抄録
バンコクはチャオプラヤ・デルタの下流域に立地している。タイの王朝はチャオプラヤ川を下るように都を遷移させ、18世紀後半にバンコクを王都と定めた。デルタの湿地帯ゆえに川(舟運)が交通の幹線となり、運河の建設によって交通網が築き上げられた。現在の王宮もチャオプラヤ川と運河に挟まれ、同心円状にまたは放射線状に運河は郊外へと伸びている。欧米諸国による近代化への圧力は、それらの運河網に加えて道路の建設を要請した。19世紀から20世紀にかけて自動車の普及もあって道路が交通の主軸となっていく。しかし運河も交通と利水の機能を持続させていくのである。
プライメイト・シティとして、タイにおけるバンコクの都市規模は他都市と比べものにならないほど卓越している。人口の集中もさることながら都市機能や生産基盤もバンコクとその周辺に立地してきた。すでに通勤者の居住地や工場等の職場はバンコク都(BMA)の範囲を越えている。それを支えているのが自動車による移動であり、逆に鉄道網の不備ゆえの深刻な交通渋滞を引き起こした。最近になって都心部での移動は高架鉄道と地下鉄によって便利になったが、運河の舟運も通勤に利用されている。バンコクにおいても水環境とのかかわりが減っている一方で、自然環境的な都市基盤が受け継がれてきた。
都市機能のひとつとして、バンコクにおける宗教施設(寺院)の分布も考えてみたい。人口分布は郊外化を進めているなかで、まだ寺院は都心部に集中している。さらに詳細に分布を分析してみると、チャオプラヤ川や運河網との関係が浮かび上がる。そこでは高層ビルが乱立し、土地利用が変容した地表面の景観上からは見えてこない、都市の人間活動の一側面が見えてくる。