きな差異があった。しかし,転換後には80%以上の世帯で資源物を資源回収へと排出するようになり,地区ごとの排出先の差はほとんどなくなった。
     こうした変化の要因を検討してみるならば,第1に従来から他分野において指摘されてきた有料化の導入による分別の徹底があげられる。可燃ごみと不燃ごみの排出が有料となったことで,資源物を無料の資源回収に排出するようになった。これに加えて,本研究では同一行政区内の排出行動の差異とその変化から,第2の要因として資源物収集における各戸収集の実施を指摘する。可燃ごみや不燃ごみと同様に,資源物も各戸収集となった。これによって,資源物の処理ごみへの混入に影響を与えてきた資源物集積所への近接性の差異が解決された。多様な地域特性を有する大都市郊外地域においては,同一行政区内においても排出行動に差があり,統一的な減量化政策を実施する障害となっていたが,この事例はそうしたものを乗り越えることにもなった。また,各戸収集は,住民間の結合が弱い地域においても,排出者を確定することができ,不当なごみ排出が行われても適当な措置を講ずることができた。
     また,「ごみ問題への関心」が行政の転換とそれに伴う広報活動によって芽生え,こうした住民意識の変化も排出行動の変化に影響したことを指摘しておきたい。
  • 行動論的アプローチ
    エサウ レイリン
    p. 38
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
    会議録・要旨集 フリー
    _I_ はじめに本研究では、トンガを事例に、国際人口移動の契機をはじめとする意思決定プロセスのあり方や、その社会的ネットワークおよび家族とのコミュニケーションに焦点をあてる。人口移動の行動論的アプローチでは、移動の意思決定にさいして、個人または家族という単位が重視されるとともに、意思決定プロセスがどのように環境から生じ、また影響を与えるかについて検討される (Boyle et al 1998)。ここでは、トンガからの移民にかかわる社会文化的側面を検討するために、この行動論的アプローチを用いる。
    _II_ 既往研究南太平洋における国際人口移動に関する既往研究では、従属モデルおよびミラブ・モデルという2つのモデルが、大きな影響を及ぼしてきた(Hayes 1992)。従属モデルはコネル(Connell 1983, 1987, 1990)のこれまでの研究から、ミラブ(MIRAB)モデルは人口移動(Migration)、送金(Remittance)、援助(Aid)および官僚政治(Bureaucracy)の頭文字をとったもので、バートラム・ウォッタース(Bertram and Watters 1985, 1986)の共同研究から、それぞれ作られた。両モデルはいずれも、島内システムおよび国際システムから構成されている。さらに、島内システムには、社会文化的・人口学的・経済的の3つのサブシステムが含まれる。国際システムは、当該国と目的国を結ぶ要因、すなわち、外国の文化・教育、労働市場、援助、貿易、送金を扱う。本研究では、島内システムに含まれる社会文化的サブシステムの検討を主に行う。
    _III_ 研究方法本研究はトンガを対象地域とし、面接及びアンケート調査を試みた。トンガにおける調査(2002年7_から_8月)では、海外で生活している家族をもつ150世帯、海外在住の200人の移動者に対して調査を行った。調査結果は、社会統計解析ツールであるSPSS ver.10.0を用いて、分析した。
    _IV_ 調査結果の要約_丸1_拡大家族から核家族への変化や、海外への移動者の増加により、家族の規模は近年縮小している。1世帯あたりの、海外在住の移動者の数は、かつてより増えており、今では多くの世帯で2人以上の移動者がいる。このことは、高度な教育や技術を持っている者だけが移住できるという、従属モデルの含意とは対照的である。
    _丸2_移動の意思決定にさいしては、拡大家族よりも核家族の役割が重要であることが判明した。ミラブ・モデルでは、意思決定は、個人よりも、むしろ拡大家族の枠組み中で行われる、とみなされてきたが、ここでの知見はそれとは異なる。
    _丸3_1990年代以降における留学生移動の増加は、トンガに関するどの既往研究でも触れられてこなかった、最新の傾向である。さらに、送金が教育費のために一定程度使われていることは、トンガの将来の発展に貢献すると考えられる。
     _丸4_先行の既往研究では、トンガの多くの世帯にとって、送金への依存が高いことが指摘されてきた。しかし、今回の研究では、留学生移動が多いうえ、移動先の国での滞在期間も長く、送金への依存は低いことがわかった。
    _丸5_移動者の婚姻状態の変化も調査した。移動者の約半数は、独身(学生)であった。移動後は、その半数以上が結婚している。移動先の国における、このような新しい社会的関係の形成は、トンガとの結びつきを弱め、同国への帰還の可能性を低くする方向に作用すると考えられる。
  • 後藤 健介, 磯 望, 黒木 貴一
    p. 39
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1.はじめに
    地球観測衛星から取得できる衛星データは、地球表面に関する種々のデータを持ち、そのデータの広域性、定量性、継続性といった特長を活かして地球環境の研究に利用されてきた。特にLANDSATデータは長期にわたる膨大なデータが蓄積されており、地形や環境などの経年変化調査に多く利用されてきた。
