日本地理学会発表要旨集
2006年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の255件中1~50を表示しています
  • 3歳から6歳の保育園児を事例に
    謝 君慈
    p. 1
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1.はじめに 地理学では、子どもの環境知覚に関する研究は多く蓄積されてきた。特に、子どもに絵や描き地図を描かせる方法を用い、子どもの環境知覚を検出する研究が多く取り上げられている。但し、その研究対象は描図力や言語力の発達具合を考慮する上で、小学校に入学してからの児童を対象とした研究がほとんどである。報告者はBlaut &Stea (1971)の研究を踏まえながら、2歳児から6歳児に対し観察調査を行った結果、2歳程度の幼児は身近な環境に対する認知・知覚は、ある程度発達していると考えるのである。この結果を受け報告者は特に、子どもの感情的・感覚的に回りの環境を知覚する環境知覚の特性、すなわち2歳頃から12歳頃までの間の子どもによく現れる「相貌的な環境知覚」に注意を払うことにした。日本における地理学では、「相貌的な環境知覚」を扱う研究は少ない。また、そのほとんどは児童を対象にして行われたものである。本論文のように幼児を対象とした研究は今のところ発表されていない。 本研究の目的は、保護者の養育態度による3歳から6歳の幼児における相貌的な環境知覚の様相を明らかにすることである。報告者は幼児には児童より相貌的な環境知覚の特性が顕著に現れると予想して、今回の調査は3歳から6歳の幼児を対象にして行うことにした。また、以下の二つの視点で今回の研究調査を進めようと考えた上で、幼児の生活と最も密接な関係を持っていたり、幼児に遊び環境を提供する役割を果たしたりしている保護者たちにアンケートを配布することにした。(1)保護者の観察を通して幼児の相貌的な環境知覚の世界を知る。(2)保護者の時間による養育態度は、幼児の相貌的な環境知覚に影響を与える。2.研究対象地域の概要 本研究の対象地域は福岡県那珂川町である。福岡市の都心部からわずか13キロメートルの所に位置している那珂川町は、豊かな自然環境と都会の特色を備えている地域であるため、保護者の養育態度による幼児の相貌的な環境知覚はどちらに偏るかについて、研究結果は期待に値する。研究対象は那珂川町の中心部に位置しているA保育園の3歳から6歳の幼児である。3.結果の概要  保護者の就業時間と、子どもを保育園に預ける時間が長いから、保護者は自宅から保育園までの送迎の途中と休日を含む日常生活の中で子どもへの周りの風景に対する養育態度のズレが表れた。特に、3歳児の保護者たちが子どもの環境知覚の発達を過小評価化している傾向が示された。周りの風景について、報告者は那珂川町における子どもが関心を持ちそうな風景を14個の選択肢、またそれぞれの理由を12個の選択肢として設けて保護者に質問した。その結果、保護者を通した今回の研究調査では、それぞれの周りの風景に関する幼児の相貌的な環境知覚が一つ一つ明らかに検出され、那珂川町における幼児は自然環境より人工の風景に興味を持っている傾向が見られた。また、保護者が幼児の相貌的環境知覚に与える影響もある程度窺われた。さらに、周りの風景に関する幼児の相貌的な環境知覚の構成要素は、「好きだから」と「楽しい遊び経験があったから」の二大要素であることも明らかになった。 周りの風景に関する外という空間における幼児の相貌的な環境知覚を効果的に検出した後、報告者はさらに室内空間における八つの場所を幼児が「好きな場所」ととらえているのか、「嫌いな場所」ととらえているのかをまず保護者に選択させた。さらに、それぞれ好きな理由と嫌いな理由を4個ずつの選択肢を設け調査することとした。結果として、3歳児から6歳児の男女共通で「家族がそろっている部屋」と「明るい部屋」の二つの場所を好きな室内空間としてとらえているが、一方、「暗い部屋」と「誰も居ない部屋」と「一人だけで居る部屋」の三つの場所を嫌いな室内空間として知覚する。こうした年齢、性別を問わず共通の回答が選ばれたところから幼児の相貌的な環境知覚が顕著に現れたのである。一方、「押入れ」のとらえ方についての回答は、「好きな室内空間」と「嫌いな室内空間」両方とも回答が見られたところから、楽しい遊び経験は幼児の相貌的な環境知覚に大きな影響を与えているという結果が得られた。また、幼児が気に入った玩具を「押入れ」に入れたりする遊び行動から、おそらく一部の幼児にとっては、「押入れ」は一種の秘密基地的な存在なのかもしれない。
  • HOQUE ROXANA
    p. 2
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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  • 角田 史雄
    p. 3
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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     1.荒川地震帯 寄居以南の荒川下流域では、流路ぞいに1649年」(慶安)、1855年(江戸)、1931年(西埼玉)、1968年(東松山)の被害地震(M;マグニチュード=7_から_6)が、ほぼ直線的に配列し、これを荒川地震帯と呼称する。この地震帯の南東延長には、東京湾北部断層と中部千葉の6つの被害地震の震央が分布する。 2.首都圏東部と同西部における被害地震の交互発生 上に述べた被害地震(浅発_から_中深発地震群)の発生深度は50_から_90kmであるが、首都圏西部の富士火山帯ぞいの被害地震(極浅発地震群)の発生深度は30km以浅である。過去400年間では、これら2つの群の被害地震が、交互に発生するケースがめだつ。 3.富士火山帯でのマグマ活動と被害地震の活動との関係 一般に、現在における地変エネルギーの主な放出様式を噴火と地震とすれば、1回あたりの地震の最大Meは、噴火のMv=5_から_6ていどにあたるエネルギーを放出するといわれる。これに基づいて、過去100年間における富士火山帯_から_首都圏での噴火・鳴動・被害地震などの時系列でまとめると、伊豆諸島で噴火の北上(最長20年で、おおよその周期が15_から_6年)→三宅島または大島での噴火の1_から_2ねんごの東関東における極浅発地震の発生→その1_から_2んえごの東関東における浅発_から_中深発地震の発生、という規則性が認められる。 4.震害には、地盤破壊をともなわない強震動震害と、ともなう液状化震害とがある。このうち前者は、被害地震の震央域と、平野の基盤面の断層・段差構造の直上に現れやすい。埼玉県では、過去に、荒川地震帯ぞいの区域、東部の中川流域(とくに清水・堀口(1981)による素荒川構造帯の活断層ゾーン)、関東山地北縁の活断層分布域などに発現した。 5.埼玉県の液状化震害 液状化は、地盤の構成物、地下水の水位レベル、揺れによる地下水圧の急上昇などの条件にしたがって発現する。過去の液状化事例は、利根川中流低地_から_中川流域でよく知られる。 6.震害予測 強震動震害は4.で述べた事例の再発を予測しておく必要がある。液状化震害は、じょうじゅつしたもの以外、神戸の震災例などから、台地区域において地下水面下にある人口地盤の液状化、河川近傍の傾斜した地下水面をもつ区域にpける、地盤の側方移動などを考慮した予測を確立する必要がある。
  • ディンチソイ エンベル, 市南 文一
    p. 4
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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  • 今泉 俊文, 楮原 京子, 大槻 憲四郎, 三輪 敦志, 小坂 英輝, 野原 壯
    p. 5
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1.はじめに 陸羽地震(1896年)は,千屋断層が引き起こした典型的な逆断層タイプの地震であり,世界的に見ても歴史地震としては数少ない逆断層の例の一つである.これまで本断層を対象に地形・地質調査,トレンチ調査,反射法地震探査・重力探査等いろいろな調査研究がおこなわれてきた.演者らは,千屋丘陵の西麓・花岡で,陸羽地震時の断層露頭を発見した.地表トレースが地形境界に沿って湾曲することが明確になり,逆断層の先端(地表)から地下に至る断層の形状・構造が複雑であることがわかった,その形成過程とあわせて検討することが必要である.
    2.断層線 花岡・大道川(菩提沢)の河岸において断層露頭を発見した.この場所は,千屋丘陵西麓(断層崖)から300m程山側(東側)に入り込んだ沖積扇状地の扇頂付近にあたる.露頭の標高は,丘陵前面の断層崖基部に比べて高い.つまり,断層線は地形境界に沿うように湾曲する(図1).松田ほか(1980)は,花岡では断層が扇央を通過すると考えていたが,地籍図・土地台帳図の解釈からは,山際を通過することが指摘されていた(今泉・稲庭,1983).このような崖線の湾曲は,逆断層の特徴でもある.中小森のトレンチ調査現場(天然記念物保存地)の小谷で行われたボーリング調査結果から,このような断層線の湾曲は,地表近くで断層の走向または傾斜が変化(地下から地表に向かって雁行)することによって生じると考えた(今泉ほか,1986).花岡の谷(大道川)は.千屋丘陵の開析谷では谷幅も広い.谷幅に応じて湾入の程度が変わるとすれば,断層面の形状の変化も,谷幅に比例した深度から生じていると考えるべきだろう.この露頭の脇を通って(せせらぎ公園のある沢沿い),1996年に活断層を横切る反射法地震探査がはじめて実施され,千屋断層がemergent thrustであることや,この断層に沿って断層上盤側が東側へ傾動する構造などが明らかにされた(佐藤ほか,1998).
     逆断層露頭を直接観察できる地点(一丈木・赤倉川河岸など)や,明瞭な地震断層崖が連続する場所は,千屋丘陵の麓でも,大局は断層線がほぼ北北東〓南南西走向を示す区間である.これに対して,走向が変わる千屋丘陵北端部や南端部では,断層上盤は撓曲変形を示し,陸羽地震時の断層の詳細な位置や変位量は不確かである.北端部や南端部では,逆向き断層を含めた副次的な断層によって,上盤側に数列の背斜状の高まりが生じている.
    3.断層露頭 上盤側の新第三紀層と段丘堆積物が下盤側の地震前の地表に衝上(傾斜は約30度)して.そこに崖高1.2m程の低断層崖を形成している(崖の上にはかつて小規模な発電所があった).断層に沿っては,砂礫層の回転・引きずりが明瞭である.この地形面(砂礫層の堆積の)年代を知るために年代を測定中である.あわせてこの露頭から陸羽地震以前の活動についても(その時期も含めて)詳細を検討中である.
  • 山下 博樹
    p. 6
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1.はじめに 鳥取大学では,現在地理学に関連した教育・研究は地域学部と農学部で行われている。地域学部は,1999年に行った教育学部から教育地域科学部への改組を経て,2004年4月の再度の再編により新たに発足した学部である。地域学部は,地域の充実・発展を担うキーパーソンとなる人材を養成することを目的に,地域政策,地域教育,地域文化,地域環境の4学科および学部附属芸術文化センターで構成されている。地理学関連の教員5名は地域学部の地域政策学科に3名,地域環境学科と農学部環境共生科学コースに各1名がそれぞれ所属している(表1)。全学共通科目などの分担などで協働する場合を除くと,日常的な教育体制は各学科単位でほぼ完結している。2.教育研究上の特色と育成する人材像,卒業後の進路(1)地域学部 地域政策学科 地域計画学分野地域政策学科所属の地理学教員は,地域計画学分野を構成し,地域の具体的な公共的政策課題について,GISをふくむ主に都市・村落地理学的手法を用いた教育を行っている。教育内容は,地域政策学の一端を担うことを目的としているために,体系的な地理学を網羅するのではなく,都市・村落の諸問題の解決に資することが必要であり,各教員の研究テーマと密接に結びついている(表1)。こうした講義と学科必修の地域調査実習,少人数による演習などにより教育効果の向上を図っている。地域政策学科の特徴として,公務員志望の学生が多く入学している。まだ地域学部としては卒業生を輩出していないが,実際には地域のキーパーソンたる公務員,民間企業,教員,あるいは大学院進学など卒業後の進路は多様な方面が予想される。(2)地域学部 地域環境学科 自然環境分野地域環境学科での地理学教育は,地質学と共に構成する自然環境分野のなかで,河川や砂丘地などでのフィールド・ワークを中心に地形学の教育を行っている。学科全体で2年次に取り取り組む地域環境調査実習では,調査対象地域でのグループ研究の成果を報告書にまとめるだけでなく,実習の成果を地域に還元するために現地での公開発表会を実施するなど,特色ある教育活動を行っている。(3)農学部 生物資源環境学科 環境共生科学コース 農学部では,リモートセンシングとGISの手法を用いて地表の生態的現象を把握する景観生態学の研究を進めている。海外からの留学生や大学院進学者の数が多く,GISなどの高い専門技術を身につけた人材の育成が行われている。また,地元高校との高大連携によりGISの普及にも貢献している。全学の施設であるベンチャー・ビジネス・ラボラトリーにはGISラボが整備され,地理学教員によって管理・運営されている。3.地理学教室の問題・課題 鳥取大学に所属する地理学教員5名は,いずれの教員も「地理学」の看板を研究室に掲げていない。個々の地理学教員のもとでは,所属する各学科の教育研究の一部が担われている。地理学の有用性が広く認められ,様々な学部・学科での教育研究を支えていることは,今後の地理学発展の方向性のひとつとして重要であろう。しかし,各教員のもとでは地理学のごく一分野について,より専門的なテーマに基づいた教育研究が行われており,各教員の指導を受ける学生もそのバックボーンである地理学を強く意識することがないままに卒業するようである。こうした地理学のアイデンティティを持たない地理学教室卒業生が輩出されていることは,別の意味で地理学の危機なのかも知れない。参考文献山下博樹 2003.地理学研究室紹介31 鳥取大学地域学部・農学部 地理48-12:87-91.
