抄録
I 研究の背景・目的
都市の居住地域構造に関する研究は,小地域人口統計が全国的に整備され始めたことや,計量的手法が普及したことなどを背景に,1970年代以降広く展開されるようになった(阿部2003).しかし,都市の居住地域構造の時空間的な変化に関する研究は,現在までそれほど活発に行なわれていない.近代から現代までを取り扱った数少ない事例であるUeno(1984)は,1920年,1930年,1970年の3時点における東京の居住地域構造を分析し,第2次世界大戦前の東京が工業化途上の都市であったのに対し,戦後には近代的な欧米型都市へと変化したとしている.しかし,1930年から1970年の間のどの時期に変化したのかについては十分に明らかにはされていない.関東大震災や戦災が変化の契機となった可能性も考えられるが,詳細な居住者特性を把握できる小地域人口統計を,連続的な年次で入手することは困難であり,変化の時期や契機を確定することは難しい.
一方,筆者のこれまでの調査によれば,総人口や世帯数などの基本的な項目に関しては,特定の都市に限れば,1920年の第1回国勢調査の前後から現在まで,比較的連続した年次で小地域人口統計を入手できる.基本的な項目から得られる指標は人口密度や世帯規模,性別の人口比率などに限られるが,組み合わせて利用することで,都市の居住地域構造の変遷の一側面を描写できると考えられる.そこで,本研究では,総人口などの基本的な項目から都市内部の人口分布の連続的な変化を分析し,都市の居住地域構造の長期的な変遷過程を明らかにすることを試みる.とりわけ,東京を対象として,震災や戦災と都市の居住地域構造の変遷との関係について若干の考察を加える.
分析の対象とする期間は,東京に関する小地域人口統計が利用可能な1908年から2005年の18時点(一部を除いて5年間隔)とし,分析に利用する空間単位は町丁目とする.なお,資料的な制約から,各分析時点における東京市および東京23区の範囲を対象地域とし,周辺の町村については検討の対象とはしない.
II 資料・方法
各分析時点のうち,1908年に関しては東京市市勢調査の結果を利用し,1939年に関しては警視庁が実施した戸口調査の結果を利用する.その他の時点に関しては,国勢調査結果に関する速報値および確定値を利用する.なお,町丁目単位のGISデータとして,1990年までに関しては1950年代に発行された1万分1地形図をベースに作成したものを利用し,1995年以降に関しては東京大学空間情報科学研究センターの研究用空間データ利用を伴う共同研究による,国勢調査の町丁・字等境域データを利用する.
各分析時点で利用できる,総人口,男女別人口,世帯数(一部は普通世帯数)の数値とGISデータから,人口密度(人/km2),世帯規模,男性人口比率の3つの指標が求められる.少なくともこの3つの値からは,人口増減や単身者の増減に加え,伝統的な都心部に居住していた多数の奉公人を抱える商業者の大世帯の増減も把握できると考えられる.
III 結果と考察
18時点の3指標の分析の結果,以下の点が確認された.
・都心部における3指標の値は,戦災を契機として,1950年時点ではいずれも減少するものの,人口密度,男性人口比率は1960年まで,世帯規模は1955年までそれぞれ増加傾向を示す.
・世帯規模は,1960年以降,東西の差異が明確にあらわれ,西部での縮小が先行するようになる.2005年には,大半の地域で3人以下となった.
・人口密度は,時間の経過とともに東京市,23区の周縁部に向けて値の高い地域が広がっていくが,おおむね山手線沿線に形成された3万人/km2を超える高密度地帯は,1965年前後をピークに縮小し始め,都心部,都心周辺部での人口減少が確認できる.2005年時点では,都心部での若干の増加も確認できる.
・男性人口比率に関しては,値の高い地域は1960年時点で都心部およびその東部であったものの,その後は沿岸部に限られるようになり,山手線内側のうちの南半分では大幅に低下している.
上記の結果からは,戦災による一時的な影響はあったにせよ,1960年ごろまでは,戦災前の状態,すなわち工業化途上の居住地域構造を回復しようとする動きがみられたと推測され,1965年以降に,大きく変化していったと考えられる.今後,より詳細な項目に関する小地域人口統計の利用や様々な統計データの併用によって,綿密な分析を行なっていく必要がある.また,戦災や震災との関連性を明らかにするには,京都のような戦災被害の小さい都市などとの比較分析が必要であろう.
[参考文献]
阿部和俊2003.『20世紀の日本の都市地理学』古今書院.
Ueno, K. 1984. The residential structure and its change in Tokyo: 1920-1970, Doctoral thesis, University of Tsukuba.