    高分解能衛星の出現により、衛星データが空中写真の代わりに土地被覆情報解析に利用されていくことが今後期待されるが、これに伴って衛星データの需要が高まることを考えれば、LANDSATを含む衛星データから、どの程度の精度の土地被覆情報と土地被覆変遷に関する情報を入手できるかを改めて詳細に検討する必要がある。
    そこで、本研究では福岡県太宰府市を対象として、LANDSAT/TMデータを用いて、衛星画像判読による最小判読可能領域の検討、および2時期の土地被覆分類図の作成による土地被覆変遷の調査を行い、これらの結果から土地被覆情報解析に伴う課題について検討した。解析に用いる衛星データは1986年5月12日と1999年4月30日のデータとした。
    2.調査概要
    まず、衛星データから作成できるトゥルーカラー画像、フォールスカラー画像、ナチュラルカラー画像の3種類のカラー合成画像を用いて、画像の判読が容易で、1画素(30m×30m)の大きさに近い対象物である溜池の数を判読した。この作業では、対象地の地理に詳しい者、そうでない者の2者で判読を行い、主観的な違いも検定した。また、判読できた溜池に関して、実際の溜池水域の長径、および短径を参考にし、LANDSATデータで、どれだけの大きさの溜池を画像判読できたかを検討した。
    次に、2時期における土地被覆分類図を作成した。今回は教師付き分類を行い、現地調査を実施したほか、被覆状況を知る情報として国土地理院発行の2万5000分の1地形図、および1990年撮影の1万2500分の1空中写真(太宰府市所有)を用いた。分類作業を行う手法としては最尤法を用いた。この作成した土地被覆分類図から13年間の太宰府市の土地被覆変遷を把握するとともに、土地被覆分類がどの程度まで正確に抽出できているかを検討した。
    3.調査結果と考察
    3.1衛星画像判読
    カラー合成画像における溜池の判読の結果、フォールスカラー画像とナチュラルカラー画像では、判読できた溜池の数に大差はないが、調査地域をあらかじめ知っている者の方が多少多く判読していることが分かった。トゥルーカラー画像は、黒っぽい色調で表示される溜池と森林がほとんど識別できないため、両判読者とも、ほとんど溜池の特定ができなかった。また、1990年の太宰府市基本図で確認できる86箇所の溜池のうち、2時期のナチュラルカラー画像の少なくともいずれか一方で判読された溜池は47箇所であった。
    さらに、今回ナチュラルカラー画像上で判読できた溜池のサイズを実際の溜池の長径・短径と比較してみると、最小判読可能領域は約50m×30m以上であることが分かり、衛星画像判読によって土地被覆状況を判別するためには、最低でも2画素以上の連続した近似値反射率エリアが存在する必要があることになる。
    3.2土地被覆分類図
    今回の土地被覆分類は水域、森林、草地、市街地の4分類とした。当初はこの4分類に水田と裸地を加えた6分類で土地被覆分類を行ったものの、判別精度が低かったため、誤判別を最少とする目的で4分類とした。精度が低かった理由として、太宰府市では田植えが概ね5月中旬以降に始まるが、解析に用いたデータの観測時期もこの時期で、水田は野草が生えた状態で、草地と水田の反射率が近い数値になるためと考えられる。また、裸地が実際よりも多く選定されたが、これは裸地の土壌含水量によっては、反射率がアスファルトなどの人工構造物と近い数値になるためと考えられる。
    図1は衛星データから作成した土地被覆分類図である。図中のA、B、Cの3箇所は、特に土地被覆状況が大きく変わった様子が顕著に現れている。A地区、C地区では森林や草地といった植生地域が市街地化しており、逆にB地区では、市街地が緑化されている状況が判読できる。これらの地区では、実際に区画整理事業や宅地開発などによる市街地化の進行や、河川改修工事に伴う緑化などが起こっており、その状況を土地被覆分類図が捉えていることが分かる。また、土地被覆状況別の面積を求めてみると、13年間で森林が4.2%減少し、市街地が5.3%増加している事実も分かった。
  • 石川 雄一
    p. 40
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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     これまでに発表者は、80年代における多核化の動向を検証し、京阪神大都市圏においても消費活動における多核化が進展し、また就業活動に関しては多核化進展の兆しがみられることを論じてきた。バブル経済の崩壊、都心の地価下落などの課題を抱えた90年代を通じて、都心・中心市周辺域・郊外地域それぞれの地帯の就業活動、消費活動の中心の特性がどのように変化しているのか。本発表では、小地域単位で分析可能な80年・90年・2000年のパーソントリップ調査を用いて、都市圏住民の就業行動・消費行動パターンから、郊外核の特性を、都心域・中心市周辺域と比較しながら検証することとした。 パーソントリップ調査では小地域単位として、市区町村域より狭域な「入力ゾーン(以下、ゾーンと称する)」が、設定されているが、まず就業活動の核(就業核)については出勤目的トリップ数から、消費活動の核(消費核)については自由目的トリップ数から、流入トリップが流出トリップを大きく上回るゾーンを、それぞれの核としての特性を示すものとして抽出した(添付図参照)。さらに就業核ならびに消費核の、人の動きからみた特性の違いとその変化を調べるために、施設別の到着トリップパターンの違いを検討することにした。