日本地理学会発表要旨集
2011年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: P1422
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明治期漢文教育における自然災害の扱い
*佐藤 剛市川 毅
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抄録
■はじめに 明治27年に発行された『中學漢文讀本』巻之四には,幕末の漢学者鹽谷誠 (号簣山,1812~1874)の「信州地震記」が掲載されている.明治期における旧制中学の漢文教育において自然災害が扱われていることに興味をもった発表者らは,上記著書を口語訳し,その内容と在り方について考察した. ■訓読・口語訳と記載内容 「信州地震記」本文(図)の訓読および口語訳は,ポスターで掲示する.ここでは主となる内容を紹介する. 1)災害の中で震は最も悲惨な状況を生む. 2)弘化4年(1847年)に発生した信州地震(善光寺地震)では様々な現象(亀裂,噴砂,火災,水害)が見られた.また,地震動は北越高田にまで及んだ. 3)善光寺詣のために信州を訪れた旅行者が,地震による家屋倒壊にともない被災した. 4)地震により地すべり(岩倉山地すべり)が発生した.それにともない地すべりダムが形成され河川の水位が上昇した.その後,決壊にともなう洪水により,松代城下および川中島が浸水した. 5)「伏陽」が蓄積して極限に達した時,「天」(大気)においては雷,「地」(地下)については「振動」(地震)が発生する.また,西洋の説によれば,山の多い国,火山の多い地域に発生する.天明期(本文執筆時期の60数年前)に発生した浅間山の噴火(天明3年(1783年)にともない火山灰が広い範囲に降下した.それにともない人畜が多数死んだ.これは「伏道」が地底に貫通し,硫黄や硝石が「伏陽」と相互反応を起こすことで,激しく爆発した結果である.天明期にはこれが地上に現れ(浅間山噴火),今回は地下に現れた(善光寺地震).両者は異なるように見えるがその原理は同じである.あえて両者についてかたり今後の戒めとする.合わせて有識者にこのことを伝える. ■考察 ・自然災害の被災状況をただ記載するのではなく,陰陽五行説など東洋的な知識・思想を援用しながら地震および火山の発生プロセスについて論じている.加えて,西洋自然科学の視点からも議論されている.本文の記述に従えば,「信州地震記」は浅間山噴火後60数年を経過した時期,つまり日本がまだ鎖国状態にあった江戸末期に執筆されたものである.この時期に,漢文学者が西洋自然科学の知見を取り入れている点は興味深い. ・現代の高等学校における漢文教材は,漢詩と哲学,思想および歴史を中心としており,自然災害を記述した内容は皆無である.当時の漢文教育においては,漢文が持つ客観的な状況描写力を踏まえ,このような自然災害に関する文章も教材として評価されていた. ・『中學漢文讀本』巻之四には,「信州地震記」のほか,同じ著者による「火災記」も掲載されている.教科書編集において,過去の災害について記述した文章を取り上げていることは,漢文の教材としてだけではなく,防災教育の意味もあったと考えられる.
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