抄録
1.はじめに
今後里山保全に取り組む上でも、過去の里山の利用実態とそれによる森林景観の変化を把握する必要がある。しかし、ひと口に里山といっても主に薪生産を行う薪山、木炭生産を行う木炭山等、近接する地域でも年代や場所の違いによりその利用形態や景観は一様ではない。そこで、利用実態やその変遷は、市町村または集落スケールを対象に、雑木林利用が活発であった時期から現在にかけて最低数十年スケールでの把握が必要と思われる。以上の視点で、里山利用の変遷の事例として、現在も木炭生産が行われている仙台市根白石における1950年代以降の雑木林利用の変遷と森林景観の変化を明らかにすることを目的とする。
2.調査地および方法
雑木林利用は、仙台市根白石全体とその中の大沢山およびその周辺の丘陵地(以後大沢山丘陵と呼ぶ)で調査した。根白石は明治以降木炭生産が盛んであった。現在も以前ほどではないが木炭生産が行われている。
根白石全体の土地利用については、1966年と2009年発行の25000分の1地形図「根白石」を用い、土地利用分類図を作成した。また、より詳細に雑木林利用の変遷を把握するため、大沢山丘陵において1956年、1961年、1975年、1984年、2006年の空中写真を基に伐採地分布図を作成した。
3.結果・考察
3-1.根白石全体の土地利用の変化 1966年と2009年の土地利用の面積を比較すると、広葉樹林が減少、針葉樹林が増加する。薪生産が主であった地区(薪山)では広葉樹林の残存率が低く、仙台市街地に近い丘陵地では住宅地等への土地改変も多い。一方、木炭生産が主であった地区(木炭山)では比較的広葉樹林の残存率は高く、大規模な土地改変は少ない。雑木林の利用目的により森林景観の変化に差異が認められる。
3-2.大沢山丘陵での雑木林利用の変遷 根白石全体の土地利用面積の変化には広葉樹林の減少、針葉樹林の増加がみられたが、大沢山丘陵においても広葉樹林の減少、針葉樹林や人工物の増加等同じような傾向がみられ、特に1961年から1975年の変化が大きい。燃料革命、拡大造林等により、1960年代から1970年代にかけて雑木林利用が大きく変化している。
共有林である中央部は、1975年には雑木林利用がほとんどされなくなる。一方、個人山である外周部は、燃料革命以降少なくとも1984年までは雑木林の伐採が継続され、中央部とでは変化に時差がある。所有形態の違いに加え、外周部の伐採地は、集落に近接することや作業道の多い植林地に隣接しアクセスが良いことが燃料革命以降も雑木林利用が続けられた要因と考えられる。
伐採地を面積で階級区分すると、1956年と1961年では大小2つのグループに区分でき、小面積の伐採地は木炭生産や自家用薪の生産目的のもの、大面積の伐採地は植林地への用途転用目的のものだと推察される。1975年以降は、小面積の伐採地のみになった。聞き取りによれば、大沢山丘陵では1970年代で木炭生産は行われなくなったとのことから、雑木林利用が自家用の薪生産目的のみに変化したと推察される。
雑木林の面積を伐採地面積で割り各年次の伐採周期を算出すると、1956年は8~24年、1961年は9~27年と伐採周期が短く、燃料革命以前は高い利用強度のため雑木林の樹高が低い景観になっていたことが考えられる。一方、1975年以降は57~171年、681~2043年と極端に利用強度が低くなり、伐採適齢期の雑木林も放置され針葉樹林との樹高差はない景観になったことが考えられる。
4.結論
燃料革命以前、雑木林は集落からの距離や所有形態を問わず伐採され、利用強度が高く雑木林の樹高は全体的に低かった。1950年代から1970年代にかけて雑木林の利用は次第に薄れたが、その薄れ方は場所によって差があった。共有林やアクセスが悪い山間部の雑木林はほとんど利用されなくなるが、個人山や集落に近い雑木林、作業道等でアクセスが容易な雑木林では植林地への転用、その後1980年代には人工地等に転用される箇所もあった。
本研究では、特に木炭山における利用変遷に焦点をあてたが、今後は、薪生産や農業利用の観点からの利用実態を把握することで、さらに現在の森林景観の形成過程に迫ることが課題となる。