抽出された就業核・消費核それぞれ別個に、行方向に時空間を示す1980年・1990年・2000年の3年次の核ゾーン、列方向に18区分された施設への到着トリップ割合を示す時系列地理行列を作成し、クラスター分析(ウォード法)によって、核ゾーンのグループ化を行った。 その結果、就業核については、7つのグループに分類することができた。その主なうちわけは、オフィス関連施設への到着トリップが卓越するグループ、オフィス関連施設・消費関連施設の両方へのトリップが集中するグループ、オフィス関連施設と工場施設・作業場の両方へのトリップが集中するグループ、住宅施設へのトリップが混在するグループ、その他文教施設・厚生施設へのトリップが混在するグループなどであった(2000年におけるそれぞれのグループの分布については添付図参照)。これら各グループの分布傾向をみると、都心域ではオフィス特化、オフィス・消費関連のグループが多く、逆にこれらのグループは郊外地域ではほとんどみられなかった。都心域ならびに副都心と、副都心を除く中心市周辺域と郊外地域との間で、特性に大きな違いがあることが示された。 また消費核については、6つのグループに分類することができた。その主なうちわけは、消費関連施設・オフィス関連施設の両方へのトリップが集中するグループ、それに住宅施設へのトリップがわずかに混在するグループから、相当数混在するグループ、レクリエーション活動が中心となるグループであった。消費核については、郊外地域においても広く分布する傾向がみられた(2000年におけるそれぞれのグループの分布については添付図参照)。分布パターンをみると、依然として都心域に高次のグループが集中して分布するが、郊外地域にも、中次グループの核が広く点在する様子がみられた。さらに、80年代と90年代の各就業核・消費核のグループ間の変化を比較した結果、消費活動では、郊外の成長を示す変化が持続しているものの、90年代における就業活動の変化をみると、80年代ほどの大きな変化がみられなかった。また消費核についてみると、80年代ならびに90年代ともにグループ間の変化がみられたのは、そのほとんどが郊外核であった。その変化は全般的に、郊外核としてより成熟したグループへの移動であったが、90年代の変化をみると、隣接する郊外核の成長によって、低次レベルのグループに移動した郊外核もみられた。※(本研究は,平成15年度文部科学省科学研究費補助金 基盤研究(B)(1)「21世紀の社会経済情勢下における我が国大都市圏の空間構造」(研究代表者:富田和暁,課題番号14380027)による研究成果の一部である。)
  • バーゼル国境地域における越境地域連携の展開とその構造
    伊藤 貴啓
    p. 41
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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     本研究は先の発表に続き,バーゼル国境地域を対象として,国境を越えた地域連携(以下,越境地域連携)がいかに進展して,どのような構造を示すのかを明らかにしようとするものである。■ ヨーロッパの地域統合と越境地域連携  ヨーロッパの越境地域連携は,国境地域というミクロスケールでの連携(cross-border cooperation)を中心に先行して,地域統合が進展するなかで国家あるいはよりローカルな主体間で国境地域の特定問題について解決をはかるもの(inter-territorial cooperation)や国家を越えたスケールでの地域連携(transnationational cooperation)が進展してきた。それは,EUの地域政策のなかでインターレグプログラム等によって,財政的裏付けを得て活発化し,深化してきたものである。本研究対象地域はEUの域内国境と域外国境という両者の性格を有し,ヨーロッパにおいても1960年代という早期から越境地域連携を進めてきた地域である。■ 越境地域連携の展開とその構造 本地域の越境地域連携は国(政府委員会),州(Oberrheinkonfrenz:ORK),地方自治体(Regio TriRhena)という各主体レベル毎に形成され,さらにバーゼルを中心とした大都市圏域(Trinationale Agglomeration Basel:TAB,Nachbarschaftskonferenz)やEUのインターレグプログラムのほか,主に越境する企業や個人に情報を提供するINFOBESTネットワーク等も設立されている。このように,バーゼル国境地域は越境地域連携の展開において,機能的・空間的に重層構造を示す点に特色がある。 このような重層性は本地域における越境地域連携の展開に基づいていた。それはまずRegio Basiliensis(1963年)とRegio du Haut-Rhin(1965年)の設立を端緒に,民間レベルで主導された。その後,1975年に仏・独・スイス3か国によるボン協定が結ばれて,上ライン全体について協議する政府委員会と州政府を主体とするORKが設立された。同様に,州政府レベルではより専門的なテーマを話し合うDreiländer Kongreßも1988年から始まった。そのなかで,1985年にドイツ側の地域連携組織であるFreiburger Regio Gesellschaftが設立された。こうして,1980年代には仏・独・スイスそれぞれの越境地域連携組織の上に,国・州レベルのそれが重層化することとなった。 1990年代に入り,インターレグプログラムの開始とともに,本地域はInterreg Oberrhein Mitte-Südの事業域となった。