日本地理学会発表要旨集
2010年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: S1302
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<子育て>と都市空間
保育をめぐる地理学的視座の検討
*久木元 美琴
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抄録

1. 問題意識
1990年代以降,少子化が社会問題として広く認知された結果,子育て支援・保育サービス整備は現代日本における喫緊の政策課題となっている.保育サービスの供給や利用には,産業構造や女性のワーキングスタイル,家族構成,財政・政治的側面など地域の諸条件が関係している.裏返せば,保育の問題を通じて,地域の政治・経済・文化といった特徴を明らかにすることが可能である.
本発表では,こうした地域の様々な条件に影響を受けた保育サービスの供給体制や利用構造のあり方を<子育て>と表記し,それを通じて都市空間を見通すいくつかの視点を提示したい.
2. ポスト工業社会における女性労働
保育サービスへの学術的関心の強まりは,ポスト工業社会における働く女性の増加によって生じている.既婚女性の就業率は高度経済成長期に低下したが,1975年以降,サービス経済化の進行等により上昇し,働き方も多様化した.さらに,1990年代以降には,不況と雇用の不安定化から,若年世帯の共働き率が上昇している.この結果,育児の外部化≒保育サービスが重要性を増している.
3. 都市の地域的文脈と地理学における保育サービス研究
こうした状況下で,東京大都市圏は保育サービス不足が最も顕著な地域として位置づけられる.東京都は全国的にみれば女性就業率が低いものの, 1970年代後半以降,女子労働力率の上昇幅が最も大きい地域である.しかも,公務員などの多い地方圏とは異なり,都市の女性就業者の多くは民間企業の雇用労働力で,特に中小企業の場合には育児休業の利用や定時帰宅が難しい場合が少なくない.さらに.核家族が多く育児のサポート資源に制約があるうえに,職住分離の都市空間構造のために通勤時間が長く,家事育児と就業の両立が困難で,保育時間などの面で多様なニーズが生じやすい.
4. 都市の<子育て>をめぐる視点
 以上を背景として,国内地理学分野でも,1980年代以降,時間地理学的手法による大都市圏の既婚就業女性の制約が論じられてきた.1990年代以降,都心回帰等の東京大都市圏の空間構造の変化や,新自由主義的政策を背景とした民間参入の促進によって,都市における<子育て>は新たな局面を迎えている.それを踏まえ,以下の視点を提示する.
(1) 分極化する?都市と<子育て>
 都心周辺に位置する江東区豊洲では,臨海部開発と高層マンション建設によって子育て世帯が大量に流入した.流入世帯は通勤時間の短縮を実現したが,子育て世帯の大量流入で保育サービスが不足し,出産後に復職できない事例が出てきている.その一方で,認可保育所に入れない子育て世帯にとって,民間サービスが重要性を増している.
 他方,郊外に残された待機児童問題や,由井(2002)も指摘するインナーシティの母子世帯の問題は,大都市圏内部における「<子育て>の分極化」とでもいうべき事態を生じさせている.同時に,保育資源の地域格差は,「足による投票」を通じて,居住地構造に変化をもたらす可能性がある.
(2) 都市の<子育て>を担うのは誰か―ケア労働の空間構造
 保育需要の増大と民間参入が進むことによって,ケア労働の需給構造も重要な問題となる.海外先進国では,サービス経済化や世界都市化の下,低階層の移民労働力がケア労働者として高階層の女性就業を支える構造(Global care chains)が指摘されている(Sassen 2006).
 しかし,移民労働力を前提としない日本の労働市場では,それとは異なるケア労働の需給構造があらわれる可能性がある.一般にケア労働はシフト勤務や低賃金など過酷な労働環境になりがちである.日本の場合,認可保育所のケア労働者は比較的安定した労働環境を享受していたとされる.しかし,今後民間部門の比重が増すことで,ケア労働者の労働環境の変化と,利用者との階層化が生じることも予想される.こうしたケア労働の需給構造が空間的にどのように表出されるかを明らかにすることは,日本の大都市の特性を示すうえで重要である.
【文献】
Sassen, S. 2006. Cities In a World Economy. Pine Forge Press: California.
由井義通2002.シングル・アゲインの住宅問題.若林芳樹・神谷浩夫・木下禮子・由井義通・矢野桂司編著『シングル女性の都市空間』大明堂.

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© 2010 公益社団法人 日本地理学会
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