日本地理学会発表要旨集
2011年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 326
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農家の土地所有からみた小規模開発住宅地の形成要因
*西山 弘泰
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抄録
1.はじめに 戦後,我が国の大都市圏の都市化は,農地や山林を無秩序に開発するスプロールによって進められてきた.その主な担い手とされているのは,1955年に創設された日本住宅公団や高度経済成長期後半に急成長を遂げた大手不動産資本で,素地の安価な山林や丘陵地をその資金力をもって造成し,大規模かつ整然とした住宅地を開発していった.しかし,大都市圏の市街地は街路や区画が不整合で,様々な用途から構成された住宅地も多くみられる.これらの割合を数値で示すことは非常に困難ではあるが,都心から10 km以遠では,成熟した市街地の中に農地が混在している光景をみることができ,それはより郊外において顕著である.こうした農地が郊外の各所で散見されるのは,個々の農家やその他の地主がそれぞれの合理的判断の下に土地を少しずつ転用または売却した結果であると考えられる.農家の農地転用に関する研究は,都市化が急激に進んだ1970年代や生産緑地法改正の議論が活発化した1990年前後に多く取り組まれている.しかし,2000年以降,そうした成果は管見の限りでは存在しない.そこで本研究では,首都圏郊外における小規模開発住宅地における農家の土地所有や売却行動から小規模開発住宅地が形成された要因を明らかにする. 2.調査概要  本研究では埼玉県富士見市関沢2丁目(以下,関沢地区)を事例地域とした.関沢地区は富士見市の西端に位置し,東京都心から30km圏である.最寄り駅は東武東上線鶴瀬駅であり,当駅へは徒歩4分から11分の距離にある.関沢地区は1970年前後を中心とした小規模開発によって急速に都市化した地域であるが,現在でも農地や駐車場など利用した虫食い状の開発が続いている.不整合・狭隘な道路に狭小な戸建が並び,その中にアパートや商店,駐車場,農地,林地などが混在していて,無計画な開発によって形成された住宅地の典型ともいえる. 土地所有の変遷を確認するために土地課税台帳を利用した.これは富士見市税務課が固定資産税の徴収のために土地登記簿を転記したものである.よって1930年頃から現在までの関沢地区の全土地所有者を把握することができる.関沢地区には2010年8月時点で2,584筆の登記が確認できた.本研究では関沢地区において都市化がはじまる以前の1960年から2010年8月までのすべての登記情報を対象に分析を行った. 3.結果と考察  1960年の対象地域は都市的土地利用がみられず,関沢地区の総面積約23haのうち9割が農家の所有で,その多くが農地であった.1960年の所有者数は107名で,うち農家であると考えられるのは89名であった.このことからも,対象地域は非常に多くの農家によって所有され,一農家あたりの所有規模は平均2反程度であった.また所有の分布をみてみると,比較的広い農地をまとめて所有している農家はわずかであった.さらに,1960年頃の関沢地区は農家の家屋が数軒程度しかなく,所有者は対象地域の周辺を中心として,東西3kmの間に広く分布していることがわかった.以上のように,対象地域の土地所有から対象地域が耕地として機能していたこと,土地所有者が多かったことなどが,土地の小規模な売却を招き,結果として小規模開発が行われていったと考えられる.  関沢地区の住宅地開発のピークは1960年代後半である.その要因は都市計画法の改正や当地域がこの時期に都市化の最前線であったことなども指摘できる.一方でミクロな要因としては農家の起業,すなわち貸家,貸事務所・店舗,ゴルフ練習場,転職資金など事業用資金の確保が主な目的であった.こうした行動の背景には,起業や事業拡大を積極的に勧め,開発用地の確保を目論む東上線沿線の不動産ブローカーや地元の中小開発業者などの関与が指摘できる.その後,農家の土地売却は減少するものの,固定資産税対策のための駐車場や賃貸共同住宅の建設や相続など,農地転用は個々の農家の判断により継続されていく.  以上のように現在の対象地域の雑然とした景観は,当地域の土地所有形態が素地となったものの,個々の農家の判断,不動産業者の存在,法制度などさまざまな要因がその時々に折り重なった末の結果である.発表当日は,個々の農家のインタビュー結果も合わせて議論を進めたい.
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© 2011 公益社団法人 日本地理学会
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