INFOBEST PALMRAINはこのインターレグを利用して1993年に設立され,翌1994年にRegio TriRhenaが地方自治体を主要メンバーとして設けられた。それは,現在,実質的な地域連携組織として機能している。また,バーゼル大都市圏では TABが圏内の空間政策の調整等をはかり,40の地方自治体によるNachbarschaftskonferenzがEuro Airport,共通のアイデンティティ,ヘルスケアを主に話し合う非公式な情報交換プラットフォームとして組織されている。また,州・県レベルではOberrheinrat(ORR)が1998年に設けられた。 本地域における越境地域連携は民間主導により国境地域というミクロスケールでまず始まり,よりマクロなものが加わるとともに,1990年代以降,各スケール毎に深化してきたが,そこにはEUのインターレグプログラムが財政的基盤をなすとともに,越境地域連携の担い手の関わりが大きかった。■ 越境地域連携の担い手と基盤 本地域の越境地域連携は,バーゼル市を中心とした原経済圏で地域の経済環境を基盤に歴史的背景のなかで進められてきた。それは先の発表のような越境通勤等の人口流動と産業連関に示される地域性に基づいたものであり,そのなかで企業も越境地域連携の主体として一定の役割を果たしていた。例えば,Endress+Hauserグループは経営戦略としてオープンマインドな人材育成のために,1980年代から3か国の各工場で各国の従業員を一定期間働かせて他国の工場間とのコミュニケーションをはかるように努めてきた。また,同社は本地域の職業教育システムの構築においても,越境地域連携組織のメンバー・役職を務める創業者の構想を「cross-border initiatives」として,財政的・人材的に支援して具現化してきた。本地域の越境地域連携は他の国境地域のように州・県・地方自治体を主な主体とするのではなく,企業や個人によっても担われている点に特色がある。このことは,Regio Basiliensisの会員構成(個人52.3%,団体47.7%)にも現れている。この点も地域連携からみた本地域の性格を示すものといえよう。なお,インターレグや地域連携の組織構造等については発表時に触れたい。 
  • 戸所 泰子
    p. 42
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1. 研究の視点と目的 戦後の急速な経済発展は都市を高密度化し、都心部を中心に中高層建築物を集積させた。しかし同時に、経済合理主義に基づく中高層建築物の林立は、都市の歴史的な空間秩序や景観を破壊するなど、新たな問題を生じさせている。 日本において、都市の中枢としての役割を果たす上で、都心部では機能更新に伴って、建築物更新は随時行われてきた。しかし、都市の個性が重視されるべき時代にあって、自然・社会・文化を反映した地域固有の歴史的環境をいかに持続させていくかは、都市空間の景観形成にとっても大きな課題といえる。 そこで本研究では、形態としての立体的な都市景観とともに、人々が都市景観を認識する際に、重要な視覚情報の1つとなる色彩に注目した。都心部の建築物および内部空間利用形態と色彩からみた都市景観について、地域性を踏まえつつ街路ごとに明らかにすることを目的とする。2. 研究対象地域 東西に河原町通_から_堀川通、南北に五条通_から_御池通に囲まれた、京都市都心部を研究対象地域とした。また、対象地域内の幅員15m以上で都心軸を形成する烏丸通と四条通、幅員約7mの一方通行道である三条通、新町通、仏光寺通を研究対象街路として設定した。 京都市都心部には、戦災をほぼ免れたなどの理由から、他の大都市と比べ、木造低層建築物(京町家)が多く残る。しかし近年、当該地域では建築物の老朽化や世代交代などにより、木造低層建築物から高層建築物への建替えが進行し、伝統的な既成市街地内部で、都市景観に大きな変化が生じている。3. 研究方法 まず、現地踏査と聞き取りにより、対象街路に沿った全建築物の悉皆調査を行い、空間利用の機能分類を行った。次に、色彩からみた街路別の景観の特徴を把握するため、全対象街路の建築物外壁色を測色した。さらに、四条通と仏光寺通の屋外広告物の測色を行った。測色は、マンセル値が表記されている色票を用いた視感測色法による。4. 結果 _丸1_烏丸通、四条通には大規模中高層建築物が集積し、業務関連機能・商業関連機能を中心として空間利用は多岐に渡っている。また、都心軸としての役割をも果たしている。他方、新町通、仏光寺通には、木造低層建築物である京町家を中心とした居住関連機能が卓越し、都心部の居住空間を代表する街路を形成している。また、三条通は烏丸通を境として、東は表通りとしての性格を、西は裏通りとしての性格をあわせ持った、市街地更新による新たな景観と歴史的景観とが対照的な街路となっている。 _丸2_京都市都心部における建築物の基調色は、街路に関わりなく、京町家に使用される聚楽色を中心とした低彩度のRed-Yellow系の暖色である。特に、新町・仏光寺通では、使用される色相数も少なく、低明度、低彩度の京町家独特の色彩が多い。他方、烏丸通、四条通では、使用色相数が増加し、高明度、高彩度の外壁色の出現頻度が高くなる。 _丸3_業務・商業関連機能が集積する四条通では、屋外広告物の地・図ともに、高彩度の原色に近い色が多数用いられている。他方で、居住関連機能が卓越する仏光寺通では、広告物数も少なく、白地に、黒・茶系統色による図が用いられ、街路の景観に比較的、統一性が感じられる。 都心部の居住機能が卓越する街路には、建築物の外壁・屋外広告物に自然・社会・文化・歴史を反映した地域固有の色彩が用いられている。一方、金融・保険機関などの業務・商業関連施設の立地が卓越する主要通りでは、地域固有の色彩は主要外壁色の基調色となっているものの、屋外広告物に用いられる色彩には地域性は考慮されておらず、企業アイデンティティーを示す原色に近い高彩度色が用いられている。このように、京都市の都心部では、色彩としては2極化した都市景観が観察される。
