抄録
_I_はじめに筆者はこれまで中国における都市内部の特性を追究するため、東北地方の長春市における商業、住宅、及び衰退している鉱山都市を取り上げ研究してきたが、今回はその一環として長春市市区における大学の立地変容と地域との関連を取り上げる。本研究は、長春市における市区への大学設立の要因と大学の立地変化がもたらすことによる都市構造の変容を明らかにするのが目的である。_II_調査方法吉林省教育庁と吉林大学サイエンスパーク事務室で聞き取り調査を行い、長春市27の大学の基本資料に基づき、80年代と現在における長春市の大学の立地、都市構造変化と地域との関連を明らかにして比較する。_III_結果1.長春市における大学は、第2次大戦後、都心部にあった満州時代の官庁などの建物を文教施設と病院に使用している。90年代の大学教育体制改革に伴い、学科の新設などによって新たな大学キャンパスの建設用地が必要となっているが、長春市の大学はキャンバスの所在地が都心部にあり、大学の規模拡大による施設の拡張が制限されている。こうしたことから、各大学のキャンパスは郊外への移転あるいは新規立地を求め、これに応じて、開発区は大学の誘致を積極的に行っている。大学が街の中心から郊外へ移転することによって街の中心地が拡張され、都市も拡大し、大学と開発区との連帯あるいは、独自のサイエンスパークの形成などによる地域分化が始まった。大学の研究成果はさらに開発区と独自のサイエンスパークで商品化され資金が大学へと還元されるという構造へと変化した。大学のサイエンスパークの形成と発展において中央政府、地方政府、開発区、大学などそれぞれの協力は必要不可欠であり、大学の移転は地域社会の経済発展に大きな役割を果たしている。2.吉林大学の80年代と90年代の内部構造を比較すると大学の「単位」は「単位」としての機能が一部なくなり、さらに変化した。つまり中国の大学は、従来は教育施設、福祉施設、生活施設の3つの構造から成り立っていたが、現在は教育と研究の2つが中心構造となり、従来の大学の中の福祉施設、生活施設については、地域社会に任せるようになり、大学と地域との関係がより強くなっている。