日本地理学会発表要旨集
2011年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 606
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米軍統治下における奄美と沖縄との非正規交易の地域的展開
*三上 絢子
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抄録

米軍統治下における奄美と沖縄との非正規交易の地域的展開
Regional development of non-regular trade between Amami and Okinawa under the U.S. military rule
三上 絢子(法政大学沖縄文化研究所 研究員)
Ayako MIKAMI (Hosei University lnstitute of Okinawan Culturs, Resercher)
キーワード : 米軍統治下、非正規交易、与論島、沖縄
Keywords : under the U.S. military rule, Non-regular trade, Yoronjima island, Okinawa


1.はじめに
 第2次世界大戦後(以下・戦後)、1946年2月2日に日本政府は連合軍最高司令部より日本の領土について、政治上、行政上、日本本土から分離する旨の指令を受理した。北緯30度線以南のトカラ列島、奄美諸島、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島は日本政府の権限から分離され、アメリカ軍政府の支配下におかれることになった。その結果、北緯30度の境界線によって「海上封鎖」され自由渡航も禁止となった。  海上封鎖が解禁され自由渡航が実現したのは、日本国とアメリカ合衆国との間で日本返還の締結が発効したことによって、1952年2月10日にトカラ列島が、1953年12月25日に奄美諸島が、1972年5月15日に沖縄が日本に返還されたことによってである。
2.研究対象地域
 第2次世界大戦前(以下・戦前)には、日本本土から奄美へ生活必需品から教材に及ぶあらゆる物資が移入されていた。戦後はこのような正規の交易は断絶したが、一方盛んに非正規交易(密貿易)が行われた。その拠点となったのが日本本土との境界線北緯30度に位置するトカラ列島口之島である。1953年奄美諸島の日本返還後は、奄美諸島最南端北緯27度線に位置する与論島が、口之島と入れ替わるように非正規交易の拠点の島となった。本報告では、非正規交易の拠点となった与論島と沖縄本島北部国頭村の奥集落を研究対象地域とする。
3.研究目的
 米軍統治下の非正規交易が地理学研究の中で取り上げられることはなかったが、筆者は米軍統治下の奄美諸島における非正規交易の実態を地域的視点から考察し、奄美諸島での交易船の出入りに関わる地域的特質とトカラ列島の口之島における非正規交易の拠点の特質について明らかにした(三上、2008)。しかし、奄美諸島と沖縄との間の「物流」については課題として残されていた。
 1953年12月25日に日本国とアメリカ合衆国との間で、日本返還の締結が発効したことによって奄美諸島が返還されると、これまでの口之島と入れ替わるように奄美諸島最南端の与論島が、非正規交易の拠点としての島となった。そこで本研究の目的は、1946年から1972年まで北緯27度線を挟んで、特に初期の段階では米軍統治下の奄美諸島の与論島と沖縄国頭村奥集落との非正規交易と、1953年12月25日以降は与論島を拠点として、沖縄本島中心部周辺に交易拠点が移動した非正規交易の構造を地域との関わりから明らかにすることである。
4.結果
(1)交易拠点地域の変遷
 戦後間もなくからの奄美諸島の与論島と沖縄国頭村奥集落との非正規交易は1946年2月~1950年に至って、奥の部落常会の物資持ち出し禁止の決議事項による対応に接点が見出せず、沖縄側の交易拠点は次第に他の集落に移動する結果となった。1953年12月25日に奄美諸島の日本返還によって、奄美では与論島が交易拠点の島となり、沖縄側では次第に沖縄本島中心部の周辺地域に非正規交易の拠点が拡大した。
(2) 人的ネットワーク―戦前から与論島には日本本土、奄美、沖縄の寄留商人が商業に従事しており、戦時中に撤退した商人達との人的ネットワークが存在していた。
(3)交易物資の変容
1) 運搬手段は、個人所有のサバニーにアメリカ製の12馬力エンジンを装備して従来より機能的になり、遠方の沖縄本島中心部周辺との海上航路も活動し易くなった。
2) 交易物資の存在として、戦後間もなくは奄美から沖縄への交換物資は主に食料であったが、その後日本本土の生活用品に変わり、沖縄からは、真鋳・銅・鉛、嗜好品などの米軍物資が交換品となった。

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