日本地理学会発表要旨集
2004年度日本地理学会春季学術大会
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  • 山本 佳世子
    p. 1
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1.研究の視点と目的
    近年大都市圏縁辺部では、地価の低さ、オフィスや住宅用地確保の容易さに加え、中心部への交通網整備等の要因で市街化が急速に進行し、市街地の拡散化やスプロール現象等の問題が生じるケースも多いことが指摘されている。したがって大都市圏縁辺部では、市街化に伴い土地利用規制と土地利用実態との間の乖離が進むことにより、市街地と他の土地利用との間の土地利用調整の必要性が生じていることが大きな課題の一つとなっているといえる。そしてこのような傾向は、土地利用基本計画の五地域のうち都市地域と他地域との重複地域で特に強くなる可能性があるため、重複地域を中心として適正な土地利用規制がこれまで行われてきたか評価することが必要不可欠となる。そこで本研究は、山本1)2)3)の成果から一歩踏み込み、GISにより交通条件を考慮して土地利用規制と実態との間の乖離を解析し、市街化の抑制という視点から大都市圏縁辺部における土地利用規制を評価することを目的とする。

    2.評価の枠組みと方法
    本研究では、大都市圏縁辺部における土地利用計画の課題のうち、市街化圧力が大きい都市地域内における土地利用調整の必要性に着目する。具体的には、都市地域のうち市街化調整区域及び都市計画白地地域の2地域を重複のない地域と他地域との重複地域に分類し、マザーレイク21計画の7流域単位で交通条件を考慮して土地利用規制の評価を行う。また山本2)の成果を踏まえ、交通条件及び地理的条件を考慮して、琵琶湖集水域の7流域を4つのタイプに分類する。

    3.各流域の土地利用規制の特性把握
    市街化調整区域の指定はJR駅の近接地域でも行われているが、都市計画白地地域はJR駅から離れた地域や主要道路沿線地域に多く分布していた。また重複のない地域は主要道路沿線地域に主に分布しているが、重複地域の分布と交通条件との間にはあまり明確な関連性がなかった。また全域的な傾向をみると、市街化調整区域と都市計画白地地域における重複地域の面積割合はほぼ同程度であった。

    4.各流域単での交通条件を考慮した土地利用規制の評価
    予備的な解析評価をもとにした評価対象地域の詳細な選定
    前章での解析結果をもとに、研究対象地域における予備的な解析評価を行った。その結果、都市地域と森林地域及び自然公園地域との重複地域では、市街地の面積割合がほぼ全市町で5%以下であったため、これら2種類の重複地域は評価対象としない。
    都市地域内の重複のない地域における評価
    以上よりタイプ_I_とタイプ_IV_の4流域では市街化調整区域において新市街地が拡大していたことと、タイプ_II_の2流域では市街化調整区域よりもむしろ都市計画白地地域において旧市街地の分布に加え新市街地の増加していたことから、これらの地域でそれぞれ土地利用規制が効果を挙げていないといえる。また市街化への規制力が強い市街化調整区域内において、特にタイプ_I_の2流域では交通施設への近接性の程度に関わらず全距離帯で新市街地が増加していることから、このような地域では市街化圧力が著しく大きかったため、土地利用規制の効果が最も小さかったことがわかる。
    都市地域内の重複地域における評価
    市街化調整区域、都市計画白地地域ともに、農用地区域との重複地域よりも農振白地地域との重複地域において、土地利用規制と実態との間の乖離が著しく進行していた。また重複のない都市地域よりもむしろ都市地域と農振白地地域との重複地域において、土地利用規制と実態との間の乖離が著しかった。そして農振白地地域との重複地域のうちでも、タイプ_I_の2流域とタイプ_IV_の信楽・大津流域では市街化調整区域、タイプ_II_の2流域とタイプ_III_の高島流域では都市計画白地地域で土地利用規制が特に効果を挙げていなかった。さらにタイプ_I_の2流域では、市街化調整区域と農用地区域との重複地域での交通施設から離れた地域ででさえ新市街地が拡大していたことから、このような地域では重複のない都市地域内と同様に市街化圧力が著しく、土地利用規制の効果が最も小さかったといえる。
  • 沖津 進
    p. 2
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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     本報告では,アフリカ南西部の乾燥,半乾燥地帯に位置するナミビア共和国内で,降水傾度に沿ったサバンナ植生景観の変化を,落葉樹割合や葉の大きさに着目して検討する.これは平成15年度科学研究費補助金(基盤研究(A)(1))「アフリカの半乾燥地域における環境変動と人間活動に関する研究」(課題番号13371013,研究代表者 水野一晴)の成果の一部である.
     調査はナミビア共和国のほぼ全域,南緯17度_から_27度,東経13度_から_20度の範囲で行った.調査地域内で観測記録がある地点での年降水量は15 mm(Swakopmund:ナミブ砂漠中部)_から_570 mm(Groodfontein:北部カラハリ)の間である.ナミビアは自然景観的に三つの大きな地理地域に区分される.ナミブ砂漠(Namib Desert)は西側大西洋沿岸低地に位置し,降水量が極めて少なく,植生の発達はごく疎らである.中央高地(Central Highland)はナミビア中部に位置し,標高が高く起伏の大きい地形を呈し,基盤が露出し,一般に土壌が薄い.メガカラハリ(Mega Kalahari) はカラハリ砂漠の西,ナミビア東部に広がり,平坦で,カラハリ砂漠からの飛来砂が厚く堆積している.主要幹線道路を自動車で走行し,植生に対する人為の影響が軽微と思われる地点で砂漠およびサバンナ植生を対象に調査を行った.
     調査地点の年降水量と3階層の樹木植被率合計との間には正の相関関係がみられた.砂漠からサバンナへの移り変わりは年降水量100mm前後であった.サバンナ植生内では,降水量と3タイプとの間には明瞭な関係は認められなかった.落葉樹型は中央高地に現れた.ここは基盤が露出した起伏の大きい地形の上に土壌層が薄く堆積しているだけなので,保水力が少ないために,乾季には落葉せざるを得なくなると考えられる.常緑微小形葉型はメガカラハリ北東部に集中していた.ここは平坦地の上にカラハリ砂漠から飛来砂が厚く堆積しており,保水力は中央高地よりも優れている.そのために,乾季でも葉を着けたままの常緑性を維持することができる.常緑中形葉型は地理地域とはあまり明瞭な対応を示さず,メガカラハリおよび中央高地北西部の,モパネ(Colophospermum mopane)分布域に限定して出現した.このサバンナタイプはモパネの生態的特徴に依存して成立している.
  • 鹿島  薫, 廣瀬 孝太郎, 山口 正秋, 津村 宏臣
    p. 3
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    研究の目的
     トルコ・アナトリア高原において、第四紀後期の気候変動と人間活動・遺跡立地との関わりを考察するため、1991年から継続的な現地調査を続けている。湖盆における湖沼堆積物におけるこれまでの研究成果から、広域の、しかも大規模で急激な乾湿変動の存在が明らかとなってきた。
     2003年は中期青銅器時代の中心的な遺跡である、キュルテペ遺跡において、地形図および衛星画像判読と掘削調査を行い、その環境変動と遺跡の立地とその廃棄の過程との関連を考察したのでここに報告する。

    キュルテペ遺跡の立地・水利洪水特性
     調査地域は、トルコ中部、カイセリの東方約20kmに位置するキュルテペ遺跡およびその周辺地域である。キュルテペは、中期青銅器時代(紀元前2000_-_1700年前ごろ)の中心的な遺跡であり、巨大な王宮(カネッシュ)とそれを取り巻く商人都市(カールム)が分布している。カールムから多数の粘土板文書が出土し、当時の社会システム・商取引の実態が明らかにされたことでも有名である。
     キュルテペ遺跡は、東西約15km、南北約10kmの盆地の東縁部に位置しており、遺跡の北東側に扇状地が張り出している。これに対して、南東側は50年ほど前まで沼沢・湿地となっており、遺跡立地当時にも、防御のために用いられていたことが推測された。
     2万5千分の1地形図および空中写真とLandSat7の画像解析を用いた判読より、地形分類、井戸の分布、土壌の含水量および植生の活性度を計測し、遺跡およびその周辺地域の水利は以下のように推定した。遺跡は扇状地の末端域に位置し、地下水の利用の利便性が高い。一方、画像より鳥跡状の堆積パターンが判読され、それらが遺跡をも越え分布することから、遺跡が洪水の頻繁な襲来を受けてきたことを示唆する。これは、遺跡面が現在2_-_5mの河川氾濫堆積物に覆われていることと一致する。

    ボーリング掘削調査による乾湿変動の復元
     遺跡の環境変動、水利および災害の変遷を明らかとするため、2003年7月に以下の2地点で掘削調査を行った。
    (図1)
    (A地点)遺跡の1.5km南東の沼沢・湿地に位置する。遺跡における洪水の頻度・水位変化を復元する目的で実施した。
    (B地点)遺跡から7km離れた湖沼(現在は遊牧地となっている)に位置する。直接に洪水などの影響を受けないことから、長期的な乾湿の変動を復元する目的で実施した。
     それぞれのコア試料は、層相を記載の後、分割し、年代測定、微化石の分析による古環境の解析に用いた。珪藻化石の分析より、A地点では、層相変動と連動して、3回の水位変動が観察された。一方B地点では、層相変化が乏しかったものの、珪藻群集の変動から2周期の明瞭な乾湿変動が存在することが分かった。
  • 中川 清隆, 榊原 保志, 下山 紀夫
    p. 4
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    _I_.はじめに
    演者らは、気象情報を教育に利用する会を設立し、自作の自動巡回ソフトによりライブカメラ画像を中心にした気象情報画像データベースの構築を進めている(図1)。データベース化された2003年分の蓄積画像の概要を報告する。
    _II_.2003年気象情報画像データベース
    データベース化を進めているのは、気象庁HPの天気図、衛星3画像、レーダー画像、アメダス5分布図、日本気象協会HPの衛星赤外画像、国際海洋気象HPのレーダーアメダス合成図、およびインターネット自然研究所HP、定点広域観測コンソーシアムHP、e-気象台HP、信州大・教育学部HPのライブカメラ画像である。2003年分の全蓄積画像は、CD29枚、総容量19.4GBに達した(表1)。各CDは、蓄積データの他に各種ソフトウェアを含む。
    画像取得失敗は、1)画像サーバー障害、2)プロバイダーサーバー障害、3)LAN障害、4)端末障害等により発生する。表2は1時間ごとに更新されるレーダーアメダス合成図(国際海洋気象HP)の蓄積状況である。欠測が無ければ画像総数は8760であるが、年間70回の欠測があり、実際の取得画像総数は8690、取得率は99.2%である。この取得率は24時間一括取得が可能な気象庁HP並に高い。利用頻度が高い衛星画像(日本気象協会HP)は、5月の「ひまわり5号」から「ゴーズ」への変更の際等に欠測が発生したものの、取得画像総数8681、取得率99.0%であった。しかし、衛星の食の際には深夜の画像更新が停止され、古い時刻の画像が再録されたものが多数ある。また、衛星交代後は、正時10数分前に次正時の画像に変更される事態が、01時と19時に頻発した。
    ライブカメラ画像の欠測は頻繁に発生した。例えば、知床半島サイト(インターネット自然研究所HP)は夜間の20時_から_4時は画像が全く供給されず、取得画像総数4535、取得率51.8%に過ぎなかった。函館市サイト(定点広域観測コンソーシアムHP)は夜間も提供されているにも関わらず欠測が頻発し、取得画像総数5053、取得率57.6%に過ぎなかった。演者らが独自に展開した長野北向サイト(信州大・教育学部HP)の取得画像総数は8020であり、取得率は91.6%であった。PCカメラシステムを長時間運用しているとフリーズするので、その都度リセットする必要が発生した。
    _III_.おわりに
    2003年が終了したばかりの現時点では、蓄積画像の吟味が不十分である。今後、品質チェックを進めるとともに本データベースで観察可能な特徴的な気象現象について整理する必要がある。また、2003年はライブカメラ網や自動巡回ソフトの改善とデータの蓄積を並行して実施したため、データベースとしても不完全である。2004年は2003年より完成度の高いデータベース構築を目指す。
    本データベースは気象情報を教育に利用する会会員にCD代および同郵送費自己負担で相互配布される。同会入会手続等の詳細についてはhttp://rika.shinshu-u.ac.jp/mie/guidance/guidance.htmを参照されたい。
  • 井上 伸夫, 北川 浩之
    p. 5
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    はじめに
    古気候記録中に認識される、様々なイベント(最終氷期極相・ヤンガードリアス・完新世開始に伴う急激な温暖化など)の存在は古気候研究の大きなトピックの一つである。何故なら、気候変動期の環境反応のみならず、それらは大気・水循環間の相互作用を知る為の鍵の一つであるからである。
    南西中国・雲南省において、Xingyun HuとQili Huの湖沼堆積物から復元された過去50,000年間の古気候は、氷期_-_間氷期のサイクルにおいて夏季・冬季モンスーン(インドモンスーン・東アジア冬季モンスーン)間の相互作用で特徴付けられるとしている(Hodell et al., 1999)。
    しかし、南西中国の気候変動について十分な時間分解能をもった気候変動復元は行われていない。最終氷期_-_間氷期の移行期における急激な温暖化に伴うモンスーン変動など、100年程度の時間スケールの変動については明らかにされていない。氷期_-_間氷期の移行期を含む最終氷期以降の高時間分解能をもった気候変動復元は、南西中国の氷期_-_間氷期の移行期の気候変動や、この地域の気候と強く関係がある夏季・冬季モンスーン間の変動について新たな知見を与えると考えられる。
    そこで本研究は、エルハイ湖の湖底堆積物からモンスーン変動によって変化すると考えられる風成塵の動態を調べる。風成塵は全体的なモイスチャーバランス、地表面安定度、植物カバーの度合に対して敏感であり、過去の大気循環の直接的な記録でもある(Muhs et al., 2003)。我々は風成塵の堆積量変動から南西中国における最終氷期極相以来の高時間分解能な気候変動復元を行い、夏季・冬季モンスーンの相互作用、特に氷期_-_間氷期の移行期の変動について検討する。
    試料採取地および分析手法
     本研究に供した試料は中華人民共和国南西端に位置する雲南省西部エルハイ湖において採取された柱状試料である。
     分析には約10m長の柱状試料を供した。10m長のコアを1cm間隔にて切断を行い、それぞれについて化学的手法により有機物・無機物除去を試みた。機器測定には化学的処理後の試料を用いた。粒度分布測定には堀場製作所製のレーザ回折式粒度分析機LA-300を使用した。また年代測定結果を基に岩石起源物質の年堆積量割合(Lithogenic Flux)を算出した。得られた実験結果に基づき、Size-Partitioned Lithogenic Flux (SPLF)を算出した。SPLFは岩石起源物質のサイズ・堆積量を反映する指標である。
    考察
    我々は、(1)最終氷期間、(2)最終氷期と完新世の境界、の両期間の対比について考察を行った。
    最終氷期:SPLFは、最終氷期間6.5-5.5Φ(11.04-22.09µm)サイズフラクション間に高い値を示す。様々な要因を勘案して、これは冬季モンスーンによって輸送された風成塵が主に6.5-5.5Φサイズフラクションに集中していたと結論付ける。
    氷期_-_間氷期境界と初期完新世:氷期_-_間氷期境界におけるSPLFは、lithogenic flux、特に6.5-5.5Φサイズフラクションへのフラックスの急激な減少を示す。これは最終氷期間と比べて、冬季モンスーンの強度がより弱体化したことを暗示する。
    またSPLF記録中にいくつかのイベントが認められる。それらのイベントは風成塵フラックス量と冬季モンスーンの強度と関連し、そしてグローバルな古気候イベントとの関係を示唆する。中国黄土高原における晩氷期モンスーンは部分的に北大西洋地域の気候推移とテレコネクションしている可能性が指摘されている(Heslop et al., 1999)。
    結論
     堆積コアより過去18000年間の風成塵フラックスを見積もった。南西中国、エルハイ湖へのLithogenic Fluxは、最終氷期においては冬季モンスーン、完新世においては夏季モンスーンの活動に大きく作用されている。つまり夏季・冬季モンスーンの変動は南西中国の環境に大きく作用している。
  • 川久保 篤志
    p. 6
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1.はじめに
     日米間の農産物貿易で長年の懸案であったオレンジの輸入自由化(1991年)が実施されてから10年余りが経過した。自由化前には,輸入の増加による日本の柑橘農業への悪影響やわが国の青果物流通業界の再編や海外農場への進出,外資系企業の日本進出など様々な予想がなされたが,現実にはどのように推移したのか。
     本発表では,自由化後のオレンジ生果の輸入動向の特徴を統計的に把握し,そのような変化が生じた要因を,わが国のオレンジの流通・消費事情の変化から探ることにする。

    2.自由化後のオレンジ生果の輸入動向
     図1は,1980年以降の日本のオレンジの輸入量を国別に示したものである。これによると,自由化後の変化として次の2つが指摘できる。1つめは,輸入量は自由化後の4年目にあたる1994年をピークに減少基調にあることである。2002年には自由化が政治決着した1988年の水準をも下回っている。2つめは,減少基調のなかでアメリカ産のシェアが低下し,輸入国が多様化してきたことである。これは,アメリカ産の流通の端境期にあたる8_から_11月にオーストラリア・南アフリカ共和国など南半球産のオレンジの輸入が増加してきたことによる。しかし,このような変化は既に1971年に自由化されているグレープフルーツにはみられず,日本特有のオレンジ流通・消費事情が反映されたものであるといえる。

    3.自由化後のオレンジの流通・消費事情
     自由化前のオレンジは完全な供給不足で買い手市場の状況にあり,政府から割り当てられた輸入枠の大小が輸入業者の利益の大小にほぼ直結していた。このため,自由化後は多くの社・卸売業者・小売業者が競って輸入業務に参し,一部の商社や小売業者ではアメリカのオレンジ農場に資本提携や契約栽培といった形で直接関わる動きもみられた。しかし,多くの輸入業者は日本での販売先を確保してから輸入するのではなく,輸入後に探したり,とりあえず卸売市場に流すといった販売方式を取っていた。このため,過剰輸入が港湾倉庫での在庫と鮮度の低下・腐敗をもたらし,販売価格が輸入価格を下回ることも生じた。
     このような流通業者の需給バランスを無視した過剰輸入は,自由化前の希少価値のある高級品としてのオレンジのイメージを一挙に崩壊させ,自由化当初に目玉商品として設定された低価格をさらに下回る価格が近年では定着することになった。また,消費そのものが減少傾向にあることについては,健康食品しての評判が定着したグレープフルーツに外国産柑橘のトップ
    銘柄を奪われたことや,自由化後にバレンシア種からネーブル種に輸入の主力品種が変化することで日本の中晩柑類との時期的競合が激化し,競争に敗れたことが大きな要因である。今や小売店におけるオレンジは,グレープフルーツに次ぐ外国産柑橘,日本産柑橘のシーズン終盤にあたる3・4月の主力柑橘,として果実コーナーで販売される商材になってしまったのである。
  • 北川 一美
    p. 7
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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     本研究の目的は、フィンランド人の居住において、自然環境がどのような意味を持っているかを分析することである。そこで、代表的・理想的とされる住宅地がどのように計画・建設されたかをたどり、実際に住民が周囲の自然にどう接しているか、彼らが住環境に対してどのような考えを持っているかを明らかにするため、文献調査、専門家へのインタビュー、住民への質問票調査などを行った。

