抄録
本発表の目的は,持続発展教育(ESD)の導入による地理教育変革の道筋を提案することにある。そのためにESDが地理教育に求める革新の方向,ESDに対する国際地理学連合地理教育委員会(IGU-CGE))の動向,そしてESDの基本原理を提案するユネスコが地理教育に与えた影響について検討する。
ESDを主導するユネスコの「国連ESDの10年国際実施計画(2005-14)」は,全ての教育カリキュラムへのESDの導入を各国に要請し,日本は「わが国における国連ESDの10年実施計画(2006)」を策定した。その中でESDの「育みたい力」を,体系的で批判力を重視する代替案の思考力,データや情報の分析能力,コミュニケーション能力,持続可能な開発に関する価値観,としているが,中でも,価値観はESDにとって最も重要である。また,教育振興基本計画(2008)は,ESDを「持続発展教育」と呼び,向こう5年間の重要施策の一つと定めた。さらに教育課程審議会は,ESDを「持続可能な社会の構築に寄与する能力を育てる学習」と位置付け,新学習指導要領は関連科目の目標や内容にその実施を盛り込んだ。
IGU-CGEはルツェルン宣言(2007)を発表し,ESDとしての地理教育の原則を示した。同宣言は,持続可能な開発が,未来指向の人間と自然の調和の概念であること,そして世代,国家,文化,地域の間における公正の概念であり,社会的,環境的,経済的な問題に加えて,世界的な責任と政治参画にまでひろがる,とした。IGU-CGEはこの宣言の原則を地理教育の基礎として強力に推進する,と明言した。同宣言は,ESDのための地理カリキュラム開発の基準として,地理的テーマ,学習地域,学習方法の選択基準を具体的に示し,地理のESDにおける情報通信技術(ICT)の重要性を明らかにしている。ユネスコの「国際実施計画」のほとんどの「行動計画」が地理的であることは,ESDにおける地理学の存在意義を示すものであり,地理はESDのカリキュラム開発の中心として位置付けられている。この宣言は,ESDとしての地理教育の最終目標を,持続可能な社会の構築をめざす価値観・意識の変革とそのために行動する能力を備えた人間の育成であり,ESDとしての地理教育は社会変革を指向するものである,としている。
ESDの推進にあたり教育振興基本計画は,ユネスコ・スクールによるESDのモデル事業を推奨している。ユネスコ・スクールは,戦後初期に始まったユネスコ協同学校計画が母体となっている。この協同学校計画とESDの共通性は,学習内容が総合的かつ学際的であること,学習方法が講義に加えて,グループ活動や調べ学習,発信型の発表学習などであり,ユネスコ協同学校計画はESDの先駆的な道標といえる。1956年の日本における協同学校計画の研究主題は,広島大学附属高等学校の例では,「人権の研究」「他国の研究」「国連の研究」であり,1973年に「開発」と「環境」が追加された。1984年度の研究主題は「世界の諸問題とそれを解決する国連」「人権」「他国及び他文化」「人と環境」であった。ユネスコは1974年に「国際教育に関する勧告」で,全地球的に共通する重要課題を提示し,その解決に向けての実践的態度の育成を提言した。協同学校計画の実践は,初期の段階から学習指導要領に関わり,教科教育としての枠組みをその前提とした。とくに,地理教育の取り組みは,研究主題の内容的な重なりもあり,教育実践に大きな役割を果たした。いま,ESDとしての地理教育は,分化社会科の学習内容をいかに統合するか,が問われている。そしてユネスコ教育としての包括的な枠組みを踏まえた未来社会を構築する教科としての地理教育についての議論を深化させる必要がある。
ルツェルン宣言は,地理教育のESDへの世界的な取り組みの重要性を提案し,日本の教育政策は,ユネスコの教育革新運動の理念を戦後一貫して受容し,国家政策の中に織り交ぜてきた。日本におけるESDとしての地理教育の推進に必要なものは,政府の目標とともにIGU-CGEの提案やユネスコ教育全体の流れの十分な理解をふまえた取り組みの結果が,世界の推奨モデルとなるような積極的なかかわりである。