  • 山下 博樹, 藤井 正, 伊藤 悟, 香川 貴志
    p. 7
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1.はじめに 欧米先進国をはじめとする多くの地域で,今日の自動車依存社会からの脱却を目的とした持続可能な都市圏整備計画の取り組みが進められている。報告者らはかかる取り組みの先進地域としてカナダのバンクーバーとオーストラリアのメルボルンの両都市圏を事例に,その広域的な整備計画の特徴と,公共交通網整備に市街地再整備を有効に結び付けた都市圏政策について詳細な現地調査を行った。本報告では,両都市圏での整備計画の概要を紹介すると共に,実際に整備が進展しつつある都心と郊外タウンセンターの特性について明らかにしたい。それらにより,両整備計画が標榜している“Livable City”の空間構造についても考察したい。2.バンクーバーとメルボルンの都市圏整備計画 バンクーバー都市圏では,バンクーバーなど21の自治体などで構成されるGVRD(Greater Vancouver Regional District) による“Livable Region Strategic Plan”(1996)が,メルボルン都市圏ではビクトリア州政府による“Melbourne 2030”(2002) がそれぞれ策定され,いずれも自動車利用の低減を意図した都市圏の成長管理と,公共交通網と都心・郊外タウンセンターなどとを有効に結びつけた市街地ネットワークの再編などが進められている。バンクーバーは郊外化の進展に伴い,新しい公共交通網Sky Trainを基軸にした新しい公共交通網を整備するとともに,計画的な市街地ネットワークの再編を行っている。他方,メルボルンは,19世紀終わりまでに整備されたトラムや郊外鉄道網を中心に,その後モータリゼーションにより拡散化したショッピングセンターなどを公共交通網に位置づける努力がされている。3.都心と郊外タウンセンター整備の手法 両都市の都心整備の方向性は,やや異なる特徴をもつ。両都市圏における最高位の中心地としての都心の位置づけは確かなものだが,バンクーバーではオフィスや高次商業だけでなく,居住地としての都心地区の役割は大きい。また,郊外の旧来型のタウンセンターに加え,1970年代以後,バンクーバーでは都心に匹敵する郊外核Metrotownなどが計画的に整備されるなど,多核的な市街地ネットワーク構造へと転換しつつある。 他方,メルボルンは近年都心周辺での高層マンション開発などの進展がみられるものの,依然オフィス・高次商業地としての性格が強い。古くからの歴史をもつ旧来型の郊外タウンセンターの多くは,自治体あるいはコミュニティの中心地としての機能を維持しながら,大型店も立地させ,その活力を維持している。それに対し,近年の郊外化により急速に開発が進められた地域では,ショッピングセンターを地域の中核施設に位置づけ,それに図書館や映画館などを併設し,多機能な計画的中心施設として整備が行われている。4.“Livable City”の空間構造 今日,持続可能な都市の形態としての“Compact City”は広く知られるようになった。他方,“Livable City”は「21世紀に相応しい住み,働き,憩うための住みやすい都市」のあり方として考えられるが,その空間単位はコミュニティ,都市,都市圏のレベルまで様々である。しかし,共通した認識としては,自動車依存から脱却した環境負荷の少なく,安全で快適な生活が可能な地域づくりを指摘できる。 バンクーバー,メルボルンの両都市圏においても,個々の地域性を活かしたWalkableで安全かつ多機能な交流空間が形成されつつある。こうした街づくりの視点は,疲弊の深刻化が叫ばれるわが国の多くの都市についても必要なのではないだろうか。 本研究を行うに際し,平成16_から_17年度科学研究費補助金基盤研究(C)(1)「成熟時代における都市圏構造の再編とリバブル・シティの空間構造に関する地理学的研究」(研究代表者:山下博樹)および平成16_から_18年度科学研究費補助金基盤研究(A)(1)「社会経済構造の転換と21世紀の都市圏ビジョン-欧米のコンパクト・シティ政策と日本の都市圏構造-」(研究代表者:藤井 正)の一部を使用した。
  • 東京都足立区を事例として
    関根 智子
    p. 8
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    本研究は、東京都足立区を研究地域として、測定レベルと集計方法の違いにより、利便性の水準がどのように異なるか、また、建物レベルからみた町丁目内における利便性の水準の内部変動を明らかにする。       利便性の測定レベルは、町丁目の中心点を代表点とする町丁目レベルと未集計な建物レベルである。各レベルにおいて、コンビニエンスストア、スーパーマーケット、内科医院、小学校、駅、バス停、前面道路の幅員の7施設を指標として近接性を測定し、それらを総合して0から7得点を求め、利便性の水準とした。 未集計な建物レベルから町丁目レベルへの集計は、町丁目内で一番多くの構成割合を占める得点や、町丁目内の平均得点で行った。建物レベルからみた町丁目内における利便性の水準の内部変動を分析するため、町丁目ごとに平均と標準偏差を算出した。その結果、標準偏差が最小(0.449)の町丁目でも、1/4の建物が異なる総合得点をもっていた。また、標準偏差が1.5以上の非常に大きい町丁目では、0得点から6得点で変動しており、町丁目における利便性の水準は大きく異なっていることが明らかになった。
  • 牟田 浩二, 草野 邦明, 関根 智子
    p. 9
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    本研究は、京都市中心部に立地するホテルを対象として、ホテルのサービス・設備・利便性について評価し、ホテルのランク付けを行うとともにランク別のホテルの立地傾向を明らかにする。 研究対象地域は、京都市の主要ホテルが多く立地している、京都市の上京区、中京区、下京区、右京区、左京区とし、その地域に立地する61のホテルを取り上げた。 ホテルを評価するために、“サービス”“設備”“利便性”“料金”の4つを評価因子として取り上げた。評価因子は、サービスに対しては11、設備に対しては6、利便性に対しては5、料金に対しては4の、計26の評価項目で構成されている。ホテルはこれらの評価項目に対し得点化を行い、それらを総合して5_から_74点で評価した。 その結果、ホテルはA_から_Dの4ランクにランク付けされた。Aランク(50点以上)が12箇所、Bランク(40_から_49点)が10箇所、Cランク(30_から_39点)が22箇所、Dランク(29点以下)が17箇所となった。 ランクごとの立地をみると、Aランクは、京都駅、歴史的建築物、市役所周辺、BランクのホテルはAランクのホテル近く、CランクのホテルはAランクのホテルの中間、DランクのホテルはA・Cランクのホテルの中間や道路(堀川・烏丸・河原町通り)と駅前に多く立地している。
  • 石川 菜央
    p. 10
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    _I_ 本研究の目的と着眼点牛同士を闘わせ,先に逃げた方を負けとする日本の闘牛は,現在,岩手県山形村,新潟県中越地方,島根県隠岐,愛媛県宇和島地方,鹿児島徳之島,沖縄県の6地域で行われている.従来の意義を失った多くの伝統行事が,消滅あるいは縮小する中,闘牛はいかに維持され,地域に対してどのような意義を持つのであろうか.本研究では,徳之島の闘牛を取り上げ,担い手に着目して,その存続の形態を解明する.話者は,宇和島地方や隠岐を事例とした研究で,存続に最も重要なのは,闘牛の飼育者である「牛(うし)主(ぬし)」,牛をけしかける「勢子(せこ)」を中心とする担い手であることを指摘した.また,家族や近所の住民が彼らを支え,様々な形で闘牛に関わることで,闘牛が地域の行事として成り立つことを示した.両地域では,担い手の高齢化や後継者不足などの課題を,観光化や行政の支援で補ってきた.これに対し徳之島は,闘牛開催地の中で唯一,後継者不足がない地域であると言われる.本研究では,徳之島の闘牛において,次世代の担い手が続々と誕生している仕組みと,それを可能にしている独自の闘牛の特徴を全国の中で位置づけることを目的とする.具体的な手順として,闘牛の始まりなどの歴史的経緯,行政や学校など闘牛を取り巻く諸機関の対応を踏まえる.次に闘牛の「闘」の部分に注目し,牛が勝つことの徳之島での意義を提示し,そして,次に闘牛の「牛」の部分に注目し,担い手の日常生活の多くを占める牛の飼育の場や売買を中心に,次の担い手が育つ仕組みを提示する.徳之島を中心に闘牛を通した交流の全国化についても言及する._II_ 闘牛大会と担い手牛を飼うことは,経済的には赤字であり,仕事以外の時間の大半を費やさねばならない. その負担を超えるものとして,牛主たちは,勝った時に湧き上がる「ワイド,ワイド」という徳之島独特の掛け声で踊る時,最もやりがいを感じるという.勝利は,お金では買えないからこそ,価値があり,仕事の成功などの社会生活とは異なる尺度として意味を持つ.闘牛大会で牛が勝つということは,牛だけではなく,牛主自身の評価にもつながるのである.それは,徳之島でしか通用しない価値観とも言えるが,担い手にとっての喜びは何よりも実感を伴った,代替不可能なものである.就職や進学で島を出た若者が,闘牛のために島へ戻ってきたり,本土で事業を行い成功した島出者が牛のオーナーとして闘牛に関わり続けたりするように,いったん身に付けた闘牛に関する価値観は島を出ても保たれる._III_ 牛の飼育の次世代の担い手牛主の1年の大半を占める活動は飼育である.その現場となる牛舎に集う人々を分析した結果,成人男性だけではなく,小中高生や女性も,飼育の主戦力として活躍していることが分かった.また,牛舎は牛の世話だけではなく,人々が立ち寄って,牛の話をしながら飲食を共にするような場所となっている.これが,様々な人が闘牛に関わるきっかけを作り,新たな担い手が生まれる基盤となる.牛主同士の交流に関して重要なのが牛の売買である.徳之島における特徴は,強い牛を求める担い手達の執着が,闘牛の全国化を推し進めていることである.各地から集まってきた闘牛が徳之島を経由して,別の開催地へ売られていく.徳之島を中心として担い手間の交流はますます盛んになり,闘牛を力強く支えていくであろう.
  • 松本 穂高, 小林 詢
    p. 11
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    はじめに
     積雪が夏季の遅くまで残る残雪砂礫地では様々な地形形成プロセスが働いている。この地形形成プロセスとして重要なメカニズムは、1)凍上と融解の繰り返しによって土砂が移動する「凍結クリープ」、2)積雪や凍土の融解による多量の水分供給によって土壌が流動する「ジェリフラクション」、3)裸地への降雨による流出の三つである。これらの土砂移動様式が地形形成に与える影響を明らかにするためには、土砂移動がいつ、どの深度で、どれくらい発生するかを観測し、移動メカニズムを知る必要がある。そこで本研究では、土砂移動と同時に地温を観測し、土砂移動プロセスを論じることを目的とした。
    調査地および調査方法
     長野県乗鞍岳中腹の標高2540m付近に分布する残雪砂礫地を対象とした。この残雪砂礫地は、中心部から周辺部に向かい砂礫、草本群落、ハイマツ群落とほぼ同心円状の景観分布を成す。なお、この残雪砂礫地下端部を県道が横切っている。
     この調査地において1)土砂移動、2)地温、および3)流出土砂量を計測した。土砂移動の計測にはひずみプローブを用い、地表から50cm深までの土砂移動状況を1時間ごとに1mmの精度で得た。地温の計測には自記式小型センサーを用い、地表面、5cm深、10cm深および30cm深における温度を1時間ごとに0.1℃の精度で得た。1)および2)については、2004年10月より2005年10月の1年間、計測した。また3)流出土砂量は、2000年6月9日から10月22日までの期間に8回、県道の路面長24mの区間に流出した土砂の重量を計測した(小林2001)。
    結果および考察
     凍土融解期に顕著な土砂移動が発生したことを捉えた(図)。地温は地表面、5cm深、10cm深および30cm深でそれぞれ7月29日、7月30日、8月1日、および8月3日から急激に上昇した。この地温上昇は凍土融解を表す。また土砂移動は7月29_から_30日に20_から_30cm深で0.3cmの斜面下方移動が起こった。なおひずみプローブの0_から_20cm深データは計測期間中にわたり欠測した。30cm深で凍土融解が開始した時と土砂移動が起こった時が数日ずれているのは、両計測地点間で積雪からの解放日時がわずかに異なることを反映したためと考えた。したがって土砂移動は凍土融解と同時に発生したと判断した。30cm以深では移動が発生しなかった。より深部では移動しにくいことはMatsumoto and Ishikawa (2002)などでも報告されている。これらより観測された土砂移動は、凍土融解により土壌中で水分量が増加したことによる流動のメカニズムであると考えた。一方、流出土砂量の観測より、積雪や凍土が融解する時期の移動が大きいことが捉えられている。以上より、残雪砂礫地で卓越する土砂移動メカニズムは、主にジェリフラクションであることがわかった。
  • 森田 匡俊, 木野 由利子, 奥貫 圭一
    p. 12
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1.はじめに近年,多くの自治体が水害時の避難施設を指定した避難所マップ(の作成・配布を行なっている.たとえば,名古屋市天白区においても,2000年9月に起こった東海大豪雨などを教訓として避難所マップが作成され,区全戸に配布されている.避難所マップを見れば,最寄り避難所を事前に調べておくことができる.ところが,実際に水害が発生した場合を考えてみると,避難所までの経路の一部が膝や腰より上の高さまで浸水してしまい,そこを迂回して避難せざるを得なくなることがある.経路が浸水してしまうことを考えれば,避難所マップにある最寄り避難所の位置情報だけでは充分と言えない.平常時に最寄りである避難所であっても,そこまでの経路が浸水することによって別の避難所が最寄りの避難所となることもある.水害対策のためには,この避難経路の浸水を想定した新たな避難所マップを考える必要がある.そこで本研究では,名古屋市天白区を事例に水害避難所マップの作成を試みる.2.経路の水没を想定した最近隣避難所の探索名古屋市では,水害ハザードマップを発行しており,そこには水害時にどの地区がどの程度の浸水となるかの予測が示されている.水害時に避難経路が浸水するかどうかについては,この水害ハザードマップと道路網とをオーバーレイすることによってわかる.洪水時の避難に使える道路は,水害時に水没する可能性のある道路を除けばよく,その上で避難所までの最短経路距離を計測すれば,天白区内の各地点から最寄りの避難所とそこまでの経路を知ることができる.本研究では,道路と道路とが交差する点と道路の端点(以下,交差点と呼ぶ)を避難の際の出発地,名古屋市の指定避難所を目的地として設定し,各交差点から最寄りの指定避難所までの最短経路距離を求めることで最寄り避難所を探索した.この探索には,Okabe et al.(2003)が開発したネットワーク空間分析のためのソフトウェアであるSANET(Spatial Analysis on NET:http://okabe.t.u-tokyo.ac.jp/okabelab/atsu/sanet/sanet-index.html)を用いた.分析結果から,水害時に避難経路の一部が浸水し,通行が難しくなった場合には,浸水した道路を迂回することで最寄り避難所までの距離が増加する交差点があることがわかった.また,経路が浸水しない地域でも,周辺の道路が浸水することによって島状に孤立する交差点があることがわかった.これと同じく避難所が島状に孤立したり,浸水したりすることによって,浸水がない場合とは異なる避難所が浸水時には最寄りとなる交差点があることがわかった.3.避難所までの距離を利用した3D表示による避難所マップの作成 前章で計測した各交差点から最寄りの指定避難所までの距離を基に3D表示による避難所マップ作成を試みた.図1は,天白区の南西部の狭小な地域における3D避難所マップを試作したものである.各交差点から最寄りの指定避難所までの最短経路距離を高さの値と設定して3D表示している.地上で高くなっているエリアほど避難所までの距離が近いことを示している.この3D表示は表現の一つにすぎないものの,市民が避難所マップを読み解く際により直感的,視覚的な理解に繋がるものと期待し,地理的情報の視覚化の一例として提案した.4.おわりに本研究では,水害時に避難経路が水没することを想定した場合に各交差点から最寄り避難所までの最短経路距離がどのように変化するのかネットワーク上の空間分析ツールSANETを用いて計測した.そして,分析結果として得られた最寄り避難所までの最短経路距離を高さを示す値として利用し,3D表示による避難所マップの作成を試行した.図1 最寄り避難所までの距離を用いた3D避難所マップ参考文献Okabe,A.,Okunuki,K.and Funamoto,S. 2003.SANET:A Toolbox for Spatial Analysis on a Network Version1.2,Center for Spatial Information Science,University of Tokyo.
  • 辻村 晶子, 春山 成子
    p. 13
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1. はじめに
     2004年に日本では過去最高となる10個の台風が襲来したが、わけても、10月20日に上陸した台風23号では死者が95人、住家の全半壊が8,655棟に達し、河川氾濫および破堤によって住宅地の被災と農業地域では湛水によって被害が大きかった。本研究では、河川堤防が2ヶ所で破堤し、溢流氾濫で被災した兵庫県北部を流れる円山川流域を取り上げ、人口の集中する豊岡市、及び、出石町を対象地域として河成平野の地形環境が土地利用変化によって脆弱化していったのかに着目して災害ポテンシャルと地域防災力について考察することにした。
    2. 研究地域の概要
     円山川は兵庫県朝来郡生野町円山を水源とする一級河川で全長68km、流域面積1300km2、流域内人口は16万人である。河口から約16km上流側まで河川勾配が1/10,000と緩く、下流側の豊岡市での洪水被災度は高い。このため河川改修が大正9年から直轄事業で始まり、堤防整備、ショートカットなどの治水計画がたてられ昭和12年に完成した。その後、兵庫県管理となったが、昭和34年の伊勢湾台風後に計画高水流量が4200m3/sから4500m3/sに改定され、さらに治水安全度の向上のために、昭和63年には計画高水流量を5,400m3/sとし放水路事業など内水対策を含む改修が行われた。
    3. 豊岡市の土地利用変化と洪水
     円山川は細長い谷底平野を形成し、盆地部末端の支流が合流する地点では溢流氾濫、内水氾濫が生じやすい。また、狭さく部の存在で洪水流が低減するため盆地末端が湛水長期化地域となっている。今回の洪水では、豊岡市でも北側地域で地形条件とは不調和な開発で水田から宅地に土地利用が変化した地域と城下町から市街地として展開した南側地域の対照的な洪水景観が現われた。土地利用変化の中で河川右岸地区では湛水深度が2mを越え、湛水は長期化した。また、旧河道の蛇行部分、三日月湖、後背湿地などの旧沼沢地の宅地化によって浸水被害が拡大した。また、本川の破堤地点は河床高が集落より高く、浸水後の排水ができず、強風で洪水流が堤防を越流したことも浸水被害拡大につながった。
    4. 地域防災
     自主的防災組織は水害時に大きく機能した地区と機能しなかった地区がある。豊岡市は122の行政区に分けられているが、災害時には区ごとに対策がまかされており、水防団・自警団の組織で当該水害時の対応は各地区で異なった。神社を持つ地区の場合には災害マニュアルが整備されており、独居者、高齢者宅の避難優先度を考え、弱者優先の支援体制をとった。地区内構成員への連絡が密な地区、従前の災害で作成した風水害対策マニュアルに基づいて避難行動、支援活動を行った地区、また、組織はあっても地区長が活動を緊密に取らなかったために洪水時に孤立した家屋をだした地区、各自で対応した地区などと対応はさまざまであった。しかし、2004年水害を契機に地域内の交流を深め、避難場所等を記したマニュアルを全戸配布するなど新たな取り組みも行われている。
  • 沖津 進
    p. 14
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    アフリカ南西部ナミビアのサバンナで,樹高と樹冠幅で現される樹形に着目し,それが降水量の変化と対応してどのように変化するのかを検討した.調査地点の年降水量と最大樹高,最大樹冠幅との間にはそれぞれ正の相関関係が認められた.いっぽう,樹冠幅/樹高の値は,年降水量の増加と共に減少する傾向にあった.年降水量が200mm以下では値が1.0を越えることが多く,樹高よりも樹冠幅の方が大きい,横に広い樹形を呈した.いっぽう,年降水量が400mmを越えると値は0.7前後となり,樹冠幅よりは樹高のほうが大きい,縦長の樹形を呈した.一般に,樹木の根茎の広がりは樹冠幅に対応するので,年降水量が多い立地では,樹冠幅を相対的に狭くすることが可能な代わりに,樹高生長を優先させた樹形を示していることになる.年降水量が少ない調査地では,樹冠幅/樹高の値のばらつきが大きかった.水分条件が厳しくなると,わずかな水分環境の違いに応じて樹形が敏感に反応するためと考えられる.葉のタイプの違いでみると,落葉がもっとも幅広の樹形となった.常緑微小型葉,常緑中型葉の順に縦長の樹形となっていた. このことは,樹木個体レベルで見ても,年降水量以外のサバンナ植生地理分布支配要因に反応して樹形を変化させていることを示唆している.
