日本地理学会発表要旨集
2010年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 717
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米軍統治下の口之島における密貿易組織
*三上 絢子
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抄録
 第2次世界大戦終結後(以下、戦後)、1946年2月2日に日本政府は連合最高司令部より日本の領域について、若干の外郭地域を政治上、行政上、日本本土から分離することに関する指令を受けた。それによって、北緯30度以南のトカラ列島、奄美諸島、沖縄諸島は、日本政府から行政分離され米国軍政府に移管されることになった。行政分離により島々の経済の基盤である唯一の海路が、海上封鎖され自由渡航は停止された。
 海上封鎖の解禁は、日本国とアメリカ合衆国との間で復帰協定の締結が発効したことによって、1952年2月10日にトカラ列島が、1953年12月25日に奄美諸島が日本に返還されて自由渡航が実現し、沖縄諸島が1972年5月に琉球諸島および大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定によって、日本へ返還された。日本本土から行政分離された口之島以南のトカラ列島と奄美諸島を研究対象地域とし、特に北緯30度線上の口之島を中心に考察した。
 日本本土と国境線上の口之島は、戦前カツオ漁業が盛んで鰹節生産で島の経済は成り立っていたが、行政分離後に日本側と奄美側から密貿易船が行き交う密貿易の拠点となった島である。
 従来このような密貿易が、地理学研究の中で取り上げられることはなかったが、報告者は米軍統治下の奄美諸島における密貿易の実態を地域的視点から考察し、奄美諸島での密貿易船の出入りに関わる地域的特質を明らかにした(三上、2008)。しかし、奄美諸島と日本本土との間の密貿易による物資の地域的移動の仕組みについては、課題として残されていた。
 本研究の目的は、米軍統治下において日本本土との境界線、北緯30度線上の口之島において展開した密貿易の実態を通して、奄美諸島と日本本土との間の密貿易による人及び物資の地域間交易関係の仕組みを明らかにすることである。
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© 2010 公益社団法人 日本地理学会
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