     調査対象地として選んだVarkaus市は(1)人口の8割以上が暮らす人口密度が200人/km2以上の人口集積地にあり、(2)人口1万-4万人の小規模自治体にあり、(3)フィンランドを代表する産業(森林産業)が重要な役割を果たしており、(4)フィンランドを象徴する湖水地方にあることから、同市での調査結果が国民に共通すると仮定した。

     Varkaus市内で意識調査などを行ったのは面積約19ha、住居数111戸(うち一戸建住宅23戸)のPuurtilanniemi地区という住宅地区である。1991年夏に行われたハウジングフェアの会場として「湖岸に住む」ことをテーマの一つとして農地(牧草地)が開発された。同地区は次の点で平均的な住宅地といえる:(1)別荘地のような位置づけではなく、「住宅地のモデルケース」として開発されたこと、(2)住居の延べ床面積が国内の平均水準にあること、さらに調査結果を一部先取りしていえば、(3)通勤・通学のための交通手段というライフスタイルの一つの指標も国内の平均像を示している。

     調査の結果、3つの自然観が見出された。

     1つは、自然は景観美として受動的ないし精神的にとらえるもの、ということである。19世紀以降の近代国家形成過程において、フィンランドでは民族的意識を高めるための数々の著作や芸術作品が生み出された。また、学校教育をも利用して築かれた景観の理想像は、居住に関する理想へとつながった。元来、必要に迫られて水辺に暮らしていたが、都市化の影響で景観や生活が変化し、「フィンランド固有の自然」を日常に求めるようになった。それを実現し得ない都市生活者は別荘を持つことで補うようになった。

     2つは、自然は能動的ないし行動的にレクリエーションや洗濯場のために利用するもの、ということである。住民の湖あるいは湖岸の利用頻度は高く、利用方法は日常生活のレベルにとけ込んでいる。しかし、湖岸での生活は多かれ少なかれ自然の劣化を招く。親は「子どもが水に落ちるのではないか」と危機意識を持つ。

     3つは、以上とは異質なもので、自然は他者と距離をおくための空間、ということである。湖や湖岸の利用の頻度に反して、そこの公共の施設は皆に有効に利用されていない。また、当初計画されたパソコンによる地区内の交流ネットワークはほとんど利用されていない。建物同士が接近しすぎているという意見もあり、私有湖岸への憧れを持つ割合も高い。これらから「個人」あるいは「家族」への強い意識が読み取れる。それは、everyman’s rightの考え方と矛盾しているようにみえるが、そこで重要なのは「互いのプライバシーを侵害しない範囲で」自然にアクセスできることであって、その範囲は当事者同士で判断することになっている。ここでは自然を私有空間をとりまく準私有空間としてとらえていると考えられる。そして、この意識は戸外の自然に余裕があるからこそ存在しうるもので、現状では彼ら自身の判断で公私のバランスは保たれている。

     以上の3つの自然の役割が全て満たされることが理想である。一般的にフィンランド人の住居に関する夢として表現される「one-family house by the lake in the city center」はPuurtilanniemi地区開発当時から言われており、その実現が目指された。しかし、都市機能と自然へのアクセスはトレードオフの関係にあり、同地区においても、全ての住民にとって文句のない理想的住区とは言えず、それぞれが何らかの折り合いをつけて集住している。
  • 経亀 諭
    p. 8
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1.はじめに

     都市内部および大都市圏の構造変容に関する研究の中で,小売業の分散の担い手としての大型店,特にスーパーの重要性が指摘されて久しい.地理学におけるスーパーの研究の中には,スーパーという業態そのものを固定的に捉えた上で店舗数や立地の変化を追うものや,スーパーの立地形態や販売形態の多様化を企業戦略から述べるものが多数を占めている.しかし,前者ではスーパーの店舗規模や形態(本研究では「業態類型」と総称) の多様化への言及がほとんど行われておらず,後者では都市の構造変化との関連についての言及が少ない.

     そこで本研究では両者を統合し,都市内における各スーパーの店舗規模や形態の差異,またその変化の過程を明らかにすることを目的とした.



    2.研究方法

     本研究では,札幌市を事例地域とし,商業統計基準の「食品スーパー」「総合スーパー」を対象店舗とした.具体的な研究方法は以下の通りである.

     まず,わが国と札幌市におけるスーパーの発達史を概観し,業態類型を析出する.その際,GISを用いて1972・77・82・87・92・97・2002年の7年次の札幌市における各店舗の立地変化と,その他の社会経済的指標(おもに人口・小売業・交通に関する変数)との比較を行なう.また,より詳細な考察を行うために,2002年度の店舗データを用い,行要素を各店舗,列要素を各指標に基づいた立地特性とした因子分析を行なう.最後に,因子得点の業態類型ごとの平均値を比較し,業態類型ごと,あるいは業態類型内部における立地特性の差異を整理する.

     なお,資料として,(株)商業界・『日本スーパーマーケット名鑑』『日本スーパー名鑑』各年度版,札幌市企画調整局・『札幌市の地域構造』各年度版,(財)統計情報センター・『地域メッシュ統計 平成7年度国勢調査,平成8年度事業所・企業統計調査のリンク』を用いた.



    3.結果

     分析の結果,札幌市におけるスーパーの業態類型の差異に基づく棲み分けやその変化の過程は,以下のように要約できる.

     1)1960年代,主に徒歩による近隣商圏をもつ形の食品スーパー(「伝統的食品スーパー」,「ミニスーパー」)が人口分布にほぼ比例する形で分布を開始し,2)続いて1970年代には公共交通機関および徒歩によるより広い商圏をもつ総合スーパー(「伝統的総合スーパー」)が出店をはじめた.3)1970年代後半には,郊外化やモータリゼーションの進展に伴い,総合スーパーは次第に自動車による更に広い商圏をもつ大型の店舗を幹線道路沿いに立地させるようになり,4)店舗が増加するにつれて,1980年代には差異化のために商品の高級化・低価格化をはかる総合スーパー(「高級総合スーパー」「総合ディスカウントストア」)が出現しはじめた.5)大店法規制が緩和された1990年代には,食品スーパーの中にも自動車による広い商圏を特色とした大型の店舗が幹線道路沿いに立地しだし(「食品ディスカウントストア」「スーパー・スーパーマーケット」) ,6)旧来の公共交通機関や徒歩に依存する形の総合スーパーのうち品揃えが不充分であった小型のものがカテゴリーキラー等の影響からより採算の取りやすい大型の食品スーパーに置き換えられはじめるという傾向がそれを後押しした.また,7)大型の食品スーパーやコンビニエンスストアに商圏を奪われた小型の食品スーパーの一部は,24時間化等の対応で生き残りを図った(「コンビニエンスストア対策形食品スーパー」).

     なお当日の発表時には,本稿で述べたスーパーの業態類型および立地展開の変化に加え,既存の小売業や人口の分布の変化との関連性についても更なる検討を加え,より詳細な結果を報告する予定である.
  • 高柳 長直
    p. 9
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    _I_ はじめに
     生鮮輸入野菜の増加傾向は一段落したとはいえ,依然として日本の野菜産地にとって輸入野菜は大きな脅威となっている。とりわけ,政府がメキシコをはじめとする各国とFTA交渉を進める中で,農業分野が大きな障害となっており,農業構造の改革を求める声が内外から強まっている。グローバル経済に対する批判は根強いものの,自由貿易化の流れを変えるまでには至っておらず,低価格の輸入野菜に対抗しうる生産・流通システムを形成していく必要が求められている。
     本報告では,トマト産地を事例として,輸入の増加が懸念される中で,どのように改革を進めているのか,またその改革の過程での課題はどのようなことであるのかを検討することを目的とする。研究対象地域としては,生鮮トマトとしては日本で最大の出荷量を誇り,典型的な輸送園芸産地である熊本県八代地域とする。なお,八代地域においては,ミニトマトの生産も多いが,本報告では主として丸トマト(大玉トマト)を対象とする。

    _II_ 産地強化対策
    (1)施設の更新・導入
     八代地域における冬春トマトはほぼ100%が施設栽培である。そのため,生産費に占める施設費の割合は高く,生産者にとっても大きな負担となっていた。そこで,1996年からハウスリース事業が開始された。施設の建設費は10a当たりで約400万円であるが,国庫補助として50%が補助されることになるので,リースの借手は5年間を40万円ずつ負担すればよい。無論,連棟ハウスは台風の被害などに遭わなければ20年以上使用が可能である。当初は,古いハウスの更新が中心であったが,1998年ごろから新規の建設も進み,産地としての供給力が拡大した。しかしながら,ハウスリース事業によって,見かけ上は生産費の低減を図られるが,補助金の投入と固定費の変動費化を行ったに過ぎず,根本的な構造改革とは言い難い。
    (2)選果場の建設
     従来は,手作業で生産者が個別に選果作業を行い,地域内7か所の集荷場に集められていた。1998_から_99年にかけて,2か所の選果場が建設され,自動選果機によって共選が開始された。総事業費は22億8,228万円(うち国庫補助9億8,690万円)と巨額の投資であったが,効果は大きく作業労働時間の大幅な削減を図ることが可能になった。共選導入以前は作業労働時間は976時間/10aであり,最盛期には深夜まで出荷作業を強いられていた。導入後は733時間/10aに減少した。夜間の作業は家族労働力でまかなっていたため,生産者にとって直接的な経費削減の実感は少ないが,後継者の確保には大きな貢献があるものと考えられる。また,家族労働力を日中の収穫作業に充当することが可能になり,雇用労働力もある程度削減することが可能になった。
    (3)ブランドの確立
    _丸1_減農薬栽培の取り組み
     輸入野菜に対抗するための高付加価値化の試みとして,2001年度から減農薬栽培に取り組み始めた。消費者に対して国産農産物の安全・安心をアピールして,輸入品との差別化を図る戦略である。ハウス内の高温の影響で,オオタバコガなどの発生に悩まされていた。従来は農薬で防除していたが,薬剤耐性も強まってきた。そこで,光の点灯によって害虫を忌避させる効果のある黄色蛍光灯を設置た。さらに,ラノテープや防虫網との併用によって,防除回数を慣行栽培の50回を15回まで抑えることを目標とした。確かに,防除回数は3分の1から2分の1程度まで減少したが,点灯させていても夜蛾が大量発生したり,新たな害虫が誘引されたりと,完璧な防除には至っていない。
    _丸2_広報・PR活動
     減農薬栽培を背景に,産地ブランドを消費者に浸透させることで,単価の下落を防止するために,2001年に公募によって「はちべえ」ブランドが設定された。これに合わせて,新聞広告・交通広告や消費者に対してサンプルの無料提供を行った。しかし,この事業の実施初年度においては,大きな課題が残された。第1に,全国の消費者に対して広くブランドを認知させるという目的で,全国紙や地方紙を活用したが,八代産トマトの販売地域と必ずしも一致していなかったことである。第2に,仮に消費者がブランドを認知したとしても,店頭でブランドを確認することが不可能なことであった(現在は改善されている)。こうしたことは,生産者側にフードシステムに対する構造的把握が不十分なことに起因していると考えられる。 
  • 伊藤 貴啓
    p. 10
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    本研究は農業地域の自立的発展とそれに関わる地域的条件を地域構成主体の共生と競争という観点から論じようとするものである。ここでの農業地域とは,「農業経営を主体とする農家群によって構成される集落とともに,農業的土地利用が卓越する空間」と定義しておきたい。具体的には,愛知県蒲郡市ほかを事例としながら,このような農業地域の自立的発展に関わる地域内部の条件を明らかにしていきたい。
    ・農業地域の自立的発展
    ・自立的発展の条件
    ・地域の構成主体からみた自立的発展のモデル化
  • 清水 長正
    p. 11
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    風穴現象が生じるような地下の空隙や空洞は、そこの地形・表層地質条件の大きく関与する。最も顕著なものが溶岩トンネルであるが、富士山麓、秋田駒ヶ岳、普賢岳で報告されているにすぎない。
     日本の風穴の多くは地すべり地形内の、滑落崖下の崖錐斜面、移動ブロック間の凹地に位置する。その他、河谷沿いの崖錐斜面、溶岩ドームの形成による閉塞凹地、火口、クラック地形などに風穴がある。このような凹地は、斜面を移動してきた岩屑が次々と累重して厚い岩屑層を堆積させる。その結果、岩屑間の空隙が深部までつくられ風穴の条件を高める。このほか、移動ブロックを構成する大岩塊中の開口節理や、滑落崖背後のクラック地形から基岩中に開口節理が連続する場合がある。こうした条件下では長い煙突状の空気の通路ができるため、風穴の効果がより高められる。
    東北・関東・中部・西日本(冷温帯_から_暖温帯)では夏季に氷点を上回る風穴が多く、夏季に氷点に近い温度の風穴はあるが9月_から_11月の秋季には氷点を上回る。したがって、日本の風穴の大半は永久凍土ではない。
     ところが、北海道の亜寒帯に属する十勝三股十四之沢や西ヌプカウシヌプリは越年凍結する風穴で、その結果からは永久凍土に違いない。しかし一般に永久凍土は、寒冷地で地上の寒気が地表から地下に伝わって凍結しそれが越年するもので、気候条件に支配された現象である。いっぽう、斜面上方から地中の空隙を通って冷却された空気が降下し斜面下部が凍結する風穴現象は、気候条件より地形・表層地質条件に支配される。それによって生じた永久凍土はやや変則的なタイプと言え、ここではそれを「風穴型永久凍土」と呼ぶことにする。北海道のおよそ亜寒帯の領域で、風穴を形成する地すべり地形や崖錐斜面などの地形条件が整うと、風穴型永久凍土(点在的永久凍土)が生じると考えられる。
  • 仁科 淳司
    p. 12
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    関東地方の夏季の地上気温の変化を、局地気圧系のそれと関連付けて論じた。9時ごろ中部日本の熱的低気圧が発達し始め、それに伴う東京湾からの海風に起因する気温上昇の抑制が見られる。12時ごろには前橋付近の半盆地状地域での気圧低下が顕著になり、これによる気温上昇抑制地域は広範囲に広がる。
  • 小林 浩二
    p. 13
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    ドイツにおけるエコ農業の発展と特色
      
    _I_. はじめに
     近年、エコ農業(有機農業)は、世界的な広がりをみせるようになった。しかしながら、国(地域)によって、エコ農業への取り組みは異なっており、エコ農業の経営は大きく相違している。本発表では、エコ農業の発展が著しいドイツを研究対象地域にして、エコ農業の発展と特色について具体的に明らかにしてみたい。ドイツのエコ農業は、基本的にはEUの規則(EG-Oko-Verordnung)ならびにエコ農業経営体(エコ農業をおこなっている農業経営体)が属するドイツのエコ農業同盟(Anbauverband)のガイドラインに基づいておこなわれている。
    _II_. ドイツのエコ農業の発展と特色
     ドイツのエコ農業は、1990年代に入って盛んになってきた。いうまでもなく、食の安全や農業が環境に与える負荷の増大等への関心が高まってきたからにほかならない。ドイツでエコ農業が重視されているのは、連邦消費者保護・食糧・農業省(Bundesministerium fur Verbraucherschutz, Ernahrung und Landwirtschaft)が、「2010年までにエコ農業の耕地面積を全耕地面積の20%にまで高める」という野心的な政策を打ち出していることに何よりも明瞭にあらわれている。2002年時点で、ドイツのエコ農業経営体(エコ農業をおこなっている農業経営体)数は1.5万(全農業経営対数の3.6%)、エコ農業がおこなわれている経営耕地面積は69.7万ha(全経営耕地面積の4.1%)に達している。地域的にみると、エコ農業は、バイエルン州、ブランデンブルク州、メックレンブルク・フォアポメルン州、バーデン・ヴュルテムベルク州などで多い。とりわけ、土壌の肥沃でない地域に多く分布しており、自然公園・景観保護地域・自然保護地域と重なっている地区も少なくない。
    ドイツにおけるエコ農業を規定する要因として、おもにつぎの2点があげられる。1)少なくとも年に1回実施されるエコ農業経営体に対する検査。この検査は、エコ農業の基準に適合しているかどうかの検査である。2)EU、国、州から財政的援助。エコ農業経営体は、経営の開始のために、また、経営を存続させるために、上記の援助を受けることができる。
     また、エコ農業(エコ農業経営体)のおもな特色は、つぎの7点にまとめることができるだろう。_丸1_作物栽培と家畜飼育を結びつけた複合経営が多い。_丸2_加工部門を有する経営体が多い。_丸3_直接販売をおこなっている経営体が多い。_丸4_単位面積当たりの施肥、農作物保護剤、飼料の投入量が少ない。_丸5_単位面積当たりの飼養家畜数が少ない。_丸6_単位面積当たりの農作物の収量(土地生産性)が低い。また、1頭当たりの搾乳量が少ない。_丸7_農作物、畜産物の販売価格が高い。
    近年、日本においても、エコ農業への関心は高まってきた。それにつれて、研究も活発化してきた。しかしながら、日本では、JAS法に基づいて有機農産物の認証制度があるだけで、生産面での規定はない。ドイツにおけるエコ農業は、われわれに有益な示唆と展望を与えてくれるだろう。

    注1)有機農業は、ドイツでは エコ農業Oko Landbauと呼ばれている。従って、ここではエコ農業と呼ぶことにする。
  • 井田 仁康
    p. 14
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに
     わが国においては,授業時間数の削減などにより,教育内容の大幅な変革が余儀なくされた。従来の学習のように,網羅的で各学校段階で繰り返される学習内容は批判され,「学び方を学ぶ」学習が進められてきた。しかし,一方で,小・中・高等学校を見通した教育内容になっているかというと,不十分である。すなわち,小・中・高等学校での一貫した教育内容の検討が必要となっているのである。
     小・中学校および高等学校の教科内容の一貫教育は,欧米だけでなく台湾などのアジア諸国でも始まっている。そこで,本稿では,特に台湾に注目して,地理の学習内容における小・中・高等学校の一貫教育を検討する。
    2. 欧米における一貫教育
     アメリカ,イギリスといった欧米での地理教育は,わが国の研究者によっても分析が進んでいる。学年の呼び方をみても,初等教育,中等教育を通していることが多い。このことは,教育内容においても一貫して考えていることを意味する。
     欧米での研究などに基づくと,教育内容はスキルに基づいて学習の対象(内容)が規定されている。つまり,このようなスキルを育てるためには,どのような内容がふさわしいかという観点に立つもので,日本のように学ぶべき学習内容が,まずあるわけではない。したがって,小・中・高等学校の一貫性を考える際にも,学習内容で考えるのではなく,スキルのレベルアップにより,学年,学校段階のカリキュラムが考案されているといえよう。
     しかし,こうした欧米のカリキュラムを取り入れた,国・地域の成果を検討することが今の日本の教育にとって,より一層意義があると考えられる。
    3. 台湾での一貫教育の進展
     台湾でも,従来の知識中心の学習内容から,概念・学び方を学ぶ教育内容へと移行した。アメリカのカリキュラムを基盤とした教育内容は,小・中学校の一貫性を踏まえた内容となっており,従来の事項を系統的に学ぶ学習から,スキル(課程目標,能力目標)を達成するような学習へと変わっている。この学習内容は2002年には暫定的網要のもとで実施されているが,さらに,高級中学(高等学校)をも組み入れた一貫教育への改訂が進められている。すなわち,台湾では,一貫教育を実施するにあたり,従来の学習内容の系統性を重視する学習から,スキルに基づいた教育内容へと大きな変革が行われたのである。
     さらに,高級中学では,すでに「学び方を学ぶ」学習が普及しており,GISをはじめ,先進的な学習内容も取り入れられている。少なくても地理の学習内容では,日本をかなりリードしている。わが国の地理教育に関する外国研究は,欧米の動向に目を向けていたが,その間に台湾などのアジア諸国・地域は教育の量,質とも充実させるようになった。
     台湾でみられるような急激な教育内容の改革には,台湾内でも批判がある。日本は,このように先んじた台湾などの動向みながら,教育の改革を進める必要があろう。しかし,いずれにしても,台湾などのアジア諸国の地理教育においつくためには,少なくても地理教育の内容を小・中・高等学校の一貫性という観点から見直し,検討していく必要があるだろう。
    4. むすび
     本研究からは以下の3点が指摘できる。
    _丸1_ 日本の地理教育は,欧米ばかりでなく,台湾など日本に先んじた国々にも注目する必要がある。
    _丸2_ 教育内容の精選の観点から小・中・高等学校の地理の内容を一貫して検討しなければ,日本の地理教育の進展は望めない。
    _丸3_ 学習内容の系統性から,スキルを中心にしたカリキュラムの作成を考える時期にきている。