  • ザイ 国方, 鈴木 武
    p. 15
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    本報告の主要な目的は、中国における沿岸域の経済開発および沿岸域の管理制度において、文献整理を用いて、その歴史、直近の動向、そして今後の方向性を系統的に整理していくことである。それによって、沿岸域の利用の最適化を考えるうえで、今後の沿岸域管理のあるべき戦略を検討するための参考情報を提供する。中国の沿岸域管理を歴史的視点から整理してみると、以下の点が分かる。一つ目は、沿岸・海洋管理は、国家行政管理組織の中に重要な位置を占めている。二つ目は、沿岸・海洋開発・管理は統合化している。三つ目は、法制度の整備が着々進んでいる。四つ目は、IT技術を活用した沿岸・海洋管理システムで管理技術を高めている。最後は、中央政府と地方政府と連携して沿岸・海洋の資源・環境を利用・保護している。
  • 名古屋の事例
    鈴木 康弘, 坂上 寛之
    p. 16
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    東海地震の震源域が見直された2001年以降、愛知県は、東海地震防災強化地域や東南海・南海地震防災対策推進地域に相次いで指定され、地震防災対策が急務となった。これを機に、行政・大学・市民が一体となった地域防災の協働が開始された。被害軽減のために最も重要なことは、防災意識向上と建物の耐震化であり、行政も防災啓発活動やハザードマップの配布、無料耐震診断、耐震化補助制度等を実施してきた。しかし、耐震化率の推移を見る限り、飛躍的な向上は難しい。「ハザード認知から防災行動まで」の過程のどこに問題があり、どのような改善が必要か? この問題を行政・大学・防災NPOが一体となって検討し、解決策のヒントをつかんだ。文部科学省の防災研究成果普及事業(平成16_から_18年度)により、愛知県・名古屋市・名古屋大学の3者が協働で取り組んでいる「行政・住民のための地域ハザード受容最適化モデル創出事業」(以下、本事業と呼ぶ)で、地域防災力向上のモデルケースを構築しつつあり、ここでその一端を紹介する。 愛知県と名古屋市がそれぞれ作成した、500mメッシュや50mメッシュのハザードマップは、全国的に見ても先進的な取り組みであり、これにより来るべき地震が相当具体的にイメージされ、被害予測も可能になった。しかし住民にとっては、個々の家や周辺地形環境が見えないため、ハザードを実感できず、具体的防災行動に結びつきにくかった。 そもそもメッシュ情報にリアリティはない。本事業では、地形条件を詳細に見直すことで、メッシュ表現でないハザードマップを開発した。また、地形改変による切り盛りは被害に大きく影響するため、標高の年次変化を元に切り盛り量を求め、地震動や液状化の予測に反映させた。 こうした情報を効果的に配信するためWebGISを採用し、居住地の地形・地盤条件を学べるシステムも開発した。同じ場所の地図、航空写真、予想震度、液状化予測結果等を自由に切り替えて2画面同時に表示し、比較可能にするシステムや、フライトシミュレーションによって過去から現在の地形環境の変遷を見せたりする3D-WebGISを開発した。 過去5年間にわたる行政・大学・NPOの協働の結果、プロと住民の意識の差や、防災行動の障害とは何か、が見えやすくなった。大学側も、名古屋大学環境学研究科における分離融合研究により、地域防災のための「ヒト・コト・モノ」戦略など、プロダクト・アウト型でない防災協働の実践を心がけてきた。 「なぜ自分の居住地が危ないかピンとこない」「自分の家はどの程度の震度に耐えられるかわからない」「危ないと言われても家具の固定法すらわからない」「耐震診断がなぜ必要か?具体的にどうやれば良いか?」「耐震のために出費する効果がわからない」「耐震だけで地域を守れるのか?」「災害時要援護者をどうやって守れるか?」・・・・。 こうした疑問に答えられる様々なe-learningシステム、建物倒壊シミュレーターの開発も行っている。これらを総称して「防災力向上シミュレーター」とし、ハザード情報を住民に判りやすく伝え、防災力向上のための自助を促し、支援するためのシステム構築を目指している。さらに、地域防災コミュニティの活動を支援するため、個人情報の管理支援も視野に入れて、共助を後押しできるような改良も目指すことになる。 本発表は、文部科学省の防災研究成果普及事業(平成16_から_18年度)による「行政・住民のための地域ハザード受容化最適モデル創出事業」(提案機関:愛知県・名古屋市・名古屋大学)の一部を紹介したものである。
  • 小暮 岳実
    p. 17
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    関東平野を流れる利根川と荒川は,江戸時代に入り人為的な河道付け替えが行われるまでにも,幾多の河道変遷を繰り返してきた.両河川の中流域に位置する妻沼,加須の低地域一帯は,継続的な地盤沈下と,急速な堆積作用から激しい河道変遷が繰り返されてきたと考えられる.
     荒川低地には吉見町から川島町,川越市,さいたま市などを経て毛長堀に続く,幅約500mの大規模な連続した自然堤防帯が存在する.これらは2500m以上の蛇行波長を持ち,現在の荒川では作り得ないほどの規模である.この自然堤防を造る堆積物からは利根川起源の火山岩がみられることから,荒川低地へ利根川の流入が示唆されている(小出:1972,大谷ほか:1996).
     しかしこの自然堤防帯は吉見町以北では確認できず,利根川がどのような経路で荒川低地へ向かったかはわかっていない.そこで演者は現存する地形の分類と,堆積物の顕微鏡観察から,荒川低地に向かう利根川旧流路の復元を試みた.

    2.方法
    ・地形分類図の作成…昭和22年撮影の航空写真からの写真判読と,既存の表層地質図,現地踏査から旧流路を想定した地形分類図を作成した.
    ・地下構造の推定…対象地域のボーリングデーターから地質断面図を作成した.また,ハンドオーがーを用い地下6mまで堆積物の採取を行った.
    ・旧流路の規模…利根川旧流路の規模を,蛇行波長(λm)に着目し,現在の年平均流量(Q0)から次式,λm=106.1Q00.46(sul.ft/sec)(Carlston,1965)により推定した.
    ・顕微鏡鑑定…利根川流域には火山が存在するため火成岩片がみられることと,荒川流域では長瀞周辺の変成岩が特徴的なため,これらを両者の指標として旧流路で採取した堆積物の起源を顕微鏡鑑定により推定した.

    3.結果と考察
    ・行田市酒巻付近の旧流路
     当時,利根川は坂巻から荒川低地に向かっていたと考えられる.堆積物の観察から,河床を形成していたと思われる粗粒砂質堆積物がみられ,火山起源の堆積物も確認された.
    ・行田市街地付近の自然堤防
     行田市街地は図1に示すとおり,忍川の南に広がる大規模な自然堤防に立地している.この自然堤防は利根川旧流路を挟む形で分布しており,利根川旧流路右岸側のものは下忍まで連続している.この自然堤防と付近の旧流路で堆積物の採取と顕微鏡観察を行い,火山起源の堆積物が確認できた.また同時に荒川起源の変成岩片もみられることから両河川の影響を受けているものと考えられる.
    ・吹上高校付近の旧流路
     旧流路が蛇行している地点である.粗粒砂質堆積物が多くみられ,風化した軽石片が多くみられる.

     以上の結果から荒川低地に向かった利根川旧流路は,行田市酒巻から現在の流路を離れ,行田市街地,下忍,吹上町前砂を通って,吉見町でみられる大規模な自然堤防帯につながると考えられ,その規模は上流側で蛇行波長2000m,荒川合流後は2500mの蛇行波長となることがわかった.また図2から,旧流路は上流より下流側がより粗粒の砂質堆積物が厚く堆積しており,さらに図3より,この旧流路は荒川扇状地の縁辺から埋没台地がパッチ状に分布する地域の間に位置していることがわかる.この流路の埋没年代は,坂巻に分布する古墳の築造および埋没の年代から,およそ600_から_700年前と推定される.今後は年代資料の蓄積により,さらに詳しい離水,埋没年代を知ることが課題である.
  • 福岡市内の幼稚園を例にして
    本末 順子, 磯 望, 喜多 陽, 井上 淑子, 野村 美穂
    p. 18
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    1.幼稚園周辺の都市的環境変化福岡市早良区鳥飼にある西南学院舞鶴幼稚園は1951年に当時市街地の外にあったこの地に移設されて以後、1970年代には市街地の発展によって連続した住宅地域の一部となり、1980年代には幹線道路を中心に中高層マンションと一戸建て住宅が混在する地域となっている。その後、2004年までに周辺地域の副都心化が進み園児の9割弱が中高層マンションに居住するようになった(図1)。本研究では、1970年代以降の舞鶴幼稚園の環境の変化と子どもの発達にもたらした影響を主としてアンケート調査によって検討した。2.園児の居住環境と発達舞鶴幼稚園の園児の環境調査はこれまで1976年、1980年、1992年、2004年に行われている。今回の研究での比較対象を1992年と2004年にし、その調査結果を検討した。また舞鶴幼稚園教員に園児について、発達の程度が遅い(1)、普通(2)、良い(3)という3グループに区分してもらい、このグループ分けを基にアンケートの調査結果を各グループで整理しなおしたグラフを比較及び検討した。(図2:なお(4)は平均値)3.舞鶴幼稚園の環境の変化と子どもの発達への影響1992年から2004年にかけて集合住宅に住む子どもが増加したことが分かった。また特に6階以上の集合住宅の割合が増えた。年少児・年中児・年長児のデータを比較した結果、住居の環境を一番受けやすいのは年中児で、発達の遅い子ほど集合住宅の6階以上に住んでいる傾向が明瞭に認められた。4.都市的環境と保育プログラムの地域性福岡市内の幼稚園の保育プログラムの特徴を福岡市内幼稚園情報誌と福岡市私立幼稚園連盟稚園のデータを基に分析し、都市内部の環境が保育プログラムに影響するかどうか検討した。主たる検討項目は、幼稚園名、住所、定員、宗教、園の方針、時間帯、預かり保育の有無、長期預かり保育の有無、園の課内課外活動、園の特徴、お弁当、スクールバスの有無である。そのデータをGISソフトを利用して解析した。その結果についても報告する。
  • 山本 健太
    p. 19
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
     近年、文化産業ともいわれるコンテンツ産業への注目が集まっている。しかし、地理学の分野では1990年代後半以降Scott(2000)および半澤(2001)をはじめとした研究蓄積がみられるが、その立地特性や集積メカニズムの解明は十分なされていない。そこで、本研究では、わが国を代表するコンテンツ産業の一つであるアニメーション産業を取り上げ、アニメーション産業の大都市集積の要因と、集積メカニズムを検討する。調査方法は、アニメーション制作企業およびアニメーション産業フリーランサーを対象とするアンケート調査および聞き取り調査である。検討課題は企業間取引構造および労働市場構造である。
     1.特徴:アニメーション産業は、1998年以降急速に需要が増大し、市場規模を拡大した。制作企業の立地は、国内の76%以上が東京都内に立地し、都内の立地についても、練馬区、杉並区、西東京市を中心とした特定地域に集積していることが特徴である。アニメーションの制作過程は大きく前制作工程、制作工程、後制作工程に区分でき、制作工程の一部では国際分業が進展している。これら工程を担う制作企業は、頻繁な離合集散により集積を形成してきた。企業規模に関しては、大部分が中小零細規模であり、担う工程による企業規模の違いは明確ではない。そこで、企業間取引構造の分析には、制作過程における位置から元請および工程受注を類型として用いる。またアニメーション産業従事者の中には正規従業員のほかにフリーランサーといわれる就業形態が存在する。フリーランサーは制作企業との間に仕事単位での雇用契約を結び、仕事に応じて複数企業から仕事を受注したり、制作企業間を渡り歩いたりする柔軟性の高い就業形態である。アニメーション産業従事者数において、このフリーランサーが正規従業員数の3倍以上の規模となり、労働市場として大きな影響を与えていると考えられる。そのため、労働市場構造については、正規従業員のほか、フリーランサーを分析の対象とした。
     2.企業間取引構造:_丸1_元請制作企業におけるスポンサー企業への高い依存性と固定的取引が特徴的である。_丸2_業界内では流動的で短納期の取引が一般的である。_丸3_業界内取引では信用取引が特徴である。
     3.労働市場構造:_丸1_新規労働力給源である専門学校の集中および業界内からの労働力の中途採用が一般的である。_丸2_フリーランサーは業界への高い依存性を示しながら、業界内では流動的な労働力となっている。_丸3_縦の人的ネットワークによる技術修得と横の人的ネットワークによる仕事の斡旋が特徴となっている。
     以上より、アニメーション産業の東京における行為者は、1.アニメーション制作企業、2.フリーランサーに代表される労働力プールに加え、3.スポンサーである周辺コンテツン産業、4.新規労働力給源となる専門学校である。これら行為者内、行為者間におけるフローは相互に強化する形で東京への集中集積を促している。一方で、製品価格の安さから、労働者は低賃金労働を強いられている。加えて安価な労働力を指向した制作企業による中国および韓国制作企業への外注が増加し、国内労働者の就業は厳しさを増している。若年労働者における高い離職率は、業界内の縦の人的ネットワークによって技術修得がなされるアニメーション産業において、技術蓄積および労働力の再生産を困難にさせる危険性を孕んでいる。
     文献
    Scott, A. J. 2000. The Cultural Economy of Cities. London: SAGE.
    半澤誠司 2001. 東京におけるアニメーション産業集積の構造と変容. 経済地理学年報47(4): 56-70.
  • 吉田 英嗣, 須貝 俊彦
    p. 20
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに
    浅間火山は約2.4万年前に大規模に崩壊した.このイベントに由来する流れ山地形の特徴を報告するとともに,イベントによって生じた土砂移動メカニズムを推論する.
    大規模な山体崩壊物質は「岩屑なだれ」として移動し,その堆積物は「岩屑なだれブロック」と「岩屑なだれマトリクス」とから構成される (Orton 1996).流れ山は,岩屑なだれブロックがなす地形であるため,その存在は,流れが岩屑なだれであったことを示す.翻って流れ山の形態的特徴は,山体を構成していた岩塊の挙動を推察するにあたり,有力な手がかりとなる.流れ山の地形計測結果は,幾つかの事例において,土砂移動に関する重要な知見を与えている (星野ほか 1995; 山後ほか 1998).

    方法
    崩壊起源堆積物分布域を対象に,空中写真および地形 (1/25000),国土基本図 (1/2500)の判読に基づき,流れ山を抽出した.次いで,各流れ山の長軸径,短軸径,長軸方向,比高を計測した.また,流れ山が認められない地域においては,堆積物の層相を観察した.

    結果および考察
    認定された流れ山の個数は,応桑の135,軽井沢の92,佐久の115,中之条の12であった.崩壊土砂が水を連続相としない岩屑なだれとして移動し,吾妻川河谷に流入してもなお,中之条盆地に至るまではその性質を保持していたことがわかる.流れ山は崩壊源に近い地域のものほど大きい.大局的には,凝集性のある岩塊が移動距離に応じて不可逆的に縮小していく,というプロセスが想定される.
    地形計測結果は,堆積時の値から大きく逸脱していないと判断され,以下の議論では削剥による影響を概ね無視しうる.
    長軸径と短軸径の比の平均値は0.63であり,磐梯火山や鳥海火山の0.67よりもわずかに小さい (星野ほか 1995; 山後ほか 1998).長軸方向は,地形場から推測される岩屑なだれの流向に従う.堆積面の最大傾斜方向を示す,応桑,軽井沢,佐久における水系は表生谷としての性質を有する.中之条においては,長軸が必従方向を示さず,流れ山が既存の段丘面上にのりあげた範囲に分布することと調和する (吉田・須貝 2005).