  • 伊勢 寛
    p. 43
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    _I_ 問題の所在 本研究の目的は,北海道沙流川流域におけるアイヌの伝統的地形認知の体系を明らかにすることである.本邦における従来のアイヌ研究は,民族学の諸分野を中心に進められてきたが,地理学的な研究は多くの蓄積があるとは言い難かった.本研究は,北海道沙流川流域を対象地域とし,伝統的生活様式におけるアイヌの環境像,特に地形に関するアイヌの知覚環境の復元を試みようとするものである. 報告者は,アイヌによる地形の民俗分類に着いて,別報(伊勢,2003)において論じているが,地形の民俗分類を手掛かりにすることで,アイヌが当該地域の地形をいかに認知していたかを明らかにすることができ,ひいては主体的環境論の立場から,新たなアイヌの側からの「地誌」の構成が可能になると考えている._II_ 研究方法 本研究では,地形に関する民俗分類を明らかにするために,『萱野茂のアイヌ語辞典・増補版』(萱野 茂,1996・2002)を用い,辞典から地形に関するアイヌ語語彙を抽出した.抽出した語彙を5つのカテゴリーに分類し,民俗分類の方法に基づいて可能な限り語彙素に分解し,アイヌの環境観や当該地域の伝統的生活様式と照らし合わせて考察を加えた.解釈の難しい語彙については辞典の著者である萱野氏に直接インタビューを試みた. ここでは,研究結果をより適確なものとするための操作概念として「地形認知密度」を用いる.その目的は,当該地域のアイヌの地形に対する関心が,どのような場所に強く表出されているのかを明らかにすることにある._III_ 研究結果の概要1) 河川に対する地形認知密度の集中性 本辞典には約8,600語の見出し語が収録されており,その中から地形に関する語彙を120語抽出することができた.その内訳を5つのカテゴリーに分類すると,山地地形が21語,丘陵地・傾斜地の地形が26語,河川地形が33語,低湿地の地形が23語,海岸地形が17語となった.低湿地の地形を表す語彙のうち17語は河岸を表しており,これに河川に関する語彙を加えると,実に抽出した語彙全体の4割強にあたる50語が河川に関わる地形を表現している.一方で,河岸以外の低湿地や海岸地形に関する語彙は少なく,地形認知密度が希薄であるといえる.2) 環境観・伝統的生活様式からみた河川地形認知の特性 知里(1956)は,前近代のアイヌが河川を人体になぞらえて認知し,河川を河口から源流に向かうものとして捉えていたことを報告している.そのことは,辞典から抽出した語彙を語彙素分析した結果からも裏付けられた.当該地域のアイヌにとっての河川は,食糧となるサケやマスを獲る漁労の場であったのと同時に,交通の要所でもあった.そのため,古くから集落(コタン)は河川沿いに立地し,河川地形を身近な環境要素として認知し,独自の感情移入をしていたと考えられる.このようなアイヌによる河川地形に対する感情は,Tuan,Yi-Fuの主張した「Topophilia」の概念を援用することで説明し得ると考えられる.参考文献伊勢 寛(2003):北海道沙流川流域におけるアイヌによる地形の民俗分類に関する予察的研究.地域研究,44-1,掲載予定.
  • 横須賀市長井地区の場合
    矢崎 真澄
    p. 44
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    _I_ 問題の所在
    近代地理学では従来,環境を所与のものとし,環境を客体として考えてきた.一方,近代地理学以前では,それぞれの地域の住民はそれぞれの世界観によって目の前の環境を読み取り,伝統的な生活様式を組み立ててきた.人間と環境とのかかわりにおいて,主体が環境をいかに認識するのかという側面は,これまであまり重視されることがなかったと言える.
    ここでは,主体が環境をいかにとらえるかという側面を重視する人文主義的地理学(humanistic geography )の立場に立つ主体的環境論によって,沿岸漁民の伝統的漁場認知について考えたい.発表者は,これまで相模湾岸漁村とその主たる漁場となる相模灘およびその周辺海域を研究の対象地域としてきた.本発表では,文献資料と聞き取り調査に基づき,三浦半島西岸の長井地区沖における沿岸漁民による漁場の認知形態について考察したい.
    _II_ 結果
    (1)長井漁港は,1952年に第二種漁港の指定を受けた.長井沖には海底段丘がみられ,水深10m程の海底には岩石が露出し,堆積物がほとんどない.一方,水深10_から_25mの海底の大部分は砂地になっている.漁業条件に恵まれ,様々な漁業形態が沿岸海域でとられている.特に亀城礁周辺は,漁礁が突きだし多くの魚群が来遊する.伊豆七島や三陸への出漁もみられ,沿岸・沖合漁業者が混在している. 2000年の漁業経営体174,漁船数212隻(内,船外機118隻),漁獲量2578tである.水揚げされる魚種は,マイワシ,カタクチイワシ,サバ,ブリで,ヒジキなどの海藻類も多い.漁法は,大型定置網,刺網,サバたもすくい網とともに採貝,採藻による漁獲が全体の86.3%を占めている.また,ノリ,ワカメ,コンブの浅海養殖も行われている.
