日本地理学会発表要旨集
2009年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 517
会議情報

日本における農村観光の展開に関する一考察
商品化する日本の農村空間に関する調査報告(7)
*呉羽 正昭
著者情報
会議録・要旨集 フリー

詳細
抄録

1.はじめに  日本の農村空間はさまざまなかたちで商品化されてきた。なかでも人びとの観光行動は,この商品化に関する重要な媒介のひとつである。人びとが観光行動のために農村空間を訪れるという行為は,農村空間を消費しているとみることができる。さらに,農村空間における観光開発は,観光者の訪問を見込んだ商品化のプロセスである。  日本における農村観光は,1990年代初頭以降,「グリーンツーリズム」概念の導入とともに大きく発展してきた。しかし,農村における観光活動はそれ以前からも存在していた。農村観光に関する研究では,近年の傾向に関するものが多いものの,農村における観光形態がどのように変化してきたのかについては未解明の部分が多い。そこで本研究では,日本における農村観光の展開にみられる諸特徴を明らかにする。とくに,明治期以降の農村観光の時間的展開について分析するが,さらに可能な限りその地域的展開についても触れることとする。 2.農村観光の展開  人びとは観光目的でいつから農村空間に滞在するようになったのであろうか。最古のものとして考えられるのは,山梨県勝沼町の観光ぶどう園で,1890年代に成立した。ただし,当初は「遊覧園」としての性格のもので,ブドウを鑑賞する形態にすぎなかった。ただし多摩川沿岸地域のような一部の地域では,昭和初期に果実の「もぎとり」を行う観光体験形態がみられた。このほか,第二次世界大戦以前には,房総半島沿岸地域や長野県白馬村,菅平高原において今日の民宿の原型が存在した。  1950・1960年代になると,観光農業の普及が顕著にみられた。大都市や地方都市の近郊に位置する果樹産地では,訪問客自身による果実の「もぎとり」が流行した。とくに甲府盆地,長野盆地などの果樹産地では,主要な道路沿いに観光果樹園が林立する景観が出現した。また,果樹ではないものの,イチゴにも同様の形態がみられた。さらに,農山漁村では民宿が著しく増加した。民宿は,スキーや海水浴の大衆化とともに廉価な宿泊施設として注目され,多くの宿泊客が訪れた。長野県白馬村などでは,スキー場開発の進行とともに民宿が大規模化し,冬季以外にも営業されるようになった。多くの場合スポーツ合宿が顧客となったが,そのために農業的土地利用がスポーツ施設へと転用された。また,同時期,大都市近郊に大規模なレクリエーション施設としての観光牧場が立地した。  1970年代以降,公的な観光事業によって農村観光は推進されることになる。たとえば,農林水産省は農業構造改善事業の一環として1971年から自然休養村事業を開始した。このほか複数の省庁によって類似の事業が農村空間で実施されている。さらに,1980年頃以降は,産地直売施設や市民農園など,農村観光には多様な形態が出現するようになった。その後もグリーンツーリズム振興とともにさまざまな形態・施設・サービスの展開がみられる。 3.考察とまとめ  1960年代までの日本の農村観光は,観光農園,民宿,観光牧場などの施設を中心に展開していた。ただし,これらの施設はいずれも農村空間自体を目的としての利用されたわけではない。つまり,農村空間に特異なルーラリティを消費するといった形態ではなかった。観光農園への主要な訪問目的は果樹のもぎ取り体験であり,またそこは広域周遊観光ルート上の立ち寄り地とされた。民宿は,海水浴やスキーのために滞在する宿泊施設がその地域に存在しなかったために代替施設として,また観光大量化とともに安価な宿泊施設が必要となり整備されたものであり,農村空間での滞在を目指した人びとは少数であったと思われる。観光牧場も遊園地的な性格が強い施設であり,必ずしも農村空間に存在する必要はなかった。いずれの施設も積極的理由ではなく,付随的・消極的理由によって農村空間に滞在するために利用されたと考えられる。  しかし,1970年代以降になると純粋な都市住民の増加などを背景として,国民の田園景観や農村文化への興味が徐々に増大し,積極的な理由で農村空間を訪れる人びとが増加していった。グリーンツーリズムの登場は,ルーラリティ消費の増大を助長する側面も有している。今日,農村空間における公的な観光事業などの政策的な後押しもあって,農村空間を商品化しようとする動きが活発である。しかし,農村空間には1960年代以前の農村観光の形態も依然として存在している。つまり,今日の農村空間には,こうした異なる農村観光形態が共存しているのである。

著者関連情報
© 2009 公益社団法人 日本地理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top