    諸地域と同様に崩壊起源堆積物が分布する関東平野北西部では,流れ山が認められない.しかし,関東平野北西部では,推定最大径5-15mに達する岩塊が堆積物中に存在する.堆積物の層厚が15-20mに達することから,岩塊が地表起伏,すなわち流れ山を形成しなかったと考えられる.応桑,中之条における最も大きな流れ山の長軸径を,当該地域における岩塊の最大径とみなすことで,岩塊の径と崩壊源からの距離とのきわめて良い関係が得られた.この関係は,地形として流れ山が認められない関東平野北西部においても,土砂が一連の岩屑なだれとして供給された可能性を強く示唆する.

    引用文献
    星野 実ほか 1995. 磐梯山周辺の岩屑流堆積地域の流れ山地形計測. 国土地理院技術資料『磐梯火山 – 防災研究の進展にむけて』 153-161. 防災科学技術研究所.
    Orton, G. J. 1996. Volcanic environments. In Sedimentary Environments, ed. Reading, H. G., 485-567. Blackwell Science.
    山後公二ほか 1998. 鳥海火山,象潟岩屑なだれ堆積面上の流れ山の地形計測. 地理学評論, 71A: 765-774.
    吉田英嗣・須貝俊彦 2005. “24,000年前の中之条泥流”イベントが中之条盆地の河川地形発達に与えた影響. 第四紀研究, 44: 1-13.
  • 四国南東部海岸の事例
    篠原 重則
    p. 21
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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  • 黒木 貴一, 磯 望, 後藤 健介, 宗 建郎
    p. 22
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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     地表の環境変化を衛星データから解析するには、通常、取得時期の異なるデータをそれぞれ定められた土地利用(土地被覆) に区分し、その2画像間の差分を求める。そのとき想定した区分で表せない環境変化は分からない。また1時点での土地利用区分にも誤差が含まれ、その差分では誤差が拡大する可能性もある。通常、衛星データから地表の環境あるいはその経年変化を解析するための教師データは現地調査から得る。しかし、経年変化の解析には、教師データを過去の土地利用などの地理情報から得る必要がある。ところが、デジタル化された詳細な10mメッシュ土地利用データは大都市圏にしかなく、全国整備された国土数値情報の約100mメッシュの土地利用データは精度が粗い。そのため地方を対象とする環境変化の解析には、聞き取りで教師データを得るか、別途土地利用等の地理情報を得る必要がある。 本研究では、2時期のLANDSATの反射率データを用いて、2時期の地形図による土地利用情報を教師データとし、地表の環境が変化した地域を抽出するGISによる手法を検討した。その結果は次の5点にまとめられる。_丸1_複数の反射率データ差分のオーバーレイで、環境変化域を絞り込める。_丸2_2時期の土地利用データのオーバーレイ結果は、衛星データ解析の教師データとして使える。_丸3_2時期の反射率データ差分の標準偏差を解析の基準にできる。_丸4_Landsatデータではndvi(b3とb4)とb1の組み合せによる環境変化域の評価が比較的良い。_丸5_Landsatデータ解析結果と土地利用変化型は、特定の区分同士で対応が良い。
  • 植木 岳雪
    p. 23
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
     本研究では,5万分の1地質図幅「北川」の調査・研究の一環として,徳島県西部,那賀川上流部の河成段丘を記載し,発達の程度と広域テフラによって段丘を編年する. 吉山・柳田(1995)は,那賀川中流部の2地点で酸素同位体ステージ2と6の河成段丘の比高が上流に向かって増大し,それは四国山地の南北軸を持つ東西方向の曲隆によるとした.しかし,段丘の編年の根拠は示されておらず,従来の那賀川の段丘の編年は堆積物の風化度のみに基づいていた. 那賀郡那賀町小見野々ダムより上流の那賀川に沿っては,現河床と10?15 mの比高を持つ段丘の連続性が最もよく,この段丘をいずはら出原1面と呼ぶ.出原1面の縦断面は上流に向かって収斂する.出原1面を基準として,現河床からの高度,勾配,平面的な広がり,および縦断面の連続性を考慮すると,平面的な広がり,および縦断面の連続性を考慮すると,那賀川上流部の河成段丘は,低位のものから,出原2面,出原1面,わんだ和無田 2面,和無田1面,寺ノ内面,川島面,黒野田3面,黒野田2面,黒野田1面および黒野田峠面の10面に細分される.これらの段丘は,すべて侵食段丘である. 和無田2面は,直上を2.6?2.9万年前の姶良Tnテフラ(AT)に覆われることから,約3万年前に形成されたと考えられる.出原2面から和無田1面までの4面は,それぞれの段丘間の比高が小さく,一連の侵食段丘群とみなされることから,それらは最終氷期の後半から末期にかけて形成されたと考えられる.寺ノ内面より上位の段丘の編年は,今後の課題である.
  • 青野 靖之, 数井 敬子
    p. 24
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1.はじめに 近代気象観測前の時代における気候の復元方法の一つに、日記に記載された開花などに関する記述を解析に利用する方法がある。演者の既往の研究では、古記録よるヤマザクラの開花に関する調査を行い、得られたデータを使って11世紀以降の京都における3月平均気温の推移を推定したが、データの少ない年代では気温の推移が明確でなかった。 そこで、定量的な精度をより高くすることを目的として、京都で書かれた古記録の史料調査をさらに行い、都市温暖化の影響についても留意しながら開花データと気温とを関係づけた上で、サクラの開花時期を大きく左右する3月平均気温の推移を推定した。2.史料調査 データの収集対象は主として古記録中に記載された、サクラの満開の状況や観桜会・花見などに関する記述のあった日付とした。これを、現行暦に換算して、近畿地方で最も一般的な自生種であるヤマザクラの満開日のデータと見なした。1880年代以降については、ヤマザクラの名所である嵐山の満開に関する新聞紙上の記事などの掲載日を収集した。 調査の結果、合わせて253年分のデータを新たに見いだせた。これを既往の研究で用いたデータに追加すると、801_から_2005年について731年分まで増やせた。3.満開日と気温との関係づけ 満開日と気温との関係づけでは、温度変換日数法と呼ばれる積算モデルを用いた。温度変換日数は、ある日平均気温で見込まれるサクラの1日分の生育が、15℃に設定した標準温度では何日分に相当するかを表す値で、この積算値が平均に達した時点を満開日と見なすものである。高い精度を得るためにはモデルで使う変数を決める必要がある。そこで、まず実際の気温からヤマザクラの満開日を推定する方法の構築を通して、積算開始日などの変数の最適値を求めた。その結果、都市温暖化の影響をほとんど受けていないと見られる1911_から_40年のデータをモデル構築に用いた場合に、1901_から_2005年でRMSEが2.5日と最も高い満開日の推定精度が得られた。この結果を踏まえながら、温度変換日数法を3月平均気温の推定に応用することにした。まず1911_から_40年に関する日平均気温の平年値を計算した。そして同じ期間について平年満開日までの温度変換日数の平年積算値を計算した。ここで各年の満開日に温度変換日数の平年積算値を得るには一律に何℃の気温の平年偏差を加えればよいかを求めた。このように求めた年ごとの気温の平年偏差を、1911_から_40年の3月平均気温の平年値に加えて、その年の推定気温とした。 観測時代における推定気温を、31年の区間回帰曲線を用いて平滑化処理した結果、1895_から_1990年の期間中における気温の推定誤差はRMSEで0.1℃と小さくなった。最近の推定気温と実際の気温とに、都市温暖化によるバイアスはほとんど現れず、嵐山におけるヤマザクラの満開日の推移にも都市温暖化の影響があったことが示唆された。4.歴史時代の気温推移 上記で得られた計算方法に基づき、801_から_2005年の気温の推定を試みた。3月の気温は、大部分の期間で現在よりも低く推移してきたと見られ、1180年前後、1330_から_50年、1500_から_50年、1670_から_1710年、1825年前後の5つの時代が特に顕著な低温期といった推定結果となった。うち、1500年以降の3つの低温期はいずれも5℃周辺の値ととりわけ低かった。小氷期の気温低下が全般に著しかったとされる17_から_19世紀ではほとんどの期間で気温が5_から_6℃の間を変動しながら推移したと見られる。 上に述べた5つの低温期のうち、1180年前後を除く4つは太陽黒点の復元値による極小期の現れた時期とおおむね符合したが、推定気温の推移の方が十年_から_数十年遅れる事例が多かった。また、1750年以降の太陽周期の長さと推定気温の解析を試みたところ、太陽活動が不活発で太陽周期がより長くなった期間の10_から_15年後の推定気温ほど低くなる傾向も見られ、太陽活動に対する東アジアの太平洋岸周辺での気候応答の遅れの存在を示す最近の研究結果とも符合した。本研究は、財団法人福武学術文化振興財団平成16年度研究助成(歴史学)を受けたものである。
  • 磯 望, 黒木 貴一, 後藤 健介, 田中 夢見, 水本 茜, 沖原 美央, 佐々野 理恵, 藤原 あや
    p. 25
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    1.福岡県西方沖地震とアンケート調査 福岡県西方沖地震は2005年3月20日午前10時53分に発生したM=7.0の地震である。この地震では死傷者1088名,損壊建物8997棟におよぶ被害となったが,特に福岡市内のビル被害や玄界島の擁壁崩壊に伴う建物被害などが注目された。この地震の影響について,1)福岡県内5大学などで約1ヵ月後に学生アンケートを実施し,その影響について調査した(有効回答数2517)。また,2)西南学院舞鶴幼稚園と同学院早緑子供の園(保育園)保護者に約4ヵ月後にアンケートを実施し,小児に与えた影響についても調査した(有効回答数160)。調査結果の一部は既に報告しているが,ここでは,その後整理した心理的な地震の影響を中心に報告する。2.地震が与えたイメージ この地震を体験した人々の抱いたイメージを調査するために,1)の調査の自由記述欄をエクセルで整理し,記述の多い語を抽出した。自由記述欄には65%が記述しており,印象が強かったことが伺える。分析結果から,「驚・ビックリ」が第1位,「恐・怖」が第2位,「初めて」が第3位の頻度で出現することが確認された。「驚・ビックリ」の説明には,「予測されていない福岡周辺の地震であったこと」,「初めての強い震動体験」,などがあげられた。「恐・怖」の説明には,「地震の恐怖」,「余震の恐怖」,「初めての体験で怖かった」,「家屋倒壊の危険」,などがあげられた。回答者の地震時にいた位置をGISソフト(MANDARA)で解析すると,西日本各地に分布するが,震動の強さと地震イメージとの地域的関連は判然とはしなかった。3.幼児に与えた地震の影響 幼稚園児と保育園児の調査からは,約4割の子供に地震後の生活に影響が表れたことが判明した。主な影響は「一緒にいないと不安がる」,「一緒にいないと怖がる」,「甘えるようになる」,「寝つきが悪い」,「夜泣きが増えた」などである。これらの変化は男児(4割)より女児(6割)に影響が多く出た。地震後の幼児への影響は,揺れの体感の大きかった家ほど多く出現すること,また地震の最中の恐怖感の強かった子供ほど影響を受けていること等が判明した。また,年齢の下がるほど影響が大きく出る傾向も認められた。これらの結果は兵庫県南部地震後の小学生の調査結果とよく似た傾向となった。4.地震の影響の性差 学生を主とした地震体験は,怖さや驚きについては明らかに女性のほうが男性より大きく感じている。恐怖感のデータについてはGISソフト(ArcView)を用い,Inverse Distance Weightによる補間図を作成すると,糸島半島から佐賀平野中部にかけてと,直方を除く筑豊地域などで女性の恐怖感が強く,門司から大分にかけての瀬戸内海沿岸と佐賀県東部では男性の恐怖感が強くなる傾向が見出され,地震体験の性差にも地域性の存在することが判明した。 地震の最中「何もしなかった」との回答比率は男性に多く,「意識して身の安全を考えた」のは女性に多い。地震後は男女を問わず「連絡が取れずに困った」者が多いが,男性では「全く問題なかった」者が多く,女性では「寝不足」に陥った者が多かった。これらの詳細について,ポスターで紹介する。
  • 和辻哲郎の風土論を基に
    山口  幸男
    p. 26
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    1はじめに本稿は、和辻哲郎の風土論を基に、人間及び人間社会の存在の風土性・空間性について地理教育論の立場から解釈・考察し、地理教育の存在意義、人間形成的意義を明らかにするものである。 2「ところによる相違」の学習と環境決定論、可能論3和辻の風土論4ところによる相違と風土の型5人間及び人間社会の存在の空間性と時間性6人間存在の風土性・空間性の地理教育的意義7おわりに
  • 長谷川 均
    p. 27
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    本発表では、国士舘大学地理学教室における、最近の教育体制に関して発表する。概要は下記のとおりである。1)地理学専攻から地理・環境専攻へ専攻のこれまでの歴史、名称変更の経緯などに関して。2)現在のカリキュラムの概要2003年度から始まった、半期制、5科目群94科目のカリキュラムに関して。3)教育研究上の特色と育成する人材少人数教育の現状に関して。4)教育研究上での教室の問題・課題中・高教員向けのワークショップの開催に関して。
  • 長谷川 均, 渡久地 健, 後藤 智哉, 鈴木 敬子
    p. 28
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
     琉球諸島における大正期と昭和・平成期の土地利用変化をGISを使って解明しようとする研究である。 この研究では、新旧102図幅の地形図を使って土地利用図を作成し、それによって過去80年間ほどの、沖縄県の土地利用形態を復元、比較した。
  • 長谷川 均, 安村 茂樹, 鈴木 倫太郎, 前川 聡, 木下 奏緑, 後藤 智哉, 鈴木 敬子
    p. 29
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
     流域面積15km2の、沖縄県石垣島轟川流域で、作物の成長・作付けサイクルに対応した連続的な農業的土地利用の変化を2年間、8時期にわたり調査した。また、これと多少の時間差をおいてサンゴ礁浅海で赤土堆積量の調査を実施した。 流域の土地利用調査は、3グループに分かれ自動車を使って実施した。土地利用区分は40で、対象にした農地の区画(ポリゴン数)は最終段階では3155筆(個)となった。1回の調査には3日を要した。自動車にはそれぞれノートPCを搭載し、GPSナビゲーション機能を持つGISソフト(またはカシミール)に高解像度衛星画像、あるいは空中写真を表示させ、連動した別ウィンドウに前回調査時の土地利用図を表示させるという方法で、多数のポリゴンがあるにもかかわらず効率的にきわめて正確に調査を進めることができた。 また、調査結果はただちにGISデータとして入力した。現在のところ、現場での視認調査であるが、基本的な方法が確立されたので、今後は、運用資金さえ用意できれば、毎日観測可能な台湾の高解像度衛星データを元に、ほぼリアルタイムで土地利用状況のモニタリングが可能になる。
  • 伊藤 健, 春山 成子
    p. 30
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     メコンデルタではモンスーンの影響を受け,雨季にメコン川の溢流氾濫で洪水は長期にわたる.このため,洪水氾濫は農業基盤としての水資源でもある.しかし,近年,土地利用高度化のなかで農業被害,都市災害の側面,さらに幼年者の洪水時の死亡などが増加しているところから洪水共生型に準拠しながらも防災に目を向ける必要がある.
     メコン川の洪水はクラチエ地点から氾濫が開始しているがカンボジア領内で洪水については氾濫経路,溢流地点,ピーク後の減水経過などの洪水動態が不明であった.このため,時系列的な洪水湛水域の把握も不十分である.防災計画にはカンボジア領内メコンデルタにおいて洪水緩和・軽減に向けた地域分析が必要である.そこで,本研究では広域な地表面情報を捉えるリモートセンシングデータを用いてカンボジア領内メコンデルタにおいて洪水モニタリングを行った.
    2.手法
     熱帯地域における洪水の動態を把握するためにマイクロ波リモートセンシング(合成開口レーダ:SAR)が有効な手段である.本研究ではJERS-1SARデータを使用した.
    2.1.使用したJERS-1 SARデータ
     表参照
    2.2.SARデータの前処理
     SARデータをGIS(TNT/mips:Microimage社)上で10万分の1地形図を用いジオリファレンス,フィルタ処理などの画像前処理を行った.その後SARデータのピクセル値を(1)式を用いて規格化後方散乱断面積(NRCS:Normalized Radar Cross Section)に変換.
    NRCS=20log10I+CF[dB]  (1)
    I:SAR標準処理成果物(レベル2.1:Amplitude表現)に含まれるピクセルのDN(Digital Number)
    CF:Calibration Factor(-85.34)
    2.3.湛水域の抽出
     湛水域の抽出にはマイクロ波の水面における鏡面反射の原理を基に,NRCSの変化を捉える志田(2004)の手法を用いた. [湛水後_-_湛水前]のNRCS変化量を計算し,変化量が閾値を越えた場合を湛水と判別した.志田(2004)での閾値は-1.8(dB)であったが,本研究で-1.8(dB)を適用したところ河川である場所を湛水と認識している場所があるため新たに閾値を決定することにした.
