日本地理学会発表要旨集
2013年度日本地理学会秋季学術大会
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発表要旨
  • 2000年代以降の生鮮品輸出の拡大
    荒木 一視
    セッションID: 606
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    1990年代以降,青果物をはじめとした生鮮農産品の貿易が注目されている。欧米を中心としたこれらの研究は主にヨーロッパとアフリカ,あるいは北米と南米間の貿易を中心とした成果である。こうした新たな農産物貿易を形成した背景やメカニズムに対しての研究が進められている(Hughes 2000,Dolan and Humphrey 2004, Hughes and Reimer eds. 2004,Fold and Pritchard 2005)。これに対して筆者は日本を中心としてアジアの青果物貿易に光を当ててきた(荒木1997,2009a,Araki 2005)。こうした背景を踏まえて,近年急速に園芸農産物,とくに生鮮野菜や果実の輸出を拡大しているインドに着目し,環インド洋地域において形成されつつある農産物貿易の新たなパターンを描き出すことに取り組んだ。
    近年のインドの園芸農産物輸出については,2000年代以降の急速な拡大を指摘することができる。1990年代には百万トンに満たなかった輸出量が,2000年代後半には3百万トン前後となっている。統計の母体が異なるために厳密な比較はできないものの,日本の同品目の輸入量は4百万トン余(2010年 日本貿易振興会『アグロトレードハンドブック』より冷凍野菜,熱帯果実,生鮮野菜,漬け物・野菜調整品,果実飲料,乾燥野菜,温帯野菜,かんきつ,切花の合計)である。インドは日本の同カテゴリーの輸入量をやや下回る程度の輸出量を有しているといえる。  輸出量において特徴的なのは生鮮タマネギを筆頭にした生鮮品(野菜,果実,花卉)の輸出の拡大である。その一方で,かつては少なからぬシェアを有していた乾燥野菜・貯蔵野菜(dried and preserved vegetables)は2000年代以降輸出量そのものが減少している。また,漬け物類(pickles and chutneys)は2008-09年度以降,統計区分から除外されている。マンゴー果肉(mango pulp)やその他の加工青果物(other processed fruits and vegetables)は一定程度の輸出量を維持しているものの,シェアは低下している。輸出額においては,総じて加工品の単価が生鮮品のそれよりも高いために,生鮮品のシェアが圧縮された形になるものの同様の生鮮野菜や生鮮果実のシェアの増加が確認できる。
    品目別で高い単価(Rs/kg)を示すのはクルミ類の298Rsや種子類の157Rs,花卉類の103Rsなどである(2010-11年度)。クルミ類の輸出先は,英独仏やスペイン,エジプトが中心で,花卉類は米英独蘭と欧米諸国が多数を占めている。一方,種子類ではおよそ半量がパキスタンに単価113Rsで輸出される他,バングラデシュにも72Rsで出荷されている。一方これらと比べて輸出量は多くないものの,日米や,オランダ,シンガポール向けの単価は500~1000Rs程度に達する。このため輸出量では20倍以上の開きのあるパキスタンとオランダが輸出額では拮抗する。  
    これに対して生鮮青果物の単価は廉価で,主要品目の中ではブドウが40Rsで最も高く,マンゴー28Rs,バナナ18Rs,野菜類ではタマネギ15Rs,ジャガイモ9Rs,トマト17Rsなどである。輸出量の最も多いタマネギはバングラデシュ,スリランカという隣国に15Rs前後で出荷される他,17Rsでマレーシア,15RsでUAEとイスラム諸国にも出荷されている。同様にトマトは輸出量のほぼ半量がUAEに22Rsで出荷されるのに対して,輸出量の3割を占める隣国のバングラデシュ向けの価格は10Rsである。果実類でもブドウの輸出量の4割を占めるバングラデシュ向けの単価は14Rsであるのに対し,UAE向けは47Rsとなる。なお欧州向けは60~80Rs以上である。マンゴーの輸出は拮抗するバングラデシュとUAEで全量の8割を占めるが,前者の単価は14Rsであるのに対して,後者は39Rsである。バナナの場合は,多くがUAE,サウジアラビア,イラン,クェートなどの産油国へ概ね20~25Rs程度で出荷されるのに対し,隣国ネパールへの単価は6Rsである。
    以上のように,近年急速に拡大するインドの園芸農産物輸出は生鮮品の拡大を特徴とするが,その内訳は安価な隣国向けに加えて,比較的高単価の中東産油国向けの輸出量が相当程度の割合を占めている。環インド洋地域をめぐって,新たな生鮮農産物貿易が構築されはじめていることが指摘できるとともに,その動向を注視していきたい。
  • 黒木 貴一, 磯 望, 黒田 圭介, 宗 建郎, 後藤 健介
    セッションID: P013
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    福岡平野の二級河川の那珂川と御笠川,一級河川の大分川と大淀川に対し,2~5mDEMの陰影図による微地形区分を試み,河川縦断方向に短区間でまた下流域限定で氾濫の生じやすさと地形量,河川構造物,支流や海の存在との関連を指摘した。本発表では比較的延長が短く,多様な地形が周囲に見られ,2012年九州北部豪雨で浸水被害が出た一級河川の白川を対象に,微地形に関わる各種地形量の分析を浸水に関連付けて行った。検討の結果,1)河岸の平均比高が減少すると浸水幅が増加し,増加すると浸水幅が減少する,2)堤防と河岸,堤内と河岸の平均比高差が減少すると浸水幅が増加し,増加すると浸水幅が減少する,3)河岸の面積割合が増加すると浸水幅が減少し,減少すると浸水幅が増加する,4)堤外体積が減少すると浸水幅が増加し,増加すると浸水幅は減少すること,が分かった。
  • 専業主婦世帯と共働き世帯との比較から
    佐藤 将
    セッションID: 204
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    1.研究目的と分析方法
    これまで都心部での地価の高さから郊外部に住居を構える子育て世帯が多かったが,バブル経済の崩壊以降は都心近郊に居住する子育て世帯が多くなり,居住選択の多様化がみられるようになった.このように住宅すごろくが変化する中でこれまでの進学・就職時点での居住地選択の研究に加え,子どもを出産した時点での居住地選択を把握する必要もでてきた.報告者はこれまで出生順位ごとの子どもの出産時点での居住地分析から子育て世帯のライフコースごとの居住地動向の把握に努めたが,全体での把握に過ぎず,さらに属性を分解して分析を進める必要が出てきた.  そこで本発表では首都圏の対象は特別区に通勤・通学するする人の割合が常住人口の1.5パーセント以上である市町村とこの基準に適合した市町村によって囲まれている市町村とし,その上で0歳児全体を分母とした子どもを出産した時点での核家族世帯数を出生順位別かつ子育て世帯を専業主婦世帯と共働き世帯に分けて市区町村ごとに分析し,居住地選択の地域差について検討した.
    2.分析結果
    第1子出産時点の居住地分布について専業主婦世帯では都心中心部で低い一方,特別区周辺の市区において高いことがわかった(図1).共働き世帯では都心中心部で高く,さらに中央線,南武線,東急東横線沿線地域においても高いことがわかった(図2).第2子出産時点の居住地分布について専業主婦世帯では第1子の専業主婦世帯で高かった地域に隣接した地域において高く,共働き世帯では都内および郊外周縁部において高いことがわかった.
    3.まとめ
    分析結果を踏まえて出生順位ごとの居住地選択選好の特徴を考察する.第1子出産直後の専業主婦世帯は久喜市,茅ケ崎市と都心から距離がある地域でも高いことから子育て環境を重視した居住地選択をしているといえる.一方,共働き世帯は都心または都心アクセスの容易な沿線が高いことから,交通の利便性,都心への近さを重視した居住地選択をしているといえる.第2子出産直後の専業主婦世帯は第1子と比較して居住地選択が類似あるいは隣接地であることから第1子を出産直後から居住またはより良い住宅環境を求め,近隣から引っ越してきた世帯が多い地域であるといえる.共働き世帯は都心,郊外周縁部ともに職住近接を要因とした居住地選択をしているといえる.  このように専業主婦世帯と共働き世帯にわけて居住地選択を見ることで子育て世帯の地域ごとの特徴をつかむことができた.
  • 山下 博樹
    セッションID: S0105
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    1.はじめに 
      大都市圏での都心回帰の進展、都市計画法改正による郊外の大規模集客施設の原則開発禁止など、コンパクトなまちづくりに向けた動きが進むなか、地方都市の中心市街地の活性化は依然遅れていると言わざるを得ない。中心市街地が抱える多くの課題の根本原因は、モータリゼーションを背景とした交通結節性の低下と、居住人口の郊外化による人口減少・高齢化の進展の影響が大きいと考えられる。そのうち、後者に対応する「まちなか居住」の推進に取り組む、あるいは検討する自治体が増えている。本報告では地方都市における「まちなか居住」に関連する課題を整理し、各自治体が取り組む支援策の特徴と問題点を明らかにしたい。

     2.大都市での都心居住と地方都市のまちなか居住
      東京など一部の大都市では、バブル崩壊後の地価下落、企業・行政の遊休地放出、不良債権処理にともなう土地処分などによりマンション開発の適地が増加した。さらに、都市計画法で高層住居誘導地区が導入され、それによる容積率等の規制緩和によって増加した超高層マンションを都心においても手ごろな価格帯で取得可能になったこと、都心居住の利点が見直されてきたことなどによって、都心部で居住人口が増加に転じてきた。
       他方、地方都市では中心市街地の人口空洞化への対策として、まちなか居住の推進が課題になっている。地方都市においても中心市街地でのマンション開発は2000年代に比較的多くみられたが、依然として強い戸建て志向と郊外での安価な住宅供給により、相対的に地価の高い中心市街地ではこうしたマンション開発地区以外は人口の減少・流出が続いていることが多い。
       大都市の都心部、地方都市の中心市街地のいずれにおいても、それぞれの郊外に比べて日常生活の利便性は相対的に低く、とりわけ買い物難民に代表されるモータリゼーションに対応できない高齢者世帯は負担が大きく、公共交通の利便性が低い地方都市ではより深刻な状況にある。また、首都圏の一部の地域では、大手流通企業の新業態として、小商圏に対応したミニスーパーが立地展開されるなど、都心部の買い物環境は改善されつつある。

    3.地方都市のまちなか居住の課題
      地方都市の中心市街地は、大都市の都心部とは異なり、中山間地並みに高齢化が進展している。そのため、人口再生産の機能が極めて低く、周辺からの流入人口の増加に期待せざるを得ない。たとえば、鳥取県では年間約3,000人の人口が減少しているが、そのうち自然増減によるマイナスはおよそ1割で、それ以外は若年層を中心とした社会減である。つまり、進学や就職などを機会に県外に流出する人口が多く、県内のこうした機能が脆弱であることを示している。県庁所在地レベルの都市であれば中心市街地には一定のオフィス立地がみられるが、それ以下の都市では中心市街地の就業先としては商業施設や医療機関などが中心となり、多くの就業が期待できる製造業の多くは郊外立地であるために、多くの地方都市では郊外での居住の方がむしろ職住近接となる場合が少なくない。近年では、郊外でも工場の閉鎖などが相次ぎ、地方都市の雇用環境は極めて厳しい。
      地方都市の中心市街地における商店街の衰退は言うまでもなく、公共交通の脆弱さも深刻化している。そのため、中心市街地に居住するメリットは、比較的整備されている医療機関や図書館など公共施設への近接性、古くからの街並みなど郊外にはない文化的な雰囲気など限定的で、相対的にリバビリティは低い。

    4.まちなか居住推進支援策の特徴と課題
      地方都市の自治体は、中心市街地の居住人口減少の影響として、空き家・空き地、駐車場などの低未利用地の増加とそれによる税収の減少、コミュニティ活動の停滞、防犯上の課題などへの対応が新たに必要となっている。こうした課題解決のために、まちなか居住推進のための支援策が多くの自治体で導入されつつある。大別すると、①賃貸・売買など空き家等の情報提供、②持家取得のための支援、③賃貸住宅入居のための家賃補助、④中古住宅の流通促進等のためのリフォーム補助などである。こうした支援策を講じている複数自治体へのアンケート調査の結果、人口規模の大きい金沢市などでは多彩な支援メニューを用意して対応しているのに対し、人口規模の小さい自治体では主にリフォームへの補助が多く利用されていた。これは流入人口による住宅取得ニーズが影響していると思われる。また、多くの自治体の取り組みは国の財源(社会資本整備総合交付金)に依存したもので、そうした都市では事業の継続性が低いことなどが明らかとなった。 

      本研究は、平成24年度鳥取市委託研究調査「他都市まちなか居住施策実績調査」の成果の一部である。
  • 中村 努
    セッションID: 511
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    Ⅰ.はじめに 
    各都道府県は地域医療計画によって,入院医療を完結させるための地理的範囲として二次医療圏を設定している。しかし,長崎県の離島を多く抱える二次医療圏は,少子高齢化と医師不足から,自圏内で必要な医療サービスを提供するには限界がある。そこで,離島地域の医療計画は,本土の支援を受けながら,必要最小限の医療サービスを維持しようとしている。本発表では,少子高齢化と人口減少の進む長崎県上五島地域を事例として,離島の医療供給体制を把握する。そのうえで,近年みられる医療供給体制の再編成のプロセスを概観し,今後超高齢社会を迎える日本の医療供給体制のあり方を考察する。 

    Ⅱ.新上五島町の医療供給体制の概要
    長崎県における医療供給体制の特徴は,①一般病床は全県を通じて多い一方,離島では療養・回復期病床が少ないこと,②長崎,佐世保県北,県央と,県南,離島地域の医療供給体制の格差である。
    長崎県の離島医療は,1968年に長崎県と離島市町村が一体となって設立した長崎県離島医療圏組合が病院経営を実施し,医療施設の充実と医師の確保に努めてきた。
    新上五島町は2004年8月,5町(若松町,上五島町,新魚目町,有川町,奈良尾町)が合併したことにより誕生した。新上五島町では,医師や看護師の勤務環境や生活環境が悪化しているために補充しにくい状況にある。一方,2006年度の若松・新魚目両町立診療所の医業収入は,合計約2億円の赤字であった。診療所における外来患者数,入院患者数ともに毎年減少しており,2008年度の病床利用率は,若松診療所が37%,新魚目診療所が17%と低く,今後も減少が予想されている。同町内に立地する3病院については,2009年4月から長崎県が新たに設立した長崎県病院企業団によって運営されることになった。