    (2)長井沖において,70の漁礁を中心とする漁場を確認した(図1).水深5_から_20mの亀城礁周辺に多くの漁場が分布している.ヤマタテで利用される地名・地名と係わる漁場名が使用されている事例として,図1の9・21・22・25・40・64がある.22チョウショウジガケは,陸地にある長井寺とその手前に見える樹木との重なり具合を漁場の位置確定の目安としている.また,漁民の漁撈経験を示した事例として,4・25カジカケネがあげられる.こうした漁場の通称名(集落別の入会関係)の分析とともに,漁場の位置・大きさ・広さ・高さ・形状,漁業種類別の漁場使用の区別とその呼称,由来を含めた漁場の監理略歴,漁場の災害歴,磯焼け歴,漁場の主な付着海藻類,漁場に生息する主な磯魚,漁場における年間生産量などを調査項目として,大木根,井尻,仮屋ヶ崎,東,屋形,番場,新宿,漆山,荒井,長浜の各漁業集落における漁場の利用形態を調査した.その結果,集落間における独自の《棲み分け》現象をはじめ,明らかになった若干の認知形態を報告する.
    参考資料
    長井町漁業協同組合漁業研究部会連合会 2002.平成14年度横須賀市漁業活性化推進事業(磯根資源調査事業)長井沖磯根漁場図.神奈川県水産総合研究所.
  • 末田 智樹
    p. 55
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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     近世の捕鯨業に携わっていた大規模経営体を鯨組と称していたが、本報告では、西海地方に焦点をあわせて、近世前期から幕末期にかけての鯨組の変遷を地域的に捉えつつ、捕鯨業の実態に迫りたい。 17世紀初頭に紀州の太地で成立した捕鯨業は、17世紀中頃になると紀州地方からの技術伝播によって、西海地方でも盛んに行なわれるようになった。とくに平戸藩の特権商人によって本格的に行なわれるようになり、その後大村藩、五島藩、唐津藩、福岡藩の領域内へと拡大していき、多くの中小の鯨組の勃興をみた。 近世後期になると、中小の鯨組の中から一段と大きな鯨組が出現するようになり、なかでも平戸藩生月島の益冨組が代表的である。この益冨組は、大村藩や五島藩の他領国の漁場にて積極的に捕鯨業経営を展開するようになり、幕末期には、西海地方最大の鯨組へと成長していった。 以上のように西海地方の捕鯨業は、近世前期から多くの藩内で行なわれるようになり、幕末期には、藩を越えた、いわゆる藩際捕鯨業が展開されるようになっていった。
  • 岡山空港を事例にして
    今井 英文
    p. 56
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    本研究では、2000年3月から2003年3月までの3年間に、中国・四国地方における岡山・ソウル線(以後、ソウル便とする)の分布と流動について考察した。その結果、1)ソウル便利用客が岡山空港に近接する都市部に集中する傾向が強まったこと、2)他空港との競合によってソウル便利用客の集客圏が縮小していることの2点が明らかになった。
  • 伊藤 慎悟
    p. 57
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    1.はじめに 本研究の目的は、高度経済成長以降、急激な人口増加を経験した横浜市内において、ほぼ同時期に開発された住宅地区の人口高齢化進展と、地区間格差について議論することである。 大都市圏における人口高齢化については、地理学でも多数の研究成果が上げられているが、人口減少が顕著であった都心や中心市街地での高齢化に加え、今後の動向という点で、大都市郊外地域の人口高齢化についても関心が高まっている。しかしながら、郊外地域内における人口高齢化進展の地域差に関しては研究蓄積が少なく、本研究では住宅地居住人口の高齢化過程を中心とした人口動態の地域格差を見出したい。 2.研究対象地域(第1図) 本研究の対象地域は、東京大都市圏の郊外住宅地域として、1960年代を中心に人口が急増した横浜市である。研究対象地域の選定に関しては、伊藤(2003)での研究結果を踏まえ、横浜市内でほぼ同時期に開発が行われたとされる住宅地域間の比較を行うべく、神奈川県(2002)『住宅団地立地調査書』をもとに、「造成又は建設着工及び完成年度」の期首年度が昭和39(1964)年から43(1968)年に該当する公共・民間の48団地を研究対象とした。なお、ここでの「団地」の定義に関しては、上記資料によるものとする。3.調査の方法 本研究では、先に述べた48団地の時系列人口動態を調べる上で、国勢調査の最小分析単位である国勢調査区(基本単位区)別集計(非掲載第1表、ただし平成7年国勢調査からは第2表)を用いた。これら48地区は先に示した住宅団地を含む調査区の集合体である。なお、本研究では微細な地域単位での経年変化を見るため、調査区設定変更によって経年比較が困難と判断した地区は対象から除外した。また、このような調査区別集計では世帯(家族)構成や就業構造、住宅の建て方などのデータも入手可能である。4.全48地区の年齢構造 まず、今回取りあげた48地区全体の年齢構造上の特徴について概観した。とりわけ30歳代(1936_から_1945年生まれ)と0_から_9歳(1966_から_1974年生まれ)の集積が著しく、当然ながら高齢者の比率は、比較的低いと言われる横浜市の平均よりもさらに低い。 年齢構造3区分では、1975年以降、年少人口比率(0_から_14歳)で急激に低下し、高齢人口比率(65歳以上)は90年代前半頃まで緩やかに上昇していたが、ここ数年上昇度合が強まっている。 また、本研究では年齢構造を総括的に把握すべく、平均年齢にも着目したが、1975年から2000年までに、横浜市では10歳上昇したが、48地区全体では14歳以上上昇している。(第2図)5.人口高齢化進展の地区間格差 入居して間もないと考えられる1975年時点で、既に年齢構造には地区間でかなりの差が生じている。また、既存の研究でも明らかとなった、居住人口の「加齢」による高齢化が着実に進んでいる地区と、そうでない地区といったように、対象地区間における年齢構造の変化は多様性に富んでいることが明らかとなった。本研究は、人口以外のデータも収集し、人口高齢化進展との関係について吟味した。文献伊藤慎悟2003.郊外住宅地域における人口高齢化の地域差―横浜市泉区の事例.新地理50:27_-_40.