     本研究ではテストエリアとしてカルトルブラ地区周辺を設け,季節変化が明瞭な6月,9月のNRCSの差のヒストグラムを読み取り,-3.2(dB)付近を境に二つの分布が見られるために,NRCS特性からNRCSの値が小さいものは[非湛水→湛水],NRCSの値が大きいものは[湛水→湛水]と解釈した.そこで,この-3.2(dB)を閾値として設定し,8月,9月,12月の湛水域を抽出してみた.
    3.結果
     閾値を-1.8(dB)から,-3.2(dB)に変化させることで地形要素としての山地や河川が湛水域判別の際の誤判別を減少させることができた.また,2005年雨期のグランドトゥルースによって歴史的洪水と平均場を比較することができた.この結果を用いて湛水域の範囲について評価を与えた.
     画像から得た時系列の湛水域変化を見ると,湛水面積は9月において最大となった.乾季の12月の時点では雨季の8月よりも多くの面積が湛水していることがわかった.
     8月の時点では自然堤防などの微高地では湛水に至っておらず,後背湿地において徐々に湛水し始めている状態である.9月においては道路や自然堤防,完新世段丘を残して多くの地域で湛水している.特にメコン川とトンレサップ川に挟まれた地域,メコン川とバサック川に挟まれた中州に当たる地域での湛水域の拡大が認められる.乾期の12月においては氾濫原の一部では水面が残っているものの離水した個所が多い.しかし,カンボジア,ベトナムの国境付近では未だ湛水している場所が多く見られることがわかった.
  • 新井 智一
    p. 31
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     近年,国政・地方政治における女性の進出傾向が強まっている.例えば,生活クラブ生協やこれを母体とする生活者ネットワーク(以下ネット)の「代理人運動」は,大都市とその郊外を中心に展開し,ネット参加者を地方議会へ送りこんでいる.
     こうした郊外で展開してきた生活クラブ生協に関する事例研究は社会学に多い.一方で,生活クラブ生協の活動には課題も多い.渡辺(2002)はネットに参加する人たちのライフスタイル・社会観・関心領域などの調査結果から,参加者の「異質な,自立できない他者に対する『想像力』『共感』」の不足を危惧し,また,ネットが関心を生活領域に限定することにより,「政治社会においても性別役割規範を形成する危険性」を指摘する.
     その一方で,こうした郊外の女性による運動の中で,生活改善・他者への共感・住民自治など,広範な課題を追求したものもあった.それが,東京都田無市・保谷市(現西東京市)で展開した「どんぐり会」の活動である.
     本研究では,以下の2点を目的とする.1)どんぐり会の39年の活動を記録すること,2)自治体改革運動を,なぜ女性たちがしなくてはならなかったのか,また,なぜ田無市・保谷市でこうした運動が発展し,解散に追い込まれたのか,その理由を場所の観点から明らかにすること,である.

    2.どんぐり会の歴史
     1957年に10人ほどの主婦たちで結成されたどんぐり会は,まず,し尿処理場建設運動など,主婦が日々直面している問題への運動を開始した.また,PTAの民主化運動を始め,私費負担の解消などを実現させた.
     発足5年目(1962年)からは,新聞『どんぐり』(2,500部)を毎月発行し,1969年からは,保谷市にも活動を広げた.同会は,上記の運動を達成するにつれ,運動の重点を社会教育の充実に置くようになった.そして,オイル・ショック後は,環境問題の啓蒙と住民参加の推進が運動の中心となった.しかし,同会は,会員の高齢化により,1996年の『どんぐり』409号の発行をもって解散した.

    3.どんぐり会の活動の特徴と限界
     どんぐり会は,田無市・保谷市の10人ほどの主婦たちによる手弁当の運動であり,議会や議員との関わりはなかった.会員は,新聞を一般市民だけでなく,両市役所内で,職員や議員にも配布した.聞取り調査によれば,両市議会での一般質問が,同会の新聞記事をヒントに行われることもあり,両市の管理職は,議会対策のために新聞を活用した.このように,『どんぐり』は,市民・議会・市役所をある程度結び付ける役割を果たした.しかし,同紙は,常に5人程度の中心人物により編集され,彼女らの後継者は育たなかった.

    4.田無市・保谷市という場所とどんぐり会
     第2次大戦中,田無町には,数多くの軍需工場の社宅に町外出身者が移り住んだ(橋本2003).戦後,同町における住民運動は,こうした旧社宅の住民による生活改善運動から始まった.どんぐり会も,旧社宅の主婦たちによって結成された.
     発足当初,同会は,農村宿場町の名残が残っていた田無町の旧住民と対立しながら,旧社宅を中心に支持を広げた.加えて,田無町の人口急増に伴い,町外出身者が急激に増え,同会への支持はさらに広がった.運動の成果によって住民福祉が向上すると,同会の活動の中心は,住民参加の追求へと移った.
     しかし,田無市の新住民の多くは政治に関心を持たず,転勤による流動率も高かった.したがって,同会の中心人物の後継者は育たなかった.また,同会の女性問題への取り組みはそれほど熱心ではなかった.このように,一世代前の女性たちによるどんぐり会の運動は,20世紀末に限界をみたが,戦後の田無市・保谷市の政治に大きな影響を及ぼした運動であった.
  • 三浦 正史, 春山 成子, 藤本 潔
    p. 32
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     琉球列島の南西部に位置する西表島はマングローブ分布の北限域にあたり、また日本で最大のマングローブ林面積を有している。西表島の属する先島諸島はユースタティックな海面変動のみならず、1000-2000年間隔で起こる巨大地震に伴う地盤隆起による影響を強く受けている。現在、西表島に分布するマングローブ林は1000年前以降に成立しており、約1000年前に起こった地盤隆起がその立地変動に大きな影響を及ぼした可能性が指摘されているが(Fujimoto and Ohnuki,1995;Murofushi,1999)、それ以前のマングローブ林の分布と動態は明らかにされていない。本研究では、仲間川低地における1000年前以前のマングローブ林の分布を明らかにすると共に、淡水湿地林への遷移プロセスを相対的海水準変動との関係から考察することを目的とする。

    2.調査方法
    西表島南東部、仲間川河口部のマングローブ林背後に成立する淡水湿地林内の9地点においてピートサンプラーにより土壌サンプル採取を行った。採取したサンプルは現地で土色、土性を記載し、研究室にて粒度分析、粘土混濁水の電気伝導度及び硫黄・炭素・窒素含有量を測定し、堆積環境を考察した。また、年代試料6点を14C年代測定にかけ(4点は現在測定中)、CALIB5.01で暦年補正を行った。ボーリング地点の標高は、淡水湿地林内に設置した基準点(2003年3月に大富集落内の三角点から水準測量して設置)から水準測量を行い決定した。なお、本地域で調査を行うにあたり、環境省、林野庁、文化庁、及び沖縄県から土壌採取を含む調査許可を得た。

    3.結果・考察
    7地点で泥炭質堆積物の存在が確認され、これらは電気伝導度及びイオウ分析の結果から、マングローブ堆積物と推定された。マングローブ堆積物の上位には河川堆積物とみられるシルトや砂が堆積する。マングローブ林よりの2地点のマングローブ堆積物上面から採取した木片試料から、1229-1280calBP(B2地点、標高50cm)、664-796calBP(B3地点、標高104cm)という年代値が得られた。Murofushi(1999)では仲間川マングローブ林下の堆積物中から220-83014CBPの年代値が得られている一方で、本研究のB4地点とB7地点の間に位置する地点のマングローブ堆積物上限付近から1370±7014CBPの値が得られている。これらの値と本研究で得られた上記の年代値を合わせて考えると、現在仲間川に広がるマングローブ林は、明らかに1000年前以降に成立したもので、それ以前は現在淡水湿地林が広がる内陸側に小規模に分布するのみであったことはほぼ確実である。130014CBP頃には少なくともB4地点とB7地点の間まではマングローブ林が存在しており、その後の地盤隆起でマングローブ立地が一気に海側に移動したものと考えられる。
     現在、さらに内陸側のB5、B6、B7、B8地点のマングローブ堆積物中から得られた木片を年代測定中であり、これらの結果が得られれば1300年前以前のマングローブ林の分布状況と立地変動がより詳細に明らかになるものと思われる。
     マングローブ堆積物の上限高度が最も高いB5地点においてもその高度は最高高潮位付近であることから、本地域で起こった地盤隆起は、過去1000年間でほぼ解消されている可能性が高い。

    参考文献
    Fujimoto,K and Ohnuki,Y.(1995)Quarterly Journal of Geography,47(1),1-12.
    Murofushi,T.(1999)Ph.D.dissertation,Department of Geography,Tokyo Metropolitan University. 
  • 成宮 博之, 中山 大地, 松山 洋
    p. 33
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
  • -ASTERデータを用いて-
    斉藤 仁, 中山 大地, 松山 洋
    p. 34
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
  • 横山 秀司, 北山 広樹, 高岸 且
    p. 35
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    三次元的空間構造をもつ景観をエコトープに分類し,それを地図に表現したものが景観生態学図である。エコトープは地因子(地形,地質,土壌,水,植物,動物,気候)の相互作用と,場合によっては人間の関与が加わって形成された一定の構造と機能をもつ空間単位である。従って,景観生態学図の利点は,その空間の地形,地質,植生・土地利用などを総合的に読み取ることができることにある。今回は_(株)_パスコの技術者の協力を得て,福岡都市圏の1:50000景観生態学図をGISの手法を用いて作製し,その評価を試みた。使用したデータは,_丸1_1:50000表層地質(土地分類基本調査<表層地質図>からマップデジタイズ),_丸2_1:50000地形分類(土地分類基本調査<地形分類図>からマップデジタイズ),_丸3_1:50000現存植生(環境省生物多様性センター自然環境GIS),_丸4_1:500000土地分類(国土交通省土地・水資源局のデータ)である。 これらのデータを国土地理院で定めた平面直角座標系で整備し,オーバーレイを行った。その際,エコトープ(ポリゴン)の種類と数をできる限り少なくするため,各分類図の凡例を景観生態的機能が同質となるよう統合を図った。例えば,地形分類のボタ山を人工改変地に統合し,図面により分類基準が一定ではない扇状地・三角州・湿地・旧河道を沖積平野として統合した。またオーバーレイによる明らかな誤りを修正した。例えば埋立地はすべて未固結堆積物にし,水域の土地利用はすべて開放水域とした。さらに,1つのポリゴンが0.01ha未満のものは隣り合う辺が一番長いポリゴンに統一するなどの修正を施した。 福岡都市圏は,東は宗像市から西は糸島半島,南は背振山地及び三郡山地の分水嶺で境される地域である。成果品は,縮尺1:50000の場合にはA0判で南北2枚,1:75000で1枚分である。また,PDFファイルにも納められているので,パソコン上で自由に縮小・拡大して見ることができる。 さて,1:75000の全域図では小さなポリゴンの判読は困難であるが,全域の景観生態学的な特徴を把握することが可能である。特に地形図や植生図など単一の図では判読できない情報を,この図から総合的に得ることができる。それらのいくつかを列挙してみよう。・砂丘や沖積地との区分が明らかであり,その上の土地利用も判別できる。・埋立地が明瞭化され,そこでの土地利用が理解できる。・人工土地改変地は丘陵・台地の改変なのかあるいは山地の改変なのかが判読でき,さらにそこが住宅地かゴルフ場かなどの土地利用の判読も可能である。・地形・地質(岩石)・植生との関係が明らかである。等々。 以上のように,景観生態学図は地域の景観構造を総合的に把握することができる有効な手段であることが明らかとなった。また,各エコトープの模式地を設定して,土地条件,気候環境,水分環境などの定性的・定量的調査を行い,その景観収支を明らかにすることによって,エコトープの機能を推定することも可能である。 エコトープの構造と機能とその分布が明らかとなれば,景観生態学図は災害の発生地域の予測,あるいはシュツットガルトで実践されている「風の道」による気候環境の改善のための基図としても利用可能となるであろう。あるいは質的に良好な都市開発計画,あるいは観光地開発の基礎資料としても利用されよう。 今回のように,1:50000地形図が11図幅にわたるような広範囲の地域を対象とする場合には,使用する表層地質図や地形分類図において,作製年度の相違,作製者による判定基準の相違,分類項目の相違などがあり,それを統一しなければならないという問題が生じる。極力,これらの統一・統合を図ったが,図幅の接合部分の不整合などに不具合が残ったままとなった。これらを解決するには,既存のデータを使用するのではなく,ドイツで実施されているような景観(地)生態学図作製の基準(Leser,H. & H-J.Klink 1988)を作り,その実用化にむけた取り組みが必要であると考える。
  • :トレンチ掘削・ボーリング調査により推定される wedge thrust 構造
    杉戸 信彦, 岡田 篤正, 堤 浩之, 末岡 茂, 山本 晋也, 宮下 健司
    p. 36
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    はじめに 長野盆地西縁断層帯は北西-西側隆起で長さ約58kmの逆断層帯である.活動間隔は約950年と短いとされ,最新活動は1847年善光寺地震と最近である(粟田ほか 1987;奥村ほか 1988;粟田ほか 1990;佃ほか 1990).よって逆断層の地震時地表変位(形態的特徴・変位量・活動区間)の再現性を検討するうえで絶好の調査対象のひとつといえる.我々はこうした観点から本断層帯の微小変動地形・古地震の調査を進めている.
     本断層帯ではこれまで主断層を対象とした本格的な掘削調査は実施されておらず,断層構造や活動履歴に関する信頼性の高いデータは得られていない.
    段ノ原地区の地形と1847年善光寺地震に伴う地変 段ノ原地区には西側の犀川丘陵から東側の長野盆地へと流下する中小河川によって複合扇状地面が形成されており,南北にのびる丘陵・盆地境界部に西側隆起の断層トレースが認定されている(東郷 2002).従来,1847年善光寺地震の際に本断層帯全体にわたる多くの地点で地表地震断層が出現したことが指摘されており,段ノ原地区に関しても「筋たちて裂目を為したるは段ノ原のみなりき」「大なる裂目を生じたりし」「平地より一丈余も高き丘陵となりたりし」など特徴的な地変が生じたことを示す古記録が残されている(佐山・河角 1973;粟田ほか 1987;奥村ほか 1988;東郷 2002).
    トレンチ掘削・ボーリング調査 2005年10月,段ノ原光林寺門前の扇間低地において,比高数10mの変動崖の基部を横切るトレンチを掘削した.その後,トレンチの約1m北でコアを3本取得した.
    層相・層序・編年 トレンチ北壁面のスケッチとコアの柱状図を簡略化して断層と直交する断面に投影した(図1).トレンチ北壁面と南壁面の地層・構造の対応は非常によい.
     地層はすべて未固結であり,河成砂層や湿地性の腐植質泥・砂層,古土壌が主である.編年に関しては14C年代(暦年較正後の値を示す)のほか,磨耗していない多数の土器片(栗林式土器,弥生時代中期後半:長野県編,1982)が壁面H層とコア02より出土している.
    断層構造 壁面には東傾斜の明瞭な逆断層群・正断層群がみられる.主要な逆断層には,B層まで変位させA層(耕作土)に覆われるものと,G層まで変位させD層に覆われるものがある.一方,主要な正断層はB層まで変位させA層に覆われる.正断層群はlistric な形状を有し,深度数mでほぼ水平になると予想される.これは,上盤の地層が断層近傍ほど,また下位ほど西に大きく増傾斜しており増傾斜幅が約5mと狭いためである.したがって正断層群は,地形形成に寄与する規模の変位量をもつものの,表層現象にすぎないと考えられる.
     コアをみると,03下部には湿地性の腐植質泥・砂層が多くみられるが,01・02の同じ標高では湿地性の地層はわずかであり,14C年代も著しく古い.よってコア02・03間に西側隆起の地形的起伏をつくる断層が推定される.
     本断層帯が本来北西_から_西傾斜の逆断層であること,変動崖基部より10-15m盆地側に東傾斜の逆断層群が存在し地形形成に寄与する規模の変位量をもつことから,本地区では既存の断層面の盆地側にあらたな断層面が形成され,東 vergent の wedge thrust 構造(Medwedeff 1992)をなしている可能性が高い.その場合コア02・03間の推定断層は thrust wedge 下端をなす西傾斜の逆断層に相当する可能性が高い.thrust wedge 下部の推定同時間面は西傾斜を示すが,fault-bend fold モデル(Suppe 1983)に基づくと,これはthrust wedge 下端の逆断層の flat や ramp に対応する構造と解釈される.
     listric な正断層群は thrust wedge 先端部付近に生じており,その生成・活動には thrust wedge の前進が深く関与する可能性が高い.よって正断層群が単独で活動する可能性は低い.
