抄録
アンコール・ワットは,おもに砂岩やラテライトブロックの組積みにより12世紀に建造された宗教遺跡であり,世界遺産に登録されている.ここでは,熱帯特有の環境による風化や内戦等の人為的影響により,砂岩やラテライトブロックの劣化を認めることができる.しかし,アンコール・ワットのような広い面積(東西1025m,南北820m)を有する遺跡では,構造物の位置や向きにより石材の風化環境や風化状況は異なっているようである.とくに,中央祠堂を囲む最も外側の第一回廊は,砂岩ブロックからなる内壁や柱(外柱,内柱)で支えられているが,内柱の下部は乾湿風化により凹み(深さ5~50mm)がみられる.この凹みは柱の外側で深く,内側で浅い傾向が顕著である.そこで,本研究では,第一回廊内柱の強度測定をもとに,回廊の風化環境や凹みの形成条件について考察した.
第一回廊は,東西約220m,南北約200mの長さをもつ方形の回廊で,全205本の内柱がある.内柱の強度測定は任意に選定した55本の柱を対象に,エコーチップ硬さ試験機を用いて実施した.すなわち,測定した柱は北側回廊で15本,西側回廊で12本,東側回廊で11本,南側回廊で17本である.測定箇所は,柱の外側と内側の2面を対象に,1) 柱下部に形成された凹みの最奥部,2) 回廊の床面から高さ80cmおよび高さ125cmである(計330箇所).エコーチップによる測定は,連打法および単打法でそれぞれ柱表面を5回ずつ打撃して行った.そして,連打法の測定値は上位3点の平均値をLmax,単打法の測定値は5回の平均値をLsとした.
強度測定の結果,Lmaxは東西南北の各方位の回廊および柱の両面で500HLD前後を示し,柱の設置位置や向きによる違いは認められなかった.これに対して, Lsの平均値は,柱の内側,外側ともに凹みの最奥部が高さ80cm,125cmより低いということがわかった.これは,柱の風化が凹みの最奥部で進行していることを裏付けていると考えられる.凹み最奥部のLsは,内側の平均値が外側の平均値より低いことが示された.柱の内側は空気が滞留しやすく,湿気が逃れにくい建築構造となっている.このため,柱の含水比が高く保持され,Lsは低く示されたと推測される.一方,柱の外側は日射を受けやすく,柱の内側よりも乾湿の繰り返しが頻繁に起きると予想される.柱下部の凹みの深さが外側で深く,内側で浅い傾向が認められるのは,このような乾湿変動の大きさや頻度の差異に関わっているものと考察される.ところで,最奥部のLsを回廊の向きごとに比較すると,柱の外側のLsは南側で最も低く(平均355HLD),北側で最も高い(平均440HLD).一方,柱の内側のLsは,回廊の位置に関わらず南側回廊の柱外側のLsよりもおよそ低い.これは,柱の内側や南側回廊でとくに風化が進行していることを反映していると推察される.