    Ⅲ.新上五島町の医療供給体制の再編プロセス
    このような状況を踏まえ,町立診療所と企業団病院を含めた町全体の医療体制のあり方を検討するため,上五島病院の名誉院長を委員長とした15名で構成する「医療体制のあり方検討委員会」が設置され,2008年3月,報告書が提出された。この報告書の提出を受けて,新上五島町は2009年6月,「新上五島医療再編実施計画」を策定した。
    この計画に基づき,入院機能は基幹病院である上五島病院(186床)に一極集中させる一方,2009年11月に有川病院(現有川医療センター),2010年10月に新魚目診療所と若松診療所,2011年4月に奈良尾病院(現奈良尾医療センター)をそれぞれ無床化した(図)。その結果,同町内における病床数の合計は,334床から186床にほぼ半減した。 
    一方,上五島病院では,医師数が2010年4月の17人から2012年4月の22人に増加した。また,上五島病院の看護師不足も解消され,高い診療報酬が得られる看護師の配置基準を満たしている。さらに無床化した有川医療センターは,人工透析機能を6床増加し20床にし,東神ノ浦へき地診療所,崎浦地区へき地診療所,太田診療所へ医師の派遣を行っている。奈良尾医療センターは,岩瀬浦診療所への医師の派遣および訪問看護ステーションの設置により,在宅医療に取り組んでいる。新魚目診療所では,2名の医師が3診療所に週一回交替で出向き,一次医療と予防医療に取り組んでいる。若松診療所においても,2013年4月以降,1名の医師が増え,日島診療所における週一回の診療を行っている。
    加えて,上五島病院を中核とした医療情報ネットワークを構築することによって,病院と診療所間の情報共有を図っている。3次救急については,画像伝送システムとヘリコプター搬送を導入することで,本土専門病院の支援を受けている。こうして,新上五島町の医療供給体制は,旧町別水平分散モデルから,遠隔医療と医師派遣を活用した一極集中型階層モデルへと再編成された。今後の課題として,アクセシビリティ改善のための交通利便性の確保や,在宅医療支援のための多職種間の情報共有を指摘できる。
  • 管野・氏家元高校地理教諭のライフワーク
    福岡 義隆
    セッションID: P005
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    和辻風土論などでも論じられているように風土は自然と人間の営みが加わったものであるから,まさに地理学=風土学である.管野先生の藁葺き屋根の研究も氏家先生の雁木の研究も,その土地土地の気候に適応させるように営まれた人の生き様の研究であり,もっとも地理学的研究であると思われる.両者の大著の一部を気候学的に考察し,かつ地理学研究のあり様を考えてみたい.
  • 篠田 雅人
    セッションID: 306
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    われわれ人類は極端異常気象の多発時代に向かいつつある。社会の脆弱性ゆえに気象災害が甚大となる乾燥地の人々に対して、本プロジェクトは日本の乾燥地科学の英知を結集した国際貢献をめざすものである。本プロジェクト「乾燥地災害学の体系化」は科研費基盤研究(S)(2013-2017年、代表:篠田雅人)により、ユーラシア乾燥地における自然災害の発生機構の体系的理解と能動的(災害前の)対応の提言を目的としている。気象災害のリスクは異常気象の特性のみならず自然-社会システムの脆弱性にも関わることから、本プロジェクトは脆弱性評価を重視し、地理学、環境動態学、保健医学、農業経済学、文化人類学など多分野の研究者の協力体制をつくっている。
  • ー佐賀市中心市街地の低未利用地を通してー
    山下 宗利
    セッションID: S0106
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    中心市街地活性化法の改正(平成18年)により、中心市街地活性化政策は、商業機能に加えて市街地の整備改善、都市福利施設の整備、居住環境の改善をセットとしたものに切り替わった。しかしその成果は限定的であり、むしろ空き家・空き店舗等の低未利用地は拡大している。本発表では、佐賀市中心市街地における低未利用地の現状分析と課題の考察を通して、人口減少・高齢化の進展を背景とした中心市街地の在り方を展望したい。
  • 山川 充夫
    セッションID: S0301
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    2011年3月11日に発生したマグニチュード9.0の太平洋沖地震は大きな震度と大きな津波は、東京電力福島第一原子力発電所(以下、東電福一)を襲い、炉心溶融と水素爆発が引き起こされ、大量の放射能汚染を伴うレベル7の原子力災害(同、原災)をもたらした。警戒区域等の設定により、福島県民だけでも16万人が福島県内外に避難し、現在でも仮設住宅・借上住宅等において内国難民の生活を強いられている。原災地域の復旧・復興問題の特殊性は時間の経過とともに問題が一層、複雑化していることにある。 福島大学が2011年10月に全世帯約28,000に対して実施した調査(回収率48%)によれば、避難先は北海道から沖縄まで全国的に分散し、避難先変更回数も5回以上が36%をしめ、多世代家族が避難所や仮設住宅でバラバラの生活を余儀なくされている。故郷に帰還するかどうかの質問で「戻る気がない」と回答したのは4分の1の世帯であり、特に子育て世代に限定すると約半数に上る。「何年待てるのか」と問えば、1~2年が最も多かったものの、避難・仮設生活はすでに事故後3年目に入っている。 大きな問題は原災に伴う被害は時間の経過とともに重層化していることにある。第1次被害の問題は被災地から避難所への移動過程と避難所生活において発生した。津波被災とは異なり、破たんした原子炉にかかわり高線量被曝をした作業員を除けば、原災による直接的な死者はなかった。原災による強制難民のほとんどは着の身着のままで避難所に入り、食糧・生活物資は援助・支援物資などに、また生活資金は年金支給・貯金取崩、義捐金・補償金・賠償金などに依存した。避難所暮らしの歪は生き甲斐の喪失を生み、特に高齢者で健康被害が目立つようになった。また放射能汚染は農産物をはじめ多くの経済的実害と風評害をもたらしている。 第2次被害は難民化した被災者が避難所から仮設住宅・借上住宅に移行する段階で現れてくる。原災に伴う避難は半数以上の世帯が集団型の仮設住宅ではなく、「みなし仮設」としての民間借上住宅で分散的に暮らしている。仮設住宅等での生活は家賃負担はないものの、生活物資や光熱水費などは自己負担である。原災は天災ではなく、国策としての原発推進がもたらした人災であり、原災難民者に一切の自己負担を求めるべきではない。高齢者を先頭に日常的な生甲斐をもつのか、分断されたコミュニティをどのように修復するのか、低線量被曝による健康被害をいかに防ぐのか、心のかべをもつ福島県民のケアをどのように行うのか、多くの問題が第1次被害が収束する前に被災者や被災地域に覆いかぶさっている。 双葉8町村の震災復興計画は出そろい、原災避難者は仮設住宅から復興住宅に移行する第3段階を迎えた。しかし一方では広野町や川内村のように直接帰還できる町村もあるが、他の町村ではそうはいかない。例えば楢葉町では3年、富岡町では5年、大熊町では10年、双葉町では10年以上という長い時間をまたなければならない。しかも帰還時期は自治体のなかでも、帰還困難区域(5年以上)、居住制限区域(3~5年)、避難解除準備区域(3年程度)といった放射能分布にほぼ対応した地域差がある。直接帰還できない町村は、暫定措置として他町村に「町外コミュニティ」を形成することになっている。しかしそれがどのような構造と形態をとるのか、明確ではない。原災難民は強制された避難により家族や共同性を徹底的に壊され、仮設生活段階でも公募・抽選方式のために共同性の再構築が簡単ではなく、第2次健康被害はなくなりそうにない。復興住宅への移行という第3段階に、こうした問題を再燃させてはならない。 2011年7月に設置された福島大学うつくしまふくしま未来支援センターは、原災ともなう震災復興は4つのステップで進めるべきであると提起してきた。第1ステップは放射能測定であり、ここから始まるといっても過言ではない。第2ステップは生活インフラの整備、第3ステップはきずなの回復、第4ステップは人材育成と計画づくりである。この4つのステップは第1~3次被害への対応と密接にかかわっている。 本研究プロジェクトの目的は、まず地震・津波・原子力災害・風評被害の4つの被害実態を地理学的に明確することである。上記4つのステップに沿いながら、「支援知」としてまとめ、これを震災復興の地理学研究として活かしていきたい。震災復興の地理学的研究は、したがって多様な「災害」対応し、地域を取り戻し、それらを踏まえて事前復興へと繋げる成果が必要である。そして災害難民予防のための提言への展望や、持続可能な地球をどのように学術として考えていくのか、さらにどのように行動していくのかというFuture Earthの取り組みに繋げていくことが求められている。
  • 岩間 英夫
    セッションID: 313
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    1.はじめに
     東海村は、東日本大地震の津波で東海原子力第2発電所の発電機3基のうち1機が冠水した。外部電源が復旧したため、かろうじて危機を回避できたが、人災が起こっても不思議ではなかった。
     発表者は、これまで鉱工業を中心とする産業地域社会形成の研究を行なってきた。本研究の目的は、その視点から、日本の原子力産業のメッカである茨城県東海村を研究対象に、原子力産業地域社会の形成とその内部構造を解明し、かつ原子力産業との問題点を指摘することである。

    2.東海村原子力産業地域社会の形成
     まず、東海村への進出決定の背景を捉える。次に、原子力産業の集積では、1957年8月、日本原子力研究所東海研究所において日本最初の原子の火が灯った。1959年3月には原子燃料公社東海精錬所が開所し、核燃料の開発、使用済み燃料の再処理、廃棄物の処理処分の技術開発を本格化した。1962年、国産1号炉(JRR-3)が誕生した。1966年7月日本原子力発電㈱がわが国初の商業用発電炉である東海発電所の営業運転を開始した。1967年4月、大洗町に高速増殖炉用のプルトニウム燃料開発・廃棄物処理の実用化を目指した大洗研究所、1985年4月、那珂町(現、那珂市)に那珂核融合研究所が発足した。2005年10月、日本原子力研究所と核燃料サイクル開発機構が統合して「独立行政法人日本原子力研究開発機構」となり、本社が移設された。 これによって、日本原子力研究開発機構の本社事務所を中核に18の原子力施設が集積、4,386人の職員が研究開発・運営する「日本の原子力産業のメッカ」となった。<BR>
     2013年5月現在、東海村の人口は3万7883人で、東海村発足時からは約50年で約3.3倍に増加した。<BR>

    3.東海村原子力産業地域社会の内部構造
     日本原子力研究所の内部構造は、国道245号線に沿った事務所を中心に、臨海部の砂丘地帯に生産(研究開発)機能、国道245号線から原研通りに沿って阿漕ヶ浦クラブ、原子力センター、諸体育施設、原研診療所のサービス機能、そして最大規模の長堀住宅団地、荒谷台住宅団地からなる居住機能が東海駅に近接して造成された。住宅団地の中央部には、商業機能として生活協同組合の店舗・売店が設けられた。このように、日本原子力研究所はその事務所を中心に生産、商業・サービス、居住の3機能からなる1極型圏構造を展開した。同様に、原子燃料公社東海精錬所、東海原子力発電所にも1極型圏構造が展開した。これらの3公社によって、東海村の原子力産業の内部構造は多極連担型となった。
     2005年に統合すると、日本原子力研究開発機構の本社事務所を中心に、大洗研究所、那珂研究所も含めて、広域にわたる一大原子力研究開発センターを形成した。その内部構造は、日本唯一の原子力産業による総合的研究開発の1核心(多極重合)型圏構造となった。
     これらの結果、東海村の原子力産業地域社会は、日本原子力研究開発機構本社を中核とする、海岸部と村の外縁部に生産地域、村の中央部に位置する常磐線東海駅を中心とする商業地域、商業地域に隣接して公営住宅団地や企業社宅、そして周辺に拡大する職員の持ち家と日立市・ひたちなか市の工業都市化による宅地化が重なって住宅地域が形成した。

    4.まとめ(原子力産業地域社会の形成と問題点)
     その結果次のことが明らかとなった。
     1. 日本唯一の原子力産業による総合的研究開発型の1核心(多極重合)型圏構造を形成した。しかし、  これは一般的産業地域社会の内部構造であって、核の危険性と安全性を大前提として配慮した原子力産業地域社会の展開とは言えない。
     2.1956年の候補地選定条件においても、津波に関しては全く触れていなかった。アメリカからの原子炉導入を含めた安全神話が先行し、日本の自然環境の特性をも踏まえた日本人による原子力の主体的研究が欠落したまま今日に至っている。
     3.東日本大震災後義務づけられた避難区域で換算すると、20㎞圏内の警戒区域で人口約90万人が、半径120㎞圏に放射能が拡散したら、首都圏を含む約2000万人が避難しなければならない。もはや避難が現実的に無理であるとするなら、東海村は原発などの危険施設は除去して対応する段階にきている。
  • ネットワークボロノイを用いた釧路市の津波避難圏に関する空間分析
    橋本 雄一
    セッションID: 303
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    1.はじめに

    津波災害が発生した場合には住民の避難が必須であるが,積雪や道路の凍結などは避難を困難にする(橋本ほか,2010)。そのため,冬季環境を考慮して津波発生時における避難の課題を検討することは,積雪寒冷地の防災計画策定のために重要である。そこで,本研究は,積雪寒冷地の沿岸都市内部における津波想定地域において,避難圏域(任意の避難場所が担当する範囲)と避難場所到達圏域(任意の時間内に避難場所に到達できる範囲)に注目し,避難者と避難場所収容能力との関係から,津波避難の課題を明らかにする。

    2.研究方法と資料

    本研究では,まず津波想定地域に居住する人口の推定を行う。次に,津波想定地域に居住する人口が最も多い自治体を事例として津波避難圏域を設定し,避難者と避難場所収容能力との関係をみる。さらに,避難場所到達圏の設定を行い,避難者の歩行速度を考慮した避難者と避難場所の収容能力との関係を分析する。最後に,北海道沿岸都市における積雪期津波避難の課題に関する考察を行う。なお,本研究のデータは,2012年6月に北海道から公表された新しい北海道太平洋沿岸津波浸水想定データと国勢調査小地域データ(2010年)である。

    3.研究対象地域の選定

    国勢調査小地域データ(2010年)と津波想定データをGIS上で重ね合わせ,北海道太平洋沿岸における津波想定地域に居住する2010年の人口を推定すると439,179人となる。その中で,最も人口が大きい市町村は釧路市で129,132人,それに函館市の59,450人,苫小牧市の58,106人が続く。この結果から,本研究は,釧路市を対象地域として以後の分析を行う。

    3.ネットワークボロノイ領域分割による避難圏域分析

    ネットワークボロノイ領域分割を用いて各避難場所の避難圏域を設定し,圏域内人口から避難場所の収容可能人数を引いて非収容人口を算出すると,全避難者を収容できる避難場所は80か所の中で全員を収容しきれない避難場所は55か所である。そのうち,1,000人以上の非収容人口が発生する避難場所は16か所で,特に市街地西部や釧路駅周辺地区に非収容人口が多い。

    4.ネットワークバッファによる到達圏分析

    ネットワーク空間上のバッファにより,津波到来までの移動可能距離(ここでは500mを採用)を考慮して分析すると,到達圏に全居住者が含まれる避難場所は全体の30.0%となる。なお,路面が凍結し,除雪で道路幅員が狭くなる積雪期について,移動距離を非積雪期の0.833倍(内閣府資料による定数)にすると,その比率は22.9%に低下する。この到達圏外の人口比率は,両時期とも市街地周辺部の住宅地にある避難場所で低い。

    5.おわりに

    分析の結果は次の通りである。(1)2010年の釧路市では避難場所の7割程度で収容能力が不足しており,住宅が増えつつある釧路駅北部や市街地西部において顕著である。(2)避難場所への到達圏内に含まれるのは,津波想定地域に居住する人口の3割程度であり,積雪期には2割程度に低下する。また,釧路市西部や東部に拡大した住宅地では,近隣に津波避難場所がなく,避難時には長距離の移動が必要となる。以上のように,本研究は,釧路市を事例として都心部における避難場所の収容能力不足,周辺部における避難場所への到達困難という状況を明らかにした。今後は,都市の変化と,災害に対する社会的脆弱性との関係や,積雪寒冷地の冬季環境の影響を明らかにしたい。(本発表は科学研究費補助金基盤研究C [課題番号24520883]の成果の一部である)
  • 宇根 寛
    セッションID: S0408
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    我孫子市においては、東北地方太平洋沖地震により液状化の大きな被害を受けたことを受け、市民の防災意識の啓発と正しい防災知識の共有を図るため、「あびこ防災マップ」を全面的に改訂し、2013年5月に市民に配布した。特に、この中の「地震ハザードマップ」(「揺れやすさマップ」「建物全壊率マップ」「液状化危険度マップ」により構成)については、東日本大震災での被害状況や最新の地震発生危険性の情勢に基づき、新たに解析を行い、全面的に改訂を行った。解析業務は「国土地理院防災情報支援チーム」の支援、協力のもと、市の委託を受けた民間コンサルタントが実施した。解析にあたっては、空中写真、旧版地図や土地条件図などを用いて微地形区分図が新たに作成され、これをもとに、揺れやすさ(想定地震による最大震度)や建物全壊率の予測、液状化危険度予測が行われた。特に、「液状化危険度マップ」については、メッシュ化により地形区分の情報が平均化されることを避けるため、微地形区分図のポリゴンデータから直接微地形区分と液状化の可能性の関係を示す判定基準表を用いて危険度が判定された。新たに作成された「地震ハザードマップ」には、これらの解析結果である3種のマップのほか、「地震ハザードマップができるまで」として、これらのマップがどのように作成されたのかをわかりやすく解説するコラムが表示されている。また、我孫子市のホームページには、解析のもととなった微地形区分図と地震ハザードマップ解析業務概要報告書がそのまま掲載されている。このことは、市民が土地の成り立ちを理解し、地域の災害特性を把握して、自らの判断であらかじめ適切な防災・減災行動をとることを促すことに資するものとして評価できる。
  • 釧路市における保育園児の津波集団避難に関する分析
    最上 龍之介, 橋本 雄一
    セッションID: 305
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    1.研究目的

    2012年6月に北海道から太平洋沿岸自治体に関する新しい津波浸水想定が発表された。それに伴い当該自治体では、その想定にもとづく津波対策の検討が行われ、その中で単独での行動が難しい保育園児たちの避難に関する議論が行われている。しかし、地理学の分野では保育園の津波対策に関する研究蓄積は稀少である。

    そこで本研究は、釧路市認可保育園を対象とした聞き取り調査をもとに、保育園児の津波集団避難の課題を明らかにする。なお、対象地域は、津波浸水想定域に居住する人口が北海道で最大の釧路市とする。

    分析では、まず各保育園への聞き取り調査から,東日本大震災発生時の対応と現在の津波避難計画を把握し,次に,根室・釧路沖で地震が起きた場合に想定される津波避難への対策と問題点を明らかにする。最後に,これら結果をまとめて,保育園を対象とした聞き取り調査をもとに、保育園児の津波集団避難に関する課題について考察を行う。

