日本地理学会発表要旨集
2008年度日本地理学会秋季学術大会・2008年度東北地理学会秋季学術大会
選択された号の論文の144件中1~50を表示しています
  • 日野 正輝, 高野 岳彦
    セッションID: S101
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    1.シンポジウムのねらい 題目にある「将来の東北」は,1906年(明治39)に福島県相馬の実業家半谷清寿(ハンガイセイジュ)が著した書名である.それは,産業革命が進展するなかで後進地域としての性格を強める東北地方の振興策を論じた書である。歴史学者高橋富雄(1969)が,半谷の書を現代に通ずる地に足の着いた開発論であると高く評価し、復刻した。世界および日本なかの東北の関係位置の説明から論を起こし、東北地方の現状と後進性の原因を自然、歴史、社会制度、住民意識にわたって言及し、その上で東北振興の方策を展開している。 高橋によれば、同書のなかで半谷が振興策の一環として提唱した国家による東北調査会設置案は、1913年(大正2)原敬の呼び掛けにより発足をみた東北振興会、1934年(昭和9)の政府機関・東北振興調査会へと連なる近代東北の開発史において重要な意味を持つ。 20世紀初頭の日本および東北地方は大きな時代の変化の中にあって、国および地域の発展をどのように図るかが問われたが、1世紀後の現在も、時代状況を大きく異にするものの、転換期に立っていると言ってよい。最後の全国総合開発計画となった「21世紀の国土のグランドデザイン」(1998)は、「国土をめぐる諸状況の大転換」として、次の4点を挙げている。 _丸1_ 国民意識の大転換:国民の価値観が量から質の豊かさを求める方向にシフトし、画一化から選択の自由を求め、自然の価値を重視する。男女の役割分担も変化し、さまざまな社会活動において国民の主体的な参画が求められる時代に至っている。 _丸2_ 地球時代:地球環境問題に代表されるように食料・資源・エネルギーの供給は国際的枠組みで取組む段階に至っている。一方、企業の多国籍化は今後も一層進展するとともに、他の社会組織および個人レベルにおいても交流のグローバル化が進み、国境を越えた交流量は飛躍的に増大する。 _丸3_ 人口減少・高齢化:少子化によるわが国の人口は21世紀初頭にピークを迎えて減少局面に入る。同時に高齢化が進行する。その結果、地域社会は大きく変容することになる。 _丸4_ 高度情報化時代:情報通信分野の発展は地球規模の 時間と距離の制約を克服し、情報資源へのアクセスにおける地域間格差は解消に向かい、活動の立地の自由度が高まる。  上記の四つの傾向はすでにそれぞれの実体を現してきていると言ってよい。しかし、その現れ方それ自体が地域性を伴っており、地域の文脈においてそれぞれの現状分析が必要とされる。さらに、地方分権化の動きも世界的に認められる傾向である。地域の自立性と時代変化に対する主体的な対応が求められている。 国土開発行政においても、1950年制定の国土総合開発法が2005年に国土形成計画法に抜本改正され、地方の主体的な開発計画の立案が求められるに至っている。そこでは今後、世界の潮流になっている持続可能性の考え方が重視されてくると見てよい。地球環境の問題に限らず、相互に関連する地域の経済、社会、文化、人口それぞれの持続可能性をどのように担保するかが問われることになろう。 このシンポジウムでは、時代の転換点に立つ東北地方の今後の持続可能性を求める方向で、現代の東北地方の現状を歴史も含めて再度見直し、広く意見交換し、今後の東北振興にとって有効な観点および問題点を探求することを目的としたい。幸い、新しい東北地方の地誌が刊行され(田村・石井・日野編、2008)、現在の東北地方を総合的に俯瞰できる材料が整っている。 長年東北地方の特質をそれぞれの専門分野において考察されてきた方々に報告およびコメントをいただけることになった。様々な空間スケールから、また地域比較を含めて将来の東北像について多面的に議論できることを期待したい。 国土庁編(1998):『全国総合開発計画 21世紀の国土のグランドデザイン』大蔵省印刷局。 田村俊和・石井英也・日野正輝編(2008):『日本の地誌4 東北』朝倉書店。 半谷清寿(高橋富雄校訂)(1969):『東北の将来』アイエ書店。
  • 阿部 隆
    セッションID: S102
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    過去:かつての厚生省人口問題研究所は戦前の1939年に設立されているが、それ以前から日本国内に対する人口問題に関する研究機関ならびに啓蒙宣伝機関として活動していたのが、1933年に設立された財団法人人口問題研究会である。人口問題研究会の年次学術大会ともいえるのが、全国協議会であるが、1941年には仙台で最初の地方大会ともいうべき、「人口問題地方協議会」が開催され、その報告書が「人口問題資料46輯、東北人口」として刊行されている。この協議会では後の人口問題研究所所長である舘稔も同研究所の上田正夫、窪田嘉彰とともに、「都市配置との関連において見たる奥羽地方人口供給力に関する若干の考察」という報告を行っており、ラベンシュタインの都市への人口補給圏という考え方を用いて、東北地方の人口供給力を予測し、「一般に東北地方の都市が都市の大きさが小であり、更に人口自給力も大であり、然もその周囲の一般の都市に人口を補給する地域が一帯に増殖力が非常に高いという条件に恵まれて居りましたために、奥羽地方には人的資源のブロックとして考えた場合の補給量は非常に豊かなのであります」と結論付けている。このように戦前における東北地方は、高出生力地域であり、「強兵産出地、労働力補給源地」として位置づけられていた。 現在:戦後のベビーブームの時代から高度経済成長期まで、東北地方は高出生力を保ち、合計特殊出生率の全国順位では、1960年には青森県が3位、福島県が4位であり(沖縄県を除く)、1980年にも福島県が3位に位置づけられ、東北地方は引続き「労働力供給基地」と呼ばれた。その後の第1次石油危機以降、1980年代までは、団塊の世代が30代から40代に加齢することによって、大都市圏と非大都市圏との間の人口移動も沈静化し、地域的人口変動の要因としての国内人口移動の比重が低下し、出生力の地域格差と国際人口移動の比重が増加してきた。1980年から2005年にかけて、東北地方の年齢3区分別の人口について、全国人口に対する構成比率の変化を分析すると、人口総数の比率の低下にもかかわらず、1980年以降も1990年までは年少人口の比率の増加が続いており、東北地方が相対的に高出生力地域であったことを示している。一方で老年人口の比率も増加しており、戦前における高出生力世代のコーホートの加齢と、他地域からの老年人口の流入超過の影響と考えられる。しかし、1995年以降は年少人口、老年人口ともに比率を低下させている。このような比率の低下の要因としては、年少人口については出生力の相対的低下と人口移動による流出、老年人口については、平均余命の相対的減少と人口移動による流出が考えられる。これらの要因について検討した結果は次の通りである。 1.東北地方の0-4歳人口の対全国比は、1995年までは総人口のそれを上回っていたが、2000年以降は下回っている。また、15-49歳女子人口の対全国比は1990年に総人口のそれを常に下回っており、合計特殊出生率についても、2006年には青森県と宮城県のそれは全国平均を下回っている。 2.1980年から2005年までの年齢5歳階級別の人口から、0歳から59歳までについて、15歳間隔での4つの年齢階級について、15年後の残存率を東北地方と全国について算出した結果、東北地方の残存率は近年はいずれの年齢階級についても上昇しているが、とくに45-59歳から60-74歳にかけての残存率が大きく上昇している。これは平均余命の上昇もあるが、流入超過の影響が大きいと考えられる。これに対し、0-14歳から15-29歳にかけての残存率は男女ともに87%前後にとどまっている。 未来?:国立社会保障人口問題研究所は2005年の国勢調査の結果とそれを資料としての全国人口の将来推計(2006年推計)をもとにして、2007年5月に2035年までの日本の都道府県別将来推計人口を発表した。これによると東北地方の人口はこの30年間に約23%の減少を示し、743万人となると推計している。しかし、この推計作業のための仮定値やその前提となっている全国人口の推計についてもいくつかの問題があり、東北地方についてもこの推計は高位推計ともいえるものと考えられる。
  • 柳井 雅也
    セッションID: S103
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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     1.はじめに 2007年現在、東北地方は6万6951㎢(対全国比17.7%)に、人口960万人(同7.6%)が暮らす地域となっている。経済的には、愛知県(全国4位:人口725万人)埼玉県(同5位:705万人)の間の23兆8767億円(全国比6.1%:2005年度)となっている。また、産業連関表調査でも、移出入とも関東地方への依存度が高くなっている。 2.東北地方における工業の基礎条件 東北地方は山脈・山地・盆地が南北に連なり、相対的に狭隘な平野部から構成されているため、人口は比較的分散している。交通体系は、国道4号線、東北自動車道、東北本線、東北新幹線をはじめとして東京との接合が優先されたことから、南北に延びる交通軸を中心に整備が進められてきた。この自然条件と交通体系の整備が東北における工業発展(東京依存型経済と国際化の遅れ)を規定することになった。 3.東北地方における工業の現状 東北地方の工業は2006年現在、付加価値額は6兆6784億円となっている。これを1人当たりの付加価値額生産性を求めると、東北地方は908万円/人で、全国の71.1%の水準に過ぎない。  表1は主要産業の特化係数を示したものであるが、電子部品関係はじめ電機産業の係数が高くなっている。しかし、秋田県のように6.51と大きな値を示していても、1人当たり現金給与総額が379万円(全国平均:476万円)と低賃金となっているケースがほとんどである。 4.変わるものづくりと東北への移植 一時期、成長を遂げたIC産業や電子基板製作は、時間経過と共に相対的に「成熟」型製品を作り続けてきたために、中国・台湾・東南アジアなどの競争に敗れて空洞化していった。しかし、東北地方の工業化の過程で、北上地域は東芝、富士通などのIC工場から関東自動車も取り込んで、米沢は東北パイオニア、米沢日本電気などを核企業として、産業集積を形成していった。また、2007年には宮城県にセントラル自動車の立地が決定し、隣接県も含めて関連工場(福島のデンソー、山形の東海理化等)が立地を表明するなど、自動車産業を中心にした新産業地域形成の可能性が出てきた。今回も同じ空洞化の轍を踏むのか、それとも「すり合わせ」型製品を中心としたものづくりの地域移植に成功して、納期も含めて、東北でしか作れない産業地域へシフトチェンジしていけるのかが問われている。 これから予想される変化の過程では、関連工場の誘致以外に、既存企業の淘汰(技術、労働力流動化等)などの課題や、地域政策レベルでは、企業の誘致策や支援策が「すり合わせ」型企業対応になっているか、北東北(特に青森県、秋田県)地域の産業振興をどう行っていくかなどの課題がある。
  • 元木 靖
    セッションID: S104
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    本シンポジウム「新『東北の将来』を語る」において、報告者に与えられた課題は「東北の農業・農村のあり方」についてである。ここでは、米の過剰生産を背景として開始された減反政策の実施、そしてほぼ時を同じくして農業・農村をめぐる環境が大きく国際化(市場経済化)の流れに取り込まれていく過程で、東北の農業とくに水田稲作農業(以下、「稲作」)がどのような変化をみせたのかについて大づかみな要約をし、これからのあり方を考える素材としたい。 1.稲作の持続性 東北の農村は、日本において、かつては豊かさの指標とされてきた稲作が、寒冷な気候条件に制約されて容易に定着できず、長い間稲作の不安定な後進地域といわれてきた。しかし、近代に入ってからは「食糧基地」化に向けた国家政策を背景に、本格的に稲作発展の途がひらかれ、第二次世界大戦後の高度成長期になると、飛躍的な発展を遂げた。その結果、東北の農村の経済環境は改善され、稲作の生産自体も西南日本にかわり、国内でも安定した、かつもっとも重要な稲作地域としての地位を確固たるものにした。 しかしながら、それも束の間、1960年代末には米の過剰問題が発生し、70年代以降の生産調整政策の実施によって、稲作による収入の拡大は期待できなくなった。これに追い打ちをかけたのが、円高差益を背景とした農産物輸入の拡大、米の国内自由化、さらにWTOによるミニマム・アクセス米の輸入など一連の市場経済化、あるいは低米価の環境であった。農業産出額統計によると、東北の米の産出額は1970年代半ばから今日まで一貫して減少傾向をみせてきた。しかしながら、他の農業部門に比較してみた場合、東北における稲作の絶対的な優位性は不変であった。米の産出額の減少は農業産出額全体の減少傾向をも左右するほどの重要性をもって推移してきたのである。またこうした状況下にも拘わらず、2006年現在の東北の稲作の対全国割合は、作付面積で26.3%、収穫量では28.2%となり、形のうえでは「食糧基地」としての地位をいっそう高めてきたのである。これらの事実は、高度成長時代に展開した稲作の強靱さを基礎にして、稲作が強い持続性を有していることを示唆したものといえる。 2.稲作経営の方向性 日本の稲作は零細・小規模経営が卓越している点に大きな特徴がある。担い手不足、機械化に伴うコスト負担、市場競争力をなどの問題を考慮した場合、いわゆる規模拡大を指向する農家の出現が期待されるのか、逆に、規模拡大は強く指向せず、むしろ集約的な稲作によって収益性を求める傾向を示すのか、という問題である。この点について最近の統計(2005年の林業センサス)によれば、東北の水稲作付農家の規模別分布(販売農家)は3ha未満の農家が92%を占めており、これを越える農家は8%にすぎない。また佐藤(2008)によると、日本の米農業の構造改革のモデルといわれてきた大潟村の15ha経営も、WTO・食糧法の体制下で、数年前から先が見通せない局面を迎えている、という。その理由として同氏は、農家経済が米価動向に大きく左右され、規模拡大どころではなくなること、しかも両極分解が進んだ場合、農家戸数と農家人口が減り村の生活基盤自体が成りたたなくなること、をあげている。 一方、むしろ大規模な経営ではなく、小規模な集約経営によって対応しようとしてきたのが一般的な農家のスタイルである。この動きは市場や立地環境に合わせて品種レベルで行動する農民、あるいはその支援組織が取ってきた手法であり、じっさいその動きを検討してみると、米の不足時代には寒地に適応しかつ量産か可能な品種を選び、米の過剰と流通の自由化が進むようになると、徐々に良質品種で機械化にも対応できる品種を導入し、さらに近年ではよりきめ細かく地域の独自性を発揮するような品種の開発・選択を通じて産地間競争に対応してきたことが分かる。また、近年では、環境保全型稲作、米の有機栽培、消費者の地産地消への関心の高まりなど、従来みられなかった複雑な要因も稲作の性格を規定するようになりつつある。こうした動きが強まると、大規模化稲作では対応が困難になる可能性がある。
  • 高野 岳彦, 日野 正輝
    セッションID: S105
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    1.東北都市を取り巻く状況認識 2000年国勢調査人口を基準にした将来人口推計によれば(国立社会保障・人口問題研究所編2004)、2000年現在の東北63都市のなかで2030年推計人口が2000年人口を上回る都市はわずか9都市に限られ、残り54都市はいずれも減少する。しかも、高齢化が進行し、63都市全体の高齢人口比率は2000年18%から30%へと増大する。これらの数値だけからも、東北地方の都市人口が21%増加した1970~2000年の状態とは大きく異なった状況がそこに出現することは容易に予想される。そのほか、趣旨説明で紹介した社会変動が進行する。 他方,東北地方の都市的集落の配置体系は,近世の領国中心地や農村の市場町としての商業機能に支持されたものが大半で,近代以降に鉱工業や開拓拠点として都市化した少数例(釜石,郡山など)を除けば,中心地理論によくフィットした安定的な階層構造を示すものとして認識されてきた。しかし1970年代後半から続いた高速交通網の延伸や幹線バイパスの整備,大手スーパーの地方進出や流通革新による地場卸小売業者の意義低下,効率化を指向してきた行政サービス機能の統廃合,そして何よりも高度経済成長終焉後も続いた周辺農山村での人口減少・高齢化によって,中心機能と中心地の淘汰は避けがたかった。 東北の都市システムが従来と大きく違った状況下で果たしてどのように機能するか、またどのような問題に直面するかを検討することは必要である。ここでは、都市階層別に予想される状況を提示して、将来の東北都市の姿を描くための情報提供としたい。 2. 仙台および県庁所在地級都市が直面する課題  仙台および県域中心都市は戦後の高度経済成長期以降それぞれ地方ブロックおよび県域の中心都市としての地位を高めてきた(日野、1996)。しかも、全国企業が地方ブロックおよび県域を単位にした支店を配置したことが、当該都市の中心性の増大に大きく寄与した。しかし、1990年代後半以降、当該都市における支店の集積量が減少に転じて、現在に至っている。この減少は一過性の現象というよりも構造的変化と捉えられる。したがって、支店集積の増大を将来展望において期待することはできない。  支店の動向と並行して、当該都市の産業構造に一定の変化が進行している。全産業の規模自体が縮小しているが、卸売業、建設業、金融保険業などにおいて従業員の減少が続いている。対事業所サービス業、医療および福祉などのサービス業分野において増大が認められるが、今後の人口減少のなかで、高次サービス機能の集中が予想される。そのとき、県域中心都市の中に当該機能の低下を招く都市が現れる可能がある。道州制などが導入された場合には、なおさらである。 3.地方小都市,低次中心地  郡程度の地域の中心地としての役割を担ってきた地方小都市は,高度経済成長期には周辺農村の人口を吸引して人口増を示す場合が多かったが,1980~2000年でみると,人口増加は北上河谷(=盛岡)以南の国土幹線地帯に集まり,日本海側を主とする他の地域と対照をなした。これは1980年代に急増する工場進出と相関する。しかし同じ国土幹線沿線に位置する古川と白石を比べると,後背地の広狭による商勢差の拡大が明らかである。 さらに下位の中心地の趨勢を,宮城県北の農村地帯の市町村(2000年時)の1982年以降の商圏変化から確認したところ,買回品の地元購入率を維持したのは古川市のみで,他の32町村はすべて激減させ,そればかりか最寄品でも同様の趨勢であったことが確認された。これらの町村でみるべき中心商業機能をもっていたのは役場所在地の中心集落のみであることから,農村中心地の中心性の喪失はさらに著しいものであることがわかる。 4.低次中心地が直面する課題 消費需要の減少は自動車アクセス性の向上ともあいまって、低次中心地のさらなる淘汰は避けがたい。淘汰・統合されたサービス拠点の側から高齢顧客への機動的なアクセスシステム,経済施設というよりは社会施設としての共同店のような施設の評価が求められるだろう。 国立社会保障・人口問題研究所(2004):『日本の市区町村別将来推計人口』厚生統計協会。 日野正輝(1996):『都市発展と支店立地』古今書院。
  • 宮川 泰夫
    セッションID: S106
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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     陸奥は拡充する大和の領域でフロンティアの時空をなし、その住民は、華夷思想で蝦夷と蔑称され、712年頃には西南の隼人と共に内属され、後進の虚像に幻惑されてきた。大湯の環状列石、三内丸山の縄文遺跡は、米ロ、中加の間で、自然の叡智と摂理、人間の英知と倫理を育む東北のイコン(象徴、凝集)をなした。そのオービット(視界、眼窩)は、2代執権北条義時が蝦夷管領に任じた津軽の豪族安東によって、北東アジアに拡充した。これは、グローバリゼーションとローカリゼーションの併進で統合と分化を繰返した。平泉はこの東北に自立と自律の文化を育み、鄙に浄土の風格を培った(Miyakawa, 1998)。  世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約は、1972年に採択され、人類と自然の共生を表徴した文化景観が追認された92年に日本も加入したが、地域社会の擾乱等解決すべき課題は多い。観光は、必然、随伴、余暇、充足と螺旋的に需要を増し、交流で接遇環境を評価し、地域を革新した。07年の宮城、新潟の観光経済波及、雇用誘発効果の高さと仙北、横手、湯沢の冬季宿泊日数の多さは、北東アジア3国に、米加、豪英を魅了する眼窩を拡げた。発電量最大の東北は、国際海峡に面した青森でエネルギー担当相会議を催し、原子力安全科学を革新し、日仏米による中露印を覆う安全技術基準共通化協定締結を促した。パイプラインで仙台と直結した新潟は、06年にザルビノ、束草間の3角航路を開いたが、07年に国土交通省は、秋田港シーアンドレール構想を検討し、経費と機会に留意した交錯構造を分析した。交流機構の基幹をなす、東北大学は、97年のロシア科学アカデミーシベリア支部連絡事務所に続き、欧米、露豪、中韓にリエゾンオフィスを開き、06年にパロアルト、07年に北京に代表事務所を置いた。東北は輸入、移入とも超過で、輸出は電子部品、輸入は食料が卓越し、輸出入ともアジアが伸び、北米輸出、中東輸入が続いた。交易、交流は、ソウル、大連、上海、シンガポールの各県海外事務所、217の姉妹都市提携、非政府組織活動、外国人留学生、就業者の連携で加速された。交易、交流には、ソウル、大連、上海、シンガポールの各県海外事務所と217の姉妹都市提携と非政府組織活動や外国人留学生、就業者との連携が重視されてきた。 東北は、国際中堅国家の規模と時空を踏まえ、アイルランドやデンマークを意識し、変革を強いてきた世界市場、社会の資本原理を地球市場、社会の社会規範で制御し、新たな生活様式、生産関係を拓きつつある。2030年の推計値を基に筆者も参画した東北経済連合会(07年)の計画は、1972年からの現代産業革命の開闢期を踏まえ、97年からの現代文明開化開展期の最終段階(2017-22年)を次元転換・場所変換の時とした。持続的発展には、革新主体と風土文化、可逆的革新機構、き還的自働安定化機構に加え、地域資源の起業化と企業資源の地域化の循環機構構築が必須である(Miyakawa,2007)。  国土形成計画は新潟県を広域地方計画8ブロックの東北に残し、北関東3県、福島県との分科会に入れ、国家の構造と国土の創成を相生する場所を生んだが、80年以来の持続的発展の虚構は内包した。少子、高齢化、限界孤立集落が地域問題化した東北は、93年の関東自動車工業進出で、技術革新を励起し、生物多様性条約締結を機に生態系劣化による経済的損失、生態系サービスを活かし、風土文化産業を育んだ。自然公園、林野面積、水資源賦存量第1位の東北は1933年以来の流域管理、97年の原子力船むつを改造した海洋地球研究船、みらい就航を踏まえ、07年の海洋基本法公布を機に国水計画、欧州を念頭にした飲食料産業を培った。07年には、独のフランホーファーと仙台市のマイクロナノ異分野システム融合が、フェラーリデザイナー奥山清行と地場の5社の山形カロッアリアやスポーツカーのモディ一関による内外催事、市場評価を活かした技芸統合を促した。東北福祉大学と仙台フィンランド健康福祉センター研究開発館の提携は、世界の東北の将来を担う5次の象徴をなし、文教の重要性を示唆した(宮川、2008)。 宮川泰夫(2008):国土の創成と国家の構造 辻本哲郎編「国土形成ー流域圏と大都市圏の相克と調和」技報堂出版 79-118 p Miyakawa,Y.(1998):Globalization and Localization of the Orbit in Geography Geo-Journal 45 115-122 Miyakawa,Y(2007):Locus:Civilisation et renaissance regionale in La Orbita de la Geogrphie de Jean Gottmann Societe de Geogaphies Paris 143-177p 
  • 牧田 肇
    セッションID: S107
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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     1980年代を通じて、青森県西目屋村と秋田県八森町(現八峰町)を結んで白神山地を横断する広域基幹林道青秋線(青秋林道)の建設計画の可否についての論争があった。この計画は、結局中止にいたり、その論争の延長上に白神山地中心部の森林生態系保護地域指定、ついで自然環境保全地域指定、さらに屋久島と共に日本最初の世界遺産(自然遺産)への登録があった。  この論争の後半、論争の白熱した頃から集結期にかけて、弘前大学では掛谷誠教授を研究代表者として、文部省科学研究費の助成により、白神山地の文化とその基盤となる自然の総合的な研究を行った(掛谷編1990)。  その研究の総括論文の中で、掛谷は北東北の置かれた文化と自然の当時の状況を生態史という視座から論じ、「白神山地のブナ林が組織的伐採で切り尽くされなかったのは、大きな消費地が近くになく、良材としてのブナが少なかったためである」という先行論文の分析を引用して、そのようなブナ林を持っている青森県を、経済開発におくれをとったがゆえに、貴重な自然資源の保存については最先端の位置に躍り出た、「一週遅れの最先端」と表現した。  ブナ林に代表される日本の夏緑広葉樹林が、第2次大戦後組織的に伐採されたもっとも大きな目的は、林地を針葉樹人工林に転換するためであって、ブナを用材として利用するためではなかった。だから、上記の良材が乏しいためというのは必ずしも正しくない。 しかし、伐採した木材は、何らかの形で消費しなければならず、大都市から遠く、幹線からも遠い白神山地のブナが消費地から遠いために伐採が遅れたという分析は、当を得たものである。  じっさい、東北地方では、福島、宮城、山形、岩手、秋田とブナ林の伐採が進み、青森県でも、八甲田など奥羽山脈のブナ林、岩木山麓のブナ林が伐られ、白神山地のブナ林もかなりの面積が組織的な伐採を受けた時点で、自然保護の声が高まり、伐採が止まったのである。すなわち、世界遺産となった白神山地の原生的なブナ林は「距離の贈り物」としてわれわれに残されたのである。  東北地方の観光開発などでよく使われる「豊かな自然」は、よく考えると必ずしも正確ではないが、このような「距離の贈り物」として残されたものが多い。このような自然は、収穫して資源として利用するには、すでに少なく、都市的に利用するには面積が小さすぎる。これらの永続的利用は、エコツァーやグリーンツァーなど環境負荷の少い形の観光などに求められるべきである。そのための環境インフラの整備はかなり必要であると考えられる。  一方で、前記の、ブナ林を針葉樹林に変える「拡大造林」政策のために、東北地方には膨大な面積の人工造林地が残された。  この人工造林地は、端的に言えば林野庁の赤字のために、ほとんど手入れがされていない成績不良な林地となっている。  しかし、昨今の外在の価格の上昇、バイオ燃料としての利用の可能性から、これらの林地は近い将来貴重な資源として見直されてくるはずである。その際に、第2次大戦中から戦後にかけて行なわれた無限定な人工林の伐採、それにつづく無限定な林種の転換=拡大造林のような政策の誤りの轍を踏むことはもはや許されない。永続的に利用すべき資源としての国有人工林の運営が期待される。 掛谷 誠(編)(1990):『白神山地ブナ帯域における基層文化の生態史的研究』,平成元年度科学研究費補助金(総合A)研究成果報告書,358頁,弘前大学.掛谷誠(1990): 掛谷 誠(1990):『生態史と文明史の交錯-白神山地における自然と生活の生態史をめぐる諸問題』,上記報告書,345-358頁.
  • 香川 雄一
    セッションID: S201
