日本地理学会発表要旨集
2004年度日本地理学会春季学術大会
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江の島の「天王祭」における祭礼空間の一考察
*池内 泰
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p. 216

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抄録

 日本における神社の祭礼は,ひとつの村落内で完結するのが一般的である.この場合の神社は,氏神あるいは鎮守と呼ばれる.この神社は特定の集団あるいは一定の範囲において意味を成す.鎮守とよばれる神社は村落ごとに存在し,村落共同体がそれぞれ単独に祭礼を執り行う.
生業によって祭礼の内容は異なるが,祭礼を行う集団の結束の確認と彼らが生活する空間の活力の更新をするという点は同じである.
 しかしながら,いくつかの村落が集まって鎮守の祭礼を行う例は少なくない.その場合,村落間には農業用水や山林の共同利用が存在する.さらに中世に成立した荘園や近世の郷などの地域社会の枠組みの変遷をも含めた複合的な要因が反映している.しかし,各々の要因がどのように組み合わさっているのかを明らかにすることは容易ではない.
 本研究で対象としたのは神奈川県の江の島において展開される天王祭である.天王祭は江島神社の末社である八坂神社と,対岸の腰越の鎮守である小動神社の祭礼が結合して行われる.天王祭は大きく分けて,江の島の東町と鎌倉市腰越の2つの漁業集落の結びつきを示していると考えられるが,どのような要因によって成立したのかは明らかではなかった.
 そこで,本論ではその要因を明らかにするために,天王祭の祭礼空間に注目した.神輿の渡御によって象徴的に示され,つながれた空間において,どのような儀礼が行われるかを読みとり,そしてその空間が現実世界において,どのような空間であったのかを時系列で整理し対比した.主に着目したのは,藤沢市と鎌倉市の境でもある腰越の境界と藤沢市の龍口寺前で行われる儀礼と江島神社の辺津宮前で行われる儀礼である.
 その結果天王祭とは18世紀後半に江の島の東町および津村,腰越村の住民が江の島の弁才天との関係を再確認した祭礼であることが明らかになった.この背景としては江の島の弁才天への参詣客の増加と津村,腰越村の鎮守であった龍口明神社および龍口寺が,他村の領域に確定したことが密接に関係すると考えられる.

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