    2.東日本大震災発生時の対応と現在の計画

    2011年3月11日に生起した東日本大震災において釧路市は津波被害をうけ、5園が徒歩で園外避難、3園が園内待機を実施した。避難先は、2階~3階の公共施設が大半であった。

    この経験により各保育園では、津波対策への意識高揚と、避難先の階数が重視されるようになった。避難先に関して階層が重視されるようになったのは、2012年6月に釧路市役所子ども保健部から、保育園近隣の4階以上の建物を抽出し、そこから避難先を指定するよう指示された点が大きい。その結果、各保育園の避難先は、高層の公営住宅や民間病院といった公共性の低い建築物へと移っている。

    3.釧路市認可保育園の津波対策と課題

    聞き取り調査を行った時点では、各保育園の避難対策は全て徒歩移動によるものである。避難先は、学校、公営住宅、病院であり階数が重視される傾向にある。なお、市からの避難勧告を待たずに、避難を開始することが各保育園に認められている。

    このような津波避難計画に対して,以下の5点が問題点として明らかになった。

    (1)近隣に4階以上の高層建築が存在しないために、浸水深以上の避難先が選定出来ていない保育園が4園存在する。(2)冬季の避難対策に関して、まだ十分検討が進んでいない。(3)0~1歳半までの子どもは歩行困難であり、高所避難に際し、避難時間がかかる点や保育士など避難援助者にかかる負担が大きい点が存在する。(4)園外活動時に津波が発生した場合、引率する職員が少ないため、集団統率面に不安が残る。(5)保育士の法定労働時間により朝・夕に人員の不足しやすい時間が発生する。

    これらのうち、(1)と(2)は市や保育園の避難計画に関する問題であり、特に(1)は保育園の立地に関する問題である。一方、(3)(4)(5)は保育園が抱える制度的問題である。子どもの大人と比較した際の歩行速度の遅延、歩行困難な子どもの所属、そしてそれを援助する職員の人員的制約が相互に関連して問題を深刻化させている。

    4.課題への対策

    以上の分析から保育園の抱える避難対策の現状と課題について、東日本大震災以降、避難先の階層が重視されるようになったこと、歩行困難児の存在とその避難支援を行う人員的制約の解消が課題となっていることが分かった。

    避難先の階層重視の傾向は、避難先の無い保育園を発生させている。また、保育園が抱える子どもの歩行困難と人員不足に対して、地縁組織の協力等の外部人材の導入を目的とした共助体制の構築が重要だと考えられる。今後は、浸水想定域にある他の自治体と比較を行い、釧路市の課題や冬季環境による避難負荷を明確にしたい。なお、本発表は科学研究費補助金基盤研究C [課題番号24520883]の成果の一部である。


  • 青山 雅史
    セッションID: P010
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    1.はじめに

    2013年4月13日に淡路島付近を震源とするマグニチュード6.3の地震が発生した.この地震により,兵庫県淡路市で震度6弱,南あわじ市で5強を観測し,淡路市では液状化の発生が確認された.本発表では,この地震による液状化発生地点の分布を示し,液状化発生地点の土地条件(特に,液状化が発生した埋立地の造成(埋立)年代)に関する検討結果を述べる. 

    2.調査方法

    現地踏査により,液状化発生地点を明らかにした.現地踏査では,目視による観察に基づいて液状化(被害)発生地点のマッピング,被害形態の記載をおこなった.現地踏査は2013年4月19~20日におこなった.現地踏査時には既に噴砂が除去され,噴砂の痕跡も消失していた地点も存在すると思われる.現地踏査で立ち入ることができなかった領域に関しては,新聞・テレビニュース等の画像を用いて,噴砂発生地点の抽出・地図上へのプロットをおこなった.また,現地踏査で立ち入ることができず,上記のような画像情報もない領域においても液状化が発生していた可能性はある.
    液状化が発生した淡路市の埋立地の造成年代に関しては,国土地理院撮影・発行の空中写真,旧版地形図に加え,津名町史(津名町史編集委員会 1988)などに基づいて検討した.

    3.液状化発生地点の分布と土地条件

    液状化は,淡路市の埋立地(生穂新島,志筑新島,塩田新島,津名港ターミナル付近)において発生し,埋立地以外の領域では確認されなかった.淡路市(旧津名町)では,1950年代末から60年代前半にかけて志筑港湾地区の埋め立てがおこなわれ,1971年度に兵庫県企業庁により津名港地区周辺における埋め立て事業(津名港地区臨海土地造成事業)が着手され,90年代末にかけて上記の埋立地が造成されていった.液状化発生の確実な指標となる噴砂(または噴砂の痕跡)は,それらの埋立地の多数の地点で確認された.特に,1970年代に造成された志筑新島と,1980年代前半に造成された塩田新島において,噴砂が多くの地点で生じていた.志筑新島と塩田新島では,グラウンド,空き地,太陽光発電所の敷地,住宅地,駐車場や道路のアスファルト路面のすき間などにおいて,噴砂が生じていた.噴砂の層厚は,ほとんどの地点で5 cm以下であった.空き地や緑地等でみられた噴砂孔の直径は10 cm以下であった.津名港ターミナルの駐車場アスファルト路面においても,噴砂が散見された.生穂新島では,淡路市役所周辺の駐車場,道路アスファルト路面のすき間や空き地などにおいて,噴砂がみられた.液状化に起因すると思われる構造物の沈下・傾斜は,志筑新島の住宅地の1地点においてのみ確認された.この他にも,液状化との関連は不明であるが,津名港ターミナルの岸壁付近において人工地盤(構造物間)にすき間や沈下が生じ,志筑新島のショッピングセンター周辺では地盤の変状(軽微な段差や波打ち)が生じていた.生穂新島では,噴砂が生じた地点周辺のアスファルト路面に軽微な変状が生じていた.
  • 小荒井 衛, 岡谷 隆基, 中埜 貴元
    セッションID: S0406
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    国土地理院では,東北地方太平洋沖地震(M9.0)における津波被害の記録を残すため,車載型画像計測システム(MMS)による画像取得を,2011年4月に仙台平野から石巻平野にかけて,2011年5月に三陸海岸において実施した。MMSで計測された映像から津波の痕跡を読み取り,津波浸水深と空中写真判読による津波被害度との関連性を検討した。 独自に空中写真判読を行い,津波浸水域の被害程度を次の3段階に区分した。ランク1:建物の大半が基礎ごと流失(流出域)。ランク2:建物が残存するが甚大な被害(破壊域)。ランク3:建物の破壊は無いが浸水(浸水域)。MMSにより計測された浸水深は現地の建物被害状況と良く対応しており,浸水深4m以上ならほぼランク1,1.5m以上ならランク2,1.5m以下ならランク3という状況であった。仙台湾沿岸の津波浸水域の地理的特徴については,小荒井ほか(2011)でまとめられている。ランク1は海岸線から約1kmの範囲にあたり,地形は砂州・砂堆に該当する。微高地のため周囲より標高は高いが,海岸線から近い距離は壊滅的な被害を受けている。ランク2の範囲は海岸線から2~3kmの範囲で,ほぼ標高1m以下の範囲に対応する。ランク3の範囲は海岸線から3~5kmの範囲で,ほぼ標高2m以下の範囲に対応する。谷底平野・氾濫平野では浸水域は海岸線から4kmまで,海岸平野・三角州では浸水域は海岸線から5kmまで達している。ランク1の海岸線から約1kmの土地利用は,森林,建物用地,畑が該当する。阿武隈川河口より南側では,土地利用は森林よりも畑が広く,ランク1の被害域が内陸2km近くまで広がっていたが,畑は森林よりも津波に対する抵抗力が小さいため,被害が内陸部まで高かった可能性が指摘できる。津波浸水高と地形の断面を見ると,津波が標高1~3m程度ある砂州・砂堆等の微高地を通過した後,標高0m程度の低地部になると,10m程度あった浸水高が急激に4m程度に減少している。そこがランク1とランク2の境界になっている。津波が砂州・砂堆等の微高地を通過する際に,エネルギーを失って急激に浸水高が低下している可能性がある。阿武隈川河口の南では砂州の幅が狭く,被害を拡大させた可能性がある。このように,海岸部の微高地の規模や,海岸背後の土地利用による粗度の違いが,内陸側の津波被害度の大小に影響している可能性がある。一方,リアス式海岸である気仙沼市と大船渡市の被害程度の分布を見てみると,湾入口付近と湾奥部で壊滅的なランク1が広がる。浸水深が10mを越える地点もあり,津波が直撃したものと考えらえる。湾奥部では上流に行くほど浸水深も小さくなり,被害程度も小さくなる。丘の背後では遮蔽部となっており,やや被害の程度が軽く(ランク2),浸水深も4m以下である。大きな河川沿いでは,右岸側と左岸側とで標高の差がないのに被害程度に差が認められる。例えば気仙沼の大川の事例では,直撃した津波は左岸側を主に遡上して,右岸側は河川の堤防を越えて河川と直交する方向に遡上した可能性が考えられる。リアス式海岸の湾奥部に位置する都市では,個々の市街地が湾の地形形状に対してどのような位置にあるのかによって,被害の様相が大きく異なる。
  • 西崎 伸子
    セッションID: S0204
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    1.  はじめに 2011年3月の原子力災害によって、広範囲の自然環境が放射能によって汚染された。このことは、環境汚染とともに、原発労働者や一般公衆の被曝問題を長期にわたって考えなければならない社会が日本に誕生したことを意味している。本報告の目的は、原子力災害後の社会のあり方を考えるために、1)子どもの被ばくリスク軽減の観点から、これまで実施されてきた国、行政、原因企業および市民団体の施策や取り組みを整理すること、2)市民団体がとりくむ草の根の保養支援活動の実態と意義を明らかにすること、3)地理学が対象としてきた「人と自然のかかわりと断絶」を考察することとする。   2.  対象と方法 子どもを対象とするのは、若年者の放射線感受性が高いことが、広島、長崎の原爆被曝者やチェルノブイリの原子力災害の調査から明らかにされてきたからである。福島県内外に今も15万人が避難をし、県外避難者6万人の多くが、子どもとその保護者による避難であるといわれている。避難区域が解除されても、もとの自治体に戻らない/戻れない人々が数多く存在するのは、インフラの未整備や就労の問題だけでなく、放射線による子どもへの健康影響に対する不安が未だ消えないことが原因である。 本報告は、国・行政の施策や市民による支援の取り組みに関する資料、および、報告者による参与観察と聞き取り調査によって得られた資料にもとづく。   3.  結果と考察 ①   政府は、避難を指示する区域を政治的判断で限定的に設定し、被曝線量が年1ミリシーベルト以上になる地域では除染を優先する方針を打ち出した。しかし、除染は計画通りに進まず、一度の除染作業では放射線量が十分には下がらない場所が生じている。この間、若年層の被曝リスクの回避を目的とした公的な施策は十分ではなく、低線量被曝は、不安感を抱く側の「心の問題」とされる傾向にある。 ②   保養に関する支援活動の現状は、1)被曝の低減、子どもの遊び支援に加えて、移住支援、健康診断、学習支援など多様化している。2)これらの支援活動は市民団体が主におこない、行政は、福島県内での活動には予算をつけるが、県外での活動への財政的支援には消極的である。3)2)の背景には、放射線被曝についての構造的問題があると考えられる。 ③   人と自然のかかわりの断絶は、人々の選択ではなく、原子力災害による被害として位置づける必要がある。また、保養支援は、「かかわり」の再構築につながる可能性があるだろう。   西﨑伸子「原発災害の「見えない被害」と支援活動」『東北発・災害復興学入門―巨大災害と向き合う、あなたへ』清水・下平・松岡編著, 山形大学出版会, 2013年9月出版予定
  • 細井 將右
    セッションID: 416
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    『陸地測量部沿革誌』によると,明治10年の西南戦争に際して「第六課全員ヲ挙げて戦地に出張シテ迅速測圖二従事」とあり、附圖の『西南役之圖」の中に都城付近ほかの地図が収められている。西南戦争以前に迅速測図の概念が伝えられていたのであろうか。
    筆者はパリのコレージュドフランス日本学高等研究所のクレットマンコレクションの中に、明治9年作成の測量入門書たる『測地學教程講本』のほか、迅速測図に関係のある『測地簡法』と『地理圖學教程講本』を見かけたので報告する。 
    『測地簡法』は1858年フランス砲工学校教官であったC-M. GOULIERグーリエ工兵大尉による筆記体石版印刷本文30ページ巻末にモノクロ附図6ページのINSTRUCTION PRATIQUE SUR LE LEVER EXPEDIE(迅速測図実行指示書)の原胤親譯天野少佐校正、明治9年10月陸軍士官学校学科部作成の教科書で、冒頭に「測地簡法ハ原意迅速測圖ノ義ナリ」とある。和紙二つ折り、その片面当り手書きで縦25字横12行、上欄に要点の注記の付いた25丁、巻末に洋紙のモノクロ折り込み附図7葉、和装本、大きさはおおよそ縦18.4cm、横12.7cmで、その附図の中にルアーグルの『地形図学教程』のものと同じ迅速図見本が説明文が和訳されて収められている。
     『地理圖學教程講本』は明治9年から11年まで陸軍士官学校教官を務めたLouis KREITMANNクレットマン工兵中尉編輯原胤親譯、明治9年8月陸軍士官学校学科部作成の教科書である。和紙二つ折り、和装本など体裁は前書と同じで、本文101丁巻末に附図が和紙20丁余り付いている。その内容を見ると、.第一套 圖書ノ讀法及ビ寫法、第二套 正則圖ノ施業、第三套 水準測量、第四套 第七篇 迅速測圖、目算測圖、手記測圖、路上測圖並二大廣地測圖、軍事偵察 となっており、「迅速測図」について、第七篇の中で67-77丁に、見本地図なしで述べている。
    上記2書により、「迅速測図」の概念が西南戦争以前に我が国に伝えられていたことがわかるが、『兵要測量軌典』の作成に際しては、分量・用語などから見て、フランス国立印刷局印刷のルアーグルの『地形図学教程』を参考にした可能性が高い。大まかに字数では、『測地簡法』1.5万、『地理圖學教程講本』6万、『兵要測量軌典』12万である。用語では、例えば等高線は『兵要測量軌典』と『測地簡法』ではsection horizontaleからの「水平截面」、『地理圖學教程講本』ではcourbe de niveauからと思われる「水準曲線」乃至「水準線」、なお明治11年同氏編輯の『地理圖學第二教程講本』では「水平曲線」、これは後の同校教科書でも同様である。
  • シンポジウムの趣旨説明
    根田 克彦, 日野 正輝, 阿部 和俊, 山下 宗利, 山下 博樹
    セッションID: S0101
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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       郊外化の時代を経て,コンパクトシティの考え方が広く受容され,中心市街地の潜在力を再評価する動きがある。しかし,中心市街地の現状は社会と都市構造の変化に対応しているとは言い難い。特に地方都市の中心市街地の衰退が著しい。そこで,本シンポジウムでは,ポスト成長社会における中心市街地の課題を,商業機能だけではなく,人口動向や土地利用の側面からも検討し,将来に向けての展望を提示したい。
  • 矢ケ崎 典隆
    セッションID: 420
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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     アメリカ合衆国における地理学の制度化と初期の発展において、中西部の大学と地理学者は重要な役割を演じた。本研究は、20世紀前半におけるアメリカ地理学を主導した地理学者の一人であるカール・サウアーとその地理学思想に着目する。
     サウアーはミズーリ州ウォレントンの出身で、地元の大学を卒業した後、地理学研究の中心であったシカゴ大学大学院で学んで、1915年に博士号を取得した。そして、ミシガン大学での教鞭を経て、1923年にカリフォルニア大学に移り、バークリー学派と呼ばれる文化地理学の流れを樹立したことで知られる。従来、バークリー学派とサウアーに学術的関心が寄せられてきたが、中西部における若き日のサウアーの地理学について検討することは、20世紀初めのアメリカ地理学の動向を知るうえで、また、バークリーにおけるサウアーの新しい学術的展開を理解するうえで重要である。本研究は、中西部時代のサウアーゆかりの地への筆者の訪問を踏まえて、また20世紀初めのアメリカ地理学の動向に照らして、3つの地誌学研究を検討することを目的とする。
     20世紀初めの地理学は現地調査に基づいて自然と人文を論じる地誌学研究であった。サウアーは1910年代と1920年代に3冊の地誌学的な地域モノグラフを執筆した。それぞれの内容と構成は異なり、地域に対するサウアーの関心が徐々に変化したことが理解できる。
     『イリノイ河谷上流部の地理と発展史』(1916年)は、シカゴ大学のソールズバリー教授の指示によって1910年に行われた調査の報告書である。7章から構成され、第1章のはしがきに続いて、第2章から第6章までは地形、地質、氷河などの自然について、第7章は植民と開発について取り扱われた。全体的にシカゴ大学のバローズ教授が刊行した『イリノイ河谷中流域の地理』(1910年)の研究法を踏襲したように見える。
     『ミズーリ州オザーク台地の地理』(1920年)は1915年にシカゴ大学に提出されたサウアーの博士論文である。3部から構成され、第1部が環境、第2部が植民と開発、第3部が最近の経済状況を扱った。イリノイ河谷上流域の研究と比較すると、自然現象に関する記述の比率が低下して人文現象に関する記述の比率が大幅に増加したことがわかる。冒頭のはしがきで、「本書は地誌学(regional geography)の研究であり、それは地理学研究においてもっとも緊急の分野である」という一文で始まる。本書はサウアーにとって郷土研究でもあった。
     一方、ミシガン大学時代にケンタッキー州で行った大学院生を同行した現地調査に基づく報告が、『ペニロイアルの地理』(1927年)として刊行された。この原稿はカリフォルニア大学着任後の1925年に執筆された。序文からは新しい地誌に挑戦するサウアーの意気込みを読み取ることができる。地誌学は特定の地域に関する事実を百科事典のように集めたものではなく、地域の個性を表現することが地理学の課題であると述べられている。
     シカゴ大学での大学院生活とミシガン大学での教員生活の時代に行われた3つの研究は、自然地理学を基盤とした地誌学研究であった。そこには当時のアメリカ地理学の動向が反映されていた。いくつもの大学からの誘いを断ってカリフォルニア大学に異動したことによって、その後のサウアーの地理学は大きく方向性を変えることになる。
  • 近藤 康久, 野口 淳, 三木 健裕, 小口 高
    セッションID: 602
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    オマーン内陸部のワディ・アル=カビール盆地は、ハジャル山脈南麓の、ルブアルハリ沙漠との境界付近に位置する。盆地は東から流入するワディ・アル=カビールと、北から流入するワディ・フワイバという2つのワディの沖積作用によって形成された。この盆地における地形発達史と人類居住史のかかわりを明らかにすることを目的として、遺跡分布調査を実施した。その結果、盆地内で23か所の遺跡ないし遺物散布地を確認した。盆地周縁部の山麓扇状地では、良質なチャートの岩脈の近傍で中期旧石器時代の類ルヴァロワ石器群を含む更新世の剥片石器群を採集した。この石器群は解剖学的現代人ホモ・サピエンスの「出アフリカ」南回りルート(Armitage et al. 2011)の証拠となる可能性があり、今後の研究の進展がまたれる。
    前期完新世の人類居住については不明な点が多いが、ファサド型尖頭器と掻器、ドリルを特徴とする当該時期の石器群が、更新世段丘面の削り残しとみられる残存丘上に散布していた。低い山脈の稜線上には、前期青銅器時代ハフィート期(紀元前3200年~2750年頃)以降のものを中心とする積石塚(cairn)が、少なくとも246基確認された。その中には、石器集中を伴うものもあった。
    さらに、低位段丘面上に立地するアル=ハーシ(ARS01)遺跡において、青銅器時代・鉄器時代・イスラーム時代の土器片が散布する地点を発見した。地点内で4か所を選び、1mm・2mm・4mm目の標準ふるいを用いて土壌粒度検査を実施した結果、土器片は流水によって運ばれてきたものではなく、イスラーム時代の耕地の下に青銅器時代の集落址が埋もれている可能性が示唆された。GPSアンテナ付きフィールドGIS端末を用いて地表に露出している石列のマッピングを実施したところ、遺跡は南北2km・東西1kmの広がりをもち、青銅器時代の円形基壇(tower)5基・円形墓2基と居住区、イスラーム時代の耕地・灌漑水路・水道橋・堤防・居住区・周壁を伴う集落遺跡の全体像が明らかになった(図1)。