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    _I_.はじめに  環境問題において誰が環境運動に参加しているかという課題は,「集合行為論」や「政治参加論」として,あるいは歴史社会学的に分析されてきた。環境ガバナンスの視点からも行政だけでなく,住民やNPOといった地域社会における環境づくりへの取り組みが注目されようとしている。そこで神奈川県川崎市臨海部における過去約100年間に渡って繰り広げられてきた環境運動を事例として,環境運動の担い手の変遷を明らかにしていく。時代の変化によって,環境問題の争点や住民構成が変化をしていきながらも,にない手に共通する要素を抽出することができる。 _II_.戦前の公害反対運動  川崎における公害問題は明治末期から大正初期にかけての東京湾臨海部,多摩川沿岸部への工場立地によって発生したと言える。そもそも汚染問題を発生させていた工場が移転先を求めて川崎で操業を開始したので,環境の悪化は予想できていたかもしれない。第一次世界大戦期の工業生産の増加とも重なって,臨海部に工場地帯が形成されるとともに工場からの排出物は周辺の地域社会を悩ませることになった。  初期の公害反対運動は大気汚染や水質汚濁の被害を受けた漁業者、農業者そして地域住民によってになわれた。工場への直接抗議や議会への陳情の記録によって運動のにない手を理解できる。そこでは生業や生活への悪影響が環境運動を成り立たせていた。組織基盤となったのは漁業組合などの同業者組織と川崎市に合併する以前の旧町村、そしてより狭い空間的範囲で構成される住民組織であった。地方政治の争点になるというよりも,汚染の被害をどのように止めるかの対応をめぐって,企業・行政・住民が繰り返し交渉を継続していた。 _III_.高度経済成長期の公害反対運動  第二次世界大戦による戦災の影響もあって,川崎臨海部の工場地帯ではしばらく生産が停滞していた。臨海部の埋立を含め工業活動がふたたび盛り返すのは1950年代以降のこととなる。戦前にも増して拡大した工業地帯の活性化は,規模も質も異なる公害問題を発生させていく。石油化学コンビナートの完成もあり,硫黄酸化物などの汚染物質が川崎臨海部の居住地に降り注いだ。公害問題の発生は工業の復興とともに指摘されていたが,地域住民の公害反対運動が活発になるのは1970年前後からになる。川崎市内で大気汚染のデータが観測され,国などの公害関係の法令も整備されていく。こうして川崎臨海部の健康被害がかなり進んだところで,公害病患者対策や工場への排出物規制が取り組まれた。 高度経済成長期の公害反対運動は大気汚染の被害対策を中心に展開した。川崎では,公害病患者とその支援組織によって公害反対運動がになわれていた。にない手は必ずしも戦前の地域住民と重なっているわけではなく,後に提訴される川崎公害裁判における原告の多くは戦後になってから川崎に移住してきた人々であった。また市長選挙や市議会議員選挙においては公害問題が争点となり,政策方針から公害対策を主張する場合もあった。 _IV_.環境再生に向けた取り組み  約20年間,続いた川崎の公害裁判は,企業の汚染責任や行政への管理責任をほぼ認める原告住民勝訴の判決によって収束した。その後の課題として議論されているのは川崎臨海部の環境再生をどのように実行していくかである。さまざまなにない手が登場し環境再生への取り組みに携わっている。公害裁判の原告支援組織と研究者が環境再生の研究会を結成し、新旧住民や行政職員NPO団体も参加している。高度経済成長期に漁業権放棄によって漁業から撤退した元漁業者も臨海部の歴史学習や環境再生に協力してきた。川崎臨海部におけるさまざま環境運動のにない手が環境再生へと結集しようとしているのである。 _V_.まとめにかえて  環境運動の変遷を理解することは,過去の公害問題を反省するとともに,地域の環境づくりのにない手を再考する機会ともなる。都市化や工業化による地域社会の変化は,新たな環境を構築する要素として各主体間の関係性を再構成する契機となるのである。
  • 作野 広和
    セッションID: S202
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    1 はじめに  21世紀に入ってから地球環境問題への世界的な関心は高まるばかりであり,わが国においては従来から破壊の対象であって自然を「保全」し,「再生」しようとする動きが一層高まってきた。こうした背景から,2002年12月には自然再生推進法が公布され,河川,湿原,干潟,里山,森林などの自然環境を保全し,再生するための責務が明示された。こうした動きを背景に,水環境をとりまく環境保全活動は研究者を巻き込んだ科学的判断に基づく自然再生活動に力点が置かれつつある。  こうした動きにおいては水環境の保全・再生という目的は常に共通していながらも,その「担い手」である活動主体の構成と主体間の関係は変化し続けてきた。そして,その変化の要因となっているのは地域間の関係性によるところが大きい。とりわけ,活動の主要な主体である住民は何らかの形で地域に依拠した活動を行っている。  本報告では島根県と鳥取県にまたがる宍道湖・中海周辺地域を事例として,環境保全活動から自然再生活動へと活動の性質が変化する過程において,活動の主体者と主体者が所属する地域との関係性について明らかにする。 2 宍道湖・中海の概要と水環境  宍道湖・中海はそれぞれ全国7位,5位の面積を有する汽水湖で,水産資源や観光資源としても活用されている。1960年代に開始された農林省(当時)の中海干拓・淡水化事業により,沿岸地域ではこれまで水環境保全に関わる様々な動きがみられた。とりわけ,1980年代後半の宍道湖・中海淡水化の是非については一般住民を巻き込んだ大きな地域問題に発展した。その際,淡水化反対を主張する研究者団体や住民団体が中心となり大きな住民運動へと発展し,事業を推進しようとする行政との対立構造が明確化した。最終的には行政の判断で淡水化は延期(その後,中止)となったが,その当時はあくまで淡水化の是非が争点であって,住民による主体的な環境保全に関する動きは乏しかったといえる。  その後,1990年代の後半には大規模干拓予定地であった本庄工区の干陸化が争点となったが,淡水化が問題化した時ほど住民を巻き込んだ運動には発展しなかった。最終的には国の財政支出を抑えるという,いわば外的要因により干陸は中止された。 3 宍道湖・中海流域における環境保全活動  一方,2000年前後から,住民主体による様々な水環境保全活動が展開されるようにった。直接のきっかけは宍道湖・中海の公共事業への認識ではなく,全国的な環境保全活動の高まりと,学校教育における「総合的な学習の時間」の導入であったといってよい。  活動の主体は様々であり,任意の環境保全団体や地縁的組織による活動がその中心であった。また,1998年にNPO法が制定されたことをきっかけに,NPO法人による活動も目立った。  いずれの活動も行政機関との関係性を重視しており,行政職員や出身者がリーダーとなる例も少なくなかった。また,行政が準備する助成金などが活動資金となる例が多く,一連の環境保全活動は親行政的団体が中心となった。ただし,行政機関は水環境保全の主要な「担い手」ではなく,水質管理や活動助成といったあくまで支援的活動に終始していたといえる。 4 官学民の協働による自然再生活動  先に示したように,2002年に自然再生推進法が制定されたことにより,住民はもとより,関係行政機関,NPO,専門家等の多様な主体が参画して自然環境の保全・再生することが明示された。このことを契機として,各地に自然再生協議会が設置されたが,宍道湖・中海沿岸でも住民,行政,専門家等が参画して活動が盛んとなった。2005年度には研究者が中心となって「勉強会」が開始され,2006年度には自然再生協議会の設立準備会が発足し,2007年に中海自然再生協議会が発足した。同会では中海の水質改善,アマモの再生,環境教育など様々な活動に取り組んでいる。 5 自然再生活動の地域的差異  これに対して,宍道湖側では自然再生協議会は設置されていない。むしろ,斐伊川・神戸川治水事業にもとづく大橋川の拡幅工事と連動して,宍道湖のあり方そのものが改めて問題視されている。中海における自然再生活動が一応のスタートをきったのは行政機関の協力的姿勢と専門家集団の主体性であろう。また,中海を単位として地域間の取り組みを統合化したことも大きな要因である。
  • 木村 美智子
    セッションID: S203
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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     環境問題の解決に向けた現在の大きな流れの一つとして、持続可能な地域づくりの重要性が声高に叫ばれている。この持続可能性は、子どもの地域の環境教育に大きく関係しているにもかかわらず、子どもの遊びの中にある、自然や社会環境とのやりとりを大人がどう捉えていくのかという観点について、議論されることは少ない。環境教育は「地域環境に対する愛情と理解にもとづいた環境形成者としての自覚を持ち、地域の環境保全に関わる行動がとれる環境市民の形成」を目指す教育だといわれる。未来の地域環境づくりを担っていくのは子どもたちであるはずだが、その地域への愛着や誇りは一体どのようにして育まれていくのだろうか。その手がかりの一つとして、筆者は、地域の中での子どもたちの遊ぶ環境に着目した。すなわち、子どもたちの遊ぶ環境を豊かにすることが地域への愛着につながると考え、まず子どもたちの遊びの現状を探ることで問題点を明らかにし、次いで子どもたちが遊ぶことを大人がどのように支援していけばよいかを考えることにしたい。  子どもたちが外で自由に遊ぶことは、豊かな人間形成のための貴重な経験であるとともに、地域に残された自然環境と接する機会でもあり、環境教育や地域社会との接点もそこにあると考えられる。一方において、地域社会で発生する事故や事件に子どもが巻き込まれるケースが相次いでおり、子どもたちが外へ出る機会はますます減っているのが現状である。こういった閉塞状態の中で、子どもと一緒になって地域に遊び場を作ろうとする試みが日本でも増えてきており、「冒険遊び場」はその一つである。門脇は、このような冒険遊び場の存在は、子どものためのユニークな遊び空間というだけでなく、大人たちが地域をさらによくしようとする活動の拠点になることが期待されていることを指摘し、子どもの遊び場に地域づくりの拠点としての機能をも認めようとしている。ハートの「子どもの参画」を含めて、子どもの遊びに対しては、教育的な視点に重きをおく傾向があり、また、遊びを利用して地域環境計画に取り込む実践と考えられなくもない。子どもの遊びを教育的視点でのみ考えるのではなく、子どもが楽しく遊べる―フロー経験を生む核となる―という遊びの原点を生かすことも地域づくりには大切ではないだろうか。  地域の中で子どもたちが自由に楽しく遊ぶことを支援する仕組みについて考察するために、地域の中に残されている自然空間で子どもたちが遊ぶ状況を設定し、遊びに対する大人の意識や行動が子どもたちの遊びにどのように影響しているかを明らかにすることを目的として、仙台市郊外に住む小学生とその親を対象に意識調査を行った。その結果、過半数の親が子どもにもっと外で遊んでほしいと望んでいることや、危険を伴う遊び(木登りや川遊びなど)に対してもある程度の許容を示したが、子どもたちが大人から「行ってはいけない」といわれている場所の多くは、地域を流れる川や里山のような自然空間であった。その一方で、子どもの外遊びに対する理解や遊びの危険性に対する許容度が高い親の場合、その子どもは地域の自然空間で遊ぶ傾向が高いことがわかった。以上の結果から、大人の意識や行動が、子どもが地域の中で自由に遊ぶことに対して、相当に強い規制を与えている現状があらためて明らかになったといえる。  地域に残されている自然空間とのやりとりの中に、環境教育の基底が存在することは確かなことであり、そこはまた子どもの遊び場づくりの宝庫である。地域の安全性が問題とされる中で、子どもが地域の中で遊ぶことを支援していくためには、子どもが遊びを楽しむことそれ自体の意味を再考することも必要なのであり、子どもの遊びを地域づくりの手段にしてはならないと考える。
  • 奈良 朋彦
    セッションID: S204
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    1.はじめに
    都市内の水辺空間は、地球規模で水循環サイクルの一部として人工では作り出すことが難しいという点で、自然由来の環境資産と捉えることができる。また水辺空間がもたらす便益は利水や治水など経済換算が難しいものであり、かつ適切な維持管理がなされなければ災害をもたらすものである。従ってこのような理由から、従来は行政によって水辺空間整備が行われていたが、結果的に市民にとって近づきにくい場所しまう所もある。
    近年、都市における水辺空間は、緑地とともに都市の中の貴重な自然空間として評価されつつある。また、地域振興の資源としても注目され、市民が水辺空間に近づこうとする動きが活発になってきている。このとき、これまで行政が進めてきた水辺空間整備のあり方に市民が気づくことになる。このような市民の活動に合わせるように行政施策の転換が求められるようになっている。 このように、市民の観点から水辺空間を環境資産として評価し、積極的に利活用しているNPO団体が増えてきており、こうしたNPO活動から得られる知見が行政施策に反映されることも考えられる。 本稿では、水辺空間が豊富にありかつNPOによる水辺空間利用が盛んな江東区を事例として、市民によって水辺空間の環境資産として再生していく過程を整理することを目的とする。
    2.江東区における水辺空間の環境資産形成の主体
    江東区は荒川水系下流のデルタ地帯にあって、江戸時代より埋立が行われ、掘割や運河は一部埋め戻されたが未だ多くの水面が存在する。水運とともに育まれた伝統文化や下町人情等の地域文化は依然残っているが、マンション開発により新しい住民が増えつつある。水質汚濁も改善されていて、水辺空間が地域の資源として見直されてきている。
    2-1.水辺を区分している縦割り行政
    公物を管理している港湾行政、河川行政が存在し、それぞれ利用の制限・促進の基本的考え方が異なっているが、市民利用を促進する理念を含む法体系に変わってきており、利用のバランスを合理的に図る仕組みが必要となっている。 一方、総合企画系の部局により、地域振興や観光振興などに水辺を活用した方策を検討している。これらの事業の推進には、市民の協力が不可欠との認識から積極的に市民活動への支援を検討している。
    2-2.水辺を利用する市民団体
    水辺の市民利用には、大別して2つの側面があると思われる。1つはイベント等を通じて水辺利用を推進し、多くの市民に水辺空間の良さをPRしようとする市民活動が存在する。もう一つは、都市に残された貴重な自然的空間として水辺空間を認識し、その水質保全や生態系保全などを目的とした環境保全推進活動が行われている。 これらの市民活動は、実施に至るまでの過程の中で縦割りにされた行政部局間の行き来があったり、また地域の一般市民への参加呼びかけなどの活動も伴っている。
    2-3.水辺空間の価値を経済的に利用する企業・商店街
    水害や水質汚濁などの過去の体験により、水辺空間を遠い存在だと感じていた地元商店街等は、NPOの声掛けによりその価値を理解し始めてきた。それは、水辺を活用することにより来訪者が増え、商店街が活性化するという期待感を持っていることによる。 また、臨海部の大規模跡地を中心に、開発事業者により水辺空間をアピールする不動産開発が進行している。ただし、乱開発によって街全体の価値が下がることを防ぐために開発者間の調整を行うまちづくり協議会が存在する。
    3.水辺空間利用を検討する新しい恊働の仕組み(運河ルネッサンス)
    本来、水面は公共物であり特定の者が排他的に使用することは原則認められていない。しかし、水辺空間を地域の環境資産として利用しようとするとき、その制約が大きな壁となる。これに対して、東京都では、地域の各主体から成る協議会を認め、協議会により提案される水辺空間の公平性のある利用について規制緩和を行うという施策が始まった(平成19年)。協議会という形式を採用することで、特定者の利権を排除して公共性を高める工夫となっている。
    4.水辺空間の管理と利用
    河川、港湾、その近傍の陸域からなる水辺空間は公物であるという観点から、市民がその管理計画に参加する機会は少なかったが、近年は行政計画への参加の場が増えつつある。一方で、実際の利用の現場では公的利用に限定されており、商業利用と結びつけたまちづくりへと発展していくには制度的な障害も残されている。 公物が有効に利活用されるために、市民の参加による計画づくりが重要であると同時に、市民が公平に利用されやすい制度づくりも重要である。公物の利用についても、協議会方式などの公平な利用を担保できると考えられる方式などが考えられる。
  • 井関 崇博
    セッションID: S205
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    1.はじめに 世界遺産条約採択から35年が経過したが、この制度に関して、再考する時期にきているように思われる。遺産登録による弊害というローカルな次元での問題だけでなく、世界遺産委員会での新規登録審査において、登録基準が厳格に適用されるようになる一方で、1994年の世界遺産のグローバル戦略を受け、登録物件の地域間格差を是正するために世界遺産非保有国による申請を優先的に審査するようになり、わが国における新規登録が難しくなってきているからである。その傾向は2008年の平泉の登録延期決定によって内外に示されることになった。現在、関係者間でこれをどのように受け止めるべきか検討されているところであるが、本報告ではこのような背景を踏まえ、世界遺産という社会現象の構造と動向をその担い手に着目して整理し、今後の世界遺産のあり方について検討する。 2.世界遺産に関わる三つの担い手 世界遺産には三つの担い手が存在する。まず、世界遺産(制度)の運営者である。世界遺産委員会や世界遺産センター、専門家等からなり、ユネスコの趣旨に則り、戦争や開発行為から守らなければならない自然・文化を顕著な普遍的価値を有するものとして世界遺産リストに記載し、締約国にその保護を義務付けるとともに、保護能力の低い締約国内に存在する世界遺産を国際的な枠組みで保護していこうとする。第二は、経済と文化のグローバル化の結果、世界遺産リストに記載されたさまざまな物件を消費の対象として楽しむ観光客やメディアのオーディエンスである。その多くが富を有する先進国の住人であり、その動向は世界遺産のあり方に影響を与えている。そして、第三の担い手は、個々の世界遺産の管理者である。誰が世界遺産物件の管理者かはそれ自体、大きなテーマであるが、ここで運営者と消費者の両方の要求を踏まえ、実質的に世界遺産の管理を担う地元社会、あるいは登録前に世界遺産への登録を目指す地元社会、としておく。世界遺産現象はこの三つの担い手の思惑が交錯する中で展開している。 2000年代中頃までは、この三つの担い手は利害が一致し、遺産リストを増やしてきた。運営者は保護すべき物件を確保するため、管理者は観光客を誘致して地域づくりを進めるため、また、消費者は従来のマス・ツーリズムとは異なる知的観光の対象を確保するためであり、三者は相互補完関係を形成していた。 しかし、前述のように世界遺産の運営者は、世界遺産リストの公正性と信頼性を確保するという目的から、審査を厳格化し、非保有国の申請を優先的に審査し、また、先進諸国には存在しなくなっている自然遺産の登録を奨励するようになった。また、先進国の一般的な消費者がこれら新規に登録されるややマイナーな世界遺産、特に文化的景観というやや難解なカテゴリにどれほど観光的な関心を示すか不明である。世界遺産制度の本旨に沿うにしても、先進国内の管理者と消費者の意向に反することが、補完関係を崩し、制度全体の停滞を招かないか、危惧される。 他方、各締約国内では、自国の自然・文化の中に世界遺産の観点からの序列が形成されてしまっている。すなわち、登録物件、暫定リスト物件、暫定リスト記載を検討物件、暫定リストへの記載の見込みなし、である。ここには世界遺産(候補)の管理者間に実質的な不公平が発生している。世界遺産条約は、登録されないことを、普遍的価値がないものと解釈してはならないと規定しているが、管理者や消費者の視点からは、この序列は物件の優劣として受け取られても仕方のない状況となっている。 3.世界遺産のネットワーク化  以上の問題は構造的なものであり、解決は容易ではないが、ひとつの打開策と思われるのが世界遺産のネットワーク化である。グローバル化の時代において、地域の自然・文化の世界的な位置づけを模索する世界遺産の試みはきわめて重要と考える。しかし、すべての国、地域が闇雲に世界遺産登録を目指したのならば、その数は膨大になり管理不能となるに違いない。そこで、これを単に登録物件数の問題に帰着させず、意味的な関連性から県境、場合によっては国境を越える自然・文化をまとめてネットワークとして世界遺産登録することによって裾野を広げる方法がありうる。ネットワーク化の方法はさまざまであり、既存の複数の世界遺産を統合するというものもあるかもしれない。その狙いは、管理者にとって極めて遠い存在である世界遺産委員会から認定されるというだけでなく、類似する地域、関連する地域の間での管理者間の文化交流を促進するという点にある。
  • 山本 佳世子
    セッションID: S206
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
    会議録・要旨集 フリー
    今日の環境問題には様々なものがあり,地球温暖化やバイオ燃料の例にみられるように,環境問題はそれだけにとどまらず,国際問題や経済問題など他の諸問題の原因ともなっている.このように多様な環境問題が生じている現代社会では,「環境」という言葉が多く使われているが,「公害」という言葉はあまり使われなくなっている.しかしながら日本の代表的な公害の一つである水俣病については,2004年10月になってやっと,損害賠償請求訴訟として唯一継続していた水俣病関西訴訟について最高裁判所の判決が言い渡されていた.これらのことから「公害」は過去に既に終了したものではなく,現在まで継続しているものであるといえる. 本研究は以上で述べた視点から,日本の公害と環境問題との関連性,公害の変質について概観したうえで,報告者が学部学生を対象として実施した意識調査をもとに,未来世代の中心となる若年層のへの公害と環境問題からの学習の必要性について示すことを目的とする.
  • 中台 由佳里
    セッションID: S301
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    _I_ はじめに
     ポーランド カルパチア地域の山地集落では,零細な農牧業が主な生業であり,森林の自然資源を採集する複合的な生業によって生活維持を図っている。主な生業は単純再生産に近く,収穫量は気候の影響を大きく受ける。各世帯から一人以上は国内外への出稼ぎに出ているが,集落内に店舗はなく,生活の基盤はほぼ自給自足といえる。しかし豊富ではない自然資源を充分に活用するためには,他の要因が推定される。本発表では,森林の持続的な利用と拡大家族について焦点をあてる。
    _II_ 調査集落と調査方法
     調査地域であるカルパチア地域の山地集落バランツォーバは,ポーランド南部マウォポルスカ州ザヴォヤ村にある,世帯数34の集落である。主に,3世代世帯を中心に拡大家族が加わった構成であり,人口は流動的である。
     集落の成立は,移牧民の季節的な作業小屋に始まり,移住時期にから成立時期は3期に分けることができる。定住はオーストリア・ハンガリーの管轄にあった19世紀半ばから始まり(第1期),人口圧による低地からの移住者が定住したと考えられる。集落の名の起こりはこの初期定住者の名に因むものであることが,発表者の2005年の全戸調査により判明している。
     調査方法は,2001~2006年に実施した聞き取り調査とポーランド語による全戸に直接手渡したアンケート調査,参与観察である。
    _III_ 山地集落の持続的な生業構造
    1)天然資源の利用
     冷涼な気候により耕作期間が短く,細分化された農耕地が点在するため,農牧業の収穫の大半は自家消費に充当される。生業における性差も若干見られ,男性による薪作りは夏季の重要な仕事である。1847年に締結された共有地使用令により,現在もその子孫たちはバビア・ゴラ国立公園内で許可を受けた場所で,無償による薪用の樹木の伐採権を保持している。樹木は,許可を与えるバビア・ゴラ国立公園事務所によって,伐採が管理されている。
     副食品として夏季には,木の実のジャム,ピクルス,乾燥キノコや,キノコの瓶詰め,ハーブティー作りが冬季保存食用の女性だけの作業である。採集してくる場所は共有地か数多い耕作地周辺であり,次年度のことを考慮して根絶しない使用を行っている。この保存食は,贈答品や労賃として現金代わりの役割も担う。
    2)拡大家族間ネットワークの活用
     バランツォーバでは農業の機械化が遅れ,失業した拡大家族は自給自足に近い農牧業の労働力として受け入れられる。そのため,世帯人口は変動が大きい。最大の農牧業の担い手である農耕馬を拡大家族集団ごとに保有し,構成員が所有する耕地を交代で耕作し合う。労働力の見返りは昼食や保存食で,現金は支払われない。
     国内外への出稼ぎも世帯に一人以上の頻度でみられるが,出稼ぎに出る際の情報や若者の配偶者の紹介もこの拡大家族間で頻繁に行われる。冬季の休耕期は拡大家族間の結束を強化する時期であり,保存食を持っての行き来が活発に行われている。また最近では急激に減少しているが,1世代前までは樹木から家屋や家具,食器に至るまで,拡大家族ごとに作成されていた。
    _IV_ おわりに
     公的援助が期待できず,市場経済から離れた地域では,零細で不安定な農牧業を補うために,天然資源を積極的に利用している。その上で,拡大家族間のネットワークを用い,相互扶助により,畑作労働の確保から保存食の交換に至るまで,無駄の少ない生活維持を継続している。森林の副産物としての天然資源の持続的な利用を可能にしている要因を考察するには,利用方法だけではなく,活用している住民間の繋がりに焦点をあてる必要があるといえる。
  • 齋藤 暖生
    セッションID: S302
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    1.日本における「森とヒト」の近現代
     明治以降、日本の林野政策は、ドイツからの輸入学問として発展した林学によって形作られてきた。その特徴は、林野の資源として木材を限定的に想定した点にある。その必然として、木材生産による収益拡大のために、「ヒトなき森」が指向された。すなわち、旧来、人々が林野で展開してきた様々な生業が、木材生産の障害になる、もしくは低生産な土地利用である、という理由でたびたび排除されてきた(筒井1978)。こうした数々の政策は、「森とヒト」の関係を単純化した。
     この潮目が変わったのが、昭和40年代である。行き過ぎた人工林化と開発への反動から、希少な生物の生育環境、水源涵養、保健休養の場として林野の価値が再認識された。林野政策は、林野が木材生産のみならず「公益的機能」を発揮することを目指すようになった。具体的には、果しうる機能によって森林を区分(ゾーニング)し、区分ごとにその機能の充実が図られる。「森とヒト」のつながりは再び多様化しつつある。しかし、ここで多様化している森とヒトのかかわりとは、半ば観念的であり、社会にとっての便益としてどれほど実体的なかかわりが創出されるかは疑問が残る。
    2.方法としての低生産な生業への着目
     かつて、低生産と烙印を押された生業がある。当然ながら、これらの生業は人々にとって意義があるゆえに存続し、森とヒトの多様な関わりの一介として複雑に編みこまれていた。本稿は、主に東北地方における山菜・きのこ採りの意義と、資源供給の仕組みを回顧することにより、「森とヒト」の関係構築への示唆を引き出す試みである。
    3.山菜・きのこ採りの意義と存立背景
    1)意義
     山菜・きのこは、多くの場合、商品化されずに消費されるにすぎないが、食材として高い評価が与えられ、地域の食文化をはぐくんできた。また、その採取活動は、かけがえのない楽しみともなっている。こうした価値を背景に、おすそ分けなどを通して密接なコミュニケーションの媒介となっている。山菜・きのこは、商品とならなくとも、地域の文化と社会の形成・維持の一端を担う資源である。
    2)存立基盤
     山菜・きのこは、原生的な林野で採取されることは少ない。他のなんらかの生業による植生改変が山菜・きのこ資源の供給に大きく関与している。
     ワラビやフキなどの山菜は最も人家に近い領域で供給される。定期的な草刈りがこれら山菜のハビタットを維持する。かつては緑肥採取、屋根葺き材採取、牛馬飼養がその役割を果す主な生業であった。
     マツタケやホンシメジなどのきのこは、比較的人家に近い、林齢の若い山林で供給される。中長期的に繰り返される灌木の除伐および高木の伐採がハビタットを維持する。この背景には、薪・焚き付けの採取や製炭など、木質燃料を得るための生業があった。
     奥地の山林の山菜・きのこであっても、他生業によるインパクトによってハビタットが形成されることがある。木材収穫、薪炭材の伐出が行われた跡地は、3年ほど放置された後の数年間、山菜・きのこの好適な採取地となりうる。
    4.ヒトと森の関係を紡ぐ鍵
    1)資源供給システムとしての林野
     林野の資源の多様性を支えてきたのは、複雑に絡み合った生業の存在である。ここに、ゾーニングの効果のほかに、同所的に生業が重複する(レイヤリング)効果、遷移によってハビタットが生成する(シフティング)効果が認められる。
    2)資源観
     低生産とされる生業も、人々の日常生活にとってかけがえのない意義を持っている。すなわち、文化的側面・社会的側面で有意義であり、また、副産物を生むことで他の生業を支える。豊かな「森とヒト」関係の構築には、経済的には捉えられない、こうした資源の意義の認知が必要であろう。
    文献
    筒井迪夫(1978)日本林政史研究序説.東京大学出版会
  • 吉田 圭一郎
    セッションID: S303
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
    会議録・要旨集 フリー
    I はじめに

