日本地理学会発表要旨集
2008年度日本地理学会秋季学術大会・2008年度東北地理学会秋季学術大会
セッションID: 514
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平安時代前半に生じた越後平野中部の地形環境変化
*小野 映介宮本 真二
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抄録

1.研究目的  信濃川の氾濫原が発達する越後平野中部には,古代から近世の考古遺跡が数多く分布する.なかでも,平安時代初頭(9世紀前半)の遺構や遺物は多くの遺跡で検出されており,当時,氾濫原において活発な土地利用が行われていたことが示唆される.しかし,この頃に成立した集落の大半は数十年で廃絶し,続く9世紀後半の遺物の出土例は極めて少ない. ところで,9世紀前半の遺跡における遺物の出土状況には共通点が認められ,浅層部に堆積した層厚が数十_cm_の黒色を呈する腐植土層中,もしくはその下位の層準の最上部に平安時代初頭の遺物が集中して包含される.また,この黒色を呈する腐植土層は遺跡の範囲以外にも広く分布しており,1,150~1,050yrsBPの14C年代値が報告されている. こうした遺物の包含状況は,平安時代前半における遺跡の消長と,黒色を呈する腐植土層の形成の関連性を示唆するが,越後平野中部に広く分布する同層の形成環境については明らかにされていない. 本研究では,平安時代前半(特に9世紀)における越後平野中部の地形環境について,特に黒色腐植土層の形成過程に注目して調査・検討した. 2.黒色腐植土層の分布状況と14C年代  19地点(南北約5_km_)において,ハンドオーガーを用いたボーリング調査を行なった.黒色腐植土層は,地点によって検出深度・層厚・層相が若干異なるが,地表面下1m以浅に広く分布しており,シルトを基質とし,層厚は10~50_cm_,上位をシルト~細砂によって覆われている.分解の進んだ有機物を多量に含んでいるため,黒色を呈する場合が多いが,ヨシなどの未分解の植物遺体を多く含み暗灰色を呈する地点もある.黒色腐植土層と下位の層準との境界はシャープであるが,同層の上部は上位の層準に漸移的に変化する. 地表面下40~30_cm_(標高3~3.1m)の黒色腐植土層の14C年代測定を実施した結果,Cal AD 780-990の値を得た. 3.花粉分析結果  黒色腐植土層からは,木本花粉のハンノキ属(Alnus)や草本花粉のイネ科(Gramineae)が多産する.他の木本花粉では,マツ属単維管束亜属(Pinus subgen. Haploxylon),マツ属複維管束亜属(Pinus subgen. Diploxylon),カバノキ属(Betula),アカガシ亜属(Quercus subgen. Cyclobalanopsis),コナラ亜属(Quercus subgen. Lepidobalanus),ブナ属(Fagus)等が産出する.また,草本花粉ではヤナギ属(Salix),ヨモギ属(Artemisia)等が産出する.  このように,ハンノキ属の多産で特徴づけられる本層準は,上記以外ではガマ属(Typha)などの湿性種も産することから,一時的な水域を伴うような湿潤な地表環境であったことが推定される. 4.まとめ 越後平野中部では,平安時代前半(AD900)頃に広域に及ぶ湿潤化が生じ,一時的な水域を伴うような環境のもとで腐植土層が形成された.当地域における9世紀後半~10世紀の考古遺物の検出量が少ないのは,氾濫原の低湿化による居住環境の悪化を反映したものと推定される. こうした同時的・広域的な環境変化は,氾濫原の通常の発達過程で生じることは考えにくい.この時期に何らかの大規模なイベントが生じたと考えられるが,この点については今後の検討課題とする.

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