日本地理学会発表要旨集
2007年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 306
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高速道路沿線の過疎地域における人口変動についての考察
島根県石見地域及び広島県芸北地域を事例として
*河原 悠太川久保 篤志
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抄録


I はじめに
 わが国では1950年代以降の急速なモータリゼーションの進展とともに、国家の一大政策として高速道路建設が全国的に進められてきた。しかし近年、道路特定財源の見直しが議論され、地方の高速道路建設の是非が問われるようになった。そして経済効率を重視のもと道路不要論が盛んに主張されるようになり、高速道路が以前とは違った形で注目されるようになってきている。
 これまでの高速道路を扱った研究を振り返ってみると、沿線地域に対するインパクトに関する研究においては、その対象は工業や商業、観光が中心となっている。例えば、藤目(1991)では中国自動車道の完成が岡山県津山地域の工業発展にどのような影響をもたらすかが考察され、中西(1979)では九州自動車道開通が福岡・熊本両県の商圏に与えた影響が実証的に検証されている。
 そこで本研究では、地方と都市部との経済格差し中山間地域における過疎化が深刻な問題となっている今日、高速道路がそのような地域の産業にどのような影響を与え、また、それが従来の研究で取り上げられることの少なかった人口増減にどう影響を及ぼすのかを、インターチェンジからの距離を考慮に入れて検討した。

II 研究対象地域
 本研究で対象地域とした島根県石見地域及び広島県芸北地域は、多くの町村が中国山地の山間に位置する典型的な中山間地域であり、特に石見地方は全国でも有数の過疎地域である。当地域では、1983年に中国自動車道、1991年には中国横断自動車道千代田JCT~浜田IC間(浜田自動車道)が開通し本格的な高速道路時代に入った。全体として産業の規模が小さく、工業出荷額・商品販売額ともにほとんどの町村が全国平均を下回り、65歳以上の人口の割合が30%を超えるような地域である。

III 高速道路開通後の地域の変化
 当地域では市部を除けば、広島県吉田町・向原町では芸北地域の中心として以前より産業の集積が見られたが、中国自動車道の開通以降インターチェンジが建設され、また人口規模も比較的大きかった千代田町においては、工業団地の造成もあり、工業の発展がみられた。しかし、津和野町など人口規模が当地域で上位の町村でも高速道路からの距離が遠くなると産業の発展はみられなかった。また、高速道路から近距離であっても人口が少なければ同様の結果となっている。
 以上の点と高速道路開通直後の10年間の人口増減とを重ね合わせて考察すると、中国自動車道沿線地域ではインターチェンジに近く人口規模も大きい町では産業の発展がみられ、その近隣の町村を含めて人口減少に歯止めがかかったが、インターチェンジ周辺の町村でも人口が少ないところでは産業の発展がみられず人口は減少し続け手いることが明らかになった。またインターチェンジから遠くなるほど産業の発展は難しくなり、人口が少ない町ほど人口減少が大きくなる傾向も見受けられた。

参考文献
藤目節夫 1997. 『交通変革と地域システム』古今書院
財団法人高速道路調査会 2002.『道路経済学論集』

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© 2007 公益社団法人 日本地理学会
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