  • 貞広 幸雄
    p. 58
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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    本論文では,GISで用いられる各種の空間データにおいて,その位置情報に誤差が含まれている場合に,バッファリング操作の結果がどの程度信頼できるのか,精度を評価するための手法を提案する. 空間データの精度は,これまでイプシロン領域(Perkal, 1966)や確率密度関数(Shi, 1998),ファジー関数(Burrough and McDonnell, 1998)などの手法で表現されていたが,ここでは汎用性及び操作性の高い確率密度関数による表現形式を採用する.また,バッファリング結果の精度は,欠落(Error of omission)領域,即ち,本来はバッファ領域に含まれるはずであるのに含まれない領域が,本来のバッファ領域に占める割合の期待値(以下,欠落率)によって評価する.通常,この種の評価にはもう一つ,余剰(Error of commission)領域も用いられるが,期待値についてはこれらは同等であるので欠落領域のみを取り上げる. 空間オブジェクトとしては,まずは単一の点を取り上げる.点の正位置を原点とする座標系を取り,データ上の点位置の確率密度関数をf(x),バッファ半径をb,中心x,半径bの円領域をC(x,b)とおくと,欠落率の期待値はと表される.この値は一般的には解析的に表現することができないが,f(x)が特別な場合には近似表現を得ることが可能である.例えば,f(x)をC(0,r)内の一様分布と仮定すると,となり,欠落率の期待値は位置誤差にほぼ比例することが分かる.具体的には,誤差半径rがバッファ半径b の10%のときに平均約5%の欠落率となる. この評価方法は,単一の点だけではなく複数の点を含む点分布のバッファリング操作に対しても適用可能である.欠落率の期待値は同様の積分形式で表現され,一般的な解析的表現を得ることは難しいが,少なくとも数値積分による計算が可能である. 次に,同様の分析を単一の線分についても行う.即ち,ある線分の2端点の位置がそれぞれある確率密度関数に従って分布するときの,線分のバッファ領域の精度を評価する.この場合,変数の数が単一点の場合の2倍であり,欠落率の期待値は4重積分を含む式で与えられる.通常,多重積分の数値計算は計算量が大きく,モンテカルロ法に頼らざるを得ないことが多いが,ここでは積分方法を工夫することで,実用性のある計算方法を提案する. 具体的な手順は省略するが,点の場合と同様,線分の端点がいずれも正位置を中心とする同一半径rの円内における一様分布に独立に従うものと仮定すると,バッファ半径をbとして,欠落率の期待値はという,やはり誤差にほぼ比例する形で近似的に与えられる.誤差半径rがバッファ半径bの10%のときに平均約2%の欠落率であり,単一の点の場合と比べて欠落率はかなり小さくなる.なおここでは,点位置の誤差はバッファ半径及び線分長と比べて十分に小さいということを仮定しており,この仮定が成立しない場合には欠落率は上式よりも若干大きくなる可能性がある. この手法をさらに,複数の連結した線分に拡大することで,ポリゴンに対するバッファリング操作の精度を評価することも可能である.一般的な議論は難しいが,バッファ領域の精度はポリゴンの周長と面積に主として依存することは明らかであり,また線分に対する結果から類推すると,欠落率はやはり誤差の一次式で近似的に表されることが予想される.参考文献Burrough, P. A. and McDonnell, R. A. (1998): Principles of Geographical Information Systems. New York: Oxford University Press.Perkal, J. (1966): On the Length of Empirical Curves. Discussion Paper, 10, Ann Arbor Michigan Inter-University Community of Mathematical Geographers.Shi, W. (1998): A Generic Statistical Approach for Modelling Error of Geometric Features in GIS. International Journal of Geographical Information Science, 12, 131-143.
