抄録
1. 研究の背景と目的
近年,働く女性の増加や子どもの安全に対する意識の高まりから,学童保育が重要性を増している.また,親の就労によらない「全児童対策事業」によって学童保育を代替させようとする大都市自治体の動きも注目されている.学童保育は,1998年まで政策的な位置づけがなかったため,整備状況やサービス内容には地域的バラエティが大きく,地理学的手法を導入する意義が大きい.地理学では,由井(2006)が地方圏における学童保育研究に先鞭をつけたが,大都市圏について十分な蓄積があるとはいえない.
大都市圏の中でも郊外は,既婚女性の就業やライフスタイルに特殊な背景を持つ場所である.そこで本発表では,大都市圏郊外という場所に注目し,物理的な意味での地域と,そこに住む既婚女性の就業やライフスタイルとを関連付けながら,学童保育の変化の地域的背景を明らかにする.
具体的には,川崎市で1963年から2002年まで実施されてきた学童保育事業を対象とする.各種行政資料や関係者へのインタビューから,制度的変遷及び保育内容や利用者意識の変化を明らかにし,その背景を川崎市の地域変容と関連付けながら考察する.
2. 全国的な学童保育の歴史と概要
学童保育が行政施策として開始されたのは1960年代以降で,東京や大阪などの大都市自治体を中心に整備が進んだ.2003年現在,学童保育のある市区町村は全国で72%だが,中でも市部や東京23区での整備率が高い.
3. 地域変容が及ぼした学童保育への影響
1963年に開始された川崎市の学童保育事業は,「かぎっ子」対策として開始された.施設は,当時大量に流入していた地方出身者のリクリエーション施設が利用され,行政主導によって実施された.当時の施設は工場の多く分布した臨海部を中心に整備され,利用者層は比較的低所得の工員が中心であった.彼らの学童保育への需要は切実ではあったが,保育内容には無頓着であった.
しかし1970年代から80年代にかけて,川崎市では全市的な工業の後退と入れ替わるように内陸部での住宅開発が進められた.またこの時期には全国的に主婦のパート化やボランティア参加などの「兼業主婦」化が起きており,川崎市内陸部に流入した主婦層や学童保育利用者にも,一定の割合でパート主婦が現れるようになった.
主婦の就労によって学童保育需要は急増し,行政による整備の遅れを補うために,自主共同保育の運営や経済的相互扶助を行う「父母会」が発足し,地域の学童保育システムを補完した.また,保護者同士のコミュニケーションを円滑にする装置として,多くの保護者参加型の行事が導入された.父母会の活動や行事は,経済的・時間的に比較的余裕のあるパート主婦によって支えられた.
1990年代後半以降,子どもの放課後をめぐる全国的な論調では,就業によらない育児支援と安全性が重視され始めた.さらにこの時期の川崎市では,既婚女性の就業率上昇や従業地の遠隔化によって学童保育需要が高まり,待機児童数が急増した.しかし,市当局にとって,従来の学童保育の質を維持しながら規模を拡大するのは困難であった.そこで,就業によらない利用と安全を担保できる全児童対策事業が導入された.
以上のように,川崎市の学童保育の変容は,内陸部の開発によって流入・増加したパート主婦によって支えられた.それによって起きた学童保育の質の向上は,結果的に,親の就労によらない全児童対策事業の導入という制度的変化を招くことになったのである.
文献
由井義通2006.放課後児童クラブの地域展開 ――井原市における学童保育の新しい試み――.日本都市学会年報39:74-80.