    参考文献
    Armitage, S. J. Jasim, S. A., Marks, A. E., Parker, A. G., Usik, V. I.; Uerpmann, H.-P. 2011. The southern route ''Out of Africa'': evidence for an early expansion of modern humans into Arabia. Science 331: 453-456.
  • 青木 邦勲
    セッションID: 417
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     地理Bの学習内容について,教科書で取り扱う内容の順番と各社発行の受験問題集が取り扱う内容の順番が異なっていることは周知の通りである.昨年度より,発表者が担当している授業では受験参考書の順番を採用して授業計画を立てている.この理由は高校2年生では週4時間で授業を行っているが,学習内容が系統地理学の部分で終わってしまうため,地誌学の学習までたどり着かない問題を抱えていたためである.
     そこで,受験問題集数冊の項目立てから授業の流れが崩れない方法を考え,前半の系統地理学と後半の地誌学を合わせて「系統地誌学」という概念を思いついた(ただ,この概念は発表者が初めて提唱するものではなく,以前からこのような教育方法が提唱されていたのではないかと考えている).この方法で授業を進めると地誌の内容を扱うことも可能になるので生徒が興味を持ち自主的な取り組みが見られ,履修者の減少に歯止めがかかった.また,授業内容や授業回数の短縮にもつながり,3年生の11月に行なわれる日本大学付属学校等統一テストや各大学で実施している推薦入試に対応できると考えている.
    2.今回の発表内容
     5月に行なわれた日本地球惑星科学連合大会では上記の2年生の授業の前半部分について,「特に地形学の授業の進め方を工夫することで,世界の鉱工業の理解が深まり,各地域の特色が明らかになるので生徒が興味を持ち,生徒自らが思考を深めてくれる」という内容で発表を行った.今回は視点を地理B全体に向けて「地理教育」としての観点から発表を行う.
     3.発表の具体的な中身と構成
     具体的には昨年度2年生の授業(週4時間)では「地形学・世界の鉱工業とエネルギー資源・気候学・世界の農牧業」という流れで授業を進め,今年度3年生の授業(週6時間)では「村落・都市・国家間の結びつき・現代世界の諸課題(民族・人口・環境問題)・林業・水産業・地図の図法・統計演習」で授業計画を立て,現在は現代世界の諸課題まで終了している.
     このような形で授業を行ったところ,以下のような結果(良い方向への変化)が見られた.
    ①2年生のうちから各地の様子を詳しく見ることができるため,生徒の授業中の活動が積極的になった.
    ②系統地理と地誌の関係が明確になり,各単元で何を学習してどこへ到達させるのか?が生徒自身で理解できるようになった.
    ③生徒の思考が深くなり,各地域の特色について生徒自らがまとめる作業を行なうようになった.よって,従来の地誌学の考え方である各地域の総合的な特色については生徒自身でまとめる作業をしている.
    ④2年生から3年生への地理継続履修者に減少の歯止めが掛かった.
     教える側が先に全体の概要を示すことが大前提となるが,生徒自らが進んで地理を選択してくれる状況は整えたと考えている.また,受験のために授業をしている訳ではないが,各種実力テストでも偏差値50を確実に超えてくれている.成果が上がっているが,この方法にはまだ改善の余地があると考えているので,ご意見を賜りたい.
     残念なのはこのような状況にあって大学入試で地理が受験教科にないこと,地理学科を持っている大学の入試制度が多様化していないことが残念である.
  • 杉戸 信彦, 松多 信尚, 石黒 聡士, 内田 主税, 千田 良道, 鈴木 康弘
    セッションID: S0403
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    1.はじめに
     ハザードの「地域性」は,災害を理解する鍵のひとつである.津波防災においては,遡上高に関する地点ごと・浦ごとの情報が,地域防災力向上に欠かせない.しかし,甚大被害をもたらした2011年東北地方太平洋沖地震でも,遡上高の空間的差異は十分には把握されてこなかった.
     今回の津波については,東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ(2011)や原口・岩松(2011)らによって直後から踏査が行われてきた.しかし,計測基準が踏査者で異なる,未踏査域がある,また必ずしも直後の踏査ではない等の問題を抱え,津波挙動の地域差をきちんと把握しきったデータとはいえない.津波浸水,そして甚大被害の「地域性」をきめ細かく理解しなければ,他の津波リスクのある土地も含め,津波防災は適切なものにはならない.
     著者らは,津波遡上高について広域を網羅した系統的かつ詳細な均質データを作成し,津波挙動の地域性と要因を検討すべく,1:25,000津波被災マップ(日本地理学会災害対応本部津波被災マップ作成チーム,2011)と国土地理院提供の地震後DEMのGIS解析を行ってきた.本発表ではその概要を,鈴木ほか(2013)に基づいて述べる.
    2.方法
     1:25,000津波被災マップ(青森県中部~千葉県北部)は,福島県中南部を除き,国土地理院地震直後撮影の航空写真を実体視して作成されており,実体視判読に基づく唯一の津波浸水域データである(松多ほか,2012).福島県北部以北については,地震直後撮影航空写真のオルソ画像を基図として判読作業をコンパイルしており,紙地図に記入した場合に生じる誤差は回避されている(松多ほか,2012).実体視判読による津波浸水域認定の妥当性も確認されている(杉戸ほか,2012).国土地理院提供の地震後DEMは2 mまたは5 mメッシュであり,範囲は岩手県~福島県北部である.これらのデータをGIS上で重ねあわせ,津波が入った内陸側の限界ラインの標高を表示する「津波遡上高分布図」を,岩手県~福島県北部について作成した.
     作成に際しては,A.津波浸水ラインが海岸線と交わる場所は,標高が0 mと表示されるため,除外する,B.浸水ラインが急崖付近の場所は,浸水ラインが基部なのか斜面なのか判読がやや困難であるので,除外する,等の処理を行った.Bについては,翻って考えると,傾斜の緩い場所においては浸水ラインの位置の誤差は標高誤差をほとんど発生させないため,得られた標高値はDEM自体の有する標高誤差(数10 cm)とほぼ同等ということになる.
    3.津波遡上高の地域性
     作成した「津波遡上高分布図」をみると,津波挙動の地域的差異が一目瞭然である.例えば気仙沼南方,大島の東側・西側は,数100 mしか離れていないにもかかわらず,東側では標高20 mを越えるのに対して西側では同10 mに達していない.前者は短い波長の津波が外洋から直接入って大きく遡上したのに対し,後者は南北に細長くのびる内湾に面するため,主に長い波長の津波によって浸水したと考えられる.気仙沼付近をみると,海岸部と内陸部で遡上高に大きな差異は認められず,また現地調査では2階まで浸水しながら流失を免れた家屋が認められた.よって,気仙沼湾の奥部においては,長い波長の津波が比較的ゆっくりした速度で流入したと考えられる.こうした分析は,家屋の多くが流出した激甚被災域の地域性を理解する鍵のひとつにもなる.今後さらに検討をすすめる予定である.
  • 学校施設間距離による拡散パターンと地域差に関する分析
    荒堀 智彦
    セッションID: 202
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    1.研究の背景と目的
      疾病地理学,医学地理学などの分野においては,疾病現象の地理的分布と地域環境との関係を扱う際に,最も基本的な分析手法として疾病地図が用いられてきた.今日では,疾病地図を用いた研究はGISと空間分析技術の発達,国立感染症研究所などの機関による感染症サーベイランスの構築,さらに,地理学だけでなく疫学,公衆衛生学,生気候学などの分野による学際的研究の増加によって関心が高まってきている. 本研究で対象とするインフルエンザについて,岡部(2005)は,インフルエンザウィルスは低温で乾燥した気候下で長く生存するが,ウィルスの増殖は,反対に高温多湿の気候下で活性化する傾向があることから,分布と拡散の要因を考える場合,気候条件だけでなく,地域の人文社会的環境の影響もあると述べている.また,Cromley and McLafferty(2002)によれば,疾病現象の空間的拡散には,人口分布を背景とした階層的拡散と,中心部からの距離を反映した波状拡散の2種類のパターンがあり,今日ではこれら2種類の拡散パターンが複雑な地域環境を反映して現れることが指摘されている.荒堀(2012)では,感染症サーベイランスを用いて,和歌山県内における2009年から2010年流行期の学級・学校閉鎖実施校の分布の可視化と,分布指向性分析により,流行地域が北部の紀ノ川流域から西部の沿岸部を南下し,終息期に山間部へ移動していく空間特性を明らかにした.しかし,これは県内の全体的な流行地域の移動を示したものであり,県内諸地域のミクロな拡散を考察しているとはいえない.また,複雑な地域環境との関係を考察するためには,よりミクロなスケールにおける分析が求められると考えられる.
      本研究では,和歌山県内のインフルエンザ患者のミクロな空間的拡散パターンを明らかにすることを目的とし,学校施設間距離による分析から拡散パターンと地域差について考察した.
    2.研究対象地域
      研究対象地域とする和歌山県は,総面積の約81%を山間部が占め,平野部は北部の和歌山市を河口とする紀ノ川流域と,有田市,御坊市,田辺市などの沿岸部の都市周辺にある.北部は京阪神都市圏の一部となっており,南部へ向かうほど過疎地域が多くなる.寺杣ほか(2010)は,2009年から2010年の流行期(2009年8月から2010年2月)は,隣接する大阪府南部において,6月下旬から新型インフルエンザの患者が継続的に確認されるようになり,当該地域に通う人々の中に患者が散見されるようになったと述べている.流行初期に学級・学校閉鎖を実施した学校施設は北部に分布しており,県内へのインフルエンザは北部から侵入し,その後は上記の地域に沿った形で拡散がみられると考え,当地域を選定した.
    3.研究方法と資料
      分析に用いた資料は,和歌山県福祉保健部健康局健康推進課発行の「集団インフルエンザ様疾患発生速報」である.本資料は,県内の保育園,幼稚園,小学校,中学校,高等学校,特別支援学校(計:854施設)を対象に,学級・学校閉鎖を実施した各学校の時期などの情報が記載されている.本資料より,2009年から2010年の流行期に学級・学校閉鎖を実施した学校施設を抽出し,ユークリッド距離行列を作成した.
    4.結果と考察
      分析の結果,和歌山市などをはじめとする北部,有田市,御坊市,田辺市などの西側の沿岸部で学級・学校閉鎖実施校の拡散パターンに地域差が認められた.和歌山市周辺では,流行初期に和歌山市中心部から3kmから5km離れた郊外の地域から学級・学校閉鎖が実施され,中心部においては流行のピーク期に入る前から拡散がみられた.沿岸部に位置する都市では,中心部から郊外へ拡散していくパターンがみられた.北部では階層的拡散,沿岸部では北部からの階層的拡散の後,都市内で波状拡散が発生したことが示唆された.
  • 釧路市町内会における高齢者の津波避難に関する分析
    仁平 尊明, 橋本 雄一
    セッションID: 304
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    [序論] 2011年3月の東北地方太平洋沖地震後,津波浸水予測の想定が変更になり,北海道においても津波想定地域が大幅に拡大された。なかでも東部太平洋岸に位置する釧路市は,津波想定地域の人口が約13万にも達すると推定されている。釧路市では高齢化も進んでおり,災害対策の課題となっている。2010年の人口18万のうち,37%に相当する6万7千が65歳以上の高齢者である。積雪寒冷地の防災計画を策定するためには,町内会や個々の家庭といったミクロスケールでの対策を考える必要がある。本研究は,積雪寒冷地の沿岸都市内部における津波避難に関する研究の一環として,釧路市都心部における町内会の取り組みを事例に,高齢者の津波避難の課題を解明することを目的とする。2012年9月の現地調査では,津波想定地域の災害避難支援協働会,町内会連合会,市役所の防災担当者への聞き取り調査を主に実施した。 <br>
    [結果の概要] 町内会Iは釧路川の河口に位置する。標高は1.2m,人口は123であり,そのうち高齢者が37%を占める(2010年)。この町内会は,火災・地震・大雪の被害を想定して,定期的に訓練を実施してきた。災害避難支援協働会を組織して,要援護者の避難も実施している。津波に関する最近の活動は,2009年10月の避難訓練,2010年2月の避難(チリ中部沿岸地震),2011年3月の避難,2012年8月の避難訓練である。避難訓練の後には,反省会を開いている。住民への啓蒙活動として,災害対策の講演会を開催している。町内会Iの一時避難場所は,近隣のSホテル(標高2m,町内会からの道路距離290m)であった。Sホテルは標高10m以上ある4階部分から上部はマンションであるため,2012年からは,台地にある釧路小学校(標高32m,距離750m)へ避難することになった。近くにマンションはあるが,知り合いが居なければ入れないし,電気施設が地下にあるので長く避難できない。 <br>
    町内会Kは,根室本線,釧路川,新釧路川に挟まれた海岸部に位置する。標高は4m,人口は243であり,そのうち高齢者が40%を占める(2010年)。一時避難場所は,町内にあるマンションKと中央小学校(標高3.5m,距離450m)である。2008年4月に実施した避難訓練では,90人が参加し,6分でマンションKまで避難できた。2011年3月の避難では,マンションKと中央小学校に分散した。2012年の津波想定地域の変更により,3階建ての中央小学校は一時避難場所として使用できなくなった。今後は マンションKの4階部分と,920m離れた合同庁舎にも避難しなければならない。<br>
     [津波避難の課題] 2011年3月には,避難しない人がいたことや,避難した住民が自宅に戻った後に,最大の津波が来たことが問題だった。2012年に実施した町内会Iの避難訓練では,高齢の要援護者をリヤカーに乗せて坂道を上がるのが困難だったこと,坂道で自動車が渋滞することが問題であった。町内会Kとその周辺地域では,近隣には避難所となる高層建築が少なく,鉄道を超える時には渋滞が発生すると予想される。今後,地震後15分以内に自宅を出て,次の15分で避難するという撤退ルールを守ることが大切である。冬季の避難を想定した場合,廊下にフードが付いているマンションと協定を結んで,一時避難場所を確保する必要がある。可能であれば,臨海鉄道跡の市有地などに,冬季の避難にも耐えられる大型の津波タワーを建設してほしい。高齢化が進んでいる現在,動ける高齢者が動けない高齢者を助ける必要がある。しかし,老人会などの地域のサルーン(談話の場)に入っていない人が多いことも問題である。(本発表は科学研究費補助金基盤研究C [課題番号24520883]の成果の一部である)
  • 宮古市田老地区の事例から
    岩動 志乃夫
    セッションID: S0505
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    宮古市田老地区を事例に仮設商店街の機能特性と課題について報告する。同じ敷地内に400戸の仮設住宅が隣接しており,消費者の大半は仮設住宅居住者である。したがって仮設住宅と仮設商店街が近接立地するタイプとして分析した。また消費者の来店目的は消費,運動・気分転換,コミュニケーションを求めての3タイプが存在する。今後の課題は2階建の建築物は階数によって小売業には大きな差を生むこと,出入り口が複数必要であること,建築時からバリアフリーに対応した構造で建設することなどが指摘できる。さらに田老地区住民の約半数が同地区への今後の居住を望まない結果を受け,仮設店舗経営者は今後の小売店出店場所や形態などまだ未定の業者も多く,早急な行政の指針が必要となっている。
  • 任 海
    セッションID: 508
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    中華人民共和国(以下,中国と略す)の都市では,従来の中心市街地において大規模な再開発により都市構造が大きく変化した.上海市は中国で最も都市化が進んでいる都市であり,その現象が他都市より顕在化している.上海市の中心市街地に広く分布していた里弄(リーロン)住宅は,商業的な機能を重視する高層オフィスビルと高所得階層向けの高層マンションに建て替えられた.本研究は,中心市街地の静安区で行われた再開発が都市景観と人口密度の分布に与える影響を考察する.また,ヒヤリング調査を基づき,中心市街地における再開発により里弄居住者の意識変化を明らかにする.
    静安区は上海市の中心部に位置し,商業地域でありながら再開発対象の里弄住宅も大量に存在する既成市街地であった.静安区は上海市政府が公表した地価分級において1級~3級の地域であり,一等地における商業開発のほか,区の縁辺部の3級地域では住宅開発も行われ,静安区における再開発の土地利用は他の地域より多様である.静安区で実施された再開発事業は,上海市における20年間の中心市街地の再開発事業の縮図と考えられる. 
    中心市街地の再開発によって,里弄住宅の居住者は世帯の経済的状況と社会的状況に基づき,都心からさまざまな距離にある補償住宅に移転し,人口密度の分布は大きく変化した.本研究では,静安区における居民委員会が管理した地域に基づいて人口データをGISで表示し,土地利用の変化が人口密度の分布に与える影響を明らかにした.その結果,大規模な再開発を通じて,静安区の人口密度は,1990年代の1㎢当たり7万人台から現在の3万人台に減少したが,個別の地域では土地利用と再開発事業の状況によって人口密度が徐々に増加したことも明らかになった.また,再開発されてない里弄住宅などの地域では人口密度が再開発の前より高くなったことも見られた.
    上海市の中心市街地における再開発は,住民意識にも影響を与えた.本研究では,2006年2月から2013年5月までに行った家庭訪問事例をまとめ,その実態を明らかにした.その結果,第一に,里弄住宅の居住者は世帯人口の増加や,若い世代の結婚などを考慮して床面積が広くて近代的な多くの数の住宅を希望した.第二に,地下鉄の建設によって郊外地域から都心へのアクセスは多様で便利になり,里弄住宅地域の優位性が薄くなり,住民の中では都心から郊外へ移転したくないという考え方が弱くなった.第三に,近隣関係の継続,住宅に対し持つ感情など社会学的なニーズは,居住環境を改善する要望に比べると低下した.
  • 石黒 聡士
    セッションID: S0411
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    1.はじめに
    災害地理学的研究において数値標高モデル(DEM:Digital Elevation Model)は,既に起こった災害の「なぜ」を解く重要な手がかりであると同時に,今後起こりうる災害の被害を予測するための,決定的な境界条件の一つである.災害地理学的な考察,たとえば,丘陵地の宅地造成地における地滑りによる建物被害を考察する過程では,その場所における過去の地形や,現在の地形に至るまでの変遷が重要である.一方,特に津波による被害や津波シミュレーションの精度向上のためには,海底地形が重要である.しかし,失われた過去の地形や海底地形など,普段直接目にすることができない地形を正確に把握するためには,それに適した計測手法を用いたり,場合によっては新たな計測手法を開発しなくてはならない. 筆者らは,「災害地理学的研究のための高解像度DEM作成」を軸に,(1)過去の地形の詳細な復原について,(2)浅海底地形の細密な計測について解析を行っている.また,これらによって作成されたDEMの精度を明らかにし,どこまでの議論が可能かの検討を進めている.本発表ではそれぞれの概要を述べる.  