    活動時期と地震時地表変位 最新活動はA・B層間に認定される.その時期はAD1515以降であり,おそらく1847年善光寺地震に相当する.古記録にある「筋たちて」は直線状高まり地形の出現を示しており,壁面の構造から推定される地表変位と調和する.これは「段ノ原のみ」に出現した特徴的な地表地震断層である.この地表地震断層は人工改変によって消失しており,1947年米軍撮影縮尺約1万分の1空中写真にも認められない.
     1回前の活動はD・G層間に認定され,その時期はBC354-AD1646と推定される.断層構造・変位量より,この活動に伴っても最新活動と同様,直線状高まり地形が出現した可能性が高い.

    謝辞: 現場を訪ねられた方,調査地地権者の方,川中島建設(株),(株)長橋商会,日本綜合建設(株)など多くの方にご指導ご協力いただいた.
  • 大矢 幸久
    p. 37
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     地理教育における実地指導の重要性は,従来から指摘されてきた.もともと1900(明治33)年の小学校令施行規則第6条に,「地理ヲ授クルニハ成ルベク実地ノ観察ニ基キ」とあるように,明治期の地理教育においても教授方法の一つとして実地指導が重視されていた.1941(昭和16)年には実地指導が国の定める教育課程において「郷土ノ観察」としてはじめて組み込まれた.本研究では,「郷土ノ観察」実施以前の昭和戦前期に,東京市立尋常小学校においてどのような地理教育的な実地指導が行われていたのかを,学校行事である校外教授(遠足とも称する)の分析を通して明らかにすることを目的とした.具体的には,校外教授関連の著作や『東京緑地計画参考資料 市立小学校児童遠足に関する調査報告』(東京市役所,1935),各尋常小学校の学校要覧を用いて,校外教授の変遷や教育的意義,東京市全体の実施状況を検証した.さらに,入手できた3校の指導案をもとに,校外教授における実地指導の実態とその地理教育的な意義について考察した.従来,戦前期の小学校における地理教育的な実地指導を扱った研究は,師範学校附属小学校や新教育実践校などの特殊な小学校を対象としたものが多く,一般の公立小学校を対象としたものは少ない.ほとんどの小学校で行事として行われていた校外教授は現代の遠足とは異なり,教科学習の手段としての意味合いが強く,地理教育史を再考するうえでも重要と考えられる.
    2.校外教授論の変遷
     明治末期から昭和戦前期に出版された校外教授関連の著作を分析したところ,そこで主張された校外教授の教育的価値は,郷土教育の変容とともに変化していた.明治末期から大正中期までは,1900(明治33)年の第3次小学校令改正により各教科から郷土誌的内容が削除されたこと,また1903(明治36)年に国定教科書制度が成立したことを受け,校外教授は校外での直観や体験により教室内での指導を補うことを目的とする方法論的郷土教育を担うものとして主張された.しかし1930年代からは,東京府における帝都教育会史蹟調査部と東京府青山師範学校附属小学校教育研究会による校外教授ガイドブックの発行等にみられるように,郷土教育運動の隆盛とともに,校外教授は愛郷心・愛国心の涵養や郷土そのものの理解などを目的とする目的論的郷土教育を担うものとして主張された.
    3.東京市における校外教授の実施状況
     昭和戦前期の東京市において,行政的な実施規定はなかったものの,多くの尋常小学校が独自に「校外教授規定」等を定め学校行事の一環として校外教授を行った.その実施目的をみると,各教科の直観化や道徳心・敬神崇祖の念・社会的精神・審美的態度・団結心・忍耐力の養成,身体の鍛錬など,明治末期から大正期に唱えられた方法論的郷土教育や全人的教育の目的を継承しつつも,愛郷心・愛国心の涵養,国民思想の啓培などに重きが置かれていた.校外教授の対象地は,皇族関係施設,公園,神社,仏閣,軍事施設,学校・研究施設,史蹟,名勝,景勝地,遊園地,博物館,水道施設,治水施設,市場,港湾,電信・放送施設,飛行場,議会,裁判所,刑務所,工場,墓地など1府6県,348か所に及んでいる.高尾山・多摩御陵,代々木付近(明治神宮・代々木練兵場を含む),上野公園,鎌倉,横浜は比較的多くの尋常小学校により選択されていたが,各学校ごとに学年別の目的に応じて多様な場所が選定された.第5学年で実施されることの多かった高尾山・多摩御陵校外教授は,大正天皇の御偉業を仰いで愛国心を涵養させることに加えて,地理科教科書「関東地方」の内容に関連づけて地理の実地指導をなすことが主要な目的であった.
    4.校外教授における地理指導
     各小学校が明確に地理学習の場として位置付けていた高尾山・多摩御陵や横浜,二子玉川などの校外教授指導案をもとに,そこで行われていた地理教育的な実地指導の実態について分析した.結果,以下の4つの役割があったと指摘できる.第1は,実物を直観させることで基礎的な地理用語の観念を体得することである.特に地理科履修以前の低学年においては,国語読本に登場した地理用語の正確な理解が図られた.第2は,東京及び近郊における地理的事項の教授や観察により,目的論的郷土教育の目標である郷土そのものの理解である.第3は,当時流行していた自然決定論的な地人相関論の影響を受け,自然と人間活動との関係を実地において理解することである.第4は,地形図を読ませたり,経路図,略図,断面図,鳥瞰図を描かせたりするなどの地理的な技能の習得であった.当時の校外教授は,教科学習としての役割や目的論的郷土教育の指導を担っていた結果,学校により程度の差はあれ,広く一般の公立小学校でも上記のような地理の実地指導が行われていた.
  • 長岡京・平安京をつなぐ「正倉院木画紫檀棊局」設計モデルの構築
    中塚 良
    p. 38
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    桓武帝の時代の二都、長岡京・平安京の連携的設計・施工の可能性を探る。これまで、宮都個別において考古学成果にもとづく条坊地割モデルが各種案出され、モデルの適合度が比較検討されてきたが、宮都間の地理的配置関係、規格の存否を問う議論は近年乏しい。本発表では、棊局(碁盤)と碁盤目に例えられる都城景観の形態的類似性を、古代棊局資料(「正倉院木画紫檀棊局」)の観察体験を端緒に再確認し、遺跡測地成果と棊局盤面パターンを類比し、宮都間の設計モデルとして統合する。すなわち宮都群の間をうめる幾何学的空間を、帝の手回り品(碁盤)サイズから実地にグラウンドデザインをおこなう断層盆地規模にいたる形態が連続・相似する「身体的景観」として眺望を試みる。           (2006/1/7稿)
  • 高橋 就一, 橋森 公亮, 今泉 俊文, 中田 高
    p. 39
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     演者らは,いわゆる98活断層帯のうち,北海道から東北地方に分布する逆断層帯を対象に,文献調査に基づいて,変位地形の位置・変位量・平均変位速度に関する情報を収集し,これらのデータベースを構築した.またこのデータベースを利用して,断層沿いの変位量分布図,および平均変位速度分布図を,それぞれ断層帯ごとに作成した.そして変位量・平均変位速度の分布図から,活動セグメントがどのように仕分けられるかを試みた.
    2.活断層情報のデータベース化と変位量・変位速度分布図の作成
     本研究では,既存文献にある活断層の調査結果の中から,変位量に関する記述を出来るだけ忠実に読み取り,その結果を地点ごとに整理してデータベースを作成した(図1).データベース中の情報は,断層に沿った地点(ID)ごとに,_丸1_断層変位(変位量,変位地形,変位基準など)に関する情報,_丸2_変位量が記載されている文献の情報,_丸3_変位量や年代がどのような基準で求められたかをカテゴリ分けした分類基準の大きく3つから構成される.そして,データベース化された情報に基づいて,各断層の走向方向に沿った変位量分布図および平均変位速度分布図を作成し(図2),活動セグメントの仕分けを試みた(並走するセグメントの変位速度に関してはそれらを累算し,断層帯全体の変位速度分布も示した).
    3.平均変位速度の分布形状および地形との対応
     一般に対象地域においては,活断層に沿う平均変位速度の分布は,末端に向かって減少する,「山型」の分布形状を示す.これに対して,末端付近においても,平均変位速度が依然として大きい「釣り鐘型」の分布形状を示すセグメントも見られた.これは,断層が末端方向へさらに延長される(すなわち,活断層を見落としている)可能性を示唆している.しかし,平均変位速度が速い場所は,「動きやすい場所」でもあるので,地表で認められる活断層沿いの変位量(平均変位速度)分布の差異は,地下の断層のアスペリティの分布の違いを反映している可能性が高いとも考えられる.
     対象地域における変位速度分布と山地高度との対応に関しては,今泉(1999)が奥羽山脈の隆起に山麓の活断層が強く働いていることを指摘した例がある.本研究でも東日本の主要逆断層帯に沿っては,変位速度分布の形状が,山地高度や段丘面高度分布と調和的であり,走向方向における分布の違いが地形形成に関与していると考えられる.しかし,逆に変位速度分布の形状と山地高度とが不調和な場所もある.変位の累積様式,活動開始時期の違い,活断層の移動現象などが考えられるので,今後検討が必要である.
    4.活動セグメントの認定および活断層データベースのGISソフトへの導入
     現在,近接する断層が互いに連動して活動するかどうかを評価する目安の一つとして,両断層の境界部分における平均変位速度の分布形状に注目している.これに合わせて,データベース化した活断層の諸元情報を,GISソフト上に導入する作業をすすめている.これによって,地点ごとの変位量が過大評価されていないか,逆に過小評価されていないか吟味され,さらに不足データ取得のための調査計画が効率よく行われるだろう.
  • 水野 一晴
    p. 40
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
     ナミブ砂漠を流れるクイセブ川沿いには森林がのびているが,部分的に大量枯死している場所がある.本研究は、その樹木枯死の原因を環境変化との関係から明らかにすることを目的としている。 これまでの研究により、樹木が大量に枯死している場所は,砂丘の砂が1m前後堆積し,小さな段丘状の地形をつくっていて,川が北への凸型の湾曲から凹型に移行した地点で,かつ,北に凸部のところのすぐ背後に砂丘がせまっているという共通点がみられた。このことから,洪水が起きたとき,前進する砂丘の先端を侵食し,その砂を下流に堆積させ,樹木を枯死しさせたのではないかと考えられた. 樹木の枯死年代は,枯死木の枝の先端の14Cの濃度等から,1970年代後半から1980年代前半と推定され、砂の堆積年代は,木片の14C年代より,1960年代から1970年代と予想された.クイセブ川は,1962年から1975年までは33日/年と洪水日数が多かったのが,1976年から1985年の10年間には洪水は2.7日/年と激減した.このことから,近年になって洪水が起きなくなったことにより,砂が堆積したままになり,樹木が枯死していったことが考えられた. しかし、これまでの研究では、なぜ、洪水によって運ばれた砂が堆積すると, 樹木が枯死していくのかわからなかった。今回の調査で、この地域の主要な樹木であるAcacia eriolobaとFaidherbia albidaは、深さ50cm以内の浅い地中に、太いものは直径10cm以上にもおよぶ無数の根を放射状にのばしていることが確認され、それらの根が、地表付近の水分をむだなく吸収していることがわかった。調査地域のGobabebは、年平均降水量がわずか27mmであるが、霧による降水量は31mmにものぼる。降水をもたらす霧の発生は年平均37日(1976-81年)である(Lancaster et al., 1984)。この霧は地表付近を濡らす程度であり、その水分がこれらの樹木の生育にとって重要であることが想定される。洪水により地表に砂が堆積することにより、浅い根が地表付近の水分を吸収できなくなったことが予想される。 砂丘の前進に関しては、2002年11月29日に砂丘の先端にポールをたて、モニタリングした。2003年3月1日の観測ではまったくポールは埋まらず、砂丘は前進していなかった。しかし、2003年8月10日には、ポールは深さ60cmまで埋まり、砂丘は100cm移動し、2003年11月30日には、深さ70cmまで埋まり、当初より145cm移動し、2004年8月5日には、深さ130cm、220cmの移動、2005年8月15日には、深さ170cm、移動290cm、2005年12月4日には、深さ190cm、移動は340cmであった。砂丘は継続的に移動するのではなく、突発的に移動し、また、ほぼ同じ角度の傾斜を保ちながら前進し、その移動速度は2002年12月−2005年12月では、70-145cm/年であった。 川沿いの樹木は、その年輪幅が0.5-1.1mmであり、その多くの樹齢は100-400年であった。樹齢100年以下の若い樹木が点在する場所もあるが、多くの場所は後継となるような若い樹木を欠いていた。このことから、クイセブ川流域の樹林帯は、数百年前の湿潤期に成立したものであり、近年は天然更新が進んでおらず、今後、森林枯死が拡大すれば、川沿いの住民にも何らかの影響が出てくることが考えられる。(本研究は、文部科学省科学研究費補助金・基盤研究A(1)(研究代表者:水野一晴)「南部アフリカにおける「自然環境−人間活動」の歴史的変遷と現問題の解明」の一環として行われている。) 
  • 綾瀬川断層の活動性評価の必要性
    渡辺 満久
    p. 41
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    関東南部では,4つのプレートが衝突しているため,これまでにも多数の大きな被害地震が発生してきた.江戸時代以降,関東南部から発生したやや大振り(M8クラス)な海溝型地震は,1703年元禄地震・1923年関東地震である.これらの巨大地震の発生前には,ほとんど地震が発生しない静穏期と東京湾周辺における小振り(M7クラス)な直下地震の多発時期があった.その繰り返しをもとに,政府中央防災会議は,埼玉県を含む首都直下地震発生の危険性と被害想定結果を公表した.1923年以後の静穏期が終了し,活動期に入ったと判断したのである.これによって,地震防災全般への関心は高まった.しかし,そこでの議論をみると,地震は「どこでも起きる」ことがあまりに強調されすぎており,我々には理解し得ない内容もあることに危惧を抱く.「関東ローム層が厚い地域では活断層は発見されにくい」,「地震は既知の活断層だけで発生するわけではなく,2004年中越地震はその典型である」といった記述は,いずれも事実と異なり,防災対策を講ずる上で大きな障害となる.未知の活断層が伏在している可能性が高いのは,ローム層の分布域(古い土地)ではなく,ローム層のない「新しい土地」である.中越地震は既知であった活断層が引き起こした直下地震であり,一定規模以上の地震は,起こるべき場所(活断層分布域)に起きているのである.文科省地震調査研究推進本部は,今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率の分布図を公表した.中越地震がこの図の発生確率が小さい地域で発生していることも,「どこでも起こる」ことを強調する根拠となっている.しかしながら,この図には,確率計算に必要な資料が不足地域であっても,何らかの数値が示されていることに注意が必要である.中越地震の震源域では,「発生確率」に関わる基礎的な資料はほとんど何もない.「発生確率が低い」ことが明らかであったわけではない.地震被害は,揺れによる被害と,土地の食違いによる被害に分けて考えるべきである.震源域では揺れが激しいので,それによる被害も大きくなる.しかし,やや遠くで発生した地震であっても,地盤が悪い地域では揺れが大きくなるので,居住地以外で発生する地震にも注意を払わなければならない.まさに,地震は「どこでも起こる」と考えておく必要がある.後者の被害は,活断層のずれによって,周辺の建造物が倒壊するものである.1999年台湾の集集地震においては,この被害が際立っていた.土地の食違いによる被害は,震源域以外では発生しない.地震防災に対する意識を高める上においては,「どこでも起こる」という指摘にはある一定の意味がある.しかし,阪神淡路大震災や中越地震時の被害のような大きな地震被害は,大きな揺れと土地の食い違いによって,震源域に発生するのである.巨大な地震被害に備えるためには,地域を特定した対策が必要となる.そのためには,どこに,どのような活断層が存在するのか,活断層を特定した政策レベルでの防災対策が必要となる.そこに目を向けず,「どこでも起こる」という理解だけに立脚していては,間違いなく,巨大な惨劇が繰り返される.政府中央防災会議や文部科学省地震調査研究推進本部の研究成果のうち,埼玉県に関わる部分は,基本的には「どこでも起こる」地震を想定したものである.唯一,埼玉県北西部の「深谷断層」の活動性を考慮した内容があるものの,この活断層の活動履歴等はほとんど不明である.また,埼玉県南東部の「綾瀬川断層」は深谷断層の南東方向延長部にあり,一連の活断層帯となっている可能性が高いものの,綾瀬川断層の活動性は全く考慮されてない.このため,「被害予測」も「確率分布図」も,リアリティを欠くものとなっていると言わざるを得ない.深谷断層は,群馬県高崎付近から連続してくる大活断層(関東平野北西縁断層帯)である.また,その南東への延長部,東京都江戸川区・千葉県浦安市周辺にも,深谷断層と同様のずれが確認されている.綾瀬川断層はこれらの活断層をつなぐ位置にあり,ずれ方も同じである.調査未了地域があるものの,高崎から東京まで,長さ約120kmの長大な活断層が首都圏直下に存在する可能性が提示されている.これが見落とされているとすれば,大変大きな問題である.政府中央防災会議は「東京湾北部」を震源域とする地震も想定し,被害を予測している.上記の長大な活断層は,この想定震源域に達するものであるが,その地震像は想定を大きく上回る可能性がある.「どこでも起こる」地震に備えることも重要ではあるが,それだけでは活断層周辺における巨大な地震被害を軽減することはできない.綾瀬川断層の活動性(活動様式,最新活動時期,平均的活動間隔など)を明らかにすることが非常に重要である.
