抄録
1.はじめに 2004年10月23日に発生した新潟県中越地震では,被災住民の生活再建の一手法として防災集団移転促進事業等を用いた住居の移転復興事業が実施された.ただし,これらの事業の多くは「集団」もしくは「個人」による移転であり,「集落」移転ではない.つまり,集落に残ることを選び,そこで今も生活を営む住民がいる.地震から8年が経とうとする現在,「将来の展望とか新しい事業なんてちょっと考えられない」「集落を持続しろと言われても,おれらにしたら存続しづらい状況にさせられたというジレンマがある」と残った住民が吐露するように,集落に残ることを選んだ住民たちの生活,特に集落維持の見通しは明瞭とは言い難い. その一つの背景には,移転復興事業の多くは,従前の宅地を「災害危険区域」として指定するため,跡地の宅地利用が困難となっているところにある.つまり跡地に「移転住民がいつか帰ってくる」あるいは「新住民が都会から転居してくる」といった期待が持てず,結果として,人口増を想定しない村づくり,というこれまでにない課題を突き付けられることとなっている.加えて,不在地主が増加したことにより,農地を中心とする土地管理についてのビジョンが定まらず,耕作放棄地の増加等に手の打ちようがない,という無力感も指摘できよう. 新潟県中越地震における住居移転に関わる先行研究では,移転復興事業を利用した人々の意思決定プロセス,移転先での生活適応や,移転への評価が厚く検討されているが,事業を適用した集落の現状や住民生活について論じたものは数少ない.石川ほか(2008)も中越地震における住宅再建が落ち着いてきた現状の課題として,集落に残った住民の生活やその地域の維持管理を挙げているように,その現状の検討は社会的に意義深い. 本発表では,新潟県中越地震で甚大な被害を受けた小千谷市東山地区を事例に,地区内で実施された防災集団移転促進事業のプロセス,宅地跡地および付随する農地の現状,および,こうした諸問題に対する残された住民たちの対応について検討する.