    2.過去の地形の復原
    東日本大震災では,仙台市の宅地造成地で大規模な地滑りが発生し,建物が傾くなど多くの被害を出した.仙台市は,宅地造成の履歴マップ(縮尺1万分の1)を作成し,Web上で公開するとともに(仙台市,2013),建物・地盤被害分布との関係を分析している(森・風間,2013).また,建物被害の分布と,切り土盛り土分布との間には相関が見られるという報告があり(佐藤・中埜,2011),切り土盛り土境界は防災上重大な意味を持つと考えられる.その境界を正確に知るためには,過去の地形をできるだけ正確に復原したDEMを作成する必要がある.過去の地形のDEMを作成する方法には,1)過去の大縮尺地形図から等高線をデジタイズする方法,2)航空写真測量により直接地形モデルを作成する方法がある. 著者らは上述の手法によって作成されるDEMの精度を検証するために,モデルケースとして,愛知県名古屋市の旧版の都市計画図およびそれを作成する際に使用した航空写真を入手し,DEMを作成した.当時から地形改変のない場所を選定し,精度検証を行うとともに,過去と現在の地形の差分を,新旧のDEMを差し引きすることにより求めた.これにより,切り土盛り土境界の位置を推定した.また,作成手法の違いによる精度の違いを検証した.  

    3.航空機搭載型測深LiDARによる浅海底の地形計測
    海底地形は,通常,測量船に艤装されたマルチビーム測深機により計測される.測量船による計測は確立された技術に基づいた高精度な計測が可能である一方,水深が十数mより浅い浅海域には大型の測量船が進入できない.浅海域でも航行可能な小型船による測深には多くの時間を要し,広域性に欠ける.したがってこれまで,広範囲の浅海底地形を効率よく均質に計測することは困難であり,陸上DEMと海底DEMとの間にギャップが存在する.近年,航空機搭載型測深LiDARによる測深技術が実用化されている.これは上空から波長532 nm(緑色)のレーザーパルスを照射し海面および海底からの反射時間を計測して水深を計測する技術で,計測が可能な水深が数十mより浅い範囲に限られるものの,測量船による海底DEMと陸上DEMとの間のギャップを埋めることが期待される. 国立環境研究所と産業技術総合研究所は,現在,北海道から紀伊水道にかけての太平洋沿岸の一部で,航空機搭載型測深LiDARにより海底地形を計測中である.同種のセンサーは日本国内では海上保安庁のみが保有しており,研究機関による学術的利用は国内初である.これまでに得られた地形データについて精度検証を行った結果,1 m程度(標準偏差)の精度であった.今後,誤差の水深依存性や水質依存性,底質依存性などについても詳細に検証を進める.

    4.目的に適したDEM作成の必要性
    災害地理学的研究に使用するDEMは,その目的に適した手法により作成されなくてはならない.また,保証される精度以上の議論に使用されてはならない.これまで,データ利用の際に,誤差や精度が考慮されることはあっても,そのデータが作成された経緯や手法までは十分な注意が払われてこなかったように思われる.しかし,特に災害地理学的な検証に利用する際は,これらに十分留意し,場合によっては使用目的に合致した作成手法でデータをいちから作成し直すことも必要である.
  • 高解像度地形データの活用
    小口 高, 早川 裕弌, 齋藤 仁
    セッションID: S0410
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    東日本大震災を通じて、過去に生じた大規模な津波の実態を科学的手法によって知り、それを社会に広く伝えることが津波災害の軽減に重要なことが示された。過去の津波の復元には津波堆積物が有効に活用されてきたが、地下に点在する物質を探査して行うため、多大な時間と労力を要する。歴史資料も活用されてきたが、近世よりも前の時代については資料が存在しないことも多い。そこで本研究では、高解像度データを用いて地形の特徴を詳細に把握することにより、過去の大津波の実態を知る可能性について検討した。  本研究では三陸南部のリアス海岸を対象に、地上型のレーザースキャナーを用いた測量を5地点で行い、解像度10 cm程度のデジタル標高モデル(DEM)を作成した。また、津波被災地のより広い範囲について、航空レーザー測量で取得された解像度数mのDEMを国土地理院から入手した。次に、これらのデータを地理情報システム(GIS)に入力して分析し、地形の特徴を定量的に明らかにするとともに、津波と対応すると考えられる地形の存在を指摘した。 本研究の開始時には、東北地方太平洋沖地震による津波で被災した砂浜海岸や平野においても概査を行ったが、観察された地形変化は予想外に小さかった。この理由として、非固結の物質からなる土地は侵食を受けやすいが、リアス海岸の湾入部などとは異なり流水が集中しないため、水深や流速が相対的に小さく、侵食力が弱かったことが挙げられる。一方、三陸南部のリアス海岸の谷では、津波の水流の侵食力の大きさを反映し、谷の植生、土壌、さらには固結した岩盤の一部が侵食されたことが観察された。そこで本研究では、リアス海岸の谷を研究対象とした。とくに顕著な侵食が広範囲で観察された宮古市の姉吉地区を、主な調査対象とした。 本研究を通じて、海面がほぼ現在の高さに達した約7千年前以降に、三陸のリアス海岸に大津波が繰り返し襲来し、その際に生じた侵食の蓄積によって谷に独特の地形が形成されたという仮説が提示された。特徴的な地形は、i)谷の側壁に見られる小段、ii)通常とは異なる谷の側壁の傾斜の非対称、iii)海岸付近の下流部が異様に広い谷、iv)上記の下流部とその上流側との境でみられる河床勾配の顕著な不連続である。一般的な地形形成プロセスである重力性の斜面プロセス、河川の作用、通常の波浪による侵食について、その規模と頻度を含めて影響の可能性を検討したところ、上記の地形の特徴はその種のプロセスでは説明できず、津波の影響を反映する可能性が高いことが判明した。実際、これらの特徴的な地形の分布を姉吉地区等において詳しく検討したところ、東日本大震災の際の津波の到達状況とよく対応することが示された。 姉吉地区には、明治・昭和の二回の三陸津波で海岸の集落を失った教訓を踏まえて「此処より下に家を建てるな」という石碑が設置されている。この石碑は、東日本大震災の津波の到達点から約50 m 内陸側に位置し、明治以降の3回の大津波がほぼ同じ地点まで到達したことを反映している。今回の検討結果は、石碑のような記録がなくても、地形から過去の大津波の到達状況を推定でき、居住に適する場所と不適な場所を判別できることを示唆する。 地形は地球の表層に普遍的に存在し、掘削や断片的な試料の探索をしなくても特徴を把握できる。したがって、地形の特徴から過去の津波の規模を推定する手法は、広域での迅速な調査に適する。一方、復元される内容は反復して生じた大津波の総体であり、個々のイベントの詳しい規模や年代の推定が困難な点は既存の手法よりも劣る。したがって多様な地理学的・地学的・歴史学的な手法を組み合わせて過去の津波の実態を検討する必要がある。たとえば、地形から津波の影響が大きいと判断された場合には、津波堆積物や歴史資料の探索を行い、地形に基づく判断を検証しつつ、より理解を深めるという展開が考えられる。 本研究で示したような形で地形と津波を結びつける研究の視点と手法は、前例がほとんどなく新規性が高いと考えられる。今後、三陸以外のリアス海岸の地形についても調査を行い、地形を用いた過去の津波の復元手法の適用可能性を、詳しく検討する予定である。
  • たたかう地理学の視点から
    小野 有五
    セッションID: S0201
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    今なお避難者が15万人を超え、高い放射線量を示す地域が残る福島県で地理学会を開催することは、3.11以後の地理学の意味を問いかけるうえで、重要である。地理学が自然と人間との関係を明らかにし、環境の科学として重要であると主張するならば、このような状況にある福島の人々に対して、地理学者、研究者は何ができるのか、何を優先的になすべきかを問うべきであろう。そのために、本シンポジウムを企画した。オーガナイザーである筆者は、地理学者は、研究をもとに行動すべきことを強調し、『Active Geography たたかう地理学』という本を2013年4月に出版したところである(小野、2013)。 このなかでは、「行動する」という行為を、「歩く」、「むすぶ」、「教える」、「演じる」、「変える」、「訴える」、「イマジン」の7つのキーワードで説明した。原発事故に関連していえば、(1)できるかぎり現場を歩き被害の実情を明らかにすること、現場とは、福島の現場でもあり、被災者が避難していれば、その避難先もまた現場であること、(2)被災者・避難者と支援者、行政、市民をむすぶこと、(3)それらから知りえた事実を、教育の場で、また市民に対して伝達すること、(4)さまざまな場で、地理学者として、果たすべき役割を演じること、(5)3.11の原発事故を未然に防ぐことができなかった科学のありかた、社会のありかたを変えること、(6)危険性が明らかになった原発に対しては、それを速やかに廃炉にすべく訴訟を起こすこと、(7)原発事故が、ふつうの人のふつうの生活をどれほど破壊し、家族や近隣の人間関係をどれだけ分断し、人々のどのような苦痛を与え続けているか、それによってどれだけの人々が傷つき、また死に追いやられたかを、イマジンすること、今後、日本列島で起こりうる巨大地震や巨大津波をイマジンし、それによってどのような原発事故が起きるか、その影響はいかなるものかをイマジンすること、事故が起きなくとも、高レベル放射性廃棄物を安全に保管しなければならない、今後10万年間についてイマジンすること、などがその内容になる。 本シンポジウムでは、地理学者がどのような役割を演じることができるかについて、原発の立地そのものに関する変動地形学の役割、放射線量の継続的な計測を地理学者が行う意味、原子力に代わる再生可能エネルギーの可能性や、津波からの復興事業における地理学者の貢献について、3人の演者の発表をもとに検討したい。また福島で、被災者、とくに子どもや女性の保養に関わってこられた研究者から、放射線による健康被害についての問題を提起していただき、地理学者として、この問題をどう考えるべきかをあわせて検討したい。 地理学は、現場でも緊急に解決が求められている問題は、政治的であることが多いことから、伝統的にそれを回避してきた。しかし、政治的な問題を意図的に回避した地理学のポリティクスそのものが、実はもっとも政治的な態度であるともいえる。3.11以後においては、そのような地理学ではなく、もっとも弱い立場にある人々の視点にたち、問題解決に向けて貢献できる地理学の構築をわれわれはめざすべきであろう。 小野有五(2013)『Active Geography たたかう地理学』(古今書院)
  • 吉田 英嗣
    セッションID: 505
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    「流れ山」は,巨大山体崩壊により岩屑なだれが生じて形成される堆積地形のひとつである.流れ山の配列の規則性については,最近,岩屑なだれのより複雑な流走プロセスとの関連で議論されるようになってきている.例えば,Paguican et al.(2012)は,アナログモデルも導入しつつ,岩屑なだれ内部に生ずる局所的応力場(引張場と圧縮場)の結果として,堆積面に形成される地形的特徴が規定されるというモデルを示し,その中に流れ山の形成が位置づけられている.また筆者は,日本とフィリピンにおける複数事例の流れ山の長軸方向を定量的に記述し,Paguican et al.(2012)のモデルが意味するように,岩屑なだれの流動の複雑さ(あるいは単純さ)を反映していると考えられる,流れ山の配列に関わる傾向を見出している(Yoshida 2013).そこで次なるステップとして,本研究では,Yoshida(2013)において判明した流れ山の配列パターンを規定しうる地形場の影響について議論する.

