日本地理学会発表要旨集
2011年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 921
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韓国の干潟開発論争地の「その後」にみる環境保全と開発
*淺野 敏久
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抄録

1.はじめに  韓国で大きな環境問題論争を引き起こしたセマングムとシファの干潟開発に関して,報告者らは2003年より,断続的に利害関係者等への調査を行ってきた。その結果の一部を浅野ほか(2009)として報告したが,今回の報告では,そこでも述べたようにセマングム干拓反対運動が,堤防閉め切り直後から,急速に縮小したことに関連して,日本の状況とは対照的に異なる「その後」の状況を,同様に環境悪化が問題になったシファ開発の現状とあわせて紹介することにしたい。 2.シファ湖の「その後」  韓国の西海岸は干潟が発達し,1960年代から政府によって積極的に干拓事業が進められてきた。そこでは食料増産,住宅開発,産業団地開発などが行われてきた。一方で,環境への関心の高まり,民主化後の環境市民運動の隆盛などにより,大規模な自然改変をともなう開発に対して環境面から問題視する動きもみられる。  シファ干拓は,干拓事業が環境への悪影響を及ぼすことを人々に知らしめる転機になった開発事業である。農地や工業団地開発のために,約1.3万haの干潟を干拓し,約4千haの海面を閉め切って淡水湖にする計画が立案された。1994年までに防潮堤が建設され,湖は海から閉め切られた。水門が閉められると湖の水質が急速に悪化し,農業用水源として使えないばかりでなく,悪臭被害や沿岸農地に風の塩害をもたらすなどした。結局,淡水化による水資源開発をあきらめ,水門を開いて海水を流入させることになった。  しかし,シファ湖では,水資源開発を断念し水門を開いたという話では終わらず,海水流通のために堤防を開削し,そこに潮力発電施設を建設するという計画がたてられ,実際に建設された。さらに,干拓地には風力発電施設の建設も検討され,当該地域の干拓計画は,自然エネルギーを用いる「環境に配慮した持続的開発」として,工業団地開発,都市開発,リゾート開発が進められつつある。大規模開発による干潟の環境問題震源地は,エコロジカルな産業開発予定地という場所になっている。 3.セマングムの「その後」  セマングム干拓は1991年に着工された。33kmの防潮堤を築き,その内側に約3万haの新しい土地と1万haの淡水湖をつくる計画で,当初は農地開発を目的としていた。シファ湖の環境悪化問題が社会的関心をひいたことで,セマングム干拓も大きな社会問題となった。地元の漁業者や市民にとどまらず,全国レベルで環境団体その他市民団体や研究者らが計画への疑念を表明し,反対運動が拡大した。反対運動のピークは2003年の三歩一拝行進が行われた頃で,反対派と事業推進派のそれぞれの示威活動が活発に繰り返された。2006年には堤防がつながり広大な干潟は外海から遮断されてしまった。非常に活発であった全国的な反対運動は,その後,急速に縮小してしまった(関心と運動資源を他の開発事業に向けてしまった)。  反対派の運動が縮小してしまうと,推進派の一極であった全羅北道は国への開発推進圧力を強めた。2007年にはセマングム開発を推進するためのセマングム特別法が制定され,2010年には防潮堤が完成するとともに,セマングム総合開発計画が確定した。そもそもは大規模な農業用地を開発する干拓事業であったセマングム開発は,その事業の中心を工業・都市開発および観光開発を行う内容に変わった。ここでも再生可能エネルギーを利用した親環境的な「持続可能開発」を行うことが志向されている。 4.おわりに  2010年末に福岡高裁判決を受け,諫早湾干拓事業地での閉め切り堤防の開門調査が行われることになった。セマングムと諫早湾では水門の閉め切り・開放を求めて,同じ時期に裁判が行われ,いずれも原告勝訴の判決が出され,その後の展開が注目された。日韓の運動関係者等の相互訪問や連携も活発になり,両者は対比して議論されることも多かった。しかし,わずか数年しか経っていないのに,諫早では地道な運動が継続され,開門調査にまでつながりそうなのに対して,セマングムでは開発への反対運動はほぼ影を潜め,むしろ逆にセマングム開発は,21世紀に誇る地球環境に優しい「韓国の緑の希望」と喧伝されるに至っている。この差がなぜ生じるのか,この差がもつ意味は何なのか,議論を深めることが望まれる。ただし,今回の報告では韓国の状況を報告するにとどめ,論点の洗い出しや着眼点の整理を行いたい。

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