日本地理学会発表要旨集
2010年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 314
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モンゴルにおける森林再生事業の維持システム
タシハイン・アマ谷とトジーン・ナラスを比較して
*ツェレンバト チンバヤル
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抄録

研究目的
 本研究はモンゴルの自然再生事業の1つとして行われた森林再生事業の維持システムを明らかにすることである.研究では森林再生事業の維持システムを明らかにするため,ウランバートル市で実施されたタシハイン・アマ谷の植林事業とセレンゲ県で実施されたトジーン・ナラスの植林事業を比較した.

研究方法
 本研究は,2つの地域の植林事業を,環境・社会・経済の3つの観点から検討した.環境の観点は,植林地の地形や土壌などの土地条件や気候条件,および従来の植生から,植林事業の適応性(環境に適応した植林方法か否か)を検討するものである.社会の観点は,植林事業がどいのような社会的背景に基づいて行われ,どのような社会階層の人々を担い手としていたのかを検討するものである.他方,経済の観点は,植林事業の経費やコスト,およびそれらに見合う効果をもたらしたかどうかを検討するものである.最終的には,環境の観点と社会の観点,および経済の観点の相互関係を明らかにし,3つの観点で植林事業が支えられることによって持続性が高められることを明らかにする.

研究地域の概要
 ウランバートル市内の森林地域において森林火災が多く発生し,森林面積の消失が著しかったのが,本研究の対象地域であるボグド山一帯であり,タシハイン・アマ谷であった.この地域の森林面積の消失は,旱魃と雪害で家畜を失った遊牧民が都市周辺に流入し,ウランバートルの都市人口が急激に増加したことと関連している.都市周辺に流入してかつての遊牧民は貧困層ないし最貧困層を形成し,森林を無許可で伐採(盗伐)して生活していた.森林で活動する彼らの火の不始末が山火事の大きな原因となり,森林面積の多くが失われていった.この失われた森林を再生する事業として植林が行われた.
 他方,セレンゲ県は標高600mから800mの高度帯に森林地域が広がり,その森林景観は「トジーン・ナラス(美しい赤松林)」と呼ばれ,特別保護区として約8万haの森林が保全されていた.しかし,資本主義経済への移行により,人々が現金収入を求めるようになると,保護区の森林も盗伐の被害を受けるようになった.加えた,盗伐者の火の不始末による山火事の被害や病虫害の被害により,約6万haの森林が荒廃してしまった.この荒廃した森林を再生する事業として植林事業がセレンゲ県でも行われた.

タシハイン・アマ谷の植林事業
 ウランバートル市のタシハイン・アマ谷における植林事業は日本のNGOとモンゴルの地域NGOとが連携して行った.この事業の主要なコンセプトは森林再生と貧困層の救済であった.そのため,実際の植林者には貧困層の人々が雇用され,貧困者に現金収入をもたらされた.同時に,貧困層の人々に森林環境の重要性を啓蒙することもできた.しかし,この植林事業は予定された植林面積を達成することができず,植林した苗木の活着率も低かった(活着率80%以上をよていしていたが,多くの植林地で60%程度であった).
 タシハイン・アマ谷の植林事業の失敗にはいくつかの原因があった.第1はNGO館の連携の脆弱性で,その結果,植林の専門的な知識の取得や適切な植林地の確保が適切に行われなかった.第2は貧困層の人々の雇用であった.彼らは植林事業よりも日々の糧や現金に興味があり,植林や環境保全には無関心であった.第3は,事業支出の無計画性であった.事業支出の多くは植林でなく,貧困層の人々の食費に充てられていた.以上の失敗の原因は1つ1つ独立しているはけでなく,それぞれが相互に螺旋的に関連して植林事業の失敗を決定づけてきた.

セレンゲ県のトジーン・ナラスの植林事業
 タシハイン・アマ谷の植林事業の失敗を踏まえて,セレンゲ県の植林事業が行われた.ここでの植林事業の大きなコンセプトはNGOなどの植林事業主体の連携の強化であった.つまり,国,地方自治体,国際NGO,地域NGOが連携して,植林事業を行うようになった.複数の主体間で環境や社会,および経済に適応した植林事業を支え,そこにることにより,森林再生事業の維持システムが構築されるようになった.

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© 2010 公益社団法人 日本地理学会
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