抄録
北上川中流部にあたる岩手県一関・平泉付近には北上川に沿って東西2-4 km,南北10 kmの沖積低地が広がっている。右岸側から衣川,太田川および岩井川が合流する当地域は河口からの距離が80-90 km,地盤高はおおよそ18-25m,この区間内の北上川の河床勾配は0.56/1000である。一関・平泉低地の沖積層基底は海抜0m, -1.4から2mにある(阿子島,1968;伊藤,2001)。
 一関・平泉低地の下流方向には約30 kmにおよぶ狭窄部が続き,とくに狭窄部の入り口から約9kmの区間では両岸に丘陵地が迫り谷底低地は認められない。狭窄部全体区間での河床勾配は0.26/1000であり,極めて緩やかである。狭窄部の下流には,南北約50kmにおよぶ臨海沖積平野としての北上川下流沖積低地(伊藤,1999)が広がる。
 一関・平泉低地の縁辺部には最終氷期あるいはそれ以前に形成された段丘面が分布し,低地中央部には完新世の地形面が広がる。筆者らは,低地中央部に広がる2段の氾濫源を平泉I面,平泉II面に区分し,地形面上に残された旧河道群の河道放棄年代をもとにそれらの面の形成年代を推定した。
 当地域にみられる完新世の地形面は,現在の北上川河道に隣接する平泉II面とその外側に広がる平泉I面に区分される。これらの地形面上には面形成時に北上川が流下していたと考えられるいくつかの明瞭な旧河道が認められる。これらの旧河道は,河道放棄後に5-7mあるいはそれ以上の層厚をもつ有機質粘土により埋積されている。なお,平泉I面,平泉II面ともに現代の洪水時には水をかぶる。
 平泉I面は一関・平泉低地の上流側で25-30m,中央部で22-23m,下流側で20-21mである。北上川の流下方向における面の勾配は0.7/1000である。平泉I面上に残された旧河道の埋積堆積物下底付近から4,470yrBP,および2,620yrBPの年代値を得た。
 平泉II面は北上川に沿ってほぼ連続して分布する。低地内上流部では22.5m,下流部で19mである。北上川の流下方向における地形面の勾配は0.4/1000であり,平泉I面と比較し勾配が緩い。両地形面の比高は上流側では4-2.5m,下流側では0.5-1.5mであり,下流側でほぼ収斂している。平泉I面と平泉II面の間の小崖地形基部には平泉II面上を流下したと考えられる旧河道が位置している。平泉II面上に残された旧河道の埋積堆積物下底付近から,1,940yrBP,1,960yrBP,2,050yrBPの年代値が得られた。
 平泉I面,平泉II面とも地形面を構成する堆積物の層厚やその基底については未だ不明であるが,面上に残された旧河道の放棄年代などから,平泉I面は4,500から2,600年前にかけて形成され,平泉II面は平泉I面形成後の約2,000年前前後の面形成高度の低下,あるいは低下後の僅かな上昇により形成された地形面と考えられる。
 平泉I面上には里遺跡において縄文時代晩期から弥生時代初頭の遺跡が確認され(岩手県埋蔵文化財センター,2002),平泉I面を開析した谷底から縄文時代後期の遺物が確認されている(平泉教育委員会,1987,1988)。また,平泉II面上に位置する高玉遺跡では9から10世紀の遺構および遺物が認められており(岩手県埋蔵文化財センター,1985),本研究で得られた地形面の形成時期と矛盾ない。