日本地理学会発表要旨集
2013年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 706
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発表要旨
カザフスタン共和国アルマトゥ州パンフィロフ地区におけるソ連時代の農業開発とそれをささえた人の移動
旧「10月革命40周年記念」コルホーズを事例として
*渡邊 三津子中村 知子
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抄録

1. 目的
 中央ユーラシア乾燥・半乾燥地域の農業について考えるとき、旧ソビエト連邦(以下、ソ連)の果たした役割を軽視することはできない。特にカザフスタンにおいては、ソ連が押し進めた第一次産業の社会主義的近代化により、近代以前の長い時間をかけて個別地域の生態環境に応じて培われてきた生業の在り方はもちろん、それらと密接に関係していた人々の生活も根本から作りかえられていった。当該地域において、20世紀以降に顕在化してきた問題の中にはこうした生業の質的あるいは量的な変化に起因しているものも多い。その変化を個別具体的な事例に即して、いろいろな観点から明らかにしておくことは重要な意味を持つ。しかし、当該地域においてはソ連時代以降の地域のあゆみを多角的にみた研究例は決して多くない。
 発表者らは、カザフスタン共和国アルマトゥ州を対象に、コルホーズ(集団農場)やソフホーズ(国営農場)を調査の基本単位として、ソ連時代の農業開発が当該地域の景観や人々の生活をどのように変化させてきたのかを、聞き取りやアーカイブ史料の分析、衛星データの解析などを通して明らかにしようとしてきた。本報告では、カザフスタン共和国アルマトゥ州パンフィロフ地区にある旧「10月革命40周年記念」コルホーズを対象として、農業開発を支えた労働力としての中国からの移民に焦点を当てる。
2. 対象地域
 パンフィロフ地区は、天山山脈やジュンガル山脈など、氷河を戴く急峻な山地に囲まれたイリ盆地の中ほどに位置する。ソ連時代以前、この地域ではイリ河河畔の草地と山の上の草原を季節によって移動する牧畜が本地域のおもな生業であったが、ソ連時代以降、豊富な水資源と水はけのよい扇状地の上に灌漑農地が拓かれ、1950年代後半からは旧ソ連圏でも屈指の種トウモロコシの生産地となった。なかでも旧「10月革命40周年記念」コルホーズは、トウモロコシ採種業において優秀な成績を収め、カザフスタンのみならずソ連全土に名を知られたコルホーズである。
 ところでイリ盆地は、地形的にみるとひとつの閉じた空間をなしているが、地政学的には中国-カザフスタン国境によって二分されている。このため、特に近現代において、中国に属する東側地域とカザフスタンに属する西側地域とで、それぞれ異なった開発の道をたどってきた。とはいえ、両者が全く無関係であったわけではない。
3.農業開発を支えた労働力としての移民
 カザフスタンの農業開発の初期においては、もともと人口密度が希薄な地域であったことに加え、戦争の後遺症による働き手の不足などが農業開発の足かせとなっていた。発表者らの聞き取りにおいても、人々が口をそろえて「戦後の男手の不足」に言及したことからも、同時の状況をうかがい知ることができよう。この状況を打開するためカザフスタンでは農業移民が奨励された。アルマトゥ州内の別の事例(現エンベクシ・カザフ地区の旧ソフホーズ「社会主義カザフスタン」)においても、ウクライナなどからの農業移民たちがワイン醸造を目的とした果樹栽培の担い手として大きな役割をはたしてきたことが明らかになっている。
 他地域の事例の多くが旧ソ連圏からの移民に負うところが多いのに対して、パンフィロフ地区のトウモロコシ採種業の場合には、1950年代の終わりから1960年代にかけて大量の移民が中国から流入し、その存在が労働力として大きな役割を担ったことが明らかとなってきた。
 本報告では、資料調査により新たに明らかになった旧「10月革命40周年記念」コルホーズにおける1960年代の移民に関する記録と聞き取り結果をもとに、農業開発を支えた人々の移動の状況について報告する。

 本研究は、総合地球環境学研究所・研究プロジェクト『民族/国家の交錯と生業変化を軸とした環境史の解明―中央ユーラシア半乾燥域の変遷(リーダー:窪田順平)』による成果の一部である。

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© 2013 公益社団法人 日本地理学会
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