    本研究では,日本における7つの岩屑なだれ(有珠・善光寺,岩木・十腰内,羊蹄・羊蹄,尻別・留寿都,那須・観音川,鳥海・象潟冬師,那須・御富士山)を検討対象とした.
    はじめに,流れ山の長軸方向を定量的に把握した.それぞれ空中写真判読により認定された流れ山地形について,GIS(TNTmips)上で個々のポリゴンとして各種の計測が可能なようにし,流れ山ポリゴンの対角線のなかで最長のものを流れ山の長軸と定めた.そして,ポリゴンの重心と山体崩壊直前の給源位置(または推定山頂位置)とを両端点とする線分の方向を各流れ山の流向とみなし,この線分と長軸とがなす交角のうち鋭角(0°≦θ<90°)を,流れ山の長軸方向の流下方向からの「ずれ角度」と定義した。本研究ではこの「ずれ角度」の大小により,流れ山の配列を評価し,その流走距離との関係を示した.
    一方,岩屑なだれ流走域の地形的条件として,流走時の地表面傾斜に着目した.岩屑なだれ流走時の地表面傾斜は岩屑なだれ堆積底面傾斜に近似できると考えるが,その復元は資料の制約上,現時点でほぼ不可能なため,本研究においては現地形の接谷面を岩屑なだれ流走(流れ山地形形成)直前の仮想地形面とみなし,その傾斜を求めた.まず,国土地理院の10mDEM(基盤地図情報GML形式)を用いて,対象地域を包含する領域の標高モデルを作成した.さらに,それを用いて接谷面を作成し,接谷面の傾斜分布図を作成した.そして,各流れ山(ポリゴン)についての接谷面傾斜の平均値を算出し,流走距離との関係を示した.
    以上の2つのデータセット,すなわち,流れ山長軸方向のずれ角度の縦断変化と接谷面傾斜の縦断変化とについて,それぞれ区間平均値を算出して全体の傾向を抽出したのち,両関係の対応関係を検討した.

    流れ山のずれ角度の縦断変化は,岩屑なだれ流下以前の地形を近似する接谷面の傾斜の変化と対応していることが判明した.すなわち,岩屑なだれ流走域の傾斜変化に応じて岩屑なだれ中の応力場が変化し,そのことが流れ山の配列に影響を与えたと考えられる.今回の対象事例に基づき,流れ山のずれ角度の変化傾向を傾斜との関連で整理すると,次のようである.すなわち,接谷面の傾斜とその流走方向変化について,
    A:減傾斜区間
    B:減傾斜区間から一定区間への移行部
    C:一定区間から減傾斜区間への移行部
    D:一定区間
    E:一定区間から増傾斜区間への移行部
    F:増傾斜区間から一定区間への移行部
    G:増傾斜区間
    H:減傾斜区間から増傾斜区間への移行部
    I:増傾斜区間から減傾斜区間への移行部
    の9つに分けたとき,ずれ角度が減少する(流れ山が平行傾向となる)のはB,D,E,G,Hのときであり,ずれ角度が増加する(流れ山が直交傾向となる)のはA,C,F,Iのときである.例えば,留寿都岩屑なだれでは,流走距離4000m~4500m付近まで減傾斜区間(A)であり,ずれ角度は増加傾向にある.傾斜の減少が継続することにより,岩屑なだれ内部は圧縮場へと移り変わっていったことを反映していると考えられる.また,距離4500m付近で減傾斜区間から一定区間に移り変わると(B),ずれ角度は減少する.これについては,傾斜の減少傾向に歯止めがかかることにより,それまでの圧縮場から相対的な引張場へと変化してずれ角度の減少がもたらされた,と説明できる.
    個々の事例の詳細については,それ以外の地形的条件も考慮すべきであるが,今回の検討により,基本的には岩屑なだれ流走域の地表面傾斜が堆積面の形態を規定していることが明らかとなった.
  • 神田 竜也, グエンホー ヌー, グエンホー バン, 四本 幸夫, 金 枓哲, 磯田  弦
    セッションID: 608
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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     ベトナムでは、棚田のことを「ルン・バック・タン」(階段状の水田)とよぶ。北部ベトナムでは少数民族が耕作する壮大な棚田がみられる。報告者らの予察調査やGIS分析によると、北部ベトナム・サパでは棚田の開発が現在もなお進行中である(Isoda et al 2011)。北部ベトナムにおいて、モン族やザオ族に代表される少数民族は、急速な人口増加を経験し、農業の集約化高度化によって人口増加に対応してきた。そうした北部ベトナムの棚田地域におけるかれらの生活には、少数民族の伝統的な山地資源利用のほか、タックァ(ブラック・カルダモン)に代表される商品作物の存在が欠かせないこともわかってきた。また、1990年代以降、サパでは外国からの観光客の増加にともない、自家製の工芸品を売ったり、観光客のガイドをしたりする少数民族の姿も多くなった。当地の棚田景観や民族分布の多様さなどが、国内外から注目されてきた。
     サパでは、棚田の開発が進んだのは1980年以降であるという。村のなかには、以前ほどではないとはいえ、今なお棚田開発が進んでいる。すでに多くの土地が開発された状況下で、今後どのような展開をみせるのだろうか。本報告では、北部ベトナム・サパの村落を事例として、少数民族による棚田開発と耕作の現状を、現地調査結果をもとに描出することを試みる。対象村については、モン・ザオ両民族が居住するラオカイ省サパ(県)のチュンチャイ村を中心に取り上げたい。棚田開発へのアプローチは、日本だけでなく東・東南アジアを含めた総合的な棚田地域の開発や現状解明に資すると考えられる。本報告の調査は、2009年9月、2010年9月、2011年7月、2012年3月、2013年3月に断続的におこなった。
     チュンチャイ村は、サパの北東部に位置し、面積39.10k㎡、7つの集落からなる。世帯数641戸、3,541人が居住している(2011年)。民族別では、モン族が全体の7割、ザオ族とキン族が3割を占める。当村では、農業や山地資源利用、家畜、蒸留酒、商店が生計の主であり、観光の影響はほぼない。畑ではトウモロコシの作付が顕著で、これは家畜の飼料に利用される。家畜は、自給用かまたは販売用に供される。
     サパでは、2000年代以降、従来の在来種にかわってハイブリッド種が普及し、収量は飛躍的に向上した。また、1970年代から化学肥料が使用され始めた。こうした化学肥料や農薬の類は、中国から輸入されたものが多くを占める。村の生活や生業面でも近代化が進んで、とくに国境を接する中国との関係は無視できない。
     棚田の開発過程は、相続との関係で考える必要がある。棚田の相続は、概して均分相続であるものの、末子は結婚後も両親と同居するため、他の兄弟と面積に違いが生じることがある。分家後は、家族人口の増加にともない棚田を新規に開発する。したがって、相続した棚田と開発したそれとの所有パターンとなるのが一般的である。
     世帯における棚田開発のケーススタディによると、兄弟親戚や友人間の労働交換がみられる。開発時期は、農閑期の冬であり、労働力の調達量などによって同一面積でも短期から中長期におよぶ場合がある。棚田の造成には、クワやスコップ、鉄の棒、柄の長いカマ、小型のオノといったおもに5種類の道具を使用する。
     棚田の耕作管理は、おもに4月~9月であり、田植えなどでは家族労働以外に兄弟・親戚間の労働交換もみられる。検討の結果、棚田での農作業と、他の生業とのかかわりあいのなかで労働配分がなされている。すなわち、米は自給的性格が強く、棚田の存立基盤には主要な現金収入源(タックァや賃金部門)の存在があらためて認識される。チュンチャイ村では観光の恩恵を直接受けていないため、上述した収入部門の依存度や位置づけの詳細な検討が求められる。
  • ― 韓国人ニューカマーの町から「リトル明洞」へ ―
    金 延景
    セッションID: 207
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
    新宿区大久保には,韓国人ニューカマーの集中居住地区であると同時に,商業業務中心地区としての性格を強く帯びたコリアタウンが形成されており,エスニック景観が顕著にあらわれている.本研究では,大久保コリアタウンの形成過程とその変容を明らかにすることを目的としている.
    韓国系施設は1990年代から2000年代初頭にかけて主に職安通りを中心に分布し,段階的に裏通りから表通りへ,2階以上から1階へ拡散しながら,ハングルの看板や広告を中心としたエスニック景観を形成し始めた.当時のコリアタウンでは,韓国食料品店,韓国料理店,ビデオレンタル店,不動産,美容室,教会や寺など韓国人ニューカマーに向けた韓国現地の商品や情報,そして日本の生活に必要なサービスやコミュニティを提供する場として機能していた.
    そして,2003年ドラマを中心とした第1次韓流ブームにより,日本人観光客が急増したことで,コリアタウンは大久保通りへ拡散し,2005年頃にはコリアタウンのメイン通りとされた職安通りよりも大久保通りの方に多くの韓国料理店や韓流グッズ店が出店されるようになった.2009年のK-POPを中心とした第2次韓流ブームにより,大久保コリアタウンは一層拡大し,裏通りや2階以上へ再び拡散する一方,「イケメン通り」への出店が顕著にみられた.エスニック景観は,ハングルから日本語に変わり,韓流スターのサインやポスターを飾り,スクリーンやスピーカーを設置して映像や音楽を流すなど韓流スターを媒介としたエスニック景観へ変化した.
    こうしたコリアタウンの変化には,第2次韓流ブームの他,2008年のリーマンショック以降,円安・ウォン高により日本人の間でブームとなった韓国旅行が影響している.2008年から2009年にかけては,一時期,大久保では比較的売り上げや客数減っていたことから,韓国の観光名所である明洞で日本人顧客が求めていた商品やメニューが積極的に投入されたとみられる. 
  • 箸本 健二
    セッションID: S0104
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
       地方都市の中心市街地からの大型店撤退は、通行量減少、近接商店街の衰退、消費の域外流出など種々の悪影響をもたらす。とりわけ集客力の高い百貨店、総合スーパーが撤退した場合、跡地・後施設を同一業態が継承するケースは希であり、公的セクタが入居するほか、空地、空きビル、駐車場等などの低未利用状態が目立つ。逆に、商業施設による継承に成功した事例を見ると、ダウンサイジングや家賃の適正化など中心市街地の現況を見据えた現実的な対応を採ったケースが多く、行政が地権者間の利害調整に果たす役割も大きい。
  • 小口 高, 近藤 康久
    セッションID: 601
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
    オマーン内陸部のワディ・アル=カビール盆地は、大規模な山地であるハジャル山脈の南麓に位置する。盆地には涸れ川(ワディ)が分布しており、とくに東から流入するワディ・アル=カビールと、北から流入するワディ・フワイバが顕著である。本地域は1988年にユネスコの世界文化遺産に登録された「バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群」の一部を含み、石積みの墓などの完新世中期の人類遺跡で知られる。さらに旧石器時代の遺物も発見されており、日本、米国、ドイツなどの考古学者が近年活発に調査を行っている。  演者らは2013年初頭にワディ・アル=カビール盆地とその周辺の地形と地質を調査した。その結果、興味深い斜面地形、河川地形、表層堆積物が確認された。その一例は、盆地の北東部に位置する比高300 m程度の山地と山麓の地形(図1)である。山地の中部~下部の斜面には、基板岩の構造を反映する帯状の凹凸がみられ、凸部(図1の暗色部、A)には石器の材料となる良質のチャートが含まれる。山地斜面の谷の両脇には開析された崖錐斜面(B)が分布する。山麓の一部には扇状地がみられ、相対的に古いもの(C)と新しいもの(D)を識別できる。さらにその下方にはワディ・アル=カビールが形成した氾濫原が分布している(E)。崖錐斜面や扇状地の地表面および堆積物から、中期旧石器などの考古遺物が発見された。 既存研究によると、中東地域の開析された崖錐斜面は氷期~間氷期の気候変化を反映する。現地観察によると、扇状地や氾濫原における完新世中期以降の地形変化は概して不活発であり、それ以前に大規模な堆積を含む顕著な地形変化があったと考えられる。今後、地形変化の実態と人類史との関係を、さらなる現地調査を通じて詳しく検討する予定である。
  • 「東日本大震災復旧・復興インデックス」の経験より
    森 直子
    セッションID: S0504
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに
     
    総合研究開発機構(NIRA)では、2011年9月より東日本大震災の被災地の復旧・復興の状況の全体像を把握することを目的に、「東日本大震災復旧・復興インデックス」を作成している。それは被災地域において復旧・復興の取組が日々進むなか、その進捗状況や経済活動の状況について膨大な量の断片的な情報はあるものの、時系列に整理され、かつ包括的・横断的なデータによる把握が十分になされていないとの問題意識に基づくものである。国や地方公共団体が、限られた人員・財源を被災地の復旧・復興に効率的かつ戦略的に投入するためには、「科学的証拠に基づく政策立案(EBP)」を実行することが重要である。また被災した方々が、これからの生活設計を考えていくうえでも、自分の居住地域の復旧・復興の進捗状況を客観的に把握する必要があると考えられる。そこで、ミクロな情報と地方単位や全国の視点で語られるマクロな情報を融合するためのツールの提供を模索することとなった。そして震災前後の比較可能性にも留意し、基本的に既存の統計を活用した、地域の復旧・復興の進捗を表す「指数」を試行的に作成した。この作業を通して見えてきた課題、問題点は、今次の大震災のみならず、将来の甚大災害の発生時において、どのような客観的データの収集と分析をして、政策立案と実施につなげていくべきなのかに関する問題提起となっている。

    2. NIRA東日本復旧・復興インデックス
    本インデックスは、被災地での生活を支えるインフラの総合的な復旧度を示す「生活基盤の復旧状況」指数と、被災者や被災地域の生産・消費・雇用などの活動の回復度合いを示す「人々の活動状況」指数との、二つの合成指数からなるものである。前者は避難者数、仮設住宅入居率、医療施設数、瓦礫撤去率など17の関連指標を、後者は有効求職者数、鉱工業生産指数、大型小売店販売額など12の関連指標の数値を合成化した。刻々と変わる復旧・復興の状況を測るため、月次データを重視し、そのうえで可能な限り被災地(被災37市町村:岩手県12市町村、宮城県15市町村、福島県10市町村)のデータを県別に合成した(「生活基盤の復旧状況」では市町村別も作成)。両指数の動きは総じて、2011年秋までの急速な回復の後は、復旧・復興は進んでいるものの、大きくは進捗していない。

    3. 包括的状況把握とデータ収集の問題点
    今次の大震災のような甚大災害時には、トップダウンの政策判断が不可欠であり、分野・地域横断的なデータ収集と分析が不可欠だが、日本は「分散型」の統計機構をとっているため、そうした収集・分析に困難が多い。政府の公表統計のほか、地方自治体の業務統計、民間の保有する重要データを、災害時に迅速かつ一元的に集約し、利用する体制とルールづくりが課題である。データ活用にも課題はあり、復旧・復興の全体像を把握するため関連指標の合成化を行うと、分野ごとの詳細な分析が困難になる。地域横断的な状況把握を目指すと、局所的にしか作成されていないデータが利用できない。また、既存の統計では、平時のニーズの関係から、市町村別の月次データの公開が限定されており、復興の月次の推移を示そうとすると被災地以外の要素も含む県別データで代用せざるを得ない場面も多い。これらの課題の解決策について、議論が進むことが望まれる。

    4. 被災者「個人」に着目したデータとの融合の可能性
    被災者が生活再建をしていくうえでは、より「個人のくらし」の状況が分かるデータが重要である。既存の統計でも、個人レベルの「くらし」関連データはあるが、開示に大きな制約があり利用が困難である。また、災害発生後に各種の現地調査・意識調査などが実施されているが、成果の包括的情報集約がなく、被災地の復興に利用されにくい。今後は、地域レベルのデータと、「個人」のくらしの状況のデータを融合し活用することで、効率的・戦略的かつ被災者の視線に合った、復旧・復興が実現されると考えられる。
  • 旅行ガイドブックを使った試み
    長谷川 直子, 宮岡 邦任, 元木 理寿, 大八木 英夫, 谷口 智雅, 戸田 真夏, 山下 琢巳, 横山 俊一
    セッションID: P019
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
    2013年春の日本地理学会において、地理学の社会的役割を考えるというシンポジウムが開催された。発表者の何人かは、一般の人に地理学的な視点(広い視野、総合的な視点、現象間の関係性を理解する)がないことが問題であると指摘していた。それでは一般の人にそのような視点を持ってもらうためにはどうしたら良いか。具体的に何か作成し、普及できないか。そのような視点に立ち、筆者らは2013年春から研究グループを立ち上げて活動を開始している。地誌学的な視点の一般への普及の手段として、地誌学の視点から地域を理解する教材を子供向け(義務教育における副読本や教員向け実践実例集等)と大人向け(旅行ガイドブック)に作成できないか考えた。現在市販されているガイドブックを地誌学の視点から眺めると、単なるスポット・事象の羅列になっており、スポット間の関係性や、スポット・事象がそこに存在する理由などの地誌学的説明が見られない。旅行ガイドブックにこれらの説明をうまく入れられれば、旅行者がガイドブックを読むことで地誌学的視点が身に付くようになるのではないかと考えられる。そして、観光ガイドブックにどのように項目を取り上げ、地誌学的な記載をするかについて、検討を行った。
  • ─東京都小笠原村を事例に─
    植村 円香, 荒井 良雄
    セッションID: P018
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ研究の目的
    近年,隔絶性の高い離島では,インターネットなどの通信技術を利用して,島内患者のレントゲン写真や病理検体画像を本土の専門医に送信し,適切な指導を受けることで医師不足を補っている.しかし,診療の円滑化や重篤患者を緊急搬送する際の処置をさらに迅速化するためには,ブロードバンド環境の整備による安定した高速通信の実現が不可欠である.そこで,本発表では,2011年3月に光海底ケーブルを敷設した東京都小笠原村を事例に,ブロードバンド環境整備が離島医療に及ぼした影響について明らかにすることを目的とする.

