日本地理学会発表要旨集
2008年度日本地理学会秋季学術大会・2008年度東北地理学会秋季学術大会
セッションID: 106
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バンダアチェにおける2004年の津波災害とその社会的要因
*高橋 誠田中 重好
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抄録
2004年12月26日、日曜日の朝、インドネシアのスマトラ島西海岸沖スンダ海溝のプレート境界で超巨大地震が発生した。震源の規模はマグニチュード9.2~9.3と推定され、過去100年間ではチリ地震に続く2番目の大きさであり、インド洋全域に、少なくとも20世紀以降の世界の地震による被害では、史上最悪の死者行方不明者25万人以上、被災者200万人以上をもたらした。人的被害の大部分は津波によるもので、死者の多くは、震源に近いインドネシアのスマトラ島北部のナングロ・アチェ・ダルサラーム州に集中し、この地域だけで死者行方不明者17万人ほどを記録した。被害額は州内総生産の5 %に当たる12億米ドルと試算された。その中でも州都バンダアチェ市では、アチェ州における総犠牲者の4割に及ぶ7万人ほどが犠牲となった。地域的スケールで見れば、津波ほど、被害が面的に起こり、それでいて被災地と非被災地との境界が明確で、両地域間の格差を生じさせる災害は少ない。バンダアチェでは、津波は最大10 mの高さに達し、海岸から5 kmほど内陸に到達したと推測されている。海岸付近の地区では、津波前にあった街は跡形もなくなり、大部分の建物が土台ごと流された。海岸線は10 m以上後退し、土地自体が消滅したところも少なくなく、地域の死亡率は90 %に達した。海岸から数キロに位置する中心市街地では、津波による直接的破壊というよりも、浸水被害が顕著であり、一方、もっと内陸の非被災地は全く無傷のままであった。私たちは、こうした被害の地域差が地域の微地形、土地利用や構造物と関連し、それらが無秩序な都市開発によってもたらされ、それゆえ復興過程に重大に影響する可能性を指摘した自然災害は、一般に、ある社会が長期間にわたって自然環境との間に取り結んできた相互関係の破局的な再編と見なされる。社会の側から見れば、破局の契機は通常の抵抗力を超えた外力にあり、その外力をもたらす自然イベントが災害因である。一方、危険な場所への立地や壊れやすい建物への居住、防災体制の不備といった劣悪な生活環境にある人々は、自然イベントの外力に対して抵抗力が弱く、被害を受けやすい危険な状態にある。この場合、破局の原因は社会の側にあり、通常の抵抗力の閾値が低いことが問題である。つまり、自然災害とそのリスクは、災害因の持つ物理的側面と、脆弱性と呼ばれる、それらの社会的条件との複合という観点から分析される必要がある。今回の史上最悪の津波災害は、史上まれに見る規模の超巨大地震が、東南アジアという人口稠密地域で起こったことに特徴がある。自然科学の場合は、数百年から千年に1度という異常な自然イベントが発生した自然的メカニズムの解明が目指される。また、土地や建物の物理的破壊の状況を明らかにし、地盤や構造物の安全性について議論することも必要であろう。それに対して、社会科学、あるいは人文地理学の研究においては、何を問うべきであろうか。ここでは、かつてないほどの被害がなぜ生じたのか、そして、それがどのような社会的要因と関わり、それらが被災によってどのように変化したのかということを問題としたい。実際、私たちは、今回の津波災害、そして、そこからの復興過程に、先述した地域の土地条件に加え、地方政府や地域市場、コミュニティや家族に関わる社会的条件が関係し、その背景に、低開発や貧困、紛争といった地元社会の抱える構造的問題が関わることを指摘した。それらに加えて、地元の人々が、津波が何かということを知らなかったという、極めて単純な事実に注目する。私たちの行った調査票調査によれば、被災前のアチェの人々には、「ツナミ」という言葉も、津波に関する科学的知識もなく、また、海から襲来する「イブーナ」に関するローカル・ナレッジも継承されていなかった。換言すれば、地元社会の災害文化に「地震=津波連想」が欠落していたことが、被害をこれほどまでに拡大させた最大の要因であった。本報告では、こうした脆弱な災害文化がもたらされた社会的背景を、名古屋大学の研究グループによる現地調査結果をもとに議論する。それとともに、コミュニティに立脚した津波対策の重要性を強調し、被災から3年間にわたるコミュニティや家族の再生の現状を紹介しながら、災害に強い地域づくりに向けた復興の課題を指摘する。
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