    パンタナール(Pantanal)は,南米大陸のほぼ中央に広がる面積約23万km2の熱帯湿原である.気候は雨季と乾季が明瞭に分かれており,雨季にもたらされる多量の降水が河川の氾濫や地下水位の上昇を引き起こし,季節的に浸水域が拡大して,大規模な熱帯湿原が形成されている.この湿地生態系はその貴重さが高く評価されており,ラムサール条約およびユネスコに自然遺産にその一部が登録されている.
    パンタナールでは多様な自然環境を巧みに利用した伝統的な湿地管理システム(賢明な利用;wise use)が確立しており,18世紀後半のヨーロッパ人による入植以降,季節的に大草原が出現する氾濫原(flood plain)を放牧地として利用する伝統的な牧畜業が営まれてきた(Schessl 1999).しかし,とりわけ1990年代以降,牛肉市場価格の下落や遺産相続による土地の細分化にともない伝統的な牧畜業が衰退しつつあり(Alho et al. 1988),また外部社会による一方的な環境保全策が導入されたことで,熱帯湿原の自然環境とその持続的な利用形態に変化が生じつつある.
    ここでは,まずパンタナールにみられる多様な植生景観の形成過程に対する人為的な影響について述べ,次に湿地保全を目的として導入された環境保全策によるパンタナールの森林植生の変化について報告する.

