日本地理学会発表要旨集
2011年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: P1421
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石狩低地帯における明治時代以降の土地利用の変遷
*小野 理三島 啓雄北川 理恵高田 雅之
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抄録
1.はじめに  石狩低地帯は、石狩平野とも言われる石狩川中下流の平野部と、その南側に隣接して勇払平野とも言われる勇払川・美々川など太平洋岸に面した平野部を合わせた地域を指し、2つの平野を合わせると、全国で関東平野に次ぎ2番目に大きい平野である。  本研究では、石狩低地帯における明治時代以降の土地利用の変遷をGIS(地理情報システム)を用いて解析し、その地域別の変遷の傾向を明らかにすることを目的とする。 2.石狩低地帯開拓の経過概要  江戸時代までは海岸線沿いに限られていた北海道の開拓は、1869年の北海道開拓使開設以降、石狩低地帯を中心に急速に進んだ。当初は畑作が奨励されたが、1890年代から稲作奨励に方針が転換され、以降、水田開発が進んだ。自然の姿で大きく蛇行していた石狩川では、浸食による開拓地の流亡や流木・砂の堆積による舟運への影響などから、治水事業が開始され1920年頃から蛇行部のショートカットが行われた結果、水位が低下し、排水が可能になった周辺の湿地でさらに農地の開発が進み、湿地が減少した。1970年代以降では、減反政策の開始後、水田から畑への転換や都市化が進んでいる。  このように開拓・開発が進んだ石狩低地帯であるが、地域ごとにより詳しく土地利用の変遷を見ると、地域に応じてその傾向が異なる。 3.方法  北東側は沼田町・深川市、日本海側は石狩市・小樽市、太平洋側は白老町からむかわ町に至る石狩低地帯について、国土数値情報(国土交通省)の50mメッシュ標高データを用いて標高値50m以下の地域を抽出し研究対象範囲とした。  土壌条件から開拓以前の状況を推定・GISデータ化するとともに、明治・大正期の田畑の分布を入力し、開拓の進展の状況を地図化した。1976年以降は、国土数値情報の土地利用メッシュデータを利用して、土地利用の状況を把握した。年代別・地域別に土地利用の状況を集計し、比較を行った。 4.結果・考察 明治期の畑の拡大、大正・昭和中期までの水田の拡大、その後の水田の縮小と都市化の進展を定量的に示し、地図化することができた。開拓に伴う畑・水田の拡大は、地域によって時代の差異があり、泥炭土壌の分布の影響を受けていることが明らかとなった。  こうした変遷を経て、石狩低地帯に残された湿地や森林はわずかとなっており、これらの湿地・森林は地理学的・生態学的観点から重要な地域であると考えられる。本研究のポスターでは、これらの結果を地図等を用いて明らかにする。  今後は、土壌や地形の情報を増やして、開拓以前の状況をより細かく推定することにより、土地利用の変遷をより詳しく示すことができると考えられる。  今後の人口減少や食料・エネルギー問題等を見据えた場合、石狩低地帯ではわずかに残された湿地・森林の維持・保全を図るだけでなく、市街地の拡大を防ぎ可能な範囲で縮小を図る、農業の継続が困難な土地では自然復元・森林造成を図るなどの動きが生じると想定される。これらの解析結果は、地域ごとにどのような自然復元等を図るのか、目標設定を行う際に活用できるものと考えられる。 参考文献 北海道開発局農業水産部農業計画課 1991. 石狩川流域の土地利用開発100年. 図  石狩低地帯の土地利用割合の変遷 (千歳市以南を除く、標高50m以下の地域)
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© 2011 公益社団法人 日本地理学会
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