抄録
日本の宗教の分布に関する研究は、古くは戦前の望月(1930)が行った研究まで遡ることができる。以降地理学の分野では、仏教諸宗派、キリスト教、神道などの分布の研究が行われてきた。その中でも、仏教寺院による地域別の分布に関するテーマは、数多く研究された。これらの先行研究では、現在の寺院分布に関することが重要視され、過去の寺院分布について触れている研究は少ない。今まで過去から現在に至る仏教寺院の分布の変遷をテーマとした研究がなされなかった一番の理由として考えられることは、過去の寺院の分布状況を知ることのできる資料が不足していたためである。そこで本研究では、江戸時代の文化・文政期(1800~1830年)、明治15年頃(1882年頃)、現在(2010年)の3つの異なる時期において、仏教寺院の分布状況について知ることのできる資料が存在する埼玉県を中心に寺院分布の変遷について分析していく。 研究方法としては、前述した時期の異なる3つの資料を扱い、寺院数を算出し、各宗派の寺院数の増減などを比較していく。主に利用する資料は、文化・文政期は『新編武蔵風土記稿』、明治期では『武蔵国郡村誌』、現在については『埼玉県宗教法人名簿』の3つである。その他に、市町村史や県内の寺院名鑑などを補足資料として扱い、3つの資料の分析を行っていく。 調査対象地域は、現在の埼玉県全域とする。本研究では江戸、明治、現在の3つの時期を取り扱っているため、いずれかの時期の行政区域に合わせて分析しなくてはならない。本研究では、『新編武蔵風土記稿』に記載されている16の郡を単位として分析していきたい。 県内の寺院数の変遷についてだが宗派別にみると、寺院数の多い上位4つ宗派(真言宗、曹洞宗、天台宗、浄土宗)や修験系の宗派の寺院は、時代が経つにつれ、特に江戸時代から明治にかけて数が減少していることがわかる。一般的に寺院数の減少は明治政府の出した政策による廃仏毀釈運動によるもので、その中で他に寺院の統合、移転、数は少ないが改宗といった理由が挙げられる。一方で、寺院数が増加している宗派は主に日蓮宗と浄土真宗の2宗派である。この2宗派は明治期以降に増加し、特に大正、昭和に入ってから寺院数が少しずつ増えていった。増加しているその他の宗派は、明治期以降に新たに独立した宗派だが、県内では、ほとんどが戦後に寺院が作られている。