    II パンタナールにおける植生景観の形成過程

    パンタナールの多様な植生景観は,これまで主として微地形と河川水位の年変動によって説明されてきた(e.g., Prance & Schaller 1982).しかしながら,パンタナールでは自然環境を利用した伝統的な牧畜業が営まれており,家畜の放牧が植生に与える影響は小さくない.Cunha & Junk(2004)は,草原の一部をフェンスで囲い放牧圧の影響を排除すると,木本種が侵入して植生が急激に変化することが報告した.また,放牧の影響が無い場合には,ウキアゼナ属(Bacopa spp.)やハイリ属(Eleocharis spp.)の出現頻度や被度は小さくなることが報告されているが(Pott & Pott 1997),放牧に利用されている草本植生ではその出現頻度や平均被度が高くなっていた(吉田,未発表).さらに,非浸水域では水位が上昇する時期の牧草地を確保するため,火入れ,伐採,巻き枯らしといった人為的な攪乱により樹木の侵入が妨げられていた(Yoshida et al. 2006).
    これらのことから,現在のパンタナールにおける多様な植生景観は,河川水位の季節変動や植生遷移などといった自然システムだけでなく,それらと共に伝統的な湿地管理システムに基づく人為的な影響を受けて成立したと考えられる.

    III 環境保全策による湿地周辺の森林植生の変化

    パンタナールのタクアリ川流域では,地域住民が季節的に形成され下流域に洪水をもたらす自然堤防の亀裂(Boca)を定期的に修復し,河川水の過剰な流入を防ぐことで乾季に良質な天然草原を確保してきた.しかし,1992年以降,本来の湿地生態系を取り戻す目的で,この自然堤防の亀裂の人為的な修復が法令により一方的に禁じられた.1992年以降に自然堤防の亀裂の下流域では水位が上昇し,恒常的な浸水域が拡大した.
    この環境保全策による洪水属性の変化は伝統的な牧畜業を営んでいた地域住民だけでなく,保全の対象であった湿地生態系にも影響を与えていることが分かってきた.南パンタナールのパイアグアス地区では,地域住民が上流の自然堤防の亀裂を管理していた時には,現在よりも水位が低く,湿地内の微高地には木本種を中心とした植生が成立していた.しかし,1992年以降の浸水域の拡大にともない,それら微高地に成立した林分は急激に衰退する傾向にあり,構成する樹木が枯死し,草原に変化するものがみられた.

    IV おわりに

    パンタナールの植生景観は,伝統的な湿地管理システムのもとで,自然環境と人間活動とが調和した上で成立してきた.しかし,近年では様々な外因により,伝統的な湿地管理システムが失われ,その結果として熱帯湿原の自然環境の劣化や伝統的な牧畜業の衰退が生じている.今後は,これまで軽視されてきたパンタナールの伝統的な湿地管理システムを評価し,これに立脚した熱帯湿原の保全と利用を現代の経済・社会システムの中で再構築する必要があろう.

    本研究は平成16~18年度科学研究費補助金「ブラジル・パンタナールにおける熱帯湿原の包括的環境保全戦略」(基盤研究B(2),No. 16401023,代表:丸山浩明),平成19~22年度科学研究費補助金「ブラジル・パンタナールの伝統的な湿地管理システムを活かした環境保全と内発的発展」(基盤研究B(2),No. 19401035,代表:丸山浩明)の補助を受けた.

  • 横山 智
    セッションID: S304
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    ■はじめに
     その土地に適した技術、そして休閑期間を保てば、焼畑は森林破壊を引き起こすことはなく、持続的に営むことができる農法である。しかしながら、伝統的な焼畑は、次々と姿を消し、商品作物を栽培する常畑、プランテーションや植林地などに変化している。本研究では、東南アジア大陸部のなかで、現在でも主食のコメを自給する伝統的な焼畑が見られるラオス北部を事例に、消えゆく焼畑の要因を探ってみたい。

    ■焼畑陸稲作の減少
     ラオス北部の焼畑での陸稲収穫面積は、1980年の19万haから2006年には半分以下の8万4,000haに減少した(図1)。その一方で、水稲と畑作物の収穫面積が増加している。山地が多いラオス北部では、新たな水田を造成できるような場所は限られるため、水稲の収穫面積の拡大は、盆地部での灌漑施設整備による面積拡大によるものである。したがって、山地部における焼畑減少は、新たな水田造成によって、水田水稲作へと移行したものではなく、焼畑から常畑での畑作に土地利用が転換したと考えるべきである。
     畑作は2003年以降、大きな伸びを示し、その勢いは右肩上がりで続いている(図1)。この時期に導入された作物は、中国輸出向けのハイブリッド種のトウモロコシである。多くのトウモロコシ畑は、かつて焼畑が行なわれていた比較的緩い斜面の土地であった。また、図1では示していないが、ラオス北部で焼畑が実施されていた山地部では、近年になってパラゴムノキ植林も急増している。2006年の北部の作付面積は約1万6,000haあまりであるが、2010年までに約12万haへと拡大する見通しである。

    ■経済と政策
     焼畑が消えていく要因は、決して生態学的に焼畑が維持できなくなったからではない。中国による飼料作物の需要増加や自動車普及にともなうゴムの生産増加といった経済的要因によるところが大きい。
     しかし、経済的な要因だけで、焼畑が消滅したのではなく、その背景には、1990年代中盤以降から実施された政府の土地政策、すなわち森林区分や土地森林分配といった事業があった。またゴム園の場合、ラオス政府が企業にコンセッションを与えて大規模な経営を誘因したことも原因である。これまで、村を単位に慣習的な土地利用を実践してきたラオスの山地部では、村の境界を定め、さらに境界内を森林と農地に区分し、そして農地は各世帯に分配する事業が全国で実施され、事実上、村を単位に焼畑を実施することが困難になった。これは、「焼畑安定化」(焼畑面積をこれ以上拡大させないという意味で政府が使用する用語)を目的に立案された政策であり、その実施には、ODAや国際NGOなど、海外の支援機関も大きく絡んでいる。
     実際、中国国境と接する地域では、土地が分配された直後にピーマンのような園芸作物の契約栽培が多くの村に導入され、パラゴムノキのみならず、土地という資源を求めた中国の進出が続いている。

