日本地理学会発表要旨集
2006年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 205
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地方における小規模流通ビジネスの可能性
福島県相馬原釜漁協の産直事業を事例に
*深瀬 圭司
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抄録
1.本発表の目的
 本発表で取り上げるのは,福島県相馬双葉漁協原釜支所(以下,漁協)が2002年に開始した,港に早朝揚がった獲れたての鮮魚の中から当日の水揚げに応じた魚種構成で少量ずつ詰め合わせた「鮮魚ボックス」を首都圏の居酒屋店舗や個人消費者に直接販売する産直取引事業である.この事業の最大の特徴は,たとえ事前に発送を約束していたとしても,当日に不漁だった場合には,保存しておいた鮮魚や加工品,他産地から取り寄せた魚で代替せずに,正直に欠品してしまうところにある.しかもこの事業は,個人消費者よりむしろ大手居酒屋チェーンの店舗が主たる取引先となっている.従来,欠品のないことを前提にした食材調達を行ってきた大手居酒屋チェーンが,このような取引を求め,受け入れることができた要因は何であろうか.また,一般に従来は大口の取引を前提としてきた漁協が,このような小口の取引を行えているのはなぜだろうか.  これらの疑問を検討すると,この事業が存立するしくみの中には,地方での経済活動を今後も持続していくことを考える上でのヒントが示されているのではないかと考えられる.発表の場では現地調査の画像も交えて題材を提起し,この事例の持つ含意を議論したい.
2.「鮮魚ボックス」事業の概要
 この事業は,バブル景気崩壊後の魚価低迷に歯止めをかけることを目的に漁協が2002年度に開始したものである.組合員が漁協の産地市場へ上場した天然鮮魚に,産地仲買よりも高い札を入れることで魚価向上を図り,同時に中間流通を通さないことによって消費者や居酒屋に通常の市場流通ルートよりも安く,高鮮度で販売するものである. この事業は漁協の販売企画課が担当している.彼らは漁協の販売課が運営する産地市場で買参権を行使してセリに参加し,鮮魚を調達する.消費者からは豊田通商の運営するインターネット通販サイト「にっぽん地魚紀行(https://www.j-sakana.jp/)」を通じて2,000円台から20,000円台の7ランクから注文を受け付ける.居酒屋からは店舗ごとに取引数量・曜日・ボックスの単価を事前に交渉した上で受注している.ボックス内の魚種構成はすべて漁協に任されており,漁協はそれらと揚がった魚の質,数量など港の朝の状況および「鮮魚ボックス」の金額ランクを勘案して,各々の取引先に最適なボックスを作っていく.漁協は数kgずつカゴに入れられた魚の中から狙ったカゴに相場の3割増もの札を入れて確実に競り落とし魚価向上を図る.「鮮魚ボックス」は,ヤマト運輸のクール宅急便によって消費者や居酒屋へ翌日までに直送される.居酒屋では漁協の提案する調理方法を見ながらその食材を使って作る料理を決定し,店舗内の黒板等で獲れたて鮮魚を使った産直メニューとして来店客にアピールされる.
3.取引が成立するメカニズム
 こうして取引される食材は,海のしけ等を理由に時に欠品が起こる.これは取引が成立する上でのネックとなりうるが,実際には難点とならなかった.それは主要取引先の大手居酒屋チェーンにとっては,欠品も辞さない鮮度へのこだわりが価値だからであり,一方の漁協にとっては,この取引が無理な投資なく開始でき,しかも従来は価値を評価されなかった魚種も含めて有効に販売するチャネルが確保できた面で追加的な事業だったため取引を毎日維持する必要がなかったからである.こうした事業が可能になるためのハードルが下がった背景には,通信技術の革新と小口輸送サービスの発達があったと言えるのではないか.
4.流通全般にもたらす含意
 産直取引自体は古くから広く行われてきたが,それはこだわりを持った個人消費者向けの特殊事例や,単なる直接仕入れによるコスト削減を目指した小売チェーンの行動という側面が強かったろう.しかし日本で戦後採られてきた,規模拡大で採算を確保するという発想に立たない,小規模な「均衡解」を得るようなビジネスが成り立つ条件が整いつつあることが,この事例から言えるのではないか.
5.非都市部の地域産業にもたらす含意
 4.が日本の地方部における経済活動の持続に対して持つ示唆は大きいと考える.すなわち大都市部に比して人口や経済規模の小さい地方部が,都市部の規模に沿う大規模ビジネスを打ち立てようとせずとも済むような,無理のない小規模ビジネスを成立させるためのハードルが下がっているというのである. もともとの規模が小さい地方部にあっては,たとえ都市部からわずかの富を流入させたとしても,地元にとってのインパクトは少なからぬものとなろう.物理的な距離のハンデが通信や運輸サービスの革新によって緩和されつつある今,地方はチャンスにあると言えるのではないか.
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© 2006 公益社団法人 日本地理学会
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