  • 方 大年
    p. 42
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    _I_はじめに筆者はこれまで中国における都市内部の特性を追究するため、東北地方の長春市における商業、住宅、及び衰退している鉱山都市を取り上げ研究してきたが、今回はその一環として長春市市区における大学の立地変容と地域との関連を取り上げる。本研究は、長春市における市区への大学設立の要因と大学の立地変化がもたらすことによる都市構造の変容を明らかにするのが目的である。_II_調査方法吉林省教育庁と吉林大学サイエンスパーク事務室で聞き取り調査を行い、長春市27の大学の基本資料に基づき、80年代と現在における長春市の大学の立地、都市構造変化と地域との関連を明らかにして比較する。_III_結果1.長春市における大学は、第2次大戦後、都心部にあった満州時代の官庁などの建物を文教施設と病院に使用している。90年代の大学教育体制改革に伴い、学科の新設などによって新たな大学キャンパスの建設用地が必要となっているが、長春市の大学はキャンバスの所在地が都心部にあり、大学の規模拡大による施設の拡張が制限されている。こうしたことから、各大学のキャンパスは郊外への移転あるいは新規立地を求め、これに応じて、開発区は大学の誘致を積極的に行っている。大学が街の中心から郊外へ移転することによって街の中心地が拡張され、都市も拡大し、大学と開発区との連帯あるいは、独自のサイエンスパークの形成などによる地域分化が始まった。大学の研究成果はさらに開発区と独自のサイエンスパークで商品化され資金が大学へと還元されるという構造へと変化した。大学のサイエンスパークの形成と発展において中央政府、地方政府、開発区、大学などそれぞれの協力は必要不可欠であり、大学の移転は地域社会の経済発展に大きな役割を果たしている。2.吉林大学の80年代と90年代の内部構造を比較すると大学の「単位」は「単位」としての機能が一部なくなり、さらに変化した。つまり中国の大学は、従来は教育施設、福祉施設、生活施設の3つの構造から成り立っていたが、現在は教育と研究の2つが中心構造となり、従来の大学の中の福祉施設、生活施設については、地域社会に任せるようになり、大学と地域との関係がより強くなっている。
  • 京都市を事例として
    辻井 宏仁
    p. 43
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    _I_.はじめに〈BR〉 都心部における人口回帰傾向は多くの報告でなされており、その議論も活発である.京都市においても、四条通や烏丸通等の主要街路沿いにではなく、それらの内部地域において、人口の都心回帰の受け皿になる住宅が発達していることや、分譲マンション・賃貸マンションの供給による人口増加が示唆されている(香川,2003).〈BR〉 本報告の目的は、京都市都心部における中高層共同住宅(以下マンションと記す)に居住する女性の単独世帯の特性と動向について、アンケート調査を用いた分析を行い、把握することである.とりわけ、女性の居住地選択には、利便性を重視した職住近接の傾向がみられ、不動産取得が精神的な支えと生活の基盤をもたらすとされている(若林ほか,2001).〈BR〉_II_.研究対象地域と調査方法〈BR〉 本報告における、研究対象地域の京都市都心部については、御池通、堀川通、五条通、河原町通で囲まれている内部の区域とした(第1図).〈BR〉   アンケート票の内容については、世帯構成、年齢、性別、学歴、職業、勤務地、年間総所得、住居の購入価格もしくは家賃、現在の住居の購入(入居)理由、住み心地、住居の不満点、前住地および現住居での居住年数、前住地での住居形態、現在の住居以外の転居候補地およびその住居の形態、京都市の都心に立地するマンションに必要な設備、現在の住居での永住意志ならびに転居理由についてである.〈BR〉 分析対象のマンションは分譲物件が34棟、賃貸物件が8棟の計42棟であり、供給時期は1998年以降の物件である。調査時期は2005年7月で、3063世帯に配布した.その結果、333票のアンケート調査票が得られ、それらから女性の単独世帯の101票のアンケートを抽出した.本報告における女性の単独世帯とは、死別・離別を含む、独身世帯のことを指す.〈BR〉_III_.調査結果の概要〈BR〉 アンケート調査における結果の概要を記すと、年齢構成は、第1表のとおりである.学歴は、20歳台・30歳台では、高等学校・短大卒が卓越するのに対し、40歳台・50歳台では、短大・4年制大卒が卓越している.職業構成は各年代とも会社員が最も多いが、60歳以上は無職の割合が高い.職住関係については、20歳台・30歳台が、都心3区(上京区・中京区・下京区)への通勤が多く、職住近接を志向しているといえる.〈BR〉 年間総所得は300万_から_600万円未満の世帯が多く、それらで分譲マンションを取得している世帯の取得価格帯は、2000万以上3000万円未満が最も多い.住居の購入(入居)理由では、買い物や交通機関の利便性をあげる意見が多い中で、「京都の都心だから」という地域性の良さをあげる意見も少なくない.住み心地については、全年代で、多くが一定の満足を得ている.不満点では、騒音などの環境問題や居住空間の狭小さをあげている.前住地は、都心3区とその隣接区からの転居が卓越し、近隣地域からの居住地移動が主であるといえる.前住地の住居は、民間賃貸マンションからの転居が多いものの、40歳台以降においては、持ち家戸建て住宅からの転居もみられる.〈BR〉 現在の住居以外の転居候補地およびその住居形態については、都心3区内での分譲マンションを志向し、同一地域でより条件の良い物件を選択する傾向がうかがえる.とりわけ、「購入価格の妥当性」を重視している.京都市の都心に立地するマンションに必要な設備については、セキュリティーに関する設備の充実が全年代を通してあげられた.現在の住居への永住意志は、第1表のとおりであるが、現在の住居からの転居理由については、20歳台・30歳台では、「結婚や転勤」を要因にしている反面、60歳以上では、「施設への入所」という理由がみられた.〈BR〉 参考文献〈BR〉若林芳樹・神谷浩夫・由井義通・木下禮子・景山穂波2001:東京大都市圏における30歳代シングル女性の居住地選択-マルチメソッド・アプローチの試み_-_.地理科学56:65-87.〈BR〉香川貴志2003:統計で見る京都-人口の都心回帰-.統計7:10-15.
  • 新潟県上越市高田地区における調査結果
    志村 喬, 朝倉 啓爾
    p. 44
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    _I_はじめに 近年,子どもをめぐる犯罪の増加に伴って,関連する情報を地図化した「地域安全マップ」等を作成し地域の子どもを守ろうとする動きが活発になっている(中村2000,小宮2005)。一方,各学校においては,交通安全のための取組が従来から重要な教育活動の一つとなっているが,交通事故に関する地理情報を収集し地図化して考察するといった地理学的手法を生かした取組は概して少ない。また,学校や警察による交通事故に関する統計は届け出のあったものに限定されるため,子どもたちの交通事故経験等の実態は必ずしも十分には把握されていないと考えられる。 そこで,発表者らは新潟県上越市高田地区において関係組織と連携し,情報整理のための基図となる学区域図(紙媒体)を作成し各小学校に提供するとともに,児童の交通事故経験等に関する地理情報の収集・地図化・分析を実施したので,その結果の一部を発表する。_II_ 調査方法 新潟県上越市高田地区内にある市立小学校18校の第4・5・6学年在籍児童全員に対し,交通事故経験等に関する質問紙調査を実施した。その際,小学校の学区域別の白地図(縮尺1/4800_から_1/7700)を被験者毎に同封し,交通事故に遭った地点・交通事故に遭いそうになった地点・交通事故が起こりそうだと思う地点について自由に記入してもらい,これをまとめ学区別及び高田地区全体の「交通事故危険地図」を作成した。 調査用紙は,2005年2月に学校を通して配布し,ほぼ全児童数にあたる2341名から回答を得た。_III_ 分析結果1)遭った交通事故 回答を得た児童2314名中,交通事故に遭ったことが「2回以上ある」児童は10名,「1回だけある」児童は134名であり,これらの合計144名は全児童数の6.2%に相当する。 学校別にこの比率をみると,高田地区中心市街地及び隣接する北東部の小学校で高い一方,農村地域である南東部の小学校では低く,学区により違いがみられる。この交通事故に遭ったことが1回以上ある児童144名のうち,入院もしくは通院して治療した児童は42.3%にあたる46名である。この比率は,上記とは逆に高田地区中心部及び北東部の小学校では低く,南東部の小学校では高い傾向がある。同様の傾向は,交通事故を警察へ届けたか否かでもみられ,高田地区中心部と外縁部とでは,交通事故の性格が異なることが推察された。 交通事故に遭ったときの状態は「自転車に乗っていた」が35.7%と,2位の「歩いていた」「走っていた」の値(ともに14.6%)を大幅に上回っており,調査対象年齢層の行動特性と地域環境をよく示している。学校別にこの比率を分析すると,高田地区中心部の学校では低い一方,外縁部と新興住宅地・商業地が卓越している小学校では高い値を示しており,学区の環境により児童の行動パターンに相違があるものと推察される。 遭った交通事故を時間次元で分析すると,学校の下校及びその後の活動時間にあたる午後2時頃から午後5時頃までの時間帯と,登校時間帯である午前8時頃が全交通事故の62.4%を占めている。年間では,23名が事故に遭ったと回答した6月が最大値を示すほか,5月から10月までの温暖な期間(9月を除く)に事故が多い。寒冷な期間では,積雪のあることが多い1月・2月の方が,積雪があることが少ない月よりもやや数値が高まる傾向がみられる。2)遭いそうになった交通事故 交通事故に「遭いそうになったことがある」と回答した児童は,全児童数の28.6%にあたる661名である。その回答内容は上述の「1)遭った交通事故」と同様の傾向を示すものが多いが,「自動車がとぎれることなく走っていた場所」「横断歩道があった場所」「歩行中の状態であった」への回答比率が高くなっている。3)「交通事故危険地図」 対象地域全体の「交通事故危険地図」をみると,交通事故に遭った地点の分布には,旧来からの市街地である高田地区中心部と新しい市街地である春日山地区での稠密な分布,外縁部の農村地帯における主要道路沿い及びそれら交差点付近への分散的な分布,農村地域に巨大な商業集積地が形成され交通量が増大した地区への分布という三つの類型が認められる。 一方,小学校別の「交通事故危険地図」には個別地点の特性から生ずる危険性が示されている。交通事故に「遭いそうになった地点」「起こりやすいと思う地点」の分布では,新興住宅地内への指摘が多いことが注目される。
  • 西城 潔
    p. 45
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1.はじめに 低地・台地に隣接して広がる丘陵地は、古くから薪炭材の供給地として人間に利用されてきた。燃料革命以前には、薪炭林利用・木炭生産はもっとも代表的な丘陵地の利用形態のひとつであったといえよう。ところで斜面の集合からなる丘陵地において、樹木の伐採や集材、炭焼き作業、炭の搬出といった一連の作業を行うのは、必ずしも容易ではなかったであろう。それらの製炭作業においては、なるべく合理的に丘陵地の地形を利用する工夫がなされていたと考えられる。本発表では、宮城県北西部の丘陵地帯を例に、過去に木炭生産に使われていた炭焼き窯跡(以下、窯跡ないし窯)の分布と丘陵内の微地形単位との関係について調査した結果を報告する。またその結果をもとに、木炭生産に際して丘陵地の地形がどのように利用されていたのかを考察する。2.谷底面_から_上部谷壁斜面における窯跡の分布 田村(1987)により類型化された丘陵地の微地形単位と窯跡の分布との関係を、宮城県北西部の丘陵地帯に位置する御嶽山(480m)西側斜面において調査した。その結果、谷底面から上部谷壁斜面にいたる約6haの範囲内に10基の窯跡が見出され、そのほとんどが谷底に断続的に分布する段丘面・麓部斜面とその背後の下部谷壁斜面との境界部、または谷頭凹地と背後の上部谷壁斜面との境界部に作られていることがわかった。共通してみられる特徴は、窯はいずれも遷緩線をまたぐような位置に作られているという点である。また窯の入口はいずれも斜面下方に向けて作られていた。3.地すべり地形内における窯跡の分布上記御嶽山の南西方2_から_3kmの丘陵斜面上には地すべり地形がみられ、滑落崖や移動土塊からなる小丘、それらに挟まれる凹地などの微地形が分布する。この地すべり地形内において炭焼き窯跡の分布を調査したところ、11基の窯跡が見出された。ほとんどの窯は、滑落崖とその前面の凹地との境界部、小丘とその周囲の凹地との境界部などの遷緩線上に作られていた。また窯の入口はいずれも斜面下方に向けられていた。4.考察 谷底面から段丘面・麓部斜面をへて下部谷壁斜面・谷頭凹地・上部谷壁斜面にいたる微地形配列の場所においても、地すべりによる微地形の分布する場所においても、窯は遷緩線(山側に急斜面、谷側に緩斜面が位置する)の上を選んで作られているという特徴が認められた。また窯の入口は必ず斜面下方に向けて作られている。窯作りにあたって、このような共通する傾向が認められるのは、以下の理由によると考えられる。まず伐採・集材の面からは窯の上方は急斜面である方が好都合である。一方、窯作りや窯への炭材の搬入、出炭・搬出などの作業にとっては、窯の前面(入口側)は平坦地であることが望ましい。このような要求を満たすのが上記の地形的位置であり、製炭業従事者はこのような条件を考慮して場所を選定し、一連の作業がもっとも合理的に進むように窯を築いていたものと考えられる。
  • 三橋 浩志, 岡部 篤行, 戸所 隆, 大八木 智一
    p. 46
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    1.生涯学習・社会教育分野における地理教育の現状と課題。
    ここ数年「地理(地図)ブーム」が続いてきた。「ご当地検定」が続々登場し、「旅行業界」、「測量業界」以外の一般国民が多数受験している。地図は「おしゃれ」なインテリアとして評価されており、地理(地図)関係書のなかには数十万部を越える「売れ筋」商品も多数ある。しかし、既存地理学界や地理教育界との連携は弱く、地理学者が「雑学」への関与を嫌うためか、地理学界としてこの地理ブームを十分に受け止めきれていない。
     一方、社会人を対象とした「各国事情」、「GIS」、「地域分析」等の研修分野は、GISを除いて低調である。海外赴任に際して相手国の文化や社会に関する正確な知識と理解が求められるが、地理学はその需要と期待に応えていない。公務員研修でも市町村合併や防災対策等、地理学の本領を発揮すべきテーマは多々あるが、少数の地理学者が個人的に活躍するだけで、地理学を冠した組織的な動きがない。社会教育分野では多くの研修が企画されるが、地理学の情報発信力は低い状態にある。

    2.生涯学習・社会教育分野における地理教育振興の方向性
    上記のような現状と課題認識、および地理学を取り囲む厳しい環境を踏まえると、今後は以下のような地理教育振興の方向性を強力に打ち出すことが必要と思われる。
    (1)生涯学習・社会教育分野の地理教育プログラム開発
    生涯学習・社会教育分野における地理教育の現状を的確に把握し、問題点を摘出することが急務である。さらに、その問題点を十分に分析した上で戦略的に課題を設定し地域特性や年齢、ニーズ等に対応した地理教育プログラムを構築する必要がある。
    例えば、朝日カルチャーセンターの「野外お天気学校」は、募集と同時に満席になる人気講座である。この講座は地理学出身のNHKキャスター平井信行氏の担当で、地理関係講座も工夫次第で人気講座となりうる可能性を有している。「団塊の世代」が定年を迎える「2007年」以降、生涯学習ニーズの急増が予想される。地理学界としての的確なプログラムの提供が求められる。
    (2)地理学の有用性を社会に認知させるPRプロジェクト
    地理学界として「地理学は生涯学習、社会教育に貢献可能である」ことを社会に認知させるべく情報発信する広報・PRが必要である。その際、個々の地理学者や地理学教室の努力に加え、地理学関連学会が連携して社会に広報・PRすることが重要となる。
    今期地理教育専門委員会では、実業界で活躍する地理学教室出身者に対するインタビューを実施し、「地理は実社会に役立つ!」という学界外の声を集めてきた。このような声を多数集めて的確にPRすることが求められる。
    (3)社会教育に参加可能な地理学徒リスト(データベース化)
    地理教育を生涯学習・社会教育分野で活用してもらうには、「地理学者は何を教えることができるのか?」という問いに的確に答えるデータベースが必要となる。講師依頼等に必要な情報(例:発表論文、コラム等を含む発表レポート、講演・研修・業務の実績 等)を含めた地理学者のデータベースを、地理学関連学会が連携して地理学界として構築しなければならない。