  • 榊原 保志, 北城 牧絵
    p. 15
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
     夜間ヒートアイランドと逆転層の季節変化について明らかにするため,長野県長野市松代町において2001年12月から約1年間にわたり気象観測を行った.市街地の3地点と郊外の3地点の気温差すなわちヒートアイランド強度は4月,6月が大きく,9月と12月が小さい.急坂を利用した逆転層の観測の結果,逆転層の上限は季節に関わりなく15m_から_100mの範囲にありその中で変動する.また,温位勾配αは4月と6月が大きいことが示された.これはヒートアイランド強度もこの月に大きいので,逆転層の存在がヒートアイランドの発生に関わっていることが示唆された.また,風速をUとするとヒートアイランド強度は√(U/α)よりもαとの相関は高く,その関係は曇天日では見られなかった.
  • 福田 英樹
    p. 16
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1. 小と高の間で
    小学校ではふつう全教科を一人の担任教員が担当する。中学校になると教科担任制になり9科目それぞれ別の教員が指導を行う。地理的分野を指導するのは社会科教員であるが,同時に歴史・公民的分野も担当する。中学校社会科(以下,中社)各分野の履修は,1年から地理的分野と歴史的分野を並行して学習させる(いわゆるπ型)ことを原則とし,その基礎の上に3年で公民的分野を学習する構成になっている。中学校は生徒指導上の観点から生徒とクラス担任が濃密で良好な人間関係を醸成するのがよしとされ,多くの教員は1年から3年まで継続して持ち上がる。3年の担任は生徒を卒業させた後1年に戻るので,1年→2年→3年→1年・・・というローテーションが基本型となる。さて,3年担任の最大の関心事は高校入試である。最近,高校入試問題は改善されたとはいえ地・歴・公万遍なく知識の有無を問う傾向が強い。入試を意識した指導を終えると概念的知識を定着させるには各分野の関連をもっと意識して指導すべきだったと痛感する。こうした反省的思考から中社教員は地・歴・公の関連を指導計画に織り込む(意識する)ようになる。報告者は地理教育一貫カリキュラムにおいてはまず第1に社会系教科内の分野(科目)間の関連を強化し,社会系担当教員の連携を密にすることが必要だと考える。
    2. 中学校から見た小学校地理教育の改善の方向
    小学校社会科の学習指導要領では「地域の実態を生かし,児童が興味・関心をもって学習に取り組めるようにするとともに,観察や調査・見学,体験などの具体的な活動やそれに基づく表現活動を一層展開する」ことが強調されている。その成果からだろうか,入学してくる生徒の多くは社会科を楽しい授業と感じているようだ。また,いわゆる「調べ学習」において体裁を整えてまとめる作業も得意である。しかも,多くの生徒はこうした作業を意欲を持って取り組むのだ。ただし「仮説」→「検証」のプロセスはそれ程鍛えられておらず,強引に(短絡的に)結論づける傾向が顕著である。むしろ中学現場に於いて問題視されているのは,新入生の読解力・語彙のなさである。平易な記述になったといわれる現行の教科書でさえ,本文中の語句の注釈を丁寧に説明する必要がある。小社では,課題設定を吟味し,要因の説明について丁寧に追求させつつ基礎的な用語を覚えて使えるような指導が必要ではないだろうか。ともあれ社会科を好ましいと感じ意欲的に調査に取り組もうという姿勢は授業成立のための最低条件である。この成果を生かし,社会科主任を中心に各担任が基礎的事項の定着を図るようなカリキュラムを創造する必要がある。
    3. 中学校から見た高校地理教育改善の方法
    高校地歴科の学習指導要領では,「_丸1_教科全体として調和のとれた指導が行われるよう適切に留意すること。_丸2_中学校社会科及び公民科との関連並びに地理歴史科に属する科目相互の関連に留意すること」となっている。しかし,高校の場合は大学と同様,タテ割り社会で科目ごとの壁が厚いようだ。山口(2003)は,地理教育カリキュラムの系統性について,_丸1_地誌的アプローチ→_丸2_系統地理的アプローチ→_丸3_主題(テーマ的)アプローチ→_丸4_概念的アプローチという段階が発達段階に即応していると指摘している。報告者も高校地理ではとくに,_丸3_の主題アプローチ,つまり「地理的内容に関する現代的な課題」を扱うべきだと考える。具体的には環境,都市,人口,過疎,福祉等がテーマとしてあげられるが,これらの内容は公民科の目標「広い視野に立って現代の社会について主体的に考察させ理解を深めさせる・・(後略)」や学習内容と重なり合う部分が多い。報告者はこうした主題アプローチを実践するには「地域研究」のような学際的な連携体制が基盤になると考える。そのため,高校に於いても中社と同じように社会系教員?つまり地・歴・公?の密な連携を図ることを提案したい。
    【文献】
    山口幸男(2003)地理カリキュラムの原理?5つのアプローチ?『社会科地理教育論』p.104-107.古今書院
  • 日原 高志
    p. 17
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに
     高等専門学校(高専)は中学卒業後の5年間一貫教育を行う高等教育機関である。教育内容は各教員が自らの教育・研究成果に基づき編成している。つまり、高校生相当の年齢の学生に高等学校学習指導要領に依拠しない地理教育を行っている教育機関である。本報告では、9年間の高専での実践経験に基づいて、高校地理教育を中心に地理教育の一貫性について考えを述べる。
    2.高等専門学校での地理教育実践で考えたこと
    _丸1_1学年地理における考査時の「ノート持込」の是非
    着任時の本校の社会系科目では、多くの大学と同様に「ノート持込可」による考査が行なわれていた。これは「余計な暗記はノートに任せて、思考力・分析力を評価する」という理念に基づいている。9年勤務した高校から異動した演者はとまどったが、それに対応する考査問題を工夫して実施してきた。しかし、現実には「持込可だと、事前にほとんど勉強してこない」実態が露呈してきた。さらに、小中学校で独創性や自分の意見を述べることが重視されてきた「新学力観世代」になると、持込ノートの資料をほとんど参照・分析せずに独善的で的外れな論述解答をする学生が増えてきた。高等教育においてはレヴューワークを伴わない意見にオリジナリティーは認められない。しかし、地道なレヴューワークを怠って短絡的に「自分の意見」を述べる学生が増加している。この実態への対処として、考査時のノート持込を不可にして一定の暗記の強要を始めてみた。論述の内容と考査の平均点が向上したのは言うまでもない。「無味乾燥で、将来役に立たない、考査後すぐに忘れる知識の丸暗記に意味があるか?」という言説があるが、演者の現場感覚では、考査後すぐに忘れる知識の暗記の経験も、生涯学習においては重要な学習経験になると感じている。地道に網羅的に知識を覚える達成感と経験が、広範なレヴューワークを行う忍耐力の基礎となり、はじめてオリジナリティーのある「自分の考え」が述べられるのではないか? 演者は、生涯学習・情報化社会の到来によって、「見方・考え方の重要性」が増しているという主張には全く同意する。しかし、「見方・考え方」と「網羅的知識」を対立する2元論で論じてしまう学力観は、「暗記力の効用」を取りこぼしているように感じている。
    _丸2_都立高専新教育課程検討の経験
    本校では、中学校の教育課程改訂に合わせて新教育課程を編成した。ここでは入学生の知識量が減少するのに、出口の産業界は従来通りの卒業生を期待している、という現実に対応する方策が議論された。そして、とりわけ一般教養科目ではこれまでオール必修だったものを弾力化し、目的別(進路別)に選択科目を開設した。地理では、必修(2単位)の地理(1年)、選択(1単位)の自然地理_I_・_II_(3年)、地理学_I_・_II_(5年)を開設した。選択科目の_I_は就職希望者向けの教養科目、_II_は進学者や地理学に興味のある学生に対する発展科目と位置付けた。シラバスを編成する際、自ずと、前者は内容知が中心で地誌的・網羅的に扱う展開、後者は方法知が中心で系統地理的に見方・考え方を扱う展開となった。地理が好きな学生は両方を選択できる。
    3. 地理教育一貫カリキュラム検討の視点
    _丸1_暗記力の復権:「丸暗記」を到達点とする地名物産地理への復古を言っているのではない。水泳の級を伸ばそうと努力し、打算的な意味を考えずに暗記することを楽しめる年齢期に、課外活動的に実施する「地理検定」を作れないだろうか。その経験は地理を超えた学力全般に教育的効果をもたらすと考える。
    _丸2_「初等_-_中等教育の系統性」から「義務教育_-_高校の系統性」へ:学習指導要領による一貫教育の内容は、文部科学省の分業体制のために「初等教育/中等教育」毎に系統性を有している。しかし、現場の実態からは、「(ほぼ)全員が上級学校に進学する義務教育/出口には進学と就職がある高校教育」に応じた一貫性を検討する必要がある。高校では必修的に履修させる科目以外に、目的(進路)に応じた科目が設定された学習指導要領が望まれる。
  • 野上  道男
    p. 18
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    目的: 地形を記述する用語として感覚的な「高い山地」「急な山地」「大起伏山地」「壮年期的山地」などが使われ,「起伏」「地形分散量=>標準偏差」など定量的な地形特性値が使われたこともある.しかしこれらの表現のすべては「勾配の統計量」と相関があり,結果論ではあるが「勾配」が計測できないための代替であったと推定される.
     地形学が「記載のレベル」を脱して,「予測のレベル」に向かうために必要とされるモデル(この場合は法則)においては,地形変化(発達)とは物質移動であり,その量を「勾配」が支配している.「勾配」や「ラプラシアン」の項のない地形発達モデル(この場合は数式モデル)はあり得ない.拡散方程式型モデルではラプラシアンは地形変化の速さ(単位時間当たりの浸食深あるいは堆積深)を決める項である.
     ここでは,東日本(東経135度以東,北海道を除く)の10m-DEM(これは通称であり,緯度経度法で定義)を用いて,全陸地点(18億6704万4257点)について勾配(ノルム)とラプラシアンを計算し,集計処理を行い,それと過去に使われていた地形特性値や地質データとを付き合わせた,その結果について報告する.

    原データとその処理: 使用したデータは北海道地図KK作成の10m-DEMである.これは国土地理院の50m-DEMと同じように,2.5万分の1地形図の等高線データをラスタ化したものである.緯度経度法を採用しているので,東西と南北方向とでは格子間隔が異なる.しかも東西方向の格子間隔は緯度によって大きく変わる(例えば,九州南部と北海道北部とでは約3割).そこで微分値の計算では格子間隔の補正を行う必要がある.勾配(のノルム:以後単に勾配)は東西方向の勾配,南北方向の勾配のそれぞれの2乗の和の平方根である.
     10m-解像度の計測値は広域を扱うのに細密すぎるので地質データと同じ250m-解像度に集計した.勾配については,(堆積)平地と(浸食)斜面が混在するとき(ほとんどの場合,100-200‰を境とする双頂分布となる),平均値を採用するのは適切でない.そこで250mx250m区画内の25x25=625個の計測値のうち,もっとも出現頻度が高い勾配値を250m-解像度の勾配値として採用した(最頻勾配,以後単に勾配ということがある).
     ラプラシアンは勾配の変化率である.言うまでもなく直線斜面で値は0,負値は凸斜面,正値は凹斜面を表す.250mx250m区画内の25x25=625個の計測値のうち,小さい方から5%値を尾根の鋭さの指標,大きい方から5%値を谷の切込み程度の指標とした.最小値・最大値を採用しなかったのは誤差を避けるためである.ラプラシアンの標準偏差は地形の煩雑さを表す.
     地質データとしては,250m-解像度の地質区分(旧地質調査所CD:100万分の1地質図ラスタデータ)を岩石の種類と時代についてそれぞれ統合して用いた.DEMデータと同じ緯度経度法のデータであるので,そのまま地形データと重ね合わせて集計することができる.

    結果:
    1)格子間隔10mで勾配を計測し,250mx250mの範囲内の最頻勾配(広い面積を占める勾配)を採用することで,格子間隔が広いDEMを用いた場合や勾配値を平均することによって生ずる値のへたり(現実より小さな値になること)を防ぐことができた.起伏(単位面積当たりの高低差)や地形起伏量(単位面積当たりの標高値の標準偏差)は勾配と非常に良い相関があり,これらの値が(意識的にあるいは無意識的に)勾配の代替として用いられていた理由が実証された.地形的に意味のある「勾配」を地形特性値として用いることの意義は大きい.
    2)「勾配」「キメ」「尾根の鋭さの指標」「谷の切込み程度の指標」は地質に依存する.さらに,これらの4つを変数として298万6995(全陸地)サンプルについて主成分分析を行ったところ,これらの4つの変数が大きいほど大きな値をとる「山らしさの指標」が第一主成分として抽出され,さらにこの第一主成分だけで山地の地形特性を十分表現できることもわかった.
    3)地質が火山岩や堆積岩の場合は,その時代が浸食開始後の時間経過(最長時間)を示しているとも解釈され,地形変化の経時変化に関する知見が得られる.一般に,時間の経過とともに地形は山らしくなるが,やがて値は収束する.これは地形が平衡形に達したためであると解釈される.
  • 宍倉 正展, 永井 節治, 二階堂 学, 木曽教育会 濃ヶ池調査研究会
    p. 19
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    §1. はじめに

     長野県南西部の木曽川沿い(通称:木曽谷)にはN-S_から_NE-SW走向で雁行配列する上松断層,清内路峠断層,馬籠峠断層が分布する.これらは木曽山脈西縁断層帯に属し,全体の長さは約60kmにおよぶ.本地域の最新活動時期は,北_から_中部でAD1300頃という結果が得られている(宍倉ほか,2002,2003).

     木曽山脈周辺には,地震に起因すると考えられる大規模崩壊地形が分布し,特に1586年天正地震に伴う山体崩壊に関する報告が多い(松島,1995など).本研究では,上松断層から2_から_3km東に位置する大棚入山山腹に,半径500m程度の馬蹄形を呈した崩壊地形を確認した.この崩壊の発生時期を明らかにすることを目的に地形・地質調査を行ったので報告する.

    §2.調査結果

    濃ヶ池

     この崩壊で生じた土砂は土石流となり,日義村と木曽福島町の境付近を流れる濃ヶ池川を堰き止めるように谷を埋めている.この天然ダムによって生じたのが濃ヶ池である.現在,濃ヶ池はダムの決壊により消失している.土地の伝承によれば,ダムが決壊したのは寛文元年(1661年)5月とされる.池の跡は雑木林となっており,数条のガリーが発達する.

     濃ヶ池跡でピット掘削を行ったところ,地表から1.2mまで,クロスラミナを伴う細_から_粗砂が観察された.また,簡易貫入試験を行った結果,地表から2_から_2.5m付近に礫層と考えられる層が存在し,その下位には湖沼堆積物の可能性がある軟弱層が,少なくとも深度6.5mまで分布することが明らかになった.これらの堆積年代はまだ明らかになっていない.

    下の池

     濃ヶ池より下流にも土石流に伴って生じた閉塞凹地があり,下の池と呼ぶ.この池は周囲200m程度で,通常は干上がっているが,大雨後には水を湛える.池の中心付近で行ったオーガー掘削によれば,地表より少なくとも3.6mの深度までシルト_から_細砂が確認された.堆積物中の腐植物の14C年代を測定したところ,深度3.6m付近で250±30yBP,深度2.6m付近で210±30yBPとなり,暦年較正から,これらがAD1520以降に堆積したことが明らかになった.

    土石流堆積面

     土石流堆積面はあまり開析を受けていないように見える.堆積面上は土壌の発達が未熟で,表層付近の腐植物の14C年代は110±30yBPである.また,ヒノキ,カラマツの植林が行われているが,この植林以前に伐採したと思われるヒノキの切り株が数多く観察される.ほとんど朽ちているが,太さはいずれも直径1mを超えるものであった.直径約30cmの植林されたヒノキの年輪は,80_から_90年を数えることから,植林以前の直径1m以上のヒノキは,単純計算で300年程度の樹齢であった可能性がある.つまり土石流の堆積年代は400年程度遡ることができ,史料や14C年代の証拠と調和的である.

