抄録
ベトナムでは、棚田のことを「ルン・バック・タン」(階段状の水田)とよぶ。北部ベトナムでは少数民族が耕作する壮大な棚田がみられる。報告者らの予察調査やGIS分析によると、北部ベトナム・サパでは棚田の開発が現在もなお進行中である(Isoda et al 2011)。北部ベトナムにおいて、モン族やザオ族に代表される少数民族は、急速な人口増加を経験し、農業の集約化高度化によって人口増加に対応してきた。そうした北部ベトナムの棚田地域におけるかれらの生活には、少数民族の伝統的な山地資源利用のほか、タックァ(ブラック・カルダモン)に代表される商品作物の存在が欠かせないこともわかってきた。また、1990年代以降、サパでは外国からの観光客の増加にともない、自家製の工芸品を売ったり、観光客のガイドをしたりする少数民族の姿も多くなった。当地の棚田景観や民族分布の多様さなどが、国内外から注目されてきた。
サパでは、棚田の開発が進んだのは1980年以降であるという。村のなかには、以前ほどではないとはいえ、今なお棚田開発が進んでいる。すでに多くの土地が開発された状況下で、今後どのような展開をみせるのだろうか。本報告では、北部ベトナム・サパの村落を事例として、少数民族による棚田開発と耕作の現状を、現地調査結果をもとに描出することを試みる。対象村については、モン・ザオ両民族が居住するラオカイ省サパ(県)のチュンチャイ村を中心に取り上げたい。棚田開発へのアプローチは、日本だけでなく東・東南アジアを含めた総合的な棚田地域の開発や現状解明に資すると考えられる。本報告の調査は、2009年9月、2010年9月、2011年7月、2012年3月、2013年3月に断続的におこなった。
チュンチャイ村は、サパの北東部に位置し、面積39.10k㎡、7つの集落からなる。世帯数641戸、3,541人が居住している(2011年)。民族別では、モン族が全体の7割、ザオ族とキン族が3割を占める。当村では、農業や山地資源利用、家畜、蒸留酒、商店が生計の主であり、観光の影響はほぼない。畑ではトウモロコシの作付が顕著で、これは家畜の飼料に利用される。家畜は、自給用かまたは販売用に供される。
サパでは、2000年代以降、従来の在来種にかわってハイブリッド種が普及し、収量は飛躍的に向上した。また、1970年代から化学肥料が使用され始めた。こうした化学肥料や農薬の類は、中国から輸入されたものが多くを占める。村の生活や生業面でも近代化が進んで、とくに国境を接する中国との関係は無視できない。
棚田の開発過程は、相続との関係で考える必要がある。棚田の相続は、概して均分相続であるものの、末子は結婚後も両親と同居するため、他の兄弟と面積に違いが生じることがある。分家後は、家族人口の増加にともない棚田を新規に開発する。したがって、相続した棚田と開発したそれとの所有パターンとなるのが一般的である。
世帯における棚田開発のケーススタディによると、兄弟親戚や友人間の労働交換がみられる。開発時期は、農閑期の冬であり、労働力の調達量などによって同一面積でも短期から中長期におよぶ場合がある。棚田の造成には、クワやスコップ、鉄の棒、柄の長いカマ、小型のオノといったおもに5種類の道具を使用する。
棚田の耕作管理は、おもに4月~9月であり、田植えなどでは家族労働以外に兄弟・親戚間の労働交換もみられる。検討の結果、棚田での農作業と、他の生業とのかかわりあいのなかで労働配分がなされている。すなわち、米は自給的性格が強く、棚田の存立基盤には主要な現金収入源(タックァや賃金部門)の存在があらためて認識される。チュンチャイ村では観光の恩恵を直接受けていないため、上述した収入部門の依存度や位置づけの詳細な検討が求められる。