    Ⅱ東京都小笠原村の概要
    東京都小笠原村は,東京からおよそ1,000km南に位置し,交通手段もオンシーズン以外は7日に1便,片道25時間半を要する定期船「おがさわら丸」のみの隔絶した離島である.小笠原村では,本土から小笠原間の海底光ケーブル敷設を国に働きかけ,2009年度補正予算として海底光ケーブル敷設予算が認められた.100億円の整備費用をかけ,2011年7月にインターネット接続用の通信回線を通信衛星経由による接続から海底光ケーブルを利用した接続へ切り替える工事を実施した.
    小笠原村では,父島と母島にそれぞれ診療所が設けられており,常駐医師は父島に3名,母島に1名である.それぞれの医師の専門領域が限られることから,小笠原村診療所では,本土の病院(東京都立広尾病院など)と提携して,重篤患者の緊急搬送や,画像診断などを行っている.それでは,2011年3月より本格的に利用された海底光ケーブルは,離島医療にどのような影響を与えたのだろうか.  

    Ⅲ分析結果
    2013年3月に実施した東京都小笠原村医療課への聞き取り調査では,ナローバンド利用時には小笠原村診療所から本土の提携病院への静止画像の送信から提携病院での診断までに約2時間を要していたが,海底光ケーブルへの移行により約1時間での診断が可能になった.こうした診断時間の短縮によって,光海底ケーブル敷設年(2011年)には56件であった本土での画像診断が,2012年には95件と大幅に増加した.また,2012年の本土での画像診断のうち33.3%が緊急搬送の際に行われていた(小笠原村資料より).画像診断が増加した理由は,ブロードバンド整備のほか,2011年6月に小笠原村が世界自然遺産に登録されたことで来島した高齢観光客の病気や事故が多発したことも挙げられる(小笠原村医療課での聞き取りによる).   
    以上から,ブロードバンド環境整備は,本土での画像診断を利用して患者を緊急搬送するかどうかを迅速に判断したり,レントゲンやCTによる画像診断を本土の専門医に依頼したりするなど,離島医療のあり方に大きな影響を与えていると考えられる.  

    Ⅳその他  
    本研究には,科学研究費補助金(「離島地域におけるブロードバンド整備の地域的影響に関する総合的研究」,課題番号:24320166,代表者:荒井良雄)を使用した.
  • 山崎 憲治
    セッションID: 311
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
    三陸沿岸部の被災地を廻れば、神社の被災が少ないことに気付く。神社は特別な位置にあったのか?津波防災をあらかじめ意図して、神社の立地を定めていたのか。しかし、三陸のリアス海岸を離れ、仙台平野に入ると神社の被災は少なくない。平野部の農村の神社と漁村の神社の立地の違いはどこにあるのか。そもそも神社と海、あるいは当該地域集落コミュニティと海とのかかわりは、神社を介しその位置に、かかわりの象徴が示されてはいないか考察を進めてみた。沿岸部で集落は津波によって壊滅状態に陥ったが、神社がぽっかりと被災を免れている光景にしばしば目にすることになる。コミュニティと神社の位置を検討してみる。本研究では、沿岸部に立地する神社を、海とコミュニティの関係から8つの類型に分け、それぞれの被災状況を示した。ここから当該地域の海と生活・生産の関わりを示す視点を明らかにしたい。神社が津波避難に対し有効であった事例を示し、避難所として、神社の有効性を検討すると共に、神社を積極的に活かす上での課題を明示したい。
  • 中田 高, 隈元 崇, 室井 翔太, 渡辺 満久
    セッションID: S0402
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
    海底地形の変動地形判読から日本海溝沿いの活断層分布図を作成し,その中の歴史地震空白域に連続して認められる長さ約500㎞活断層が今回の地震の原因であると考えている.本発表では,変動地形学的に認定されるプレート境界沿いの活断層の事例を紹介するとともに,それらの津波との関連を改めて強調したい.
  • 「想定外」を繰り返さないために:シンポジウムの趣旨
    鈴木 康弘
    セッションID: S0401
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
    東日本大震災は、災害予測・対策に関する科学技術の限界や、今日の社会構造やライフスタイルに起因する脆弱性など様々な問題を表出した。様々な分野からこの問題を分析・検討する必要があり、地理学もその一翼を担う必要がある。ここでは災害の地理分布を丁寧に整理し、それが語る真実を読み解くことを目的としたい。
    東日本大震災は地域ごとに実に多様な災害を引き起こした。その多様性と地域性の問題を解明することは第一級の災害地理学的課題である。津波や液状化といった自然災害に限定しても、多様性・地域性は複雑で未だ混沌としている。
    津波だけみても、様々な未解決の疑問がある。①津波はどのような断層運動によりもたらされたか、②長波長と短波長の二段階の津波の複合が被害を拡大したが、具体的にどのような条件の場で津波は高まったか、③多くの人命が奪われた激甚被害地域はどのような条件の場所だったか、④明治や昭和の三陸津波との本質的な違いは何か、⑤津波の流動方向はどのようだったか、⑥地形が津波に影響を及ぼしたことは明らかであるが、逆もあり得るか。
    土砂災害や液状化についても意外な発生パターンを示した。①ハザードマップと異なる分布はどの程度あったか、②その理由は今回の地震だけに特殊なことなのか、③ハザードマップの改良はどうあるべきか、④地盤工学等では必ずしも分析されない広域的な災害分布を規定した地形発達上の要因はなにか。
    さらに先端的計測技術の進歩も考慮し、以下の検討が必要である。①災害地理情報はどこまで高解像度化できるか、②精度保証はどこまで大丈夫か、③危険地帯の「線引き」は可能か。
    また忘れてはならないのは、災害予測技術への不信から今後はどのような防災論を持つべきかという議論でもある。「想定外を回避する」という目標は、こうした災害観とも切り離すことができない。とにかく「理論上最大」を言うべきであるとの内閣府の方針は、様々な問題を招き、転換が求められている。逆に安全情報を与えかねないことを理由にした「ハザードマップ不要論」も噴出しており、この問題は看過できない状況にある。
    本シンポジウムにおいては、大震災後2年半の間に行われた地理学的研究を集め、その視点で見て初めてわかるような「目から鱗」がどれほどあるか、今後の防災・減災も視野に、災害地理学として何を目指すべきかを考えてみたい。
    なお、この他にも地理学者の大きな貢献として、原発との関係で活断層認定問題がある。これはまさに「科学と社会の関係」であり、活断層認定の科学的限界を如何に考慮すべきかという難しい問題に直面している。本シンポジウムにおいてこの問題は扱わない。


    一般公開にあたって:
    本シンポジウムの内容が、震災後2年の福島におけるシンポジウムとして、具体的復興に直接貢献できるものではないことは心苦しい。それでも、災害を見て、防災・減災を考える、地理学的視点を紹介して、被災地の災害を振り返り、福島の復興や、今後の防災・減災を考える上で多少なりともお役に立てればと願っています。
  • 中村 圭三, 松本 太, 濱田 浩美, 駒井 武, 大岡 健三, 谷地 隆, 松尾 宏, 谷口 智雅, 戸田 真夏
    セッションID: P006
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
     ネパール南部テライ低地における地下水ヒ素汚染調査の一環として、この地域に気象ステーションを設置し、2012年3月より総合的気象観測を実施してきた。この度1年分の観測データを回収したので、その概要について報告する。観測地域は、テライ低地のナワルパラシNawalparasi郡パラシParasiの東方7kmに位置するピパラ小学校の校庭の北西部である。この部分は草地となっており、夏季には人丈ほどに成長する。気象ステーションは、onset社製で、気圧、風向、風速、日射、気温、相対湿度、降水量等を観測した。そのほかに、英弘精機社製精密全天日射計(MS-801)により、全天日射量を観測した。
      観測の結果によると、気圧は1月に最高値、6月に最低値を示し、年周期で変化した。4月中旬からは、日最高気温が連日40℃を超え、最高は6月15日に43.8℃に達した。しかし、6月中旬にモンスーンに入ると気温は急降下し、以後モンスーン期間中の日最高気温は、30℃台で経過した。9月下旬から気温は降下し始め、1月10日には観測期間中で最も低い日最低気温2.3℃を記録した。この気温の変化は全天日射量の変化と非常によく対応する。モンスーン季には南から東寄りの風が卓越したが、冬季には南から西寄りの風が卓越した。相対湿度は、4月から5月にかけてほぼ40~60%の範囲にあったが、6月中旬に急激に上昇し、7月以降3月初めまで、ほぼ80~100%の範囲で変化した。
  • エネルギー問題と防潮堤の事例からの問題提起
    辻村 千尋
    セッションID: S0205
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
    2011年3月11日の東日本大震災後の、福島第一原子力発電所の事故を契機にエネルギー問題は国民の関心事項になり、原子力発電から再生可能な自然エネルギーへの転換を求める声が強まっている。こうした背景から国も国立公園などの規制を緩和し地熱発電などの開発を促進する方向性に転換を進めているが、自然公園法の改正や生物多様性条約締約国会議で、国立・国定公園の役割が自然保護区へと転換している保護区に大きな影響を与えてまでの開発は許されるものではない(吉田,2012、辻村,2012)。しかし、現実には政治的・行政的判断により科学的議論を経た合意形成過程を踏まえずに規制緩和が進められている(辻村2012)。一方、東日本大震災では津波による甚大な被害が発生した。この被害からの復興や原状復帰を目途に東北地方の沿岸では巨大防潮堤計画が立案され環境影響評価の手続きを経ることなく建設が進められている。地元からは、こうした計画への疑問の声が多く挙げられているが、こうした声をくみ取る仕組みのないままに事業が継続して実施されている現状である。本シンポジウムの議論では、この両者に共通する問題の所在を明らかにし、その解決のために地理学が果たすべき役割について問題提起をすることを目的としたい。
  • 高知市を事例として
    川島 友李亜
    セッションID: P008
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
    【目的】
    ソメイヨシノ(Prunus yedoensis)の開花日の変動は気温と密接な関係にあることが、これまで多数の研究で証明されている。また、近年の気候温暖化による春先の気温の変化に伴って、ソメイヨシノの開花時期はこの50年間に全国平均で5日早まっていることも報告されているが、今後さらに気温上昇が進行すると、サクラを初めとする果樹は自発休眠打破に必要な低温遭遇時間を不足し、発芽や開花の不揃い、生育異常現象が多発する可能性がある。本研究では高知市における気候の変化を明らかにするとともに、気候変動がサクラ(ソメイヨシノ)にどのような影響を及ぼしているかを明らかにする。特に、1961年以降の休眠時期及び開花時期の変化と気温上昇との関連性について調査し、地球温暖化との関連に着目して検討した。
    【対象】
    ソメイヨシノの開花日のデータは、全国の気象官署で生物季節観測として行われたもの、気象データはアメダスのデータを使用する。高知県では高知城公園(北緯33°N、東経133°W、海抜高度31m)のソメイヨシノが標本木とされており、開花宣言は標本木の花が5~6輪開いた状態の時に行われる。
    【方法】
    1886年から2013年までの高知市の気温変動について調査した上、開花日の経年変化、気温との開花日との相関関係の有無について検証した。
    【結果】
    高知市の気温は1980年と2012年を比較すると、夏季(8月)は+2.3℃、冬季(1月)は+0.5℃上昇していた。ソメイヨシノの開花日は1954年から2013年の期間において平均開花日は3月23日、最も早かったのは2010年で3月10日、最も遅かったのは1957年で4月2日であった。年度の推移に伴って1954年から2013年までの59年間で1年あたり、開花日はおよそ0.11日早まっていた。また、1989年までと1990年以降に分けて分析すると、前者は1年あたり0.067日、後者は1年あたり0.277日早まっていた。また、開花日と気温との関係性は3月の月平均気温と開花日の間に最も強い相関が見られた。
    【考察】
    高知市の気温上昇は1980年以降に顕著に表れ始めていることがわかった。また、開花日も同様に近年早期化が進んでいる。3月の月平均気温と開花日の間に最も強い相関が見られたことから、ソメイヨシノは開花する約1~2週間前の気温に最も影響を受けるということが予想される。
  • 磯部 邦昭, 杉村 俊郎, 佐野 充
    セッションID: P015
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
    日本列島が受災期に陥り、一極集中に伴う歪は近年懸念される災害に対応できないことが顕在化してきた。東日本大震災時には東京湾岸等でも被害が生じた。減災の基本には開発域の地盤の形質や対応策の事前熟慮が有用となる。本稿では衛星画像、(1880年代作成)迅速測図、時空間分析等を用いて、都市的土地被覆の変貌を捉え、抽出した都市型開発パターンを国土被災ハザードと比較し、減災対策等を検討した。
    関東内周圏における国土情報の時空間分析から、市街化は首都圏直下型(東京湾北部、茨城県南部)地震で被災が懸念される地盤の軟弱な湾岸、縁辺域へも進展すると思われる。新たに抽出された被災関連情報は既存のハザード等へ集約し、減災の視点による防災対策の中にシステム化し、国民の安全、避難しやすい街づくりに利用していくことが肝要である。
  • ラムダニ ファトゥワ
    セッションID: 607
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
    インドネシアでは、アブラヤシ農園の著しい拡大に関する国際社会から強い圧力を受けている。しかし、国はますます拡大するための計画を持っています。油ヤシのプランテーション経営の持続可能な方法を見つけるために私たちは、油ヤシ村の地元のレベルを評価する必要があります。本研究では評価され、村人の主要資源と可能性としてアブラヤシである輪廻村を文書。検査は広範囲フィールドワークから行われました。この研究はまた、KJ法、すなわちFH方式の拡張メソッドを開発しています。利害関係者と利害関係者の役割との間の相互作用は、単純なスキームに入力され、そして最終的に村の持続可能性評価の最良の説明が得られます。本研究は、地域レベルでの油ヤシのプランテーション経営の持続可能性のモデルは次の変数に気にする必要があることを明らかにし、小規模農家内に埋め込まれていること(1)社会資本、会社から(2)をサポートし、地方政府や金融機関、(3)組織、および長期的に持続可能な経営を維持するため(4)政府の政策。
  • 別子銅山関連遺産群を事例として
    神 文也
    セッションID: P022
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
    近年,近代化遺産の再評価が活発に行われており,これまで保存・活用されてこなかった近代化遺産に注目が集まっている。2007年6月に「石見銀山遺跡とその文化的景観」が世界文化遺産に登録された。また,同年11月には,経済産業省により「近代化産業遺産群33」が地域活性化のために公表され,その動きは日本全体に及ぶものとなっている。しかし,齋藤(2011)が指摘するように,鉱山関係者の減少が避けられない中でいかにして産業遺産とその意義を後世に継承するかが大きな課題となっている。
    研究対象地域は,愛媛県新居浜市における別子銅山関連遺産群である。別子銅山のある新居浜市は,愛媛県東予地域に位置する人口約12万人の都市である。別子銅山は,江戸・明治・大正・昭和の4時代,283年間にわたる長い間,終始住友一企業によって採掘されてきたという特徴をもつ鉱山であり,閉山は1973年である。別子銅山関連遺産は新居浜市の広範囲に多数分布している。
    別子銅山を近代化遺産として保存・活用しようとする動きは,他の地域と比較しても早く,全国に先駆けて2000年に新居浜市で「近代化産業遺産活用全国フォーラム」が開催された。これを契機として,近代化産業遺産の保存・活用の動きは全国に広がりをみせている。
    このように,近代化遺産の保存・活用に先駆的な役割を果たしてきた新居浜市であるが,その要因の一つとして,別子銅山関連遺産群のもつ近代化遺産としての意義が,早い段階から次世代へと継承されていた点にある。別子銅山の意義を次世代に継承するための取り組みが,様々な主体によって行われてきたため,保存・活用の機運が高まりやすい環境であったと考えられる。
  • 高橋 誠
    セッションID: S0407
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
    災害研究は本質的に経験科学としての性格を持つために、東日本大震災における、とりわけ現場の視点からなされた個々の調査・研究の取組みは貴重である。それらのひとつひとつが、もちろん、防災体制の拡充や復興計画の策定などの短期的な課題に応えるとともに、地理学における災害研究の体系化や理論化に資する財産になるはずであった。それゆえ、遅きに失したとは言え、それらの経験を共有・蓄積するプラットフォームとそれを編む論理とを構築すべきである。そのことを抜きにして、津波防災体制が完璧だったと信じられていた日本で、なぜ2万人もの犠牲者が出てしまったのか、という現在の日本の津波災害に関する最大の問いに地理学から向き合うことはできない。この発表では、20世紀以降の世界において人口稠密地域で起こった、ただ二つの超巨大地震、2004年スマトラ地震と2011年東日本大震災とを事例に名古屋大学の研究チームが行ってきた津波の人的被害に関する研究を紹介しながら、部分的にだが、この問いに答えようと試みる。1980年代に定式化されてから、自然災害のリスク(≒被害)はハザードの外力と、脆弱性と呼ばれる社会的条件の関数と考えられるようになった。ハザードの影響も脆弱性の分布も本質的にローカルであり、Wisener et al.(2004)は特定の場所においてハザードと脆弱性とが「出会う」という言葉を使ったが、私たちは、ハザードの営力がロカリティ依存の社会・地理的文脈を通り抜けるときに災害に「変換」されると考えた。それゆえ、地理学的な観点から見れば、リスクを捉えることは、単に潜在的なハザードに対して危険の場所を表示することではなく、そこで、なぜ、どのようにして被害が生じたか、そもそも、なぜ人々がそのような場所に住まなければならなかったのかといった問いに答えながら、両者の累積的・重層的な因果関係について場所を鍵概念として明らかにすることである。しかし、例えば、頻繁に起こる災害の場合、被災経験が災害文化として社会や空間の中に埋め込まれるが、津波のような低頻度災害の場合、防災とは異なる原理が優先されて町が作られるために、両者の関係は極めて複雑である。したがって、異なるロケーションにおける自然災害の被害について、どの部分が自然的メカニズムで説明でき、どの部分が社会的側面に関わるのかを概念的に区別することが、その議論の手がかりになりうる。津波は典型的な低頻度・大災害であり、また、被災地と非被災地との明瞭な境界によって特徴づけられる。一般に、津波による影響は、津波ハザード・建物被害・人的被害の三者の関係として捉えることができる。2004年スマトラ地震の最大被災地バンダアチェにおける私たちの調査によれば、それら三者の関係は比較的明瞭で、津波の浸水高は海岸からの距離に応じて減衰し、ある程度のところで建物全壊率も死亡率も急激に低下した。一方、東日本大震災においては、少なくとも平野部では、同じように津波の浸水高と建物の全壊率とに比較的明瞭な対応関係が見られるが、それらと人的被害との関係はもっと複雑である。マクロに見れば、平野部とリアス部とで、その傾向に大きな差異が指摘されるが、ミクロに見れば、浸水高は地域間に見られる死亡率の差異を説明できないように思われる。その鍵のひとつは、建物は動かないが、人は逃げることができるということであり、なぜ逃げられなかったのかを地理学的観点から考えることにある。このように津波ハザードの自然的特性が死亡率の地域差を説明できないことに、どう答えていくか。この発表では、自然地理学と人文地理学、そして社会学の統合的視点から、人的被害と物的被害との関係、そして避難行動に係る社会・地理的条件を検討することで、この問題を具体的に考えたい。とりわけ物的被害の大きさにもかかわらず人的被害が少ないロケーション、あるいは物的被害が少ないにもかかわらず人的被害を記録したロケーションがどのようなところに分布するかということを具体的に指摘した上で、なぜこのような場所が出現するかということを議論することによって、地理的リスクの再概念化と、地理学が取り組むべき課題を提示したい。
  • 堀 和明
    セッションID: S0405
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    東北地方太平洋沖地震で生じた巨大津波は,北海道から関東にかけての太平洋岸を襲い,甚大な被害を引き起こした.この津波の波形や高さ,遡上範囲,さらには津波による家屋や社会基盤などの被災状況は,数値計算や画像判読,現地調査などにより明らかにされてきた.
    陸上に遡上した津波が実際にどのような方向に流動し,どのような被害を生じさせたかについては,現地調査で確かめる必要がある.しかし,現地調査では,調査期間の制約などにより,調査地域が狭い範囲に限定されたり,逆に広い範囲を対象とした場合には調査地点が疎になったりする.一方,近年では解像度の高い空中写真や衛星画像の判読により,広域にわたって詳細な情報を取得できるようになってきた.本報告では,沿岸にみられる人工物のなかで,ある程度の密度をもって広域に分布し,家屋などに比べて均質性の高い電柱に着目して,その倒壊状況を空中写真や衛星画像から判読し,津波の挙動について検討した.
    調査は,南北方向に伸びる,標高の低い海岸平野からなる仙台平野でおこなった.対象範囲は仙台塩釜港から阿武隈川河口付近で,行政区では仙台市(宮城野区,若林区,太白区),名取市,岩沼市が含まれる.この地域を選定した理由として,津波前および津波直後に撮影された高解像度画像の利用が可能なこと,いろいろな機関・組織により津波の高さや浸水高,浸水範囲が他地域に比べて詳細に調査されていることが挙げられる.
    津波前の電柱の位置については,被災前に撮影されたGoogle Earthの画像やgoo地図の航空写真(GEOSPACE)で確認できた電柱の影にもとづいて判断した.また,津波後の電柱の倒壊状況については,津波直後に国土地理院によって撮影された空中写真をもとにして,(1)倒れていて,その方向が確認できるもの,(2)倒れているが,瓦礫や土砂に覆われていたり,方向を判断したりするのが困難なもの,(3)津波により流出した可能性が高いもの,(4)倒れずに残ったもの,に区分した.また,押し波の方向を推定するため,電柱の倒壊方向についても16方位に区分した.津波の高さや浸水深については,東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループにより求められた値を利用した.また,浸水高と国土地理院の基盤地図情報による標高から浸水深を求めた.
    電柱の倒壊は海岸線から2 km程度までの範囲で目立った.また,浸水深と電柱の倒壊との関係については,場所による差はあるものの,浸水深が2~3 m以上ある場所で電柱の倒壊が多くみられた.これは仙台平野において浸水深が2mを超えると建物流失率が増加するという調査結果(東北大学災害制御研究センターほか,2011)とも調和的である.詳細にみると,調査対象地域北部(仙台港の南~仙台空港)のほうが南部(仙台空港~阿武隈川左岸)に比べて,電柱の倒壊がより内陸まで及んでいる.とくに,名取市閖上や小塚原では海岸から2.5km以上離れたところでも電柱の倒壊がみられ,このような場所では大字別にみた死亡率が非常に高くなっている(谷,2012).一方,南部の岩沼市下之郷,押分,早股,寺島では,海岸から1~1.5 km程度までで電柱の倒壊がほぼみられなくなり,死亡率も低くなっている.海岸に到達した津波の高さ,つまりハザードそのものの大きさが調査対象地域内で異なっていた可能性もあるが,海岸線に沿って分布する集落の位置や規模が津波によって生じる瓦礫の量を規定し,結果として電柱の倒壊状況の違い,つまり被害の大きさにも影響したのかもしれない.
    多くの電柱は海岸線に直交する方向で,陸側に向かって倒れていた.前述のように,倒壊は津波の力だけでなく,瓦礫の衝突にともなって生じた可能性もあるが,倒壊した方向が押し波の向きと考えてよいだろう.また,海側に向かって倒れている電柱は確認できなかったため,ほぼすべての電柱の倒壊は引き波ではなく,押し波の際に引き起こされた可能性が高い.
  • 神谷 浩夫
    セッションID: 509
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    1.目的