    §3.まとめと今後の課題

     本地域の崩壊発生時期は,史料や14C年代,木の樹齢などからみて,400年以上前であると考えられる.この崩壊の誘因が地震であるかどうかは不明だが,年代から考えると,AD1300頃の木曽山脈西縁断層帯の活動か,あるいは1586年天正地震に伴って生じた可能性も考えられる.今後,土石流堆積物から年代試料を採取し,精度の良い堆積年代を推定する必要がある.
  • 山下 亜紀郎
    p. 20
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1.はじめに

     本発表の目的は、流域という地域単位による、農業用と都市用の両方を含めた総合的な河川水利の定量的・空間的特性を、水利権のデータを用いて分析することである。研究対象とするのは、互いに隣接し面積的にもほぼ等しい那珂川流域と鬼怒・小貝川流域である。

    2.支流域単位による用途別総取水量

     那珂川流域では本流から取水する農業用水が最も多いものの、支流域にも取水口が分散している。下流域の茨城県においても、各支流域の河川水が農業用水として広く利用されている。鬼怒・小貝川流域では、農業水利権の総件数は那珂川流域と大差ないが、総取水量は約3倍に及ぶ。本流から取水するものの割合が高く、支流域としては、いくつかの限られた河川に水利権が集中して設定されている。

     那珂川流域における水道用水利権は、那珂川本流から最も多く取水されているが、7支流域でも水道用水利権が設定されている。一方、鬼怒・小貝川流域における水道用水利権は、那珂川流域と比べて、件数で約3分の1、取水量で3分の2である。取水口の分布は、鬼怒川上流域の支流域と鬼怒川本流に限定される。

    3.特定水利権の取水口分布、取水量および水源の位置付け

     両流域とも特定水利権の大半を農業用が占める。それらの取水口の多くは、那珂川流域では、本流の上流域と下流域に分布している。鬼怒・小貝川流域では、上流域に特定水利権では比較的小規模なものが集中している。そして鬼怒川の中流に大規模な取水口が3か所みられる。小貝川では上・中流に小規模なものが分布し、下流に大規模なものがある。

     水道用の特定水利権は、那珂川流域で13件、鬼怒・小貝川流域で7件ある。それぞれの取水口の分布を比較すると、那珂川流域では下流域に多い。また、支流域にも小規模ながらいくつか存在する。鬼怒・小貝川流域においては、上・中流域に集中しており、下流域には1つも存在しない。また、大谷川以外の支流域にもほとんど存在しない。

     特定水利権の水源をみると、那珂川流域では、全34件のうち17件がダムなどに水源を求めている。水源となっているダムは5か所あるが、那珂川本流のダムは1か所のみである。権利取得年の年代別内訳では、1969年以前の16件のうち、3件がダムを水源としており、同様に1970年代が3件中1件、1980年代が6件中5件、1990年以降が9件中8件である。つまり、1980年以降に取得された特定水利権の8割以上がダムなどに依存している。一方、鬼怒・小貝川流域では、大谷川に設定されている特定水利権の水源は、いずれも河川自流である。その他の取水口の大半は鬼怒川と小貝川の本流に位置している。それらの内、工業用、水道用は全て新規の水資源開発によって権利が取得されたものである。また、1990年以降に下流で権利が取得された工業用水利権2件は、流域外に水源を求める霞ヶ浦用水に頼っている。

    4.おわりに

     那珂川流域は上流域で農業用水利用が盛んであるが、本流への依存度は低い。したがって本流の中・下流には、農業用水に加えて都市用水も多く参入する余地がある。既得水利権の取水量は相対的に少なく、中規模な多目的ダムの開発が支流河川において現在に至るまでなされており、新規水需要も自流域内の水資源で充足できる。

     一方、鬼怒・小貝川流域では、上流域に都市用水利用がみられるが、中・下流域の河川水利用は大規模な既得農業水利権で占められている。また本流への依存度もきわめて高い。そのため河川水需給は限界に達している。農業・水道・工業用水源としての水資源開発は鬼怒川上流域の大規模なダムに限られる。したがって、下流域の都市用水需要は、自流域内の河川で満たされることができず、需要増に対して流域外の水源に頼らざるをえない。

     那珂川流域と鬼怒・小貝川流域は、互いに隣接し面積的にもほぼ等しいにもかかわらず、河川水利用にみられる定量的・空間的特性や水需給関係は大きく異なっている。
  • 石川 雄一
    p. 21
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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     ダラス_-_フォートワース都市圏(CMSA)は、2000年センサスにおいて522万人、全米第8位の都市圏人口を有する。また90年代の人口増加率は29.3%、増加数においては、都市圏規模の大きなロサンゼルス都市圏(CMSA)、ニューヨーク都市圏(CMSA)に次ぐ、全米第3位の伸びを示した。かつて広大な農地・牧場が広がっていた周辺地帯は、住宅、大規模ショッピングモール、オフィス・工場群の立地の進展によって、急激に郊外化された空間へと変容し続けている。発表では、ダラス_-_フォートワース都市圏のなかの、主要なサブメトロポリタンエリアであるダラス都市圏(PMSA)における、近年のオフィス立地の動向と、ダラス都市圏の社会経済地域構造との関係について論じることとする。なおダラス_-_フォートワース都市圏のサブ・メトロポリタンエリアであるダラス都市圏(PMSA)は、人口・面積ともにCMSA全体の3分の2を占める。
     US Census 局から提供されるGISデータから、1990年、2000年の都市化地域urbanized area の広がりの様子をみると、2000年の都市化地域は、約50km西方のフォートワースと連担化しており、東南部を除くダラス郡のほぼ全域、さらに北方に向かって伸びていることがわかる。また1990年から2000年にかけての10年間の変化をみると、ダラス北方のコリン郡の方向に向かって都市化地域が拡大している。広域なダラス市域は、ほぼ、郊外核の立地に好条件な、都心から15km帯付近を取り囲むベルトウェー周辺まで延びている。
     ダラス都市圏の多核化に関しては、北米主要都市圏の多核化研究をおこなったGarreau(1991年)とLang(2003)が、ともに類似の定義のedge cityとして、郊外核の抽出を行い、若干のコメントを加えている。両者の抽出した郊外核の分布や名称には若干の違いもあるが、このうちより新しい研究成果であるLangの定義した郊外核の名称をもとに、Dallas Office Guide(2002, 2003)から得られたオフィスビル所在データをもとに、ダラス都市圏の主要な郊外核の分布を示し、同資料および、Census、Economic Census、ZIP Business Patternの各種社会経済データより、オフィス立地と社会経済的特色の関連を分析した。
     別資料の、第1図はダラス都市圏主要部における、2000年時点における都市化地域とオフィス核の分布、大型ショッピングモールの分布を示したものである。また第2図はダラス都市圏主要部における1999年時点における一人当たりの収入の違いをセンサストラスト単位で示したものである。さらに第3図は、2001年におけるZIP地区ごとの従業者数と、オフィスの建設年次を示したものである。
    第1図に示すように、郊外核の分布はダラスCBDより北方セクター方向に集中している。これらの地域は従業者数が多く、近年、事業所数が急増している地域でもある。また社会地域としては第2図に示すように高所得者の多い地区で、それはおおむね白人居住地区と重なる。一方、低所得者が多く、とりわけ黒人人口割合の高いCBDの南側一帯は、事業所増加率も低く、オフィスの分布も極めて少ない地区である。また第3図よりオフィスの立地年代をみると、周辺部に向かって3層の立地パターンが認められる。一つはCBDよりおよそ7km外縁の北部および北西部にみられるオフィス核で、主として1970年代から80年代に建設されたオフィスからなる地区、さらにベルトウェー周辺の80年代から90年代に建設されたオフィスが集中する地区、さらに一番外側は、より外側のCBDから20-30km外側の、90年代以降に建設されたオフィスが集中する地区である。またオフィスビルの階数をみると、ベルトウェー周辺までには10階建以上のオフィスが数多く分布するが、その外側ではその数は急激に低下する、より外縁部のオフィス核は、低層・低密度の郊外核を形成していることが示される。
    《文献・資料》
    Garreau , Joel (1991): “Edge City”, Doubleday.
    Lang, Robert E. (2003) : “Edgeless Cities”, Brookings.
    Greater Dallas Chamber (2002) : “Dallas Office Guide 2002”, Capstar.
    Greater Dallas Chamber (2003) : “Dallas Office Guide 2003”, Capstar.
  • 劉 雲剛
    p. 22
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    _I_はじめに
    中国では、1980年代から始動した「効率優先」の市場化改革と非均衡戦略の下で、地域格差が拡大し、都市部でも魅力的な沿海部中心都市と投資が呼び込めない中西部地方鉱工業都市というような二極化が進んだ。発表者の関心である後者の中でも、特に、これまで大手国営企業による資源開発に依存して発展してきた資源型都市は、現在、資源枯渇や国有経済不況など多くの問題に直面しており、深刻な失業問題、環境問題も多く発生している。

     これまで日本の鉱業都市や企業城下町の衰退、さらには、それに伴う地域社会の変容に関しては、多くの実証研究がなされている(岩間1993,1997、矢田1967、川崎1973,1982、斉藤1966,1980、西原純1993,1998,2000など)。本研究では、それらとはやや異なる状況にある中国における資源型都市の都市問題、特に経済停滞と、それに伴う都市空間の変容の実態を把握しようとする。

     対象都市とするのは中国の主要な炭鉱都市のひとつである遼原市で、今回の発表は主に2003年9月に行った現地調査に基づいたものである。なお、図表類は発表の中で示すことにする。

    _II_資源型都市及び遼原市の位置づけ

     資源型都市とは資源の開発によって成立・発展してきた都市を意味し、中国では鉱業都市と林業都市を含め、約60市あまりが存在する。その内、炭鉱都市が最も多く、全体の約60%を占めている。これは全中国都市の10%を占めており、中国鉱工業の主要な集積地となっている。

     遼原市は中国東北吉林省の東南部に位置し、面積5139平方キロ、人口40万人弱、資源型都市の平均人口規模に相当する中規模な内陸都市であり、中国における主要な炭鉱都市都市でもある。

     1911年に個人経営の炭鉱から始まった遼原炭鉱は90年以上の操業を経て、現在の残存埋蔵量は600万トン足らず、すでに枯渇に瀕しており、遼原市の基幹産業であった石炭産業は縮小しつつある。その一方で、代替産業とされる機械、建材、繊維、医薬産業でも地元資源や廉価な労働力を利用した小規模な企業が多く、経営効率や競争力の不足のため、停滞した状況にあり、それに伴う失業者や人口流出が増加する傾向にあって、深刻な失業問題を抱えている。

    _III_遼原市における都市空間に関する考察

     遼原市の都市空間は全体的に鉱務局(国有鉱山企業)を中心とする西安区(鉱区)と市政府を中心とする竜山区(新区)からなっている。前者はほぼ1970年代までの都市域で、後者は1980年代に南へ広がった都市域である。

     景観上は、インフラが未整備で廃坑跡の地盤沈下現象が目立つ西安区と新築マンションや商業施設が綺麗に並んでいる竜山区とでは対照的であり、都市空間の二極化が読み取れる。

     さらには、失業問題と、それに伴う社会階層分化とが相まって、都市基盤整備が遅れている竜山区(鉱区)は失業者や低収入層の居住地になる傾向が見られる。そうした住民の増加は地区再建や環境改善を阻害し、更なる貧困再生産や環境問題を加速する懸念もある。

    _IV_討論

     中国のこれまでの市場化改革は沿海と内陸、都市と農村、都市と都市の格差を拡大させただけではなく、都市内部でも分極化を発生させている。その都市空間の変容、そこに生じる貧困問題や環境問題などは、重要な課題であり、今後、より丹念な観察が必要だと考える。
  • 千田 昇, 高宮 昭夫, 浜田 平士, 冨松 俊夫, 御手洗 進
    p. 23
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    はじめに
     リアス式海岸として知られる大分県南東部の豊後水道域は,古くから津波の被害を受けてきた。宇佐美(1996),渡辺(1985)によると,この地域では,1707(宝永4)年,1854(安政元〈嘉永7〉)年,1946(昭和21)年の南海地震津波,1970(昭和45)年の日向灘地震津波などが顕著な被害を伴う津波として記載されている。東京大学地震研究所(1983,1987)によると,これらのうち江戸時代に発生した地震による津波については,佐伯藩の毛利家文書である『元禄宝永正徳享保日記』や『温故知新録』に,佐伯城下での津波の被害は記述されている。しかし,それ以外の地域の具体的な様子については知られていない。
     大分県南海部郡米水津村では,「米水津の歴史を知る会」が,史料を発掘し,米水津村域での歴史被害津波について,その被害範囲,波高などを明らかにしてきた(米水津の歴史を知る会,2003MS)。ここでは,それらをもとに宝永四年十月四日南海地震津波,安政元年十一月五日南海地震津波の米水津村における実態について報告する。

    宝永地震津波の概要
     宝永4年10月4日(1707年10月28日)昼の八ツ時(午後2時頃)に,南の方が大いに鳴り,大地震が発生した。震源地は南海道沖で,マグニチュード8.4と考えられている(宇佐美,1996)。午後3時ころに,米水津村に大津波が襲来した。
     その時に色利浦での津波波高は,海抜高度およそ10mである。これによる死者は2人であった。この津波は色利川に沿って,7丁(およそ700m)程度遡上したとされている。
    また,海岸部では液状化が発生している。浦代浦は一面湖のように見え,「養福寺の石段2段を残す」まで津波が浸入した。この高さは,海抜高度11.5mである。これは米水津村における最大波高の記録である。また,死者は米水津村内で最大の18人に達した。宮野浦では「迎接庵の石段の下から3段目」まで津波が浸入したと地区で言い伝えられており,その高さは,海抜5.7mである。

    安政地震津波の概要
     安政元年南海地震による津波は,宝永四年のそれより規模が小さく,色利浦で平常の満潮より2.7m高い波高であった。米水津の大潮の満潮の高さが1.1m程度であるので,3 4mの波高を持つ津波と考えることができる。この時には色利川に沿って河口から400_から_500mくらい津波が遡上した。また,海岸付近では液状化が起こったようである。
     浦代浦では,津波の波高は7_から_8尺(2.5m)以上であり,老婦が1人死亡している。
     小浦では最初の津波が当時の村上のはずれまで浸入したと書かれており,また地区の言い伝えでは,村はずれの墓地にある楠木に藻が引っ掛かったとされている。この墓地は海岸から200m程度の距離で,海抜高度では7m前後となり,色利浦より高い津波であったと考えられる。小浦での波高から考えると,宝永津波時に最大波高を示した浦代浦では,津波はかなり高かった可能性がある。

    文 献
    東京大学地震研究所(1983):「新収日本地震史料」,第3巻別巻,590p.
    東京大学地震研究所(1987):「新収日本地震史料」,第5巻別巻5-2,2528p.
    宇佐美龍夫(1996):「新編日本被害地震総覧[増補改訂版]」,東京大学出版会,493p.
    渡辺偉夫(1985):「日本被害津波総覧」,東京大学出版会,206p.
    米水津の歴史を知る会(2003MS):「村の大地震・大津波」,121p.
  • 朝水 宗彦
    p. 24
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    本発表は日本における現在の国際的な観光政策を導いた観光関連の政策変遷を示すものである。日本における観光政策は頻繁に変わり、それぞれの政策間の一貫性に乏しい。観光政策は社会の状況によって変わるだけでなく、縦割り行政が継続した政策の弊害になっている。むろん社会の変化に対応した政策変更は望ましいことであるが、国民を十分考慮に入れない政治的なパワーゲームは観光客や観光産業にとって時に悪影響を及ぼしている。
    日本人の渡航自由化にとって1964年の東京オリンピックは大きな転機であった。オリンピックに先駆け、1963年に観光基本法が制定された。第二次世界大戦直後、日本のアウトバウンド渡航は規制が強く、外貨持ち出しが制限され、許可される渡航目的も貿易や留学など日本経済に利益があるものであった。しかしながら、高度経済成長と先進国としての政府の面子が日本人の渡航自由化への規制緩和をもたらした。
    オリンピック後の渡航自由化はアウトバウンド観光のみを意図していたわけではない。自由化はインバウンドとアウトバウンドの平等な扱いを目指していた。しかしながら、円高は経済的に日本人をアウトバウンド観光に引きつけた。さらに、国内の観光産業に対する政府の規制や競争原理の少ない国内交通が日本の国内観光を割高なものにした。
    日本には、高度経済成長期のうち、特に1960年代から70年代にかけて、国内観光大国化を進める、あるいは観光客の国際相互交流を行える機会があった。旧国鉄はオリンピックや1970年の大阪万博のために効果的な交通システムを整備していた。万博終了直後に旧国鉄はディスカバー・ジャパン・キャンペーンを行い、国内観光客の増加をもたらすうえで大きな成功を収めていた。国内観光のための新たなチャンスはバブル経済期の1980年代後半から1990年代初めに訪れた。1987年のリゾート法は日本各地に高価なリゾート施設をもたらしたが、官民共同の第3セクター方式で作られた高価な施設は国際競争力に欠けており、なおかつ不安定なバブル経済に支えられていた。
    日本人の海外渡航はさらに1987年のテンミリオン計画によって促された。同計画は観光客による外貨の消費によって日米貿易摩擦の緩和を試みていた。しかしながら、バブル経済の崩壊は状況を大きく変えた。日本企業によって設立された国内および国際的な高級リゾートの多くは経営破綻に陥った。インバウンド観光客の誘致のため、1996年にウェルカムプラン21が外貨獲得と市民の相互理解を目的として導入された。さらにインバウンド観光客の誘致を促進するために、2003年にはビジット・ジャパン・キャンペーンが導入されたのである。
  • 青野 純也, 村中 亮夫
    p. 25
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    _I_ 研究のフレームワーク  高度経済成長期に代表される河川事業は、氾濫区域の生命財産の安全確保、水資源の安定確保など、治水・利水機能の拡充整備に重点がおかれてきた。しかしオイルショック以降、国民の関心は自然環境の保全、水辺空間の整備、生活アメニティへと広がった。1997年、環境に対する関心の高まりをうけて、環境アセスメントは法的拘束力を持った環境影響評価法となった。しかし、この環境影響評価法は自然科学的視点からの評価しか行っておらず、社会的評価としては不十分であった。保全に対する評価を国民的合意を前提とする政策論にまで展開していくためには、客観的指標が不可欠であり、地理学の分野では吉越(1999)らが環境に対するイメージをSD法(意味微分法)用いて社会的評価を行っている。経済学の分野では、多面的機能の経済評価を貨幣尺度で表し、政策的議論で利用できる指標を提示した。その分析方法にはいくつかあるが、客観的かつ多面的な評価が可能あることから、1990年代より日本では表明選好法の一種であるCVM(仮想市場評価法)による研究が急速に蓄積されつつある。村中(2002)、吉田他(1997)では、評価主体の個人属性、景観認識の様態、また、環境の財へのアクセス時間が、景観の経済的評価に影響を与えていることを明らかにした。
     以上のような動向を踏まえて、今回の研究では個人属性や環境政策への理解度、景観イメージの定性的評価などと、経済的評価との因果関係を分析し、空間的経済評価の観点から多面的機能の保全のあり方の一側面を提示する。具体的には多面的機能の一つである河川の景観形成機能に注目し、河川環境整備の経済的評価とそれを評価する主体の属性、距離減衰効果を中心に分析を行う。また二財を同一者から評価する有効性も併せて考察し、政策的議論への可能性を示唆していく。
    _II_ アンケート調査の概要  本研究の対象地域は、京都市嵐山にある渡月橋_から_同市三条大橋間の、帯状地帯である(東西約8km、南北約1km)。今回の調査ではCVMを用い「京都市民にとって2004_から_2008年度に期待される、京都市内を流下する桂川(嵐山付近)と鴨川(三条大橋付近)の河川環境の景観」の経済的評価を行う。調査期間は2003/9/28_から_10/10で、対象地域内より距離帯別に無作為抽出した2700世帯に郵送調査を実施し、335のサンプルを得た。調査票は_丸1_CVM調査票、_丸2_イメージ調査票、_丸3_フェイスシート、の3部構成とした。

