日本地理学会発表要旨集
2007年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: S309
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天水田稲作の今とこれから
灌漑から取り残された村における稲作の生存戦略
*宮川 修一足達 慶尚瀬古 万木
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抄録

 地形的にはタイ東北部コラート高原の北縁に位置するラオス,ヴィエンチャン平野では天水田を基盤とする稲作が営まれている.1990年代からは灌漑水路の設置も進み,雨期作に対する灌漑は首都近郊のサイタニー郡の場合およそ40%の村落,23%の作付面積をカバーしている.一方,メコン川とナムグム川とに挟まれた丘陵地帯では灌漑が利用できない村落が多いが,そのような村の天水田でも,改良品種や化学肥料の使用,耕耘機や脱穀機の利用も進んでいる.灌漑が困難な天水田における生産の実態を把握し,生産の安定向上につながる事象を抽出することがこの研究の課題である.ここではサイタニー郡の一つの天水田農村についての分析結果を述べる.

1.生産とその変動
 この村の2004年度における水稲栽培農家は238世帯であり,平均作付面積は1.8ha,平均生産量は2080kgであった.集落周辺の水田域に限ると,2004年の世帯あたり平均収穫量は1785kg(対象23世帯),2005年では2709kg(対象52世帯),2006年では1373kg(対象80世帯)のような大きな変動が認められた. 2006年の作付け時期は降雨不足のため05年よりも遅れ,不作付け田は全体の20%の面積に達した.農家別の生産量の分布は2005年に比べ2006年では全体的に低収側に移動した.両年の間で耕作域の変更がなかった農家39世帯の生産量は平均1103kg,42.3%の減少を示した.
 坪刈りによる収量調査(2005年50筆,2006年63筆)からも06年の収量分布が05年よりも低収側に移動したことがわかった(図1).籾重平均値も242.3g/m2から154.1g/m2に減少した.高収域の筆は集落に近接した地点に多く分布し,集落からの排水などの流入が多収を維持していたものと見られる.一方では05年に比較的高い収量が認められた新田や06年の新規開田筆の収量は平均値程度ないしそれ以下となった.
図1 収量分布の年次変化

2.開田後年数と生産
 村の領域は25㎢であり,衛星写真による土地利用判読結果からは森林69.2%,水田32.4%,草地6.4%となっている.開村は18世紀末とされているが,現在でも森林からの開田が見られる. 水田土壌の全炭素と全窒素含量はおおむね開田経過年数に応じて低下する傾向にあったが,集落近傍や高位部の古田などでは高い値を示した.またこの土壌を用いて均一条件でイネを栽培した結果,イネ及び雑草の地上部全乾物重は全炭素及び全窒素含量と高い相関があった.水田で栽培された水稲について測定した収量では,初年度田,集落近傍古田は極めて高い値を示した.

3.水田中の立木の影響
 集落を中心とする水田域134haにはおよそ840本の樹木が存在する(図2).それらは木材としての有用性や,植栽した果樹の価値,神聖性によって伐られずにあるものである.周囲のイネの生育収量を測定したところ,木からの距離に応じて減少する樹種と,強い関係の認められない樹種とが存在した.村人はイネの生育収量を促進する樹種として,Kokseauk, Kokwaa, Koknyo, Koksamsa, Kokbok等をあげており,逆に阻害する樹種としてはKoksat, Koksabaeng, Kokyang, Kokkoung, Koksakham等をあげている.

4.灌漑困難な純天水田の生産展望
 森林率が高いこの地域の天水田では森林機能ならびに家畜生産と結合した土壌肥沃度維持機能を開発活用することが重要であろう.また水田や森林池沼の多様な生物資源と稲作との結合を図ることにより,独自の営農システムの形成もこの地域では十分可能である.
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© 2007 公益社団法人 日本地理学会
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