抄録
■はじめに 南アルプスの主稜線部には,数は少ないものの雪窪が分布する.雪窪に夏まで残る残雪は,積雪が相対的に早く消える周囲の斜面とは異なる地表環境を作り出すので,そこで生じる地形形成作用の様式や植生分布に重要な影響を与えてきたと考えられる.そこで,本研究では,南アルプス南部の大聖寺平に分布する雪窪を対象として,その形成過程を明らかにする.
■対象地の概観 大聖寺平は赤石岳の北方約1 kmの主稜線上の鞍部一帯をさす.主稜線付近には化石周氷河性平滑斜面が広がっている.調査対象とした雪窪は主稜線の東側に分布する.ここでは,稜線に沿って5つの雪窪が並んでおり,その分布範囲は最終氷期極相期以前に氷食を受けた斜面に相当する(五百沢1979).なお,雪窪における積雪深は20 m以上に達すると考えられ(岡沢ほか1975), 2005年と2006年には残雪は7月下旬までには消失した.
■雪窪の形態的特徴 簡易測量を実施し,雪窪の斜面形を明らかにした.斜面傾斜はおおむね30゜であり,斜面最大傾斜方向に浅い凹型を示す.また,地形断面にはソリフラクションローブや階状土に由来すると考えられる階段状の微起伏が認められる.とくに,斜面上部と下部にはライザーの比高が1mに達する比較的大きなソリフラクションローブが認められ,雪窪の縁を取り巻くように分布する.雪窪の外縁部は化石周氷河性平滑斜面と接しているが,雪窪と化石周氷河性平滑斜面との境界は漸移的で,やや丸みを帯びている.
■雪窪の斜面表層物質 雪窪中央部を通る測線沿いで斜面表層物質を記載した.雪窪の外縁部ではハイマツが生育し,比較的厚い腐植質土層が地形を覆っている.また,土層の下部には鬼界アカホヤテフラ(K-Ah)が挟在する(試坑1,2).その内側には高茎草本群落がみられる.腐植質土層が地形構成層を覆うが,試坑1,2に比べると層厚はやや薄く,K-Ahは認められない(試坑21,8).また,試坑21では,土層基底から放射性炭素年代5604-5487 cal BP(IAAA-102424)が,試坑8では1296-1263 cal BP(IAAA-102424)がそれぞれ得られた.その内側は残雪砂礫斜面からなり,基本的に無植被斜面である.
以上述べた表層堆積物および土層の状況から,雪窪は3つの地形面に分けられる._I_面: 雪窪の縁辺部にあってK-Ahを含む土層が雪窪の表層堆積物を覆う.ハイマツが生育していることが多い._II_面: _I_面の内側にあって,土層が生成するものの,土層中にK-Ahは認められない.高茎草本群落が成立する._III_面: _II_面の内側にあって,砂礫斜面からなる部分である.
■雪窪の形成過程 雪窪の縁辺部にあたる_I_面は最終氷期極相期以降に形成され始め,少なくともK-Ahが降下した7300年前までには安定化した._II_面では7300年前以降も地形形成作用が継続していた.土層基底の放射性炭素年代からみると,5500年前頃に地形が形成されなくなった部分と,1300年前頃以降に地形が形成されなくなった部分とがある.完新世中盤から後半にかけて残雪の滞留期間の延長が生じていたとみられる._III_面は現在もなお地形形成が続いている残雪砂礫斜面であり,凍結融解に関連する作用や,融雪水,降雨によるウオッシュなどが生じている.物質移動が生じていない巨礫原では地表に細粒物質を欠くため,逆に地表まで細粒物質が見られる場所では物質移動量が大きいために,植生の定着は困難な状況にある.