    (4)研修の充実と資格制度の構築
     成果主義や自己啓発を重視する労働力市場では、「専門教育→実務訓練→認定試験→継続教育」を認証する資格の役割が高まる傾向にある。地理学も、大学等の専門教育をスタートと位置づけ、継続教育としての研修を受け持つ機会を増加させる必要がある。
      地理学界が独自に資格を構築する場合でも、他の資格と連携を図る場合も、継続教育としての研修を如何に多数開講できるかが重要となる。その際、地理学者が講師として既に参画する各種講座に対しても、「学会認定講座」、「学会協賛講座」等の認証を付与する仕組みが検討されるべきと考える。
  • 海津 正倫
    p. 47
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに 2004年12月26日に発生したインド洋大津波に関して,陸上における津波の挙動と土地条件との関係を,甚大な津波の被害が発生インドネシア国バンダアチェ平野において検討した.現地の地形把握にあたっては,高精度衛星画像,5万分の1地形図およびSRTM-DEMデータを用いた.また,津波の高さに関しては,建物等に残された津波痕や,津波による建物の破壊部分と非破壊部分との境界などを周囲と比較しながら認定し,津波の高さを測定した.さらに,破壊された建物の柱の倒れた方向,床に残された擦痕に基づいて津波の流動方向を把握した.調査地域概観 バンダアチェ平野は,スマトラ断層の活動によって形成された地溝帯に発達した,海岸部の幅が約20 kmにおよぶ楔形の平面形をなす平野である.平野の内陸側西部にはより古い地形面と考えられるわずかに高い土地が広がり,中央を蛇行しながら流れるアチェ川の下流部には断片的に残存する旧河道沿いなどに自然堤防が発達する沖積低地が広がる. 海岸域の西部および中央部には1〜1.5 kmの幅で干潟の発達する潮汐平野が認められ,アチェ川の作る沖積平野がこれに連続している.これに対して,平野東部の海岸地域には幅100〜200 m程度の浜堤列が数列発達していて,現在の海岸線付近には小規模な砂丘も認められる.津波の流動方向と高さ バンダアチェ平野における津波の進入はほぼ北西から南東の方向を示しており,東部では海岸線に沿って発達する砂丘や浜堤の切れ目の部分から内陸に向けて掌状に進入した流れも見られる.また,平野の西部では,アチェ西海岸から到来した津波の流れとぶつかる状態や,南側の山地に遮られる形で東に向きを変えている津波の流れも認められる. バンダアチェ平野における海岸付近の津波高はおよそ10 m前後と考えられるが,平野の西北部では海岸から2 km付近の地点においても地表から7〜8 mの高さにまで達しているところがあり,内陸側への進入距離も東部に比べてやや長くなっている.さらに,海岸線からの距離がほぼ同じ場所を比較すると,中央部および西部の津波高が東部のそれに比べてかなり高くなっていることも明らかである.なお,バンダアチェ平野における引き波の痕跡は余り明瞭ではなく,タイにで行った調査のような引き波の流れを復原するには至らなかった.また,海岸部における小河川の河口部では,著しい侵食は認められなかった.津波の進入に関わる土地条件 バンダアチェ平野では中・西部の海岸域が三角州および潮汐平野の性格を持っており,地盤高は相対的に低い.このため,バンダアチェ平野中央部および西部では,津波に対してはきわめて脆弱で近年エビなどの養殖池として利用されていた潮汐平野の部分が容易に破壊されてしまい,津波が減衰しないまま内陸部にまで到達したと考えられる.また,平野の東半部でも干潟の面積が比較的広い部分では西半部と同様に内陸部まで津波の被害が及んだが,東部では東西に延びる砂丘や砂堤列の存在によって地表の起伏が津波の進入を阻害される傾向がみられ,中央部および西部に比べて津波の到達距離が短くなり,内陸に向かっての津波高さの減衰が顕著になったと考えられる.なお,河川沿いでは津波の遡上距離が長く,津波が河川に沿って進入しやすいと言うことが確認された.結論  バンダアチェ平野では低地地形の地域的な違いが津波の遡上に顕著な影響を及ぼした.海岸付近における微地形の違いは砂丘の存在を除いて津波の進入にほとんど影響しなかったが,到達限界付近では津波の遡上を妨げた.さらに,東部では砂丘・浜堤列の存在によって津波の遡上が抑制されたため,西部に比べて津波の到達距離,津波高が相対的に小さな値となった.これに対して,アチェ低地中・西部では低平な沖積平野がそのまま干潟に連続しているため,津波はより内陸にまで達し,潮汐平野に作られたエビ養殖池の広がる干潟部分は面的に侵食された.
  • 海津 正倫
    p. 48
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに名古屋大学地理学教室は、学内の改組に伴い、文学部・文学研究科地理学講座の4名と情報文化学部地域システム論講座の2名とが結集し、大学院環境学研究科社会環境学専攻地理学講座として2001年4月に発足した。大学院レベルでは、この教員組織に研究科附属地震火山・防災研究センターの1名が加わって、学内で唯一地理学の体系を教え、地理学の学位が取得可能な教育プログラムを提供している。学部レベルでは、従前どおり、文学部2?4年次に地理学専攻が設置されており、文学研究科から移行した4名が専ら教育にあたり,情報文化学部については残りの2名が担当している。2005年度の学生数は、大学院博士前期課程10名、後期課程9名(文学研究科からの移行学生を含む)、大学院研究生2名、学部生26名を数える。このうち大学院には、3名の外国人留学生と2名の社会人学生が在籍している。2003年夏には、新築の環境総合館が竣工して、全教員研究室と院生室・資料室・実習室等が集まり、ひとつの地理学教室の体制ができあがり,名古屋大学では「地理学」の名の下にまとまることで教育体制が強化された。2.学部教育(文学部地理学専攻)の特色学部教育の大きな特色のひとつは、2・3年次に行われる野外実習にある。学生各自がそれぞれのテーマを掲げ、事前勉強→現地調査→分析と考察→報告書作成といった一連の作業を体験する。これを通じて身につけられた「学ぶ自主性」は、各学生の卒業研究や卒業後に大きな力となっている。もうひとつは、地理情報室をフル活用した実習にある。地理学専攻学生が占用している情報室には、ArcGISや統計解析ソフトなどが搭載されたPCが10台以上設備され、学生は3年次までに実際の操作実習を必ず履修する。ここで養われる情報解析力は、野外実習での自主作業や卒業研究で活かされている。こうした特色ある教育を受けた学生の進路は多岐にわたる。3.大学院教育の特色大学院教育の大きな特色のひとつは、自然地理学・人文地理学・地理情報学を三本柱にした専門性と総合性との融合であり,地理学総合セミナーは全教員・全院生が一堂に会して行われる。現教員の専門は、地形学、地理情報科学や災害・防災研究のほか、人文地理学主要分野をカバーする。これらの地理学諸分野を体系的かつ専門的に学ぶことで、博士(地理学)と修士(地理学)が取得できる。また環境学研究科では、地理学教室に足場を置きつつ、関連分野を広く修めることで博士(環境学)と修士(環境学)を取得することもできる。いずれの場合でも、各院生は、主指導教員の個別指導を受けて論文を作成し、地理学総合セミナーでの議論を経たあと、国内外の主要学会で発表することが義務づけられる。ちなみに、2004年に『地理学評論』、『人文地理』、『経済地理学年報』、『第四紀研究』に掲載された院生の論文は10編に及ぶ。なお過去3年間で14名の修士、9名の課程博士(旧制度学生を含む)、1名の論文博士を輩出した。過去3年間の修士取得者の進路は、民間企業4名、公務員1名、教員2名(ほかに社会人2名、後期課程進学4名、留学1名)だった。現在の前期課程在籍者の過半数が、学部レベルでの地理学専門教育の未履修者であり、環境学教育、とくに地理学教育の可能性が広く求められていると認識している。4.教育・研究上の課題新体制が発足して5年が経ち、2007年度に向けて、研究科全体でのカリキュラム改革と、社会環境学専攻での入試制度改革が進行中である。当教室でも、これに併せて大学院レベルでの専門科目の見直しに着手しているが、定員の確保が難しくなっている状況下で、他分野修得者や外国人留学生を積極的に受け入れつつ、一方で高度に専門的な地理学教育との両立をどう図るかということが課題となっている。学部レベルでは、地理学教室の魅力、とりわけ高校生や学部1年生には地理学を学ぶ面白さ、また地理学専攻の学部生には大学院で研究する面白さをいかに印象づけるかが課題となっている。環境学研究科の基本理念のひとつは、各学問領域の専門的研究教育と、学問領域を横断する連携型研究プロジェクトとの融合である。当教室の教員もこれまでさまざまな外部資金による研究プロジェクトに主導的に関わり、災害や防災といった応用的な研究は言うまでもなく、環境問題に関わる基礎的な研究においても、地理学の大きな可能性を示してきた。こうした研究プロジェクトは、国際的な学術交流も視野に入れるもので、実際に院生・学部生を参加させることで、オン・フィールド型思考と国際的視野の両面を培っている。     
  • 阿部 志朗
    p. 49
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
     平成14年度から文部科学省は、科学技術・理科、数学教育を重点的に行う高等学校を「スーパー・サイエンス・ハイスクール」(以下、SSH)として指定し、理数系教育に関する教育課程の改善に資する研究開発を行っている。本発表では、SSH校の一つである島根県立益田高等学校(以下、益田高校)におけるSSH研究対象クラスの地理必修カリキュラムの導入の効果と課題について実践内容をもとに報告する。益田高校はSSH事業3年目の平成16年度研究指定校の一つである。1学年5クラスのうち理数科1クラスがおもなSSH研究対象クラスである。
     益田高校には理科4科目のうち「地学」を担当する教員がいないので「地学」の授業が開設できない。しかし巨大地震などの自然災害や地球環境問題への生徒の興味・関心は高く、地形・気候・環境分野への学習要求は少なくない。一方、益田高校で従来から理系生徒は「地理」を選択する者が多く、加えて新学習指導要領では「地理B」の前半に地形、気候の内容があり、自然災害や環境問題に関する内容も増えた。これらのことから、SSH校のカリキュラム研究の一環として「地学」の補完的な意味も含め、2年次でSSH対象クラスの地歴選択科目を「地理B」全員必修とするカリキュラムを導入することになった。これにより以下の効果が認められた。
     まず2年次の「地理B」 において単元「地球科学」が追加された。「太陽系の惑星」「プレートテクトニクスとプリュームテクトニクス」「太陽放射と大気の大循環」などの「地学」的内容が加えられた。生徒の感想から「地理」「地学」相互の内容理解への相乗効果が見られる。次に、出張講義と体験実習への参加意欲が増した。SSH研究では、大学、研究機関との連携が重視されている。益田高校でも理数系分野の様々な出張講義や体験実習が実施されているが、「地学」的な内容でも生徒全員が「地理」必修のためある程度の知識があり理解が深められている。さらに益田高校独自の学校設定科目「サイエンス・プログラム」の中の「合科的な学習」と称する教科横断的な学習では、例えば、数学と地理の教員がGPSと歩測によるグラウンド面積の測定・計算の比較実験を行ったり、化学と地理の教員が火力発電所見学と石炭の燃焼によるNOx、SOxを検出・比較の実験を組み合わせた実践などに取り組んでいる。また、生徒による課題研究として「地理」に興味を持った数名が「GPS付き魚群探知機を使った蟠竜湖の湖底地形の開析」「島根県西部のリニアメント開析と活断層の密集性」などの研究に取り組んでいる。理科系諸分野(例えば日本物理学会など)ではジュニアセッションや高校生部門などが創設されており、地理学系の学会でも高校生の発表機会ができることが望まれる。
     地理必修カリキュラム導入は、日本史を学習したい生徒から反発があり、教員間でも実験的カリキュラムであるという理解のもとでスタートしたので、SSH指定後は通常の選択制カリキュラムに戻る。しかし、1年経つと生徒からは「役に立つ」「今後も地理を学びたい」との感想が増えており、学ぶことで興味・関心が生まれることが分かる。地理歴史科目を均等に学習したのちさらに発展的な内容を選択できるような「学びの機会均等」があれば生徒・教員相互に好ましいことだと感じられる。また、地理必修化 やその他の実践は一般の高校現場では教育課程上の制約、経済的な制約のため実際の導入は難しい。しかし実物・本物にふれる重要性、学際的な内容の教材化など、SSHでの取り組みの効果が地理選択者減少の歯止めへのアピールになる事を期待する。
     最後に、本報告実践は、「地学」教員がいないという現状から始まったが、「地理」「地学」は関連内容が多い。「アプローチが違う」とか「専門外である」というのは教える側の論理であり、学ぶ側にとっては似通った内容である。大学の研究室はすでにこれらを発展的に融合し名称・内容とも「地球科学」という方向へ進んでいる傾向が見受けられる。同じ「地球惑星科学連合」に所属している各学会で、相互の発展のため、また将来の研究者の育成のため、高校教科書の内容や高校生による研究発表、入試制度などにおいて垣根を取り払った抜本的な発想転換がなされることを願う。
  • 上杉 和央, 村中 亮夫, 花岡 和聖, 埴淵 知哉
    p. 50
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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     近年,空間や場所をめぐる様々な理論や概念が学界内に溢れかえっている。このような洪水状態を前に,何から手をつけてよいのか分からず,ただ呆然と立ち尽くす者は,おそらく発表者らだけではないと思われる。本発表では,空間論や場所論をめぐる思想家とそのキーワードとの関係を分析し,現在の(空間論や場所論といった)思想的潮流にはどのような特徴があるのか,そしてそれらがどのような関係にあるのか,見取図を作り,理解を深めることにした。
     主要な思想家およびキーワードを選択するには,いくつかの方法が挙げられる。たとえば,近年の主要雑誌等に掲載される論文や単行本から人名ないしキーワードを拾い上げていく方法があるであろう。しかし,このような場合,選択する基準を明確にしにくいこと,また「主要」なものと「その他」を区別することが難しいことなどの問題がある。そもそも,そのような区別をするためには,ある程度の思想的潮流を理解していないと難しい。本発表では,その前段階となる潮流を提示することを目的とするのであるから,相応しくはないであろう。
     今回は,とりわけ初学者が思想的潮流を理解しようとすることを考え,教科書ないし辞典といった基礎的書物から,思想家やキーワードを取り出すことを考え,最終的にはPhil Hubbard, Rob Kitchin and Gill Valentine eds.(2004), Key Thinkers on Space and Place, Sage. 内に取り上げられる52人と,同書用語集の74語を分析対象として選択することにした。本書はもっとも新しく刊行された地理思想に関する学部生向けの教科書であり,一般的傾向は理解できると考えたからである。問題点としては,そもそも編者らによって思想家が絞り込まれているという点があるが,これは上記のような本発表の問題意識に照らせば,それほど問題とはならない。ここでは初学者向けに選定されており,潮流を理解するにはむしろ好都合である点を重視したい。
     ここでは,これらの人物と用語をコレスポンデンス分析にかけ,クラスター分析によって分類を施した結果のうち,次元1と次元2から作成した散布図を掲載しておく(図参照)。大きく区分すると,3つの潮流があることが分かる。次元1がクラスター_I_・_II_と_III_を区分し,次元2が_I_と_II_を区分する。これらのクラスターはそれぞれ,_I_:社会/文化,_II_:政治/経済,_III_:数理/計量という指標を与えることができる。図を見ても分かるように,_III_の数理/計量グループは,他の2グループと異質な状況にある。_I_と_II_については,引用_-_被引用関係などをみても相互の交流も密であり,1つの大きなうねりとしてとらえることも可能である。
    なお,図示してはいないがクラスター分析を5分類までとると,_I_と_II_がそれぞれ2つに小分類される。具体的な人名で言えば,_I_はブルデューとバーンズが,_II_はレイとトゥアンが分化する。後者は「人文主義」と括ることが可能である。ブルデューとバーンズにつては,適切な語があまりうかばないが「多方面への影響」を与える集団と言える。
     これ以外の分析結果については,書内の引用_-_被引用関係についてのネットワーク分析結果などもふまえつつ,当日報告することにしたい。
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