    _III_ 河川環境整備の経済的評価とその要因分析  河川環境整備に対する経済的評価は、回収したアンケートより正常回答者を抽出し、そのサンプルより得られた支払カードの平均値から、京都市の総世帯数を掛け合わせることで算出した。その結果、各河川の母集団支払意思額(Total WTP: TWTP)は桂川で約5億8400万円、鴨川で約5億7200万円となった。
    重回帰分析による要因分析の結果、桂川に関しては河川価値低下への遺憾度(順序スケール)がWTPに正の影響を及ぼした。鴨川に関しては河川からの距離が負の、鴨川への景観を楽しむという訪問目的(2値ダミー)が正の影響を及ぼした。WTPの距離減衰効果は、村中(2002)、吉田他(1997)の結果に対応する。また各河川へのWTPが、互いに正の相関を持っていることが分かった。
    _IV_ 考察  両河川に対するWTPに対して、河川価値低下への遺憾度が正の影響を及ぼすことから、河川環境低下に関する意識の差異が河川環境整備に対するWTPに影響を及ぼすものと考えられる。また、鴨川に対するWTPに対してのみ、「河川からの距離」と「鴨川への訪問目的(景観を楽しむ)」の2変数が影響を及ぼしていた。桂川を訪れる目的は、イベントなど、非日常的な利用の割合が高い。鴨川を訪れる目的は、通行など日常的な利用の割合が高い。このことから、空間利用の差異、ひいては空間利用の認識の差異が、両者に対するWTPに与える影響要因の差異を生み出していると考えられる。
    以上より、河川環境に対する意識の度合いや、河川との関係、つまり河川の利用形態や河川との空間的関係の差異が、両河川の経済的価値を規定する要因としてあげることができる。こうした河川環境整備の経済的価値に対する空間的な影響要因の検討は、河川環境の持つ多面的機能保全のあり方を議論する際に単に客観的な経済指標を与えるのみならず、算出した金額について地理学的に積極的な議論を展開させることができる。
  • 小口 久智
    p. 26
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1. 地理教育の現状と社会科教育
    社会科教育の目標は、「科学的社会認識の形成」と「市民的(公民的)資質の形成」の2つが中心概念である。学習指導要領でも、小学校と中学校の社会科においては、「公民的資質の基礎を養う」ことが究極のねらいであると述べられている。
    地理教育は社会科教育とは別物であるのかもしれないが、現状を打破していくためには、まず、社会科教育の枠組みの中で、地理教育の独自性・必要性を明らかにする必要がある。
    ただ、これまでの地理教育は、その独自性を意識するあまり、「科学的社会認識の形成」に関する議論に比較して、「市民的(公民的)資質の形成」に関する議論や実践を軽視されてきたと言わざるを得ないのは残念である。
    井田(2003)によれば、学習のプロセスは、課題の把握_-_資料の収集_-_整理_-_分析・解釈_-_意思決定・価値判断_-_活動 の一連の学習活動であるが、従来の地理教育は、分析・解釈の段階に留まり、意思決定や活動まで踏み込めない場合が多かったように感じる。
    結果として、社会科における地理教育の存在理由を、学校教育現場や社会の中で、強くアピールすることができなかった。
    2.学習指導要領に見る小学校と中学校地理教育の関連性
    周知のように、現行学習指導要領への改訂は、学習内容の削減による「学力低下論争」を引き起こした。社会科地理に関する内容でも、学習内容の厳選が進められ、学習内容の削減はもちろんのこと、小学校・中学校での移行統合などが進められた。
    たとえば、社会科における地理的な学習内容では、第5学年で学習していた国土の様子に関する内容のうち、抽象的な学習になりがちな人口や資源の分布などは中学校に移行統合されることになった。また、これを受けて、中学校社会科地理的分野では、小学校社会科で取り扱わない「人口から見た日本の地域的特色」など項目については、「事例地域を通して具体的に取り扱うようにすること」というような但し書きが加えられた。
    このように、学習指導要領だけを見ると、小学校社会科と中学校社会科は、学習内容の重複ができるだけ少なくなるような構成になることが目指されていることがわかる。
    3.小学校と中学校における地理教育の系統性をめぐる課題
    しかし、実際には様々な課題の存在に気づくことができる。
    まず、小学校社会科においては、学習内容の削減からか、方法知に比較して、内容知が軽視されている傾向がある。そのため、都道府県名が曖昧なまま国土学習をすることになったり、国名や州名の差異も判別できないまま貿易相手について考えるということになったりする場合がある。
    反面、中学校社会科地理では、都道府県名や主要国名などの基礎的な地名の学習がクイズ形式などを取り入れる形で行われることになり、時間的に、学習のプロセスにのっとった学習を仕組むのが難しくなる場合もある。その結果、本来的にはもっとも重視したい地理的な見方・考え方の鍛錬が、不十分なままで終わってしまう可能性がある。
    以上のようなことを考えると、小学校社会の地理的な内容の学習で、覚えるべきことはきちんと覚えさせるようにして、子ども達が思考力の高まりを見せる中学校社会科地理では、考察のプロセスを重視した地理教育ができるようにすべきである。
    また、小学校社会科第4学年の都道府県学習と中学校社会科地理における都道府県学習のように、同一の地域を対象とする学習の系統性を明確にし、それぞれの学習意義の説明はもちろん、具体的な活動プランの提言なども地理教育研究者が中心となって取り組んでいくことが求められる。

    文献
    井田仁康(2003):地理教育のさらなる向上をめざして.日本地理学会発表要旨集.No.64
  • 泉 貴久
    p. 27
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1.高等学校現場の現状と地理教育
     発表者が本校に勤務して10余年経つが、生徒たちの学力は年々低下の一途をたどっているように感じられる。地理教育においても、小中学校段階で習得すべき基本的地名の名称や位置を認知していないといった知識の欠如、あるいは、地図帳の索引を使って地名を発見することができないといった技能の欠如、さらには、地域認識がエゴセントリックでかつステレオタイプに陥っているといった態度の欠如した多くの生徒たちを日々目の当たりにしている。また、学習そのものに意味を見出せない意欲の希薄な生徒も散見されるが、こうした状況は高校生の学力形成基盤そのものが揺らいでいることを意味しており、いわゆる高校教育は危機的段階に達してしまったものとしてとらえることができるだろう。
     ところで、中等教育の後期段階に位置づけられる高校地理教育の最終目標は、「市民性の育成」に尽きると発表者は考えているが、それには基礎的知識を踏まえた上での思考力・判断力・表現力が備わっていることが大前提となる。だが、生徒たちの基礎学力が不備な場合、現場においては受験教育の氾濫とも相まって、それを埋め合わせるための知識注入型の授業に終始せざるを得なくなり、市民性育成に必要な課題追究型の授業はおざなりにされてしまう。結果的に、地理は「暗記科目」、「試験時のみに役立つ科目」とのレッテルを貼られ、生徒たちの学習意欲はますます減退し、履修者のさらなる減少へとつながっていくことになる。
    2.学力低下の要因
    本校生徒の学力低下の要因としてどのようなことが考えられるのか。一つには、入学試験の出題教科が、首都圏の他の私立高校と同様、国数英の三教科に限定されていることにより、多くの生徒が地理をはじめとする社会系諸科目への苦手意識の強いことがあげられる。二つ目には、小中学校の学習指導要領改訂に伴い、学習内容が三割削減されるに至ったが、それにより、網羅的だった地誌学習が事例方式へと変化し、しかも「学び方・調べ方学習」が過度に重視されたことにより、この段階で本来習得するべき基礎的知識や概念がおざなりにされてしまったことがあげられる。
    むろん、小中学校の指導要領については、「学習プロセスの重視」、「社会的有用性の追究」、「学習方法の多様化」という観点から発表者は一定の評価を下している。だが、それと同時に、活動主義への傾斜による地理学習本来の目的からの逸脱、知識軽視による学習者の世界像の歪みといった副産物をも生み出す可能性をはらんでいることに注意を払う必要がある。
    3.高等学校地理教育における学校間連携の必要性
     最近、中高一貫校が注目され、また、関連学会でも「小中高連携」をタイトルにしたシンポジウムがしばしば開催されているが、それは次の理由による。第一に、学校教育が生涯教育体系の一環に組み込まれ、子どもの発達を長いスパンの中で考えていく必要性が生じていること。このことと関連して第二に、中学卒業者のほとんどが高校へと進学していく中、高校現場では多種多様な学力を持った生徒を抱えることになり、より効果的な学習指導を行うために、生徒個々の学力形成に至るまでの背景を探るべく、学校間連携を模索せざるを得なくなっていることがあげられる。
    4.高等学校の立場からの地理教育一貫カリキュラムのあり方
     以上述べた点を踏まえ、高校の立場からの小中高一貫カリキュラムのあり方について、おおまかな枠組みは次のように説明できる。小学校地理は、知識欲の旺盛な時期と重なり、身近な地域の学習と日本地誌学習を国際社会との関わりから展開することで、地域認識の育成に重点を置く。中学校地理は、世界像の拡大期、抽象的思考の芽生える時期と重なり、世界地誌学習とともに、系統地理学習を取り入れ、地域認識の育成とともに、地理的見方・考え方を駆使した概念獲得と問題発見能力の育成に重点を置く。高校地理は、年齢的にも成人に近く、批判的思考が旺盛な時期と重なり、系統地理的手法を用いた現代的諸課題を学習内容に設定し、社会参加を視野に入れた問題解決能力の育成に重点を置く。
  • 近 正美
    p. 28
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    地理学習における「学力」と小・中・高連携の問題
    The Issue of achievement and integrate in Geography Education
    近 正美(千葉県立生浜高等学校)
    Msami KON(OIHAMA High School)
    キーワード:地理教育 小・中・高校 カリキュラム 学力
    keywords:Geography Education, lower school & high school, curriculum, achievement


    1.何のために「小・中・高」連携が必要か
     地理学習の発展を前提すると,小学校・中学校・高校と子どもたちの発達に伴って地理学習の「質」と「量」,そして,学習方法が吟味されていく必要がある.
    大きなポイントは「地理学習」へのモチベーションをどう高めていくかにある.某予備校の車内広告に「学力低下より、気力低下が深刻だ!」とあった.この「気力」の問題が教員にとって最大の課題だ.そのために授業の展開の仕方や手法,内容も含めて工夫を重ねるのが教員の仕事だろう.
    2.「棲み分け」を模索する小・中・高の連携を
     小・中・高の地理学習の構造は学習指導要領に規定されている.岩田和彦は「内容主義+事例主義+方法主義の社会科地理及び地理歴史科地理の誕生」(2003・21世紀の地理・p19)としている.に小・中・高を貫くこの構造の中で「調べ学習」が強調され,繰り返し調べ学習を子どもたちが行う.しかし,同じような感じのする「調べ学習」を繰り返し行うことは,「意欲」を高めることにはつながりにくい.
     学習指導要領が最も狙って(望んで)いるのは,地理担当教員の発想の転換ではないのか.いわゆる「受験学力」としての内容主義からる教員を解放するために「調べ学習」を強調しているとわたしは考えている.また,「内容知」から「方法知」へと転換を図ろうとした.この意図をわたしは評価している.しかしその「教育力」が文科省には不足している.
    3.「学びがい」のある地理教育
     現実の世界に直結する地理学習においては,現実の世界を反映した,学んで,「タメ」になるという実感が必要である.そのような実感が持てるところから学習への意欲が維持される.
    4.発達段階を踏まえた地理教育
     子どもの「世界」(空間)認識の発達を踏まえて地理教育が行なわれる事が必要である.地理学習に限ったことではないが,達成感のある学習内容を適切に配置していくことが重要である.
    5.他教科との「棲み分け」
     時間数削減の中で,他の教科や総合学習などに地理学習の内容を振り分け,「任せる」という戦略が必要である.そのような中から地理教育の中核部分が改めて浮かび上がるのではないか?
    6.内容・事例・方法の適切な組み合わせ
     生徒の実情に合わせた内容と,内容に即した事例の選択,そして,適切な授業方法の選択が重要である.特に授業手法についてわたしたちはもっと工夫していく必要があるのではないか?
    7.授業手法の多様化
     授業手法の吟味と多様化が必要である.わたしたち教員の語る言葉が子どもたちにどのように伝わるのか、十分反省する必要がある.
    8.新しいタイプの「知識注入」型学習
     「暗記」の再評価が必要ではないのか?知識なくして,学習の発展なしではないのか.あまりにも「地名・物産」の地理学習を避けようとする余り,「暗記」を罪悪視しすぎるきらいがあるのではなかろうか?暗記のみを追及するのではなく,蓄積した知識から導かれる思考力や推察する能力,仮説を立てていく力をもっと重視していく必要がある.
    9.リアルな世界象が描ける地理学習
     何が現実で,何が非現実かを吟味する力と、その現実世界とうまく折り合いをつけていく力とを育成できる地理教育を目指す必要がある.そのようなリアルな世界観の中から、主体的に生きる地球市民的資質の育成が図られる.今の子どもたちにとって,リアルそのものがどれだけリアリティがあるのか?現実世界に浮遊するような子どもたちの足を地につけていくような地理学習の構築が最も重要である
  • 山本 健兒
    p. 29
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    欧州諸都市が直面している諸問題の一つに、移民マイノリティの社会的統合の問題がある。この報告は、ドイツのミュンヘン市において社会的統合推進のために設置された外国人評議会(Ausländerbeirat)を取り上げて、その委員の選出方法、選挙実態を明らかにすることを目的とする。そのことによって、ローカルな民主主義プロセスへの移民マイノリティの参加という、欧州諸都市がかかえる重要な問題のひとつについて再考してみたい。

    2.ドイツ諸都市における外国人評議会
    ドイツの諸都市で設置されている外国人評議会は、外国人定住者の声を市政に取り入れるための装置である。しかし、すべての都市で設置されているというわけではないし、評議会委員の選出方法が同じというわけではない。ドイツを構成する諸州のなかには、州内の地方制度に関する法律によって、外国人住民数が一定以上の自治体に外国人評議会の設置を義務付けているところがある。他方、ミュンヘンが位置するバイエルンでは、州法の中に外国人評議会に関する定めがない。しかしバイエルンでは、20余の都市自治体が、自主的に外国人評議会を設置している。ミュンヘン市はそのひとつであり、1974年に設置した。

    3.ミュンヘン市外国人評議会委員選出
    ミュンヘン市外国人評議会委員は、紆余曲折を経て、1991年から比例代表制と個人への投票を組み合わせた外国人住民による普通選挙によって選出されている。しかし具体的な選挙方式は毎回変わっている。それは、民主主義の理念と現実的問題を回避する方策との妥協がなされるからである。
    投票率は、第1回選挙が20.3%、第2回選挙が9.9%だった。選挙結果を社会的、地理的に分析すると興味深い実態が浮かび上がる。候補者リストを提出したグループは、国際的なものよりも国籍集団的なものが強力である。ムスリムのグループの中には、女性候補者を擁するものもあれば、男性候補者だけからなるものもある。投票行動から、ミュンヘンには特定外国籍だけで特徴付けられる地区はほとんどないことが分かる。当選者はその居住地区を選挙地盤としているわけでは必ずしもない。
  • 鈴木 力英, 徐 健青, 本谷 研
    p. 30
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに: 世界の陸域における植生の地理的分布は気候条件によって強く支配されている.そのうち特に,湿潤条件と温量条件は植生の分布範囲を決める最も基本的な要因であろう.本研究では,衛星観測による植生指数データを利用し,植生を湿潤条件支配型と温量条件支配型の二つに区分し,それぞれの地理的分布を調べた.
    2. データと解析方法: 解析は全世界の陸域を覆う1×1度のグリッドセルをベースに行った.すべての解析は1987年と1988年の平均値を元に行った.
    植生指数: 植生指数データは千葉大学によって作成された「Twenty-year global 4-minute AVHRR NDVI dataset」から得た.北半球では3月から9月まで,南半球では9月から3月までの各1×1度グリッドセルにおける平均の植生指数を計算した.
    湿潤指数と温量指数: 湿潤指数は各1×1度グリッドセルについて可能蒸発量に対する降水量の比(P/Ep)で計算する.温量指数は月平均気温のうち5oCを超えた部分を年間積算して求める.実際の計算にあたり,可能蒸発散量はISLSCP (International Satellite Land Surface Climatology Project) Initiative-Iのデータを用いて推定した.降水量はNCEP (National Centers for Environmental Prediction)の再解析データによる6時間値をGPCC (Global Precipitation Climatology Centre)による月別降水量でキャリブレーションした値を用いた.温量指数の計算にはISLSCPの気温データを用いた.
    3. 結果: 陸上の各1度グリッドセル中の三つの指数(植生指数,湿潤指数,温量指数)を図にプロットし,三者の関係を調べた(図は省略).その結果,湿潤条件支配型のグリッドセルと温量条件支配型のグリッドセルを分離することができた.それぞれのグリッドセルを地図上にプロットし,図1に示した.二つの支配型の分布は明確に分離される.世界のおおかたの植生は湿潤条件支配型に属するが,北半球高緯度地方や高標高地域,それから南極大陸などが温量条件支配型となる.シベリアにおいては両者の境界はほぼ北緯60度に沿っており,Olsonの地表面分類によれば,タイガとそれ以外の植生との境界にほぼ対応している.チベット高原も温量条件支配型に分類される.
    以前の研究により,北部アジアではほぼ北緯60度に沿って植生指数が最大となることがわかっている.本研究で得られた二つの支配型の境界は,この最大の植生指数が分布するゾーンにほぼ対応している.これらの結果を合わせて考えると,シベリアではこの北緯60度に沿った最大植生指数が分布するゾーンにおいて湿潤条件と温量条件ともに植生にとって最適となり,それ以南では湿潤条件が,以北では温量条件が植生にとって支配的であると結論できる.
  • 澤柿 教伸, 青木 賢人, 安仁屋 政武, 谷川 朋範
    p. 31
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに
     南米パタゴニア氷原は総面積17,200km2を占め,南半球では南極氷床に次ぐ面積の氷原である.氷原からは多くの溢流氷河が流出しており,これまでの研究結果から,それらのほとんどが後退傾向にあることが明らかにされており.パタゴニア氷原全体でみた場合,1944年以降の後退に伴う氷の融解量は,海面変動の3.6%に寄与しているという見積もりもある.2003年12月に,パタゴニア北氷原(4,200 km2)にあるエクスプロラドーレス氷河において,地形・氷河学的な現地調査を行ったので報告する.

    エクスプロラドーレス氷河
     エクスプロラドーレス氷河は,パタゴニア北氷原北東端上に突出しているSan Valentin山(3910m)を源流域とし,北北東に向かってエクスプロラドーレス谷へと溢流する氷河である.溢流部の全長はおよそ30km,末端部の高度は約230mで幅は約3kmである.

     氷河の末端(標高230m付近)には,樹木等の植生に覆われた比高約70から100mのターミナルモレーンがある.そこから上流2kmにわたって氷河は巨礫を含むデブリに覆われており,ハンモッキーな表面形態をなしている.ターミナルモレーンの内側,およびそのすぐ上流側にある数列のリッジには氷体が存在し,アイスコアード・モレーンである事が確認できた.

     ターミナルモレーンのすぐ内側には,融解水がせき止められてできた池がいくつか存在する.モレーンの内側にも樹木が侵入しているが,凹地に生えた樹木が浸水している箇所があり,このことから,かつてモレーンの内側へと樹木が侵入した安定期があって,その後,ほぼ現在において急速に氷体の融解が進行していることが伺える.

    年代試料
     モレーンの礫間を埋めるシルト粘度質のマトリックス部を掘削し,葉片を採取する事ができた.パタゴニア氷原から溢流する他の氷河では,完新世には,3600 yr PB (I), 2200 yr BP (II), 1600-900 yr BP (III), および小氷期 (IV)の前進期があったことが確認されており,今回採取した年代試料によってモレーンの形成年代を特定できるものと期待できる.今回行った現地での観察結果では,植生の進入状態や土壌の発達程度,およびアイスコアの保存状態などから判断して,小氷期以前に形成された可能性が高いと考えられるが,最終的な結果については今後の炭素放射年代の測定結果を待って,あらためて報告する.なお,もし,これが小氷期よりも一つ前の前進期(III)に相当するとすれば,小氷期のモレーンは顕著なリッジとして存在しないことになり,他の氷河にはみられない特徴を有することになる.

