日本地理学会発表要旨集
2012年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 807
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発表要旨
魏志東夷倭人伝の方位と里程
*野上 道男
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抄録

 魏志倭人伝は日本の地誌に関する最初の文書である.方位や里程の定義が示されていないので、記事の地名がどこに相当するかについて、様々な説がある.日本では倭(ヰ)国をワ国と読み、元祖ヤマト近畿説の日本書記がある.中国では随書の倭国伝・旧唐書の倭国伝・新唐書の日本伝に混乱した記述がある、江戸時代には新井白石/本居宣長(18世紀初頭/紀末)の研究があり、明治時代を経て皇国史観の呪縛を離れたはずの現在に至るまで、いわゆる邪馬台国論争として決着がついていない.そして現在では所在地論は大きく近畿説と九州説に分けられ、観光(町おこし)と結びついて、ご当地争いが激化し、学術的な論争の域を越える状況にある. 年代の明らかでない出来事の記述は歴史にならない.同様に場所を特定しない事物の記述は地理情報ではない.つまり、魏志倭人伝の読み方は全て場所の特定(方位と里程)から始まる.倭人伝は記紀と重なる時代についてのほぼ同時代文書である.そこに記述された歴史がどこで展開されたのか、これは古代史にとって基本的な問題であろう. 主な要点は以下の通りである
1)記事に南とあるのはN150Eである.(夏至の日出方向)
2)倭及び韓伝で用いられた1里は67mである.(井田法の面積に起源があると推定)
3)古代測量は「真来通る」「真来向く」方向線の認定が基本である.
4)里程は全て地標間の距離である.
5)来倭魏使の行程記述には往路帰路の混同がある.
6)子午線方向の位置(距離)を天文測量で得る方法を知っていた.
7)邪馬台国は卑弥呼が「都せし国」である.
8)倭国の首都は北九州の伊都(イツ)国である.

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