  • 淺野 敏久
    p. 59
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
    会議録・要旨集 フリー
     2002年12月に,事業開始から約40年を経て中止になった中海干拓事業について,事業中止前後の地域,特に市民運動の動向について紹介するとともに,今後の宍道湖・中海地域の環境再生に向けての課題について述べる。 「なにかをつくる」干拓事業は完全に中止になったが,その後始末は今後の課題である。主のものとしては以下のようなものがある。1)代替水源の確保2)中浦水門の撤去3)堤防の開削4)アシ帯の復元5)公共事業依存からの脱却6)斐伊川神戸川治水事業(大橋川拡幅事業) これらの課題について,これまでの市民・住民運動や新しく組織された運動等が何らかの関わりを有している。特に湖の環境改善(水質改善)や自然再生をめざすベクトルは,市民運動が問題を投げかけることで方向が左右されている。行政はこれを如何に吸い上げて利用するかが課題であり,運動側は如何に広く一般に環境再生の理解を広げていくかが課題である。
  • 小玉 芳敬, 小西 立碁, 菊池 顕宏, 景山 龍也, 三村 清, 谷口 聡, 頼正 浩
    p. 60
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
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     伯耆大山の主峰(標高1,729m)は,巨大な溶岩円頂丘でデイサイト(石英安山岩)から構成されている.主峰の南側斜面と北側斜面は大規模な崩壊地となり,ここから供給された土砂は渓流を流れ下る.標高1,000m付近を通る環状道路では,毎年豪雨時に渓流から土砂が流出して道を塞ぐ.また山麓部に広がる火砕流台地の縁には,多くの崩壊が発生し,渓流に土砂を供給している.一方,日野川の河口付近から境港市までのびる弓ヶ浜半島の海岸では,現在も東側で海岸侵食が進行し,逆に西側では海岸線の前進が顕著である.砂浜の侵食は,堆積物の不足を意味する.伯耆大山中腹などで観察される多量の土砂供給との関連性はどのように理解されるのであろうか?「伯耆大山に展開している砂防施設により,日野川への土砂の供給量が減少し,このことが弓ヶ浜の海岸侵食に大きな影響を及ぼしている」といった声がしばしば聞かれる. 本発表では,弓ヶ浜半島外浜の構成材料が,大山起源の堆積物ではないこと,大山から供給される多量の砂礫は,大部分が運搬過程で細粒化し,濁り成分(シルト以細)となり,そのため日野川の掃流物質や弓ヶ浜海岸の砂浜へ与える影響は極めて小さいと考えられること,の2点について述べる. 鳥取県立博物館が所有する1968年以降5年おきに撮影された空中写真を比較検討することで,弓ヶ浜海岸の汀線変化を明らかにした.年次を追うに従って東側で侵食が進行し,西側では1978年に竹ノ内工業団地の埋め立てが開始されてから,この埋め立て地の東隣で着実に堆積域が拡大している. 弓ヶ浜の海岸侵食は,海岸線の平面形態が美保湾の入射波浪条件に釣り合うまで進行すると考えられる.外浜の平面形態は東側で奥行きが広く西側へと急減し,いわば「くさび形」を呈する.一方,内浜や中浜ではそれぞれ当時の海岸線はほぼ平行し,奥行きの東西変化も少ない.内浜や中浜の海岸線が美保湾の入射波に対して釣り合いがとれた状態と言えよう.すると外浜の海岸線も,内浜や中浜の海岸線と平行になれば,安定すると思われる.つまり外浜の海岸線は現在,動的平衡状態を目指して東側から西側へと砂の移動が生じている過程にあると認識すべきである. 弓ヶ浜とその東隣の淀江では,海岸堆積物が一見して異なる.つまり,弓ヶ浜海岸は石英粒や長石粒を主体として白色の粗砂や中砂から構成されているのに対して,淀江海岸はデイサイトの岩片を半分以上含んだ灰色の細砂からなる.これらの違いを海岸堆積物の粒度分析から明らかにした.また平野表層の堆積物も含めて,磁性岩片含有率の分布を調べ,含有率が高い淀江平野の特徴を明らかにした.磁性岩片のキュリー温度は,弓ヶ浜と日野川上流部では570℃であるのに対して,淀江海岸とここに流入する佐陀川の上流部では500℃を示した.つまり,弓ヶ浜の構成材料は日野川が中国山地から運搬してきた花崗岩質の堆積物からなり,淀江の構成材料は佐陀川が運搬してきた大山起源の堆積物からなることを示している. 伯耆大山南麓の三ノ沢における調査から,渓床にあるデイサイトの礫同士は,豪雨時の掃流過程で互いに摩滅しあいシルトを生産し,シルトは濁り水とともに流亡する様子が想像された.渓床に立つ樹木の年輪解析からは,樹皮を傷つけるような土砂移動頻度は渓流の上流側ほど高く,下流に急減することが明らかになった.逆に渓床堆積物に含まれる細粒岩屑の量は,下流方向に増加している.伯耆大山の「渓流_-_河川」沿いの河谷地形は,いずれもその幅が上流側で広く,下流方向に減少している.このことは掃流砂礫量が下流に減少することの表われと捉えられる.つまり,デイサイトの掃流礫は,運搬過程で破砕摩耗されてシルトとなり,浮流物質へと変化するためである.シルト以細となった物質は,出水時に日野川の濁り水として一気に美保湾の海底にまで運ばれていくのであろう. 流域単位での土砂流出環境を読むには,上流部で供給された土砂礫の特性(岩質・風化度合い・粒度組成など)や,さらにそれらが運搬過程で被る細粒化特性の把握が大切である.これらの特性に応じて,下流の地形に与える影響が異なるためである.伯耆大山中腹にみられる激しい土砂移動と,その麓の弓ヶ浜で進行する海岸侵食といったパラドックスの理解には,これらの視点が不可欠であろう.
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