日本地理学会発表要旨集
2010年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 209
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大阪の百貨店業の成立による商業空間の発展
昭和戦前期における東京の百貨店業との比較において
*末田 智樹
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抄録

 本報告では、昭和初期から昭和戦前期にかけての大阪におけるターミナルデパートの成立と、それによる商業空間の発展について解明することを目的とする。1990年代以降の明治後期から昭和初期にかけた日本の百貨店史に関する学術的研究を簡単にみておくと、社会文化史的視角からの研究として流行・催し物の変遷、広告やディスプレイ、服飾、デザイン・建築などと、商業・流通論的視角からの研究として取扱商品の拡大過程や部門管理制など、大別して2つの側面を明らかにした研究が多数を占めてきた。しかしながら、語るまでもなく百貨店は企業の形態として経営を展開してきたにもかかわらず、従前に企業経営の史的視点である経営史、経済史、商業史、企業者史、歴史・経済地理学からの研究はほとんどみられなかった。なぜならば、それは研究分野の大きな枠組みで言うところの経済史・経営史的な観点からの百貨店史研究が、過去に積極的に進められてこなかったためである。すなわち、日本の近代化および資本主義化過程の研究は、明治期から昭和戦時期までの工業部門を主とした産業資本(財閥)の成立・発展過程に重点が置かれ、それにともなって生成した近代的商業資本の本質的研究の進展は不十分であったからである。そのうえ従来、昭和戦前期までにおける百貨店と言えば、三越を筆頭に松坂屋上野店、白木屋、松屋、?島屋東京店などの東京を中心とした呉服系百貨店が前面に押し出され、本報告の主題であるターミナルデパートに関して大きく論じられることはなかった。されど、百貨店の店舗立地を礎とした昭和戦前期までの都市商業空間の発展にとって、昭和初期に創始されたターミナルデパートは欠かせない役割を果たしていた。そこで、具体的には昭和戦前期における大阪のターミナルデパートの成立過程について浮き彫りにすることで、この時期までにターミナルデパートを成立させた要因とは何であったのか。そして、ターミナルデパートよりも先行して営業活動していた大阪の呉服系百貨店の成立状況に関しては、東京の百貨店業と比較してどうであったのか。加えてターミナルデパートの登場が、現代に繋がる大阪の都市商業空間の原型を完成させていたのかについてもつまびらかにしたい。昭和戦前期までの全国におけるターミナルデパート化の状況では、小林率いる阪急百貨店が昭和4年に設立されて以降、阪急沿線のターミナルデパートから大阪市内北部のデパートへ、さらに大阪市全体の大百貨店へと変貌し、大阪・東京の私鉄会社による百貨店経営や全国の新興百貨店の勃興へ大きな刺激を与えた。しかも、ターミナルデパートである阪急百貨店、東横百貨店、岩田屋の3社提携連立構想も考えていた小林の果たした役割はすこぶる大きかった。阪急百貨店と?島屋の現前以降、大阪では大鉄百貨店、大軌百貨店、阪神百貨店が参入し、一方同じ大都市の東京では京浜デパートや東横百貨店の成立へと広がり、明治後期以来の呉服系百貨店とは異なったターミナルデパートという百貨店スタイルが大いに波及し、福岡市の岩田屋や岡山市の天満屋など地方百貨店のターミナルデパート化にも多大なる影響を与えた。そのことは昭和戦前期までの日本における百貨店業による大都市商業空間が、呉服系百貨店も含めて東京よりも大阪の方が、最終的には発展をみせていたことを意味しよう。既述のような昭和戦前期までの大阪を中核としたターミナルデパートの成立が、現下の私鉄ターミナルデパートの百貨店業界における売上高では上位を占める重き存在価値や、全国のJR型のターミナルデパートなど百貨店業界での勝ち組を導き出し、戦後期以降今日までの日本における独特の百貨店業態発展の肝心な要となっていたのであった。

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