日本地理学会発表要旨集
2009年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 409
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条件不利地におけるツーリズム事業の成功とその要因
-長崎県小値賀町の事例-
*田代 雅彦
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抄録

 我が国の地方圏,とりわけ農山漁村地域においては,基幹産業である農林漁業の長期にわたる低迷,さらに地域経済を下支えしてきた公共事業の縮小により,人口が減少し,活力が低下している。こうした中,特に1990年代以降,「観光」が地域活性化の切り札として期待されるようになり,これまで観光地ではなかった多くの地域でグリーンツーリズム等の観光振興が取り組まれるようになった。観光は,経済規模や雇用効果が大きい産業と言われている。しかし,交流人口の増加が地域の収入増加をもたらし,雇用や経済の活性化に結びついている地域は少ない。
 その中で長崎県小値賀町は,条件不利地でありながら,ツーリズム事業に成功した数少ない事例のひとつである。本報告ではその成功の理由を,主に2009年2月に実施した現地ヒアリング調査に基づいて考察することを目的とする。
 この町は,九州本土から西に60kmの五島列島の北部に位置し,主島である小値賀島を中心に大小17の島々からなり,人口は約3,000人である。毎日,佐世保港からフェリーが4便(約3時間),高速船が3便(約2時間),博多港からフェリーが1便(約5時間)就航している。島には空港もあるが現在定期便はなく,長崎市からの日帰りも困難な交通不便な離島である。一部が西海国立公園に指定されているものの,一級の景勝地はなく,決して観光が盛んな島ではなかった。
 ツーリズム事業としては,まず,小値賀本島の東にある急峻な地形の無人島である野崎島で,元・小中学校を宿泊施設に改造し,2001年より「島の自然学校」を設立。カヌー,シュノーケリング,魚釣り,トレッキングなど多彩な体験メニューを整備した。次に,小値賀本島で2006年から島民に「民泊」での協力を依頼し,ホームステイしながらの食事づくり,漁業体験,農業・畜産体験など,島民の暮らしとふれあいを核にした多彩な体験メニューを整備していった。
 2007年には観光産業を一元化する組織として,野崎島の「自然学校」,小値賀本島の「民泊組織」,そして町の「観光協会」の3つを統合し,「NPO法人おぢかアイランドツーリズム協会(以下,IT協会)」を設立してワンストップサービスを実現した。IT協会設立のキーマンとなったのは,外部からの移住者である。IT協会では,島民の30人に1人が会員という地域ぐるみの活動を展開し,島外にも事業協力者やファンを拡大していった。
 そして,IT協会自身でつくる様々な主催事業のほか,定住促進事業,子ども農山村漁村体験事業,海の体験事業等といった国等からの委託事業や,旅行会社ツアーの受入など多彩な事業を展開している。また,港のターミナルビルの指定管理者となり,売店も運営している。
 結果,小値賀町への観光客数は,IT協会設立前の年間約3,000人から8,000~1万人へと増加し,宿泊者数も2006年以降,民宿を中心に増加に転じている。IT協会の事業規模は,2007年度は6,000万円,2008年度には約1億円に達し,人口約3,000人の町で2009年度に10人の常勤雇用者(2007年度スタート時4人)を創出している。現在,IT協会では町からの運営補助金を一切受け取らずに運営できるまでに成長している。
 小値賀町が,観光を地域経済の活性化に結びつけた要因は,(1)IT協会が設立当初から,単に交流人口を増やして賑わいを創出するのではなく,産業として島の経済が潤うように “外貨”を獲得し,常勤職員の増加,行政からの自立という明確な姿勢を持っていたこと,(2)IT協会という事業,PR,問い合わせ対応など観光に関わる全てを一元化した組織と,リーダーが存在していること,(3)IT協会が訪島前に客の要望をつぶさに聞き,マンツーマンに近い形できめ細かく応えるオーダーメイド型の旅行を志向していること,(4)体験型が中心でリピーターが多いこと,(5)多くの町民がIT協会の事業に協力し,生業の中で無理なく観光事業に参画し,わずかでも経済的なメリットを享受していること,にある。

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© 2009 公益社団法人 日本地理学会
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