    ■焼畑の価値
     筆者のこれまでの調査では、焼畑を営む村では、焼畑耕地から二次林に至るまでの植生遷移の各段階において、その生態環境から採取できる有用植物を利用していた。焼畑の実施によって生活が支えられていたと言っても過言ではない(図2)。商品作物やパラゴムノキの導入によって、当面の現金収入は保証されるが、伝統的な植物利用の習慣は無くなり、焼畑を営んでいた環境から採取していた植物も消える。現金収入による生活改善のほうが大切なのであろうか。
     焼畑を実施する住民にとって、資源とは「農産物や有用植物」のことを意味しているが、政府や中国にとって、資源とは商品となり現金を産む「土地そのもの」であり、焼畑によって得られる地上の植生はあまり気にかけられない。消えゆく焼畑をめぐっての議論は、資源の捉え方をめぐる政治生態学的な視点からのアプローチが有効であろう。
  • 祖田 亮次
    セッションID: S305
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    マレーシア・サラワク州では,1980年代後半~1990年代半ばにかけて,商業的木材伐採による森林破壊が,先進諸国や環境NGOによって激しく批判・糾弾された。こうした批判を受けて,1990年代半ば以降,サラワクの木材生産は激減し,その一方で,政府はプランテーション開発に力を入れるようになった。 過去10数年のサラワクにおけるプランテーションの拡大には,目を見張るものがある。そして,こうした開発は,従来の商業的木材伐採とは根本的に異なる部分で,先住民社会を圧迫している。具体的には, 1.木材伐採の場合は,貧弱であるとはいえ森林が残るが,プランテーション開発の場合は,既存の森林の皆伐が前提となり,焼畑民や狩猟民たちの生活基盤が根本から崩されうる。 2.プランテーション開発は,土地所有関係の確定を前提とするが,内陸部は未測量の土地がほとんどで,政府・企業と住民との間で土地紛争が頻発している。 3.木材伐採の場合は,「半熟練労働」ともいえる就労の機会が豊富に提供されていたが,プランテーション開発では,単純労働力のみが要求される。そのため,サラワク先住民よりも安価なインドネシア人労働者が組織的に導入され,先住民にとって内陸部における就業機会が激減した。 当日の発表では,これらのプロセスを具体的事例に基づいて紹介する。
  • 佐藤 廉也
    セッションID: S306
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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     この報告では、エチオピア南西部の森林地域に居住し焼畑・採集・狩猟を営む集団(マジャンギル)を事例とし、20世紀前半期から現在にいたる資源利用、森林・サバンナ植生、人口(出生力)、集落パターン、集団間関係の通時的変化をいくつかの画期を設定して概観し、各時期の様相を規定する諸要因について考察する。
     マジャンギルはエチオピア南部高地と低地サバンナのはざまに分布する常緑熱帯林にもっぱら居住し、森林域での焼畑・狩猟・森林産物採集活動によって生計をたてる人々である。高地草原や低地サバンナに住む隣接民族とははっきり異なる、森林に依存する資源利用・生業戦略をとってきた。森林に住むようになった歴史的深度は不明だが、サバンナや高地の隣接民族との関係のなかで森での生活にニッチを占めるに至った集団であると考えられている。
     1960年代までのマジャンギルは、2~10世帯ほどで構成される小集落に居住し、頻繁な集落放棄・移住によって移動性の高い生活を送っていた。集落移動は焼畑地の休閑と植生遷移を促し、持続的な森林植生の形成に大きな影響を与えていた。ただしマジャンギルの集落移動は、森林の持続的利用を目論んでなされるわけではない。過去に集落放棄の原因となった出来事を調査した結果、その多くは社会的な軋轢(氏族間・民族間の紛争、奴隷交易、呪いなど)を原因とするものであったことがわかっている。氏族、民族間関係やエチオピア政府との不安定な関係のあり方が、頻繁な移動生活を促し、その結果として現存の森林植生の成立に影響を与えていたのである。
     以上のようなマジャンギルの状況は、1970年代末からはじまったエチオピア社会主義政権の定住化政策によって大きく変わった。小集落を形成してきた人々は定住性の高い人口数百人の大集落をあらたに形成し、焼畑は大集落周辺に限っておこなわれるようになり、いっぽうでかつて森林域に広く分布していた焼畑伐採地の多くは森林に還っていった。このような「移動性の高い分散型の焼畑」から「定住度の高い集中型の焼畑」への変化は、主として従来の集落移動を促していた様々な社会的軋轢が緩和されることによって生じたものであるといえる。民主化や民族自治が新政権に標榜されるようになる1990年代以降になると、さらに定住村の規模は拡大し、それに伴って土地利用や集落景観は大きく変貌し、市場経済への依存度も急速に増していった。定住化の受容を引き起こした要因は治安状況をはじめとする社会的軋轢の解消にあったが、ひとたび定住化がすすむと森林と人との関係はあらゆる側面において連鎖的な変容を引き起こしたとみることができる。報告では、これらの連鎖的な変容の実態を紹介・検討する。
  • 宮城 豊彦
    セッションID: 101
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    平成20年6月14日の午前に、岩手・宮城両県に跨る奥羽山脈東麓に発生したM7.2の内陸直下型地震は、ほぼ余震域の範囲に極めて多数の斜面災害を発生させた。この内、宮城県栗原市荒砥沢ダムの上流で生じた地すべりは極めて大規模で、その規模は1.3km、0.9km、想定深度100m内外、移動土量が7000万m3に達し、本邦最大規模の破壊的な巨大地すべりであった。この地すべりは、その規模のみならず、運動様式や地形変形の点で、山地災害の典型であり、かつ地すべりによる地形変形を理解する上で多くの示唆的な情報を提供すると思われる。本報告では、特にこの巨大地すべりに焦点を絞り、地すべり発生の実際、変形・運動・地質条件などの諸点について、これまでに分かってきた事実の報告を行う。
  • 清野 茂
    セッションID: 102
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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     2008年6月14日の岩手・宮城内陸地震では大小様々な地すべりが発生した。そのうち宮城県・荒砥沢ダム上流部の地すべりは大規模であり、全長1.3km、幅0.9km、滑落崖最大比高148m、最大移動層厚150m、移動土砂量7,000万m3に及び、日本最大規模であると推定されている1)。  演者は当該地域の河川水、湧水などの水質調査を実施してきた。そこで、これらの水質特性を明らかにして、大規模地すべりとの関連性を検討する。
  • 檜垣 大助, 八木 浩司, 佐藤 剛, 橋本 修一, 加藤 晃
    セッションID: 103
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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     平成20年岩手宮城内陸地震では多数の斜面変動が発生したが、それに伴って亀裂や小崖も多数形成された。それらは、地表地震断層に沿って集中しており、その形成原因について検討した。
  • 今泉 俊文, 石山 達也, 大槻 憲四郎, 中村 教博, 越谷 信, 堤 浩之, 杉戸 信彦, 廣内 大助, 丸島 直史, 三輪 敦志
    セッションID: 104
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    1.はじめに  2008年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震(Mj 7.2)の震源域である岩手県一関市および宮城県栗原市において,地表地震断層の有無を確かめるために,地震発生直後から何日かに分けて調査を実施した.その結果,地変は真打川左岸にあたる一関市餅転(もちころばし)付近から磐井川両岸の同市本寺付近を通過し,同市落合南方付近までの南北約10 kmの区間で断続的に確認された.以下,その概要を報告する. 2.調査結果  地表変位は,佐藤ほか(2008)の指摘どおり,遠地実体波の解析結果(引間,2008)から,大きなすべりが求められた領域と良好な一致を示し,大局的にみて餅転-細倉構造線(片山・梅沢,1958)に沿って出現したとみられる.変位は,概ね西上がり(西傾斜の逆断層)と見られるが,一部区間では,東上がりの変位が特に顕著であった. 1)東上がりの地変:一関市枛木立(はのきだち)では、典型的な地表変位が確認される(写真1).ここでは水田に最大比高約50_cm_の東上がりの小崖地形(撓曲崖)が出現した.水田は田植え後で全面に水が張られていたので,相対的に隆起した部分で水が干上がったり,逆に沈降した部分では稲が水没するなどの様子が確認された.    地震発生の翌日に撮影された空中写真(国土地理院)では,干上がった水田の様子が確認される.小崖地形はさらに北側に続き,隣接する駐車場ではモールトラック状の開口割れ目などが認められた.さらに枛木立北の林道北側の水田にも東上がりの地変が認められた.一方,小崖地形は南に隣接する牧草地に連続し,小猪岡川右岸のコンクリート用壁の破断(東上がりの衝上断層)を経て,県道49号線を横断する.さらに県道南側でも水田を横切る東上がりの小崖地形が認められ,上記と同様に隆起側で水田が干上がる様子が確認された.小崖地形は隣接する民家の基礎部分を食い違わせるが,さらに南側では斜面崩壊による崩積土に覆われて小崖地形は確認できない. 2)西上がりの地変:枛木立付近を以外の場所では,概ね西上がりを示した.これらは本震の震源解や余震分布などから推定される今回の震源断層(西傾斜の逆断層)と整合的である.西上がりの地変では,見かけの上下変位量はいずれも20 _cm_程度ないしそれ以下と見られる.例えば,一関市本寺,磐井川と産女(うぶすめ)川合流点付近では,取水賂に亀裂や短縮変形が認められた.フェンスと手すりは水平短縮により湾曲しており,支柱のパイプがはずれている.また,取水溝の側面は著しい座屈変形を被っている.ここでは取水溝の底と側壁の亀裂から,水平短縮量を20 cm程度,上下変位量を西上がり 10_cm_程度と推定した.また,圧縮変形がみられる取水溝の西側,磐井川左岸では,ほぼ水平の新第三系凝灰質泥岩・砂岩を切る小断層が観察された.ずれの量は非常に小さく,走向はおおむね北北東走向,約30ºで北西に傾斜する.これらの地層は10 º未満で東側に傾斜する.ただし,これらの小断層群と地変の関係は現時点では明らかではない.  また,一関市同市落合,蛇沢沿いの市道では,舗装路面および側溝の圧縮変形を伴う西上がりの小崖地形が見出された.側溝の短縮量は約10_cm_,上下変位量は約12_cm_である.この道路の南にある水田の北西側が干上がっており,西上がりの地変を示している.このほかに舗装道路の褶曲変形も認められる.  このように,これまで地変が確認された場所は,主として段丘面・谷底面などの沖積低地面や,道路・水路などの人工構造物である.一方,丘陵地(尾根・斜面)では崖崩れ・亀裂などはあるものの,明確な断層地変を確認することは現状では困難である. 3.課題  今回の地震は,過去の断層活動によって形成された断層変位地形(活断層)が,地震以前に確認されていなかった.  また,これまで発生した内陸地震の規模に比べて,今回地表で確認できる断層変位量は極めて小さかった.震源付近のすべり(断層変位)が,地表に十分に達していないと考えられる.今回の震源域の地殻構造は,中新世に形成された餅転-細倉構造線を含む北部本州リフト系による背弧海盆の拡大と後期新生代の大規模なカルデラ形成によって改変を受けている(佐藤ほか,2004).これらの地質学的イベントは本地域の地殻構造の力学・温度条件に擾乱を与えており,その影響は現在も地震学的観測から検出される(吉田ほか,2005).このような東北日本背弧域の新生代テクトニクスに起因する地殻・マントルの力学・温度構造が,当地域の地震発生様式,ひいては東北地方の活断層の分布に影響していることは確かである.
  • 鈴木 康弘, 渡辺 満久, 中田 高, 小岩 直人, 杉戸 信彦, 熊原 康博, 廣内 大助, 中村 雄太, 丸島 直史, 島崎 邦彦
    セッションID: 105
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    1.はじめに
     2008年岩手・宮城内陸地震は事前に活断層の存在が確認されていなかった地域に発生した。そのため、「未知の活断層」や「古い地質断層」が起こしたという憶測も流れた。一方でこの地域は、1万分の1レベルの航空写真を用いた詳細な写真判読が行われていない地域でもあり、活断層の存否を急遽再確認する必要も高かった。このような背景を受け、筆者らは地震発生直後から現地調査を行い、地表地震断層調査を行うとともに、1976年撮影の航空写真を用いた活断層判読、およびトレンチ調査を実施した。
    2.地震断層
    (1)一関市厳美町はの木立および落合周辺の約3kmの範囲に、地表地震断層が断続的に認められた。
    (2)はの木立地点では、小猪岡川付近において水田が北東上がりに約30~40cm以上撓み上がり、隆起側(上盤側)にバックスラストとして、比高約40cmの逆向き(東側隆起)の地震断層が出現した。
    _(3)これ以外の地域でも他機関により地表変状が報告されているが、変位の累積性が確認でき、現時点で明らかに地表地震断層と認定できるのは上記の地域(およびその周辺)に限定される。
    3.活断層航空写真判読結果
     地震前(1976年)に撮影された国土地理院の航空写真を判読した結果、以下の点が確認された。
    (1)小猪岡川に沿う南北約3~4kmの範囲に断層もしくは撓曲による変位地形が分布する。
    (2)地震断層の分布と極めて対応が良い。
    (3)はの木立地点の逆向き断層による変位地形は極めて明瞭で、低位段丘にも累積変位が認められる。
    (4)以上のことから約3~4kmの範囲に活断層を認定できる。
    (5)ただし変位地形は全般的に不明瞭であり、一部を除けば、写真判読のみで、事前に活断層を確実に認定することは容易ではなく、認定には確認用の掘削調査が必要なレベルであった。
    4. トレンチ調査結果速報
    (1)第1地点(はの木立南)
     今回生じた地震断層の地下に、約80度で東に傾斜する逆断層面が確認され、段丘礫層および砂~シルト層に累積的な変位が確認される。深度2.5m付近に確認される_III_層堆積以降に今回を含めて少なくとも3回の活動が認定される。
    (2)第2地点(はの木立)
     明瞭な逆向き断層崖の基部において、基盤岩およびこれを不整合に被う低位段丘礫層が、湿地性堆積物の上に乗り上げる明瞭な逆断層が確認された。断層面の傾斜は約50度・東傾斜である。下盤側では湿地性堆積物の下位に低位段丘礫層が確認され、低位段丘礫層上面の断層を挟む高度差は2.5mに達している。低位段丘礫層堆積期以降、今回を含めて少なくも4回の断層活動が確認される。断層活動時期および変位量の詳細については年代測定結果が得られた後に報告する。
  • 高橋 誠, 田中 重好
    セッションID: 106
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    2004年12月26日、日曜日の朝、インドネシアのスマトラ島西海岸沖スンダ海溝のプレート境界で超巨大地震が発生した。震源の規模はマグニチュード9.2~9.3と推定され、過去100年間ではチリ地震に続く2番目の大きさであり、インド洋全域に、少なくとも20世紀以降の世界の地震による被害では、史上最悪の死者行方不明者25万人以上、被災者200万人以上をもたらした。人的被害の大部分は津波によるもので、死者の多くは、震源に近いインドネシアのスマトラ島北部のナングロ・アチェ・ダルサラーム州に集中し、この地域だけで死者行方不明者17万人ほどを記録した。被害額は州内総生産の5 %に当たる12億米ドルと試算された。その中でも州都バンダアチェ市では、アチェ州における総犠牲者の4割に及ぶ7万人ほどが犠牲となった。地域的スケールで見れば、津波ほど、被害が面的に起こり、それでいて被災地と非被災地との境界が明確で、両地域間の格差を生じさせる災害は少ない。バンダアチェでは、津波は最大10 mの高さに達し、海岸から5 kmほど内陸に到達したと推測されている。海岸付近の地区では、津波前にあった街は跡形もなくなり、大部分の建物が土台ごと流された。海岸線は10 m以上後退し、土地自体が消滅したところも少なくなく、地域の死亡率は90 %に達した。海岸から数キロに位置する中心市街地では、津波による直接的破壊というよりも、浸水被害が顕著であり、一方、もっと内陸の非被災地は全く無傷のままであった。私たちは、こうした被害の地域差が地域の微地形、土地利用や構造物と関連し、それらが無秩序な都市開発によってもたらされ、それゆえ復興過程に重大に影響する可能性を指摘した自然災害は、一般に、ある社会が長期間にわたって自然環境との間に取り結んできた相互関係の破局的な再編と見なされる。社会の側から見れば、破局の契機は通常の抵抗力を超えた外力にあり、その外力をもたらす自然イベントが災害因である。一方、危険な場所への立地や壊れやすい建物への居住、防災体制の不備といった劣悪な生活環境にある人々は、自然イベントの外力に対して抵抗力が弱く、被害を受けやすい危険な状態にある。この場合、破局の原因は社会の側にあり、通常の抵抗力の閾値が低いことが問題である。つまり、自然災害とそのリスクは、災害因の持つ物理的側面と、脆弱性と呼ばれる、それらの社会的条件との複合という観点から分析される必要がある。今回の史上最悪の津波災害は、史上まれに見る規模の超巨大地震が、東南アジアという人口稠密地域で起こったことに特徴がある。自然科学の場合は、数百年から千年に1度という異常な自然イベントが発生した自然的メカニズムの解明が目指される。また、土地や建物の物理的破壊の状況を明らかにし、地盤や構造物の安全性について議論することも必要であろう。それに対して、社会科学、あるいは人文地理学の研究においては、何を問うべきであろうか。ここでは、かつてないほどの被害がなぜ生じたのか、そして、それがどのような社会的要因と関わり、それらが被災によってどのように変化したのかということを問題としたい。実際、私たちは、今回の津波災害、そして、そこからの復興過程に、先述した地域の土地条件に加え、地方政府や地域市場、コミュニティや家族に関わる社会的条件が関係し、その背景に、低開発や貧困、紛争といった地元社会の抱える構造的問題が関わることを指摘した。それらに加えて、地元の人々が、津波が何かということを知らなかったという、極めて単純な事実に注目する。私たちの行った調査票調査によれば、被災前のアチェの人々には、「ツナミ」という言葉も、津波に関する科学的知識もなく、また、海から襲来する「イブーナ」に関するローカル・ナレッジも継承されていなかった。換言すれば、地元社会の災害文化に「地震=津波連想」が欠落していたことが、被害をこれほどまでに拡大させた最大の要因であった。本報告では、こうした脆弱な災害文化がもたらされた社会的背景を、名古屋大学の研究グループによる現地調査結果をもとに議論する。それとともに、コミュニティに立脚した津波対策の重要性を強調し、被災から3年間にわたるコミュニティや家族の再生の現状を紹介しながら、災害に強い地域づくりに向けた復興の課題を指摘する。
  • 工藤 美沙子, 高橋 咲保, 吉木 岳哉
    セッションID: 301
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    1.はじめに  岩手山の南東麓に位置する春子谷地湿原では、近年その東部において湿地林の拡大と湿原の乾燥化が懸念されている。湿原の北側に隣接して昭和39年から40年代前半にかけて放牧場が造成されており、放牧場を流域とする小河川から流入した土砂が湿地林拡大の原因と指摘されている。  本研究では、その近年拡大したとされる湿地林について、その樹種構成、樹齢構成の特徴を報告し、湿原域への湿地林の拡大過程を検討する。 2.調査地の概要と調査方法  湿原への土砂流出が指摘されている小河川は、実際には湿原に直接流入しておらず、湿原周囲の森林内で伏流する(Fig.1)。一方、湿原には、森林内に点在する湧水によって涵養された別の小河川が流れ込んでいる。この湧水によって涵養された小河川に沿って,湿地林が湿原に向かって舌状に延びている。  後者の小河川沿いをLine 1、前者の伏流する小河川の延長方向をLine 2とし、それぞれにおいて10m×10mの方形区、Loc.1~17、Loc.18~26を設定した。各方形区において胸高以上の木本すべてについて樹種を記録し、胸高直径を測定した。 3.結果  1)樹種構成  Line 1では、Loc.1からLoc.4までヤチダモが優占し、ハンノキやウワミズザクラ、イタヤカエデなども数本混在する。Loc.5からLoc.7はハンノキの高木が優占する一方、ヤチダモの低木が多く見られる。Loc.8より下流ではヤチダモがほとんど生育しないハンノキ林となり、湿原に近づくほどハンノキの樹高が低くなる。Loc.16より下流では樹木はほとんどみられなくなる。  Line 2では、Loc.18L、19、20Lでハンノキとヤチダモの高木が優占する。Loc.18R、20R、21、22LRでは最近堆積したと思われる土砂が地表を覆っており、ハンノキの高木と多数のハンノキ・ヤチダモの低木が見られる。なお、その土砂の中には多くの礫が含まれ、放牧場から流されてきた古タイヤも混じっている。  2)胸高直径  Line 1では、Loc.1からLoc.4ではヤチダモの胸高直径が大きいが、ハンノキが優占するLoc.5より下流では小さいものばかりになる。Line 2では、上流域ではヤチダモの直径にばらつきがあり、地表面を新しい土砂で覆われた地点では胸高直径10cm以下のヤチダモが目立つ。Line 1、Line 2ともに、ハンノキは湿地林の中心域から湿原側に向かうにつれて直径が小さくなる傾向がある。直径の大きいものは上流域において本数が少なく、立枯れや倒木が多くみられる。 4.考察  Line 1では、湿原側に向かうにつれてハンノキの直径が小さくなることから、時間とともにハンノキ林が拡大してきたことが示される。一方、Line 2でも同様の傾向がみられるが、最近に土砂が堆積した場所では若いハンノキも多くみられる。  調査方形区すべてにおいて、胸高直径30cm(樹齢約30年;高橋・工藤・吉木のポスター発表を参照)以上のハンノキは確認できなかった。上流域では直径の大きなハンノキに立枯れや倒木が多く観察された。このことから、調査地の湿地林を構成するハンノキは一定以上生長すると枯死あるいは自重によって倒れると推測される。ヤチダモはハンノキが高木として優占する中流域では直径が小さく樹高も低いが、上流域ではハンノキより優占し、生育状態も良好である。この湿地林は、先駆種であるハンノキを湿原側の限界として拡大し、ハンノキが上記の理由で衰退したのちヤチダモが優占する樹種構成に変化していると考えられる。
  • 吉木 岳哉
    セッションID: 302
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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     岩手県滝沢村の春子谷地湿原は,岩手火山の南東麓,標高約450 mにあり,湿原面積約16 haの県内最大の湿原である。岩手火山の山麓には広大な火山麓扇状地が発達するが,春子谷地は第三紀層のつくる山塊の背後に位置するため,浅い谷地形が扇状地堆積物に埋められずに残されている。湿原は地図上で「V」字型の形状をしており,下流側にあたる北東部では,岩手火山を開析する鬼又沢の火山麓扇状地による堰き止めが生じている。V字の屈曲部は狭窄をなし,そこを境として約6 haの西側上流域はミズゴケの高まりが点在する中間湿原,約10 haの東側下流域はスゲにヨシの混じる低層湿原の様相を呈する。BR 湿原の周囲は開発が進んでおり,南側には採草地と別荘地が隣接している。北側には,狭い森林を挟んで,昭和40年代前半に大規模に造成された放牧地が広がっている。湿原の北東側からは放牧地を流域とする小河川が流れ込んでいる。小河川は湿原との間に小規模な扇状地を形成し,径10 cm以上の軽石塊を含む土砂を堆積させている。小扇状地面上で水流は伏流しているが,多くの分流跡が認められる。一方で,火山麓扇状地の末端にあたる春子谷地北東部には多くの湧水が点在し,いくつかの小河川が涵養されている。湿原に流れ込む一本の小河川では,流路に沿って拠水林が発達する。BR  春子谷地湿原の縁辺部にはハンノキ・ヤチダモからなる狭い湿地林が分布するが,北東部では幅100 mを超えて発達する。この湿地林は米軍撮影の空中写真(昭和23年)ではごく狭く,昭和51年の国土地理院のカラー空中写真でも湿地林は多少拡大した程度にすぎないことから,最近30年間に急速な拡大をしたことが分かる。この急激な湿地林の拡大・湿原域の縮小の原因として,湿原北東側の放牧地からの土砂流入が指摘されている。BR BR  湿原西部の5地点においてボーリングを実施したところ,湿原堆積物の厚さは約6 mであり,基底の14C年代は約13,400年前であった(吉田・吉木2008地理学評論)。最下部を除き,堆積物は斜面からの流入土砂をほとんど挟まない泥炭層からなり,顕著な挟在層はAD1,686年の刈屋スコリア(Iw-KS)のみである。泥炭堆積速度は完新世初頭の約10,000年前から約8,000年前にかけて1 m/1,000年と速いが,その後は0.3 m/1,000年程度で安定している。BR  近年の土砂流入と急速な湿地林拡大が問題視されている北東部においても,合計14地点のボーリングと1地点での試坑掘削を実施した。それらのボーリングコア・試坑について,(a)層相・層序の記載,(b)AD1,686年のIw-KSとAD915年の十和田aテフラ(To-a)の層位の確認,(c)12層準での14C年代測定,(d)全コアの深度ごとの灼熱減量の測定,を行った。これらの結果に,鬼又沢扇状地の扇頂部での露頭観察結果(吉木・吉田2006東北地理学会春季大会)を加えて,湿原北東部の湿地林拡大の要因について,春子谷地湿原の地形発達史的な視点から,以下の結論を得た。BR BR 1) 春子谷地湿原では,約13,000年前の気候の湿潤化に伴い,浅い谷底で泥炭層の堆積が開始した。約10,000年前までは無機物の混入が多く,堆積速度も遅かった。BR 2) 約10,000年前以降,湿原堆積物の堆積速度が速くなるとともに,無機物含量の少ない泥炭層が堆積するようになった。鬼又沢扇状地堆積物による谷の堰き止めの影響が強まり,湿原が排水不良な環境にあったと考えられる。この環境は約8,000年前まで継続した。BR 3) 約8,000年前以降,鬼又沢のつくる火山麓扇状地の主流下方向が春子谷地から離れ,直接的な影響が及ばなくなった。代わりに,火山麓扇状地の端を流下する小河川が湿原の環境を支配するようになった。BR 4) 近年の土砂流入による湿原の湿地林化が指摘されている場所では,現在の泥炭層とは異なり,過去には砂礫が堆積する環境が繰り返し発生していた。また,多くのコアからヤチダモの根株とみられる巨大な材がしばしば産出することから,これらの場所では湿地林が成立することも珍しくなかったと考えられる。春子谷地湿原の湿原最拡大期は,つい数百年前のIw-KS頃であった可能性が高い。BR 5) 春子谷地湿原は,湿原北東部での小扇状地の発達(土砂の堆積,排出水路の堰き止め)によって,湿原全体の湿潤環境が維持されている。土砂堆積の停止は長期的・全域的には湿原の乾燥化をもたらす。現在は小河川の向きが湿原方向に向いているため,湿原域が縮小しやすい状態になっている。BR 6) 湿原域の縮小は春子谷地の歴史を見れば繰り返し発生してきた現象である。それでも現状の湿原域の広がりを維持しようとするのであれば,湿原下流端の堰き止め作用を支配している小河川の位置を,かつて湿原が広かった時期の位置に戻すことが適当と考えられる。
  • 工藤 邦史
    セッションID: 303
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    日本の森林はその大部分が人手の加わった二次林または人工林で構成されている.近年森林の多面的機能が注目されている中で,どのように現在の森林が変化してきたのかという点に着目し,加えて人との関係を含めた検討が重要である.国内においては山地の植生や土地利用変化の研究の多くが落葉広葉樹林帯地域で行なわれており,戦前における山地の草地利用や,戦後の薪炭林放棄に伴う植生遷移の進行,針葉樹の拡大造林といった現象が指摘されている.ところが常緑広葉樹林帯に属する地域での植生変化について考察した例は少ない.そこで常緑広葉樹林帯にあたる三重県度会郡国束山周辺での過去およそ100年間について,植生と土地利用の変化を復原した.復原に当たっては主に地形図・植生図・空中写真を用い,GISで扱えるように写真判読結果や地図をデータ化した上でその時系列上での変化を考察した.植生に着目すると,現在の広葉樹林の植生は以下の3パターンに分類され,それぞれの成立過程も異なる.1.落葉広葉樹が主体の植生;戦後にアカマツが植林され,現在は松枯れにより落葉広葉樹に置き換わっている.2.常緑・落葉広葉樹の混交林;1892年に最初の地形図が刊行された時点で広葉樹林が広がっていた地域に分布している.3.常緑広葉樹が主体の植生;常緑広葉樹のまま現在に至った森林はほとんどなく,大抵は戦後の時点でマツと広葉樹の混交林であり,萌芽再生したシイ・カシが林冠を占めて形成された.通常は長年人手が影響しないことで,常緑広葉樹が主体の森林になる.しかし,対象地域では人々が薪炭生産による樹種を選択した利用により,常緑広葉樹主体の森林が成立した.時系列地理情報を用いることで,過去についても植生や土地利用の空間配置を知ることができる.そして結果として常緑広葉樹林帯の山地での植生変化について,面的な配置で捉えることができ,その特徴を掴むことができた.また植生の変化に対して影響を及ぼした人為活動は,草地利用や薪炭生産及び拡大造林が主である.これらの活動・社会背景は国束山周辺独特のものではなく,全国的に生じたものであり,したがって植生変化についても類似の現象が他地域で生じている可能性が示唆される.
  • 三浦 正史, 藤本 潔, 小林 繁男, Herwint SIMBOLON, 春山 成子
    セッションID: 304
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに
     赤道直下に位置するインドネシア・スマトラ島は西部に標高3000mを越えるバリサン山地が南北に連なり,東部には広大な泥炭湿地林が広がる.古川(2002)はスマトラ島東岸低湿地の形成開始時期を約6800年前頃と推定したが、その詳細な形成プロセスは明らかにされていない.本研究,多地点でのボ‐リング調査および年代測定結果に基づき、低湿地林の面的拡大過程を明らかにすることを目的とする.