    流動観測
     氷河末端から上流およそ5kmの間の6点で,GPSによるディファレンシャル測位を行い,短期の流動速度観測を行った.測位間隔はおよそ10日間である.

     デブリに覆われたハンモッキーモレーン帯でも流動が検出され,氷河は最外縁のターミナルモレーンのすぐ内側まで流動していることが明らかとなった.しかし,ターミナルモレーンの一部がアイスコアード化しているという観察事実からすれば,その流動に伴って最外縁のターミナルモレーンが現在も形成されているとは考えがたい.簡易的ではあるが,20cmほど氷に埋め込んだステークが数日間で倒れた.この結果から推定すると,末端付近の表面融解量は相当のものがあり,流動による変化を打ち消しているものと考えられる.

     ハンモッキーモレーン帯では,クリーンアイスとなる中流部と比較してより大きな上昇成分が観測された.クリーンアイスからハンモッキーモレーン帯へと移行する地点には明瞭な横断リッジが存在し,この位置で上昇成分の変化に伴う表面形態の変化が発生しているものと推定される.今後はさらにGPS測位の結果を詳しく解析して表面高度の変動を求め,表面融解に伴う低下量を補うような湧昇流の成分も明らかにしていきたい.

     今回の測定は非常に短期間であったこと,さらには,融解最盛期よりも前の時期に観測したということもあって,この結果を年間の移動量に換算することは難しい.今回設置した観測点を一年後に再測することによって,年間移動量を求めていく予定である.
  • 友澤 和夫
    p. 32
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1.はじめに
     自動二輪車の生産は,かつては日本を中心とした先進国が主体であったが,現在では中国やインドなど市場規模の大きい発展途上国にシフトしている.ただし,そうした国々の生産の成長には,日本のメーカーが設立した現地法人が中心的な役割を担っている.日本の二輪車メーカーはローカルな生産システムを各地に構築しながら,事業のグローバルな展開と調整を実行しているのである.
     本研究の目的は,世界第2位の自動二輪車市場であるインドにおいて,本田技研の二輪車事業の成長と,それに対応したサプライヤーの立地動向や取引連関に焦点をあてて,発展途上国において「規模の経済性」を達成しつつある同社の生産システムの特徴を把握することを目的とする.本調査は2003年12月に実施し,本田技研の現地法人とそのサプライヤーを訪問して資料や情報を収集した。
    2.2つのホンダ現地法人
     本田技研の二輪車部門において,インドの地位は重要である.2002年における同国の年生産台数は約500万台であり,中国の約1,200万台に次いで第2位である.中国における市場シェアが約4_%_であるに対して,インドでは約36_%_であり同社にとって世界最大の市場となっている.
     本田技研はインドに2つの現地法人を有する.一つは,1984年に現地のヒーローグループと合弁で設立したヒーロー・ホンダ・モーターズ(HHML)社である.いま一つは,1999年に単独で設立したホンダ・モーターサイクル&スクター・インディア(HMSI)社である.2003年までは,前者がバイクを,後者がスクーターを生産するという分業関係にあったが,2004年以降はこの関係は解消される.
     HHML社は2つの工場を有する.創業当初はデリーから約70km西南方向に離れたダルヘラ工場のみであったが,バイクの需要増大に対応してグルガオン工場を1997年に稼働した.近年,同社の生産の伸びは,27万台(ユ96)→53万台(ユ98)→104万台(ユ00)→167万台(ユ02)と急激で,雇用や取引の量的拡大とともに,開発や設計など高次な企業機能の立地を呼び込んでいる.HMSI社は,HHML社の2工場の中間点に開発された工業団地IMTマネサールに立地する.生産規模は13.4万台(ユ02)である.
    3.サプライヤーの立地動向
     これら3工場はNH8号線沿いに約15km間隔で配置されており,部品の現地調達率も高いことから,当該地域にはサプライヤーの活発な立地展開がみられる.第1の動きは日系企業の新設である.当初はローカル企業との技術提携によりHHML社に部品を納入していた企業が,ビジネス機会の拡大と同社からの強い要請に応える形で合弁企業を設立するケースがこれに該当する.
     第2の動きは,既存サプライヤーの多所立地化である.これには,各納入先工場に近接させて工場を配置するパターンと,製造する部品ごとに個別の工場を設けるパターンがある.また,特に後者の場合に,労務管理の観点からそれぞれを別会社組織とするケースがみられる点にインド的な特徴がある.
    4.サプライヤーの取引連関
     日系かローカルかを問わず,調査サプライヤーの取引先は概して少なく,2つのホンダ現地法人がその中心となっている.現状の生産能力ではフル稼働の所も多く,「規模の経済性」を指向した生産がなされている.この状態は,トヨタ社のインド現地法人が生産の小規模性からローカル・サプライヤーとの取引が少量となり,それらの「範囲の経済性」を追求した取引構造を変えるには至っていないことを述べた昨年度の報告(友澤2003)とは対照的である.
  • 篠原 重則
    p. 33
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
  • 山口 勝
    p. 34
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに_-_取材経験から感じるハザードマップの問題点_-_
    私は,いくつかのハザードマップを取材し(例えば,1997年横須賀市活断層マップ,1999年台湾地震(活断層法の提唱), 2000年有珠山噴火,2001年 三宅島,富士山噴火災害予測図など)「ハザードマップは、地域の災害環境を知り,防災に役立てるために有効」という立場から紹介してきた. 2000年の鳥取県西部地震の際には,内陸の活断層の知られていない場所で被害地震がおき,“従来の活断層マップだけでは,ハザードマップとして十分ではない”と言う東京大学地震研究所の島崎邦彦教授の意見をもとに、USGSの強震動ポテンシャルマップを紹介,日本でもこのような取り組みが必要とした.しかし,いざできた地震動予測図をみると,再来活動間隔が短い海溝型地震に対して,再来間隔が2-4桁長い活断層地震の影響が見えにくく,30年確率などの時間の概念が素人には理解しにくいなどの課題を感じる.地震動予測図を市民が理解し,活用するために何が必要なのか.
    2.“市民に理解されるハザードマップ“は、防災力を生み出す
    有珠山周辺の1市4町村では1995年共同でハザードマップを作成し公開した.その内壮瞥町は,1997年,町独自のハザードマップもつくり全戸に配布した.このマップは,避難所とその電話番号を明記し,日頃から見てもらえるよう冷蔵庫にもはれるサイズにするなどの工夫がしてあった.その結果,2000年の避難指示の際には,近隣自治体と違い,住民から役場に対して「どこに避難すればいいか」などの問合わせはなく,行政が住民からの問い合わせに追われるようなことはなかったという.さらに住民の多くが「避難は長期になる」と独自に判断,着替えを用意して避難所に向かったという.災害環境を知るための普段からの防災教育とともに,理解してもらえるハザードマップの存在が地域防災力につながった事例である.
    3.地震動予測図はどうして理解しづらいのか?
    火山ハザードマップや河川水害予測図は,過去の噴火や災害事例など具体例を元につくられたいわば災害履歴図やシナリオ型ハザードマップであるため,市民も理解しやすい.一方地震動予測図は,ある地域でおきる複数の地震による地盤の揺れを統合し,時間軸を発生確率として相対的に示しているため,災害のリアリティーを感じにくい(赤いメッシュ:30年確率で6-100%はどの程度切迫しているのか?どの程度危険なのか?この相対性は,行政が防災対策の優先順位をつけたり,保険料算定基準として利用したりするには便利なのだろうが).
    4.ハザードマップにリアリティーを持たせるには
     では,この相対的な尺度に市民はどうすればリアリティーを感じられるようになるのだろうか?
    一つは,地震動予測図は様々な要素(レイヤー)を統合しているので,その根拠となる要素一つ一つ(地盤強度,想定震源などなど)を提示し,どのような係数をかけて統合したのか,作成過程を追体験させることである.一見難しそうなことでも,根拠がわかれば理解につながるはずである.特に,統合することで見えにくくなってしまう活断層地震の影響は,マップを別立てにして併用することが望まれる.もう一つはハザードマップをシミュレーションとしてとらえ直すことである.シミュレーションは入力値が変われば結果も変わる.時間がたてば,あるいは,ひとたび地震が起きてしまえば,結果も変わる.いわば“使用前使用後”をみせることで,相対的尺度を市民も実感できるチャンスが訪れる.2003年春公開された北日本編では,7月26日に宮城県北部地震,9月26日には十勝沖地震が発生.特に十勝沖はM8の海溝型で想定していた地震であるため,シミュレーションの初期値が変わりシミュレーションをやり直す必要がある.理解促進のための,あるいはシミュレーション改良のための千載一遇のチャンスが訪れたのだ(推本は,既に発生確率を再計算し公表した.今後予測図も改訂公表することを望みたい).シミュレーション結果は,あくまでも一つの可能性にすぎず絶対ではないということを市民が理解し,その根拠と限界を知った上で利用するという「科学を社会に生かすためのリテラシー」を育てるチャンスでもある.以上は,科学番組を作る際の企画イメージであるが,このようなイメージが学校教育や防災教育においても,ポテンシャルマップから災害イメージのリアリティーを高める際のヒントになれば幸いである.
  • 鈴木 康弘
    p. 35
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    かつて活断層が起こす地震については、確率論的評価が困難であることを理由に、一般的な耐震工学の対象外であった。平成16年度末に地震調査研究推進本部(以下、推本と略記)が作成する予定の「全国を概観した確率論的地震動予測地図」において、活断層起源の地震についても海溝型地震と同等に扱われ、一枚の地図上に示されることは大きな進歩である。しかし、この地震動予測図(500mメッシュ)では活断層の危険性がかえって見えにくいという問題点がある。このことは既に指摘されているが(例えば入倉,2003)、これは単に、活断層の活動間隔が長いため、確率が原理的に高く成り得ないことだけが理由ではない。活断層が起こす地震には中小規模のものもあるのに、その発生をうまくモデル化できないため、固有地震(最大規模)だけに限定しているといった技術的な問題も含まれている。
     本発表においては、活断層の地震発生推定のどこに問題があるかを改めて整理し、予測地図改訂時までの目標を提示すると共に、現時点で予測地図を地震防災に活用する際の留意点をまとめる。また、阪神淡路大震災の教訓として学んだ「活断層地震への備えの正攻法」を思い起こし、予測地図関連の防災戦略と両輪であるべき活断層直上の土地利用への配慮が、一向に進んでいないことを改めて問題提起したい。
  • 水野 一晴
    p. 36
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    ナミブ砂漠を流れるクイセブ川は礫砂漠と砂丘地帯の境界をなしている.この川沿いには森林がのびているが,部分的に大量枯死している場所がある.その樹木が枯死している場所は,砂丘の砂が1m前後堆積し,小さな段丘状の地形をつくっている.また,そこの地形断面をみると,砂丘の斜面と砂丘の砂が堆積してできた小さな段丘の間が窪んでおり,そのことから段丘の砂が砂丘斜面上部から運ばれたものではなく,河川上流から運ばれてきたものであることがわかる.
     また,この大量枯死している場所の共通点を見ると,川が北への凸型の湾曲から凹型に移行した地点で,かつ,北に凸部のところのすぐ背後に砂丘がせまっているところであった.このことから,洪水が起きたとき,川が北に凸型に屈曲するところを流れるときに,前進する砂丘の先端を侵食し,その砂を南に凸型に屈曲するところに堆積させ,樹木を枯死しさせたのではないかと考えられる.
    砂丘の前進に関しては、2002年11月29日に砂丘の先端にポールをたて、モニタリングした。2003年3月1日の観測ではまったくポールは埋まらず、砂丘は前進していなかった。しかし、2003年8月10日には、ポールは深さ60cmまで埋まり、砂丘は100cm移動していた。さらに、2003年11月30日には、深さ70cmまで埋まり、最初より145cm移動していた。すなわち、砂丘は継続的に徐々に移動するのではなく、突発的に移動し、その移動速度は145cm/年であることがわかった。
     川沿いの樹木は、その年輪幅が0.5mmム1.0mmであり、その多くの樹齢は100-350年であった。樹齢100年以下の若い樹木が点在する場所もあるが、多くの場所は後継となるような若い樹木を欠いていた。
     樹木の枯死した年代は,枯死木の枝の先端の14Cの濃度と1950年以降の14C濃度の世界各地のデータとの比較より,1970年代後半から1980年代前半と推定される.また,洪水により砂が堆積した年代は,その砂層の直下の木片の年代より,1960年代から1970年代であることが予想された.また,クイセブ川は,1962年から1975年までは33日/年と洪水日数が多かったのが,1976年以降は激減し,とくに,1976年から1985年の10年間には洪水は2.7日/年ときわめてまれだった.このことから,洪水によって運ばれた砂が厚く堆積しても,従来はその後生じる洪水によって,また洗い流されていたものが,近年になって洪水が起きなくなったことにより,砂が堆積したままになり,樹木が枯死していったことが考えられる.クイセブ川沿いの森林は,そこに住むトップナールのひとびとにとって,日陰や薪を提供したり,ヤギのエサとなるため,牧畜民である彼らには不可欠なものである.その森林の枯死は深刻な問題で,住民の生活のためにも,森林枯死の原因となる環境変化を解明し,その対策を考えることは重要である.
  • 大野 新
    p. 37
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに
     報告者が勤務する学校は中高一貫の男子校である。入試を経て入学しているため,基礎学力は高く,地名等の知識は相当持っている。しかし,入試学力は単なる暗記を中心としたもので有機的なつながりは少なく,実際の空間認識や社会認識と乖離しているため,短期間で忘れていく。本校では,中高時代に地域を科学的に認識する力を養うことや,生徒が各自で具体的な世界像を組み立てることができるような地理教育を目ざしている。
    2.知の後退と生活感の欠如
    近年の状況に知の後退があげられる。現在の学校現場において「学びからの逃走」は深刻である。幅広い知識を貪欲に吸収しようとする生徒はめっきり減少した。IT機器を駆使して要領よくレポートをまとめる能力には長けているものの,多面的に考察する力は年々衰えている。小学校における「新学力観」にもとづく支援型の学習形態により,発表したりすることは得意となったが,論理的な思考力が涵養されていない。また興味関心の及ぶ範囲が非常に狭く,周囲に対する配慮に欠ける生徒が多い。小さいころからの生活感の乏しさやコミュニケーション能力の衰えに起因しているものと思われる。地理学習は生徒の生活空間を基礎として展開するものである。したがって,自分の生活する空間への興味や関心がないと学習が非常に進めにくくなる。生徒の生活に引きつけるとともに,生徒に役立つ授業がますます必要とされている。
    3.新しいカリキュラムの構築をめざして
    このような中で,単位数も減少した現在,新しいカリキュラムを構築するいくつかの視点をあげてみる。
    _丸1_ 現代世界を理解するための視点・・現代世界の構造を理解するために必要な教育内容と教材の選択
    _丸2_ 空間を認識し,判断するための視点と方法・・現代的な課題を学習するために最も適切な空間スケールを教材として選択し,ほかの空間スケールとの関わりを関連づけながら,構造的に学習課題を把握できるようにする。また,空間を認識し,判断するための視点と方法,地理的技能の系統的な習得をめざす。
    _丸3_ 子どもたちを取り巻く問題を理解するための視点・・子どもたちの発達特性と発達段階をふまえ,学ぶ意味を見いだせる教育内容と教材の選定を行う。また子どもたちが生きていくために必要な空間認識を育てる。
    4.地理学習を地域学習ととらえる
    地理教育は,いろいろな空間スケールの地域的広がりを対象とするものだとすれば,生徒が世界像を構築する際に,各自の課題に応じて空間のスケールを選択して考えることができるような能力をつけてやればよいと考えられる。たとえばイスラムの問題を考える時は文化圏としてのイスラム地域を選定し,身近で生活するイスラムの人々の文化を考える際は,自分の生活する空間を選定できればよい。つまり,われわれが普段,さまざまな事実を認識する際に行っている空間選択を,地理の学習を通して,生徒も扱うテーマに応じてできるようにすることを一つの目標と定めるのである。下図はその概念を示したものである。空間の規模を4つに分けて,小_から_高の3つの段階でどの地域を中心にして学ぶかを示したものである。これに学習テーマを組み合わせたものを地域学習の根幹にすえてカリキュラムを構成する。小_から_高までを貫く空間規模を設定することによって,地理学習が効果的に展開できると考えている。
  • 村上 亘, 島田 和則
    p. 38
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    _I_.はじめに
    堰堤の建設に伴い堰堤上流側(後背地)に新たに形成される地形面の特徴と、そこに成立する樹種および樹齢構成の堰堤ごとの相違について、堰堤建設の影響が小さい区間と比較した結果とあわせて報告する。調査地とした東の又沢には本流に3基の治山堰堤が建設されている。本報告では、下流側の2基の堰堤の後背地、および両者の中間に位置し、堰堤の影響が小さいと判断される区間を対象とした。      

    _II_.調査地の概要および調査方法
     東の又沢は岩手県雫石町の南西部を流れる矢櫃川の支流である。流域の地質は集塊岩(凝灰岩)である。本流に建設された3基の堰堤のうち、対象とした下流側2基の堰堤の建設年は、下流側より1982年(第_I_堰堤とする)および1965年(第_II_堰堤)である。この2つの堰堤の後背地はすでに満砂しており、そこに形成された地形面には、植生が侵入、成立している。
     調査は測量を実施し、結果を基に地形図を作成し、微地形区分を行った。そして区分した地形面ごとに植生調査を行い、樹種および成長錐の採取による樹齢の構成を調べた。また、成立する樹種の異なる地形面を掘り、堆積物試料を採取し、その粒径組成を分析した。

