抄録
_I_.はじめに
日本の山地斜面における過去の地形プロセスの復原に関する研究は,氷河・周氷河地形を中心に行われてきた.これらの地形が分布する斜面は,氷期の森林限界よりも高い標高の斜面に限られることから,これまでは日本アルプスや北上山地,北海道での報告例が多い.一方で,本州中部の中起伏山地など,氷河・周氷河地形が分布しない高度帯には,過去の地形プロセスが検討されていない斜面が多く残されている.このような斜面の形成史とそのプロセスを明らかにすることは,日本列島の地形発達史や環境変遷史を総合的に検討する上で重要な意味を持つと言える.山地斜面には過去の地形プロセスを反映した斜面堆積物が残ることがある.このような斜面堆積物のうち,斜面下方に向かって岩塊が幅数メートルから数十メートルの帯状を呈して,数百メートルも伸びているものを岩塊流と呼ぶことがある.このような岩塊の堆積地形は,比較的低標高の山地斜面にも分布している.岩塊流は過去における山地斜面の形成史や山地の環境変遷史を明らかにするための資料となり得る.本発表では岩塊流が持つ地形学的諸問題を整理する.
_II_.岩塊の生産
これまでの報告例から花崗岩類の岩石から構成される岩塊堆積地形が多いことが明らかである.このことは花崗岩類の風化特性(特に深層風化によるコアストーンの生成)が岩塊の生産に寄与していることを示唆している.しかし,流紋岩や安山岩さらには超塩基性岩等を基岩とする地域においても,岩塊堆積地形は分布する.
これまでの報告によれば,岩塊の生産プロセスは,凍結破砕作用による岩石の機械的風化や深層風化によるコアストーンの生産であるとする見解と,崩壊や地すべりが岩塊流に岩塊を供給したとする見解がある.しかし,岩塊斜面や岩塊堆積地形を構成する岩塊が,斜面のどこで,どのようなプロセスで生産されたかについて明確に言及している報告は少ない.このことは,岩塊の生産源はどこかといった基本的な問題すら解決が困難なことを示唆している.
_III_.岩塊の移動
岩塊斜面や岩塊堆積地形を構成する岩塊堆積物の移動プロセスには不明な点が多い.特に周氷河性の物質移動プロセスで岩塊が移動したとされる岩塊堆積物については,周氷河作用が引き起こす物質移動プロセスのうち,どの様なプロセスが関与したのか明らかにされていない.現状では周氷河性の物質移動プロセスのうち,具体的にどのようなプロセスで岩塊が移動したのかを説明するのは困難である.しかし,今までに報告された岩塊斜面や岩塊流は,その大半が現在その発達を促すプロセスが働いていないと考えられている.そのため,現在とは異なる気候環境下でより強力に働いた物質移動プロセスとして,周氷河性の物質移動プロセスが注目されてきたのであろう.一方,非周氷河性の物質移動プロセスによる岩塊の移動には,地すべりや崩壊,岩石なだれなどが考えられている.
_IV_.岩塊斜面・岩塊流の形成期
今までに報告された岩塊斜面や岩塊堆積地形には,最終氷期中に形成されたとするものと,後氷期に形成されたとするものがある.しかし,テフラなどの確かな年代資料にもとづいて形成時期が詳しく議論されている報告は少ない.岩塊斜面,岩塊堆積地形の形成時期は,ケースによって異なり,約9万年前から現在にいたるまで,その時期は様々である.しかし,最終氷期と後氷期の両時期を通じて形成プロセスが働いたとする例は報告されていない.この事は岩塊堆積地形の形成時期,形成プロセスが,従来の研究では最終氷期と後氷期とで大きく二分されることを示しているが,これには以下のような問題があると考えられる.従来,「現在働いている地形プロセスでは形成プロセスが説明できないことから,過去の気候条件の下に現在とは異なる種類(あるいは強度)の地形プロセスで形成された」とする考えがあり,いくつかの例では氷期に周氷河プロセスで形成されたとする見解があった.しかし,澤口・長谷川(1989)のように,新たな証拠に基づいて検証した結果,形成時期が大幅に修正されることがある.形成年代に関する証拠を持たない岩塊斜面や岩塊堆積地形については,年代試料を採取し,形成年代を再検討する必要がある.