    方法
     スマトラ島Siak川、Kampar川、およびIndragir川沿いの沖積低地32地点においてピートサンプラーによるボーリング調査を行った.また,19地点の堆積物中から採取した木片等の植物遺体30試料を加速器分析研究所に依頼し14C年年代測定を行った.得られた14C年代値は暦年補正ソフトCALIB5.01を用いて暦年補正を行った.

    結果及び考察
     各ボーリング地点の泥炭層最深部付近から採取した木片の年代値から,泥炭湿地林の分布域の拡大を検討した.今回得られた最も古い年代値はSSB-1地点の泥炭層直下の粘土層(深度320-323cm)より得られた木片の6910-(7020)-7160calBPで,スマトラ島における泥炭湿地林の形成は少なくとも7000calBPには始まっていたことが推察される.6400-6000calBP頃には現河口より200km 内陸側の河川沿い(SKB-11:深度260cm、SKB-15:深度387cm)や現在のピートドーム中央付近(SDB-1:深度920-925cm)に分布していた.現河口より約120km内陸側のSKB-8(深度362cm)から2060-(2170)-2190calBP,SKB-9(深度309cm)から2360-(2480)-2540calBP,約90km内陸側のSKB-1(深度345-350cm)から2790-(2840)-2870calBP,約60km内陸側のSKB-17(深度340-342cm)から2880-(2980)-3070calBPという値が得られたことから,3000-2000calBP頃には現河口から50km-120km内陸側まで拡大したことがわかる.Indragir川沿いでは,河口から50km付近まで泥炭層分布が拡大したのは1300-1100calBP頃と推定されており,Kampar川流域に比べ,低地の形成時期が遅れた可能性が指摘される.
     このように7000-5000calBPの年代値は内陸側の限られた地域のみから得られており、現在の泥炭湿地のほとんどは3000calBP以降に形成されたことがわかる.アジア太平洋地域では,6500calBPおよび4000calBP頃の相対的高海水準期と5000calBPおよび2000calBP頃の相対的低海水準期が存在したことが明らかとなっている.本地域の泥炭湿地林の形成は7000calBP頃には始まり,広範囲に急速に拡大するのは4000calBP以降,特に3000~2000calBPの間であり,上記の4000-2000calBPの間に進行した相対的海水準の低下が泥炭湿地林の拡大に大きく影響したことが示唆される.
  • 菅野 洋光, プリマ オキ・ディッキ・A., 境田 清隆, 遠藤 尚
    セッションID: 305
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    1.はじめに インドネシアは水稲を主要農作物としているが、近年はしばしば不作に見舞われ、コメの輸入を行っている。世界第4位の人口をもち、地球規模での食糧需給問題を考える上で重要な位置づけとなる可能性がある。一方、北日本の夏季天候は西部熱帯海域からのロスビー波(PJパターン)伝播に影響されており、しばしば冷夏や暑夏に見舞われている。また、ジャワ島の雨量と北日本夏季気圧との関連が見いだされており(2008年春季大会予稿)、インドネシアと北日本を同一のロスビー波による影響圏にあると認識し、農作物の収量変動を解析することは、今後の両国の食糧需給問題を考える上で重要である。 ジャワ島における降水量と水稲生産の変動に関しては、境田ほか(2001)、Murayama et al.(2003)などによる研究があり、ENSOサイクルと収穫量変動との関係が指摘されている。それらの結果が2000年代以降でも認められるのか明らかにすることは重要である。また、インドネシアにおける雨量データの品質が良くない点が指摘されていることから、現地での観測を行い、定量的に現象を把握する必要がある。そこで、ジャワ島において雨量計を用いた現地観測を行い、変動特性の把握と農作物収量との関係を明らかにすることを目的とする。 2.観測地点と方法  雨量計を西ジャワBogor地方のSukajadi村とGasol村、およびジョグジャカルタのガジャマダ大学農場に設置した(図1)。観測は2007年3月より開始し、データは1時間間隔で取得している。本予稿ではSukajadi村とGasol村の観測結果について示す。 3.結果 1)Sukajadi村とGasol村は直線距離で44.7kmしか離れていないが、降水量は大きく異なる。2007年3月10日~2008年2月29日までの約1年間の積算雨量が、Sukajadi村の4337mmに対してGasol村では2085mmと半分以下である(図2)。Sukajadi村では7月~9月の乾季にもコンスタントに降雨があり、降雨頻度が小さいGasol村と対照的である。地形を比較すると、Gasol村が山に囲まれているのに対して、Sukajadi村は北側が開けた山の斜面上にあり、地形性降雨が多いと考えられる(Murayama et al., 2003)。 2)時別降水量をみると、両地点とも14時~21時にかけて降水が多く、明瞭なピークが認められる。Sukajadi村では17時~18時頃が最も降水量が多いのに対して、Gasol村では15時~17時頃とピークがやや早い。22時以降の夜間から早朝、午前中にかけてはほとんど降水が認められず、時間依存性がきわめて明瞭である。 大規模場との対応、ジョグジャカルタでの観測結果は当日お示ししたい。本研究では、科研費基盤研究(C)「太平洋西部熱帯域における気候環境の5年周期変動に関する研究(代表者:菅野洋光)」課題番号(18500788)を使用している。 参考文献 境田清隆・村山良之・田村俊和(2001):インドネシアジャワ島における降水量と水稲生産の変動.地球環境, 6(2), 183-194. Murayama, Y., K. Sakaida, N. Endo, and T. Tamura (2003): Long-term change and short-term fluctuation of production of wetland paddy in Java, Indonesia -Precipitation change and farmer’s response-. Sci. Rep. Tohoku Univ., 52, 1-27.
  • 森島 済
    セッションID: 306
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
    会議録・要旨集 フリー
     フィリピンの山岳・丘陵地には森林伐採とその後の過度な土地利用を背景として、草本で覆われた景観が数多く見受けられる。研究対象地である中部ルソン地域ヌエバエシハ州のヴィラ・ボアドもまた草本で覆われた丘陵地に位置している。ここでは、乾季の農業生産拡大を目的として、ため池灌漑施設が導入された。しかしながら、エルニーニョ現象に伴う渇水と農地への過剰な水供給によりため池が干上がることがしばしば生じ、安定した農業生産を行うに至っていない。短期的な農業生産の安定化には、水資源量に影響を与える要素の情報を集積し、それらの関係性や変動を踏まえ、適正な流域及び水資源管理を行うことが課題となっている。また、長期的視点から、安定した水資源管理の方策を構築するためには、集水域の土地利用・土地被覆と集水の関係を明らかにし、適切な流域環境の整備を行う必要があると考えられる。流域内を覆う草本(コゴン: Imperata cylindrica)が、降水量、土壌水分量などの水文要素に対してどの様な影響を与えるのか明らかにするために、降水量、土壌水分量、表面流出量観測をおこなった。また、比較のために同様の観測を流域内の小規模林地で行った。これらの観測結果からコゴンで覆われた土地の水文特性を検討した。 図1にコゴン内外の降水量散布図を示した。それぞれの点を月番で示される。これらの関係はほぼ比例関係になっているが、6月に大きな外れ値を持っている。これは、後述するようにコゴンの刈り入れ期が5月にあり、その後に野焼きを行うため、コゴンが十分に生育していないことに理由の1つがあると考えられる。こうした外れ値を含むもののこれら日降水量の間には強い相関関係(r=0.96)があり、コゴン内正味降水量(y)と降水量(x)の間には、y=0.78x+0.1(mm)という関係が想定される。切片を0とした場合にも、傾きは0.78となり、日雨量比較から求められる遮断蒸発量は22_%_程度と考えられる。 雨季の間の土壌水分プロファイルは、林内・草地内で異なった傾向を示した。草地内では20cmで最も乾燥し、30cmで最も湿潤な状況を示す。一方、林内では10cmから30cmにかけて徐々に土壌水分量が増加し、30cm以深で等湿な状況を示す。草地内での20cmを中心とした乾燥は、コゴンの根茎がおよそ20cm深で水平に発達していることが確認されている。このことは、コゴンによる20cm付近からの土壌水吸収が行われていることを示しており、この結果として20cm付近での乾燥が生じている可能性を示している。
  • 境田 清隆, 咏 梅, 大月 義徳
    セッションID: 307
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに
     中国内蒙古の砂漠化は、日本に飛来する黄砂の増加などからも注目されてきたが、内蒙古の砂漠化と日本で観測される黄砂との間にはいくつもの媒介項が存在する。発表者らは2003年度から内蒙古の砂漠化を共同で研究してきたが、ここでは現地観測による砂塵暴の観測事例と、砂塵暴発生に関わる気候条件の考察結果について報告する。
    2. 方法
     発表者らが対象地域としてきた中国内蒙古自治区武川県五福号村において、2007年4月1日~6月23日および2008年4月1日~6月14日の期間、自動撮影の定点カメラ(KADEC21-EYE2)を用いて砂塵暴の発生調査を実施した。昼間1時間間隔で得られた画像により、約1km隔てた林地が砂塵で隠れた日時を砂塵暴発生時とした。またカメラから約2km離れた大豆鋪郷役場で気象観測を実施しており、当該期間における気温・降水量・気圧・風の時間値と比較した。さらに土壌の凍結・融解も重要な条件と考え、地温および土壌水分の測定も行なった。
    3. 砂塵暴の発生
     2007年で砂塵暴が発生したのは5月10日15~17時のみであった。気象観測結果によれば15時に最大風速13m/sを記録し、気圧は2時間前の13時に極小を記録し、気温は15時に大きく降下している。このような気圧と気温の変化傾向から、近傍を低気圧が通過し、一時的に暖域に入ったものの、15時には寒冷前線が通過し、気温が低下し風速が強まったことが想定された。
     実際に前後の天気図から当該地域の北方から南方まで深い気圧の谷が通過し、寒気の流入も著しかったこと、砂塵暴は内蒙古各地で広範に発生したことが判明した。またこの低気圧はその後日本海付近で発達し、これに伴い14日から17日にかけて西日本を中心に黄砂が観測された。  
     期間中に13m/s以上の強風は5/11、5/15、5/24、5/26、5/31、6/7の6日間で観測されたが、砂塵暴の発生は5/10のみであった。砂塵暴は強風だけでは起こらず、発達した低気圧と寒気流入、これらに伴う上昇気流の存在が必要条件として挙げられよう。
    4. 地温と土壌水分
     地表の乾湿もまた砂塵暴の発生には重要な条件と考えられる。冬季に凍結した土壌は3月末から4月末にかけて地表面から融解が進行し、その際、土壌水分の上昇が観測される。この時期が早まると、雨季の到来まで土壌水分の低下季(乾燥季)が長引くことになる。春季気温が異常に高かった2002年は、まさにその状態で砂塵暴が多発した可能性がある。(本研究は科研費基盤研究B 代表者大月義徳No.20401005を使用している。)
  • 遠藤 伸彦, 杉浦 幸之助, 門田 勤, 大畑 哲夫
    セッションID: 308
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    1.はじめに モンゴル国の人口の約3分の1が首都ウランバートルに集中している.ウランバートルの唯一の水源はウランバートル市内を貫流するトーレ河であるため,トーレ河流域における降水量・降水特性を把握することはウランバートルの水資源評価の基礎資料として重要である.地球観測衛星に基づく高時間・高空間分解能グリッド降水量データの降水特性を地上雨量計網によって評価し,実利用可能性を検討する. 2.データ 地球観測衛星に搭載されたマイクロ波放射計および赤外放射計に基づく高時間・高空間分解能グリッド降水量データである,TRMM 3B42/3B42RT,CMORPH,PERSIANN,GSMaP MWRを検討の対象とした.JAMSTEC/IORGCは,2003年より,トーレ川流域に雨量計を設置し,暖候期の降水量観測を実施してきた.IORGC雨量計網によるデータならびにモンゴル国Institute of Meteorlogy and Hydrologyの官署データを基準データとする.検討対象期間は2003年~2006年の6月から8月である. なお,雨量計の地点数は年によって異なる. 3.降水量・降水日数 各グリッド降水量データから雨量計の座標に対応するデータを抽出し,月降水量・三ヶ月降水量を算出した.また日降水量が0.1mm以上である日を「降水日」と定義し,三ヶ月間の降水日数を数えた. 図1(左)に降水日数の散布図を示す.3B42・3B42RT・GSMaPは雨量計と相関が高い.だが,3B42/GSMaPとも降水日数を過小評価している.CMORPH・PERSIANNは各年・各観測地点で,降水日数はほぼ一様(CMORPHは約60~80日,PERSIANNは40~60日)であり,高空間分解能とはいえ現実的にはかなり大きなスケールの降水システムしか解像していないことを示唆している. 三ヶ月降水量の比較を図1右に示す. CMORPHは降水量の過大評価が著しく(図の範囲外),PERSIANNは常に約200mm/3monである.3B42/GSMaPは雨量計と同様の雨量を示すが,相関は低い.相関が低い理由としては,衛星に基づくデータのもつ不確実性もあるが,雨量計の空間代表性や雨量計の観測特性(例えば強風時の過小評価)も考慮する必要性がある.どのような降水システムが卓越したときに,降水量が過大評価/過小評価になるのかを,今後検討する. 4.降水の高度依存性 トーレ河上流域を含む105.5-108.5E/47-49Nの領域内すべてのグリッドにおける4年間の夏三ヶ月の平均降雨強度を各高度帯別に求めた(図2).なお標高はSRTM30を0.25度格子に平均して求めた.3B42/GSMaPは雨量計と同様に,標高1200m以高で降水量が増加し,標高2000m以上の山頂部で減少する傾向が再現されている.一方,標高1200m以下で降水量が増加するのは標高が低い領域北西部で気候学的に降水量が多いためである.比較のために雨量計に基づくAPHRODETEデータの1980年~2002年の夏三ヶ月平均降水量の高度分布も示す.このデータはPRISMによる気候値を参照しているが,降水量が高度に伴って増加するという傾向は弱い. 5.まとめ 地球観測衛星に基づく高時間・高空間分解能グリッド降水量データを,地上雨量計網と比較した.3B42/GSMaPは,降水量の高度依存性が再現され,降水日数が過小評価だが,トーレ河上流部における降水特性を相対的に良い精度で評価していると考えられる.一方で,CMORPHとPERSIANNは地上観測と全く異なる降水特性を示すことが明らかとなった.
  • 佐藤 尚毅
    セッションID: 309
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
    会議録・要旨集 フリー
    北半球夏季の北進する季節内変動(ISV) は、MJO と 並んで、海洋大陸域やその周辺において最も重要な変動 パターンのひとつである. Wheeler and Hendon (2004) はMJOの位相の定量化の方法を提案したが、北進する ISVについては有効な方法は提案されていないようであ る。Lau and Chan (1986) のEEOF 解析を参考にしな がら、ISVの定量化を行ない、熱帯低気圧の発生やSST の変動との関係を調べる。
  • 坂下 幸嗣
    セッションID: 310
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    1.はじめに
     気温や水温などの急峻な変化であるレジームシフトは,20世紀中に数回起きたことが指摘されている.それらの中でも,1980年代後半のシフトは,亜寒帯中部水域のSST上昇にみられ,ENSOなど太平洋熱帯海域の水温変動を伴わないこと等,他のシフトとの違いが指摘されている.冬季日本の気温も1980年代後半に大きく上昇しており,このシフトとの関連性が示唆される.また,1980年代後半のシフトは日本を含む東アジア中緯度地域の他,スカンジナビア半島を中心とする北ヨーロッパ,北アメリカ南部の東海岸地域にも確認される.そのためグローバルスケールの変化であると考えられる.しかしながら,このシフトの発生メカニズム及びその影響などは明らかになっていない.また,これまでの研究では冬季平均値で議論されているものが多く,旬または半旬単位など短周期での変化を扱っていない.シフトをより詳細に調べるには,短周期での分析が必要である.本研究では,季節内推移という点から,より高い時間分解能で解析を行った.

    2.データと解析方法
     使用したデータはNCEP/NCAR再解析値の500hPaジオポテンシャル高度で,冬季期間(12月1日から翌年2月28日)の日平均値である.範囲は北半球全域,期間は1979年から1998年まで(1月が含まれる年をその年のデータとする)の20年間である.このデータを5日平均して半旬値とし,グリッド毎に偏差を求め,回転主成分分析(以下REOF)を行い,18のモードの因子負荷量と時係数を求めた.