    _III_.調査結果および考察
     測量区間ごとに下に示すような図を作成した。2つの堰堤の後背地では低位堆積面(上)と区分した地形面の占める割合が大きかった。一方で、堰堤の影響が小さい区間では高位堆積面として区分した地形面の割合が大きく、低位堆積面(上)(下)は流路沿いの狭い範囲に限定された。堰堤後背地の低位堆積面(上)に成立する樹木の樹齢は多くが堰堤建設後に侵入したことを示しており、このことからこれらが成立する地形面は堰堤建設後に形成されたと判断された。以上より、堰堤の建設によって、低位堆積面(上)と区分した地形面が広く形成されたことが推測された。
     第_I_堰堤後背地の低位堆積面(上)にはヤマハンノキ(場所によってはサワグルミの若木)が優占し、第_II_堰堤ではオノエヤナギが優占していた。この違いについて、それぞれの場所の粒径組成を比較したところ、オノエヤナギが優占していた場所の堆積物の粒径組成はヤマハンノキが優占していた場所に比べ、細粒の傾向にあることが認められた。このことから、堰堤後背地に堆積する物質の粒径組成の違いが侵入する樹種を決定する要因のひとつとして推測された。この堰堤ごとの堆積物の粒径組成の違いは、堰堤の建設された位置や合流する支流の状況などが要因として考えられた。
  • 村中 亮夫, 寺脇 拓
    p. 39
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    _I_ はじめに  里山とは,森林における,人間の自然に対する持続的な作用により維持されてきた,人間と自然との共生空間である.この里山環境は,高度経済成長期以降,エネルギー革命や開発にさらされ,荒廃している.
     しかし,近年,森林に対するニーズが多様化し,森林の持続可能な利用と保全への取り組みが活発化している.林野庁は森林を利用目的別に区分し,その中で特に「森林生態系の保全,生活環境の保全や森林空間の適切な利用を重視する森林」として「森林と人との共生林(共生林)」を設けた.また,民間NGO,NPOでは,担い手が少なくなり手入れが行き届かなくなった森林において,下草刈や枝打ちなどの林業作業補助を行なう取り組みを活発に行っている.これらの活動は,一般的に森林ボランティア活動と呼ばれ,全国的にも取り組みが広まっている.
     本研究では,森林ボランティアにより維持される里山環境が,周辺住民に与えている便益を,支払カードCVMにより評価する.支払カードCVMにおけるWTP関数のモデリングでは,従属変数がグループ化されている場合のモデリングとしてグループデータ回帰が利用される.このモデルを用いて,里山環境保全に対する支払意思額(WTP)に対する影響要因から,空間的なモデル構築を行なう.
    _II_ アンケート調査の概要  本調査では,中町奥中「観音の森」から道路ネットワーク距離で約15km圏内の住民を受益者とし,兵庫県西脇市,中町,加美町,八千代町,黒田庄町,山南町,(6市町)の居住世帯を母集団とする調査を行なった.調査の期間は,2003年9_から_10月にかけて実施した.評価指標は,観音の森の里山環境の崩壊を回避させるための,仮想の「観音の森保全基金」に対する任意の負担金を1年に1度10年間求めるものとした.電話帳から1000世帯を無作為に抽出し,郵送調査を実施した.238の有効回答,150の正常回答を得た.
    _III_ 里山林管理の空間的経済評価  里山林管理の経済評価では,正常回答を利用する.AICをもとにした変数選択の結果,変数選択の結果,世帯年収を表すInc,里山の果たす役割として人間の生活を支える生態系を保全する役割に対する考えを表す変数Role3が,有意にWTPを説明している結果となった.このモデルからは,世帯の年収が高ければ高いほど高いWTPを表明していることが読み取れる.また,里山に対して人間の生活を支える生態系を保全する役割を評価している回答者ほど,高いWTPを表明していることが分かった.
     また,変数Role3以外の里山に対して期待される項目の,Role3に対する順位相関係数を求めた.その結果,「生態系保全」は「生物資源」,「環境浄化」の効果も含んでいることが分かった.つまり,観音の森の周辺住民は観音の森に対して生態系保全の価値観を認識しているとともに,付随して「生物資源」,「環境浄化」に対する価値も認めているものと考えられる.
     このモデルから得られた1世帯あたりのWTP平均値は2218.8円/年,WTP中央値は1437.5円/年であった.得られた数値を6市町の総世帯数25184世帯で掛け合わせ,10年間の総支払意思額を算出すると(割引率4%),平均値約4億7000万円,中央値約3億1000万円であると試算された.この金額は,中町奥中「観音の森」における里山環境を保全することにより生まれる,周辺市町住民にとっての経済的価値とみなすことが可能である.
    _IV_ 考察  本研究では,被験者の居住地と観音の森との距離を回帰子として検討したが,距離の効果は有意にWTPに影響を及ぼす結果とならなかかった.つまり,WTPの距離減衰効果は観測されなかった.このことは,棚田保全に対するWTPの距離減衰効果を観測した事例と異なる.今回の調査でWTPの距離減衰効果が観測されなかった理由として,_丸1_本研究で評価された里山という財の性質,_丸2_より広い範囲の受益圏の可能性,が考えられる.
     前者について,今回の分析ではWTPに対して有意な結果となった里山に期待する機能は「生態系保全」,「生物資源」,「環境浄化」を含んでいた.こうした機能は,直接現地へ移動して財を消費する性質の機能ではないため,距離減衰効果を観測することができなかったものと考えられる.後者については,森林ボランティアによる観音の森への訪問は神戸市からも観測されており,より広い範囲に受益者が分布している可能性も考えられる.以上の結果から,環境保全に対するWTPは,距離減衰効果を持たない場合もあることを指摘できた.このように空間的指標を検討することにより,様々なバイアスを回避することができる.
  • 中村 洋介
    p. 40
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    富山平野は北方を除く三方を山地に囲まれた半盆地状の平野であり,中央部に位置する呉羽山・射水丘陵によって呉西(砺波平野)地域と呉東(狭義の富山平野)地域に分割される.呉東地域には神通川,常願寺川,黒部川等の河川が北流している.特に,常願寺川から黒部川に至る約70kmの区間には扇状地性の河成段丘が連続的に分布する.
    これらの河川の上流域には,南東側から中_から_古生界,中新統火山岩類,鮮新統堆積岩類等が,西側から順次分布する(野沢・坂本 1960;?野ほか 1992;藤井ほか 1992).さらに,その上位を更新世前期の礫を主体とし,泥層,砂層,凝灰岩の互層を伴う呉羽山層が覆っている(藤井 1965;角・野沢 1972).一方,これらの河川の下流域には扇状地性の新旧の河成段丘面が発達する.これらの段丘面は,深井(1956),藤井(1965,2000),堂口(1980)らによって分類や対比が試みられている.しかしながら,いずれの研究においても本地域の河成段丘面の分類,対比に関する見解が異なり,その形成時期の推定には至っていない.
    また,本研究地域には,上述の河成段丘面を変位させる南東上がりの逆断層である,長さ約30kmの魚津断層の存在が指摘されている(池田ほか,2002;中田・今泉編,2002).なお,本断層の一部は大浦断層や不動堂断層として藤井・竹村(1979)によって記載されている.池田ほか(2002)は,大縮尺の空中写真判読よって魚津断層の地表位置を詳細に記載している.それによると,魚津断層は第四紀後期に形成された河成段丘面を変位させる東上がりの逆断層であり,断層線は幅数100mに渡る撓曲帯を形成しながら(場合によっては数条に分かれながら),NNE_から_NNW走向に併走するとされている.
    活断層の変位速度を算出するうえで河成段丘面はその重要な指標の1つであるが,本地域では火山灰層が段丘面構成層中や被覆土壌層中に肉眼で認められないことや自然露頭に乏しいことから,大部分の河成段丘面の形成時期は未詳であり,魚津断層の第四紀後期における精密な上下平均変位速度は求められていない.
    そこで本研究では,富山平野東縁の上市川から黒部川流域に広く分布する河成段丘面においてボーリング掘削によってローム層の採取を行い,ローム層中に微量に含まれる火山起源の鉱物を用いて段丘面の形成時期の推定を行った.ボーリング掘削には,1.試料を垂直方向に定量的に採取することが可能である,2.風化や生物攪乱の影響を極力取り除くことができる,3.試料を得たい場所でピンポイントで採取できる,といった長所がある.ボーリング掘削機器はパーカッション採土器を使用した.本採土器は,エンジン打撃式で採土管を打ち込み,引き抜きは人力でおこなうものである.なお,試料はオールコアで採取される.
    本地域に分布する河成段丘面は,大きく十二貫野面_から_水橋面の9面に分類でき,広域火山灰であるAT,DKPならびにK-Tzが大海寺野面構成層を覆う被覆土壌層中に挟在する.これらの河成段丘面のうち,DKPは広野面を覆う被覆土壌層の最下部に,K-Tzは大海寺野面を覆う土壌層の下部に,それぞれ挟在する.これら火山灰層の層序ならびに段丘堆積物の層相より,本研究では本地域における河成段丘面の形成時期を,十二貫野面(MIS6),中野面,大海寺野面(MIS5),広野面(MIS4_から_3),上野面(MIS3),舟見野面(MIS2_から_3),魚津面(MIS2),三日市面,水橋面(完新世)であるとそれぞれ推定した.
    これらの河成段丘面は魚津断層によって累積的に変位を受けている.その変位量をそれぞれの段丘面の形成年代で割って,魚津断層の上下平均変位速度を算出したところ,約0.2_から_0.9mm/yrの値が得られた.この値は,変位速度算出地点の断層上における位置が大きく反映したものであると考えられる.
  • 荒木 一視
    p. 41
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    目的 本研究の目的は経済成長の著しいインドの首都デリーの農産物供給体系を明らかにすることである。中産階級の台頭が指摘されて久しいインドの首都は,人口の増加のみならず消費水準の向上も急である。このような環境の中,拡大し続ける都市の食料需要を支えるためにいかなる農産物供給体系が機能しているのかを明らかにすることは途上国の大都市を考える上で重要な意味を持つと考える。その際,本報告では特に,農産物卸売市場を通じた検討に主眼をおいた。主穀類や青果物を含めた農産物の供給は食料供給の中でも最も基本的な位置にあり,卸売市場は農産物の生産と消費をつなぐ上で中心的な役割を果たしているからである。
    方法 2003年12月にデリーを訪れ,市内の農産物供給の中枢を担う9つの農産物卸売市場で聞き取り調査を行うとともに入荷データを収集した。また,これらの卸売市場は各々の農産物市場委員会(Agricultural Produce Marketing Committee)によって運営されており,それらを統括するデリー農産物マーケティングボード(Delhi Agricultural Marketing Board),さらにデリー農業マーケティング理事会(Directorate of Agricultural Marketing)でも聞き取りを行った。加えて全国レベルでの青果物需給に関しては国立園芸局(National Horticurture Board)の資料を利用した。
    デリーの農産物市場 デリーの主要農産物市場は9つあり,最大の規模を擁するアーザードプル青果物卸売市場を始めとし,穀物市場としてナレラとナジャフガル,トランスヤムナ地区の農産物全般を取り扱うサハドラ,デリー西部の青果物を扱うケショプル,鮮魚と鶏を扱うジャッキーラ,飼料を扱うマンゴルプリ,花卉を扱うメヘルーリ,乳製品を扱うバグディワルがある。また,アーザードプル市場の下位市場としてデリー東部をカバーするオークラヤードとバナナ専門ヤードの2つが機能している。
    結論 取扱量の増加は穀物類よりも青果物において顕著であり,アーザードプル市場のそれはこの10年間で3割以上増加した。
     取扱量の増加と効率化を図るために,拡大を前提にした移転や市場の新設がこの数年で大きく進展していることが明らかになった。この5年でナレラ市場とサハドラ市場が新たなヤードを新設・移転したのを始めとし,ケショプル市場がアーザードプル市場の下位ヤードから単独の市場として独立した。さらに,1997年にメヘルーリ市場が,1998年にバグディワル市場が新たに設置されたことなどである。
     取扱量の拡大にともない,入荷地にも変動が見られた。特に従来的にデリー近郊からの入荷が中心であった青果物の遠距離からの入荷が認められるようになっている。その過程で,高い生産性を誇る特定の産地が台頭していることも確認できた。特にマハーラーシュトラ州のナーシクは,トマト,キャベツ,カリフラワーを中心とした野菜類の一大出荷拠点となっている。こうした大消費地への出荷を担う特定産地の成長という構図は,1980,90年代のわが国において確認された野菜流動体系の特徴と共通するものでもある。
  • 澤 宗則
    p. 42
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    _I_ 問題の所在
     開発途上国・インドは特に1991年の経済自由化政策以降、急激な経済成長を経験しているが、それは国内の経済構造を再編成すると同時に、地域構造にも再編成を迫っている。大都市においては、郊外にロードサイドのポストモダンなショッピングモールやオフィスビルが建ち並び、経済成長を享受する新中間層の空間が新たに生産されている。一方、従来からの旧市街地では、喧噪を極めるバザールに依然として牛が練り歩く。いわば新中間層以上の空間とそれ以外の階層との経済的二重構造が空間構造にそのまま表現され、いわば「スクラップなしのビルト」がインドの都市空間の近代化様式であるといえよう。
     農村においては、近代化の下、従来の農村のローカルな資源が新たな意味に書き換えられつつある(創造的破壊)。資本家は、農地としての価値ではなく、工業地や住宅地としての価値によって農村の土地の価値を評価する。この近代化のプロセスの中で、経済的価値が追求され、農地から工業地・住宅地に土地利用が転換される。それは同時に農村住民にとっても、固有な意味を持った様々な記憶が重層化した「場所」を剥ぎ取り、資本家にとっての経済的価値で評価される「空間」へと、意味が転換していくプロセスでもある。
     本報告では、デリーに隣接し、郊外型開発が進むグルガオン市(ハリヤーナー州)の近郊農村(GK村)住民の認知空間を対象に、近代化の進行が、空間に対する価値観の変化に与えた影響を考察する。
    _II_ 研究方法
    GK村は、最上層のブラーミンから指定カーストまで含むマルチカースト社会であり、近年旧集落外に分譲住宅団地が形成され、そこにはグルガオン市内の日本資本の自動車メーカーの下請け工場等の労働者などが家族単位で居住している。調査は、2003年12月に行い、ジャーティ・家族構成・就業構造(農業経営・農外雇用)・学歴・居住地移動・地域問題に関する聞き取りを行うと同時に、村内およびグルガオン市内のメンタルマップを作成してもらい、同時に描かれた「場所」の意味を調査した。

    _III_ 考察
    1)年齢による認知空間の差異
    高齢者において、古い寺院や聖なる樹が村内の重要な場所である。
    2)ジャーティによる認知空間の差異
    社会的最下層である指定カーストの認知空間は狭い。
    3)経済的格差による認知空間の差異
    新中間層は、グルガオン市郊外のショッピングモールや自家用車で利用する国道バイパスを中心に認知空間が広がる。それ以外の大多数の農村の旧住民は、バスルートと市内のバザールを核とした認知空間である。
    4)ジェンダーによる認知空間の差異
    特に、主婦層は日常的な買い物は行商人を通じて行い、市内に出かけることが少なく、認知空間がきわめて狭い。女子学生は、通学以外には両親に外出を制限されるので、認知空間は男子学生より狭い。特に郊外のショッピングモールは「危険な場所」として厳しく制限されている。
    5)通学先による認知空間の差異
    私立学校の通学生は、村内に同級生が少ないため、村内の認知空間は狭く、市内の認知空間は広い。
    6)新・旧住民間の認知空間の分離
    新住民が居住する住宅地は、旧集落から離れて立地し、両者の認知空間には共有範囲がない。両者間の社会的繋がりも希薄である。
     このように、近代化は、様々な「場所」の意味(インド文化に埋め込まれたもの)を剥ぎ取り新たな意味を付与していく(脱埋め込み)が、同時にその変化のプロセス自体もインド文化に「再び埋め込」まれている。
    本発表に際し、平成15年度科研費(基盤研究(A)(2)、課題番号:13372006、「経済自由化以降のインドにおける都市・産業開発の進展と地域的波及構造」・代表者:広島大学・岡橋秀典)の一部を使用した。
    Giddens, A.(1990): The Consequences of Modernity, Polity Press
    (松尾・小幡訳(1993):「近代とはいかなる時代か?モダニティの帰結」,而立書房)
  • 中村 有吾, 亀山 聖二
    p. 43
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに

     北海道勇払平野(苫小牧市)では,道道上厚真苫小牧線の道路改良工事にともなう地質調査ボーリングが,2003年6月に実施された。筆者らが,コア試料を分析した結果,地表面下約52mの層準に恵庭aテフラ(En-a,ca.17 ka BP)に同定される降下軽石が認められた。



    2. 恵庭aテフラの同定

     分析をおこなったテフラ試料は,地表面下約46_から_60mのシルト層中に挟在する,層厚20cm前後,粒径3_から_5mmの降下軽石である。このテフラは,水和がほぼ完了したスポンジ状火山ガラス,斜方輝石,単斜輝石,斜長石に富み,磁鉄鉱をともなう。火山ガラスの約80%はn=1.509_から_1.512の屈折率を示し,残りの約20%はn=1.499_から_1.502を示す。斜方輝石の屈折率はγ=1.712_から_1.715の範囲にある。これらの特徴は,中村・平川(2003,第四紀研究42-4)が提示したEn-a上位ユニットの岩石学的特徴と一致する。



    3. その他の層序学的特徴

     En-aの同定により,以下の議論が可能となる。

    (1)En-a上位ユニットは,給源に比較的近い石狩低地帯南部のみで確認されるフォールユニットである。En-a上位ユニットの火山ガラス屈折率は,給源遠方の日高_から_十勝地域に分布するEn-aの火山ガラス屈折率と異なる。

    (2)En-aを挟在する地表面下約46.0_から_59.7mのシルト層は,最終氷期極相期頃の堆積物である。当時のこの地点にシルトなどの細粒物質を堆積させる環境があったことを示唆する。

    (3)今回得られた深度約60mのボーリングからは,支笏火山噴出物は検出されなかった。周辺地域での支笏火山噴出物の深度が10_から_20m(北海道立地下資源調査所,1996,「北海道の地下水資源・石狩低地帯主部」)であることを考慮すると,本調査地点付近には深い谷地形があったと推定される。上記(2)で指摘した細粒物質を堆積させる環境は,この谷底に存在した。

    (4)地表面下約11.5_から_46.0mの堆積物には円磨した軽石片や貝化石が含まれることから,これらは完新世高海水準期(縄文海進)の堆積物と考えられる。円磨軽石は,支笏カルデラ起源の降下テフラや火砕流堆積物が再堆積したものであろう。

    (5)深度5_から_8mにある2層の砂礫層は,池田ほか(1995,地調月報46,283-300)が記載した古勇払内湾期(約6000年前)の砂州の堆積物に相当する可能性がある。
  • 尾方 隆幸
    p. 44
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    寒冷地域の湿原や河川では,スゲの叢状突起である谷地坊主が観察されることがある.谷地坊主の形成には,スゲの枯死とその遺体の堆積,流水や動物の踏みつけによる侵食作用,凍上などが関与するとされているが,その分布を決定する要因や詳しい形成プロセスは十分に明らかにされてはいない.本発表では,奥日光の戦場ヶ原で得られた,スゲの生育条件に関わる地下水面の季節変動,および凍結融解作用に関わる気温・地温・積雪条件のデータを提示し,谷地坊主の形成環境について考察する.

    野外調査を行ったのは,扇状地扇端と湿原とが接する地域である.この地域では,扇状地側にカラマツ林,湿原側にシラカンバ林が分布するが,このうちシラカンバ林と湿原で谷地坊主が観察される.本研究では,シラカンバ林から湿原にかけて幅5m,長さ50mのベルトトランセクトを設定し,以下の調査を行った.

    まず地形断面を測量し,10mおきに1m深までの堆積物を調べた.そして,ベルトトランセクトを5m×5mの10の方形区に分割し,谷地坊主の高さと,非湿原植物の侵入の有無を調査した.植生については,オオアゼスゲのみからなる谷地坊主,主にススキが侵入している谷地坊主,主にミヤコザサが侵入している谷地坊主,および樹木(カラマツ・シラカンバ)が侵入している谷地坊主に区分した.

    本発表では,これらの調査結果と,地下水位・積雪深のデータ,アメダス地点の気温データ,地温データを検討し,谷地坊主の形成環境,特に地下水面の季節変動と凍結融解日数について考察する.