    まちづくりへの市民参加を促進するために行政はさまざまな制度を導入している.本発表では,筆者が直接観察した2つの事例に基づき,地方都市における住民参加による施策立案の現況を考察する.

    2.鯖江市における「市民主役条例」

    (1)市民主役条例までの経緯

    福井県鯖江市で市民活動が盛んとなったきっかけは,1995年に開催された世界体操選手権でのボランティアの活躍であった.2003年に鯖江市は,辻前市長の下で「鯖江市市民活動によるまちづくり推進条例」を制定した.その後,合併をめぐる混乱から辻前市長はリコールによって失職した.リコールでの隠れた争点として,協働のまちづくりの進め方があった.公民館をまちづくりの拠点として自治公民館に衣替えしようとする辻前市長の意向は,たんなる支出削減策として市民に受け止められからである.

    牧野現市長は2009年に「市民が主役のまちづくり」の理念を条例化する意向を表明した.条例策定委員会は急ピッチで作業を進め,翌年3月の定例議会で「市民主役条例」が成立した.

    (2)市民主役条例の内容とその後の運用

    「市民主役条例」は,自治基本条例のように行政と市民との役割分担や義務を規定・制限しているわけでなく,市民と行政との対等な関係を謳う理念条例である.

    条例の策定に際して策定委員会が設置され,そのメンバーは,施行後に「地域自治部会」「市民参画部会」「さばえブランド部会」へと引き継がれていった.市民主役条例を具体化するために,「提案型市民主役事業」も始まった.

    (3)市民主役条例と提案型市民主役事業化制度の意義

    井上(2011)によれば,鯖江市の市民主役条例と提案型市民主役事業化制度の意義は以下の3点にある.①全分野の事務について住民自治を目指している点,②従来型の行政主導の協働ではなく,民間提案型の業務委託,市民参加型の公共事業を指向している点,③住民自治を基本とし自治体運営の基本原則を明確化している点.

    しかし多くの課題も残されている.第1に,市民主役条例の認知度が市民の間でかなり低い点.第2に,行政が担うべき役割と市民団体が担うべき役割の線引きをどのように決めるのかという点.第3に,市民主役条例推進委員会の中に設置された「地域自治部会」「市民参画部会」「さばえブランド部会」という異なる指向性をもつ団体をどのように束ねていくのかという点,である.

    3.羽咋市における第5次総合計画策定への住民参加

    熊谷・広田(2003)によれば,市町村総合計画の策定過程における住民参加は,①「事務局参加型」,②「審議会充実型」,③「住民意見聴取型」の3つに類型化できる.

    (1)総合計画策定の過程

    石川県羽咋市の第5次総合計画の策定は,事務局は企画財政課が担当し,専門部会が各部門の計画素案を策定した.計画素案の調整は策定委員会で行われ,その際,審議会での議論や市民意識調査,地区懇談会の意見も参考にされた.

    (2)総合計画策定への市民参加

    熊谷・広田(2005)による類型化に従えば,羽咋市の総合計画立案過程における住民参加は「審議会充実型」と分類できる.羽咋市の場合,総合計画の策定に際して市民の意見を汲み取るための手法として,①市民意識調査,②地区懇談会,③審議会への参加,④パブリック・コメント,などが活用された.

    4.考察

    まず.本発表で取り上げた事例を日本全体の中で位置づけてみる.鯖江市の市民主役条例に類する自治基本条例の制定は大都市圏自治体で進んでいる.全国の自治体総合計画の策定の多くは「審議会充実型」や「住民意見聴取型」によるものと考えられ,羽咋市の状況はご平均的とみなせる.

    地方都市における市民活動を考える場合,地縁的組織が根強いことに留意すべきであろう.地方都市では,大都市に比べて町内会組織は健在であり公民館活動も活発である.新しい市民活動の担い手としてNPOが台頭しつつあるが,資金や人材が不足して本来のミッションを実現できていないところが多い.

    以上のことから,地方都市において施策立案への住民参加を推進するには,町内会や公民館など従来型の地域自治組織の力と,NPOなどネットワーク型のボランタリー組織が持つ力をうまく組み合わせることが重要と思われる.
  • 黒田 圭介, 黒木 貴一, 磯 望, 宗 建郎, 後藤 健介
    セッションID: P012
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
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    .はじめに デジタル化空中写真や人工衛星データをインターネットから容易に入手できるようになった現在,GISの普及もあいまって,最尤法により半自動的に分類項目ごとに分類し,手軽に土地被覆分類図を作成することができるようになった。空中写真のみによる最尤法分類は,R(赤,LANDSATデータのバンド3相当),G(緑,同バンド2相当),B(青,同バンド1相当)の可視領域の波長帯データのみを用いたものとなるため誤分類が頻発する。これに近赤外域の波長帯データをコンポジットすることで,衛星画像データを用いたものと同様の分類制度で,かつ解像度1m以下の詳細な土地被覆分類が作成可能である(黒田ほか,2011) 1)。しかし,この手法を用いた研究事例は少ない。地理学的な解析がパソコン上で行われることが多くなった今日において,デジタル化空中写真の利活用方法について検討することは有意義であると考えられる。そこで本研究では,2012年北部九州豪雨で浸水被害が生じた白川流域を対象に,GISとALOSバンド4画像をコンポジットした空中写真を用いて最尤法分類による土地被覆分類図の作成を試みた結果を報告する。 Ⅱ.研究方法 1.対象地域 白川流域で,解析対象とした範囲は河道中央から250mバッファを発生させた範囲とした。 2.データ 本研究で用いた空中写真と人工衛星データは,国土地理院撮影1/1万カラー空中写真(2007年2月8日撮影)で,解像度は1mとした。ALOSデータは,2008年11月13日観測のAVNIR-2データ (10mメッシュ)を使用した。 3.土地被覆分類図の作成 幾何補正や最尤法分類などの処理に関してのGISソフトはArcView9.2を使用した。空中写真とALOSの幾何補正を行ったあと, GISで空中写真のR(赤)をバンド1,G(緑)をバンド2,B(青)をバンド3,ALOSデータの近赤外域の画像をバンド4としてコンポジットした。最尤法分類に使用する教師データは,空中写真の目視判読により取得した。教師データはポリゴン形式のshape fileで作成し,その項目は,草地,裸地,樹林,市街地,水域の5項目とした。最尤法分類は,ArcView10のエクステンションであるSpatial Analysisの解析ツール「最尤法分類」で行った。 4.精度評価 最尤法分類結果と教師データを重ねあわせ,教師データ内の分類結果面積をGISで抽出することで評価した。 5.浸水範囲 2012年九州北部豪雨による被害地域を,国土地理院の平成24年7月九州北部豪雨に関する情報2)より確認し,ポリゴン形式のshape fileで浸水範囲データを作成した。 Ⅲ.結果 1.分類精度 空中写真による土地被覆分類の全分類項目の平均分類精度は82.7%であった。一方,ALOSバンド4をコンポジットしたものは88.0%となり,特に水域の分類精度は97.7%と高くなった。これは,水は近赤外域では反射率がほぼ0になるため,教師として取得した地点の水域の画素クラスの分布パターンが他の分類項目のそれと明瞭に異なることを反映した結果と考えられる。 2.浸水範囲と土地被覆分類 作成した土地被覆分類より,熊本市域の白川流域での浸水被害地の土地被覆の39.6%が市街地で最も割合が高く,次に樹林地が30.5%であった。これは,河畔林が浸水したと考えられる。裸地は20.5%,草地は9.2%で,河川の氾濫水が浸透しやすいと考えられる土地被覆が最も少ない割合となった。 Ⅳ.まとめ 1)空中写真にALOSデータバンド4画像をコンポジットすると,最尤法分類による土地被覆分類の分類精度の向上が見込める。2)目視判読と手作業による土地被覆分類図は膨大な時間をかけて作成されるが,本研究の方法だと容易にかつ短時間で作成可能となる。また,GIS上で各種解析作業ができるので,例えば浸水範囲と土地被覆の関係などを定量的に把握できる。 参考文献1) 黒田圭介・黒木貴一・宗建郎(2011):コンポジット空中写真画像を用いた土地被覆分類図作成試案.環境科学論文集,25,p.239-244.2) 国土交通省九州地方整備局(2012):平成24年7月九州北部豪雨について.http://www.qsr.mlit.go.jp/n-kawa/kensyo/02-tateno/houkokusyo(tateno)/houkokusyo_ref/05_ref_hokubu_gouu.pdf(2013年7月1日参照).
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