    3.結果と考察
     現在まで,REOFにより得られたモードと冬季日本の気温変動を照らし合わせた.REOFによる18のモードのうち,第1・4・6モードは,因子負荷量分布が日本付近に顕著に現れている.よってこれら3つのモードが冬季日本の気温と関係すると推察される.第1モード(寄与率12.8%)は,極域と中緯度域のダイポールを示し,北極振動と類似する.第1モードが正[負]のとき極循環が強まり[弱まり],寒気の南下が弱まる[強まる]と考えられる.第4モード(寄与率5.36%)は,北太平洋上とカムチャツカ半島付近の南北ダイポールが顕著であり,テレコネクションパターンの1つであるWP(West Pacific)パターンと類似する.第4モードが正[負]のとき日本付近の偏西風の東西流[南北流]が強化され,寒気の南下は弱まる[強まる]と考えられる.第6モード(寄与率5.03%)は,日本を含むユーラシア東部と北ユーラシアの因子負荷量分布がEA(East Atlantic)パターンと類似する.第6モードが正[負]のとき日本付近は低[高]気圧偏差になり,偏西風の蛇行を強め[弱め],低気圧経路になりやすい[なりにくい]ことを示すと考えられる.
     1979年から1998年のうち日本が暖冬であったのは,1981・1984・1985・1986年である.このうち1981・1984年は第6モードの時係数が高い正の値であり,日本付近がより低圧になり,寒気が南下しやすかったと考えられる.1985・1986年は第1・4モード共に時係数は負の値が大きく,極渦は弱く,寒気の南下が強かったと考えられる.1980年代後半以降は暖冬の傾向が続き,1989年から1993年の5年間の暖冬が顕著である.1989・1991~1993年は第1モード正の状態が卓越し,第4モードも1989・1990・1993年に正の状態が卓越する.加えてこの5年間では第6モードは負の状態が支配的であり,日本付近に寒気をもたらす要素が非常に少なかったと言える.
     各モードの季節内変動を1988/89年の前後(1979-1988:前半期間,1989-1998:後半期間)で比較する.第1モードは,前半期間では2月中旬と3月後半に正になる他は負の状態が支配的であるが,後半期間では2月初旬に負になる他は正が卓越する.このように第1モードは1980年代後半の前後で符号が逆転する傾向がある。第4モードは,前・後半期間共に12月は正であるが,前半期間が2・3月にかけて負の値が大きくなるのに対し,後半期間では3月には正になる.第4モードの時係数が3月にかけて正になるのは,各年ごとにみても前半期間には見られない傾向である.第6モードは,前半期間は12月後半から正の状態が卓越し,後半期間は同じく12月後半から負の状態となる.これも第1モードと同様に,1980年代後半の前後で符号が反転していると考えられる.  北半球で1980年代後半にシフトが見られる地域の分布と,これら3つのモードの因子負荷量分布のパターンはおおよそ一致しており,東アジア以外の地域のシフトもこれらのモードと関係すると推察される.
  • 酒井 秀孝, 鈴木 力英, 近藤 昭彦
    セッションID: 311
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    1. はじめに: 気象衛星NOAAに搭載されたセンサーAVHRRの観測値をもとに,1980年代から植生指数(NDVI: Normalized Difference Vegetation Index)データが作成され,植生変化の研究が行われてきた.特に,ユーラシアの北方林ではNDVIの増加傾向が発見され,温暖化との関連が示唆されている(Myneni et al., 1997).しかし,グローバル~大陸スケールの研究は多く行われているものの,地域的な植生の詳しい動態についての研究は不十分であった.本研究では,レナ川流域を中心とする地域に注目し,植生変化の詳細なシグナルをNDVIで検出し,その気象との関連を明らかにすることを目的とする. 2. データと解析方法: 対象地域は東経90~150度,北緯50~75度の範囲とした.NDVIは全球をカバーするPathfinder AVHRR Landデータから得た.空間解像度は0.1度,時間解像度は10日(年間で36旬)で,1982年から2000年までを分析した.気象データとして,北半球の積雪域データ(NOAA/NESDIS; 1982~2000年)と,観測地点における地上気温データ(Baseline Meteorological Data in Siberia Version 4.1; 1986~2000年) を使用した.  NDVIから植生変化をとらえるにあたって,本研究では各年のΣNDVIとMaxNDVIの2種類の指標の変化を1982年~2000年の19年間について検討した.?NDVI は各年36旬のNDVIデータ中0.1より大きいNDVIの年間での積算値,MaxNDVIは年間36旬のNDVI値の中の最大値である.本研究ではこの2種類の指標の19年間の変化量,すなわちトレンドを計算した.トレンドはMann-Kendall rank statisticを用いて検定を行い,有意水準95%以上を有意なトレンドとして採用した. 3. 結果と考察: 図1に19年間のΣNDVIとMaxNDVIのトレンドの分布を示す.ΣNDVIの大きな正トレンドが北緯60度以南,東経120度以西の特に亜寒帯林の卓越するバイカル湖西部の地域に分布している.図示していないが,この地域では消雪時期が早期化している傾向が特に強いことがわかった.地域によっては19年間で約2週以上の消雪時期の早期化が起こっている.消雪時期が早まることによって,生育期間が延長し,?NDVIの増加傾向となって現れた可能性が考えられる.一方,MaxNDVIの大きな正トレンドは主に北緯65~70度のレナ川左岸地域で見られる.ここはタイガからツンドラにかけてのエコトーンにあたり,植生の変化が起こっていることを想像させる.図示はしていないが,この地域では消雪時期の早期化のほかに,年最低月平均気温の昇温傾向が確認できた. 参考文献 Myneni, R.B., Keeling, C.D., Tucker, C.J., Asrar, G. and Nemani, R.R. 1997: Increased plant growth in the northern high latitudes from 1981 - 1991. Nature, 386, 698 - 701.
  • 日下 博幸, 北畑 明華
    セッションID: 312
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    日本海低気圧に伴う寒冷前線は、本州を通過する際に地形の影響を受ける。そのため、関東地方では風、気温、降水が複雑に変化する。このことは天気予報を難しくする原因となっている。本研究では、前線通過時の降水パターンに着目して事例を全国的に雨が降る一般型、北陸地方と関東東海上で雨が降るが関東平野で雨が降らないジャンプ型、北陸地方でのみ雨が降る北陸型、それ以外の4つの型に分類し、それぞれの型の出現時の気象場を把握する。さらには、数値実験により降水帯のメカニズムを解明する。 北陸型出現時には、寒気の層が薄く、上層は安定成層を形成している。北西風が山岳にぶつかり、地形による強制上昇によって北陸地方にのみ降水がもたらされることがわかった。 ジャンプ型出現時は、関東平野内陸部で風が弱く、山岳にさえぎられるため水蒸気が供給されにくい。前線が山岳を越える際、伊勢湾から抜けた強風が湿った南西風と東海上で強い収束線(沿岸前線)を作る。以上のようなメカニズムにより北陸地方から山岳域で雨が降った後、関東で降水をもたらさず、東海上で再び降水をもたらすことがわかった。
  • 中川 清隆, 渡来 靖, 細矢 明日佳
    セッションID: 313
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    _I_.はじめに
     日射は太陽南中時に最大となるが、日最高気温起時は太陽南中時刻より遅れることが知られており、daily air temperature lagと呼ばれる。日射の日変化が正弦曲線で表される場合の気温の位相差の解析解について検討したので、その結果の概要を報告する。

    _II_.地表面熱収支式とその解析解
     日射浸透限界深度を層厚とする薄層を地表層とし、密度ρ0=1.60×103kg/m3、比熱c0=8.90×102 J/kg/K、熱拡散係数κ0=0.18×10-6m2/s、層厚δz=0.01mとする。地表面入射日射フラックス密度および地表層温度が、それぞれ、

    I=I*+δIsin(ωt+φ) および T0=T*+δT0sin(ωt)

    で表されるとすると、地表層の熱収支式は、

    c0ρ0δzωδT0cos(ωt)=(1-α){I*+δIsin(ωt+φ)}+(εa-1)σ{T*4+4T*3δT0sin(ωt)}-{caρa(ωκa)0.5+c0ρ0(ωκ0)0.5}δT0sin(ωt+π/4)

    で与えられる。ここで、φ;日射と地上気温の日変化位相差、t;時間、ω;地球の回転角速度(=7.292×10-5rad/s)、I*;日平日射フラックス密度、T*;日平均温度、δI;日射フラックス密度振幅(=I*=(1-εa)σT*4/(1-α))、δT0;地表面温度振幅、ρa;空気の密度(=1.2kg/m3)、ca;空気の比熱(=103J/kg/K)、σ;ステファンボルツマン定数(=5.67×10-8Wm-2K-4)、α;地表面アルベド(=0.3)、εa;大気の見かけの射出率(=0.61)である。κaは空気の熱拡散係数であり、

    κa=0.42×0.75u/ln(1.5/z0)+0.84×10-4

    とする。ここで、u;地表面1.5m高度風速、z0;粗度高(=0.01m)である。この熱収支式から、日射と地上気温の日変化の位相差の解析解として、

    tan-1([ωc0ρ0δz +{ρacaaω/2)0.50c00ω/2)0.5}]/[4(1-εa)σT*3+{ρacaaω/2)0.50c00ω/2)0.5}])+1.5(ω/2κa)0.5

    が得られる。この解は2項から成っており、第1項が日射と地表面温度の位相差φを表し、第2項が地表面温度と地上気温の位相差を表す。気温位相差は、日射量や温度の日較差には依存しないが、日平均温度および風速に依存する。地表面温度の振幅δT0と日射量の振幅δIの間には

    δT0=(1-α)δIcosφ/{4(1-εa)σT*3acaaω/2)0.50c0(κ0ω/2)0.5}

    が成り立ち、δIはT*で決まるので、T*およびuが与えられればδT0および熱収支各項の値は総て決定できる。

    _III_. daily air temperature lagの見積もり
     T*=288K、u=1m/sを与えた場合の計算結果を図示する(図省略)。δT0は16.84K、地表面温度位相差は2.68時間、地上気温位相差は2.90時間である。地表面温度に比べて、地表層熱貯留変化の位相が6時間早く、地中熱伝導や顕熱輸送の位相が3時間早く、日射吸収量の位相が2.68時間早く、正味長波放射は完全に同位相である。風速のみをu=0.1m/sに減ずると、δT0および両位相差は15.82K、2.73時間、3.25時間になり、更にその状態で平均温度をT*=273Kに減ずると、それらは19.00K、2.64時間、3.34時間となり、低温低速になるほど、気温位相差が大きくなる。
    正弦曲線に従う日射日変化は太陽北中時以外は常に日射があるなど非現実的であるが、ドライで移流が存在しない場合の地表面付近の温熱環境の特徴は良く理解できる。
  • 西森 基貴, 桑形 恒男, 石郷岡 康史, 村上 雅則
    セッションID: 314
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    1.はじめに  我々は日本と中国において,地球温暖化の農業影響を正しく評価するために,気象データに含まれる都市化など人工的な影響を除去し,農耕地における気温変化傾向を把握する試みを続けている(日本については2007年春p158および秋p97)。ここでは数多い気象観測点について,なるべく一律な方法で,農耕地にある地点を抽出,逆に言って都市気候の影響を受ける地点を抽出する場合の指標として,何を用いるのかが重要となる。同種の試みは最近でも行われており,藤部(2007年春p157)は観測点周辺の人口を,丸山ら(2006:九州の農業気象)は,衛星画像から見た周辺の土地利用を指標としている。  日本においては国土数値情報が整備され,1km以下のスケールで非常に質の高い気象観測点周辺の土地利用状況が得られる。そこで本研究では,この国土数値情報を用い,観測所周辺の土地利用を考慮して,都市部/農村部の区分を行い,その気温変化傾向の比較・相違から,現在用いられてる気温観測データに含まれる都市影響を詳細に評価した上で,農耕地における近年の気象環境変動の地域・季節別の特徴を明らかにすることを目的とする。 2.データと解析方法  国土数値情報における,1976,87,91,97年時点の3次メッシュ単位の土地利用分布を用いた。農耕地は水田+畑地の面積割合とし,都市としては建物+幹線道路を基本とした上で,「その他の土地利用」を加えるかどうかは別に議論する。また地上気温解析に用いたデータは,気象庁による気象官署・アメダスデータで,解析期間は1980-2006年とする。ここで2003年以降の最高最低気温は,気象庁では10分ごとの観測データを用いて算出しているが,統計の連続性の観点から,1時間値から新たに算出し直したものを用いた。なお解析手法は前報と同じく,線形トレンド解析を中心とした。 3.結果と考察 まず1997年時点の土地利用で農耕地面積割合が多い約200地点の候補を抽出し,観測点の移動がない,気温トレンドから都市の影響を受けていない,などを基準に,現段階で40地点を選出した(図1)。図2にはその40地点を,北・東・西日本のそれぞれ太平洋側・日本海側に,計6区分した地域平均気温の月別線形トレンド値の一部を示す。最高気温は,2月日本全域と9-10月の東西日本および7月東日本で昇温が大きい。いっぽうで北日本では12月の降温と,8月太平洋側(図2上)および5月日本海側の昇温なしが目立っている。最低気温は,秋口の日本全域と5月の北日本太平洋側で昇温が目立つほか,最高気温と同じく北日本の12月,西日本日本海側の3月,北・東日本日本海側の8月で昇温が小さい(図2下)。今回の解析では前報と比べても,特に秋の昇温が北日本の最高気温を除いて大きく,近年における秋の残暑の厳しさがより強調された結果となった。  なお国土数値情報で用いる年代毎の土地利用とその変化が,どのように都市気候や農耕地気象環境に影響するのかについては,さらに検討した上で報告する。
  • 大貫 礼史
    セッションID: 315
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    _I_ はじめに 日本列島,とりわけ関東平野の内陸部では,1990年代半ばから盛夏期に著しい高温が頻繁に観測されるようになった.その要因として,高温をもたらしやすい総観場の状況になることが多くなり,太平洋高気圧から吹き出す南西風が関東山地越えのフェーンとなることと,東京都心周辺の排熱によって暖められた海風が内陸部まで到達することの2つが考えられている.しかし,これらには矛盾点もあり,まだ正確に要因は特定されていない. 本研究は,とくに南高北低型気圧配置下の高温観測日に注目し,関東山地を吹き下ろす南西風と,東京湾から関東平野内陸部に侵入する海風を中心に解析して,夏季の関東平野内陸部で著しい高温が観測される要因を明らかにすることを目的とする. _II_ 使用資料・解析方法 AMeDAS日別値,時別値および10分値(気温,風),気象官署観測資料(湿度),高層気象観測資料(地上,850hPa面,500hPa面),地上天気図,大気汚染常時監視測定局データ(気温,風)を使用した. 対象地点は関東平野のAMeDAS観測点45地点,関東平野内陸部の南西方向に位置する気象官署3地点,大気汚染常時監視測定局6地点の計54地点である.対象期間は1996~2005年の7,8月,全620日である. 対象日選出にあたり,南高北低型気圧配置日の抽出,著しい高温観測日の抽出,当日に関東平野のAMeDAS対象地点で降水の観測がない日の抽出を行った.その結果選出された計7日を研究対象日とした. _III_ 結果 気温と風の分布,関東山地風下フェーンと関東平野内陸部の高温の関係,海風と関東平野内陸部の高温の関係についてそれぞれ解析をした結果,おもに以下のことが明らかになった. _丸1_気温と風の分布に注目すると,午前中には八王子~練馬~越谷にかけて高温域が形成されるが,午後にかけて高温域の中心は館林,熊谷などの内陸部となる. _丸2_関東山地風下のフェーンに注目すると,関東平野内陸部における著しい高温の発現にフェーンが影響していることもあるが,フェーン現象が生じているとはいえない高温日も多く,現時点ではフェーン現象は内陸部で高温が発現する際の絶対条件ではないと考えられる. _丸3_東京湾からの海風に注目すると,東京都心周辺の排熱は,海風によって内陸方向へ移動し,越谷や練馬付近に高温をもたらす一因となっている可能性が高い.一方で関東平野内陸部の館林,熊谷,伊勢崎などは,暖まった海風が越谷や練馬付近で上昇流が生じるため,東京都心周辺の排熱が直接的に高温化の原因になるのではなく,海風による冷涼な大気が内陸部まで届かなくなったことと,内陸部の都市化による土地被覆の変化や排熱の増加が高温化の一因になっていると考えられる.
  • 細矢 明日佳, 渡来 靖, 中川 清隆
    セッションID: 316
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    I_.はじめに

     夏季の関東平野北部にはしばしば著しい高温が出現することが知られている。その成因に関しては北太平洋高気圧の張り出し、フェーン現象、海風限界外、海風による首都圏中心部からの熱移流等々諸説があるが、明確な結論はまだ得られていない。関東平野に猛暑をもたらす天気系の一つに、北西山越え気流が指摘されている。近年における北西山越え気流による高温の代表例として、2007年8月16日と2004年7月20日を取り上げ、日最高気温と同起時の分布の関係を検討したので、その結果の概要を報告する。

    II_. 日最高気温と同起時の分布

     アメダスデータを解析して2007年8月16日の日最高気温分布図を作成した(図省略)。西日本に中心を持つ北太平洋高気圧が日本海西部にまで張り出したため、当該地域の卓越風は北西山越え気流となった(9時の館野800hPaの風向329°風速4m/s)。関東平野北部を中心として、著しい高温となっており、熊谷は40.9℃となりわが国最高気温を更新した。関東平野東部から房総半島にかけて別の高温域が認められる。次に、日最高気温起時の等時線図を作成した(図省略)。関東平野北部および東部の高温域に対応して、日最高気温起時が遅い地域が存在する。最も遅かったのは東関東・笠間の15:30であり、続いて北関東・館林の15:00である。一方、九十九里浜では午前11時以前に日最高気温が出現した。
     2004年7月20日の日最高気温分布も作成した(図省略)。2007年8月16日と同様の気圧配置となり(9時の館野800hPaの風向303°風速18m/s)、関東平野北部は著しい高温となったが、東関東の高温は極端ではなく、むしろ南関東および房総半島がそれを上回る高温域となっている。同日の日最高気温起時分布図を作成したところ(図省略)、関東平野北部にも遅いピークが存在するが、関東平野中央部および東部に広く起時が遅い地域が広がっている。関東平野内で最も遅い日最高気温起時は東関東・笠間の16:20である。房総半島では東京湾側から太平洋側に向かって、日最高気温起時が遅れる傾向が明瞭である。日最高気温高温域と起時が遅い地域の対応は、2007年8月16日ほど明瞭ではない。