    戦場ヶ原では,年による変動はあるものの,気温・地温が0℃を上下するのはおおよそ9月下旬から6月上旬までの期間である.この期間のうち,地表面が積雪に覆われて地温がほぼ一定になるのは12月から3月までであるが,河岸など積雪のないところでは季節凍土の形成が顕著である.

    湿原の谷地坊主の場合,相対的に基部からの比高が大きく,比高の分布幅が広かった.また,シラカンバ林ではほとんどの谷地坊主に何らかの非湿原植物が侵入していたが,湿原の場合はオオアゼスゲのみからなる谷地坊主が最も多く,非湿原植物の侵入はススキのみであった.これらのデータは,シラカンバ林の谷地坊主が「化石型」であること,湿原の谷地坊主が「現成型」であることを示している.そして「化石型」と「現成型」の分布域の境界は,高水期に地下水面が地表面上に現れる地域,すなわち季節的に堪水する地域の境界とほぼ一致する.

    シラカンバ林の谷地坊主を化石化させた理由は次のように考えられる.シラカンバ林では砂層の形成があり,湿原よりも若干標高が高い.しかし,現在の地表面に谷地坊主が確認されることから,砂の堆積は谷地坊主を化石化させた直接の要因ではない.谷地坊主が現成であるためには地下水面が地表面を上下する環境条件が必要であり,このことから考えて,シラカンバ林では地下水面の低下が生じたと推察される.したがって,谷地坊主が化石化した要因は,遠因としての砂の堆積と,直接の要因としての地下水面の低下である.

  • 花岡 和聖, 中谷 友樹, 矢野 桂司, 古賀 慎二, CLARKE Graham
    p. 45
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    I.はじめに
    近年における生活様式の多様化は,市場の細分化を招いた.そのため,消費者に適したマーケティング戦略を展開する上で,消費者の購買行動をミクロに層別化した購買行動・支出額の分析が必要となっている.近年,GISや大規模なデータベースの普及に伴って,ジオデモグラフィクスを利用したエリアベースの購買行動推計が,欧米を中心にはかられてきた.しかし,社会階層別の棲み分けが欧米ほど明確ではないわが国の状況では,同一小地域内でも様々な属性をもった居住者が,異なる消費購買行動を行っていると考えられる.そこで,本研究では,空間的マイクロシミュレーション(空間的MS)を利用し,ミクロな多様性を伴った消費購買行動を明らかにした上で,店舗別浸透率・売上シェアの推計を試みる技法を提案する.


    II.研究方法
    本研究では,滋賀県草津市を対象にして,空間的MSを構築する.空間的MSは,詳細な空間属性を有する個人や世帯レベルの大規模なマイクロデータを作成し,それを基にシミュレーションを行うアプローチである.通常,その結果は,集計化され,政策などの評価に利用される.なお,本研究では,立命館大学地理学教室と草津市商工会議所により実施された2000年度草津市消費者購買行動調査(購買行動調査)を使用した.


    III.マイクロデータの作成
    マイクロデータ作成には,Combinatorial optimisation法とSynthetic reconstruction法と呼ばれる手法を用いる.
    Combinatorial optimisation法は,焼きなまし法や遺伝的アルゴリズムなどを用いて,マイクロデータの最適な組み合わせ解を求める手法である.本研究では,焼きなまし法を用いた.ここでは,購買行動調査のマイクロデータと,制約テーブルに国勢調査の集計テーブル2つを利用し,対象地域に居住する45120世帯の居住地の町丁目,世帯主年齢,世帯人員,世帯類型を推計した.
    次に,Synthetic reconstruction法を用いて,世帯ごとの住宅の種類を推計する.この手法は,Iterative Proportional Fitting(IPF)法とモンテカルロ・シミュレーションから成る.まず,IPF法を用いて,世帯属性別住宅の種類の条件付き確率を求める.次に,モンテカルロ・シミュレーションによって,全世帯の住居の種類を順次,決定した.


    IV.購買行動のシミュレーション
    作成したマイクロデータを基に,店舗選択,交通手段,1ヶ月あたりの生鮮食料品消費支出額に関する購買行動のシミュレーションを行う.まず,店舗選択と交通手段選択は,購買行動調査から条件付き確率を求め,モンテカルロ・シミュレーションを行った.消費支出額は,家計調査からウエイトを求め,推計した.

    作成されたマイクロデータと国勢調査を比較すると,制約テーブルとの整合性は非常に高い.また,非制約テーブルに関しても,現実的な分布傾向がみられ,マイクロデータの推計精度は高いと推測される.購買行動シミュレーション結果からは,世帯主年齢や世帯人員別の店舗選択や交通手段の違いが明らかになった.また,店舗選択より市場浸透率を求めると,店舗を中心とした距離減衰効果やJR線による商圏の分断も確認された.さらに,消費支出額を店舗別に集計し,店舗ごとの売上高を求めた.推計値は,現実的な値を示している.


    V.おわりに
    本研究では,空間的MSを用いてミクロな消費者購買行動を把握した上で,店舗別浸透率・売上シェアの推計を行った.以上の結果より,次の3点を指摘できる.1点目は,Combinatorial optimisation法を用いることで,標本誤差を軽減し,より精確なマイクロデータを基に購買行動をシミュレートできた.2点目は,Synthetic reconstruction法により,購買行動調査にはない住宅の種類変数を新たに追加でき,消費支出額の推計を可能にした.3点目は,空間的MSの結果を用いることで,消費者属性別に浸透率・売上シェアの自由な分析ができる.よって,空間的MSはミクロな購買行動の把握,また浸透率・売上高の推計に有効である.
  • 尾方 隆幸, 湯本 学
    p. 46
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    日光国立公園の湯川では,隣接する戦場ヶ原湿原の保全のために,河岸侵食を軽減するための護岸整備が行われている.本発表では,湯川の地形変化特性を踏まえて,保全のために現在行われている対策について検討する.湯川は,戦場ヶ原を流れる前半のセグメントでは蛇行が著しく,両岸を湿原に挟まれるが,後半のセグメントではあまり蛇行はなく,右岸に軽石流堆積物,左岸に湿原堆積物が分布する.

    河床縦断面形における遷急点の位置,および自然堤防堆積物に挟まれるFP(約1,400年前)・As-B(約900年前)を用いた地形発達の検討によれば,湿原を流れるセグメントにおいては,下刻作用・側刻作用ともにあまり活発ではない.湿原方向への自然堤防の拡大も,最近1,400年間で約10mにすぎない.中・長期的な時間スケールでは,湯川の河道変遷は活発とはいえない.また,湯川の地形変化が湿原の地下水を排水する効果はほとんどない.

    短期的な時間スケールでみると,河岸侵食を引き起こす営力として重要なものは凍結融解作用である.日周期性の凍結融解作用は,秋季と春季に霜柱クリープを発生させる.また年周期性の凍結融解作用は,数十cmの厚さの季節凍土が融解する春季に河岸物質の崩落を生じさせる.植生の被覆は凍結融解作用の強度に影響し,植生の少ない河岸ではこれらのプロセスが発生しやすい.

    以上の結果から,現在行われている対策にはいくつかの問題点があるといえる.今後は,1,湯川の地形変化が湿原に影響を及ぼす区間は限られているため,護岸整備が必要な場所を選定し,最小限にとどめること,2,護岸整備を行う際には,凍結融解作用に基づく地形変化を抑える工法を取ること,3,凍結融解作用を活発化させる植生破壊を行わないような工法を検討し,施工後には植生の復元を行うことが重要である.
  • 土屋 純, 岡本 耕平
    p. 47
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに
     学習塾や予備校などの補習教育産業は、受験競争の激化や家計所得の増加などを背景にして1970年代から大きく発展してきた。今日、景気低迷によって補習教育への家計支出は伸び悩んでいるが、それでも日本全国の中学生の約4分の3は学習塾に通っており、また、特に大都市圏では、私立高校生の塾通いが増加している。そうしたなか補習教育業界は、大手予備校への寡占化が進んでおり、中小の学習塾は、少子化のあおりを受けて厳しい淘汰選別にさらされている。
     さらに、情報化は補習教育業界にも着実に進んでおり、サービスの供給チャネルの多様化をもたらしている。特に、大手予備校によるサテライト授業は、全国的な教育サービスの流通を可能にしており、その結果、大手予備校による地方の予備校、学習塾の系列化が進んでいる。一方で、小規模な学習塾は、大手に対抗するために個人指導を充実させるようになり、比較的裕福な世帯によって利用されている。
     このように、補習教育は、中学生・高校生の日常生活に深く浸透し、しかもサービス受給の地域格差や企業チェーンの発展といった地理的問題を多分に含んでいる。そこで本研究では、補習教育ビジネスに対して、地理学がどのような課題を持つべきかについて議論したい。さらに事例として、高卒受験生だけでなく、現役中学生、高校生へのサービスを充実させつつある大手予備校の河合塾の動向についても概観し、研究可能性について検討したい。

    地理学的課題
     本研究では、地理学的課題として、経済地理学的課題、社会地理学的課題、時間地理学的課題の3つを指摘したい。
     経済地理学的課題としては、近年の補習教育ビジネス業界の発展について、そのサービス供給のメカニズムについて検討する必要がある。特に、大手予備校による校舎の立地展開、サテライトによる全国展開について検討する必要がある。
     社会地理学的課題としては、大都市を中心として進展している社会階層の二極化と、補習教育ビジネスの動向との関連について検討する必要がある。東京をはじめとする大都市圏では、高所得世帯を対象とした立地展開やサービス供給が進んでおり、極めて興味深い。
     時間地理学的課題としては、受験生の日常生活活動について検討する必要がある。高校生の放課後という時間を、さまざまな補習教育ビジネスが奪い合いの競争を展開しており、その結果、受験生を中心として生活の変化が見られるようになっている。さらに、その他の世帯構成員によるサポートも見逃せない。特に、親による送迎活動は、受験生にとって必要不可欠な要素となっている。

    研究の試み?河合塾を例として?
     近年、河合塾では東京大都市圏において現役高校生向けの校舎を立地展開している。ここでは、上記の課題のうち経済地理学的課題と時間地理学的課題について、河合塾で得た資料に基づき研究を試みる。まず、東京圏における高校生人口、塾生の居住地などのデータから、GISを用いて校舎の立地展開について検討する。次に、塾生である高校生の1週間の生活時間調査データから、彼らの日常生活を検討する。
     研究結果については、発表時に詳しく述べたい。
  • 斎藤 功
    p. 48
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    _I_はじめに
     カリフォルニア州でも酪農は他の地域と同様,当初混合農業の一環として行われた。しかし,大都市の周辺に生乳を供給する近郊酪農が発達した。なかでも,ロサンゼルス郊外のデリーバレー(Artesia, Bellflower, Cerritos, Cypress等からなる)は,1930-1965年にかけてカリフォルニア州最大の酪農中心地であった。都市化に追われ,多くの酪農家はデリーバレーからチノバレーやサンホワキンバレーへ移転した。なかでも,1965年に100戸の酪農家が移転したチノバレーは酪農家の集中地域で,世界最大の酪農地域と言われた。ここでは酪農保護地の指定で酪農家が残存してきたが,住宅地化の波に曝されて1980年代から再移転を迫られている(図1)。
     チノバレーから酪農家の最大の移転先がチューラーレ郡,キングス郡,カーン郡を中心とするサンホワキンバレーである。また,オレゴン,アイダホなどの北部州や乾燥地域のニューメキシコ州などに立地移動した酪農家もいる。ここではアルテジア,チノバレー,チュラーレ郡,カーン郡の現地調査をふまえ,酪農家の立地移動を民族的視点から考察することを目的とする。

  • 大石 太郎
    p. 49
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    従来、少数言語は空間的に隔絶した地域で維持される場合が多く、都市は同化を促進する空間と考えられてきた。しかし、少数言語に対する制度的支援、具体的には少数言語の公用語化や少数言語を教授言語とする学校教育の整備が進んでいるなかで、多数言語が支配的な都市においても多数言語と少数言語の二言語話者が増加傾向にあることが指摘されている。本報告は、ノヴァスコシア州ハリファクスを事例に、カナダの英語圏都市におけるフランス語系住民の言語維持とその構造を明らかにすることを目的とする。
    1951年から2001年までのセンサスを用いて、フランス語を母語とする人口と、英語とフランス語とを話せるとする人口(二言語話者人口)とを指標として実数と割合からノヴァスコシア州の言語人口学的状況を分析した。さらに、2001年センサスを用いて年齢と言語能力との関係を考察した。その結果、1951年にフランス語を母語とする人口がカウンティ人口の10%を超えていた「フランス語系カウンティ」におけるフランス語人口の脆弱さと対照的に、ハリファクス・カウンティのそれの健全さが浮き彫りになった。
    2003年6月にフランス語系住民のコミュニティ・センターを通じて質問紙調査を実施し、その結果を、居住地移動、教育と就業に重点をおいて分析した。フランス語系住民はハリファクス以外の地域で出生しており、高校卒業まで出生した州にとどまる傾向が強い。ハリファクスへの移動は就業が最大の要因であるが、とくに女性の場合、家族の移動に従っての移動も多い。ケベック州出身者にはケベック州への帰還移動の意思を持っている者が多いのに対して、大西洋沿岸諸州出身者は出身コミュニティへの帰還移動には否定的である。全体として高学歴であり、半数以上が大学に進学している。
    また、2003年6月と9月に、質問紙調査と並行して聞き取り調査を行った。調査対象者は、大学(英語系)進学や仕事の都合でハリファクスに移住し、多くの場合、フランス語ないしは英語とフランス語の両方を理解する必要のある職に就いている。ハリファクスで新たに職を見つける際にも、彼らのフランス語能力は貴重な武器となっている。英語が支配的な都市において子どもにフランス語を使わせることは容易ではなく、フランス語を教授言語とする学校に子どもを通学させるだけでなく、各家庭でも大いに努力している。
    権利及び自由に関するカナダ憲章(1982年憲法)第23条の規定と連邦最高裁におけるマヘ判決(1990年)は少数公用語集団の教育の権利を保障するものであり、これを受けてカナダ各州の政府は少数公用語集団の教育制度を整備した。ハリファクスでは1991年にフランス語を教授言語とする学校(幼稚園_から_第12学年)が開校し、併設のコミュニティ・センターではさまざまなイベントが企画されるなど、学校を中心とするコミュニティ活動が充実しつつある。フランス語を教授言語とする学校に通う児童・生徒数は大幅に増加し、少なくとも学校教育という点ではフランス語系住民が制度的支援を十分に利用している。また、英語系の子弟を対象としてフランス語で教育を行うイマージョン・プログラムの選択率もハリファクスで比較的高くなっている。それには、英語系住民の二言語主義への関心の高まりとともに、フランス語系住民の存在が大きく作用していると考えられる。
    これまで少数言語の維持に関する研究では、制度的支援が重視されており、本研究の事例でもその重要性は明らかである。しかし、1980年代以降のフランス語を教授言語とする学校教育の充実などの制度的支援は、すでに英語へのシフトと都市への人口流出が顕著であった農村地域の伝統的なフランス語系コミュニティには遅きに失したようにみえる。一方、ハリファクスでは住民の社会的特性が制度的支援を効果的なものにしているといえる。それが結果として都市においてフランス語が維持され、二言語話者が増加する要因になっている。
  • 中澤 高志
    p. 50
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1.目的
    ある地域における女性労働のあり方は,その地域が持つジェンダー文化を如実に反映し,その地域の空間分業への組み込まれ方と密接に関連する(マッシー,2000).また,ある人が辿るライフコースは,どのようなジェンダー文化を持つ地域に生まれ,育ったかによって異なってくるだろう.膨大な蓄積を持つ女性労働の研究の中で,その地域差に目を向けた研究は必ずしも多くないが,戦後についてはKamiya and Ikeya(1994)や禾(1997)などがある.本研究では,大正期の日本における女性労働がどのような地域差を持って展開していたのかを明らかにするとともに,そうした地域差をもたらす要因を探ることを目的とする.本研究の成果は,現代日本の女性労働の地域的パターンが歴史的にみて連続性を持つものか否かを検討する基礎ともなるものでもある.

    2.資料と時代背景
    本発表では,第一回国勢調査をもとに女性労働の地域差を把握し,いくつかの資料を使いながらそれを説明してゆく.第一回国勢調査が行われた大正9年は,第一次世界大戦の終結直後に当たる.当時日本では,第一次大戦時のドイツやイギリスにおいて,男性が戦場に赴くことによる労働市場の逼迫を,女性労働力の動員によって対処したことに国家的な関心が向けられていた.もとより大正期は,近代化の進展による新しい職業の誕生と,大正デモクラシーを背景に,「職業婦人」が登場し始めた時代である.その一方で紡績工場などにおける「女工哀史」的な状況は,いっこうに改善していなかった.第一回国勢調査の結果概要を記した『国勢調査記述編』でも女性労働に関する記述は多く,当時の女性労働に対する関心の高さが伺える.

    3.分析
    女性の年齢5歳階級別の本業者割合をもとに,クラスター分析によって都道府県をグルーピングすると,都道府県は3_から_7つのグループに分けられる.ただし労働力化率のカーブは,大都市に位置する都道府県を除くと基本的にどれも台形で,台の高さがグループの違いとなっている感が強い.
    女性労働力化率を規定すると思われる変数を説明変数とし,年齢5歳階級別の労働力化率を被説明変数とする重回帰分析を行ったところ,全年齢層について農家世帯率の高い地域ほど労働力化率が高かった.労働力化率が大都市とその周辺で低く,農村部で高い傾向は,戦後の研究の知見と一致する.20歳未満の若年層については,大規模工場に勤める者が多く,女学校卒業者割合が小さく,染織工場出荷額が高い地域で労働力化率が高くなっており,若年女性労働力と繊維工業地域との関係が示唆される.
    当時,大都市における職業婦人の登場が社会現象となっていたにもかかわらず,大都市における女性労働力化率はどの年齢層でもきわめて低い.大都市の労働力化率の示すカーブは,丈の低いM字型か,現代の高学歴女性にみられる「きりん型」に近いものといえる.東京市について,年齢階級別の労働力化率を配偶関係別に分けてみたのが図1である.これをみると,30歳代以降では,女性労働力のかなりの部分が離別・死別者によって担われていたことがわかる.東京市では,死別・離別の女性の実数も多く,こうした女性達が生活の糧を得る為に他地域から流入していた可能性もある.当時は結婚規範および結婚適齢期規範が強く,30歳代以上で未婚の女性者は少ない.しかしこうした女性の労働力化率は高く,公務・自由業を職業とする者が多い点が特徴的である.労働力化率の高いグループに入る茨城県では,既婚者の労働力化率も15-19歳から50-54歳までのすべての年齢階級で60%を上回っている.ところが東京市における有配偶女性の労働力化率は,最も高い40-44歳でも10.2%でしかなかった.当時の大都市圏における女性労働は,生活の為にやむを得ず働くという性格が強かったと考えられる.
    〈文献〉
    禾 佳典1997.東京の世界都市化に伴う性別職種分業の変化.人文地理49:63-78.
    マッシー,D.著,富樫幸一・松橋公治訳2000.『空間的分業』古今書院.
    Kamiya, H., Ikeya, 1994. Women’s participation in the labour force in Japan: trends and regional patterns. Geographical Review of Japan Ser.B 67: 15-35.
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