    III_. 日最高気温と同起時の関係

     最後に、北関東、南関東、東関東を区別してプロットして、関東平野における日最高気温起時と日最高気温の散布図を作成した(図省略)。2007/8/16は、最高気温起時が1時間遅れると日最高気温が0.7℃高くなる傾向が認められ、相関係数は0.4に達する。2004/7/20には、明瞭な依存性は認められない。
     発表当日までに、北西山越え気流の解析事例を増やすとともに、それ以外の天気系における解析も手がけたい。
  • 榊原 保志, 高橋 政宏, 浜田  崇
    セッションID: 317
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    長野県上田市において、2006年4月~2007年3月データロガーによる定点観測を行った。データロガーは都市高層建築屋上、都市地上、郊外急坂、郊外地上の4箇所に設置した。都市・郊外の温位勾配と都市と郊外の気温差の日変化との関係を検討したところ、市街地の逆転強度は10時付近で極大14時過ぎに極小を示し,夜間は等温位に近い.一方,郊外は16時に極小を示し,日中は逓減,夜間は逆転状態であった.逆転強度は日没前から徐々に増大し,22時頃から安定する.ヒートアイランド強度は12時前に負になるが,正午以降徐々に増加し,18時過ぎに最大になり,日の出を向かうにつれて徐々に小さくなる.
  • 高橋 日出男, 中村 康子, 鈴木 博人, 赤塚 幸恵
    セッションID: 318
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    ◆はじめに:報告者らは,東京都心域において新宿や池袋などの高層建築物群の風下側に短時間強雨発現の高頻度域が存在することを指摘し(2005年度春季大会,以下では[2005S]),このような強雨発現の局地性に対して,地表面粗度の空間分布(2006年度秋季大会,以下では[2006F])が関わっている可能性を提示した(日本地球惑星連合2008年大会,以下では[2008地]).すなわち,高層建築物群の形成する大きな地表面粗度が,大気下層における水平風を減速させて空気の収束をもたらし,それに伴う上昇流が対流雲の発生・発達に関与していることが想定された.ただし,[2005S]や[2008地]では,大気安定度や流れの状態に関係する風速の大小を考慮していない.
     本報告では,東京都心域における強雨頻度分布の風速による差異に基づき,強雨発現に対するより広域的な地表面粗度分布の影響について考察することを目的とする.
    ◆資料と解析方法:用いた降水量資料および採用した強雨事例は[2005S]と同じである.すなわち,熱帯擾乱などによる広範囲の降水事例を除外し,アメダス,JR東日本ならびに東京都建設局による毎正時の時間降水量に基づいて,都心域で時間降水量20mm以上を観測した226事例(時間)を抽出した.なお,対象期間は1991~2002年の6~9月であるが,1993年は東京都降水量に多数地点で長期間の欠測があるため除外している.次に,強雨発生の2時間前における東京(大手町)の風向風速(時刻tまでの1時間の平均風ベクトルをV=(7Vt+5Vt-1)/12で評価)により,抽出した226事例を分類した.ここでは4方位の東風時(105事例)と南風時(77事例)のそれぞれについて,事例数が同程度になるように,風速3m/sを境に弱風時(東風46事例,南風45事例)と強風時(東風59事例,南風32事例)に区分した.
     また,東京都区部における風速分布を評価するにあたり,(株)パスコ作成の2.5m間隔地表面標高(DSM:Digital Surface Model)を用いて,Raupach(1992,1994,1995)の方法によって算出[2006F]した東京都区部の空気力学的粗度0およびゼロ面変位dを用いた.
    ◆結果と考察:東京(大手町)の風向風速によって分類した時間降水量20mm以上の頻度分布によると,弱風時には南風の場合(付図左)に都区部北部(池袋や光が丘の風下側),東風では都区部西部(新宿の風下側)に局地的な高頻度域が存在する.強風時についても,南風・東風とも弱風時と類似の場所に高頻度域が存在する.しかし,その風上側においても強雨頻度が高く,南風の場合(付図右)には都区部西部に,東風では都心ないしその南側から風向方向に延びる高頻度帯が認められる.
     南風の場合について,[2006F]で算出したz0およびzdから,上空250mの風速を一様として風速の対数則により高度ごとの風速分布を算出すると,都区部西部では東部に比べて下層における東西方向の風速変化(風の水平シア)が大きくなる.また,Oke(1987, pp.187-189)は,都市と郊外など地表面粗度の差異に対応する風向の変化を指摘している.すなわち,地表面粗度による摩擦が大きい場合には,地衡風に対する地上風向の偏倚が反時計回り(北半球の場合)に大きくなる.したがって,東京都心域について南風の場合を考えると,都区部西部(東部)において収束(発散)が期待されることになる.
     南風強風時に強雨の高頻度帯が都区部西部に存在し,東風強風時においても都心ないしその南側から風向方向に高頻度帯が認められることは,風速が大きい場合に上述の要因が強雨の発現に関与する可能性を示唆している.この作業仮説に従えば,強雨発現に対する地表面粗度の影響は風速によって変化し,弱風時には新宿・池袋付近など1-2kmスケールのきわめて大きい地表面粗度が関与し,強風時には都心域の広域的に大きい地表面粗度の役割が増大すると考えられる.
     今後は東京都心域を中心とする南関東の詳細な強雨発現頻度についても解析を予定しており,発表時に若干言及したい.
  • 澤田 康徳
    セッションID: 319
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    1.はじめに  降水出現の経年変動を論じた多くの研究は,日本および都市規模におけるものであり,(藤部 1998; 佐藤・高橋 2000; 高橋 2003など).関東地方スケールの降水出現に関する経年変動の空間的特徴は明確にされていない.また,夕立や前線性降水など全ての降水を対象とした研究が多く,通常でも降水を出現させやすい総観規模擾乱の有無を考慮する必要がある.降水出現の経年的変化要因は,地球温暖化(Iwashima and Yamamoto 1993)や,都市ヒートアイランド現象に伴う積雲対流活動の強化(Yonetani 1983),などが想定されている.他方,夏期の関東地方における降水出現には,地上風系により形成される収束帯の存在が重要であることが指摘されている(堀江・遠峰,1998;澤田・高橋,2002など).さらに夏期における降水出現の空間的タイプが示されており(藤部 2003),地上風系や降水出現の空間的タイプを併せて降水出現の経年変動を明確にする必要がある.本研究では,夏期晴天日の関東地方における対流性降水出現日数の経年変動の地域性を降水出現の空間的タイプや海陸風などの局地循環を併せて明らかにする.
    2.資料・解析方法  資料として1980~2005年の夏期7,8月における,毎時のアメダス降水資料を用いた.まず,09JSTの地上天気図と対象領域(関東地方)における領域平均日照時間(≧5h)から夏期晴天日753日を選定した.さらに,その日に出現した総観規模擾乱の影響を受けない雷雨などの対流性降水(≧1/mm)を抽出した.また,各地点年々における降水出現日成分(各年における対象領域全体の対流性降水出現日数と地点ごとの降水出現日数の100分率)に対しクラスター解析(ward法)を施し対流性降水出現日数の経年変動の類型化を行った.降水出現分布に対しても同様にクラスター解析を施し降水分出現分布型を抽出した.
    3.解析  アメダス各地点の対流性降水出現日数の経年変動において,クラスターが結合する場合のクラスター間の距離の指標は,2から3個目の箇所で不連続に大きくなっている.そこでこの段階で結合を中止し,結果として経年変動のパタンを3個に類型化した.対流性降水出現日の経年変動のパタンは空間的によくまとまっており,北部山岳地域とその山麓(_I_),北関東(_II_),南関東(_III_)にそれぞれのパタンが認められる.対流性降水出現日数の経年変動は,北関東山地域およびその山麓(_I_)で増大(減少)していれば,南関東(_III_)では減少(増大)しており,両者間では大きい負の相関関係(r=-0.864)が認められる.クラスター解析によって抽出した降水分布タイプと対流性降水出現日数の経年変動のパタンとの相関は,_I_および_III_では,北関東山地域およびその山麓で降水出現分布が認められるパタンとの出現割合で経年的な相関係数がr=0.841およびr=-0.721と,それぞれ大きい正および負の相関係数が認められた.すなわち,降水分布型として北関東山地域および山麓域で降水が出現する日数が夏期の関東地方における対流性降水出現日数の経年変動に寄与していると考えられる.東京都心部を中心とした南関東(藤部ほか,2002;2003;中西・原,2003),および,北関東(宇梶・中三川 ,1989;堀江・遠峰,1998;澤田・高橋,2002)においても降水の出現には地上風系により形成される収束帯の存在が重要である.従前の研究における議論をさらに延長させると,地上風系により形成される収束帯は,関東地方の南部から北部にかけての領域において相模湾からの南風と鹿島灘からの東~南東風の風系によって形成されることから,これらの相互の関連性が示唆される.ここで,パタン_I_と_III_との降水出現日数の偏差は増大傾向にあり(_I_で増大,_III_で減少),これについて地上風系との観点から考察した.偏差が小さい1980~1984年と偏差が増大した2001~2005年とでは,前者の方が南よりの風速成分は小さく後者では関東地方全域において南よりの風速成分が大きい.すなわち,南関東(_III_)および北関東山地域および山麓域(_I_)における降水頻度の経年変動の相違は,地上風系として,南よりの風の強弱に伴い高頻度で現れる収束帯が変位し,それが関東地方の南北間における降水頻度の経年変動に寄与していることが考えられる.
  • 渡来 靖, 中川 清隆, 福岡 義隆, 細矢 明日佳
    セッションID: 320
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    1.はじめに
     2007年8月15~16日は関東平野北西内陸域を中心に猛暑となり、16日には熊谷で40.9˚Cの日最高気温を記録した。前回の発表(地理学会2008春;要旨集p.148)では、この日の領域気象モデルによる再現実験をおこない、猛暑の原因として十分な日射による加熱とフェーンの影響を示した。一方、日射加熱のみにより鉛直1次元的に地上気温が決定された場合、理論上の日最高気温起時は太陽南中3時間後頃となるはずであり、8月16日の熊谷における南中時刻は11時47分なので日最高気温起時は14時47分頃と予測される。さらに移流等の影響が強まれば、出現時刻がより早まると考えられる。そこで今回は、前回と同じ事例を対象に領域モデルによる数値計算をおこない、最高気温起時の空間分布と日最高気温分布の関係について調べた。
    2.計算条件
     数値実験には、非静力学モデルWRF(Version 2.2)を用いた。計算領域は、関東平野を中心とした東西約400km×南北約400km、水平格子点数150×150、格子間隔2.7kmの領域(nest1)と、その内側に関東平野全体を含む格子点数220×220、格子間隔900mの領域(nest2)を設定した。鉛直層は38層とした。計算期間は、2007年8月14日9時(日本時間)を初期値として、8月18日3時までの90時間とした。初期値・境界値には、気象庁メソ数値予報モデル(MSM)GPVデータの0時間予報値を用いた。今回の実験では、地形データや土地利用データを国土数値情報のデータに置き換え、より現実的な境界条件の下で計算を行った。また、都市域の地表面フラックス等は、WRFモデル内蔵の都市キャノピーモデルを用いて計算された。
    3.結果
     2007年8月15日の数値計算結果(nest2)によると、日最高気温が15~16時頃出現する領域は、関東平野中西部を中心にまとまって分布していることが分かる。この領域は、14時の地上風における海風等の侵入がない静穏な領域に対応している。日最高気温が高い領域は、出現時刻の遅い領域とほぼ重なる。一方、日最高気温起時が正午前の領域が海岸付近を中心に見られるが、これは海風の侵入により早い時間から気温の上昇が妨げられるためと考えられる。
     8月16日の計算結果を見ると、日最高気温起時の分布には15日と同様の傾向が見られる。16日の高温は北西からのフェーンが影響していたことは前回の結果からも明らかであるが、高温域が扇状に分布していることもフェーンの影響を示唆している。ドライフェーンの場合、フェーンによる昇温は最高気温の位相にはあまり影響しないと考えられるが、関東平野北西域では、谷間を抜けて来た低温なgap flowの影響により地表面温度の昇温が妨げられ、最高気温起時が早まっていると思われる。
     今回の結果から、関東平野北西内陸域が日最高気温起時の遅い地域となっており、その地域でより高温となる傾向が示された。このことは、十分な日射による加熱があり海風等の移流の影響がないことが高温の主な原因であることを示唆している。
  • ?根 雄也, 日下 博幸, 原 政之, 足立 幸穂, 木村 富士男
    セッションID: 321
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
    会議録・要旨集 フリー
     2007年8月16日に埼玉県熊谷市と中心として発生した猛暑の形成メカニズムを解明するために、WRFモデルを用いた数値シミュレーションをおこなった。同日の熊谷を中心とした関東平野の気象場の特徴は以下のようにまとめられる。(1)16日まで10日間連続で降水が観測されていないため、地表面は乾燥していたものと推測される。(2)熊谷市周辺では北寄りの風が卓越していたため、気温低下をもたらす海風は、海岸付近に限られており、熊谷市を含む内陸へは未侵入であった。WRFモデルを用いて猛暑の再現を試みた結果、地上風系、地上気温ともに良好に再現することができた。
  • 山口 幸男
    セッションID: 401
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    1 はじめに 平成20年3月、小学校・中学校の新学習指導要領が告示された。本稿は新しい中学校社会科地理的分野の特色と研究課題について論じるものである。 2 内容知の地理学習(地誌学習)への転換 3 教育基本法改訂と関わって 4 道徳教育との関連  5 おわりに 以上の考察をまとめると、これからの日本の地理教育は、日本に根ざした地理教育、日本型の地理教育が求められる時代になったといえよう。 参考文献 山口幸男「地理教育の本質と地理学習論の研究課題」、地理教育研究(全国地理教育学会)第1号、pp.2-8, 2008.3. 山口・西木・八田・小林・泉編『地理教育カリキュラムの創造ー小・中・高一貫カリキュラムー』、古今書院、2008.1.
  • 貞広 幸雄, 笹谷 俊徳
    セッションID: 402
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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    空間分割は,地理学における最も基本的な空間構造の一つである.行政区,郵便番号区,選挙区,学区,商圏,駅勢圏,植生区域など,一つの地域には多様な空間分割が互いに影響し合いながら存在している.本論文では,こうした空間分割間の関係を体系的に記述,可視化する手法の提案とその適用を行う.特にここでは,空間分割構造を特徴づける性質の一つである,分割間の階層性に着目し,階層的な類似性という視点を取り入れた手法を提案する. 本論文では,まず2つの空間分割対の関係を記述し,次に,3つ以上の空間分割の関係を分析,可視化する. 2つの空間分割対の関係は,階層性という視点から,1) 同一,2) 包含的階層関係,3) 相補的階層関係,4) 非階層関係,の4つに分類される.このうち2)は,ある分割に含まれる全ての領域がもう一つの分割のいずれかの領域に完全に包含されるときを指し,前者を下位分割,後者を上位分割と呼ぶ.一方3)は,ある分割に含まれる領域のいくつかがもう一つの分割の領域に完全に包含され,他の全ての領域がもう一つの分割の領域を完全に包含するときを指す. これらの関係を定量的に記述し,2つの空間分割対の類似性を評価するために,2つの指標値を導入する.一つは包含的階層距離であり,ある分割で同一,もう一つの分割で異なる領域に含まれる点対の割合のうち,いずれか小さな方の値で定義される.この距離は,2つの空間分割対が包含的階層関係にある場合には0,そこから乖離するほど大きな値となる.もう一つの指標値は相補的階層距離であり,空間的な重複を持つ全ての領域について,2つの空間分割でどちらも異なる領域に含まれる点対の割合を指す.この値も,2つの空間分割対が相補的階層関係にある場合には0,階層性が小さくなると大きくなるという性質を持つ. 2つの空間分割対の関係を見るもう一つの視点として,空間分割の粗度を導入する.粗度とは空間分割の詳細さを示す概念であり,ここでは任意の分割について,同一領域に含まれる点対の割合として定義する.粗度を用いると,2つの空間分割対の類似性を,それぞれの粗度の差の絶対値によって提供的に評価することが可能であり,この値を粗度距離と呼ぶ. 上記指標に加えて,さらに2つの重ね合わせ操作を定義する.上位融合とは,2つの分割の領域境界のうち,共通するものだけを残して重ね合わせたもの,下位融合とは,双方の領域境界を全て残した状態で重ね合わせたものを呼ぶ. 以上の概念を用いると,空間分割をノード,階層関係をリンクとし,粗度を縦軸にとった図式を用いて,3つ以上の空間分割同士の関係を以下のように可視化することができる.ここで,空間分割対の融合操作は,分割対と,それが共有する上位・下位分割との組み合わせによって表現される. この図式を利用し,クラスター分析を適用すると,複数の空間分割を階層性及び粗度という観点からいくつかの集合に分類することができる. 以上の手法を,現在検討されている道州制の33の候補案,及び,国及び各種団体の支分部局の管轄区域を表す34の空間分割群に適用し,それぞれに含まれる空間分割の相互関係の記述と分類を行う.その結果に基づき,提案した手法の妥当性を評価し,今後の課題について論ずる.
  • 頼 理沙, 吉田 喜久雄
    セッションID: 403
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
    会議録・要旨集 フリー
     化学物質のヒト健康リスク評価の精緻化には、物質毎の経口摂取量をより精度よく推定することが重要である。農・畜産物毎に異なる生産地と消費地への流通経路、物質毎の異なる濃度の空間分布を反映した統合的な環境媒体間移行暴露モデルを開発することが必要である。地域間での社会・経済的事象を分析するための数理モデルとして、空間的相互作用モデルがしばしば用いられ、出発地・到着地の特性とこれらの地域間の空間的特徴(吸引性と分離性)によって空間的関係性が定量化される。食品に対するtraceabilityを向上させることが大きな潮流になっており、大量のデータが蓄積されるようになった。膨大な情報、特にデジタルデータを効率的に利用する技術として、地理情報システム(GIS)の重要性が高まっている。GISを用いると、社会経済的属性(説明変数)をさまざまな時・空間的スケールでダイナミック的に把握し、高速に処理し、モデルによって合理的に説明することができる。ヒト健康リスク評価システムの構築に向けてGISベースでの農産物の流通モデルの開発について述べる。
  • 栗島 英明, 玄地 裕
    セッションID: 404
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/14
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     循環型社会の構築に向けて様々なリサイクルの試みがなされている。一般廃棄物についても、容器包装リサイクル法(容リ法)などリサイクル関連法の施行や最終処分場の残余不足などを背景とし、地方自治体はごみの分別収集とリサイクルを進めている。しかし、適切なリサイクルが行われなければ、かえって環境に悪影響を及ぼすこともある。また、ごみの分別リサイクルには多くの費用が伴い、厳しい地方財政を圧迫するおそれもある。
     そこで本研究では、千葉県の香取市・東庄町清掃組合の管轄地域において、ごみの分別リサイクルを実施した際の環境負荷および財政支出の変化を分析した。今回分別リサイクルの対象としたごみは、生ごみと容リ法の対象である「その他プラスチック(その他プラ)」である。一般廃棄物の約30~40%(湿ベース)を占める生ごみのリサイクルは、焼却処理量の削減や効率的なエネルギー回収が期待されることから、近年注目されている。また、「その他プラ」は、他の容器包装系の品目に比べてリサイクルが進んでいない。当該地域では、これらは現在、焼却施設で全量焼却処理されており、今回は現状の焼却処理に係わる環境負荷と財政支出を算出したうえで、生ごみと「その他プラ」の分別リサイクルを導入することによる環境負荷と財政支出の変化を分析した。
     まず、現状の焼却処理に伴う温室効果ガス(GHG)排出量は約6,800トン/年であり、最終処分量は約2,100トン/年であった。これを、日本版被害算定型ライフサイクル影響評価手法LIMEで評価すると、2,700万円/年の被害額となる。また、現状の財政支出は約4.1億円/年であった。ここでリサイクルを行うとGHG排出量の変化は約-5,650~1,280トン/年となり、リサイクル方法によっては地球温暖化をかえってすすめてしまうとの結果が得られた。最終処分量は約-660~-190トン/年、LIMEは-1,700~-200万円/年となり、最終処分量と総合的な環境影響では分別リサイクルが有効であるという結果が得られた。最後に財政支出の変化を見ると10,200~4,700万円/年の増加となることがわかった。
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